人気ブログランキング | 話題のタグを見る

嘘のようで本当の鯛


嘘のようで本当の鯛

こんなメールが届きました。画像付きで。
「鯛は74cmありました。二日かけて食べました。(注;ここは絵文字))」

嘘のようで本当の鯛_f0345938_20085795.jpg
嘘のようで本当の話。こんな光景だったのかもしれません。


中年というよりは、初老という風情の二人、もはやぎらぎらしたものからは逃れ、楽しみのためにと、互いに頷き合いながら、瀬渡し船のM丸に、身を任せる。
 そうだ、今日もこれでいいのだと。釣れたら釣れた時の時間そのものに身をゆだねようと。
 M丸は、大分県は鶴見のとある岩場に二人を下ろす。「それじゃあねっ」と船長は気をつかわせない配慮をそっと残していく。
時は、午後3時。二人は、がまかつとダイワの竿に、ちょっと高価なレバーブレーキのリールを時間をかけて用意する。
  明日の朝までには余るぐらいの時間が待っている。6月の太陽は、すでに真夏であり、体力を実直に奪って行くに違いない。
 今日はこれまでの実釣の続きでいいのだと、竿を出す。
 そうだったのです。ここまでは、いつも通りだったのです。


 「おいあれ見ろや。魚やぞ。鯛じゃねーか」と相棒。
 右流れの潮に乗って確かに魚が浮いて流れている。本当に鯛だ。
ここまでは、もしかしたら万が一にはあることかもしれない。
 互いに、思わず自分の立ち位置を確認してしまう。
 「おい。生きてるぞ」
「うん。生きちょるなあ」

 嘘のようで本当の話の始まり。
 潮は、右流れから、どうしてか、磯に当たる潮に変わっている。
 鯛は流れに正直にその体を任せている。
 二人は、目を合わせ、これまでの人生経験の中でのお互いの立ち位置と、潮の流れの中の鯛の位置を瞬時に、スクロールして計算して見せた。
 鯛は、見事に足下で、たゆたっている。
 意を決した後輩の方の男は、5Mのタモで見事に一発ですくってみせた。70cmを超える鯛を。
 笑顔は、何故か忘れていた。ただ黙って、血抜きをした。
 次の日の迎えの船の中でも、パカパカとクーラを開ける音は、一度もさせなかった。
 どうしてか、秘密の臭いがした。
 嘘のようで本当の鯛の話。食べて美味しかった鯛の話。


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-19 05:50 | 新たな経験 | Comments(0)

あしゃぎ-猪用の電柵なのかな-


あしゃぎ-猪用の電柵なのかな-

あしゃぎ-猪用の電柵なのかな-_f0345938_18352787.jpg
          (家の方から電柵越しに道路を見てます)

 2週間ぶりに、田舎に帰りました。
 田植えされた水稲は、順調に生育しているようには見えます。
 部屋にいると、水路の音が、蛙たちの鳴き声とともに、勢いよく聞こえてきます。
 水は足りているようにあります。 
 猪用の電柵は、すでに張り巡らされていました。電柵は、猪対策ではありますが、どうやら人を守るための柵のような気がします。
 連れ合いと母のこんな会話が聞こえてきました。
 「夜になると危ないんだから。田んぼの水見は気をつけなさいよ。ビリっとくるからね」

あしゃぎ-猪用の電柵なのかな-_f0345938_18353734.jpg
         (田植え後の田んぼは、こんな風になっています)





# by asyagi-df-2014 | 2014-06-18 06:10 | あしゃぎ | Comments(0)

『亡国の安保政策』を読む



『亡国の安保政策』を読む
                    (『亡国の安保政策』;岩波書店 柳澤協二)

 この時期に読む本の一冊かなと思っています。どうやら本の紹介記事になりますが。
 例えば、「『国家が国民に優越する』グロテスクな社会に変貌いていくことは予想できる」、という指摘は、現在の政治の危険な方向性を示すものとして共有できますし、「日本防衛を目的とした日本の集団的自衛権行使という論理は成立しない」という論点も、正鵠を得ていると言えます。
 特に、第5章の「『積極的平和主義』の罠」を見てみます。
 定義のない「積極的平和主義」として、次のことを指摘しています。

 「憲法解釈を見直した場合、積極的平和主義がどのように変貌するのかについては、全く説明がない」
 「施政方針演説でも国家安全保障戦略でも、『積極的平和主義とは何か』という定義は、一切説明されず、盛りこまれた具体的な政策メニューも、憲法解釈の見直しがなくとも可能なものばかりだった」

 そして、このように続けます。

 「安倍首相が言う積極的平和主義は、実は国民受けしやすい具体的事例を羅列するだけで、戦略的理念も、戦後史のどこを変えるのかといった歴史的視座もないことが分かる。また、集団的自衛権の行使容認がどのような合意を持つのかについて、責任ある説明もしていないことが判然とするのである」

 そして、結論です。

 「結局のところ、安倍政権の積極的平和主義のスローガンは、憲法解釈変更への国民の抵抗を減らすためのレトリックにすぎない」

 こうした見解は、研究者等にとってはあたりまえのものでしかないと思います。
 また、平和を作っていくためには、まず「戦争を避けるためにはどうすべきか」が大事なはずですが、このことが安倍政権には、完全に喪失しています。
 このことについて、作者は、次のように展開します。

 「戦争を避けるためにはどうするべきか。・・・。問われているのは、『国家の知性である政府』が、国民の過度なナショナリズムをいかに沈静化するかである。・・・、戦争を避ける方向とは逆の方向で行動している。危険の本質はそこにある。」

 この本の最後に書かれていることは、次のことです。

 「戦争は、政治の延長である。より明確に言えば、政治の失敗が本来防げるはずの『無駄な戦争』を引き起こす。その自覚を欠いているとすれば、そのような戦略は、『亡国の安保政策』と言わざるを得ない。」 


さて、安部晋三に対して批判的に書かれた文章の欄外からは、「安部晋三の不思議さ」についてが、ふんわりと伝わってくる気がします。
 このことについて、やはり、徹底的批判が必要だなという気がしています。


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-17 06:03 | 本からのもの | Comments(0)

安部晋三総理大臣


安部晋三総理大臣

 安部晋三総理大臣を考える上で、東京新聞の2014年6月16日も「首相『業代ゼロ』に重ねて意欲、将来的に年収要件下げも」という記事が、安部晋三を象徴的に示している。


以下、東京新聞引用。
安倍晋三首相は16日の衆院決算行政監視委員会で、残業代支払いなどの労働時間規制の適用を除外する「ホワイトカラー・エグゼンプション」導入に重ねて意欲を示すとともに、対象者の年収要件を、検討中の「少なくとも1千万円以上」から将来的に引き下げる可能性に含みを残した。

 民主党の山井和則氏が「残業代ゼロだ」と批判したのに対し、首相は「日本人の創造性を解き放って付加価値を高めるには、残業代の概念がないような時間で働く人々が成果を挙げることが大切だ」と導入の狙いを説明した。年収要件については「経済は生き物だ。将来の賃金や物価水準は分からない」と述べた。

 この「経済は生き物だ。将来の賃金や物価水準はわからない」という発言こそが、安倍本人の有り様を示している。

 例えば、ここで、大飯委原発の差し止め判決と比べてみる。


「原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。」


 この二つの差は歴然としている。判決の言う「人格権」などについての基本手的概念ががあるかないかということに尽きる。
 安部晋三総理大臣には、根本的にこうした基本的概念が欠けている。
立憲主義が何かを知らない。
 働く権利が何かを知らない。
 貧困からの解放が人類の長い懸案であることを知らない。
 基本的人権が何かを知らない。
 
 だからこそ、「集団的自衛権」、「残業代ゼロ」、「原発の再稼働」等々でなのである。
「3.11」を受けた政策の結論が「成長戦略」であるとしたら、あまりにも救いがない。


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-16 21:18 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

あしゃぎから、「持続可能な社会」とは


あしゃぎから、「持続可能な社会」とは_f0345938_18192949.jpg
        (決して便利そうには見えない土地での田植え後の様子)



あしゃぎから、「持続可能な社会」とは

 この段々の田植えを終えている田を見て、重い思いに落ちる。一方では、意外にも感嘆の声に近いものまで挙げている自分自身がいる。
 決してまともであるとは言えない、日本の農業政策のなかで、この努力された田んぼの様子は、何を物語っているのか。限界集落に今にもなってしまいそうな九州の片田舎の山間の地区。こうして稲作をすることが、それほど生活の足しにはならないだろう、いやむしろ大変なことの方が多いことが思いやられる。
 では、なぜ。人はどうしてこうしてがんばれるのか。
 第三者的発言として、「農業は、環境保全だけでなく、景観保全という意味でも大きな意味を持つ」と言ってみても、説明にはなっていない。
 わかっていることは、現在のTPP問題を始め、日本の農業政策等の方向性は、こうした現状を破壊してしまうということである。
 現政権が行おうとしている「成長戦略」は、実は、あるべき「規制緩和」という重しをはずし、一握りの収奪者だけに利潤を集中させる構造変換政策に過ぎない。
 だとすると、すでに「持続可能な社会」とは言えない日本の中で、地方の人々や地域に、これからもたらされるものは、「成長戦略」のなかでの、疲弊、荒廃でしかないのではないか


# by asyagi-df-2014 | 2014-06-16 06:00 | あしゃぎ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人