沖縄-辺野古-高江から-2022年1月26日
2022年 01月 26日
沖縄からの闘い。「第三者行為論」にも挑む。
「宜野湾市の米軍普天間飛行場を離着陸する米軍機の実質的な飛行差し止めや、騒音被害の損害賠償を求める第3次普天間爆音訴訟団は25日、沖縄市知花の那覇地裁沖縄支部に508人(165世帯)分を追加提訴した。原告数は計5846人(2110世帯)と過去最多。損害賠償の請求額は、将来分も含め概算で総額100億943万円に膨らんだ。
訴訟団の新垣清涼団長は『多くの住民が爆音に迷惑している。国はしっかり受け止めてほしい』と求めた。追加提訴は2回目で、今回で最後という。弁護団の新垣勉団長は飛行差し止めに向けて、第4次嘉手納爆音訴訟団と合同の行政訴訟を調整しているとして『新しい突破口も探りたい』と述べた。」、と琉球新報。
沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
何よりも、自らが沖縄から受け取るものを明確にするために。
2022年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
(1)琉球新報-原告508人、追加提訴 普天間爆音第3次訴訟 最多5846人に(金良孝矢)-2022年1月26日 06:20
琉球新報は、表題について次のように報じた。
1.【中部】宜野湾市の米軍普天間飛行場を離着陸する米軍機の実質的な飛行差し止めや、騒音被害の損害賠償を求める第3次普天間爆音訴訟団は25日、沖縄市知花の那覇地裁沖縄支部に508人(165世帯)分を追加提訴した。原告数は計5846人(2110世帯)と過去最多。損害賠償の請求額は、将来分も含め概算で総額100億943万円に膨らんだ。
2.訴訟団の新垣清涼団長は「多くの住民が爆音に迷惑している。国はしっかり受け止めてほしい」と求めた。追加提訴は2回目で、今回で最後という。弁護団の新垣勉団長は飛行差し止めに向けて、第4次嘉手納爆音訴訟団と合同の行政訴訟を調整しているとして「新しい突破口も探りたい」と述べた。
3.原告は、国が定めた騒音コンター(分布図)で、うるささ指数(W値)75以上の区域内の住民となっている。訴状では、原告は騒音によって憲法で保障されている平穏で安全な生活を営む権利を侵害されていると訴えている。裁判所は第1次、第2次訴訟で騒音被害の賠償責任を国に認めるも、飛行差し止めは国が運用を制限できる立場にないという「第三者行為論」で退けている。 (金良孝矢)
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1460324.html?utm_source=ryukyushinpo&utm_medium=referral&utm_campaign=top_kennai 参照 2022年1月26日)
(2)沖縄タイムス-沖縄、きょうの感染は1256人 米軍関係は15人 新型コロナ【1月26日昼】-2022年1月26日 15:32
沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。
1.沖縄県は26日、新たに1256人の新型コロナウイルス感染を確認した。累計感染者数は7万8358人となった。
2.1日当たりの新規感染者数は前週の同じ曜日に比べ177人減った。県内の直近1週間の人口10万人当たり新規感染者数は528.98人で、病床使用率は63.8%。重症用病床使用率は37.6%
3.米軍関係者は新たに15人の感染が確認された。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/900855 参照 2022年1月26日)
(3)沖縄タイムス-「まさか国を相手に…」自宅を揺らすほどの爆音、泣く子どもたち 司法に訴え40年 静かな日常を取り戻せると信じて(中部報道部・伊集竜太郎)
-2022年1月26日 06:39-[3万5千人の決起 第4次嘉手納爆音訴訟](1)
沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。
1.1982年、第1次となった嘉手納爆音訴訟。北谷町砂辺では、提訴を前に公民館で頻繁に集まりが開かれた。4人の子育て中だった松田トヨさん(75)を支えてくれたのは、集会のたびに「頑張ろうね」と声掛けしてくれる高齢者たちだった。今も松田さんはその先輩たちの表情を忘れない。ようやく「日本国憲法の下で守られる」という高揚感があった。40年の時がたった。当時の原告は少なくとも半分近くが亡くなってしまった。
2.松田さんは同町の謝苅出身。高校卒業後、6人きょうだいの長女として家計を助けるため現在の浦添市牧港の基地で働いていた。戦時中のベトナムへ輸送する物資の確認で、1日24時間の3交代制だった。女学校かと思うくらいに同世代の女性がたくさんいた。その女性たちが米兵らによる暴行事件に遭ったと何度も耳にした。でも事件が公になることはなかった。
3.沖縄の日本復帰前の23歳で結婚して砂辺に来た。すぐに子どもができ、自宅にいる時間が増えた。自宅を揺らすほどのB52爆撃機の爆音が頻繁にとどろいた。そのたびに子どもの耳をふさいだ。深夜、早朝も関係なく飛び交い、子どもを泣かせた。でも爆音を止める手だては何一つない。収まるまでじっと耐えるしかなかった。
4.72年に沖縄は復帰したが爆音は続いた。そんな中、国に嘉手納基地の夜間飛行差し止めを求める裁判を起こす話を住民から聞いた。「まさか、国を相手にそんなことができるのか」。驚きとともに「これで当たり前の人権が守られる」という安心感が広がった。
5.復帰から10年となる1982年の2月26日。夜間飛行の差し止めなどを求めて提訴した当時601人(追加提訴で計907人)の原告の一人に名を連ねた。静かな日常を取り戻せると信じて。(中部報道部・伊集竜太郎)
6.米軍嘉手納基地の周辺住民が夜間・早朝の飛行差し止めなどを国に求める第4次嘉手納爆音訴訟が28日、那覇地裁沖縄支部に提起される。1次提訴から40年の今年は復帰50年にも当たる。国内最大級の原告数は3万5千人余りに膨らんだ。原告や訴訟の足跡をたどった。
(最大112デシベル「鼓膜が破れるような音」 止まぬ爆音、周りは転居)
1.沖縄戦で米軍の沖縄本島上陸地になった北谷村(当時)は全域が占領地となった。砂辺は終戦9年後の1954年から段階的に解放され、住民は徐々にふるさとに戻っていった。
2.23歳から砂辺に住む松田トヨさん(75)はエイサーや十五夜祭りなど行事が盛んだった当時を懐かしむ。十五夜祭りでは舞台で子どもからお年寄りまで余興を披露した。住民が深く結び付き暮らす地域の空で爆音は続いた。
3.国は1975年度から基地周辺の騒音が激しい区域で、住宅などの移転補償や土地を買い入れる移転措置事業を始めた。沖縄防衛局によると砂辺は2020年度までに移転補償が228件、土地買い入れは205件。合わせると59億円以上に上る。「元々の集落の住宅は最盛期から3分の1くらいに減ったんじゃないでしょうか」。松田さんは地域を回りながら声を落とした。
4.地域で進んだ転居について他の住民と話したことはない。「自分の先祖の土地を手放すのは、みんなつらい決断のはずだから」。でも、空き地が増えていくのが悲しかった。
5.嘉手納基地周辺では、県や市町村が設置した騒音測定局が20以上ある。県の20年度のまとめでは、騒音の1日当たりの発生回数は平均で59・4回と全測定局で2番目に多い。大きさは全局最大の112・7デシベルを記録した。松田さんは「鼓膜が破れるような音」と感じる。爆音がとどろくと人さし指を両耳に突っ込む。地域外の人が砂辺に来るとあまりの音の激しさに驚くが、松田さんは「爆音は毎日。住んでいる人がこれを異常だと思っていたら身がもたない」。やり過ごすしかない実情を語る。
6.1982年の第1次訴訟では意見陳述した。何を語ったかは思い出せない。基地では女性暴行事件の数々を耳にし、復帰しても米軍機の爆音で生活が侵害されてきた。日本国民として、人権という当たり前の権利を主張できるうれしさから、法廷で涙を流したことだけは覚えている。
7.変わると期待したが、裁判所は爆音の原因である米軍機の飛行差し止めの訴えを退けた。松田さんは諦めず2次も3次も原告になった。黙っていたら、声を上げなければ、爆音を認めたと国に思われる。「亡くなった先輩たちが生きていたら絶対に行動しているはず」。松田さんは4度目の裁判でも原告に名を連ねる。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/900607 参照 2022年1月26日)
(4)沖縄タイムス-「私たちには隣人が必要」憲法9条の大切さを訴えたベトナム帰還兵 遺志継ぎ現地の子に奨学金-2022年1月26日 14:06
沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。
1.元米海兵隊のベトナム帰還兵で、平和や憲法9条の大切さを訴えた故アレン・ネルソンさんの遺志を継いで活動する「アレン奨学会」(宜野座映子代表)は14日、ベトナムの子どもたちに奨学金を贈った。ベトナムで支給式があり、102人に現地の小学生の学費半年分に相当する約2500円ずつ、計約25万円を贈った。同会は2010年からベトナムの子どもたちに毎年、奨学金を贈っており、今回で延べ1158人となった。
2.アレンさんは18歳で入隊し、キャンプ・ハンセンで訓練を受けてベトナム戦争に出兵。戦場で浴びた枯れ葉剤の影響とみられる多発性骨髄腫を発症して09年に亡くなった。アレンさんは沖縄を含めて全国で1200回以上講演した。同会はアレンさんの遺志で、当時病床にいたアレンさんを支援するため全国から治療費として集まったカンパの残金で奨学金に充てている。
3.昨年に続いて今年も新型コロナウイルス感染拡大の影響で渡航できず、同奨学会の活動をベトナムで支援するドンズー日本語学校ダナン校のチン・ディン・タン校長が、アレンさんの駐留場所だったタムキー、クェソン、ノンソンの子どもたちに支給した。
4.沖縄とベトナムをインターネットでつなぎ、支給式と交流会を開いた。交流会ではベトナムの子どもたちが歌い、沖縄の若者らは歌や三線、ギターを披露した。
5.宜野座さんは「アレンさんは生前『私たちは1人では生きていけない。隣人を必要とする存在です。お互いを大事にし合って生きていくのです』と言っていた。大切な隣人としてベトナムの人たちと交流を続けていきたい」と話した。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/900441 参照 2022年1月26日)
(5)沖縄タイムス-羽を広げると1m以上「こんなに飛んでくるとは」 鳥の群れ300羽が飛来 2年前に別の町でも目撃例(玉那覇隆子通信員)
-2022年1月26日 10:28
沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。
1.3日正午すぎ、沖縄県中城村久場の海岸でウミウ(海鵜)とみられる渡り鳥300羽ほどが飛来した。たまたま海岸に遊びに来ていた西原町翁長の宮里一男さん(63)は「生まれて初めて見た。羽を広げると1m以上あった。こんなにたくさんの鳥が飛んでくるとは」と驚いた様子。
2.ウミウは渡り鳥で鵜飼いで知られるウの仲間で12月ごろから渡りを始める。大群で飛来するのは珍しいという。2年前にも北谷町の海に飛来し、目撃されている。(玉那覇隆子通信員)
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/900465 参照 2022年1月26日)
(6)琉球新報-再編交付金、民主主義に反する(川瀬光義・京都府立大名誉教授)<名護市長選の結果を読む・識者の見方>3-2022年1月26日 12:25
琉球新報は、表題について次のように報じた。
1.再選された渡具知武豊氏が進めた給食費無償化など子育て支援策の財源となっている再編交付金は、民主主義国家において決してあってはならない財政政策である。その最大の理由は、辺野古新基地建設について市長が「反対」を唱えただけで不交付となること、つまり国の政策に対する意見の相違を理由として公的資金配分の是非が決められているからである。
2.いうまでもなく、民主主義社会において思想信条の自由は絶対に尊重されなければならず、公的資金の配分は客観的かつ公正な基準によらなけなければならない。
3.再編交付金は、米軍再編で負担が増える自治体のみが対象である。米軍再編によって予想される騒音などの環境破壊への対策ならそれでもよい。しかし子育て支援の充実は、米軍の存在と直接関連するものではなく、どの自治体でも充実が求められる施策である。そうした政策の充実を自治体に促すべく政府が補助金などを交付する場合、すべての自治体に応募の機会が開かれていなければならないのであって、政府の政策に異を唱えない自治体のみを対象とすることは民主主義と決して相いれない。
4.そもそも子育て支援は、軍事による安全保障を主たる業務とする防衛省が所管する施策ではない。防衛省は、本来業務と関連がない施策に財政資金を投じないと新基地建設を受け入れてもらえそうにない、つまりその必要性を言葉によって説得する自信がないということであろうか。
5.周知の通り、新基地建設について名護市民は、1997年末の住民投票で「否」という意思を示している。にもかかわらず、民意を一切顧みることなく、このような不適切な資金を投じるなどして四半世紀もの間名護市民を苦しめてきた日本政府の不条理な行いこそ、問題にするべきであろう。
6.本紙1月20日付報道によると、岸本洋平氏が再編交付金に頼らない方針を示していることから、渡具知陣営からは年間約7億円の財源確保策について疑問が呈されたとのこと。渡具知氏もよく認識されているように、この交付金は期限がある。そのときにどう財源を確保するかについて、渡具知氏も具体案を示すことが求められているのではないか。
(地方財政学)
(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1460496.html 参照 2022年1月26日)
(7)琉球新報-騒音は痛み、静かな空を…85歳原告「やめられない」理由 第4次嘉手納爆音訴訟、28日提訴(石井恵理菜)-2022年1月26日 11:25
琉球新報は、表題について次のように報じた。
1.「それは頭の芯までえぐられるような、痛みさえ感じるような音です」―。嘉手納町屋良に住む池原初子さん(85)は、1983年に行われた第1次嘉手納爆音訴訟の口頭弁論で訴えた。82年提訴の第1次訴訟から第3次までの40年間、爆音がなくなることを信じて闘ってきた。「爆音は変わらず、慣れることもない。何度声を張り上げても国に届かないが、やめてしまえば全部がなくなってしまう」。当たり前の静かな環境を求め、四たび立ち上がる。
2.嘉手納で生まれ育ち、小学3年生で沖縄戦を体験した。戦時中は北部に疎開し、敗戦から数年後に故郷の屋良地域が開放され、嘉手納に戻った。故郷の姿は一変。目の前には広大な米軍基地が広がっていた。「自然が破壊され、自分たちのすみかがなくなった。悲しみ以外の何物でもなかった」。
3.結婚後は嘉手納ロータリー周辺に住居を移した。68年11月19日未明、就寝中に爆発音で飛び起きた。米軍のB52戦略爆撃機が嘉手納基地に墜落した。「また戦争が来た」。泣き叫ぶ子どもたちと抱き合った。
4.騒音は仕事にも支障を来した。20歳から洋裁を始め、復帰前にロータリーに店を構えた。米軍機の騒音で電話が聞き取れず、サイズや注文個数を間違えることもあった。
5.第1次訴訟は弟の勧めで参加した。「爆音で眠れず、子どもたちも夜中に飛び起きた。子や孫に至るまで、この状態を残したくなかった」。
6.第4次訴訟の嘉手納町内の原告数は7752人で、第1次の184人と比べ約42倍。町民の2人に1人が、訴訟に加わる。「みんなが爆音に耐えかねて参加するということは悲しい」。変わらない現状に唇をかみしめる。
7.第4次訴訟は、日本復帰から50年の節目に当たる。「復帰できた喜びはあったが、その後も土地は返ってこないまま基地は大きくなり、爆音もひどくなった。沖縄はいつまで戦争の下にあるのか」。
8.池原さんは、39年前に書いた陳述書を読み上げる。「難しいことを言っているのではありません。ただ静かな夜、静かな環境、静かな教育の場がほしいのです」。訴えは今も変わらない。(石井恵理菜)
9.過去40年にわたって裁判闘争を繰り広げる嘉手納爆音訴訟の原告団が、28日に4度目の提訴をする。原告数は過去最大の3万5千人にふくれあがった。米軍機の爆音がない、静かな環境を望む原告らの思いに迫る。
(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1460454.html 参照 2022年1月26日)
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by asyagi-df-2014
| 2022-01-26 18:04
| 沖縄から
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