カテゴリ:本等からのもの( 75 )

本からのもの-戦争に負けないための二〇章

著書名;「戦争に負けないための二〇章」
著作者:池田浩士(文)髙谷光雄(絵)
出版社;共和国


 この本には、独特の思想が流れている。
 なぜなら、表紙の部分に、こう書かれています。


答えを示すことや、何が正しいかを伝えることは、この絵物語の目的ではありません。
状況が急激に動いていくからこそ、いま立ち止まって共に感じ、共に感じること、そして、正しいとされるものも疑い、私たち自身の感性を私たち自身が深め鋭敏にすること、これがますます大切になっています。隠された現実を発見するのは、私たち自身です。
そのための素材の一つでありたいというのが、この一冊に込められた希いです。


 そして、「戦争と向き合うすべての人に。」、と。


 そうでした、この本は、戦争に向き合わざるをえなくなった私たち自身に、「どうやっていくのか」を考えましょう、と呼びかけているのです。
あなた自身の頭で、と。


 まずは、最初に触発されたものがありました。
第三「武勇を尚ぶ」第一二章「それでも一国では国を守ることはできません」では、こう綴られています。


「遠交近攻」という言葉があります。遠くの国と親交を結んでおいて近い国を攻めるということで、戦争のための大原則です。欧州大戦(第一次世界大戦)に日本が参戦したのは、「日英同盟」を結んでいたからですが、はるか遠くの英国との同盟のおかげで、敗戦国となったドイツの植民地、太平洋の南洋群島を日本は獲得しました。この新領土がなければ、のちの大東亜戦争はそもそもありえなかったでしょう。
 現在の日米同盟も、「遠交近攻」のもっとも理想的な一例です。日本の近隣諸国は、いぜれもみな、古い歴史上の日本の行いをいつまでも口実にして、日本の発展を妨げようとしつづけています。日本一国ではとうてい国を守ることはできません。
 遠い同盟国の力を借りようとすれば、同盟国の軍事基地や資材、必要な人員などを日本が提供するのは当然のことですが、日本にとっても負担と損失が小さいように配慮することも当然必要です。日本に植民地があったころなら、この問題は容易に解決できたのですが、それがない現在、植民地に代わる地方の活用こそが唯一最善の道なのです。
 


 この記述に、沖縄の状況-辺野古・高江を始め、与那国・石垣・宮古が抱えさせられている現実-を、見つめることをあらためて始めています。
米軍再編という新たな「口実」は、「植民地に代わる地方の活用こそが唯一最善の道」を必要としている。それは、植民地主義という言葉で表現されるものかもしれない。
もちろんそれは、「日本にとっても負担と損失が小さいように配慮することも当然必要」 、という「本音」の中で。
日本という国は、日本人は、いつまでたっても「遠交近攻」を自らの思惑のなかで、ころがし続けようとしているのか。


 恐らく、この本は、側に置いて眺め、そして思い当たっては手に取ってみる、そんな本なのかもしれない。



by asyagi-df-2014 | 2016-09-21 07:23 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「日本会議の正体」

著書名;「日本会議の正体」
著作者:青木理
出版社;平凡社


 まず、青木理さん(以下、青木とする)は、「私たちは、おのれの顔をおのれの眼で直接見ることはできない」、とするなかで、日本のメディアが「日本会議」を正確には扱ってこなかったと、このように指摘する。


「メディアにも、似たようなことが言える面がある。足下で起きている出来事であっても、メディアが伝えようとしなければ、私たちは出来事を認識することすらできない。その出来事が驚愕すべきようなことであったり、きわめて異常なことであったり、あるいは早急な対処が必要なほど深刻な事態であっても、メディアがきちんと伝えてくれなければ、私たちは判断や対処の前段階となる出来事自体の発生を認知できず、漫然と事態をやりすごすしかなくなってしまう。仮に伝えてくれたとしても、全体像がきちんと正確に伝えられなければ、やはり同じような陥穽にに落ち込んでしまう危険性が高い。
 つまり、社会の写し鏡であるメディアが曇ったり歪んだりしてしまうと、私たちはおのれの顔を正確につかみとれず、適切な対処や冷静な思考のための第一次素材を手に入れられなくなる。」


 そして、「日本会議」のことについて、その重大性に気づかされたのは、外国のメディアによるものだった、とし青木は、次のように指摘する。


「第二次安倍改造内閣が発足した2014年頃からの外部の鏡-外国メディアは日本会議と安倍政権の密接な関係と危険性をさかんに伝えてきた。その内容をまとめれば次のようになる。
 日本会議とは、『日本の政治をつくりかえようとしている極右ロビ-団体』(豪ABC)である、『強力な超国家主義団体』(仏ル・モンド)であり、『安倍内閣を牛耳』(米CNN)っているにもかかわらず、『日本のメディアの注目をほとんど集めていない』(英エコノミスト)-。」


 こうした中で、青木はこの本の目的を、「日本会議とはいったいいかなる存在なのか。果たして、『日本の最も強力なロビ-団体』なのか、『極右』であり、『超国家主義団体』なのか。そして『安倍政権の中枢でますます影響力を強め』ていて、『内閣を牛耳』っているような組織なのか。」、について描き出すことだとする。
この青木の描き出した日本会議の実像は、次のものである。


(1)日本会議の実態
①「日本会議は市井の政治団体団ではなく、もちろん純粋な市民団体などでもなく、現実政治に影響力を持つロビ-団体であることを当初から宣言していたのである。」
②「日本会議の源流となったのが新興宗教・成長の家に出自を持つ右派の政治活動家だったとするならば、現在の日本会議を主体的に支えているのが、伊勢神宮を本宗と仰ぐ神社本庁を頂点とした神道の宗教集団である。いくら成長の家出身の活動家らが熱心かつ執拗だとはいっても、彼ら自身が巨大な動員力や資金力を持っているわけではない。
 この点において宗教団体としての神道と神社界には、けた外れの動員力と資金力と影響力がある。いまも日本全国には8万を超える神社があって各地に根づき、その大半を傘下におさめる神社本庁は、日本の宗教界でも比類のないほどのパワ-を持っている。」
③「明治の政治体制とイデオロギ-を復活させる-そう願っているとケネス・オルフが指摘する神社本庁は日本会議にも参加しており、繰り返すが、その巨大な主柱のひとつとなっている。また、神社神道の頂点に君臨する神社本庁は自らも神道政治連盟(神政連)を結成して保守政界を支援していて、神政連の訴えに呼応する国会議員懇談会も置かれている。」
④日本会議の"最も琴線に触れるテ-マ":「1.天皇、皇室、天皇制の護持とその崇敬、続いては、2.現行憲法とそれに象徴される戦後体制の打破、そして、これに付随するものとして3.『愛国的』な教育の推進、4.『伝統的』な家族観の固守、5.『自虐的』な歴史観の否定。ここから派生した別のテ-マに取り組むことはあっても、やはり核心的な運動対象は以上の5点に集約されるといっていいだろう。」


(2)日本会議の実態(宗教団体との関わり)


①「日本会議という存在の背後には」、神社本庁を軸とする神道宗教団体と成長の家の影が組織的にも、人脈的にも、そしておそらくは資金的にも、べったりと張り付いている。」
②「改憲を訴え、安倍政権のコアな支持層となっている日本会議。その中枢や周辺に漂う市長の家などの宗教団体の人脈と影。決してそれがすべてではないにせよ。現代日本で最大の右派団体と評される組織の、それもひとつの深層を映し出しているのは間違いない。」
③「成長の家と明治神宮の二本柱で支えられたと村上がいう『日本を守る会』の運営。この『守る会』が『日本を守る国民会議』と合流して日本会議が結成されたことを考えれば、日本会議は人脈的にも、組織運営面でも、成長の家という新興宗教団体と明治神宮をす軸とする神道会こそが源流であり、本質であると評して構わないだろ。」
④「戦後、日本国内の国家主義的団体がほとんど壊滅する中、神社本庁だとか成長の家といった宗教団体がその肩代わりみたいな役割を果たしたわけです。」
⑤【日本会議という右派組織の実相】-「まず、日本会議の源流が新興宗教団体・成長の家にあるのはもはや疑いない。いや、正確に言うなら、成長の家に出自を持つ者たちによる政治活動が日本会議へと連なる戦後日本の右派運動の源流になった、と記すべきだろう。あらためて強調しておかねばならないが、現在の宗教団体・成長の家は一切の政治活動を行っておらず、日本会議とは組織的な関係を全く有していない。ただ、日本会議という巨大な右派団体をつくり、育て上げた者たちの中枢や周辺に、全共闘運動華やかなりしころに右派の学生運動を組織した成長の家の信徒たちがいることは、消せない事実として厳然と存在する。
 そうした者たちは、成長の家を創唱した快人物・谷口雅春の教えを熱心に信奉し、成長の家が現実政治らの決別を宣言した後も谷口雅春の政治的な教え-それはごく普通に見れば極右的で超復古主義的としか言いようのない政治思想であり、時にエスノセントリズム=自民族中心主義に陥りかねない危険なものであるのだが、-を信奉しつづけ、右派の政治活動と右派の組織作りに全精力を傾けつづけてきた。」
⑥「何よりもそうした者たちの根っこには『宗教心』がある。一般の感覚ではなかなかはかりしれないが、幼いころから植え付けられた『宗教心』は容易に揺るがず、容易に変わることがない。変えることもできない。人からどう見られようと気にせず。あきらめず、信ずるところに向かってひたすらまっすぐ歩を進めていく。(略)同時にその運動の根底には抜きがたいほどのカルト性が内包されているようにも私には思えて仕方ないのである。」


(3)日本会議の実態(資金)
「日本会議はあくまでも任意団体の政治団体にすぎず、当の日本会議が自ら資金状況などを明かさない以上、内実はまったく不明である。ただ、こうした証言からすれば、資金豊富な神社本庁や明治神宮などの宗教団体がそれなりの形で日本会議を支えているという構図が浮かび上がってくる。」


(4)日本会議の実態(戦略)
①「日本会議が特に力を入れているのが、地方組織の充実化である。まるで毛沢東の「農村から都市を包囲する」という戦略のようであり、左派運動に倣って運動を構築したことがうかがわれるのだが、日本会議はあらゆる政策運動についても『地方から都市へ』といった戦略を重視しており、全国各地での支部づくりとその充実に力を注いでいる。その地方組織は、1016年1月18日現在で全国に243(海外ではブラジルに1)。」
②「左派は既存体制に対する自分たちの抗議と関連させて、民主主義を『異議もうしたて、ないし参加型の社会運動』ととらえる傾向があるのだが、右派グル-プもまた社会運動を通して現状に挑戦した。紀元節復活と元号法制化を目指して国会に圧力をかけるために、右派の団体はこれまで左翼運動につきものだったさまざまな草の根運動のテクニックを取り入れた。こした右派の組織は自体の多様な『世間』、つまり『市民社会』の一部を構成しており、政治的影響力は無視できない。」
③「日本会議につながる右派の大規模な運動形態は、この時期(注:元号法制化運動))までにできあがったといっていい。資金面や組織動員面などでは神社本庁や神社界、新興宗教などの手厚いバックアップを受け、『国民運動』と称して全国レベルで組織づくりや署名集めといった"草の根活動"を繰り広げる。同時に、中央では、運動に応じた『国民会議』のような組織を立ち上げ、大規模集会を開いては運動を運動を盛り上げていく。また、これに呼応する形で国会議員や地方議員の組織を結成し、意を通じた国会議員や地方議員を通じて政府や国会を突き上げ、そして突き動かしていく-。」
④「日本会議が安倍政権を牛耳っているとか支配しているというよりむしろ、両者が共鳴し、『戦後体制の打破』という共通目標へと突き進み、結果として日本会議の存在が巨大化したように見えていると考えた方が適切なように思える。つまり、『上から』の権力行使で『戦後体制を打破』しようと呼号する安倍政権と、『下から』の"草の根運動”で『戦後体制を打破』しようと執拗な運動を繰り広げてきた日本会議に集う人々が、戦後初めて両輪として揃い、互いに作用し合いながら悲願の実現へと突き進みはじめている-と。」
⑤「元号法制化運動などでの、"成功体験"に学んだ手法、それをひたすら反復し、深化・発展させてきたともいえる。大がかりなテーマになると、神社本庁や神社界、新興宗教団体といった動員力、資金力のある組織のバックアップを受けつつ、全国各地に”キャラバン隊”などと称するオルグ斑を次々に送り込み、”草の根の運動”で大量の署名集めや地方組織づくり、または地方議会での決議や意見書の採択を推し進めて、“世論”を醸成していく。
 と同時に、中央でも日本会議やその関連団体、宗教団体などが連携して『国民会議』といった名称の組織を立ち上げ、大規模な集会などを波状的に開催して耳目を集めつつ、全国でかき集めた署名や地方議会の決議、意見書を積み上げて中央政界を突き上げていく。
 一方、意を同じくする国会議員らもこれに呼応して議員連盟や議員の会を結成し、与党や政策決定者に働くかけて運動目標の実現を迫っていく。そのための土台として日本会議はこれまで国会議員懇談会や地方議員連盟の充実を目指し、加盟議員数を着実に増やし続けてきた。
 そうして日本会議とその前進の右派組織はこの数十年間、主に5のテーマに集約される『国民運動』を一貫して繰り広げ、時には執拗なほど反復し、彼らが目指す国家像、社会像を実現しようと試みてきた。結果、相当な成果をあげてきたといってもいい。」


 青木は、こうした分析を通じて、「日本会議」を次のようにまとめる。


「日本会議とは、表面的な"顔"としては右派系の著名文化人、財界人、学者らを押し立ててはいるものの、実態は『宗教右派団体』に近い政治集団だと断ずるべきなのだろう。そこに通奏低音のように流れているのは戦前体制-すなわち天皇中心の国家体制への回帰願望である。
 だとするなら、日本会議の活動伸張は、かってこの国を破滅に導いた復古体制のようなものを再来させかねないという危険性をと同時に『政教分離』といった近代民主主義社会の大原則を根本かつ侵す危険性まで孕んだ政治活動だともいえる。しかし、その『宗教集団』が扇動する政治活動は、確かにいま、勢いを増し、現実政治への影響力を高めている。」


 そして、青木は、「日本会議」の正体を次のように言い当てる。


「私なりの結論を一言で言えば、戦後日本の民主主義体制を死滅に追い込みかねない悪性ウィルスのようなものではないかと思っている。悪性であっても少数のウィルスが身体の端っこで蠢いているだけなら、多少痛くても多様性の原則の下で許容することもできるが、その数が増えて身体全体に広がりはじめると重大な病を発症して死に至る。
 しかも、現在は日本社会全体に亜種のウィルスや類似のウィルス、あるいは低質なウィルスが拡散し、蔓延し、ついには脳髄=政権までが悪性ウィルスにむしばまれてしまった。このままいけば、近代民主主義の原則すら死滅してしまいかねない。警戒にあたるべきメディアもひどく鈍感で、ととえば2016年5月のG7サミットが伊勢志摩で開かれ、安倍が各国首脳を伊勢神宮へと誘ったことを批判的に捉える報道すら皆無だった。神社本庁が本宗と仰ぐ伊勢神宮にスポットライトが当てられたことは、日本会議と神社本庁にとっては悲願ともいうべき出来事であったにもかかわらず-。」


 最後に、青木は、このように締めくくる。


「当面は日本会議と安倍政権が総力を傾注する憲法改正に向けた動きの成否がすべての鍵を握っているのは間違いない。それはまた戦後民主主義を-いや、近代民主主義の根本原則そのものを守れるか否か、最後の砦をめぐるせめぎ合いでもある。」


また、こうも。


「天皇中心主義の賛美と国民主権の否定。祭政一致への限りない憧憬と政教分離の否定。日本は世界にも稀な伝統を持つ国家であり、国民主権や政教分離などという思想は国柄に合わない-そんな主張を、たとえば日本会議の実務を取り仕切る椛島は、平気の平左で口にしてきた。それは同時に、日本会議の運動と同質性、連関性を有する安倍政権の危うさも浮き彫りにする。」


by asyagi-df-2014 | 2016-07-27 05:52 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「日本会議と神社本庁」

著書名;「日本会議と神社本庁」-「日本会議と宗教右翼」
著作者:「週刊金曜日」成澤宗男編著-成澤宗男
出版社;金曜日




 成澤宗男さん(以下、成澤とする)は、「日本会議と宗教右翼」のなかで、日本会議の位置づけについて、「あたかもこの日本会議が安倍内閣を『完全支配する』とか、さらには、『日本を動かしている』かのような、明らかに過剰と思える評価も一部で生まれた。」、と指摘する。
 確かに、こうした現在の日本会議に対しての評価には、きちっとした検証、その光と影を捉える必要である。
 成澤は、日本会議を、「理念的には戦前の国家神道に求め、運動的には戦後になって国家神道が宗教法人として再編された神社本庁の政治活動の一つの帰結」として捉える。
 言はば、このことは、日本会議の現在の勢いそのものとその限界を示すものと言える。
 まず、成澤は、日本会議を次のように分析する。


(1)「日本会議は、1974年5月設立の日本を守る会と、1981年設立の日本を守る国民会議との合併によって1997年5月に結成された。日本会議は突然、今日の政治舞台に登場したのではなく、初期の組織実態は70年代半ばから80年代にかけて形成されている。だが社会的な注目度は現在よりもはるかに乏しかった。」
(2)「安倍の首相返り咲きによって一挙に政権の右傾化が進行し、このことによってあたかも日本会議自体が権力との近似性をかってなかったほど得たような印象が広がり、今日に見られるような高い関心を呼んだという点も、無視できないだろう。」
(3)「同時に、日本会議のイデオロギーの根源は根深く、戦前期までたどらねば見えてこない。したがってその分析にあたっては、戦前と戦後における、支配的価値観の断絶と継承という問題を避けて通ることはできない。」


 また、成澤は、この「日本会議と宗教右翼」における一つのテーマを「右派宗教勢力が戦後、政治性を研ぎ澄ましながら国政や社会に影響力を拡大してきた過程を検証する。」とし、日本会議結成の意味を次のように説明する。


(1)「そこでは、『日本人』「日本民族」は「かくあらねばならぬ」という一方的な価値観を、常に天皇の『権威』を振りかざしながら国民全体に同質化させ、均一化させようとする戦前からの衝動が、今日に至っても脈々と続いている事実が浮かび上がるだろう。」
(2)「そのような運動においては、大日本帝国の国民に対する精神的支配の根源が、初等教育における皇民化政策にあったという事実を熟知しているからか、常に政府の施設や公教育の面での制度的強制力を伴わせようとする傾向が強い。彼らが、教育行政に異様なまでの強い関心を示すのはそのためだ。」
(3)「こうした単一の価値観の強要、同質化とでも呼べるような志向が、神社本庁や右派の言説に、常時にじみ出ている。さらに神社勢力以外の、戦前の国家神道に迎合してきた宗教団体、及びそれをルーツとしたり、現在もイデオロギー的に戦前と決別しえていない勢力も加わることによって、今日の日本会議という団体が形成されるに至っている。」


 よって、成澤は、日本会議の姿を次のように描き出す。


(1)「日本会議は今日、明治憲法や国家神道の復活をストレートに掲げているわけではない。国家神道を『宗教法人』と変容させた戦後の制度をいったんは前提とし、その枠内で『伝統』であるからという名目で価値観の上からの同質化を進めながら、最終的には改憲とそれに伴う法的諸制度の整備(不敬罪の導入、宮中行事の公的行事化等)により、戦後の日本国憲法下の姿を変質させるのを意図している。」
(2)「それは、神権国家としての大日本帝国を過去に支え、導いてきた理念の核を、21世紀のこの国に形を変えて再導入しようとする試みとも言える。現状ではその狙いを即実現するのは困難だとしても、日本会議のように執拗に実現させようとする運動そのものが、確実にこの国の右傾化をいているのは疑いない。」


 さて、成澤は、日本会議を「理念的には戦前の国家神道に求め、運動的には戦後になって国家神道が宗教法人として再編された神社本庁の政治活動の一つの帰結」、として規定する以上、神社本庁について語らなけねばならない。
 何故なら、「戦前と戦後における、支配的価値観の断絶と継承という問題」とは、神社本庁の抱える問題であるからだ。
 成澤は、「国家神道の再編」という表現で、戦後の神社本庁を次のように押さえる。


(1)「全国の神社約7万9000社以上が加盟しているとされる神社本庁は戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が『神道指令』を発布し、厳密な政教分離原則によって国家と神道を切り離し、軍国主義的・国家主義的イデオロギーを禁止して国家神道を解体したわずか二ヶ月後の1946年2月3日、宗教法人として誕生した。その前進は、国家神道における『敬神思想の普及』を担い、解体された内務省傘下の神祇院と不離一体の関係を有する皇典講究所、及び大日本神祇会と、神宮奉齋会の三団体であり、『(伊勢)神宮を本宗と仰ぎ、道統の護持に努める』ため、『神社関係者の総意によって、全国神社を結集する』を宗教法人の定款で謳っての設立となった。」
(2)「敗戦後、神社は国家から分離され、国庫から支出された財政も、官吏としての神官のの地位も失った。だが一宗教法人として再出発しながら、①天皇が『皇祖皇宗』の『神』によって授けられた国を継承してきたという『国体観』と、②『天皇絶対主義』という、神道の長い歴史では 異質な性格を有する国家神道を日本の『伝統』として固定観念化し、それを発露することが『道義国家建設』であるとする使命感については、いささかの揺らぎもなかった。」
(3)「無論、『現人神』としての天皇の名による軍事動員であったがゆえに、15年戦争も『聖戦』あるいは『自存自衛の闘い』以外のいかなる歴史解釈も受け入れる余地はない。したがって神社本庁の宗教法人としての活動が開始された瞬間から、彼らは日本国憲法とそこに込められた基本的理念(主権在民、厳密な政教分離、思想信条の自由、良心の自由、不戦の表明と恒久平和主義)に対して、根本的に相いれない政治性を伴うことを運命付けられていたといってよい。」


 この三点の指摘こそが、「戦前と戦後における、支配的価値観の断絶と継承という問題」なのである。
 だから、神社本庁の戦後について、「神社本庁の戦後とは、いくつかの政治団体(神道政治連盟、英霊に答える会等)を組織し、後述する靖國神社国営化(あるいは靖國神社への首相・閣僚の公式参拝実現)や元号法制化、改憲といった政治運動に邁進して、右派ネットワークの中心・結集軸としての性格を強めていく過程であった。」、と分析する。
 そして、「そこにおいて、他の宗教勢力あるいは宗教的な思想集団が加わることで、今日の日本会議とそれに至る一連の政治的潮流を生みだす」、と鋭く言い当てる。
 また、「その実質的な第一歩が、『紀元節復活運動』にほかならなかった」、とも指摘する。


 さて、現在の日本会議を理解するために、「日本会議と宗教右翼」での指摘をここで引用する。
 このことを押さえることがあらためて非常に重要になる。


(1)に本会議と日青協
①「日本会議との関連で注目すべきは、成長の家よりも、その関連団体で、1970年11月に結成された日本青年協議会(日青協)の方に思われる。彼らは70年代の神社本庁が主導した運動に積極的に関与することで、日本会議結成へと至る過程で重要な役割を果たした。」
②「現在の日本会議は最初、臨済宗僧侶・朝比奈宗源のイニシアチブによって、明治人宮内に事務局を置く右派宗教集団が集う前進の日本を守る会が結成。そして以降、従来の右派宗教団体集団では持ち得なかった、左翼との闘いを通じた大衆運動のノウハウと経験を有する一軍の思想集団がその事務局を担うことで、今日の地位を得たかのように考えられる。」
③「日青協という、成長の家の創始者に『真底傾倒していた』一軍の集団は、『保守化の流れ』に乗り、右派宗教勢力による広範な一世一元の復活を求める大衆運動に加わって、そこで多大な評価を得た。こうした『実績』によってこそ、彼らは日本会議が全盛の感がある今日まで、右派大衆運動の中枢を常に掌握することができたと考えられよう。」


(2)日本会議の運動スタイル
①「1979年6月6日に国会で元号法が成立することで、紀元節復活に次ぐ神社本庁や成長の家を始めとした右派宗教勢力の大きな勝利となった。その副産物として、右派の大衆運動の基本的スタイルが形成されたと考えられる。それは、以下の二点に集約できるだろう。1 『地方から中央へ』という運動の積み重ね。元号法成立に先立ち、各自治体議会で『元号法制化』を求める決議や意見書が採択された。都道府県にも『元号法制化実現国民会議』の地方組織が結成され、全国的な世論の広がりに結集させた。この手法は、現在も『日本会議』主導による改憲運動にも見られる。2 後半で幅広い勢力の結集。神社本庁を中心に成長の家等他の右派宗教団体を結成し、さらに加えて著名な財界人や文化人、学者の顔を揃えるという、一種の広範な『統一戦線』が形成された。」
②「その後の日本会議がやったことは、結成式前日の『国会議員懇談会』設立が象徴するように、より『自民党依存型』を顕著にしたに過ぎない。一方で、このことが地方議員も含め、日本会議の強みとなったのみ事実だ。しかも『国会議員懇談会』は現在、280名(2016年4月段階)というから、設立時よりも80名近く増大している。やはり、相対的に政界での日本会議の影響力が強まっていることは疑いない。」
③「20年近い歳月は日本会議の役員構成及び組織に影響を及ばさないはずがない。修養団系を含む宗教関係者の役員は、結成時の25人から23人と2人減ったに過ぎず、その分、組織としての宗教色が濃くなったと言えようが、実際の動員もさらに各宗教団体に依存する割合が高まるのではないか。」
④「日本会議がその運動パターンに関し特別な変化を示した形跡はない。結成後、初めて開かれた1998年4月18日の総会では、①天皇即位10年の『奉祝運動』実施②国民的憲法論議の巻き起こし③教科書の偏向記述の是正④首相の靖國神社参拝実現⑤夫婦別姓法案反対-等の『国民運動方針』が採択された。このうち特筆すべきは、教科書記述や学校の教育現場に介入する『教育の国民運動』だろう。よく知られているように日本会議と村上正邦や小山孝雄を先頭にした日本会議国会議員懇談会。そして系列の地方議員が教科書攻撃を上回るマッカーシズムを思わせる弾圧ぶりでまず広島県の教育に対し、難癖をつけ、さらにそれが小渕恵三内閣による『日の丸・君が代』法制化に結実していく。この意味では、日本会議は結成直後にして早くも地震の存在感を示したと言えるだろう。」
⑤「恐らく地域での日本会議の活動にとって、程度の差はあれ神社は欠かすことができない存在だろう。そして、日本を守る国民会議から日本会議に移行しても、彼らの『勝利』は続く。その最大の成果として彼らが自負するのは、何といっても『教育の憲法』・教育基本法の改悪であったろう。」


(3)日本会議の今後
①「上川協議会(2002年設立)では、『軍都旭川を活動の中心とする支部として、自衛隊や隊友会とも友好関係を築き、共同で防衛学習会等を行っております』とある。具体的内容は不明だが、自衛隊が集団的自衛権行使の「合憲」化によって新により能動的な性格を帯びていく可能性もあり、日本会議との地域での自衛隊及びその関連組織のこれらのようなムス引きについても、今後注意が必要だろう。」
②「ただ確かなのは、日本会議がいくらこれからも自身の政治目的を達成していこうが、『国体の回復』など永遠にできはしないという点だろう。なぜなら、彼らが意図的にか、あるいは無意識的にか沈黙している『対米従属』という現実が、決して変わりはしないからだ。」


 最後に、成澤は、日本会議や宗教右翼に向けて、次のように突きつける。


「戦後70年間、『日本の伝統的国家理念を護持する』などと唱え続けている神社本庁やその同伴宗教団体にも当てはまる。とっくに冷戦が終結しながら、主権の及ばない異国軍隊の基地が首都圏や全国各地に居座り続けるというのは、いつから『日本の伝統』になったのか。こうした問いかけにどう見ても会等を用意してはいないような日本会議とそれを構成する右派宗教団体は、おそらく『占領スタッフ』が反共政策の結果生みだした、一つの意義ある成果なのだろう。一見『ナショナリズム』のような雰囲気を煽りながら、米国が命令すれば疑わずに何でも従うような自民党や日本会議といった集団がこの国の右傾化を推進すれば、米国にとっては許容範囲どころか、真の支配者が誰なのかを国民に見えにくくしてくれる機能も期待できるからだ。日本会議が諸悪の根源のように宣伝している現行憲法が、もし彼らの路線通り変えられても、異様な対米従属は微動だにすまい。その結果もし変わるものがあるとしたら、彼らが『美しい』よ呼んでいるこの国の、民主主義と国民主権、市民的自由、平和主義のさらなる後退ではないのか。」


by asyagi-df-2014 | 2016-07-11 06:12 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「日本会議の研究」

著書名;日本会議の研究
著作者:菅野完
出版社;扶桑社新書


菅野完さん(以下、菅野とする)は、日本会議のイメージをまず示す。


「日本会議とは、民間の保守団体であり、同団体のサイトによれば『全国に草の根のネットワークを持つ国民運動団体』だ。
 私が集めたサンプルは、保守論壇人の一部が、これまで『右翼』あるいは『保守』と呼ばれてきた人々と、住む世界も違えば主張内容さえ大幅に違うということを示していた。サンプルから読み取れる彼らの主張内容は、『右翼であり保守だ』と自任する私の目から見ても奇異そのものであり、『保守』や『右翼』の基本的要素に欠けるものと思わざるをえないものばかりであった。
 そうした傾向は70年代から徐々に高まり、90年代中頃を境にピークに達し、その後現在に至るまで、そのピークを維持し続けていることを示した。
  そしてそうした保守論壇人の共通項が、民間保守団体『日本会議』なのだ。」


「日本会議周辺の保守論壇人は異質だ」
「日本会議周辺は、これまでの保守や右翼とは、明らかに違う」
集めたサンプルを虚心坦懐に読み解くと、そう結論づける他なかった。


 次に、日本会議について、具体的に次のように整理する。


①閣僚の参加議連等をみていると、現在の安倍政権は、日本会議の影響を色濃く受けている様子がうかがえること。
②「緊急事態条項の創設」「憲法24条を改変し家族条項を追加すること」「憲法9条2項を改廃すること」という、最近にわかに活発化した改憲論議は、その内容と優先順位ともに、日本会議周辺、とりわけ「日本政策研究センター」の年来の主張と全く同じであること。
③日本会議が展開する広範な「国民運動」の推進役を担っているのは、神社本庁でも神道政治連盟でも、また、その他の日本会議に参加する宗教団体でもなく、「日本青年協議会」であること。
④「日本青年協議会」の会長であり日本会議事務総長である椛島有三も、”安倍総理の筆頭ブレーン”と呼ばれる「日本政策研究センター」を率いる伊藤哲夫も、「生長の家学生運動」の出身であること。
⑤現在の「生長の家」は、3代目総裁・谷口雅宣のもと過去の「愛国宗教路線」を放棄し「エコロジー左翼」のような方向転換をしており、目下、この路線変更に異を唱える人々が「成長の家原理主義」ともいうべき分派活動を行っていること。
⑥「谷口雅春先生を学ぶ会」(以下、「学ぶ会」)が「成長の家原理主義」の中心団体であり「学ぶ会」には、稲田朋美や衛藤晟一などの首相周辺の政治家をはじめ、百道章、高橋史明など「保守論壇人」「保守派言論人」が参加していること。
⑦「学ぶ会」周辺の人々は、主に関西において、"軍歌を歌う幼稚園”として有名な「塚本幼稚園」の運営や、いわゆる「行動する保守」界隈との繋がりが深いこと。


 その上で、菅野は、日本介護の特徴とその謎を明確にする。


①「これまで本書が追いかけてきた『日本会議』界隈は安倍政権への支援・協力という『上への工作』のみならず、言論界での行動や幼稚園経営などを通した市民社会への浸透という『下への工作』まで、実に手広くやっていることが浮き彫りになる。        ②「この『右傾化路線』が全て『70年代の成長の家学生運動』に行き着くこともわかる。と同時に、実に多数の人々が多種多様なチャンネルを通じて、数十年の長きにわたり、彼らの『悲願』ともいうべき『憲法改正』に向かって運動を続けてこられたことが、不思議に思えてくる。」
③「彼らの運動がスタートしたのは、70年安保の時代。あの頃からすでに50年近くの歳月が流れた。にもかかわらず彼らはいまだに当時の渋滞を維持し、党派としてはおろか人間活動がその後、内ゲバや離合集散を繰り返し、党派としてはおろか人間関係としても元の姿をとどめていないとの好対照だ。なぜそんなことが可能なのか?彼らの一体感はどこから生まれるのか?なぜ彼らは同氏の紐滞を維持し続けられるのか?」」


 このことについて、「むすびにかえて」の中で、菅野は、日本会議をこう説明する。


「常に『なぜメディアはこれまで日本会議のことを書かなかったのだ』という憤りが取材や執筆のモチベ-ションだった。とりわけ、2015年度夏は、安保法制の審議を横目に見つつの作業であったため、その憤りは高まる一方だった。しかし、今ならわかる。これはメディアには書けない。何も、メディアに能力がないというのではない。速報性と正確性が何よりも必要とされる大手メディアの仕事の範疇ではないのだ。調査・報告はやはり新聞やテレビ以外の仕事だ。また、学問の範疇でもないだろう。学問の対象にするには生々しすぎる。テレビ・新聞の報道がカバーするには歴史が長すぎ、学問の対象にするには歴史が短すぎる。そういう狭間に、『日本会議』は存在している。」


 また、菅野は、日本会議についてこう続ける。


①「『巨大組織・日本会議』というイメージを私も抱いていた。しかし、事実を積み重ねていけば、自ずと、日本会議の小ささ・弱さが目につくようになった。活動資金が潤沢なわけでも、財界に強力なスポンサーがいるわけでもない。ほんの一握りの人々が有象無象の集団を束ね上げているに過ぎない。」
②「この程度の団体は、80年代以前であれば、単なる『圧力団体の一つ』として扱われていただろう。往事の、農協・土建業組合・医師会・各種業界団体と比べると、今の日本会議は、その規模も少なく、統一性にも欠ける。」
③「だが、そうした諸団体は、高齢化と長引く不況のせいで、その力を失った。不況に影響されず、世代交代も自然と進む宗教団体だけが、その数は減少傾向だとはいうものの、かろうじて圧力団体としての規模を維持し得たのだ。日本会議が大きいわけでも強いわけでもない。他が小さく弱くなっただけのことだ。」


 このように菅野は日本会議を指摘しながら、「その規模と影響力を維持してきた人々の長年の熱意は、特筆に値するだろう。」とし、その特徴を次のように示す。


①「70年安保の時代に淵源を持つ、安藤巌。椛島有三、衛藤晟一、百地章、高橋史朗、伊藤哲夫といった、『一群の人々』は、あの時代から休むことなく運動を続け、さまざまな挫折や失敗を乗り越え、今、安倍政権を支えながら、悲願達成に王手をかけた。」
②「この間、彼らは、どんな左翼・リベラル陣営よりも煩雑にデモを行い、勉強会を開催し、陳情活動を行い、署名集めをしてきた。彼らこそ、市民運動が嘲笑の対象とさえなった80年代以降の日本において、めげずに、愚直に、市民運動の王道を歩んできた人々だ。」
③「その地道な市民活動が今、『改憲』という結実を迎えようとしている。彼らが奉じる改憲プランは、『緊急事態条項』しかり『家族保護条項』しかり、おおよそ民主的とも呼べる代物ではない。むしろ本音には、『明治憲法復元』を隠した、古色蒼然たるものだ。」


 その上で、菅野は、日本会議の運動手法について、「しかし、彼らの手法は間違いなく、民主的だ。」と評価する。
 菅野は、このことに関して日本会議をこのように描写する。


①「やったって意味がない。そんなのは子どものやることだ。学生じゃあるまいし・・・と、日本の社会が寄ってたかってさんざんバカにし、嘲笑し、足蹴にしてきた、デモ・陳情・署名・抗議集会・勉強会といった『民主的な市民運動』をやり続けていたのは、極めて非民主的な思想を持つ人々だったのだ。」
②「そして大方の『民主的な市民運動』に対する認識に反し、その運動は確実に効果を生み、安倍政権を支えるまでに成長し、国権を改変するまでの勢力となった。このままいけば、『民主的な市民運動』は日本の民主主義を殺すだろう。なんたる皮肉。これでは悲喜劇ではないか!」


 なお、菅野がこの日本会議の分析を通して、この本で言いたかったことは、次のことである。


「だが、もし、民主主義を殺すものが『民主的な市民運動』であるならば、民主主義を生かすものも『民主的な市民運動』であるはずだ。そこに希望を見いだすしかない賢明な市民が連帯し、彼らの運動にならい、地道に活動すれば、民主主義は守れる。」


 この指摘に異論はない。


 最後に、私は、どこか北欧の推理小説のように、この本を大変面白く一気に読ませてもらった。
 淵源に立つ男を追及する様は、まさしく謎解きものの装いであった気がする。


by asyagi-df-2014 | 2016-07-09 05:43 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「原発プロパガンダ」

著書名;原発プロパガンダ
著作者:本間龍
出版社;岩波新書


 本間龍さん(以下、本間とする)は、本の最後に、原発プロパガンダについてこう断定する。それは、日本という国への警告でもある。


「広告とは、見る人に夢を与え、企業と生活者の架け橋となって、豊かな文明社会を創る役立つ存在だったはずだ。それがいつの間にか、権力や巨大資本が人々をだます方策に成り下がり、さらには報道おも捻じ曲げるような、巨大な権力補完装置とになっていた。そしてその最も醜悪な例が、原発広告(プロパガンダ)であった。」


 そして、日本の原発プロパガンダの姿ををこのように描写する。


「原発プロパガンダは、国民に対しては原発政策支持者を増やすための『欺瞞』であり、メディアに対しては真実を報道させないための『恫喝』という極端な二面性を持っていた。そしてこの仕組みこそが、メディアによる批判と検証を封殺し、福島第一原発の悲劇の要因となったのである。」


 私がこのの本の読了後に、真っ先にしたことは「日本原子力産業協会」の会員名簿の確認であった。巨大な権力補完装置としての役割の一環として位置づけられている人なり組織を知るために。
 何故なら、本間は、一方的プロパガンダに、原発プロパガンダに抗する方法を次のように提起しているから。

①「第一に重要なのは、日々目の前に流れているニュースを軽々に信用せず、一人一人がきちんと自分の頭で考えることだ。先述したように、現在の社会で私たちが触れるニュースは、プロパガンダ・モデルにおけるチョムスキーの「五のフィルター」によって濾過させたものだと認識することが非常に重要だ。もっと簡単に言えば、大手メディアも単なる利益追求集団(企業)であり、最終的には国家権力に逆らえない構造を持っている、という現実を知ることである。そうした意識を持つことによって、多くのニュースの「目的」を見破ることができるだろう。そのためにもっとも手軽な方法は、やはりネットを活用することだ。」
②「二つ目に重要なのは、それらツイッターなどのネットワークを活用して、プロパガンダ・メディアに属さない独立系メディアの情報に耳を傾け、支えることだ。」


 さらに、メディアの情報に接する際の留意事項を次のようにまとめる。


①メディアは決して潔癖ではなく、間違う、嘘をつく、利益誘導する存在だということを認識する。
②ニュースを見る際、漫然と見るのではなく、その発信者、ニュースソースが誰なのか、何のために発信しているかを考える癖をつける。
③大手メディアが同じ論調の場合、なぜそうなのかを疑う。異なる意見がないか意識を持って探し、それぞれを比較して考える。
④各メディアの企業特性、親会社、株主などを知っておくと、利害関係が理解できる。五)そのニュースによって得をするのは誰か、逆に損をするのは誰かを考える。


 その上で、本間は、私たちのあり方について、こう指摘する。


「いずれも、自分の目と耳で聞き、確かめ、考えることが重要であることに変わりはない。繰り返すが、テレビやPCの前でただ座っていたのでは、正しい情報は得られない。原発プロパガンダがそうであったように、資金を持っている政府や大企業は凄まじい量のPRで国民の意識を麻痺させようとする。それに抗う第一歩は、ありきたりではあるが個人の意識をしっかり持つことにかかっている。そしてそれが、3.11以後の時代に生きなければならない、私たちに課せられた義務なのではないだろうか。」


 結論を先にまとめすぎた。
 本間は、日本のプロパガンダ、特に原発プロパガンダについて次のように指摘している。


「プロパガンダ=広告宣伝は、時代の要請により、世界各地で手を変え品を変え、最先端で強力なテクニックを駆使して展開されてきた。その技術を磨いてきたのが、世界各国の広告会社、PR会社、日本においては電通と博報堂の二大広告代理店である。そしてその結実の一つが、日本における原発推進広告、つまり『原発プロパガンダ』であったのだ。
 これは、一九五〇年代に原発推進を国策と定めた時点で当然の帰結であった。国策と決めたからには、万難を排して原発を推進しなければならない。しかし戦後の日本は民主主義国家であり、いくら国策といえども成田国際空港のように反対派を強行排除してばかりでは、全国で原発建設を円滑に進めることはできない。そこで、かりそめでも良いから、国民の多数における合意の形成(チョムスキーはそれを『合意の捏造=マニュファクチャリング・コンセント』と名づけた)が必要とされた。つまり、多数の国民が原発を容認している、という世論の形成を目指したのである。
 そしてそれを可能たらしめるためには、全国を覆う巨大メディアと地方に根ざしたローカルメディアの両方をフル活用して国策を宣伝し、国民に『原発は安全で必要不可欠なシステムである』という意識を浸透させる必要があった。だから国と電力会社は、原発建設が始まった一九六〇年代後半から3.11まで、その基本スタンスに忠実に、巨費を投じてプロパガンダを推進してきたのである。」


 あわせて、本間は、原発プロパガンダがなぜなり立ったのかということについて、その宣伝広告費の巨大さについて、次のように指摘する。


「多くの人びとの意識に原発推進を訴えかけ、無意識のうちに同調させる。これこそまさに『プロパガンダ=宣伝行為』であり、原子力ムラは戦後四〇年以上、原発礼賛の宣伝広告活動を延々と展開してきた。そのために費やした金額が最低でも約二兆四〇〇〇億円に上っていたことは先述した通りである。
 これは、二つの意味で驚愕すべき数字だ。第一には、その金額の巨大さである。(省略)二つ目の驚くべき点は、これらの広告費の原資がすべて、利用者から集めた電気料金だったということだ。」


 つまり、原発プロパガンダとは、自分たちの金で自分たちの首を絞めていた、ということなのだ。
 次に、本間は、「ではなぜこんな仕組みが長年露見しなかったのか」ということについて、種明かしをする。


「最大の理由は、本来は警鐘を鳴らすべき報道メディア(新聞やテレビ、雑誌等)が完全に抱き込まれ、原発推進側(原子力ムラ)の共同体となってしまっていたことだ。メディアは長期間にわたり巨額の『広告費』をもらうことによって原子力ムラを批判できなくなり、逆にそのプロパガンダの一翼を担うようになってしまった。
 特に二〇〇三年以降、新聞でもテレビでも、原発に関するネガティブな情報発信は自粛され、ほとんど国民の目に触れなかったのだから、大半の国民は問題の存在にも気がつかなかった。たまに事故報道はあっても、保安院(当時)や御用学者らによって『すべては軽微な事象(彼らは絶対に『事故』とは言わなかった)』とされ、批判するものを総攻撃していた。そんな状況が福島第一原発の事故発生まで延々と続いていたのだ。」


 本間は、原発プロパガンダというものが、なぜ必要とされたかについて、次のように説明する。


「二つの大きな問題があった。それは原発というシステムがきわめて不完全であり、この四〇年間で度々事故が発生したことと、日本は世界有数の地震大国で、原発を設置するには全く不向きな地域であったことだ。この原発推進には致命的な欠陥を、徹底的に隠さなければならなかった。そこで、単純な『原発は安全ですよ』という生やさしい『宣伝広告』レベルではなく、何が起きても絶対安全、事故など起きるはずがないという、神懸かりとも言うべき『安全神話』を流布する、徹底的な『プロパガンダ』の必要性が生じたのである。」


 さらに、本間は、この本を通して、憂うべく日本の現状を、次のように告発する。


「事故から五年たった今、多くのメディアは原子力ムラの巻き返しによって再びその軍門に下ろうとしている。大多数のメディアにとって、プロパガンダに従ったなどという体裁の悪い事実は存在せず、そもそも原発プロパガンダがあったことも認めたくないのだ。」


 本間のこの本は、現状警告の書なのである。


by asyagi-df-2014 | 2016-07-03 06:07 | 本等からのもの

沖縄-屋良朝博さんの「米海兵隊が内部資料に書いた『沖縄にいる理由』」を読む。

AERA2016年6月27日号は、特集「[大特集]沖縄を他人事だと思っていませんか」を組んだ。
 この号に掲載された屋良朝博さん(以下、屋良とする)の「米海兵隊が内部資料に書いた『沖縄にいる理由』」を読む。 
 


 屋良は、「米海兵隊はなぜ、沖縄にいなければならないのか。」について、このように書き始める。
 米海兵隊員へのオリエンテーションで使う資料である「沖縄の歴史と政治状況」(以下、内部資料とする)には、「沖縄への米軍駐留をめぐる日本政府の『ウソ』がはっきりと書かれていた。」、と。


「米海兵隊はなぜ、沖縄にいなければならないのか。日本政府は表向き、沖縄の地理的優位性などを挙げるが、本当の理由はほかにあった。
 日本政府が沖縄駐留を望んでいる。なぜなら、本土で代替地を探せないからだ──。」



 次に、屋良は、GHQ(連合国軍総司令部)のダグラス・マッカーサー最高司令官の「琉球の住民は日本人ではなく、本土の日本人と同化したことがない。日本人は彼らを軽蔑している。彼らは単純でお人よしで、米国の基地開発でかなりの金額を得て比較的幸せな生活を送ることになる」との物言いと、この内部資料の次の言葉を紹介する。
この内部資料は、「こうした特性が、根強い住民の反対運動の裏側にある」と分析しているとする。

「沖縄県や自治体は基地問題をテコに、中央政府から補助金や振興策を引き出している」
「沖縄の新聞は偏向している」
「沖縄の人は一般的に情報に疎く、彼らは限られた視界で物事を見ている」



屋良は、「米軍の沖縄駐留については、『沖縄と本土の関係』の中で触れられているところが注目点だ。」、と説明する。それは次のものである。


 
①「『沖縄県民は日本人である前に沖縄人であることを意識する』と独自性=異質性を指摘し、『1879年に強制的に日本帝国に引き入れられて以来、劣った民族として本土からの差別を経験してきた』と述べた上で、こう続ける。
②「過去20年以上にわたり、(日本)政府と沖縄県は立場が異なり、多くの場合、対立しあっている。日本政府は部隊と基地が(沖縄に)とどまることを希望している(なぜなら、本土で代替地を探せないからだ)」


 つまり、日本政府はこれまで、「沖縄が海兵隊にとって『唯一』の駐留適地だと何度も繰り返してきた。」ことや「様々な緊急事態への対処を担当する米海兵隊をはじめとする米軍が(沖縄に)駐留していることは、日米同盟の実効性をより確かなものにし、抑止力を高める」(防衛白書)という主張してきた。
 しかし、「米海兵隊側はそんなことはみじんも考えていないことを、この文章は浮き彫りにする。」、と屋良は言い当てるのである。
 だから、屋良は、「真実はかくも単純だ。日本と沖縄の関係性の中に、沖縄の苦悩が組み込まれていた。古今東西、独立国に外国軍を存在させようとすると、常に政治的圧力にさらされる。だから、国内で圧力が最も弱くなるところ、つまりマイノリティーのいるところに置くのが好都合なのだ。」、と鋭く問題の本質を指摘する。
 結局、「米海兵隊はなぜ、沖縄にいなければならないのか。」ということの答えは、「日本政府は部隊と基地が(沖縄に)とどまることを希望している(なぜなら、本土で代替地を探せないからだ)」、ということに過ぎないことがわかる。

 さらに、屋良は、「沖縄戦の前年、1944年に米海軍省は、沖縄についての『ハンドブック』を策定した。この中にも、『日本と琉球の間には(米国が)政治的に利用しうる軋轢(あつれき)の潜在的な根拠がある』と書いてある(かっこ内は筆者が補足)。」、と続ける。
 このことの意味は、「日本と沖縄の関係性を巧みに利用し、沖縄に基地を置くように日本側に仕向ければ、そのことに日本人は良心の呵責を感じないため、永続的な基地使用が可能になる、と見ていたと解釈できる。そんな米国の分析と洞察が正しかったことは、戦後70年の歴史で証明し尽くされている。」、とし、「そして、この『占領者の目』はいまも変わらないことを示しているのが、米海兵隊の資料なのだ。」、とする。



 この「占領者の目」に加えて、もう一つの「傲岸な目」(作者作成)について、屋良は、次のように示す。それは、日本政府の「傲岸な目」である。



①「米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設の問題もそうだ。6月5日投開票の沖縄県議選で、辺野古移設反対派で翁長雄志県知事を支持する候補者が48議席中27議席を占めた。中立の公明党4人を含めると、辺野古反対は31議席と圧倒的多数になった。しかし、この民意を日本政府は無視しつづける。」
②「辺野古埋め立てをめぐり、政府は昨年11月、翁長知事を提訴した。訴状の中で政府は、外交、防衛にかかわる事柄について沖縄県ごときの出る幕はない、と言わんばかりに高圧的だ。司法が判断できない高度な政治問題だ、と裁判所さえ牽制している。
③「沖縄県は裁判で海兵隊の機能、運用など実態論を展開した。海兵隊を運ぶ海軍艦船が長崎県佐世保市に配備されているのだから、沖縄の海兵隊基地は船が隊員と物資を詰め込む「船着き場」でしかない。それは九州のどこでも代替可能である、と指摘した。
④「これに対し日本政府は、船に乗らない任務もある、と言い張った。いやはや、支離滅裂だ。海兵隊は1775年、海軍の一部として発足。今も実際に、米海軍の艦艇で世界の海を駆け巡り、沖縄の海兵隊も一年の半分以上は沖縄以外で訓練を行っている。しかも、米軍再編によって在沖海兵隊は戦闘兵力の主軸である第4海兵連隊(歩兵)を米グアムへ撤退させる。沖縄残留兵力では小規模紛争でさえも対応できなくなる。再編後の海兵隊はもはや戦う兵力とはいえなくなる。」



 屋良は、「日本の政治家はだれもが、『沖縄の負担軽減』と口をそろえる。しかし、基地を引き受ける気はない。しかも、その結果として再編が進まない責任は沖縄に押し付け、果実だけを得ようとする姿勢は、破廉恥としか言いようがない。そんな安全保障政策の軽薄さは言うまでもなく、米国側に見透かされている。」、と指摘する。
 これは、日本の安全保障政策はこれぐらいのレベルなのだと。そして、だからこそ沖縄が必要とされているのだと。



「米大統領選で共和党候補の指名を確実にしたドナルド・トランプ氏は、在日米軍の駐留経費を日本側が100%負担しなければ撤退する、と主張している。これに対し、民進党の長妻昭代表代行は5月7日の民放番組で、『日本も駐留経費を出していることや、沖縄が極東の重要な拠点であることを外務省が早急に説明しなければいけない』と発言した。安保に知恵のない日本が差し出せるのは、カネと沖縄ぐらい、ということなのだろうか。」



 また、屋良は、最近の安全保障の変化を次のように指摘する。



①「オバマ政権は今、アジアで『スマートパワー』を推進する。軍事という『ハードパワー』と、経済・文化・技術などの国際協力という『ソフトパワー』を統合した対外政策だ。海兵隊もアジアの同盟国、友好国との合同演習は従来の戦闘訓練に加えて、人道支援や災害救援をテーマにした訓練を重視するようになった。」
②「海兵隊は毎年2月にタイで『コブラゴールド』、4月にフィリピンで『バリカタン』という名称の国際共同訓練を実施している。遠くはラテンアメリカや欧州からも参加があり、オブザーバーを含め20~30カ国の軍隊が一堂に会する。
 各国軍の兵士は協力して山奥の小学校で校舎など公共施設を修繕、整備する。軍医らは仮設の診療所で地域住民を診療、治療する。こうした無償の人道支援活動を米軍は『テロとの戦い』と呼んでいる。テロリストが拠点とする山奥の寒村に展開し、テロへの抑止効果を期待しているのだ。加えて、共同訓練にはもう一つ大きな意味がある。中国軍の参加だ。」
③「13年のバリカタンの災害救援訓練に、中国軍はオブザーバー参加。翌年のコブラゴールドには陸上部隊17人を派遣し、人道支援活動などに初参加している。中国軍は『米中両軍の協力がアジアの安全保障に貢献している』と自賛した。しかし、この動きは日本であまり報じられていない。」



 最後に、屋良は、こうした状況を分析する中で次のように主張する。



①「日本にとっての安全保障は、米軍と協力して仮想敵の中国を警戒すること、と理解しているなら、時代遅れだ。仮想敵に軍事で対抗するのは『国防』であり、安倍晋三首相が言う『安全保障』は、言葉の使い方として間違っている。憲法改正を巡る論議をしたいなら、まずこの区別を明確にする必要がある。」
②「日米中のトライアングルは、見る角度によって全く違う風景になる。沖縄の米軍基地がなければ日米安保体制が維持できない、という思考から抜け出せない日本は、アジアの安保環境を読み違えている。」
③「女性の殺人・強姦致死容疑事件を受け、沖縄県議会は5月26日、全会一致で在沖海兵隊の撤退決議を初めて可決した(自民会派は退席)。米海兵隊の任務や運用の実態を知れば、この決議の正当性がわかるはずだ。」
④「アジアの安全保障環境は明らかに冷戦後の変化のただ中にある。日本人が、安保への賛否や保守対革新、右か左かといった冷戦時代の思考形式から抜け出さない限り、沖縄の差別的な基地負担は終わらない。」


by asyagi-df-2014 | 2016-07-01 05:49 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「慰安婦」問題の現在-「朴裕河現象」と知識人: 日本知識人の常識を促す-和田晴樹先生への手紙

著書名;「慰安婦」問題の現在:日本知識人の常識を促す-和田晴樹先生への手紙
著作者:徐京植
出版社;三一書房

 徐京植さん(以下、徐とする)の文章は、切れ味鋭い。
前田朗編の「『慰安婦』問題の現在-『朴裕河』現象と知識人識人-」のなかでの徐の「日本知識人の覚醒を促す-和田晴樹先生への手紙」の文章も、また、真実を鋭く取り出してみせる。
ここでは、私が取り出した徐の言葉を並べてみる。
 恐らく、徐の分析は、こちら側からの説明などいらない世界であろう。
なお、この文章は、「和田晴樹先生、やむにやまれぬ気持ちから、この手紙を差し上げます。ことの性質上、公開書簡の形にしたことをご理解ください。」で始まる、「慰安婦」問題、「日韓合意」、「帝国の慰安婦」について、和田春樹への質問状という形になっている。


①「現実には、先生の懸念した『過ち』は、あくまで国家責任を否定したい日本政府の立場から見れば『過ち』ではなく、むしろ外交的成功だったと言えるでしょう。彼らは終始一貫しています。そして、韓国政府はそれに加担したということです。それが『過ち』であったとすれば、『アジア女性基金』の失敗の原因を省察することができます。それを思想的に深めて後代に継承できなかった者たちの『過ち』といえないでしょうか。まことに僭越な言い方になりますが、この意味で、和田先生ご自身の責任も渇して小さくないと考えます。」


②「『慰安婦問題の最終解決』という言葉は、『ユダヤ人問題の最終解決』というナチの行政用語を連想させ、不吉な胸騒ぎを引き起こします。この用語は、あらゆる『問題』の原因を『ユダヤ人』におしつける心理的機能を果たし、究極的に工業的大量虐殺に帰結しました。同じように、『慰安婦問題』という用語は、それが本来『日本問題』であるにもかかわらず、『慰安婦』に問題があるかのような偏見を醸成します。理性的に思考することのできない人々は、目障りな問題は除去したい、うるさい存在は黙らせたい、という反知性的な衝動に身を任せることになります。当事者を無視して強行された『慰安婦問題の最終解決』という『合意』が、今後どんな惨憺たる事態を招くことになるのか、憂慮に耐えません。それは被害者を黙殺する名分、被害者を黙らせる圧力(象徴的には『少女像』の撤去)となって現れるでしょう。愚かにもこの合意を承認した韓国政府は、このような不正義の企てに協力する立場に立つことになりました。」


③「しかし、日本国民の多数者は、この『蒸し返し』(広くいえば植民地主義批判)の原因と意義を理解できず、さらに攻撃性を強めることでしょう。国民のこのような攻撃性を国家は徹底的に利用しようとするでしょう。私の脳裏に浮かぶ悪夢は、近い将来『朝鮮半島有事』という事態が起きることです。そうなれば、米軍ととに(いまは自衛隊という名の)日本軍が朝鮮半島に侵入してくることになるでしょう。その準備が着々と進められています。日本国民の多数は、すでに内面化された差別意識や攻撃性を克服できないまま、この悪夢を傍観するか、あるいは積極的に支持するでしょう。
 これは言うまでもなく、私たち朝鮮民族と日本民族との平和的共存、よりよい社会に向けての連帯にとって最悪の危機です。このことは、近代史を通して繰り返し提起されてきた日本国民への思想的問い、和田先生自身も提起した問いを、いま一度、深刻に提起してみることを私たちに要請しています。私がほかなら根和田先生あてに手紙を書くことにしたのも、このような理由からです。金学順さんの記者会見から25年、いわゆる『慰安婦』問題は、まったく解決しそうもないままに歳月が過ぎました。私はこの間の日本社会と韓国社会の推移を見つめてきたものとして私見を述べ、先生のご批判を仰ぎたいと思います。」


④「朝鮮民衆の立場からは到底容認できないことは言うまでもありません。日露戦争は朝鮮半島と中国東北地方(満州)の派遣をめぐる戦争であり、朝鮮は日本によって軍事占領されて『保護国』化され、そのことが、のちの『併合』へとつながりました。植民地化に抵抗した『抗日義兵』など多くの朝鮮民族が日本軍に殺戮されたことも歴史の事実です。その朝鮮民族に向かって、安倍首相は、日露戦争を引き合いに出して自国を美化して見せたのです。これは『和解』とは正反対の、愚弄とも挑発ともいえる言動です。
 ここでは朝鮮の例のみを挙げましたが、安倍談話は北海道、琉球(沖縄)、台湾に対する征服と支配について、一言の『お詫び』も『反省』も述べていません。安倍首相がその談話において『反省』したのは、第一次世界対大戦後、日本が『世界の大勢』を見失い、戦争への道を進んでいった、という点のみでした。これは欧米諸国への弁明に過ぎず、植民地支配と侵略戦争の被害者に向けた『反省』といえるものではありまえん。」


⑤「日本の朝鮮植民地化の過程は、すべて統治権の総覧者たる天皇の『哉可』を得て進められた。朝鮮総督は、法的にも天皇に『直隷』する、天皇の代理人であった。(朝鮮植民地支配とそれに伴う投獄、拷問、殺害などの行為は)先日死去したその人の名において行われたのである。(中略)『昭和』の終わりにあたって、この否定しようもない事実を想起する日本人は、まことにわずかでしかない。(中略)彼らは知らないのではなく、黙殺しているのである。なぜなら、『朝鮮』を直視することは、彼らの自己肯定、自己賛美の欲求と相いれないから。しかし、考えてみるまでもなく、侵略と収奪の歴史を自己否定することは、日本人自身の道徳的更正と永続的な平和の確保のためにこそ必要なのである。そうでなければ、日本人は将来にわたって、『抗日闘争』に直面し続けるほかない。」


⑥「『先生方がおっしゃるように、日本の現実が基金案以外は望みがたいというのは、正直なところでしょう。しかし、私たちはむしろ、日本の政治、社会的現実がそうした雰囲気であるからこそ、ますます基金事業をためらうのも事実なのです。日本がこれほど過去の非人道的犯罪を隠ぺいし糊塗し擁護しようとするので、いくばくかのお金や物質的利益ですべての懸案に決着をつけようとすることは私たちの良心が許さないのです。』日本とヨーロッパ社会が違っている、という論点について、『こうした違いがあるからといって、日本の戦後処理における微温的なところまで認めなければならないという法はありません。むしろ、日本社会がヨーロッパとちがって、しっかりとファシズムを精算できていないとすれば、しっかりと精算すべく圧力を加えなければならないと思うのです。」


⑦「正式な賠償金は絶対に支出しないという点が政権の譲れない意図だったからではありませんか。和田先生は藪中元外務次官が近著(『日本の進路』2015年)で、日本が慰安婦に『見舞金』を出したと書いているのは不見識であると批判していますが、これこそが日本政府中枢部の一貫して変わらない立場なのであり、それを和田先生のように『事実上の補償金)』であると便宜的に読み替えて受け入れるよう被害者に向かって主張することのほうに無理があります。これに反発した被害者側や運動団体こそ、事実を正確に見ていたということになるでしょう。」


⑧「もう少し大きな歴史の中で見ると、慰安婦問題というのはそもそも世界的な東西対立構造の終焉とともに浮上してきた出来事でした。勧告を含むアジア諸国の権威主義体制が動揺し、民主化が進んだ結果、それまで封印されていた日本の戦争犯罪問題が浮上したわけです。被害者が名乗り出ることが可能となり、支援運動も活発になりました。
 しかし、当の日本では、このベクトルは逆方向を向いていました。日本では東西対立時代の終焉は『脱イデオロギー時代』という浅簿な決まり文句とともに、進歩的リベラル勢力の自己解体という方向で進行しました。社会党・総評ブロックそのものが『55年体制』と称する旧体制に依存してきたことは事実ですが、そのような社会変動の中で新しく進歩的勢力を結集する代案を提示することができないまま、すすんで自壊の道を進んだことが致命的でした。小選挙区制を受け入れ、自民党との連立も嬉々として受け入れました。一貫して国家主義に抵抗してきた日本教職員組合(日教組)は方針を転換し、学校行事での国旗掲揚、国歌斉唱を容認しました。その際につねに言い交わされた決まり文句は『時代は変わった。もうイデオロギーの時代ではない』というものでした。進歩勢力がみずから『脱イデオロギー』と称して理念や理想を捨てていたとき、右派勢力はむしろ国家主義イデオロギーの砦を固めて反抗の機会をうかがっていたということになります。」


⑨「アジア女性基金の活動は、被害者救済のためではなく、まして、日本国家の責任を明らかにして新たな連帯の地平を切り開くためでもなく、日本人が自らの『良心』を慰めるためのものだったのでないのか。それは謙虚の衣をまとった自己中心主義ではないのか。その心性を克服することこそが、問われているので課題ではないのか。そうでない限り、『もう金は払った』とか、『被害者の目当ては金だ』とか、日本社会に偏在するそうした最悪の差別意識と闘うことはできません。」


⑩「この本(朴裕河教授の『和解のために』)の記述は問題だらけですが、ここでは二か所だけ挙げてみましょう。
 『戦後日本の歩みを考慮するなら、小泉首相が過去の植民地化と戦争について【懺悔】し【謝罪】する気持ちをもっていること自体は、信頼してもよいだろう。そのうえで、【あのような戦争を二度と起こしてはならない】と言明しているのだから、戦争を【美化】していることにもならないはずである』
 和田先生も、朴教授のこの認識を共有されるのですか。
 『1905年の条約(乙巳条約)が『不法』だとする主張(李泰鎮ほか)には、自国が過去に行ってしまったことに対する『責任』意識が欠如しているように、韓日協定の不誠実さを採り上げて再度協定の締結や賠償を要求することは、一方的であり、みずからに対して無責任なことになるだろう。日本の知識人がみずからに対して問うてきた程度の自己批判と責任意識をいまだかって韓国はもったことがなかった。』』
 この認識にも同意されますか。」


⑪「韓国の『左派政権』の10年間に南北の交流が進み、和解的雰囲気が生まれたことは、まさに脱冷戦的な出来事でした、そのことを『北朝鮮』と結びつけて非難することこそ、まさしく〈冷戦の思考〉に囚われたイデオロギー的攻撃というべきでしょう。(中略)すなわち、韓国でいうと、民主化闘争の動きに対する植民地近代化論の側からの反動です。前記した朴教授の言説は、この反動の典型的表現と言えるでしょう。
 90年代以降の長く続く右傾化、これは戦後民主主義(安倍政権のいう『戦後レジーム』)への大反動であり、これに、嫌韓論・反中論の蔓延といった排外主義の風潮が拍車をかけています。その中で動揺する人々、国家責任を徹底して突き詰めることは回避したいが、同時に自己を道徳的な高みに置いておきたい、そんな矛盾した望みを持つ『国民主義』の人々に、朴教授の言説が歓迎されています。
 世界的な規模でいえば、反植民地主義の高揚に対する反動です。」


⑫「先生が、『わずかに開いた裂け目に身体を入れる思い』で、慰安婦問題解決のため尽力された、その個人的誠意は疑いを入れないものです。残念なことは、それが空転し、結果的に『連帯』を損ねることなのです。先生のような方には、被害者救済のために個人としての熱意を注ぐ一方、国家に対してはもっとも原則的な批判の旗を掲げ続けていただきたい。その『原則』、いいかえれば『理想』を共有してこそ、『連帯』が可能となるからです。これは『万年野党』的な無責任を意味するものではありません。それこそが、『彼我の問いに禍を遠ざけ、祝福をもたらす捷径』であるからです。
 あの険難な70年代、暗黒の中に『連帯』の可能性がありました。それこそが、先生ご自身が述べられた『日本人が、この侵略と収奪の歴史を否定して、朝鮮半島の人々との新しい関係を想像していく』可能性であったと思います。銀座通りの人ごみに消えていく先生の背中に、私はその可能性を見ました。現在、その可能性はますます遠ざかって見えますが、どうか、あの『初心』に立ち返っていただきたいのです。」


⑬「最後に、具体的なお願いを申し上げます。
一 先生は『アジア女性基金』が失敗に終わったことを認めておられます。それなら  ば、失敗の原因をたんに運動論の次元にとどまらず、思想の次元で深く掘り下げて考  察していただきたいのです。そのことは、かって竹内好『現代中国論』に触発された  先生が、武内の思想を受け継ぎ、発展させ、そこに潜在していた限界性をも超えて、  日本人とアジア民衆の連帯へと進む思想的作業を意味するでしょう。
二 昨年12月28日の『合意』は、先生が事前に示しておられた『被害者が受け入れ、韓国国民が納得できる』という基準に逆行するものであることが明らかです。そうである以上、和田先生として、この『合意』は直ちに撤回されるべきである旨の意思を表明し、合意撤回のために闘っている韓日の市民の側に立つと明らかにしてください。
三 朴裕河教授が自著で繰り返している見解は、和田先生から見ても同意しがたいも  のであるはずです。そうであるなら、それを明確に批判しないことは学問的誠実に反  するでしょう。また、もし先生として朴教授の見解に同意されるのであれば、現在ま  でのご自身の見解との齟齬について説明されるべきであると思います。朴教授の著作  と言動について先生ご自身の見解を明示されることを求めたいと思います。」


なぜ、徐京植さんのこの文章を取りあげたのか。
 「アジア女性基金」の問題以来、和田晴樹さんへの疑問を、個人的にずっと抱いてきたことは、確かである。
 今回は、「慰安婦」問題や「日韓合意」の理解のために、これを採り上げました。


by asyagi-df-2014 | 2016-05-23 05:54 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「慰安婦」問題・日韓「合意」を考える-日本軍性奴隷制の隠蔽を許さないために

著書名;「慰安婦」問題・日韓「合意」を考える-日本軍性奴隷制の隠蔽を許さないために
著作者:前田朗 編・著
出版社;彩流社

 2015年12月28日の日韓外相会談での「慰安婦」問題解決についての合意内容について、西野瑠美子は、「責任と反省なき二重基準で、『私たち』はこの過去を終わらせることができるか」の中で、次のように押さえる。


①「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」ことに対して、「日本政府は責任を痛感している」
②内閣総理大臣として「心からおわびと反省の気持ちを表明する」
③「心の傷を癒す措置」として韓国政府が財団を設立し、日本政府が10億円を拠出する
④③の措置を着実に実施することを前提に、「慰安婦」問題が「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」
⑤日韓両政府は今後、国連等国際社会においてこの問題について互いに非難・批判することは控える
⑥在韓国の日本大使館前の「平和の礎」(少女像)について、韓国政府は「適切に解決されよう努力する」(移転・撤去を含む)


 この「日韓合意」について、注文をつけながらも一定の評価をした者として、きちんと整理する必要を個人的には感じてきた。
 この本でも、「『慰安婦問題』(日本軍性奴隷制)の解決を求めてきた市民運動、研究者の間でも、評価は必ずしも一様ではない。全面的に批判する論者もいれば、一定の評価をしつつ注文をつける形の意見表明も見られる。」、と指摘されている。

この本では、今回の「日韓合意」の評価のために、「はじめに」の中で、次の三つの視点を定めている。


 第一に、被害者がどのように受け止めたか、が重要であること。
 第二に、「慰安婦」問題に対する安倍晋三政権のこれまでの姿勢、戦後70年の「安倍談話」、及び今後の対応がどのようなものであるかも見ておく必要があること。
 第三に、日韓のみならず、東アジアにおいて、ひいては国際社会にどのような意味を有するか、を見定める必要があること。


 この提起された視点のうち、特に、第一と第三の視点のなかで、この「日韓合意」について考える。


 まず、第一の視点に関して、梁澄子(やん・ちんじゃ)は、「責任転嫁を許さない」の中で、韓国市民が「合意」に反対する理由を、次の五点にまとめる。


①第一に、被害者を交渉と協議の主体と見なさず、せいぜい賠償の客体程度に位置づけていること。生存する被害者たちに対して事前に何らの説明も、協議もなかったばかりでなく、すでにこの世を去った被害者たちが全く視野に入っていない。
②第二に、第12回アジア連帯会議が求めた「事実と責任の認定」、すなわち「法的責任の認定」がなされず、1995年の「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)の「首相の手紙」の中で示された「お詫びと反省」が繰り返されただけで、1995年時点から一歩も前進していないということ。
③第三に、日本政府が10億円を拠出して韓国政府が設立する財団は、賠償と見なすことはできないということ。
④第四に、真相究明、記憶の継承と歴史教育、追悼事業、歴史わい曲発言への反駁など、日本がとるべき後続措置について何らの言及もないこと。
⑤第五に、韓国政府が得たものはあまりにも小さいにもかかわらず、日本政府に約束したものはあまりにも大きいということ。


 また、梁は、「年頭の韓国で私が目の当たりにしたのは、挺対協の下に組織された「合意」反対運動ではなく、市民の中から湧き上がる怒りの表出としての自発的な動きの数々だった」、と韓国民衆の動きを伝えた。
 この上で、梁は、「日本の市民がなすべきことは何か」について、次のように触れる。


「日本では、あたかも韓国の運動、とりわけ挺対協が『解決』の障害物であるかのように喧伝する報道もあり、被害者と支援団体が『説得』の対象であるかのように語られてる。日本政府は、在韓国日本大使館前の『平和の礎』について韓国政府に『関連団体との協議』を通した『適切な解決』を約束させ、『元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒やしのための事業を行う』財団の設立と運営を韓国政府に押し付けて、『日本が失ったのは10億円』(岸田外相)、『ここまでやった上で約束を破ったら、韓国は国際社会の一員として終わる』(安倍首相)とうそぶいている。その上で、韓国政府がいかに被害者と支援団体を『説得』できるかに、『合意』の成否がかかっているかのような世論形成が進められているのである。本来、加害国が果たすべき責任を被害国に押し付けて、今や問題解決の鍵を握るのは韓国政府と韓国社会であるかのような構図を作り出そうとする安倍政権の目論見を、日本の市民が座視してはならないと思う。」


 次に、提起された第三の視点について、まず、「『日韓合意』は韓国のみならず、東アジア各国の被害女性たちが四半世紀にわたって訴え続けてきた声に耳を傾けることなく、日韓両政府間の都合で、米日韓の軍事同盟の利害に基づいてなされた疑いが強い。法的責任も公式謝罪も賠償もなく、再び基金を設立するという内容は、かって失敗した『女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)』の愚を繰り返すものではないだろうか。」、と押さえられているとともに、「『慰安婦』問題は戦時性暴力、戦時性奴隷制であり、国際法に違反する重大人権侵害であり、日本政府に法的責任がある。従って、公式謝罪と賠償を行うべきであることは、国連人権機関による勧告において繰り返されてきたことである。」、と指摘する。


だから、岡野八代は、「フェミニズム倫理学から考える、日韓合意」のなかで、今回の「日韓合意」の問題点ををこう分析している。


「今回の『日韓合意』は、長年にわたり被害女性達が訴えてきた解決策についてなんら触れず、しかも、『慰安所』で行われていたどのような行為が、『女性の名誉と尊厳を深く傷つけた』のかを明示せず、またしても金銭的な解決(のみ)を強調する形で提示する。そのうえ、日本政府が行ういかなる修復的行為が、植民地主義を含めた日本の過去に遡る、そして、新しい関係性の構築のための未来に向けて担われるべきなのかについては、口をつぐむ。」


 後は、幾つかの問題点について触れる。


(1)この間、この問題で象徴的に扱われてきたのが、「平和の礎」(少女の像)である。
 西野瑠美子は、「そもそも、『平和の礎』(少女像)は、『もし、私だったら』と被害女性の心を想像し、共感してもらいたいという願いを込めて民間人が製作・設置したものだ。制作者のキム・ソギョンさんは、『一番大切にしたこと。それは人々と意思疎通できるものにすることでした。だから、小さく低い等身大の像をつくった』と、語っている。
 平和の礎は、日本の中で声高に叫ばれている『反日の象徴』ではなく、『慰安婦』のような歴史を二度と繰り返してはいけないという記憶の継承と平和を希求する人々の願いの象徴だ。』」、とする。


(2)「慰安婦」問題の根幹の一つには、「慰安婦」問題を性奴隷制として捉えることができるかどうかということにある。
このことに関して、前田朗は、「「慰安婦」問題を奴隷制、性奴隷制の観点から検討してきた法的議論を再整理して、日韓合意の限界を確認する」として次のように論理を展開する。
まず、「慰安婦」問題は、「そもそも、1990年代に国連人権機関で行われて、決着のついた問題である。それにもかかわらず、日本政府は新たな証拠を提出することもなく、根拠不明のまま見解を変更し、一方的に国際社会に向けて唱え始めた。論点は多岐にわたるが、基本となるのは、次の論点である。」、とし「慰安婦」問題の法的考察には次の押さえが必要とされるとする。


 第1に、国際法における奴隷制、性奴隷制の定義である。
 このことについて、「安倍首相をはじめとする日本政府は、国際法における奴隷制の定義を無視する。メディアや一部の論者の強制連行否定論も、国際法を意図的に無視して、『強制連行がなかった』という主張と『奴隷制ではなかった』という主張を混同している。」、と指摘する。
 第2に、「慰安婦」問題の法的考察には当時の国内法の検討も欠かせない。
 このことについて、「当時の国内刑法を見るならば、国外移送目的誘拐罪、未成年者誘拐罪をはじめとする誘拐罪の規定が重要であることが判明する。」、と指摘する。
 第3に、「軍の関与」をめぐって行われてきた議論である。
 このことについて、「『軍の関与』と『業者の実行行為』を対比して、後者があったことを理由に前者を否定する奇妙な論法が持ち出される。『軍の関与』とはいかなる事態であるのか。国際法における国家責任はどのような場合に論定されるのかを見定める必要がある。」、と指摘する。

 また、前田朗は、「国際法における性奴隷制」について、詳細に説明する。
 まずは、「1 性奴隷制の定義」に関して。


①「慰安婦」問題において性奴隷制、戦時奴隷制といった表現を採用したのは、国連事件機関である。1990年代前半、国連人権委員会、及びその下部機関である差別防止少数者保護小委員会(国連人権小委員会)において、「慰安婦」問題の基本的事項とその法的議決を巡る議論が積み重ねられた。
②その結果、ラディカ・クマラスワミ「女性に対する暴力特別報告者」が「慰安婦」問題の調査を行い、日本および韓国を訪問して、両政府から資料提供を受け、「慰安婦問題報告書」を作成し、1996年の国連人権委員会に提出した。
③同報告書は満場一致で採択された。
④クマラスワミ報告書は、「戦時、軍によって、または軍のために、性的サービスを与えることを強制された女性の事件を軍事的性奴隷制の敢行」と定義した。
⑤1989年にはゲイ・マクドウーガル「戦時性奴隷制度特別報告者」が「慰安婦」問題の調査を行い、「慰安婦問題報告書」を国連人権小委員会に提出した。
⑥ラディカ・クマラスワミ報告書及びマクドウーガル報告書の前提となっているのは、20世紀初頭の国際条約であり、特に醜業条約と奴隷条約である。
⑦旧日本軍の「慰安婦」問題をめぐる議論はこうした国際動向とと並行し、密接に関連しながらすすめられたのである。


 次は、「2 白色奴隷条約(醜業条約)」に関して。 

①1910年の醜業婦ノ取締ニ関スル国際条約(醜業条約、白色奴隷条約とも呼ばれる)は、性的サービスの強制に関する最初期の重要条約である。
②日本政府はこの条約を批准したが、植民地に適用しない旨の留保宣言をしたことが知られている。
③「強制があったかなかったか」に絞ってみると、次のことが言える。第1に、日本軍に「慰安婦」とされた非常に多くの未成年女子(なかには15歳や16歳の女子が多数いた)については、本人に同意能力がなく、すべて第1条件に当たる。それゆえ「強制」であった。ただし、条約が国内に適用されないとすれば、「犯罪」として処罰しなかったことは条約違反とまでは言えないことになる。
④第2に、「慰安婦」とされた成年女性のうち、許偽によって騙されて連れ出された事案は「強制」でった。ただし、国内に適用されないとすれば、「犯罪」として処遇しなかったことは条約違反とまでは言えない。


 次は、「3 奴隷条約」に関して。


①1926年の奴隷条約は「奴隷の禁止」と「奴隷取引と「奴隷の禁止」を掲げている。
②驚いたことに、日本政府は現在に至るまで奴隷条約を批准していない。「慰安婦」問題があるため、批准することができないのだ。条約を批准していなくても、①奴隷の禁止と②奴隷取引の禁止は1930年代には慣習国際法の地位を獲得していたされている。条約を批准していなくても、文明国ならば守らなければならない。
③それゆえ、「慰安婦」問題で強制の有無を問う場合に、①奴隷の禁止と②奴隷取引の禁止に関する奴隷条約の定義をもとに判断することになる。
④安倍首相をはじめとする否定論者は「強制連行はなかったから奴隷制ではなかった」と主張するが、強制連行がなくても奴隷は奴隷である。強制連行は、②奴隷取引の禁止の一部に関係しても、①奴隷の禁止の要素ではないからである。契約による奴隷もいれば、奴隷が産んだ子どもも奴隷となる。奴隷化には多様な形態があった。
⑤奴隷概念を正しく解釈して、クマラスワミ報告書は、「慰安婦」は奴隷に当たり、日本政府は奴隷の禁止に違反した、と結論づけた。
⑥「慰安婦」訴訟における山口地裁下関支部判決も「慰安婦」が奴隷状態に置かれていたと認定した。他にも「慰安婦」:に対する性サービスの強制を認定した判決が複数存在する。


 次は、「4 強制労働条約」に関して。


①日本政府は1932年にこの条約を批准したにもかかわらず、その後、「慰安婦」政策を採用した。1990年代に「慰安婦」論議が行われた時に、最初に問われたのが強制労働条約との関係である。
②「慰安婦」問題について、日本政府は、条約の「適用除外・適用除外にあたる」という主張をした。強制労働条約第2条2項(d)に当たるという。1996年4月の国連人権委員会で、日本政府は、「戦争の場合だから『慰安婦』について条約の適用がない。それゆえ、適法とは言えず、日本政府に責任はない」と主張した。しかし、ILOの条約担当者が、「第2条2項(d)は緊急ノ場合を意味している。緊急時に慰安所に行くというのはどういうことか。慰安所がないと住民ノ全部又ハ一部ノ生存又ハ幸福ヲ危殆ナラシムルとはどういう意味か。慰安所は第2条第2項(d)の要件に当たらない」と明確にした。」③ILO条約適用専門委員会は、1996年以来、何度も何度も日本政府に勧告を出してきた。「強制労働条約に違反した」からである。


 次は、「5 人道に対する罪」に関して。


 クマラスワミ報告書は「『慰安婦』の場合における女性および少女の誘拐および組織的強要は、明らかに文民である住民に対する非人道的行為であり、人道に対する罪を構成する」と判定した。マクドウーガル報告書も、日本軍「慰安婦」制度が人道に対する罪に当たると判断した。


 次は、「国内法における誘拐罪」に関して。


 「慰安婦」強制連行を誘拐罪として処罰した大審院判決が二つ発見された。大審院は現在の最高裁判所に相当する。刑法256条の国外移送目的誘拐罪と、刑法224条の未成年者誘拐罪の事案である。


 最後に、「国家の責任とは」-「軍の関与」をめぐって」に関して。


①日韓合意では、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」ことに対して「日本政府は責任を痛感している」とされた。しかし、日本政府は法的責任を否定しているので、「責任」とは道義的責任を意味する。ここで利用されるのが民間企業である。「軍の関与」はあったが、民間業者が主体であったので、日本政府には法的責任はない、という奇怪な論理が駆使される。
②第1に、仮に民間業者が連行や慰安所管理を行ったとしても、「慰安所」政策は軍が方針を決定し、運営方法も規則で定め、「慰安所」を軍が利用したのであるから、民間業者と軍は共犯である。
③第2に、クマラスワミ報告書が定義したように、「軍によって、または軍のために、性的サービスを与えることを強制された女性の事件を軍事的性奴隷制の敢行」と呼ぶのであるから、「軍の関与」があれば、性奴隷制度を実施した主体が日本軍であることは明白である。
④第3に、1993年の「女性に対する暴力撤廃宣言」第2条(c)は「どこで発生したかを問わず、国家によって行われた、または許された身体的、性的および心理的暴力」を禁止し、第4条は「国家は、女性に対する暴力を非難すべきであり、その撤廃に関する義務を回避するために、いかなる慣習、伝統または宗教的考慮をも援用すべきではない」とする。「軍の関与」があったということは、日本軍が性奴隷制度を非難するどころか、これを許していたのである。
⑤第4に、2002年の国連総会決議の盛り込まれた「国際違法行為に対する国家責任(国家責任条約草案)第2条は、国家の国際違法行為が作為だけでなく、不作為からなる行為によっても成立するとしている。同第8条は「個人又は個人集団が、行為を成し遂げる中で、事実上、国家の命令、指揮、統治により行動している場合、それらの個人又は個人集団の行為は、国際法上の国家の行為と考えられる」としている。民間業者がやったことだという弁解は、通用しない。


 前田朗は、このように論理展開した上で、今回の「日韓合意」について次のように告発する。
 まさしく、今回の「日韓合意」の問題を言い当てている。


 「『慰安婦』問題は、当時、日本政府が基本方針を立案し、日本軍は要請し、指揮し、監督する中で、軍および民間業者が被害女性を選定し、連行し、『慰安所』で性的サービスを強制した事件である。
 そして、戦争終結後、日本軍および民間業者は多くの被害女性を海外に置き去りにし、場合によっては証拠隠滅のために殺害した。
 半世紀を経て、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、東ティモール、ビルマなどアジア各地の被害女性たちがカムアウト史、人間の尊厳の回復を求め、公式謝罪と賠償を求めてきたが、四半世紀にわたって解決を拒否してきたのは日本国家と日本社会である。日韓合意は女性差別と人種・民族差別が複合する人道に対する罪を改めて隠蔽し、歴史に禍根を残す茶番劇と言わざるを得ない。」


 なお、「米国の介入」ということについて、この本ではあまり中心的には捉えられていなかった。
 この問題について、前田朗は『慰安婦』問題の現在(三一書房)」のなかで、鈴木裕子の「解決には程遠い今回の日華『合意』を採り上げ、鈴木は次のように指摘している。


「この度の『合意』の影には、米国の深い介入がある。在米の米山リサトロント大学教授は、『今回の日韓合意』を米国は高く評価した、と指摘。米国が日本に韓国との『和解』を勧めるのは、自衛隊に米軍の肩代わりをしてもらうにはアジアの同盟国の理解が必要との考えているから、と言う(『【戦える国】に変質 言わねばならないこと』『東京新聞』1月14日付)。わたくしも同感である。要するにこのたびの『日韓合意』は、米国政府の意向を強く受け、被害当事者の意思を無視して日韓両政府が政治的に妥協した政治的産物にほかならない。」


 つまり、今回の日韓合意は、米国の米軍再編に、日韓両国が組み込まれた結果でしかない。だから、「米国政府の意向を強く受け、被害当事者の意思を無視して日韓両政府が政治的に妥協した政治的産物にほかならない。」、と。
 この手法は、沖縄の辺野古新基地建設をめぐる状況を、そのまま説明するものでもある。


 最後に、第Ⅱ部の各界からのメッセージの中で、崔善愛さんの次の言葉が、胸を揺さぶった。


日本政府よ。
そのひとの手をとったことがありますか?ハルモニを襲う激しい頭痛、その呻きと叫びの涙を見たことがありますか?

慰安婦にされたハルモニに会うことをせず、その「謝罪」はいったい誰に向かっているのか。

女性を人として尊敬することを知らない人々よ。
動かぬ少女像の何を恐れるのか。

「謝罪」という名の罪の「撤去」を、少女たちの魂はゆるさない。


by asyagi-df-2014 | 2016-05-19 05:27 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-沖縄は「不正義」を問う

著書名;沖縄は「不正義」を問う
著作者:琉球新報社論説委員会
出版社;高文研

 琉球新報社(以下、琉球新報とする)が「沖縄への『不正義』」を世に問うたこの本について、その社説を中心とした主張を自分史の記録として残すことが、この本の問いかけに答える自分なりの一歩である。

 「沖縄、そして日本の未来を切り開く判断を」。
 「沖縄への『不正義』」は翁長雄志知事のこの証言に続いている。
 それは、権力側からの対話拒否時の翁長知事の「あるがままの状況を県民や本土の方に見てもらい、考えてもらえればいい」という凛とした語り口にも通じる。
 琉球新報にとって、はっきりしていることは、次の背景である。


「沖縄戦体験者の4割は心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症、または発症の可能性があるという。阪神大震災経験者の倍だ。専門家は『沖縄戦と今が地続きだからだ。米国の存在が日常の沖縄では米軍による事件事故のたびに心の傷口が開く』と分析する。その傷口に塩を塗り込むように、政府は新たな基地の建設を辺野古で強行している。沖縄の民意がどうであろうと沖縄を基地として差し出す、という構図だ。犠牲を強いる点で、沖縄戦の構図と何が異なるだろう。」


 もう一つ、明確なものとして位置付けているものは、「違法状態の原因者である米軍基地を国が撤去しようとせず、違法な飛行を止めようともしない沖縄は、国が違法状態の永続を住民に強制しているということだ。一地域に永続的違法を強制する国が、法治国家と言えるのか。」、という視点である。
 だから、「島ぐるみ会議に名を連ねる人々は、在日米軍専用施設の約74%が沖縄に集中する現状を『社会的正義にもとる軍事植民地状態』と認識し、県民の生存権が脅かされている状況を『経済的、社会的および文化的発展の自由を否定する構造的差別』だと主張する。」、とも伝える。
 だから、琉球新報は、その視点を日本人に向けて次のように訴える。

(1)「普天間の危険性除去策も、県民が求める普天間飛行場の閉鎖・撤去、県外・国外移設こそ早道だと認識すべきだ。」
(2)「『沖縄のことは沖縄が決める』。われわれは地方自治の原則に根差した知事の決断を強く支持する。」
(3)「私たちは犠牲強要の再来を断じて許さない。過去に学び、戦争につながる一切を排除せねばならない。疎開船撃沈を報じず、沖縄戦でも戦意高揚を図った新聞の責任も、あらためて肝に命じたい。」
(4)「これは単なる基地の問題ではない。沖縄が、ひたすら政府の命ずるままの奴隷のごとき存在なのか、自己決定権と人権持つ存在なのかを決める、尊厳を懸けた闘いなのである。知事はもちろん、われわれ沖縄全体が、近代以来の歴史の分岐点に立っている。」


 この本の内容を、「はじめに」と、社説を、Ⅰ「歴史という事実」、Ⅱ「事実」、Ⅲ「米国との関係の事実」、Ⅳ「琉球新報の主張」という四つに分け、大事な部分を抜き出してみた。
 ただ、百田尚樹関係事件は省いている。





More
by asyagi-df-2014 | 2016-04-04 06:27 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-さらばアホノミクス 危機の真相-

著書名;さらばアホノムクス-危機の真相
著作者:浜 矩子
出版社;毎日新聞出版


 浜矩子さん(以下、浜とする)は、まず始めに、アベノミクスについて、「評価するどころか、アベノミクスを経済政策とすることにすら問題があると思います。およそまともな『政策』の体をなしていない」、と断定する。
 浜の著書として、前回は、「国民なき経済成長-脱・アホノミクスのすすめ-」を採り上げたが、アベノミクスへの分析は相変わらず容赦ない。
それは、次の主張に尽きる。


「経済活動は人間の営みなのに、その中で人間が主役になれない。労働者ではなくて労働力、技術者ではなくて技術力、国民ではなくて国力、関心の焦点が『人』から『力』」へのどんどん移っていってしまう。そのことが、『第二ステージ』と『新三本の矢』を語る浮ついた言葉の中ににじみ出ている。」


 浜は、アベノミクスの正体について、重要な指摘をします。


「彼は、2015年4月に米国に行き、29日に議会演説をしています。その同じ日の夕刻、米国の笹川財団でもスピーチをしていて、その中では、『アベノミクスと私の外交安全保障政策は表裏一体でございます』とはっきり言っています。これがアベノミクスの正体なのです。つまりアベノミクスは彼の外交安全保障政策のお先棒担ぎに過ぎないということなのです。そのようなものは、経済政策の名に値しません。」


 浜は続けて、「まさに『強いお国』を構築するために強い経済基盤をつくる。安倍首相の頭の中にあるアベノミクスとはそういうことなのです。これはもはや経済政策ではありません。」、と駄目を出します。 


 だから、ここで、浜は、本来の経済政策の二つの目的について次のように指摘する。


「第一は崩れた均衡の回復です、経済活動がバランスを失った時、再びバランスの取れた状態に向かって経済活動を引き戻していくということです。第二の目的が弱者救済です。そして、経済政策の二つの目的の間にこそ、言葉の正確な意味での表裏一体性があります。なぜなら、経済活動が均衡を失った時、それによって最も直ちに、そして最も深く傷つくのが弱者だからです。経済活動の均衡が崩れるというのは、例えば、猛烈なインフレになるとか、ひどいうデフレ状態に陥るというようなことです。そのような環境の中で、弱者がどんなに傷つくかは、いうまでもありません。」


 この視点から、浜は、アベノミクスを、次のように「アベノミクスは経済政策の名に値しない」とするのです。浜は、次のように説明します。


「ところが、アベノミクスは均衡回復にも弱者救済にも頓着しない。外交安全保障政策と表裏一体なのだとご本人が言っている。ですから、これを経済政策と呼ぶわけにはいかないのです。私はアベノミクスのことを『アホノミクス』だと言ってきましたが、これさえも、過大評価だったのだと考えざるを得ません。『何とかノミクス』と呼んであげるわけにはいかない。これが総括評価ということになるでしょう。
 実際、社会保障に関しては生活保護費などは減らしています。一方で防衛費は、2003年以降、ずっと減らしてきたものを、2013年以降3年連続で増やし、15年度は過去最高の4兆9800億円と急速に冷やしています。決して、国民をデフレの淵から救い出し、不均衡経済がもたらす痛みから解放しようと考えているわけではありません。」


 浜は、「アベノミクスは経済政策の名に値しない」ことのもう一つの理由を、「明確なアナクロニズム」 にあると位置づけます。


「国々の経済政策は、その国の経済構造や発展段階にマッチしたものでなければなりませんが、今や日本経済は輸出主導型成長の経済ではありません。日本は輸出大国ではなく、実は輸入大国です。これは国際収支構造を見れば明らかです。
 原油などのエネルギーに始まり、多くの生産財や資本財はもちろん、人々の生活に密着している消費財も、地球上のあらゆる国からの輸入に頼って、日本という大きな国の経済を回しているのです。そのような中で円安を追求する政策はまったく理にかないません。・・・今の円安政策は、このあたりを完全にはき違えています。頭の中が過去で一杯、実に"浦島太郎的”であり、"アナクロニズム"なのです。」


 こうした理由により、浜は、「アベノミクスは経済政策と呼べないことはもちろん、もはや完全に行き詰まりつつある。『第二ステージ』が、希望だの夢だのと、むやみに上滑るする言葉に頼ろうとしているのも、この行き詰まり状態の現れでしょう。」、と明快に断定します。


 浜は、安倍晋三政権で「活用」する「経済学者」が多用する「トリクルダウン」政策ということについても、このように説明します。なお、「国見なき経済成長-脱・アベノミクスのすすめ-」では、このことについて、ジョン・ケネス・ガルブレイスの「昔の人々は現代人ほどお上品ではなかった。だから、トリクルダウン政策ではなくて馬とスズメの政策」、と引用して説明していました。


「外交安全保障と表裏一体のアベノミクスにおいては、実をいえば恩恵がしたたり落ちようが落ちまいが、そんなことはどうでもいいのだと思います。まさか、その本音を前面に出すわけにはいかないから、いずれ温かさが全体に及ぶことを期待していると口では言っています。しかしながら、実際には、そこを狙っているわけではない。あくまでも強い者がより強くなり、大きな音がより大きくなり、豊かな者がより豊かになりさえすれば、それでいいのです。そのことが、『強い日本を取り戻す』ことにつながれば、弱者がどうなろうと知ったことではない。」


 浜は、さらに、こう続けます。


「日本に先行してトリクルダウン的な政策が行われたのは1980年代のイギリスのサッチャー政権下(サッチャリズム)、アメリカのレーガン政権下(レーガノミクス)においてです。・・・この両者のやり方は、経済全体に恩恵をもたらすことなく、もっぱら格差拡大という形で経済の不均衡を深化させてしまったのです。考えてみれば当たり前で、したたり落ちるといっても、どこに落ちるかなんて分からないわけです。例えば、金持ちに対して減税して、そこで浮いたおカネで彼らが高級車を買ったとしても、そのおかげで生活に困っている貧困世帯が多少とも薬になるなどということは、およそ保証の限りではないわけです。貧乏人を救うためには金持ちをよりお金持ちにすることが必要だというのは、何ともおかしな考え方です。」


 また、浜は、続けてアベノミクスへの決定打を繰り出す。


「レーガノミクスが金融政策への便乗商法なら、アベノミクスは、金融政策に対する恫喝商法だ。法改正をちらつかせながら、言いなりになることを強要している。いずれ劣らず、悪徳商法だ。だが、やはり、恫喝の方がタチは悪いだろう。」


 後は、浜の幾つかの気になる指摘を挙げます。


(1)マイナンバーは経済統制への布石?


「マイナンバーもまさに経済統制への布石かと思えてしまいますよね。・・・利便性の隠れ蓑の影で監視社会をつくろうとする意図がありはしないか。どうしてもこういう疑問が湧いてくる。これは制度の問題ではなくて、制度の運営管理者たちの体質と信頼性の問題です。どんなに立派な制度でも、その運営主体によこしまな魂胆があれば、とんでもない結果になる。」


(2)「女性の活躍」の魂胆は有効利用宣言の果てに


「2014年6月末に公表された政府の『【日本再興戦略】改訂2014~未来への挑戦~』には、次のように書かれている。『・・・・人口減少社会への突入を前に、女性や高齢者が働きやすく、また、意欲と能力のある若者が将来に希望を持てるような環境を作ることで、いかにして労働力人口を維持し、また労働生産性を上げていけるかどうかが、日本が成長を持続していけるかどうかの鍵を握っている。』
 ご覧の通りだ。何のために女性が活躍することを期待されているのか。それは『我が国の経済社会の特徴的な発展』のためだ。なぜ、女性が輝く社会が必要なのか。要するに『労働力人口を維持し、労働生産性を上げていけるかどうかが、日本が成長を持続していけるかどうかの鍵を握っている』からなのである。
 端的にいって、これは女性という『財』の有効利用活用宣言だ。女性たちに大動員をかけることことで『強い日本を取り戻す』という安倍政権の野望達成に役立てようというわけである。」


 浜は、この問題の本質を次のように指す。


「そこには、やはり人権問題がある。そう受け止める発想がどこにも見受けられない。女性を巡っては、女性の貧困問題という実に大きな人権上の課題もある。先進国と呼ばれながら、その名に恥ずべき状態がある。それは資源の過小活用問題ではない。人間の尊厳や生存権に関わる問題だ。」


(3)柔軟な雇用ガレー船、蛸部屋の復活か


「成果主義とゼロ時間、この両者が、いずれも多様な就労とか、柔軟な雇用という言い方の下で正当化されていく。こんなことで本当にいいのか。・・・。
 柔軟な雇用という言い方は、一体、誰のための柔軟性を指しているのか。成果主義にせよ、ゼロ時間契約にせよ、これらは、いずれも、労使関係において、リスクを一方的に使用者側から労働者側に転嫁する突破口となりかねない。
 労働価値説という言葉がある。この概念は、経済学の生みの親であるアダム・スミスの『国富論』に出発点がある。モノの価値は、そこに投入されたヒトの労働によって決まる。そういうことだ。初めにヒトありきだ。成果や便利さから、ヒトの価値を逆規定されてはたまらない。」 


 最後に、浜は、本来の経済政策の役割について、次のように示します。


「今の日本経済は成熟経済だ。成熟経済に必要なのは、分かち合いの論理だ。奪い合いの論理ではない。一握りの強者が栄えることで、全体が元気になれるという発想は幻想だ。政策は強きものをより強くするためにあるわけではない。弱気者の生きる権利を守ることが、その本来的役割だ。」


 浜の提起することが、本来の経済政策であるならば、いやそうならなければいけないのだ。


by asyagi-df-2014 | 2016-03-28 06:30 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧
更新通知を受け取る