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 「太平洋側で続く少雨 多様な手段で水確保を」、と日本農業新聞。

 日本農業新聞は、2026年3月29日、「太平洋側で続く少雨 多様な手段で水確保を」、と論説で論評した。
 この問題を、この論説で考える。

 日本農業新聞は、「太平洋側を中心に少雨が続き、一部のダムでは貯水率が0%を記録した。」と始め、「間もなく水田の代かきなどが始まる。農業だけでなく、人が生きる上で水は欠かせない。この異常事態を受けて、福岡市の海水淡水化施設が真水の増産に踏み切った。国は多様な水資源確保へ動き出すべきだ。」、と示す。
 では、今どのような状況なのか。
1.全国で少雨の傾向が続いている。
2.国土交通省の全国の渇水状況(23日時点)によると、記録的少雨の影響で、農業向けの取水制限は全国8地域で続いている。うち、取水制限の割合が高いのが、愛知県東三河地域などの農業用水を供給する豊川用水だ。
3.愛知県は24日、2005年以来21年ぶりとなる渇水対策本部を設けた。17日に豊川用水の水源の一つ宇連ダムの貯水率が0%となり、用水全体の貯水率も6・5%(24日午前0時段階)と、平年より低い値となっているためだ。
4.大村秀章知事は「このまま降雨がなければ、(同用水の)大島ダムも4月上旬に枯渇する」と指摘。同県内の土地改良区などは区域ごとに時間と順番を決めて水を送る「番水」の検討を進める。
5.同県田原市の西山農園代表の西山直司さん(63)は、スイカの作付けが始まったばかりだ。今後1日置きの番水になった場合、「水が出ない日は植え付けができない」とし、作業計画に支障が出ることを心配する。
 その上で、「気候変動が激しさを増す中、少雨は米作りをはじめ、農業全体に大きな影響を与える。国や自治体には、雨を待つのではなく、能動的に水を確保する取り組みが求められる。」、と指摘する。
 また、こうした状況に向けての地方自治体の取り組みについて、紹介する。
1.福岡市の福岡地区水道企業団の海水淡水化センター(通称・まみずピア)は、13日から通常より1日1トン多い、計約4トンの真水の供給を始めた。水不足が深刻化しているためで、増産に踏み切った。
2.この施設は05年から稼働し、国内にある海水淡水化施設の中でも大規模とされる。玄界灘から引き込んだ海水から真水を作り、福岡市や古賀市、福津市など5市町に供給する。1994、95年、福岡市で295日間給水制限をした「平成の大渇水」がきっかけとなった。
 次に、日本農業新聞は、次のことを示す。
1.海に囲まれた日本と違い、水資源が乏しい海外では、生活用水や農業用水は海水淡水化が主流という。こうした手段を国内でもさらに普及できないか。水が不足すれは、暮らしは成り立たず、農業への影響は甚大だ。
2.年々、水の確保が難しくなっている現在、海水淡水化施設など日本の高い技術力を生かし、あらゆる手を打たなければ、農業の生産基盤はさらに弱体化してしまう。
 最後に、日本農業新聞は、次のことで締める。
 「国は、暮らしと農業に欠かせない水資源の確保に向け、あらゆる支援策を講じる必要がある。」、と。
(https://www.agrinews.co.jp/opinion/index/371133 参照)


# by asyagi-df-2014 | 2026-04-15 20:56 | 農業と地域社会 | Comments(0)

対馬丸の水中調査結果。

 日本政府(内閣府)は、2026年3月26日、1944年8月22日に、鹿児島県の悪石島沖で米潜水艦によって撃沈された対馬丸の水中調査結果の詳細を公表した。

 このことに関して、琉球新報は2026年3月27日、「対馬丸、魚雷被害の穴か 遺骨は見つからず 政府調査 詳細判明、3D画像も」(嘉数陽)、と次のように報じた。
1.内閣府は26日、1944年8月22日に、鹿児島県の悪石島沖で米潜水艦によって撃沈された対馬丸の水中調査結果の詳細を発表した。船体の左舷中央付近に魚雷攻撃の跡とみられる穴が初めて映像で確認された。遺骨や遺品は見つからなかった。今後は対馬丸記念館(那覇市)などが、生存者の証言と調査結果を比較・検証する予定。船体の詳細な状況が判明したことで被害の全容解明に期待がかかる。
2.対馬丸記念館は27日から、海底で回収された木片や金属片などを公開展示する。また、調査時の撮影映像は内閣府ホームページなどで閲覧できる。
3.悪石島沖の水深約870メートルの海底で確認された船体は、上部の構造物の多くが崩落していた。右舷の外板には大きな損傷が確認されなかったものの、左舷外板ではマストが船外にはみ出して倒れている様子が確認できた。
4.映像データを収集できなかった箇所は音波で形状を計測し、船体全体の構造を可視化した3Dモデル画像も作成した。これにより船首部分が左に傾いていることも明らかになった。左舷中央付近の外板穴の様子も、全体像が分かるように3Dモデル画像で再現した。
5.船体の撮影は97年の位置確認調査以来、28年ぶり。昨年11~12月に、無人探査機で調査を実施した。
6.対馬丸は44年8月21日、疎開する学童ら1788人を乗せ、那覇港から長崎に向け出港。22日夜、悪石島付近を航行中に米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈没した。学童ら含む1484人(氏名判明分)が犠牲となったが、日本軍がかん口令を敷いたこともあり、被害の全容は今も分かっていない。当時、日本近海を航行する船舶は米軍の無差別攻撃により相次いで撃沈され、多くの死傷者が出たが、対馬丸同様に全容は不明なままだ。(嘉数陽)
(https://ryukyushimpo.jp/newspaper/entry-5150478.html 参照)

 また、対馬丸記念館の公開展示について、琉球新報は2027年3月28日、「対馬丸の回収物を展示 那覇の記念館、金属片など公開」(吉田健一、金城乃愛)、と次のように報じた。
1.太平洋戦争中の1944年8月22日に米潜水艦に撃沈された対馬丸の水中調査で、船体周辺から回収された木片や金属片などが27日、那覇市の対馬丸記念館で一般公開された。調査時の撮影映像も公開されている。公開された資料を一目見ようと、多くの一般客が記念館に足を運んだ。昨年11~12月の政府による調査で、鹿児島県の悪石島沖の水深約870メートルの海底で船体を確認。周辺から木片などを収集した。
2.6年前に神奈川県から移住した加藤和弘さん(66)=うるま市=は、展示資料を見つめ「体験者が減る中で、歴史を継承する大切なものだと思う。たくさんの方に見てほしい」と話した。
3.対馬丸事件で2人の姉を亡くした、対馬丸記念会常務理事の外間邦子さんは「遺品や遺骨が見つからなかったのは残念だが、事件から長い年月がたっても、亡くなった子どもたちに思いを寄せてもらえることに感謝している」と語る。「子どもたちには『平和の守り神』として、平和な未来を歩めるよう見守ってほしい」と願いを込めた。(吉田健一、金城乃愛)
(https://ryukyushimpo.jp/national/entry-5153276.html 参照)

 琉球新報は2026年3月28日、この対馬丸の水中調査結果について、琉球新報は2026年3月28日、「対馬丸水中調査公表 悲劇を直視、警鐘としたい」、と社説で論評した。
 この社説で、考える。

 琉球新報は、この調査結果の公表について、最初に「疎開学童らの命を奪った大惨事の事実解明が進んだ。調査結果を通して過去の悲劇を直視するとともに、二度と繰り返されぬよう、今日への警鐘としても受け止めたい。」、と示す。
 琉球新報はこの主張の意味を語る。
1.内閣府は、鹿児島県の悪石島沖に沈む対馬丸の水中調査結果を発表した。     2.水深約870メートルの海底にある対馬丸の船体に残る魚雷攻撃の跡が確認された。遺骨や遺品は見つかっていない。海底から回収された木片や金属片が対馬丸記念館で公開されている。
3.1997年の調査では対馬丸の船体を確認した。船首に刻まれた「對馬丸」の映像が公開され反響を呼んだ。今回の調査は対馬丸記念会の要請を受けたもので、船体や周辺の状況を立体的に把握することを目的とした。
 その上で、「調査では船体全体の構造を可視化した3Dモデル画像も作成された。記念会が求めていた遺品の引き揚げは実現しなかったが、海底に沈む対馬丸の状況がいっそう明らかになったことは被害の事実解明と継承にとって一つの前進と言えよう。」、と位置づける。
 また、対馬丸の悲劇を「疎開学童ら1788人を乗せ、那覇港を出航した対馬丸は1944年8月22日、米軍の魚雷攻撃によって沈められた。名前が判明しているだけで学童784人、一般疎開者ら625人が亡くなった。対馬丸は出港時から米潜水艦に追尾されていた。制海権が失われた中での無謀な疎開であり、国策の犠牲である。」、と突きつける。
 一方、沖縄が対馬丸を歴史の記憶として継承してきた意味を指摘する。
1.県民が対馬丸事件を語り継いできたのは、この悲劇を二度と繰り返してはならないという思いからである。
2.なぜ対馬丸が攻撃対象となり、1400人余の尊い命が失われたのか。私たちは事実を直視し、教訓としなければならない。内閣府の調査結果もそのための資料となるはずだ。
3.私たちは、沖縄の島々を取り巻く不穏な動きとも対峙(たいじ)しながら対馬丸事件を語り継がなければならない。
 さらに、この歴史の記憶の継承が立たされる地平を示す。
1.対馬丸事件は太平洋戦争で劣勢に立たされた日本が沖縄を軍事要塞(ようさい)化する中で強行した学童疎開の悲劇である。それを過去の出来事と済ませることができない現状がある。
2.急激に進む自衛隊増強、宮古・八重山住民ら12万人の県外避難計画の危うさと私たちは向き合っているのである。
3.膨大な航空機や船舶を動員し、短期間で住民を九州や山口に運ぶ計画を実行に移すような事態を招かないのが政治の責任だ。しかし、台湾有事は「存立危機事態になり得る」とする高市早苗首相の国会答弁は沖縄の島々に危機を引き寄せるものだ。対馬丸の悲劇にも照らし、自衛隊増強や国民保護計画、高市首相発言に異議を申し立てたい。
 琉球新報は、最後に、次のことで締める。
 「対馬丸以外にも多くの船舶が沈められ、県民を含む日本人が犠牲となったことを忘れてはならない。「戦時沈没船」(戦時遭難船舶)の事実解明が待たれる。国策の犠牲であることは対馬丸と同様である。「海の戦争」を語り継ぐ必要がある。」、と。
(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-5152905.html 参照)

 琉球新報は、歴史の記憶として継承として、「海の戦争」を語り継ぐ必要を説くのである。


# by asyagi-df-2014 | 2026-04-14 20:50 | 持続可能な社会 | Comments(0)

「旧姓単記」という愚策。(3)

 日本政府は2026年3月13日、男女共同参画社会の実現に向けた今後5年間の方向性を定める第6次基本計画を閣議決定した。
 その計画には、結婚した人の「旧姓単記」も可能とする通称使用の法制化を検討することを盛り込まれた。

 このことに関して、日本弁護士連合会は、2026年3月26日、「旧姓の通称使用の法制化に反対し、改めて選択的夫婦別姓制度の速やかな導入を求める会長声明」(以下、会長声明)を公表した。
 この会長声明で、この問題を捉え直す。

 会長声明の内容は、以下のもの。

1.政府は2026年3月13日、「第6次男女共同参画基本計画」を閣議決定し、「婚姻により氏を変更した人が不便さや不利益を感じることのないよう、旧氏の単記も可能とする法制化を含めた基盤整備の検討を含め、旧氏使用の更なる拡大やその周知に取り組む」とした。
2.今後、政府は、夫婦の姓に関し、旧姓の通称単記使用をも可能とする法案(以下「旧姓使用法案」という。)を国会へ提出することを検討しているとのことである。

3.しかしながら、旧姓使用法案により旧姓の通称使用が認められても、それはあくまで旧姓を「通称」とすることが公認されるだけであり、現行の夫婦同姓強制(婚姻に伴う一方当事者への改姓の義務付け)による憲法第13条で保障された人格的利益の侵害という人権侵害が解消されることはない。
4.また、夫婦が同姓にならなければ婚姻できないとすることは、憲法第13条で保障される「婚姻の自由」に対する不当な制約である。自己のアイデンティティの表徴である氏名を変えずに婚姻したいという正当な希望を端的に叶える選択的夫婦別姓制度を導入し、現行の夫婦同姓強制による人権侵害を解消することを最優先すべきである。

5.また、旧姓使用法案は、実務的な観点においても問題や限界を抱えており、旧姓を通称として使用する者は戸籍上の姓と通称(旧姓)の二つの法的氏名を有することとなる。新たな法的氏名を誕生させればいずれの氏名がその人の本名なのか無用な混乱が生じるのを避けられない。
6.加えて、二つの法的氏名を管理し紐付けるために、多数の関連法令や政省令の改正、官民におけるシステム改修など多大な社会的・経済的コストの発生も避けられない。

7.さらには、そのような多大な社会的・経済的コストを費やしても、少なくともパスポートの使用やマネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策等の国際的な場面において、国際民間航空機関(ICAO)の加盟国や金融活動作業部会(FATF)等の理解を得て、パスポートや銀行・保険などの金融機関との取引で通称(旧姓)を通用させることができるかは全く定かではない。現に、政府は既にパスポート、運転免許証、マイナンバーカードなど厳格な本人確認に用いる書類では戸籍上の姓との併記が必要になるとの考えを示している。

7.そもそも旧姓使用法案は、1996年2月の法制審議会総会とそれに先立つ法制審議会民法部会において、「別氏制の理念に応えておらず、制度として不徹底である」、「氏と異なる呼称の制度を設けることは混乱を招く」などの消極的評価を受けて相当ではないと結論付けられ、法制審議会総会でも明確に排除されていた。

8.政府は、旧姓使用法案が抱えるこれらの問題を改めて直視し、旧姓の通称使用の法制化に留めるのではなく、誰もが改姓するかどうかを自ら決定して婚姻できるよう選択的夫婦別姓制度を速やかに導入すべきである。
9.当連合会も、引き続き、選択的夫婦別姓制度の速やかな導入に向けて全力を尽くす所存である。
(https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2026/260326_3.html 参照 )

 この会長声明から、きちんと確認することは、次のこと。
1.「旧姓使用法案は、1996年2月の法制審議会総会とそれに先立つ法制審議会民法部会において、『別氏制の理念に応えておらず、制度として不徹底である』、『氏と異なる呼称の制度を設けることは混乱を招く』などの消極的評価を受けて相当ではないと結論付けられ、法制審議会総会でも明確に排除されていた」、ということ。
2.旧姓使用法案により旧姓の通称使用が認められても、それは「旧姓を『通称』とすることが公認されるだけであり、現行の夫婦同姓強制(婚姻に伴う一方当事者への改姓の義務付け)による憲法第13条で保障された人格的利益の侵害という人権侵害が解消されることはない」、ということ。。
3.この旧姓使用法案は、「実務的な観点においても問題や限界を抱えており、旧姓を通称として使用する者は戸籍上の姓と通称(旧姓)の二つの法的氏名を有することとなる。新たな法的氏名を誕生させればいずれの氏名がその人の本名なのか無用な混乱が生じるのを避けられない」、こと。。
 したがって、日本政府は、旧姓使用法案が抱える「問題を改めて直視し、旧姓の通称使用の法制化に留めるのではなく、誰もが改姓するかどうかを自ら決定して婚姻できるよう選択的夫婦別姓制度を速やかに導入すべきである」、ということ。


# by asyagi-df-2014 | 2026-04-13 20:43 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

 沖縄-辺野古-高江から-2026年4月13日

 沖縄は、日米の「普天間返還合意」から、2026年4月12日、10年目を迎えた。
 この日の朝、
 「米側が海兵隊の地上部隊と航空部隊を切り離しても運用できるという案を示し、そんなことを認めたら普天間飛行場の県内移設を沖縄側に受け入れさせる材料を失うと日本側が反対した-。そんなやりとりが書かれた米公文書が見つかった。」、と沖縄タイムス。
 また、「米海兵隊CH53D大型輸送ヘリコプターの岩国基地(山口県)配備に向けた2000年8月の日米協議で、日本政府が「沖縄側が普天間飛行場の県内移設を受け入れる重要な前提を損なう」などと反対していたことが、米公文書で分かった。日本政府は「海兵隊の地上部隊と航空部隊は切り離せず、地上部隊のある沖縄県内に普天間を移設する必要がある」と主張し、沖縄側に受け入れを迫る論拠としている。それが覆ることへの強い懸念を示したとみられる。日米の「普天間返還合意」から12日で30年になる。」(沖縄タイムス)、と。
 それは、「今回の文書は、県内移設にこだわったのは日本政府だったことを浮き彫りにしている。前提そのものを問い直す材料となりそうだ。」(沖縄タイムス)、とも。

 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 何よりも、自らが沖縄から受け取るものを明確にするために。それは、捉え直しとして。
 また、「沖縄戦50年」、「戦後80年」を継承していくために。
 2026年度も、改めて琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します

(1)沖縄タイムス-政府、沖縄県内移設に固執 米軍ヘリ岩国案に反対 日米協議「前提損なう」 普天間返還合意、きょう12日で30年(平安名純代・米国特約記者)-2026年4月12日 4:21-[普天間返還 合意30年]

 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.【平安名純代・米国特約記者】米海兵隊CH53D大型輸送ヘリコプターの岩国基地(山口県)配備に向けた2000年8月の日米協議で、日本政府が「沖縄側が普天間飛行場の県内移設を受け入れる重要な前提を損なう」などと反対していたことが、米公文書で分かった。日本政府は「海兵隊の地上部隊と航空部隊は切り離せず、地上部隊のある沖縄県内に普天間を移設する必要がある」と主張し、沖縄側に受け入れを迫る論拠としている。それが覆ることへの強い懸念を示したとみられる。日米の「普天間返還合意」から12日で30年になる。
2.文書は00年8月14日にワシントンで開かれた柳井俊二駐米大使とタルボット国務副長官(いずれも当時)の会談内容を記録している。
3.CH53Dの岩国配備案について、柳井氏は「政治的な問題」と強調。海兵隊の兵員や装備品を輸送するヘリが、地上部隊から遠い岩国に配備されることで、日本側が普天間を沖縄県内に移設する理由として挙げてきた「空地一体運用が不可欠」という前提が崩れることへの懸念を示した。
4.日本側はその他の反対理由として、岩国基地には普天間からKC130空中給油機6機を移転することから「地域社会はこれ以上の負担を受け入れないと明確な意思を示している」と説明。「在日米軍の増強はアジアの緊張緩和に逆行する」とも訴えた。米側は「部隊運用を世論で縛るべきではない」と不快感を示した。
5.岩国に配備するCH53Dを普天間から移転する計画だったかどうかは、この文書では分からないが、岩国には02年にハワイからCH53Dがローテーション配備されるようになった。
6.日米両政府は1996年4月12日に普天間飛行場を5~7年で全面返還すると発表。「負担軽減」と「抑止力維持」の両立を掲げ、普天間の機能移転を条件とした。
7.今回の文書は、県内移設にこだわったのは日本政府だったことを浮き彫りにしている。前提そのものを問い直す材料となりそうだ。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1815381 参照 2026年4月12日)

(2)沖縄タイムス-米側「空地一体は不要」 切り離し案を日本拒む 沖縄県内移設の根拠揺らぐ【普天間返還 合意30年】(平安名純代・米国特約記者)-2026年4月12日 5:20

 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。

1.米側が海兵隊の地上部隊と航空部隊を切り離しても運用できるという案を示し、そんなことを認めたら普天間飛行場の県内移設を沖縄側に受け入れさせる材料を失うと日本側が反対した-。そんなやりとりが書かれた米公文書が見つかった。(平安名純代・米国特約記者)
2.日本政府はこれまで、沖縄に海兵隊を置く理由として、「空地一体運用」の必要性を説明してきた。地上部隊と航空部隊が即応的に行動するには、同一地点に配置されることが不可欠で航空部隊の拠点となる普天間の機能は、地上部隊の駐留する沖縄県内に維持すべきだという論理である。
3.今回の文書で、日本側がこの前提を「決定的な条件」と位置付け、その崩壊が移設全体を揺るがしかねないと強く懸念していたことが明らかになった。
4.裏を返せば、その前提が維持できなければ、沖縄に基地を残す説明が成り立たなくなると危惧していたことが分かる。
5.一方で、米側は世論や政治的配慮で部隊を固定化すべきではないと明言し、日常的な運用調整が必要と強調している。部隊配置は状況に応じて柔軟に見直されるという認識を示す。
6.浮かび上がるのは、「空地一体運用」が日米間で共有された「前提」ではなく、沖縄県内以外に移設先を探せない日本政府の方便だったのではないか、という疑念だ。
7.今でも辺野古移設が唯一の解決策と繰り返す日本政府にとって「一体運用」は重要な根拠であった。これに対し、米側にとっては運用上の一要素に過ぎず、絶対条件ではない可能性がある。このずれは、普天間移設問題が長期化してきた構造とも重なる。
8.沖縄以外では普天間の機能を保てないという軍事的必要性の説明は乏しい。「他の都道府県が反対するから」という政治的な理由だけが際立ってきた。
9.さらにこの文書では、岩国基地周辺住民の反発やアジア情勢への影響を考慮している点も注目される。沖縄の民意を無視する一方で、本土への分散には慎重で、神経をとがらせている政府の姿勢が見える。
10.普天間返還合意から30年。県内移設を巡る議論は終わっていない。その「前提」がいかに脆弱(ぜいじゃく)だったのかを今回の文書は示す。同時に沖縄に基地を集中させてきた説明の妥当性を改めて問い直す契機となる。
(政府 法廷でも「一体」主張)
1.日本政府は名護市辺野古の新基地建設の埋め立て承認取り消しや撤回を巡り、県と争った訴訟の中でも、普天間飛行場を県外や国外へ移設できない重要な理由として「海兵隊の空地一体運用」を主張してきた。
2.県外や国外への移設を求める県側に対し、国は書面で、普天間の部隊は沖縄に駐留する海兵隊の陸上部隊や補給部隊の輸送機能を担うと説明。「陸上部隊と合同で訓練する必要がある」「航空部隊を他の部隊と切り離すと、初動対応能力を阻害する」と理由を挙げ、「(普天間の)県外・国外移設は現実的な方策でない」と結論付けている。
3.普天間の県外移設を目指した民主党政権で、当時の鳩山由紀夫首相が鹿児島県の徳之島を有力候補に挙げながら断念した理由の一つも、空地一体運用の必要性を示す文書とされた。
4.「航空部隊は訓練場のある沖縄本島から65カイリ(約120キロ)以内に置く必要がある」と書かれ、本島から約192キロの徳之島案を否定するものだった。
5.しかし政権交代の後、米軍は「海兵隊の基準ではない」と65カイリ以内の根拠を打ち消し、外務省、防衛省は「確認できない」と文書自体を認めていない。誰がどんな目的で鳩山氏に届けたのか。文書の存在は謎のまま、鳩山氏は本紙取材に「これがなければ、もっと執拗に県外移設を追及していた」と語っている。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1815408 参照 2026年4月12日)

(3)沖縄タイムス-辺野古新基地の賛否ほぼ拮抗 「騒音と墜落の危険」「反対しても仕方ない」 名護・宜野湾市民に聞く-2026年4月12日 5:50-[普天間返還合意30年]

 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。

1.日米両政府が宜野湾市の米軍普天間飛行場の返還に合意して12日で30年。移設先とされた名護市辺野古の新基地の完成は見通せず、「普天間」はなお市街地にあり続ける。沖縄タイムスは12日を前に、宜野湾市民と名護市民それぞれ50人、計100人に新基地建設の賛否を聞いた。結果は「賛成」と「容認」の合計が「反対」とほぼ拮抗(きっこう)。「騒音と墜落の危険はいつまで続くのか」「これだけ工事が進めば反対しても仕方ない」-。両市民の切実な要望や複雑な胸の内、新基地への考えの変化が表れた。
(名護 諦めや疲れ色濃く 何言っても工事止まらない/地域住民を分断)
1.名護市民からは新基地建設による基地被害や自然破壊への心配が聞かれた。1997年の海上ヘリポート建設計画の是非を問う市民投票で反対の民意を示してから約30年。中には「反対しても造られてしまう」という諦めや、新基地について容認か反対かで地域が分断していることへの「疲れ」も色濃くにじんだ。
2.「反対」の男性(30)は「基地があることで騒音や事件など治安が気になる。訓練が激しくなる怖さもある」と指摘。24歳女性は「その他」を選び、「普天間の負担は減るけど、北部の負担が増えて自然破壊される。てんびんにかけられない」と悩ましげだった。
3.かつて市民投票で反対に投票した60代女性は「容認」を選んだ。「県民が何を言っても工事は止まらないのであきらめた」と淡々と話した。「引き返せない」(容認・70代女性)や「反対しても国同士の約束は覆らない」(容認・30代男性)との意見も出た。
4.「容認」の60代男性は「区の中で反対派の住民とすれ違っても目も合わさなくなった。反対派がいるので区の集まりにも行かなくなった。基地建設によって地域住民が分断された」と声を落とした。
(宜野湾 「早期返還」願い切実 とにかくなくなって/本土が引き取るべきだ)
1.住宅の真上を飛ぶ米軍機の激しい騒音、墜落するかもしれないという不安-。普天間飛行場の周辺では、多くの住民が物理的・心理的なストレスを抱え、一刻も早い返還を求めている実情が改めて浮かんだ。
2.「賛成」の農業の30代男性は「騒音が毎日ひどい。それがなくなるなら、そりゃ賛成ですよ」と強調し、66歳の男性は「辺野古の工事は進んでいるし、県外移設は非現実的。街中よりも海の方に移す方がいい」と話す。
3.「容認」の70代女性には常に墜落への不安がある。「辺野古の人には申し訳ないけれど、とにかく普天間から基地がなくなってほしいので」
4.他方で、騒音に悩む別の70代女性は「辺野古の人に同じ思いをしてほしくない」との思いから「反対」と回答。82歳女性も「本土が基地を引き取り、平等に負担すべきだ」との考えから「反対」と答えた。82歳の男性は「(普天間飛行場は)もともと米軍が勝手に占領したもの。無条件で返すべきだ」と訴えた。
5.男子大学生(19)は、埋め立て工事で、辺野古周辺の豊かな生態系に悪影響が出ることを懸念。「基地建設に反対してきた県民の民意が十分に尊重されていないことも問題だ」と語った。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1815400 参照 2026年4月12日)

(4)沖縄タイムス-普天間返還 実現遠く 過重な負担 県民反発 日米政府「辺野古が唯一」 歴代県政は態度変遷(政経部・銘苅一哲)(聞き手=東京報道部・松田駿太)-2026年4月12日 4:00

 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。

1.米軍普天間飛行場返還は1996年の日米合意から30年が経過した現在も実現していない。この間、首相14人、米大統領5人、知事5人がこの問題に向き合ってきた。日米両政府は「唯一の解決策」として名護市辺野古への新基地建設を進める。完成時期は現時点で早くても2036年以降とするが、軟弱地盤の難工事を抱える中、返還実現の道筋は見えない。過重な基地負担に対する県民の反発は根強い。(政経部・銘苅一哲)
2.日米は96年4月12日に普天間飛行場を5~7年で全面返還すると合意した。96年12月の日米特別行動委員会(SACO)最終報告では移設先を「沖縄本島東海岸」に決定。名護市では97年12月の市民投票で反対が賛成を上回ったものの、比嘉鉄也市長が結果を覆す形で移設に伴う作業を受け入れ、辞任した。
3.98年には比嘉氏の後継となった岸本建男氏が名護市長、名護市東海岸での海上ヘリポート案を拒否した大田昌秀氏を破り、稲嶺恵一氏が知事に、それぞれ就任した。2人は99年に使用期限を15年とするなどの条件付きで受け入れを容認。移設先は辺野古に決まった。
4.2005~06年の在日米軍再編でキャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立て、V字形に2本の滑走路を持つ飛行場を造る計画に日米両政府が合意。その後に政府が環境影響評価の手続きを進め、13年12月には仲井真弘多知事がシュワブ沿岸部の埋め立てを承認した。
5.沖縄防衛局は14年7月に事業着手。12月には移設反対の「オール沖縄」勢力によって翁長雄志知事が誕生した。15年10月に承認を取り消した翁長氏に対し、国交相が是正を指示。訴訟に発展し、県の敗訴確定を受け、翁長知事は16年12月に取消を取り消した。
6.翁長知事は米国や国連で沖縄の置かれた不条理を国際社会に訴えたが、18年8月に急逝。遺志を継いだ職務代理者が同月末に埋め立て承認を撤回した。同年9月の知事選では翁長氏の後継として玉城デニー知事が初当選、埋め立て反対の県政を継続した。
7.承認撤回を巡る訴訟では22年12月に県の敗訴が確定。防衛局が申請した軟弱地盤を改良するための設計変更では県が不承認としたものの、こちらも裁判で敗れ、国による承認の代執行で現在も工事が進む。
(辺野古の工事 「時間かかる」海兵隊)
1.【ワシントン共同】米海兵隊は、日米両政府による米軍普天間飛行場の返還合意から30年に際し、同県名護市辺野古の代替施設建設は「大規模事業であり、安全で運用可能な施設にするため時間がかかっている」と説明した。報道担当者が共同通信の取材に答えた。
2.海兵隊は「日本政府と共に、可能な限り早く普天間を返還できるよう取り組んでいる」とした上で「代替施設が完成し、全面的な運用開始を宣言した後に返還する」と言及した。
3.合意から約30年を経ても返還が実現していない点について、2016年の米軍北部訓練場の部分返還に触れ「土地返還プロセス全体では大きく進展している」として基地負担軽減に向けた対応をアピールした。
(「移設問題」にすり替え 春名幹男氏 元共同通信ワシントン支局長)
(識者インタビュー 抗議大会 県民のガス抜き)
1.日米両政府が米軍普天間飛行場の返還に合意した当時、共同通信ワシントン支局長を務めた国際ジャーナリストの春名幹男氏にいまだ返還が実現していない現状への思いなどを聞いた。(聞き手=東京報道部・松田駿太)
2.米兵による暴行事件が起きた翌月の1995年10月、当時民主党政権だったため在野でコンサル業をしていた米国有数の知日派アーミテージ氏(元国防次官補)と会った。彼は開口一番で「普天間は返さないとだめだ」と言った。誠意を示さないと沖縄の人の怒りが収まらない。そうしなければ日米同盟自体が危うくなるという話だった。
3.翌月、クリントン大統領のインタビューでホワイトハウスに行った時、旧知の関係者から「アーミテージが出入りしている」と聞いた。当時のホワイトハウスには知日派がおらず、(共和党の)アーミテージから意見を聞いていたわけだ。
4.年明け、県民感情から基地返還の必要性を感じていた橋本龍太郎氏が総理大臣に就任したが、外務省から抑止力が落ちると反発があった。日本経済新聞が1996年4月12日の朝刊で日米両政府が普天間返還合意を近く発表すると特大スクープを書く。
5.その日のうちに橋本総理はモンデール駐日米大使と共同会見し、返還合意を発表する。外務省からの反発もある中、新聞に書かせて返還の方向性を固めたかったと思う。かなりのスピード感だった。
6.嘉手納基地への統合案が本気で模索されたが、2カ月たった96年6月ごろに国防総省の関係者から「海兵隊が怒り、統合案は頓挫した」と電話があった。
7.当時はメディアも「普天間返還」と書いていたが、いつのまにか県内移設が前提になり「移設問題」に替わっていった。結局こじれにこじれて30年たっても返還されていない。暴行事件に抗議する県民大会には8万5千人が集まるほどだったが、結果として返還合意で県民の怒りがガス抜きされてしまったように見える。
8.日米両政府とも普天間返還は沖縄の基地負担軽減から出発していたはずで、普天間が危険だから一日も早く辺野古に移設するという政府の姿勢はおかしい。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1815363 参照 2026年4月12日)

(5)琉球新報-普天間飛行場返還合意30年 騒音苦情10年で最多 1134件、夜間も(福田修平)-2026年04月12日 05:00

 琉球新報は、表題を次のように報じた。

1.2025年度に宜野湾市に寄せられた、騒音などの基地被害に関する苦情件数が1134件となり、少なくとも過去10年で最多となっていることが12日までに同市への取材で分かった。12日で、日米両政府による普天間飛行場の返還合意から30年の節目を迎えたが、早期返還の見通しは一向に立たず、いまだ重い基地負担が周辺住民にのし掛かっている。
2.苦情は嘉手納基地で即応訓練が実施され、普天間基地にも戦闘機などが飛来した5月と11月に特に多くあり、騒音規制措置で制限されている午後10時以降にも多数の苦情が寄せられていた。
3.過去10年間の苦情件数は20年度の759件を上回り、25年度が最多となった。宜野湾市によると苦情件数の増加は、5月と11月の即応訓練に伴い戦闘機が飛来したことや、25年10月から通信アプリのLINE(ライン)でも苦情を受け付け始めたことなどが要因とみられるという。
4.月別では、即応訓練の影響があった5月は209件、11月は391件の苦情が寄せられた。両月ともに、ジェット機の騒音被害に関する苦情も多く、「騒音と振動で子どもがびっくりして、しばらくミルクを飲まなくなった」「話もできないほどうるさい」などの切実な声が市に寄せられた。(福田修平)
(https://ryukyushimpo.jp/politics/entry-5184891.html?_auth=1775957431 参照 2026年4月12日)

(6)琉球新報-県内固執 かすむ「約束」 普天間返還合意30年 早期返還見通せず 変更、上書き相次ぐ(石井恵理菜、照屋大哲、知念征尚)-2026年04月12日 05:00

 琉球新報は、表題を次のように報じた。

1.「世界一危険な飛行場」とも称される米軍普天間飛行場の全面返還が日米間で合意されてから、12日で30年が経過した。県内移設にこだわり続け、代替の名護市辺野古新基地建設を強行する政府に対し、県民の反発の声は依然として根強いままだ。相次ぐ計画の変更や、日米合意の上書きが続き、日米は具体的な返還期日を示すことができず、早期の普天間返還を見通せない状況だ。
2.1996年4月12日、モンデール駐日米大使と記者会見に臨んだ橋本龍太郎首相(当時)は強調した。「普天間飛行場は今後、5年ないし7年以内に全面返還されることになります」。
3.歴史的な記者会見から30年が経過し、当時の橋本首相の「約束」は、その後、時々の政権による日米合意によって、上書きされてきた。
 返還合意は沖縄の「基地負担軽減」が出発点だったはずだが、政府は同飛行場の県内移設に固執。現在も普天間飛行場は宜野湾市の真ん中に横たわり、状況は一層、複雑化している。
(遠のく負担軽減)
1.普天間飛行場の返還条件を巡り、2014年、空中給油機KC130の岩国基地への移駐が実現した。政府は「沖縄県民の負担軽減が目に見える形で実現できた」(当時の菅義偉官房長官)と実績を誇示した。
2.だが、実際には移駐された分の穴を埋めるように、外来機の飛来が増加。24年度の年間騒音発生回数は、前年度比9319回増の2万3231回(いずれも新城地区)と負担は悪化している。
3.移設先となる辺野古新基地は滑走路が普天間飛行場のものよりも短いことから、米軍が普天間を使い続けるのではないかという観測が急速に広がっている。
(停滞する対話)
1.政府は「一日も早い危険性の除去、固定化を避けることは、政府と沖縄の共通認識だ」として、地元の理解を得る努力を続けると繰り返してきた。
2.だが、その言葉とは裏腹に、地元の理解を得る努力は低調だ。
3.県や宜野湾市が強く求めている、米軍普天間飛行場の負担軽減策について国と協議する「普天間飛行場負担軽減推進会議」は、19年を最後に開催されていない。
4.仲井真県政下の14年に発足したが、知事選で翁長雄志前知事が初当選して以降、開催が滞り、政府側のトップも首相から官房長官になった。玉城知事の就任後は、1回しか開催されていない。下部組織の作業部会も開催頻度が落ちている。
5.協議の場がないことは、普天間飛行場を抱える宜野湾市の佐喜真淳市長も「残念でならない」と不満をこぼし、早期開催を求めている。
(悪化する課題)
1.近年、飛行場周辺の湧き水からは基地由来が疑われている有機フッ素化合物(PFAS)が検出され、周辺住民から懸念が高まる。県は原因特定のため基地内への立ち入り調査を求めるが、米側は拒否し、問題解決の障壁となっている。
2.見えない返還と悪化する課題。議論しなければならないテーマは増えるが会議が開催されない現状に、県幹部は「日本政府は、沖縄側に提示できる負担軽減の取り組みがないようだ」とこぼす。
3.推進会議は本来、地元の要望を政府に伝える場でもあるが、協議の場が政府のアピールの場になっていることにいら立ちを募らせている。
(石井恵理菜、照屋大哲、知念征尚)
(https://ryukyushimpo.jp/politics/entry-5184851.html 参照 2026年4月12日)

(7)琉球新報-「辺野古大規模事業 時間かかっている」 米海兵隊、普天間巡り(共同通信)-2026年04月12日 05:00

 琉球新報は、表題を次のように報じた。

1.【ワシントン共同】米海兵隊は、日米両政府による米軍普天間飛行場の返還合意から30年に際し、名護市辺野古の代替施設建設は「大規模事業であり、安全で運用可能な施設にするため時間がかかっている」と指摘した。報道担当者が共同通信の取材に答えた。
2.海兵隊は「日本政府と共に、可能な限り早く普天間を返還できるよう取り組んでいる」とした上で「代替施設が完成し、全面的な運用開始を宣言した後に返還する」と説明した。
3.合意から約30年を経ても返還が実現していない点については、2016年の米軍北部訓練場(東村など)の部分返還に触れ「土地返還プロセス全体では大きく進展している」として基地負担軽減に向けた対応をアピールした。
(https://ryukyushimpo.jp/politics/entry-5184854.html 参照 2026年4月12日)

(8)琉球新報-【深掘り】「5~7年以内の返還」から30年 普天間飛行場 「県内移設」固執 開催されぬ「会議」(石井恵理菜、照屋大哲、知念征尚)-2026年04月12日 05:00

 琉球新報は、表題を次のように報じた。

1.「世界一危険な飛行場」とも称される米軍普天間飛行場の全面返還が日米間で合意されてから、12日で30年が経過した。県内移設にこだわり続け、代替の名護市辺野古新基地建設を強行する政府に対し、県民の反発の声は依然として根強いままだ。相次ぐ計画の変更や、日米合意の上書きが続き、日米は具体的な返還期日を示すことができず、早期の普天間返還を見通せない状況だ。
2.1996年4月12日、モンデール駐日米大使と記者会見に臨んだ橋本龍太郎首相(当時)は強調した。「普天間飛行場は今後、5年ないし7年以内に全面返還されることになります」。
3.歴史的な記者会見から30年が経過し、当時の橋本首相の「約束」は、その後、時々の政権による日米合意によって、上書きされてきた。
4.返還合意は沖縄の「基地負担軽減」が出発点だったはずだが、政府は同飛行場の県内移設に固執。現在も普天間飛行場は宜野湾市の真ん中に横たわり、状況は一層、複雑化している。
(遠のく負担軽減)
1.普天間飛行場の返還条件を巡り、2014年、空中給油機KC130の岩国基地への移駐が実現した。政府は「沖縄県民の負担軽減が目に見える形で実現できた」(当時の菅義偉官房長官)と実績を誇示した。
2.だが、実際には移駐された分の穴を埋めるように、外来機の飛来が増加。24年度の年間騒音発生回数は、前年度比9319回増の2万3231回(いずれも新城地区)と負担は悪化している。
3.移設先となる辺野古新基地は滑走路が普天間飛行場のものよりも短いことから、米軍が普天間を使い続けるのではないかという観測が急速に広がっている。
(停滞する対話)
1.政府は「一日も早い危険性の除去、固定化を避けることは、政府と沖縄の共通認識だ」として、地元の理解を得る努力を続けると繰り返してきた。
2.だが、その言葉とは裏腹に、地元の理解を得る努力は低調だ。
3.県や宜野湾市が強く求めている、米軍普天間飛行場の負担軽減策について国と協議する「普天間飛行場負担軽減推進会議」は、19年を最後に開催されていない。
4.仲井真県政下の14年に発足したが、知事選で翁長雄志前知事が初当選して以降、開催が滞り、政府側のトップも首相から官房長官になった。玉城知事の就任後は、1回しか開催されていない。下部組織の作業部会も開催頻度が落ちている。
5.協議の場がないことは、普天間飛行場を抱える宜野湾市の佐喜真淳市長も「残念でならない」と不満をこぼし、早期開催を求めている。
(悪化する課題)
1.近年、飛行場周辺の湧き水からは基地由来が疑われている有機フッ素化合物(PFAS)が検出され、周辺住民から懸念が高まる。県は原因特定のため基地内への立ち入り調査を求めるが、米側は拒否し、問題解決の障壁となっている。
2.見えない返還と悪化する課題。議論しなければならないテーマは増えるが会議が開催されない現状に、県幹部は「日本政府は、沖縄側に提示できる負担軽減の取り組みがないようだ」とこぼす。
3.推進会議は本来、地元の要望を政府に伝える場でもあるが、協議の場が政府のアピールの場になっていることにいら立ちを募らせている。(石井恵理菜、照屋大哲、知念征尚)
(https://ryukyushimpo.jp/politics/entry-5184851.html?_auth=1775971172 参照 2026年4月12日)

(9)沖縄タイムス-新基地容認の区民、期待と不安 埋め立て進む辺野古 「反対」言えず去る人も(社会部・又吉嘉例、小島弘之、屋比久賢太、山城響)-2026年4月12日 8:10-[動かない「普天間」4.12 日米返還合意30年](4)

 沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。

1.慣れ親しんだ海の景色はこの10年ですっかり様変わりした。2015年から名護市の辺野古沿岸で進行する埋め立て工事。辺野古漁港から護岸に取り囲まれた新基地建設現場を眺めると、うずたかく盛られた土地が目立つ。かつてあった岩礁はその下に埋まり、春から夏にかけて飛来してきたアジサシの姿は見かけなくなった。
2.「あの辺りでアオリイカがよく釣れたんだ。刺し身やスミ汁で食べるの。おいしかったな」。辺野古区に住む60代男性は埋め立てられた海域を懐かしむ。一方、新基地建設には賛成だという。「反対してもどうせ造られるなら、区に補償金が入る方がいい。半分諦めもあるけど」とぽつり。
3.「ただ、工事で潮の流れが変わったのか、イカが少なくなった」。ここ数年、釣りには行っていない。
4.区民は「この30年、ずっとさびれている」と口をそろえる。ベトナム戦争時の1960年代、通りは見渡す限り米兵であふれていた。当時、スナックを経営していた女性(81)は「彼らは戦地に行く前に有り金を使う。金庫にお金が入りきらないほどもうかった」としみじみ話す。
5.米軍基地で働く区民も多く、今も基地で生活が成り立っているとも感じる。「子や孫の世代を思うと、新基地の完成で新たな雇用が生まれるのではないか」と期待する。反面、「イランやロシアを見ていると、いざ有事になれば基地周辺の集落が巻き込まれてしまう不安もある。手放しで受け入れるわけではない」と心配もにじませた。
6.辺野古区は国や県にインフラ整備や航空機騒音への対応などの条件付きで新基地建設を認めている。40代男性は「下水道整備など振興策が進み、移設の恩恵を受けている。住民の8~9割が容認だろう」。
7.さらに「振興策ありきの容認ではない」とも強調。辺野古の沖縄工業高等専門学校に近い米軍のヘリ着陸帯「フェニックス」について「発着するヘリが集落上空を飛んで危険。ヘリパッドが海上に移れば危険性除去につながる。早めの完成が望ましい」と話した。
8.辺野古で数十年暮らした80代女性は今春、区を出ていく。静かな集落は米軍普天間飛行場の移設先となって変わった。賛成か。反対か。つねに「新基地」への態度を求められてきた。
9.「昔は良かったが、基地の話が出てからは争いばかりで怖かった」と振り返る。「基地には反対。だけど、そう言えないここの雰囲気が怖い。一日も早く、こんな問題がない古里で余生を過ごしたい」。どこか、せいせいとした表情を浮かべた。(社会部・又吉嘉例、小島弘之、屋比久賢太、山城響)
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1815401 参照 2026年4月12日)


# by asyagi-df-2014 | 2026-04-13 06:35 | 沖縄から | Comments(0)

 「ハンセン病法廷 再審認めるのが道理だ」、と秋田魁新報。

 熊本地裁は、「菊池事件」の第4次再審請求審で、再審を認めない決定を下した。
 これは、日本の司法の限界を露呈させてたもの。

 このことに関して、秋田魁新報は2026年3月27日、「ハンセン病法廷 再審認めるのが道理だ」、と社説で論評した。
 この社説で、問題点を押さえる。

 この熊本地裁の決定に向けて、秋田魁新報は、次のことを指摘する。
1.ハンセン病とされた男性が隔離先の特別法廷で死刑判決を受けて、1962年に執行された「菊池事件」の第4次再審請求審で、熊本地裁は再審を認めない決定をした。
2.弁護団は決定を不服とし、福岡高裁に即時抗告した。
3.地裁は特別法廷での裁判手続きについて、憲法違反だったと踏み込んだ。にもかかわらず、そのことが判決の事実認定に重大な誤認を来すものとは認められないとして、再審請求を棄却した。
 秋田魁新報は、このことについて、「不可解極まりない判断である。速やかに再審を認めるのが道理ではないか。」、と突きつける。
 この主張の具体的な根拠。
1.男性は52年に熊本県内の村の元職員を殺害したとして殺人罪などに問われ、裁判は国立ハンセン病療養所「菊池恵楓(けいふう)園」などの特別法廷で開かれた。男性は無罪を訴えたが、死刑判決を受け、3度目の再審請求を棄却された翌日に執行された。
2.その後、元患者らが起こした国家賠償請求訴訟を巡り、特別法廷での審理は違憲だったとの判断が示され、これをきっかけに男性の遺族が第4次再審請求を申し立てた。
3.特別法廷は病気や災害など特別な事情を考慮し、裁判所の外での審理を認める制度である。認めるかどうかは最高裁の判断で、ハンセン病を理由に特別法廷を認めた割合は他の病気と比べ突出して高かった。
4.熊本地裁は特別法廷での裁判を、法の下の平等を定めた憲法14条に反する差別と認めたほか、裁判の公開原則を定めた憲法82条に違反する疑いがあるとも指摘した。その一方で「刑事訴訟法は審理の違憲性を理由にした再審開始を規定していない」との検察側の主張を全面的に採用した。
5.特別法廷では裁判官、検察官、弁護人が「予防衣」と呼ばれる白衣を着用し、証拠品や調書を箸で扱っていた。一審の国選弁護人は、まともに弁護を行っていなかったとされる。裁判官、検察官、弁護人のいずれもが差別や偏見に加担したと見られても仕方がない。6.憲法が保障する裁判の公正・公平に反するのは明らかだ。
7.今回、弁護団は凶器とされた短刀と傷との矛盾を指摘し、犯行を告白されたとする親族の供述についても疑問を呈する鑑定書を提出した。だが地裁はこれら新証拠について、無罪を言い渡すべき明らかな証拠には当たらないと一蹴した。
8.結論ありきの決定だったのではないかと疑わざるを得ない。
 秋田魁新報は、こうした日本の司法の限界に向けて、次の主張を明確にする。
1.日本では戦後、死刑が執行された後に再審が認められたケースはない。決定が覆って無罪となれば、死刑制度を巡る議論に大きな影響を及ぼすことにもなるだろう。
2.問われているのは差別と偏見に満ちた閉ざされた法廷で十分な審理も行われず、無辜の命が奪われた可能性があるということだ。国の最高法規である憲法に違反した裁判だった事実を重く受け止めなければならない。
(https://www.sakigake.jp/news/article/20260327AK0004/ 参照)

 今回の熊本地裁の決定の構図は、次のもの。
1.特別法廷での裁判は、「法の下の平等を定めた憲法14条に反する差別」(秋田魁新報)であると認めた。
2.あわせて、「裁判の公開原則を定めた憲法82条に違反する疑いがある」(秋田魁新報)、と指摘した。
3.このことにもかかわらず、「『刑事訴訟法は審理の違憲性を理由にした再審開始を規定していない』(秋田魁新報)、との検察側の主張を全面的に採用」してしまった。
 やはり、根底にしなけねばならないのは、「問われているのは差別と偏見に満ちた閉ざされた法廷で十分な審理も行われず、無辜の命が奪われた可能性があるということだ。国の最高法規である憲法に違反した裁判だった事実を重く受け止めなければならない」(秋田魁新報)、ということ。


# by asyagi-df-2014 | 2026-04-12 20:07 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人