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本からのもの-「沖縄と国体」

著書名;DAYS JYAPAN10月号 「沖縄と国体」
著作者:白井 聡
出版社;DAYS JYAPAN


 白井聡(以下、白井)の「沖縄と国体」での指摘は、Ⅰ.沖縄と日本、Ⅱ.「永続敗戦レジーム」とは、Ⅲ.沖縄と国体、ということの三点に渡る。
 それぞれの指摘を視てみる。


Ⅰ.沖縄と日本


 白井は、沖縄の現在の闘いの姿を理解するために始める。
 沖縄を考える時の一つの重要な視点を示す。
 それは次のことである。


「戦後レジーム」の「構成的外部」である。「構成的外部」とは、あるシステムが自立的に成立するために、システムの外へと排除したものを指す。つまりそれは、当該システムの外側にあるように見えて、実はそのシステムが成り立つための根幹的な役割を負っている。

 つまり、沖縄は「構成的外部」とされたという指摘である、
 このことを説明するために、戦後の日本の「平和と繁栄」に関しての日本本土と沖縄の対称を、次のようにそれぞれを抉り出す。


 日本本土について。
(1)親米路線が長年にわたり安定的に追求された結果だと親米保守派は自賛する。他方、リベラル左派のあいだでは、憲法9条の平和主義により、やはり同じく「平和と繁栄」が実現されたと考えられている
(2)本土が「持たず、作らず、持ち込ませず」という徹底的「反核」を国是と定める。
(3)「民主化」の掛け声の下に、(外見的には)議会制民主主義が定着した。
(4)戦後日本の経済発展を支えた吉田ドクトリン(軽武装+親米路線)は、沖縄に巨大な米軍基地を置くことで可能になった。かつ、本土は重化学工業を基軸とする先進工業国化に成功する。
 沖縄について
(1)だが、平和?本土は、第2次大戦が終わるや否や憲法9条を戴く「平和国家」へと素早く変身し、東西対立の激化にもかかわらずその看板を守れたのに対し、沖縄は戦争終結から30年近くもの間、軍事的要請がすべてに優先し、平然と人権を蹂躙する支配の下に置かれ続けた。
(2)米軍統治下の沖縄は、核戦略の重要拠点に指定され、ピーク時には1000発を超える核弾頭が持ち込まれていた。そして、沖縄返還時の核密約。
(3)1972年の返還=本土復帰以前には、米軍の端的な軍事支配があったし、復帰以後も、民主国家であれば当然担保されるべき住民の主権(自決権)を簒奪された状況にある。
(4)米軍統治下の沖縄は産業の内発的発展を阻害され、基地依存経済が構造化されたのであった。


Ⅱ.「永続敗戦レジーム」とは


 白井は、沖縄の犠牲を下に反映してきた日本という国のあり方を、次のように示す。
それは、「沖縄とは『戦後レジーム』の『構成的外部』である。」、という規定でもある。


(1)要するに、非核三原則とは、一個の笑い話である。
(2)本土と沖縄の対照的な様相は、両者が別々にそうなったのではなく、本土における「平和・繁栄・民主主義」が沖縄のそれらすべての不在に依存してきた。「平和・繁栄・民主主義」が戦後レジームの壮観な外観である一方、その成立のためには、例外としての、否、見えない支柱としての、
「平和・繁栄・民主主義」がを完全に欠いた空間(=沖縄)を必要としてきた。
(3)この意味において戦後レジームにとっての沖縄とは、「構成的外部」にほかならない。


 だから、一つの例として、沖縄にとって辺野古新基地建設を反対することがどのような意味を持つのかということへの理解が、どうしてもできない日本本土の「構造」を次のように押さえる。


(1)名護市辺野古での米軍基地建設をめぐって沖縄の我慢が限界を超えたいま、どのような政治的立場からであれ、戦後という時代を「平和・繁栄・民主主義」と安易に特徴づけることには、欺瞞性がつきまとう。
(2)親米保守派とリベラル左派は、「平和・繁栄・民主主義」の理由を前者は親米路線(≒日米安保体制)に、後者は9条平和主義に帰することによって対立しているかのように見えるが、両者ともその肯定的な戦後感が「構成的外部としての沖縄」を排除することで成り立つ点で、共通している。両者の対立は、同じ対象を異なる角度から視ることで生まれるものに過ぎない。
(3)日米安保体制と9条平和主義は、漫然として意味においてではなく、政治的事実を明確にたどれる形で、密接に繋がっている。言い換えれば、それは同一物の二側面である。


 白井は、論を進めるに当たり、白井のいう「永続敗戦」という意味を、「戦後レジームとは、筆者の言う『永続敗戦レジーム』と同一である。『永続敗戦』とは、『平和と繁栄』としてとらえられてきた戦後レジームの正体を言い表す概念である。それは、先の大戦での大日本帝国の敗北が持つ意味を曖昧にした歴史認識である。」、と説明する。
 その上で、このことがもたらした結果について、「かかる歴史認識は『敗戦』が『終戦』と呼び換えられて流通していることに端的に現れているが、戦後日本人は、『敗戦を否認』してきたのであり、これを可能にした最大の要素こそ、戦後の「親米」の名を借りた対米従属であった。東西対立の世界で、アジアにおけるアメリカの最重要パートナーに収まることで、比較的速やかな復興をはじめ、戦後日本は敗戦の意味を矮小化することができた。」、と断じる。
 だから、白井は、現在までの『永続敗戦レジーム』を背景とした歴史意識に関わって日本の現況について、次のように指摘する。


(1)戦後の日本人の多くは、自覚的速やかにそうした状況から脱することに成功した。だがいま、その幸福の代償が政治と社会のゆがみとして全面的に露呈してきているのである。統治エリート(政官財学メディアの主流派)の領域では、それは、世界に類を見ないような卑小さを伴う自己目的化した対米従属として現れている。
(2)体制のそうした在り方の起源に遡れば、東西対立の激化を背景とした「逆コース」政策へとアメリカの対日政策が転換するなかで、戦前の保守支配層は戦争責任の追及を逃れて復権する機会を掴んだ。だから彼らが「アメリカ様」に対して頭が上がる道理がない。岸信介の孫である安倍晋三に象徴されるように、現在も統治エリート集団の枢腰部を占めているのは、右の経過によって首がつながった者たちの末裔である。
(3)一般的な社会現象としては、「敗戦の否認」は、先の大戦への真摯な反省と自己変革の努力の不在として現れている。われわれが実はあの戦争に負けていないのだとすれば、後悔の必要もなく自分を変える必要もないのだから。
(4)この精神態度が、戦後民主主義を表層にとどめた一方、「成長し続ける経済」という戦後日本の繁栄の前提は東西対立の終焉と同時期に崩壊した。そこで現れたのが、敗戦の結果もたらされた戦後民主主義的価値観に対する不満の鬱屈であり、それが、「ポツダム宣言を詳らかに読んだことがない」まま「戦後レジームからの脱却」を唱えるという、奇行に及んでいる宰相に支持を与えている。その行き着く先は何らかの形での「第二の敗戦」であるほかはない。敗戦を正面から受けとめないためにダラダラと負け続ける-これが「永続敗戦」の合意である。


 白井は、このように「永続敗戦レジーム」を定義したうえで、これを可能にしたのは、日本という国の「戦後の対米従属、より正確には、古今東西類を見ないような特殊な対米従属である」と規定する。
次に、白井は、「対米従属」の構造を次のように解き明かす。


(1)ある国家が超大国に従属していること自体はありふれた現象だが、戦後日本の対米従属は、従属の事実がボヤかされている点に重要な特徴がある。そこには、対米従属は対米戦敗北の直接的帰結であるが、敗戦を否定するには、その帰結をも否認しなければならない、という構造的な動機がある。そして、そこから、「従属の事実を否認する従属」という類希なる特殊な従属が生まれる。その「特殊性」とは究極的には天皇制に起因するものである。
(2)どういうことか?明治維新以後に国家の公認イデオロギーとして形成された「国体」観念は、日本を「万世一系の天皇が永久に君臨する家族国家」であると定義した。天皇は、他の文明圏の、権力により「支配する」君主とは違って、人民を我が子のように、「赤子」として慈しむ日本民族(さらには、植民地諸民族)の「大いなる家長」であるとされた。
(3)この構造が戦後は対米関係に投影されたのだ。アメリカは「慈悲深き家長」として日本を従える。愛に基づく支配であるならばそれは支配ではない、という論理が従属に事実を否認する。ゆえに、「戦後レジーム」=「永続敗戦レジーム」とは、同時に「戦後の国体」にほかならない。


Ⅲ.沖縄と国体ということ


 白井は、いよいよ本論に入る。
 まずは、「『戦後の国体』の形成とその歩み、そしてその崩壊において、沖縄がどのような役割を割り振られたのか」、という問題を掲げる。
 それは、「戦後の国体」の問題を理解することが、沖縄返還の「虚構性」とその「虚構性」が必要とされた理由を焙り出すだけでなく、その「虚構性」に利用されてきた沖縄の「虚構性」への現在の闘いの意味まで解明する。
まずは、日本の「国体の護持」について。


(1)1945年8月のポツダム宣言受諾に際して、当時の国家指導部が最後までこだわった降伏の条件が「国体保持の保障」であったことはよく知られているが、その実質は何であったのか。敗戦と占領改革の時期における「国体護持の行方」は、昭和天皇の戦争責任の不問と象徴天皇制の導入によって決着された、と一般的には受けとめられている。
(2)「国家のあり方」が変革されたという対外的評価を得ることができてはじめて、戦後日本の国際社会への復帰(占領終結、サンフランシスコ講和条約の締結(、)が許されたのである。そうでなければ、戦後ドイツがナチス第三帝国であるがまま国際社会に復帰するのと同じであって、そのような事態は到底あり得なかった。したがって、「国家のあり方」という意味での国体は、面目を一新したのであり、国体が護持されたとは到底言えない。ゆえに、マッカーサーが主導した天王星の存続(国体護持)とは、多分に外面的なものである。
(3)マッカーサーが内外の世論、また米政府内での「天皇の責任を問うべし」という圧力を断固たる決意で押し返した端的な理由は、天皇を攻撃するよりも、天皇を活用した方が円滑な占領統治に有益である、という判断であった。
 マッカーサー自身が骨子である「三原則」を提示して起草された新憲法の内容も、この文脈から理解される必要がある。「三原則」とは「天皇を元首とする」「戦争放棄」「封建制度の廃止」であったが、「天皇を元首とする」(天皇が象徴として存在し続ける)と「戦争放棄」(完全な非武装化)は、密接に関連していた。天皇の責任を問う内外の圧力をかわすためには、日本を軍事面で徹底的に無力化することが必要だったのである。
(4)GHQは、単に昭和天皇を免責するだけでなく、新生日本を「平和主義」で「民主主義」の国へと変える主導者の役割をも天皇に割り当てるようになる。こうしたアメリカの思惑に対して、昭和天皇は、「官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ」と述べた「人間宣言」をはじめ巧みに応えた。
(5)天皇にとって、戦前から存在した国体の不倶戴天の仇としての共産主義は、いよいよ力を増してきたと認識された。そのとき、国体の守護神といて要請されたのが米軍のプレゼンスにほかならなかった。豊下が明らかにしたように占領終結後の米軍駐留継続は、昭和天皇による「天皇メッセージ」にも後押しされて、アメリカが「われわれの」望む数の兵力を、望む場所に、臨む期間だけ駐留させる権利を確保する」取り決めとして、日米安保条約がサ条約とセットで結ばれることによって実現された。


 白井は、次に、「利用された沖縄」という核心を突きつける。
 どういうことなのか。
実は、「利用された沖縄」とは、「ここに深刻な矛盾が発生する。第二次大戦後のアメリカは、主要なものだけでも、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争と、ほぼ間断なく戦争をし続けてきた。そして、これらの戦争が、日米安保条約に基づく大規模な基地の提供なしに遂行し得なかったことは、明白である。」 、という「矛盾」の解消のために沖縄が利用されたことを指すのである。
沖縄が背負わされた「矛盾」とは次のものである。


(1)矛盾とは、日本は一方で決して戦争をしないという「平和国家」の看板を掲げつつ、同時に他方で、常に何らかの戦争を闘っている国家の、その戦争遂行にとって不可欠な援助者である、という事実にある。
(2)この矛盾を覆い隠す役割を背負わされたのが沖縄であった。そのプロセスは、大戦終結直後から始まっている。アメリカが凄惨な地上戦の果てに占領した沖縄は、サンフランシスコ講和条約(以下、サ条約)によって日本の主権が回復されたがゆえに、国際法的にきわめて曖昧な、極度の無権利状態に置かれることとなった。サ条約は、沖縄に対する日本の「潜在主権」を認めつつ、統治の実権は全面的にアメリカに帰せられたからだ。同時にアメリカは、「いかなる領土の変更も欲しない」と宣言した大西洋憲章(連合国の行動要領、1941年)以来の無併合の大方針に拘束されており、沖縄を一時的にであれ併合するわけにはいかなかったため、沖縄は国際法的に定義困難な地位に留め置かれた。その結果、沖縄は、日本の領土でもなければアメリカ領でもなく、ゆえに両国の憲法が規定する人権保障がいずれも機能しないがために、軍事的要請が制約なしに貫徹される空間と化した。その具体的表れが、「銃剣とブルドーザー」による軍用地の強制収容であった。
(3)かかる明白な人権蹂躙を、アメリカは何時まで続けるつもりだったのか。答えは「無期限」である。53年に、時の国務長官・ジョン・フォスター・ダレスは、「極東に脅威と緊張の状態が存する限りアメリカは琉球諸島に対する統治権を行使続ける」と、宣言した。この宣言は「ブルースカイ・ポリシー」と呼ばれ、「一点の雲もなく空が青くなるまで沖縄は返還されない」ことを意味した。「極東に脅威と緊張の状態が存する」か否かを判断するのは、無論アメリカである。


 では、こうした状況下での沖縄返還はどういう位置づけであったのか。
白井は、次のように説明する。


(1)それでも72年に沖縄返還が実現するのは、日本の本土および沖縄での復帰要求の高まりと、アメリカの事実上の沖縄領有、否、領有よりさらに悪い自由軍事利用への国際的な批判の視線を、アメリカも意識せざるを得なかったためである。
(2)米軍による沖縄支配に終止符を打つために、日本外交があらゆる手段を動員したことはない。具体的には、返還以前に、サ条約が認めた日本の潜在主権を根拠に沖縄の軍事植民地的状況の不当性を国連の場で問題化するという手段は検討されなかった。また、東西対立終焉以後、在日米軍の最大の駐留根拠(対ソ連)が失われた以上、大規模な駐留削減の提案も可能だったはずが、96年の日米安保共同宣言は、日米同盟がアジア太平洋地域の安定の基礎であるという論理にによって、在日米軍の兵力規模維持を宣言した。これは、「ブルースカイ」は、存在せず、今後も存在しない、つまり、「沖縄は返還されない」と宣しているに等しい。
(3)このような、自発的な従属の実態、従属の事実を否認する従属の虚構性は、沖縄の現実において暴き出されてしまう。
(4)本土の多くの米軍基地が沖縄に移されたことによって、右の虚構は本土では現実として通用する。「戦争と絶縁した平和主義の日本」という虚構と「世界最強の軍国主義国家の援助者=子分」という現実は、「アメリカに愛されているのであって従属などしていない本土」と「アメリカによって力づくで支配されている沖縄」という形で空間上に転態されるのである。


 白井の指摘は、「この構造が固定され変わらない理由の筆頭は、差別であろう。」、と規定する中で、「ここでは、第一の理由として、このような戦後沖縄の状況をつくり出した経緯の一端を昭和天皇が担ったことの意味を指摘したい。」、とその核心に至る。


(1)昭和天皇は、日米安保条約締結を働きかけたのみならず、47年に「天皇メッセージ」をアメリカに伝え、米軍による沖縄占領を50年間よりもさらに長く継続させることを希望する意思を表した。天皇の考えでは、国体を護持する(=皇統が持続する)ためには、平和主義の国是と同時に、共産主義の脅威に対抗するための国土の要塞化が必要だったのである。この矛盾を解消すべき指定されたのが、「日本でもなくなくアメリカでもない」沖縄であった。
(2)「天皇メッセージ」がどれほどの政治的実効性を持ったかについては、まだ十分に解明されていない。ただし、その直接的効果よりも重要なのは、昭和天皇の考え方が戦後日本の統治エリートの全般的な意思とシンクロし、一般化していった点にある。とにもかくにも施政権が返還され、東西対立も終焉し、日米間の国力格差も戦後直後とは全く異なった状況になったにもかかわらず、沖縄を不変の構造に押し込め続けている無意識化された動機に、われわれは直面する。つまりそれは、「昭和天皇がお決めになったことだから、変更できない」ということではないのか。
  

 白井は、最後に、「『戦後の国体』は明白に崩れ始めている。」、との現在の状況把握の下に、現在の「戦後の国体」と闘う沖縄の姿の意味を示す。


(1)「天皇陛下のように日本を愛してくれるアメリカ」という幻想は、東西対立にその根拠があった。アメリカは日本をアジアにおける最重要の同盟国と見なして、恩恵を授けた。しかし、東西対立の時代はとうに終わった。にもかかわらず、対米従属の合理性が失われた時代(ポスト冷戦)においてこそ、親米保守派が支配する戦後レジームの対米従属姿勢は、より露骨なものとなってきた。
(2)「戦後の国体」の構成的外部としての沖縄から発せられた声は、今日の日本の政治状況の本質を衝くものとなり、故翁長雄志知事の発言は、的確で鋭利な戦後レジーム批判として現れた。
(3)本土の日本人が安倍政権に支持を与えてきたことは、これらの指摘を却下してきたということであり、「戦後の国体」を依然として支持しているということでもある。しかし、いまオール沖縄が闘いを挑んでいる。「戦後の国体」とは、本来は、現レジームの特権階級(例えば、「家柄の良さ」だけで二度も総理大臣を務めさせてもらえるような特権階級)の構成員を除くすべての日本人にとって、打倒すべき敵なのである。


 さて、こうした白井の論理展開が、新崎盛暉の提起した「構造的沖縄差別」という論理と重なるということに気づかされる。
例えば、新崎は、「新崎盛暉が説く構造的沖縄差別」の中で、次のように指摘している。


 新崎は、日本の戦後の出発を、「象徴天皇制、日本の非武装化、沖縄の(分離)軍事支配は、占領政策の上で、三位一体の関係になったのである。構造的沖縄差別の上に立つ対米従属的日米関係は、ここから始まる。一九四七年の、『沖縄を二五年ないし五〇年、米軍統治に委ねることに異存はない』といういわゆる天皇メッセージや、講和後も米軍の駐留を希望するという天皇のGHQへの積極的働きかけなどは、天皇がこの仕組みの中で自らに与えられた役割を果たしたものと言えるだろう。」と規定し、このことにより、「日本の非武装化は、日本国憲法にも明記され、それは平和憲法と呼ばれるようになったと説明する。 
 つまり、日本国憲法は、「沖縄を除外することによって成立した」ものであり、このことこそが、構造的沖縄差別を端的に顕していると。
 また、米国の「日本非武装化」という考え方は東西冷戦が顕在化すると、米国は「敵対者として覇権を争った日本を『目下の同盟者』として保護育成利用する方針」に転換し、「米国内市場を開放して経済的復興を支援するとともに、日本の再軍備を促すことになった。」と指摘する。
 さらに、「構造的沖縄差別」に関して、「日本、米国、沖縄、基地など様々な要素が織りなす構造において、沖縄への基地押しつけを中心とする差別的仕組みは、日米安保体制維持のための不可欠の要素とされてきた。そしてそれは、時の経過とともに、『沖縄の米軍基地に対する存在の当然視』という思考停止を生んだ。」という現状認識を問うている。
 その結果、ヤマトの側の「この数十年にわたる思考停止状態の中での『沖縄の米軍基地に対する存在の当然視』こそ、構造的沖縄差別に他ならない」と、断じている。


 今回の白井の指摘は、まさに、核心を突くものであった。
 最後に、あらためて、大きく気づかされることがある。
 日本人の「沖縄でよかった」というつぶやきは、「昭和天皇がお決めになったことだから、変更できない」という意味をも含んでいたのだということを。



by asyagi-df-2014 | 2018-09-26 07:04 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「#黙らない女たち」

著書名;「#黙らない女たち」
著作者:李 信恵・上瀧 浩子
出版社;かもがわ出版




 この本は、李信恵、上瀧浩子の闘いの記録とこれから闘うための理念の書である。
 李信恵は、今回の二つの尊厳の回復の闘いについて、「はじめに」で、こう綴っている。


 2018年6月28日、保守速報との裁判の控訴審判決が言い渡された。判決後に携帯電話を見ると、Kさんからメッセージが入っていた。
 「勝利判決おめでとう。ビワの実はもうないけど、ビワの種はあるよ。落ちた実から自生した、生命力のあるビワの苗が」
 ビワの実はまるで私のようだ。私はこの裁判を通じて、朝鮮人として、女性として、日本に生まれてよかったと思った。私は、ずっと前からこの日本社会に根を張って、生きている。これから先もきっと。 

 
 李信恵のこの吐露が、この裁判が、命、生きるということに関わったものであったことっを示す。
 実は、この本は、「複合差別」を日本の裁判所で始めた勝ち取った李信恵のなまなましい闘いの報告である。
 李信恵が闘った裁判の判決結果は、次のように書かれている。


 対「在特会」については、大阪高裁判決(2017年6月19日)で人種差別を認めた大阪地裁判決(2016年9月27日)を上回る判決内容-「人種差別と女性差別との複合差別に当たる」-が認定された。
また、対「保守速報」については、大阪地裁判決(2017年11月16日)は、①「保守速報」運営者の被告の投稿記事は、社会通念上許される限度を超えた侮辱、人種差別に当たる、②原告の容姿等への言及について、「名誉感情や女性としての尊厳を害した程度は甚だしい複合差別である、③まとめサイト「保守速報」への転載に際して、表題の作成や情報の「編集」行為は憲法13条の人格権の侵害と認定した。最終的に、高裁控訴審となった大阪高裁判決(2018年6月28日)も高裁1審判決を支持した。


 さて、ここでは、弁護士上瀧浩子(以下、「上瀧」)の記述からいくつかを引用する。
 「上瀧」はまず最初に、「ヘイトスピーチ」とは何かについて、次のように指摘する。


(1)ヘイトスピーチが、個人の尊厳を踏みにじることは当然である。松垣伸次氏は、「日本国憲法は個人の尊厳を基本理念としており、また平等の理念は、「人権の歴史において、自由とともに、個人尊重の思想に由来し、常に最高の目的とされた」ものである。そして、人権は、個人の人格的価値を決定するものではないゆえに、人種による差別が近代的平等思想と相容れないことは明かである。人種等を理由としない名誉毀損や侮辱などとは異なり、ヘイト・スピーチは「厳然とした”力の差異”のある関係の中で行われてきた」ものであり、その力関係を維持・強化させる。それゆえ、犠牲者の真の人間性を否定するものであり、犠牲者に深い傷を与える」と述べる。
(2)顔と名前を公にして、白昼堂々と、デモ行進や街頭宣伝で「朝鮮人は出ていけ」などと叫ぶ者の存在自体が、表だって民族差別をしてもいいのだというメッセージを社会に発している。これは、社会にうっすらとある偏見と差別意識を再生産したり、結晶化する作用がある。ヘイトデモや街宣を放置することは、社会の差別に対するハードルを下げ、偏見と差別を深く広く浸透させる契機になるのではないか思われた。
(3)沈黙効果とは、ヘイトスピーチにさらされた当事者が、これに抵抗すれば、より酷い攻撃を受けたり、そもそも差別社会においては自分たちの抗議が非常に軽く扱われたりすることを恐れて抵抗せずに、黙るという傾向があるというものだ。襲撃事件のあと、学校関係者が対策を話し合ったときには、在特会らに対抗すればさらに攻撃を誘発することになるかもしれないという意見もあったと聞く。これは、まさに沈黙効果であろう。
(4)「朝鮮人一般」に対する人種差別が朝鮮人という属性を持つ人たちにとって個人の具体的損害にならないというのは、差別される側の実感とは離れている。李信恵さんを始め在日韓国・朝鮮人の人たちは、「朝鮮人」と言われたときに、自分もその中に入っているのだという意識を強くもつからだ。しかし、現行法の建前では、「朝鮮人は」という言い方は「大阪人は」や「女性は」と同様に被害が希釈化されるという考え方が一般的である。この現行法の建て前を崩さず人種差別に対して法的対応をろつためには、新たな立法が必要だと考える所以だ。
(5)排外主義活動をする者たちは、自分が差別しているとの意識はない。彼らは、私たちと同様に、差別という行為が認められていないことを認識している。これは、一定期間、民族差別を表立っては言いにくい現状が生じていた、ということが基礎にある。すなわち、「すでに差別は消滅している」という現代的レイシズムの前提には、社会の中で、差別が許されないという「一般常識」「建前」が社会の中にあった(もちろん、影では差別は行われていたし、制度的差別も存在した)。
(6)現代型レイシズムは、差別がなくなったように「見える」ことを出発点としているのであり、それは、権利に対する共通意識が進んだことを示している面もあるのだ。この点、森千香子氏も、「ヘイトスピーチの嵐は、在日朝鮮人やフランスの移民の社会進出がすすみ、以前に比べると「対等」に近づきつつあるという現実を示すものである」としている。平等という価値観が浸透した結果、排外主義も「どちらが差別者か」を問うような形で争点を拡散させたのである。彼らにとって「在日特権」は一面では差別を正当化する根拠となったが、他面で彼らは「在日特権」という「理屈」を持ち込まなければ自分たちの主張を正当化できない隘路に立っている。


次に、 「上瀧」は今回の裁判の最大の課題であった「複合差別」 について、次のようにまとめている。


(1)複合差別は、主として女性差別と他の自由による差別の交差ないし複合の態様に着目した概念だ。
(2)国連人種差別撤廃委員会は、2000年3月「人種差別のジェンダーに関連する側面に関する一般的な性格を有する勧告25」で、「人種差別が女性とや男性に等しく又は同じような態様で影響を及ぼすわけでは必ずしもないことに注目する。人種差別が、女性にのみに若しくは主として女性に影響を及ぼし、又は男性とは異なる態様で若しくは異なる程度で女性に影響を及ぼすという状況が存在する。」と述べた。
(3)又、国連女性差別撤廃委員会は、2010年10月、一般的勧告第28において「18.複合とは、第2条に規定された締約国が負うべき一般的義務の範囲を理解するための基本概念である。性別やジェンダーに基づく女性差別は、人種、民族、宗教や信仰、健康状態、身分、年齢、階層、カースト制及び性的嗜好や性同一性など女性に影響を与える他の要素と密接に関係している。性別やジェンダーに基づく差別は、このようなグループに属する女性に男性とは異なる程度もしくは方法で影響を及ぼす可能性がある。締結国は、かかる複合差別及び該当する女性に対する複合的なマイナス影響を法的に認識ならびに禁止しなければならない」とした。
 このように、複合差別という概念は、国際的には2000年代から意識され始め、2010年には差別を理解する上での基本概念となっていた。
(4)差別の問題を考えるとき、女性差別撤廃委員会も人種差別撤廃委員会も、複合差別という概念を基本的概念として言及している。日本でも、「女性にのみに若しくは主として女性に影響を及ぼし、又は男性とは異なる態様で若しくは異なる程度で影響を及ぼすという状況」や「異なる程度もしくは方法で影響を及ぼす可能性がある」という状況があるのか。この実体について日本政府が行った公的な調査はない。


 また、 「上瀧」は、これからの課題について、述べる。


(1)李信恵さんの2の判決は、李信恵さんに対する罵倒行為が民族差別と女性差別の複合差別だと判断した。
 複合差別の射程は、在日韓国・朝鮮人差別と女性差別も交差的な影響にほかならない。女性差別撤廃委員会が指摘するように、日本には「アイヌの女性、同和地区の女性、在日韓国・朝鮮人の女性などの先住民族や民族的マイノリティの女性とともに障害のある女性、LBTの女性及び移民女性」など複合的・交差的差別を経験している女性のグループがある。この判決が、彼女らに援用できる先例となってほしい。
 また、複合差別は、女性のグループだけではない。在日韓国・朝鮮人の障がい者、部落やアイヌの障がい者も、また複合差別を受けている可能性がある。
(2)そして、複合差別のかたちはヘイトスピーチに限らない。例えば、企業の中で障がいのある女性が執拗なセクハラを受けたりすること、外国人女性がDVの犠牲になることなど、職場や家庭が複合差別の現場になることもある。この判決が、マイノリティの中でもさらに押し込められた立場の人たちに生かされることが、判決に生命力を与えるのだと思う。
(3)これをきっかけとして政府が複合差別に関して調査を行うように願う。女性差別撤廃委員会は、第5回及び第6回政府報告書への最終見解で、2006年にはすでに、日本政府に対して複合差別の実態調査をするように勧告している。これは、やがて立法へと結びつく基礎となる調査になると考える。


 さらに、「上瀧」は、違った視点での指摘を行う。


(1)保守速報らを提訴した直後に、李信恵さんと私は外国特派員協会で記者会見をしたが、この際、イタリアの記者から保守速報に広告を出しているのがどのような企業か、との質問を受けた。その時に私は初めて、保守速報のブログ記事を作成した人だけでなく、広告を出す側もヘイトスピーチから利益を受けていることに気づき、海外では広告主の責任を問うことがごく普通なのではないかと感じた。
(2)保守速報管理人は、自分の10個以上のバナー広告を貼っていた。そこから保守速報管理人が得ている広告収入がどれほどのものかわからないが(私たちは、裁判所に対して収入金額を明らかにするため調査嘱託を申し立てたが認められなかった)、アクセス数からいって相当程度の収入を得ていることは想像がつく。実際、保守速報側も広告収入を得ていることを認めていた。
(3)このようにインターネット上のヘイトスピーチが利益を生む構造の中で、ヘイトスピーチを抑制しようとする思えば、その構造を変えなければならない。アフィリエイトサービスプロバイダーは、保守速報などのアフィリエイターを拒絶することができる。アフィリエイトサービスプロバイダーに対する法的手段を検討してもいいように思う。広告主も、自分たちの広告が、どのような記事に貼られているのかを注意してほしいと思う。広告主が支払った金銭が、アフィリエイトサービスプロバイダーを介してブログ主に流れ込むのである。広告主は、アフィリエイトサービスプロバイダーを選ぶことができる。ヘイトスピーチが利益を生む構造を変化させるきっかけを提供できるのである。最近、エプソンなどの企業が「コミュニケーション活動の中立性維持の観点」等の理由で、保守速報への広告出稿を相次いで取りやめている。この動きに注目したい。


 「上瀧」は、こうした指摘に、「裁判の限界」「表現の自由」の問題を加える。



(1)現行の法律上では、名誉毀損も侮辱も、個人の社会的評価の低下や名誉感情を害するものであり個人の権利や利益の侵害を要件としている。言い換えれば、「朝鮮人は皆殺し」とインターネットや街頭宣伝やデモで扇動しても、そこに「個人の人権侵害」がなければ刑事訴訟や民事訴訟の法的手段はとれない。
(2)在日韓国・朝鮮人の人にとっては「朝鮮人は日本から出て行け」といわれることと、特定の彼、彼女が在日韓国・朝鮮人ゆえに「日本から出ていけ」といわれることに大きな差はない。しかし前者では民事訴訟でも刑事訴訟でも被害者は救済されない。被害の実態に鑑みると、個人の名誉毀損や侮辱を媒介としてしか法的責任を問えないとすることには違和感がある。
(3)ヘイトスピーチの本質は、マイノリティの社会的排除を扇動することにあり、もっといえば、マイノリティへの支配・従属関係を再生産することにある。そこに焦点をあてた立法が必要である。ヘイトスピーチ対策法は、その一部の実現であるが、罰則規定も含めた法整備が必要ではないか。
(4)状況は、ヘイトスピーチからヘイトクライムへと移行している。ヘイトクライムがヒェノサイド(大量殺害)に繋がっていくことは、私たちの歴史が証明している。人種差別撤廃委員会は、人種差別撤廃条約に関して、一般的勧告35「ヘイトスピーチと闘う」(以下「一般勧告35)という)を出した。この勧告は、2012年8月、世界的にのヘイトスピーチが吹き荒れている状況の中で出されたものである。私たちの日本社会も、この一般的勧告と真摯に向き合う必要がある。

(5)外務省が述べる理由は、「人種差別の扇動」などの言葉が広すぎて表現の自由を不当に制約すること。刑罰の対象とならないものの境界が不明確で罪刑法定主義に反する可能性があるとするものだ。日本政府は、表現の自由に多くの価値を置いており、表現の自由とヘイトスピーチに対する処罰規定は対立するという立場である。
(6)憲法13条には生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は「公共の福祉に反しない限り」最大限の尊重をするべきとされており、表現の自由も絶対的なものではない。
(7)一般的勧告35も「表現の自由は、他者の権利と自由の破壊を意図するものであってはならず、そこでいう他者の権利には、平等及び被差別の権利が含まれるものである」とする。一方で、一般的勧告35は、「人種主義的ヘイトスピーチから人びとを保護するということは、一方に表現の権利を置き、他方に集団保護のための権利制限を置くといった単純な対立ではない。すなわち、本条約による保護を受ける権利を持つ個人及び集団にも、表現の自由の権利とその権利行使において人種差別による保護を受ける権利を持つ個人及び集団にも、表現の自由の権利とその権利の行使において人種差別を受けない権利がある。ところが、人種主義的ヘイトスピーチは犠牲者から自由なスピーチを奪いかねないのである」と述べる。
(8)ここでは、ヘイトスピーチの規制が表現の自由を制約するという単純な対立ではないこと、マイノリティにも差別されることなく表現する自由が保障されているが、ヘイトスピーチは、マイノリティから表現の自由を奪う可能性があると指摘している。
(9)表現の自由が重要であるのであれば、マイノリティの表現の自由も同時に保障されなければならない。表現の自由が重要な価値があるとされる理由は「自己実現の価値」「自己統治の価値」があるからとされる。自己実現の価値とは、個人の人格の形成と展開にとって不可欠であること。自己統治の価値とは、立憲民主主義の維持管理にとって不可欠であるという意味である。
(10)少数者が、必要な情報に接し、他者と自由に意見を交換する中で自分の考えを検証したり確認したりする中で人格を発展させ、また、必要な政治的な主張をする社会が豊かな社会である。しかし、ヘイトスピーチが蔓延する社会では、在日韓国・朝鮮人の言論は、すでに事実上「萎縮」させられてしまっている。
(11)表現の自由において、表現の強者と弱者が存在するという視点は、大切である。 
(12)ヘイトスピーチを規制することによって守られるのは、民族的マイノリティがヘイトスピーチによって現実に生じている被害を避けられることであり、マイノリティとしての民族的アイデンティティであり、社会に対する安心感、信頼、表現の自由である。他方、ヘイトスピーチ規制によって失われるものは何か。それが人種差別をする自由であるという議論はさすがに目にしない。そこでよく言われるのは、罰則規定が濫用される可能性である。しかし、「濫用される可能性」は可能性にすぎないのに対して、マイノリティの被害は現実に生じている。将来起凝るかもしれない濫用の危険性のゆえにマイノリティの現在の被害を放置することは許されない。「濫用の危険性」があるのなら、濫用されない方法を模索するべきでだろう。


 「上瀧」は「おわりに」で、このように触れる。



 この裁判を通じて、「言葉」というものの大切さをあらためて思った。
 「ヘイトスピーチ」や「複合差別」ということばは、事実を発見し、誰かがどこかで名づけ、使い始めた。引用した意見書も、論文も、言葉で綴られる知性である。李信恵さん、大杉弁護士との打ち合わせのほとんどはことばを探す作業にあてられた。この裁判は、ことばの歴史の上に成り立っている。
 複合差別やヘイトスピーチは、今は、まだ、現実を切り取ることばとして生きている。しかし、差別がなくなれば、かってあった歴史上の表現として語られるだろう。裁判所の判決も小さな歴史として判例の森に埋もれていってほしい。
 編集者の中村純さんから、李信恵さんの裁判の経緯を本にしないかと言われたとき、正直、迷った。けれど、中村さんは詩人でもあり「ことば」への想いは一通りではない。そういう信頼もあって、本を書くと決めた。
 差別のない社会をめざして、一緒に頑張りましょう。


 実は、在特会のヘイトスピーチに出会ったとき、ことばを失った。
 「上瀧」の「おわりに」を読んで、その意味の一端を理解した。
 李信恵さんの二つの判決は、李信恵さんに対する罵倒行為が民族差別と女性差別の複合差別であると判断した。
この判決が意味を持ってくるためには、「この判決が、マイノリティの中でもさらに押し込められた立場の人たちに生かされること」に繋がる必要がある。
 そのことで、この判決は、本当の意味で、生きてくる。
 この判決を生かしていきたい。


by asyagi-df-2014 | 2018-08-28 06:23 | 本等からのもの | Comments(0)

「黒島美奈子の政治時評」- 軍用機事故で露わに 日米地位協定の正体-

著書名;週刊金曜日1174号-「黒島美奈子の政治時評」
著作者;黒島美奈子
出版社;週刊金曜日




 週刊金曜日1174号の「黒島美奈子の政治時評」は、日米地位協定が日本にもたらしているものついて、痛烈にあぶり出す。
まずは、「『日米地位協定』とは何か。私たちの生活にどういう関わりがあるのか。2月に相次ぎ発生した軍用機事故で、図らずも、協定の正体が露わになった。」、と二つの事故を紹介する。


 一つ目の事故について。


(1)「2月5日、佐賀県神埼市の住宅地に陸上自衛隊のヘリコプターが墜落した。乗員2人は死亡、墜落した住宅にいた児童1人がけが、住宅2棟が炎上した。」
(2)「事故現場には、陸自をはじめ県警や消防が駆け付け、業務上過失致死と航空危険行為処罰法違反の容疑で現場検証を実施。翌日には、主回転翼(メイン・ローター)の異常が墜落に繋がった可能性のあることが報じられた。陸自は即座に事故機が所属する目達原駐屯地のヘリ全機の運用停止を表明。事故機と同型機以外のヘリ飛行を再開したのは、事故から約2週間後の22日だった。同型機の運用停止は2月26日現在継続している。」
(3)「この間、墜落の原因も少しずつ明らかになってきた。事故から9日後には防衛省が、事故機のメイン・ローター・ヘッドが以前にも故障・修繕した中古品であったと公表している。原因究明を速やかに実施・公表し、住民の安全に配慮する。当たり前のようだが、一連の陸自の行動は、日本国憲法や国内法の存在なしにはあり得ない。」


 二つ目の事故について。


(1)「同じ頃発生した米軍機事故の顛末はどうか。」
(2)「2月20日、、青森県の米軍三沢基地所属のF16戦闘機が離陸直後にエンジン火災を起こし、燃料タンク2個を基地近くの小川原湖に投棄した。燃料タンクは空の状態で重さ215キロという。当時、約10隻のシジミ漁船が操業しており、一歩間違えれば人身事故の可能性もあった。湖には漏れ出た燃料が広がり、直後から全面禁漁を余儀なくされた。」
(3)「当日、各紙は米空軍第35戦闘航空団司令官が発表した『事故原因究明のため徹底した調査を実施する』とのコメントを報じた。しかし以降、事故調査の進捗情報はない。湖面に広がった燃料の回収は、青森県知事による『災害派遣』要請で海上自衛隊があたり、米軍の姿はなかった。『しんぶん赤旗』によると、米軍は事故後も同型機の訓練を実施している。」


 黒島美奈子は、この二つの事故の「違い」を、「この対応の差を生み出しているのが、1960年、安全保障条約に基づき定められた日米地位協定の存在だ。米軍がドイツやイタリア、韓国など他国との間で結ぶどの地位協定と比べても日本とのそれは片務性が目立つ。つまり、米軍による事故の責任を不問にするのが日米地位協定と言える。」、と喝破する。
 また、こうした日本の状況を、2018年2月15日に開かれた全国知事会での翁長雄志沖縄県知事の「憲法の上に日米地位協定がある。国会の上に日米合同委員会がある」、との言葉を紹介することによって、日本の中の沖縄の位置づけ改めて焦点化させる。

 黒島美奈子は最後に、「米軍機事故は沖縄だけでなく全国で起き始めている。いずれ国民の不満は広がるだろう。政府に危機管理能力があるなら、地位協定の改定は何より急がなければならないはずだ。」、と結論づける。
つまり、もはや、沖縄だけに押し込めることができないほどに、米軍の劣化と、自衛隊の拡大強化が進んでいる中で、命の危機は国民一人一人のすぐ隣まで来ているということを語りかける。


 さて、「『日米地位協定』とは何か。私たちの生活にどういう関わりがあるのか。」に関わって、黒島美奈子がはっきりさせたことは、「原因究明を速やかに実施・公表し、住民の安全に配慮する。このことは、日本国憲法が求めるものである。」ということである。 また、もちろん、国内法は日本国憲法に沿って存在していることも。




by asyagi-df-2014 | 2018-03-11 17:30 | 本等からのもの | Comments(0)

「黒島美奈子の政治時評」- 沖縄県の2016年12月13日から2017年12月13日に起こったこと、それは沖縄が復帰前に戻らされたこと

著書名;週刊金曜日1166号-「黒島美奈子の政治時評」
著作者;黒島美奈子
出版社;週刊金曜日




 週刊金曜日1166号の「黒島美奈子の政治時評」は、「"戦争"は始まっている復帰前に戻った沖縄」、と見出しの字が、痛烈に日本のあり方を批判する。
 黒島美奈子(以下、黒島)は、「戦争は始まっているのかもしれない。この1年を振り返るとそう思わずにはいられない。」、と始める。
黒島は、沖縄県の2016年12月13日から2017年12月13日に起こったことについて、次のように記述する。


(1)幕開けは、昨年12月13日。名護市安部の海岸に米軍普天間飛行場所属のオスプレイが墜落した。集落から歩いて行ける現場の浅瀬は、家々からわずか数百メートル。何百、何千と散った機体の残骸は、今も見つかっている。墜落機と共に飛んでいた僚機は同日、機体の不具合から前輪が出ず、普天間飛行場に胴体着陸した。
(2)年が明け1月19日、嘉手納基地所属のF15戦闘機が油漏れのため同基地に緊急着陸した。
(3)翌日には、うるま市の農道に、新型攻撃ヘリAHIZは不時着、機体から出る熱風で畑の作物が焼けた。
(4)3月8日、キャンプ・ハンセンで米軍ヘリUHIからつり下げられた複数の車のタイヤが宜野座村に落下。
(5)同21日には、C130輸送機が、燃料を放出させながら、嘉手納基地に着陸するのが目撃された。
(6)6月6日、伊江島の米軍補助飛行場にオスプレイが緊急着陸。
(7)同10日には、奄美空港で白煙を上げ着陸。
(8)同29日には岩国基地を出た1機が大分空港に緊急着陸後、煙と炎が上がった。同機は6月に伊江島で不具合を起こしていた機だったことが後に判明。
(9)9月29には、オスプレイ2機が石垣空港に緊急着陸した。
(10)10月11日、米軍ヘリCH53が、東村の民間の牧草地で炎上。
(11)11月22日には、嘉手納基地を飛び立ち空母ロナルド・レーガン艦載機として訓練中だったC2輸送機が洋上で墜落した。米兵3人が行方不明となっている。
(12)同30日、米軍戦闘機F35が機体右側のパネルを付けず嘉手納基地に着陸したことが発覚。在沖米軍は「おそらく海上で落下した」と発表した。
(13)12月7日、宜野湾市の保育園の屋根で、米軍ヘリCH53の部品が見つかった。保育関係者によると、屋根でドスンと大きな音がしたので点検すると部品があった。米軍は、米軍機から「落ちた」ことは否定したが、米軍機の部品であることは認めた。
(14)そして、昨年のオスプレイ墜落からちょうど1年目の12月13日、どうし普天間第二小学校の校庭に、上空を飛行中の米軍ヘリGH53が窓枠を落下させた。校庭にいた男児1人が、落下時の衝撃で飛んだ石でけがをした。

 

 問題は、黒島の「戦争は始まっているのかもしれない。」という言葉の使い方 が、日本国憲法下であるはずの日本の現状を的確に表すのに、果たして相応しいものであるかということである。
 黒島は、今の沖縄の状況が、「戦争は始まっているのかもしれない。」、という言葉になってしまうのかを、「ヘリから戦闘機まで米軍基地の多種多様な機首が事故を頻発する様子は、朝鮮戦争時(1950~53年)、ベトナム戦争時(1955~75年)の沖縄と重なる。」、と指摘する。また、黒島は、「石川市(当時)の宮森小学校に米軍戦闘機F100が墜落した死傷者227人を出したのも同時期だった。同じ期間には嘉手納村や読谷村でも米軍機により事故で住民が数人死亡押している。」、と続ける。
黒島が表記した、沖縄県の2016年12月13日から2017年12月13日に起こったことをこうして並べてみると、実感として、実は戦争は始まっているのかもしてない、ということに気づかされる。
結局、私たちは、黒島によって、日米安保条約と地位協定、日米密約の基に、沖縄県が、すでに「復帰前」に戻らされていることを知らされるのである。
黒島は、このことを、「翁長雄志知事が『負担軽減どころか、復帰前に戻ったよう』と憤る姿に、もはや想像力は必要ない。」、と書き込むのでる。
 だから、黒島は、「目下の同盟」として、主権国家としての主体性を失っている日本政府の政治家に対して、次のように断罪する。


「しかし米軍機からの窓落下事故を受け、山本朋広防衛副大臣は、沖縄県が要求する「米軍機全機の飛行停止」に対し「他の飛行機も(事故機と)同じように扱うというのは、どういうロジックなのか分からない」と首をひねった。この国の閣僚には想像力どころか、目の前で起こっていることを認識する力さえないことに愕然とする。次の戦争が始まるか否かは、そんな政治家たちに委ねられている。」


 しかし、この黒島のからの投げかけは、政治家だけに向けられるものではなく、惰眠を貪りつつ、遠くから高見の見物をしている、日本人一人一人に向けられたもののだ。




by asyagi-df-2014 | 2018-01-03 07:09 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「標的の島」から「自衛隊の先島ー南西諸島重要戦略と『島嶼防衛』戦」

著書名;「標的の島」-「自衛隊の先島ー南西諸島重要戦略と『島嶼防衛』戦」
著作者:小西誠
出版社;社会批評社



 「標的の島」は、「最南端の島々で抗う住民たちによるドキュメント」と帯に書かれているように、日米両政府による米軍再編のなかで、進められる南西諸島の軍事要塞化に抗う人々の記録である。
 特に、軍事ジャーナリスト小西誠さん(以下、小西)は、第4章の「自衛隊の先島ー南西諸島重要戦略と『島嶼防衛』戦」のなかで、その要塞化に関する理論分析をしている。
 小西は、この中で最初に、「先島-南西諸島に新たに配備される予定の自衛隊の人員と部隊については、意外に現地でも正確には把握されていない。筆者の情報公開請求で開示された『南西諸島の防衛体制の強化』という防衛省文書でも、陸自の人員が記されているだけで、空自などは抜け落ちている」、と日本政府の姑息な手法を示す。
 それは、扇情的に危機感を煽ることで本質的な部分を隠す手法でもある。
以下、この第4章を取りあげる。。


Ⅰ.事実


(1)宮古島に配備される部隊は、地対艦ミサイル部隊約100人、地対空ミサイル部隊約150人に加えて、その指揮統制部隊(司令部)となる部隊約200人、そして警備部隊(普通科)の約350人の、合計して約800人と発表されている。また、石垣島に、この司令部を除く、地対艦・地対空ミサイル部隊・警備部隊の約600人の配置が予定されている。そして、奄美大島においては、先島諸島と同様、地対艦・地対空ミサイル部隊の約550人という隊員が発表されているが、これに空自の移動警察隊約50人も追加される予定だ(2016年度防衛概算要求)。
 こうしてみると、すでに発表されている部隊だけで先島諸島-奄美大島に新たに配備される部隊は、約2200人を超える人員を有する。
(2)もう一つ正確に認識されていないのが、沖縄本島における自衛隊の急激な増強についてだ、先の「南西地域の防衛体制の強化」という文書には、2016年3月末段階での沖縄(与那国島を含む)での自衛隊の配備人員が明記されている。それによれば、陸自約2650人、海自約1490人、空自約3910人の合計約8050人となっている。
(3)この沖縄での自衛隊の配備人員についてだが、2010年の沖縄県の統計では、陸自約2300人、海自約1300人、空自約2700人の、合計約6300人と発表されている。つまり、およそ5年間の間に、特にこの1年間の間に沖縄では、約1750人もの隊員が増加したことになるのだ。その増加の大部分は、一見して明らかだが空自部隊である(約1210人増)。


Ⅱ.こうした南西諸島への自衛隊の増強配備態勢の意味


(1)自衛隊の南西シフト、南西諸島への増強態勢は、琉球列島弧ー第1列島線に沿って展開されるのだが、そのもう一つの要となっているのが、西部方面普通科連隊(約660人)の旅団規模への昇格であり、日本型海兵隊ー水陸機動団の新編成である。
(2)この編成にともない、水陸機動団に新たに配備される予定の部隊が水陸両用車(AAV7)52両、オスプレイ17機であり、すでに今年度から順次その調達が始まりつつある。水陸両用車・オスプレイは、ともに米海兵隊が装備しているもので、海兵隊との互換性ー共同作戦によるそれが重視され、アメリカからの購入が確定している。
(3)南西シストによる自衛隊の新配備・増強は、これらに留まらない。九州南部の高畑山レーダーサイト(宮崎県串間市)、沖永良部レーダーサイト(鹿児島県沖永良部島)には、最新式のRE-DA-/J/FPS-7配備され、九州南部から奄美大島を経て、九州に至る、琉球列島弧の北側まで増強態勢が行われつつある。
(4)つまり、現在始まっているのは、南西重視戦略による自衛隊部隊の約1万人に近い規模の巨大な増強態勢であり、すでに配備されている沖縄本島の部隊と併せて、約2万人規模の「事前配備」態勢である。


Ⅲ.こうした琉球列島弧での自衛隊の大配備の目的等


(1)産経新聞などの報道も影響して、少なからぬ人々は、この自衛隊配備の目的が「尖閣問題」「尖閣戦争」対処のように受け取っているようだが、これらの自衛隊配備は、尖閣問題とは全く関係がないものである。何故なら、尖閣列島の問題が、日中の間で険悪化したのは、2012年の「尖閣国有化」後であるからだ。しかし、後述するように、自衛隊が「離島防衛ー島嶼防衛」対処を策定したのは、2000年における陸自教範・新『野外令』によってである。
(2)琉球列島弧(線)への自衛隊配備の直接の目的は何だろうか。この琉球列島弧は、軍事的には第1列島線と呼ばれている。九州南端から奄美大島・沖縄本島を経て、先島諸島から台湾・フィリピン・ボルネオ島に至るラインである。第1列島線の外側に、第二列島線と呼ばれるラインがあり、これは伊豆諸島を起点に小笠原・サイパン・グアムを経て、パプアニューギニアに至るラインである。この第1・第2列島線というラインは、そもそもは中国が設定したと言われているが、現実には、同時に日米両軍の設定ラインでもある。
(3)第1列島線は、地図を見れば一見明白だが、特に中国側から見れば一目瞭然だが、中国大陸の、東中国海に封じ込める列島線となっていることだ。・・・つまり、琉球列島弧の島々に自衛隊のミサイル部隊を配置し、琉球列島弧の各海峡(大隅・奄美・宮古・与那国)を通過する中国艦艇・航空機に対し、「通峡阻止」の対艦・対空ミサイル戦、海空戦闘、対潜戦(機雷戦)を仕掛け、中国を東中国海に封じ込めるというものだ。このためには、以上の戦闘に加えて、「通峡阻止」の陸自の地上戦も必要とされるというわけだ。
(4)陸自が言うところの、島嶼防衛戦における「通峡阻止」のための地上戦が戦略化され、策定される。陸自は、この島嶼防衛戦を「事前配備・緊急増派・奪回」の3段階戦略として位置づけており、防衛白書などで大々的に発表している。それによると、第1段階として「平素からの部隊等配置による抑止体制の確立」(→石垣島・宮古島・沖縄本島などへの事前配備)、第2段階として「機動部隊等の実力部隊による緊急的かつ急速な機動展開」(→3個機動師団・4個機動旅団の編成)、第3段階として「万一島嶼部の占領を許した場合における水陸両用部隊による奪回」(→水陸機動団+増援部隊)として、作戦を具体化している。
(5)陸自の構想する、これら3段階作戦で特徴的なのは、この作戦計画があらかじめ「敵による島嶼草書占領」を前提にしていることであり、その後の「奪回」を戦略としていることだ。この理由は明らかだ。「島嶼の防衛」は、基本的には不可能ということである。
(6)実際に、石垣島、宮古島などの島嶼も、サイパン島などとほとんど大きさが変わらず、その縦深のなさからして、長期持久戦は不可能である。したがって、島嶼防衛戦の初期の作戦としては、一旦、敵の上陸を許容し、以後の「奪回」の専任部隊である水陸機動団などの部隊による上陸作戦が基本作戦として策定されているのである。また、これらの水陸機動団を軸にし、機動運用部隊による増派部隊もまた、上陸作戦を担うのである。


Ⅳ.予想されるミサイル戦争


(1)島嶼防衛戦の最初の戦闘は、空と海でのミサイル戦争となることも不可能である。自衛隊の各島に配備された対艦・対空ミサイルは、中国艦艇・航空機の通峡阻止のための先陣をきることになる。しかし、同時に、中国本土から撃ち込まれる弾道ミサイル・巡航ミサイルも激しく島嶼を攻撃し、島嶼部に置かれた地上目標、固定目標は、一瞬のうちに破壊される。
(2)したがって、自衛隊が想定しているのは、あらかじめ中国の島嶼占領を前提とした「島嶼奪回」作戦である。そのために、水陸機動団などの海兵隊の編制が行われようとしているのだ。
(3)こうして繰り返される島嶼防衛戦は、彼我双方の対着上陸戦闘・着上陸戦闘を何度も繰り返すことによって、先島ー南西諸島の島々を破壊尽くし、一木一草も生えない焦土と化してしまうに違いない。


Ⅴ.エアシーバトル構想、オフショア・コントロール構想


(1)エアシーバトルの構想の具体的内容は、「米国の行動自由」(アジア太平洋地域の派遣)に挑戦する中国の「アクセス阻止・エリア拒否戦略」に対抗して、陸・空・海・宇宙・サイバー空間のすべての作戦領域における統合作戦を遂行するということである。
(2)これをもっとわかりやすく言うと、中国の海空戦力・対艦・対地ミサイルによる第1列島線・第2列島線への接近拒否に対抗する、アメリカの「対抗的中国封じ込め戦略」(2012年「米国国防指針」)ということである。
(3)しかし、これは単なる第1列島線への封じ込めには留まらない。このエアシーバトル構想は、また「ネットワーク化され、統合された部隊による縦深攻撃で、敵部隊を混乱、破壊、打倒すること」(2013年「エアシーバトル室」から)でもあり、縦深攻撃とは、中国本土への攻撃。中国の戦略軍司令部の破壊まで想定したものである。
(4)明らかなとおり、このエアシーバトル構想が発動されたとするなら、戦争が「東中国海」という地理的制限はおろか通常型の戦争に限定されることもあり得ない。この戦争は、不可避的に米中を中心とする通常型の世界戦争から核戦争にまで発展することは不可避だ。
(5)したがって、この対中戦争を限定する、世界戦争への閾値を低くする戦略が打ち出されることになる。それがオフショア・コントロールというものであり、事実上、エアシーバトル戦略を修正したものだ。
(6)オフショア・コントロール戦略とはどのようなものなのか。この構想は、まず第1段階として米国と同盟国の共同の航空力・海軍力を行使して、中国の石油・天然ガス・貿易などの海上輸送を遮断し、中国商戦の同国の港への出入りを阻止・封鎖することが初期の戦略だ。
(7)中国の世界貿易のほとんどを占める、アジア太平洋地域・インド洋地域への輸出入を封鎖し、中国の海上交通・海上貿易を完全に遮断するということだ(例えば、中国は国内総生産の50%を輸出入に依存し、石油輸入量の78%、海外貿易の85%が海上経由)。オフショア・コントロールの戦略は、中国が遠洋での戦闘能力(渡洋能力) を保有していないことが前提になっている。現実に中国は、この遠洋能力の開発に必死になっており、南沙諸島の軍事化もその一つと言える。
(8)オフショア・コントロールは「海洋拒否戦略」、あるいは「海洋限定戦争」と称するように、このような経済封鎖だけには留まらない。これは、米軍と同盟国軍による海洋遠隔地のコントロールから始まり、次には中国近海全域で中国海軍艦艇・商船を撃沈し攻勢に出るとされる。
(9)オフショア・コントロールの作戦の目標は、第1列島線内に無人地帯を作り出すことに置かれ、「琉球諸島の小さな島々、フィリピン群島の一部、さらには韓国沿岸に配備された対艦ミサイルと水中監視システムを組み合わせることにより、攻撃的な対潜水観戦は、中国海軍の水上艦艇ならびに潜水艦が第1列島線を突破し、西太平洋の広大な海域に打って出ることを、きわめて困難にする」ということだ(以上はアーロン・フリードバーグ著「アメリカの対中戦略」芙蓉書房)。
(10)いずれにしても、この島嶼防衛戦略は、「第1列島線に無人地帯」を作り出し、中国のA2/AD能力を無力化するのが目標であり、この戦略構想にとっては、第1列島線ー琉球弧は、まさに、「天然の障壁」であり、対中国への「万里の長城」として存在するということだ。
(11)オフショア・コントロールの戦略がエアシーバトルと異なるのは、核戦争へのエスカレーションを防ぐために、「戦闘行為の範囲と持続期間を十分に低くするということ、中国政府が目的遂行のため、最後の審判の日の武器を使用することに賛成しない程度に、十分に抑制的である」とすべきとし、「米政府にとっては、展開兵力の種別や量について、核の閾値以下に留めることが肝要となる」とすることだ(米海軍大学教授、トン・ヨシハラとジェームズ・R・ホームズ『海幹校戦略研究』第2巻第1号増刊2012年8月)。
(12)彼らは、また米国の戦略策定者は、作戦目標について、米軍の同盟国支援のためには、中国人民解放軍に多大な出血を強要するような派遣ではなく、「海軍力により孤立化させ得る、敵領域の明確な一部への影響力使用また確保のための限定作戦」とすべきであるとし、この「海洋限定戦争」を提唱するのである。
(13)このような戦争が、「海洋拒否戦略」、あるいは「海洋限定戦争」と称され、まさしく「自衛隊を主力」として行われる戦争である。(日米ガイドラインは、「日本の防衛」のためには自衛隊を主力とし、米軍が自衛隊を支援し保管するとして定めている)。


Ⅵ.日本のこれから


(1)島嶼防衛戦争の「戦略目標」が米軍による同盟国支援(自衛隊)のために、中国に多大な出血を強要するような派遣ではなく「海軍力により孤立化させ得る、敵領域の明確な一部への影響力使用また確保のための限定作戦」であるということは、中国のA2/AD能力とも相まって、究極的には、「先島諸島限定戦争」(奄美大島を含む「島嶼戦」)として想定されるということだ。
(2)この戦禍を避ける唯一の方法は、先島諸島の住民たちが今こそ「無防備都市(島)宣言」を行い、一切の軍隊の配備・駐留を拒むことだ。もともと、先島諸島には、戦後71年にわたって軍隊はほとんど駐留していなかったのであり、何事もなく平和が保たれてきたのだ。だからこそ、島民たちは、無防備都市を宣言する権利を持つのである。


 小西のこの第4章から受け取るべきものは、次のものである。


Ⅰ.現在始まっているのは、南西重視戦略による自衛隊部隊の約1万人に近い規模の巨大な増強態勢であり、すでに配備されている沖縄本島の部隊と併せて、約2万人規模の「事前配備」態勢である、ことを把握すること。
Ⅱ.陸自の構想する、3段階作戦で特徴的なのは、この作戦計画があらかじめ「敵による島嶼草書占領」を前提にしていることであり、その後の「奪回」を戦略としていることだ。これは、「島嶼の防衛」は、基本的には不可能ということ。
Ⅲ.自衛隊の各島に配備された対艦・対空ミサイルは、中国艦艇・航空機の通峡阻止のための先陣をきることになる。しかし、同時に、中国本土から撃ち込まれる弾道ミサイル・巡航ミサイルも激しく島嶼を攻撃し、島嶼部に置かれた地上目標、固定目標は、一瞬のうちに破壊される、ということについてきちんと把握すること。。
Ⅳ.自衛隊が想定しているのは、あらかじめ中国の島嶼占領を前提とした「島嶼奪回」作戦である。そのために、水陸機動団などの海兵隊の編制が行われようとしていること。
Ⅴ.繰り返される島嶼防衛戦は、彼我双方の対着上陸戦闘・着上陸戦闘を何度も繰り返すことによって、先島ー南西諸島の島々を破壊尽くし、一木一草も生えない焦土と化してしまうこと。
Ⅵ.このエアシーバトル構想が発動されたとするなら、戦争が「東中国海」という地理的制限はおろか通常型の戦争に限定されることはあり得ないため、この戦争は、不可避的に米中を中心とする通常型の世界戦争から核戦争にまで発展することは不可避だということ。
Ⅶ.この対中戦争を限定する、世界戦争への閾値を低くする戦略が打ち出されることになる。それがオフショア・コントロールというものであり、事実上、エアシーバトル戦略を修正したものだということ。
Ⅷ.この戦禍を避ける唯一の方法は、先島諸島の住民たちが今こそ「無防備都市(島)宣言」を行い、一切の軍隊の配備・駐留を拒むこと。もともと、先島諸島には、戦後71年にわたって軍隊はほとんど駐留していなかったのであり、何事もなく平和が保たれてきたのであるから、島民たちは、無防備都市を宣言する権利を持つことを知ること。


 この小西の第4章で把握できたことは、日米ガイドラインの「『日本の防衛』のためには自衛隊を主力とし、米軍が自衛隊を支援し保管する」、ということの意味は、「自衛隊は、エアシーバトル構想やオフショア・コントロール構想の唱える『海洋拒否戦略』『海洋限定戦争』という戦略のなかで、自衛隊が、中心になって戦争を行う」、ということである。
 また、この中で、南西諸島-琉球弧は、日米両政府の思惑の中では、まず初めに壊されるということが前提としてあるということである。




by asyagi-df-2014 | 2017-11-05 09:25 | 本等からのもの | Comments(0)

沖縄タイムスの「高江ヘリパッド刑事裁判(上・中・下)」を読む。

著書名;「高江ヘリパッド刑事裁判(上・中・下)」
著作者:森川 恭剛
出版社;沖縄タイムス


 沖縄タイムスは2017年10月15日(電子版)、森川 恭剛琉球大学教授(以下、森川)の「高江ヘリパッド刑事裁判」を一括で掲載した。
 これを読む。


Ⅰ. この事件の事実経過(何が起きたのか)は森川によると次のものである。
(1)昨年8月25日、国頭村と東村の村境の旧林道(沖縄防衛局の呼ぶFルート)南端に設営されたN1裏テント内で、防衛局職員(当時42歳)が暴行を加えられ、負傷させられた、とする刑事裁判が那覇地裁に係属中である。6人が逮捕され、A、山城博治、添田充啓の3人が起訴された。公務執行妨害罪と傷害罪の共同正犯の疑いである。今年7月27日、分離公判のAに対して懲役1年6月執行猶予3年の判決が出た。Aは控訴した。(2)8月28日の第9回公判で、山城は次のように述べた。
 昨年7月22日の違法行為(N1ゲートのテント等の強制撤去)を沖縄防衛局に繰り返させないために、現場責任者である同局職員から来訪目的を聞く必要があった。そこで「行こうよ」といって職員の背中を押して2、3メートル先のテントに向かい、入り口付近の人々に「入れなさい」と伝えた。足元の鉄パイプにつまずき、倒れ込むようにしてテント内に入った職員が立ち上がると、腕に抱えた書類を「見せなさい」と告げ、さらに職員を落ち着かせるため、その肩に触れて「座りなさい」と言った。しかし職員が応じなかったのでテントの外に出た。遅れて出てきた職員が書類を取られたというので、周囲の人々に「返しなさい」と伝え、2、3分後に書類が返却された。これは何ら犯罪ではない、と。
(3)これに対して検察官は、山城が職員の背中を押し、肩に触れた行為が暴行であり、また、山城が「入れなさい」「見せなさい」と発言したことで共謀が成立したのだから、首謀者は彼であるとみなすようである。


 このことについて、森川は「事実認定に疑問」、と次のように指摘する。
(1)Aに対する有罪判決を検討してみよう。Aの弁護人は、職員の公務は適法ではなく、職員の負傷の事実は疑わしいと主張した。またAは共謀の事実を否認した。これに対して裁判所の事実認定は次のようなものだった。
(2)Aは、山城および添田らと共謀の上、(1)職員の身体を押すなどして、Fルート上に設置されたテント内に同人を押し込んだ上、同人を地面に転倒させ、その両肩付近や両足をつかんで押さえつけ、さらに、(2)同人の右前腕部を強くつかんで引っ張り、同人が右腕に抱えていた前記職務に関する書類等からその腕を引きはがして同書類等の使用を困難にし、引き続き、(3)同人の背中を押してテントから押し出すとともに、同人の左肩付近をつかんで激しく揺さぶるなどし、もって、公務員が職務を執行するに当たり、これに対して暴行を加えるとともに、その暴行により、同人に加療約2週間を要する右上肢打撲傷等の傷害を負わせた。
(3)これを普通に読めば、(1)(2)(3)はすべてAが1人でしたことであり、山城と添田は単なる共謀者である。判例では、共同正犯の役割分担は明記しなくてもよいとされているので、大まかに事実認定したのだろう。しかしAと山城両名の起訴状では、(1)は両名ら(不起訴の者を含む6人)、(2)はA、(3)は山城の行為であると記されていた。このうち(3)の行為があったことについて、山城と添田の裁判で、検察官は立証できていない。それゆえ(3)については、裁判官に事実誤認があり、Aの控訴理由の一つになる。
(4)添田の関与についても同じことがいえる。(1)の行為の中に「両肩付近や両足をつかんで押さえつけ」とある。職員によれば右肩と左肩の付近をつかんだのはそれぞれ別人であり、それはAではなく、また、両足をつかんだのは添田であるという。しかし添田は関与を否定し、同様にAも、山城と添田の第8回公判で、添田の関与を否定する証言をした。さらに職員自身も、第7回公判で、両足をつかまれたのは2、3秒間だが、誰がつかんだかを見ていないと証言した。つまり添田の犯行を裏付ける証拠は何もない。


 次に、森川は、「共謀はあったか」と「最大の争点とは」について指摘する。
(1)実はAの弁護人は、低額の罰金刑が相当であるとする求刑意見を述べており、暴行の犯罪事実を認めていた。結果的に職員の書類が奪われているからだろうか。しかし、書類を取ること自体は暴行ではない。それゆえAは、書類から職員の右腕を「強くつかんで引っ張り」「引きはがした」と認定された。私はこれを読み、ゲート前の座り込みでは、腕を引きはがされて強制排除されるのは日常茶飯であると思わざるを得なかった。
(2)それはさておき、右腕打撲傷があったとすれば、おそらく原因はこの行為であり、したがって本件暴行とは主にこれを指すだろう。問題は、山城が職員に書類を「見せなさい」と述べ、山城があきらめてテント外に出た後で、Aが職員から書類を取ったが、この経緯のどこに、犯行の共謀を認めうるのかである。Aが書類を取ったのは、山城の職員に対する言葉をAが誤解したからであり、ゆえにAは共謀を否定するのではないか。
(3)しかし本件の最大の争点は、この書類取り上げの行為が、はたして犯罪になるのかである。昨年7月22日、Fルート入口(N1ゲート)の封鎖が解かれた。第5回公判で職員は、沖縄防衛局がテント、沖縄県警が車両を強制撤去すると示し合わせて実行したと証言した。「怒りたけった輩が襲いかかった」「この国はどこまで暴走するんだ」「私の恐怖のトラウマである」と山城は供述した。県外からの機動隊派遣は沖縄防衛局の要請に基づく。このように警察力を借りてヘリパッド移設事業は強行された。はじめにこれが不正ではなかったか、と問う必要がある。


Ⅱ.森川は、「県外からの機動隊派遣は沖縄防衛局の要請に基づく。このように警察力を借りてヘリパッド移設事業は強行された。はじめにこれが不正ではなかったか、と問う必要がある。」について、チッソ水俣病川本事件における公訴権の濫用判決から次のように考察する。


(1)水俣病患者である川本輝夫らは、1971年12月から20か月にわたり、被害補償等についてチッソ社長と直接交渉するために、東京の本社前で座り込みを続けた。患者らは社長との面会を求めるが、従業員らがこれを阻止し、激しく衝突することがあった。そして事件が起きた。川本が従業員らの腹部を手拳で殴打し、噛(か)みつくなどし、おのおの全治1、2週間の傷害を与えたとして起訴された。1審は罰金5万円、異例の低額罰金刑の判決である。しかし控訴審がこれを破棄した。公訴権の濫用(らんよう)、つまり検察官の起訴自体が無効であると判断した。
(2)控訴審判決はこう述べた。およそ、検察官がある事件を立件し刑事処分を求めるに当たっては、当該犯罪の動機、原因、背景的事実を捨象して現象面のみを見ることは皮相である。水俣病の被害という比較を絶する背景事実があり、自主交渉という長い時間と空間のさなかに発生した片々たる一こまの傷害行為を、被告人らが自主交渉に至らざるを得なかった経緯と切り離して取り出し、それに法的評価を加えるのは、事の本質を見誤るおそれがあって相当ではない、と(東京高裁昭和52年6月14日判決)。
(3)残念ながら検察官が上告し、最高裁は公訴権濫用論をしりぞけた。それは「たとえば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られる」と。しかし、高裁判決を「破棄しなければ著しく正義に反するものとは認められない」と述べて上告を棄却した。つまり川本の行為は犯罪にはあたらない、とする司法判断が確定した。


 森川は、「片々たる一こまの行為を取り出して違法評価することはむなしい。前例のない公害事件の加害企業と被害者。生活基盤と健康を奪われ、その圧倒的に対等ではない力関係によって押しつぶされないために抗うぎりぎりの方法。それが自主交渉であり、そこに正義があるとするのでなければ、法は存在理由を失う。加害企業側との衝突において、被害者側の行為だけを問題視すれば法は枉げられる。」、と指摘する。
 当然のことに、「『水俣病の被害』を『沖縄戦と戦後70年の基地被害』、『自主交渉』を『ゲート前座り込み』にそれぞれ置き換えてみよう。さもなければ『事の本質を見誤る』。
、と続ける。


 あわせて、森川は、「国は被害者か」「軍事的に犠牲」、と論理を展開させる。
(1)沖縄防衛局のヘリパッド移設事業に反対し、高江で座り込みをした者らの中には警察車両に轢(ひ)かれた者、機動隊員に骨折させられた者、小指を5針縫うけがをさせられた者などがおり、あざがでる程度の負傷者は数え切れないだろう。それゆえ、1人の防衛局職員のあざだけを特別視することはできない。問題は、なぜ高江はそうなってしまったかである。
(2)その答えは簡単である。日本国政府は「日米同盟関係の強化」という日米安全保障条約上の目的を追求するために、ヘリパッド移設事業の完成を急いだ。極端な工期短縮のため、沖縄防衛局は警察力を借りて抗議行動を抑え込み、工事を強行した。
(3)しかし沖縄防衛局は私企業ではなく、国の行政機関である。公務員は適法に職務を執行するものと期待される。その公務が妨害されるならば、被害者は国である。それゆえヘリパッド移設事業を妨げる行為は犯罪であると疑いをかけられ、刑罰法令が適用される。
その四つの方法がある。(1)沖縄防衛局の基地建設事業を保護するために公務執行妨害罪や威力業務妨害罪を用いる。(2)基地内の工事現場を保護するために日米地位協定の実施に伴う刑事特別法2条を用いる。(3)道路上の運送業務を保護するために道路交通法上の罰則を用いる。(4)基地建設事業の警備業務をする警察官の職務を保護するために公務執行妨害罪を用いる。
(4)こうして1人の防衛局職員の負ったあざを理由に刑事裁判が争われる。違法は沖縄にあり、正義は日本国政府にある。ヘリパッド移設事業の目的は「沖縄県民の負担軽減」に他ならない。この論理は普天間飛行場移設事業でも同じである。
(5)このように政治権力がうそぶくとき、法は公平・中立を装い、差別の道具になってきた。


 この上で、森川は、本事件の背景を次のように規定し、この事件があぶり出したもの、つまり日本政府の欺瞞性を突く。
(1)本件の背景事実は、沖縄戦の惨禍と延々たる基地被害という比較を絶する歴史である。その原因が、日本国の防衛のために軍事的に沖縄を犠牲にするという差別的な政治選択にあることは、歴史学的にも政治学的にも十分に論じられてきた。しかし、単なる基地返還による負担軽減ではなく、新たに森を切り開き、海を埋め立て、基地を県内移設し、県民に基地被害を与え続けるのは、日本国政府が平和主義の名の下に軍事目的を追求しているからである。
(2)憲法体系と安保法体系の矛盾を沖縄に放り込み、蓋(ふた)をしてきたように、沖縄防衛局の工事強行という不正に蓋をするために、県民らを被告席に立たせる。違法工事と不当逮捕を両輪として基地移設事業が推進される。そして沖縄のためであるという。ここに欺瞞(ぎまん)と侮辱と不正がある。
(3)今や日本国政府は、集団的自衛権を認め、憲法9条を改正して沖縄の矛盾を解決しようとする。沖縄こそは、日本で最も国際的安全保障に軍事的に貢献する積極的平和主義の島である、と。これは法を超える権力の暴力である。こうして防衛政策によって軍事的に犠牲を強いられ、法的に差別被害をうけてきたのは沖縄である。


Ⅲ.森川は、裁判所に、裁判官に「沖縄県民の負担軽減のための基地移設事業が妨害されたとして、県民とその支援者が逮捕され、訴追される。しかし、これは逆ではないか。高江や辺野古では沖縄県の意思に反して基地建設が強行され、負傷させられた者も少なくない。裁判官はこの不正(差別被害)を直視せねばならない。」、と説く。
 森川は、次のようにこの事件を総括する。
(1)沖縄防衛局は、職員(当時42歳)が暴行を加えられ、負傷させられたとする昨年8月25日の事件当日、林野庁から使用許可を得たFルート(旧林道)と農道の境界にフェンスを設置し、さらに被告人らの使用するテントを撤去する予定を立てていた。テントは、その境界のFルート側にあり、ちょうど境界線上に出入り口を設けていた。それは工事用車両の通行の妨げになっていたという。それゆえ沖縄防衛局は境界明示用のフェンスを設置し、テントの出入りを不能にした上で、これを撤去しようと考えた。しかし、「本件が発生したことで、フェンスの設置すらできなかった」。つまり被告人らは、フェンス設置という職務を妨害した。このように被告人Aに対する有罪判決は述べた。
(2)しかし本件自体は2、3分間の出来事であり、本件とフェンス未設置の因果関係は明らかではない。沖縄防衛局はフェンス設置のためにテント出入り口付近に人垣を作るなどしていたが、その人垣が崩れたために、テントは出入り可能になり、本件がテント内で起きた。本件の発生前に、すでにフェンスは設置困難になっていた。なおAの公判供述によれば、その人垣の奥で、防衛局職員は単管パイプやテント部品を取り外し、テント撤去に着手していた。
(3)判例によれば、公務員に加えられる暴行・脅迫は職務執行の妨害となるべきものであれば足り、現実の妨害結果を要しない。それでも前述の判決が、設置妨害の結果に言及したのは、フェンス設置とテント撤去を分離し、沖縄防衛局は前者の職務を適法に遂行しようとしたにすぎないとする趣旨だろう。つまり、テントの強制撤去の適法性に関する判断を回避したかったのである。こうして裁判所は沖縄防衛局の違法工事に蓋(ふた)をして不当逮捕を追認した。
(4)しかし判決も認めるように、「テントの撤去に至る可能性はあった」。それゆえ職務の適法性に関する錯誤の論点が残る。被告人らは、テント撤去は違法だと考え、それを恐怖していたので、防衛局職員らの来訪目的を問いただす必要があった。だから書類を「見せなさい」と求めた。
(5)昨年7月22日に強制撤去されたFルート入口(N1ゲート)のテント等は、北部訓練場内の共同使用区域(県道70号線)にあった。それゆえ基地の「提供」に関する事務をつかさどる防衛省は、道路法上の代執行の手続きを経ることなく、強制執行する職務権限があると考えた。基地に対して米軍が万能の権限をもつように、防衛省が共同使用区域の「排他的使用権」をもつと解するならばそうだろう。それは防衛省が主権免除の超憲法的な特権を手にするということである。
(6)これに対して本件8月25日のN1裏テントは、基地内にあったのではない。それゆえ沖縄防衛局は行政代執行の手続きを要した。しかし工期短縮のために裁判を待つ時間がないので、フェンスを設置し、Fルートを立ち入り禁止にした上で、テントを撤去しようとした。この一連の段取りが刑法的保護に値しない法的瑕疵(かし)を有することは一目瞭然である。
(7)沖縄防衛局の違法行為をもう一つ指摘する。テント撤去を諦めた沖縄防衛局は、N1裏テントから北に約100メートルのFルート上に、本件と同日、バリケードを設置した。従来は、さらに数百メートル進んだ地点に米軍が立ち入り禁止の標識を設け、その先からが立ち入り禁止区域であると標示していた。そして沖縄防衛局は、バリケート上に次の内容の警告札を貼付する。許可なき立ち入りは日本国法令により処罰される、と。作成名義は「海兵隊太平洋基地」である。この警告札は沖縄防衛局が代理作成したものだろう。一般的に防衛省にはその代行権限がある。しかし、バリケード設置場所が明らかに基地の外側なのであれば、そこに米軍作成名義の警告札を掲示してはならないはずである。
(8)1953年の日米合同委員会刑事裁判管轄権分科委員会の合意事項8は次の内容である。米軍が使用する基地であって、立ち入りを禁止する区域の境界は、「許可なき立ち入りは日本国法令により処罰される」旨を記した標識等を設けて明確にされねばならない。
つまり米軍は、立ち入り禁止区域を設定する権限を与えられるが、他方でその境界明示のために標識等を設ける義務がある。後者は刑罰法令の明確性原則の要請である。したがって沖縄防衛局は、日本国民等(米軍法に服しない者)の立ち入りを禁止するという米軍の意思に基づき、基地境界に前述の警告札を掲示できる。しかし、沖縄防衛局の意思に基づき、例えばヘリパッド工事現場への立ち入りを禁止するために、米軍名義を冒用して日本国法令、つまり地位協定の実施に伴う刑事特別法2条違反の警告を発することはできない。それをすれば、公務員がその職権を濫用(らんよう)して、人の権利の行使を妨害することになる。これは犯罪行為である。


 森川は、「ヘリパッド移設事業は違法工事と不当逮捕を両輪として強行された。被告席に立つべきは国である。しかし、これに抗議した3人の行為が罪に問われている。日本国の法が被告人らを苦しめているだろう。法が差別の道具になっているのである。しかし基地移設事業に立ち向かわなければ、軍事的に犠牲を強いられる沖縄差別は終わらない。」、と結ぶ。


 実に重たい事実である。
「基地移設事業に立ち向かわなければ、軍事的に犠牲を強いられる沖縄差別は終わらない。」、とは日本人全体に向けられた問いかけである。




by asyagi-df-2014 | 2017-10-27 07:57 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「在日米軍」

著書名:「在位米軍」
著作者:梅林宏道
出版社:岩波新書



 梅林宏道さん(以下、梅林とする)の「在日米軍」は、在日米軍及び在沖米海兵隊の実態とこれ方のあり方ををつまびらかにします。
 梅林は、「軍事同盟の色彩が強まっている日米安保体制の趨勢を非軍事的な安全保障体制へと転換させることはどのように可能なのか」、という視点から、在日米軍の問題を捉えます。
 また、安全保障という観点から、日本における在日米軍及び在沖米海兵隊の状況を、次のように描いています。


(1)安全保障という観点からの日本の状況


①「ジョージ・W・ブッシュ米大統領が始めた対テロ戦争は米国の予想をはるかに超えて今も続いている。戦争の負担は財政難を招きつつ米国全体にますます重くのしかかっている。米国からの軍事協力の要求に特別措置立法によって対処してきた日本政府は、安保法制によって状況を一変させた。今や米軍のみならず他の外国軍に対しても自衛隊による海外軍事支援が恒常的に可能になった。中国は世界第二位の経済大国となり軍事力の海外展開能力を急速に強化した。北朝鮮は五回の核実験を経て核武装国家になった。」 
②「『日米同盟』という言葉が、メディアでは日常的に使われるようになった。人々はこの言葉をあたかも『緊密で良好な日米関係』という位の意味合いで理解している。しかし、この言葉の本質的な意味は『日米軍事同盟』である。その意味は一九八一年の鈴木(善幸)・レーガン首脳会談の共同声明で初めてこの言葉が使われた時から何も変わっていない。」
③「日本戦後の平和主義には二つの恥ずべき側面が存在してきた。一つは、『専守防衛』と言いながら在日米軍の攻撃力に依存していること。もう一つは、『唯一の被爆国』と言いながら米国の核兵器で日本を守っていること。」


 この上で、「軍事力に依存しない安全保障が、現実の国際政治のなかで可能であることが、もっともっと具体的に語られるべきである。そのような軍事力に依存しない安全保障が有効性を発揮するメカニズムについて、私たちの構想力がますます問われている。」、と本書の目的を明らかにしています。


(2)米軍海外基地の正体


①「米軍の世界展開が可能になるには、このような責任区域を持った軍組織が存在するだけでは不十分である。軍展開の拠点となる海外基地の存在が不可欠である。米国総務省の資料によると、二〇一四年九月三〇日現在、米軍は米州・領土以外の海外に八七か所の基地を持っている。比較のために揚げると米州・領土に存在する米軍基地数は四二六八か所である。一二%以上の基地を領土外に置いていることになる。」                                                           ②「トップ4はドイツ(一七七)、日本(一一六)、韓国(八四)、イタリア(五〇)である。この4か国で全世界の米海外基地の約四分の三を占める。・・・四つの国になぜ米軍基地が多いのか?その理由は明らかであろう。ドイツ、イタリア、日本はいずれも第二次世界大戦において敗北した枢軸国であり、戦後、占領国としての米軍の支配下にあった。朝鮮半島は戦時には日本の植民地支配下にあり、連合軍の分割統治によって三八度線以南に生まれた韓国は米軍によって占領された。つまり、米軍基地の出生の正体は敗戦国への米軍駐留であり、その既得権を米国は今も手放さないのである。」


(3)日米軍事協力のグローバル化


①「今日の日米安保体制にはもう一つの重要な特徴がある。それは、日米安保体制下における日本の軍事的な役割と責任もまたグローバルに拡大しているという事実である。日本の軍事協力が行われる地理的範囲は、『日米防衛協力のためのガイドライン』の改訂とともに拡大されてきた。米軍はガイドラインを明確化することによって、『在日米軍基地の安定的確保』と『自衛隊の役割の強化』という二つの目的を追求してきた。このうち自衛隊の役割分担への要求は、米軍の財政難が増大することと比例して強まっていった。二〇〇一年の同時多発テロ以後、米国の要求はいっそう顕在化している。アーミテージ国務副長官の言葉として紹介される『ショウ・ザ・フラッグ』『ブーツ・オン・ザ・グランド』といった言葉が、そのような米国の圧力として知られている。」
②「一九七八年の最初のガイドラインが策定された時には、日本の防衛のために自衛隊と米軍の役割分担を明確にすることが主たる目的であった。一九九七年のガイドラインの改定は、冷戦後の日米安保再定義にともなう改訂であった。・・・二〇一五年の改訂では、安倍政権の戦後日本の平和体制を否定する政策と軌を一にして、日米軍事協力の分野は地理的にも内容的にも一気に拡大した。ガイドラインの目的に、日本防衛に加えて、『アジア太平洋地域及びこれを超えた地域が安定し、平和で繁栄したものとなる。』という目的が明記されたのである。結果として、日本の自衛隊と米軍との協力は地理的に無制限となった。」


(4)平和観が異なる国の間の軍事条約及び軍事条項


①「現在、米軍が日本に恒常的に駐留する法的根拠は、一九六〇年に改訂された新安保条約にある。・・・日米安保条約は、憲法上安全保障についての考え方をまったく異にする国どうしが、その違いの本質について、二国間の踏み込んだ議論を経ることなく、便宜主義的に締結された条約となった。」
②「日米安保条約は在日米軍の役割を、安保条約の第5条、第6条に定めている、」
③地位協定第五条:「各締結国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続きに従って共通の危機に対処するように行動することを宣言する。(以下略)」
④地位協定第六条:「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される。」


(5)地位協定と米軍基地


①「安保条約第六条で規定されている『施設及び区域』(いわゆる米軍基地や訓練区域)の日本国内の法的地位を定めるために、日米安保条約と同時に『地位協定』が結ばれた。地位協定の正式名称は『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定』である。」
②「地位協定によると、米軍基地の法的地位は次の三種類に分類される。
1 米軍が管理し、米軍が使用する施設・区域(地位協定第二条1(a))                            2 米軍が管理し、米軍が使用しない時に日本政府(自衛隊など)が共同使用できる施設・区域(同第二条4(a))                      3 日本政府(自衛隊など) が管理し、米軍が一定条件下で共同管理する施設・区域(同第二条4(b))                           通常、1と2の施設・区域が米軍基地と呼ばれる。」
③「二〇一七年一月一日の時点で七八か所の基地があり、都道府県別では沖縄三一、神奈川一一、長崎一〇、東京六の順となる。」
④「米軍基地の総面積は二六三.六平方キロメートルを占め、これは東京都の総面積の約一二%、大阪府の約一四%に相当する。都道府県別の面積では、沖縄が日本全体の約七一%と圧倒的に多く、青森九%、神奈川六%、東京五%の順となる。」
⑤「地位協定は、米軍基地の返還義務について、『この協定の目的のため必要でなくなったときは、いつでも、日本国に返還しなければならない』(同第二条3)と書いている。したがって、冷戦終結のような大きな緊張緩和の情勢を受けて、日本政府にその意思があれば、日米合同委員会において基地削減を求める理由は充分に存在し、強力な交渉が可能であった。そうした意思の欠如はまた、個々の基地を提供する理由や期間について明示的な記述がないという、地位協定そのものの弱点を是正する努力をも欠如させている。たとえば、北大西洋条約機構(NATO)軍のドイツにおける地位を定めた『ドイツにおけるNATO軍地位協定の補足規定』(『ボン補足規定』。(一九五九年署名、一九九三年大幅改正)は、個々の基地の使用期限の明記、その必要性の再点検を申し出るドイツ側の権利の明記など、ドイツの権利が強く主張されている。」


(6)思いやり予算


①「地位協定は、『日本国に合衆国軍隊を維持することに伴うすべての経費は、・・・日本国が負担すべきものを除くほか、・・・日本国に負担をかけないで合衆国が負担する』(第二四条1)と定めている。ここで例外とされているのは、施設・区域そのものとアクセスする権利の無償提供である。基地の地代や地主への補償費を日本が負担する以外は、すべての基地維持費用を米軍が負担するという約束がなされているのである。しかし、一九七八年以降、特別協定の導入を繰り返しながら、日本政府はこの条項を空洞化させていった。当時の金丸防衛庁長官が口にした文言から命名された『思いやり予算』の登場である。」
②「最初は、基地に働く日本人従業員の労務経費の一部負担に始まり、代替施設建設費、軍人・家族の生活改善施設(そのなかにはアッロビクス教室、ビリヤード場、映画館などがある)、そして、作戦施設とも言うべき滑走路や戦闘機格納庫の建設費まで、日本の予算、つまり私たちの税金で支出されるように拡大されていった。これら施設関係費の経費は総称して提供施設整備費と呼ばれる。」
③「一九八七年からは、新たに『地位協定第二四条についての特別措置協定』という枠組みが設けられた。この中身も八七年(八八年に一部改定)、九一年、九五年と協定が改められるごとに、基地従業員労務費から、光熱水料、訓練移転費へと『思いやり』の適用範囲を拡大していった。二〇〇一年四月から発効した新協定(二〇〇〇年に締結)で初めて、国民世論の批判と財政事情の悪化の下で、この異常な拡大に抑制が加えられている。しかし、特別措置協定を結んでの『思いやり』は継続され、二〇〇六年、二〇〇八年、二〇一一年、二〇一六年に協定が更新された。日本に民主党政権が誕生したこともあって、二〇一〇年、この方式についてようやく包括的な見直しが行われた。二〇一一年の協定以後は、五年間の措置に合意する方式がとられるとともに、特別措置の方針についての大枠が定められた。その結果、協定の内容は以前より抑制的はなっているが、米軍再編に関係する部隊や訓練の移転に関する費用負担についての制約は甘く、米国の要求への日本の追随的姿勢は変わっていない。」


(7)SACOと沖縄


①「SACOは、九五年一一月に村山首相・ゴア副大統領の会談で設立された。そして、『日米安保共同宣言』の二日前というタイミングを狙って中間報告を発表し、九六年一二月に最終報告を提出して解散した。その目的は、『日米安保条約の目的達成との調和を図りつつ』、沖縄に集中している在日米軍の施設・区域の整理、統合、縮小を進めるための方策をまとめることであった。」
②「SACO最終報告には、共同使用の解除を含めた土地の返還一一件、訓練及び運用の方法の調整三件、騒音軽減の措置の実施五件、地位協定運用改善九件、合計二八件が含まれた。しかし、土地の返還のほとんど移設条件つきであり、目玉とされた普天間飛行場の返還は、基地のない場所に、新たな基地を建設する提案であった。SACO合意がすべて実行されても、沖縄の基地面積は二割減るだけである。沖縄基地の負担軽減はSACOによっては達成されないことが数年のうちに明らかになった。二〇〇一年には、沖縄県議会は海兵隊の兵力削減を求める決議を初めて全会一致で採択し、知事も公式に政府に要請した、」
③「普天間飛行場の代替施設建設計画は、基地から解放される地域と新たな基地負担を強いられる地域との間に、また、新基地建設と引き換えに地域振興のアメをふるまう政府の方針を、不況下にやむを得ず受け入れようとする者と拒否する者との間に、深刻な分断をもたらした。『日本の安全保障』という大義名分のために、沖縄社会にのみ重圧を加える差別構造が再生産されているのである。紆余曲折の末に、九九年末に日本政府は「キャンプ・シュワブ沖に軍民共用空港を建設する』という代替施設に関する方針を閣議決定した。また、二〇〇一年末には、建設場所をリーフ(珊瑚礁の浅瀬)上とすることに一度は政府と地元の合意を見た。」
④「しかし、沖縄県が求める『一五年の使用期限』の問題、ジュゴン保護など環境問題、工法など、鍵となる問題が未解決のまま残された。」


(8)沖縄海兵隊は必要か


①「沖縄への海兵隊の前身配備必要論者がこれまでにあげてきた理由を整理すると。次の五点のどれか、あるいはそれらを複合したもにになっている。
1.朝鮮半島、台湾海峡、南沙(スプラトリー)諸島など東アジアに戦争の危険がある。米軍の緊急対応体制を保持することが戦争の 抑止になる。
2.インド洋、ペルシャ湾地域への米国駅防衛のための緊急展開に必要である。
3.米軍が撤退すると力の空白ができる。それは地域の軍備競争を生み出し、不安定要因となる。
4.日本自身の軍事大国化を抑制する役割を果たしている。
5.米国防費の抑制のなかで、米戦略が求める前進配備兵力を維持するには、財政負担を軽減できる日本への駐留が合理的である。」
②「沖縄に海兵隊を前進配備する軍事的理由はない。本質は財政的理由であり、それと絡む日米関係にかかわる政治的理由である。普天間代替基地の必要性を東アジアでの戦争抑止力や海兵隊の緊急展開力から主張する議論は根拠に乏しい。」


(9)「東アジア緊急対応」論への反論


①「朝鮮半島に関していえば、暴発的あるいは暴走的軍事衝突の可能性が仮にあったとしても、長期的戦争になる可能性は極めて少ない。いずれの場合も、圧倒的な軍事的優位を持つ米韓合同軍が十分に対応できる。必要ならば、米本土から応援がくる体制を見せることで抑止力を強化できる。」
②「台湾海峡に関していえば、上陸作戦を任務とする海兵隊が必要とされるような局面が緒戦に起こることはない。たとえば、一九九六年三月から四月に台湾海峡の緊張に対応して、米軍は大規模な軍事作戦を展開した。空母インデペンデンスと空母ニミッツの二個空母戦闘団を投入した極めて政治的な示威と、地域ミサイル防衛体制のための訓練という軍事的な実利を狙った作戦であった。しかし、海兵隊の関与はなかった。」
③「南沙諸島に関しては、日米安保体制で、カバーすべき領域ではないという問題がまずある。それを別としても、米国と中国の間での軍事衝突を避けるための外交がもっとも現実的な対応にならざるをえない。不幸にも軍事的なエスカレーションがあったとしても、米国は南沙諸島の領土問題には関与できず、航行の自由の観点からの対応に限定せざるをえない。海兵隊の出る幕は想定しにくく、抑止力にもならない。沖縄海兵隊必要論者の多くも、アジア太平洋全域のための汎用部隊という位置づけであり、東アジア情勢を強調する議論は少ない。」
④「一九九一年、米議会の会計検査院(GAO)の報告書『軍事プレゼンス-太平洋における米軍』は、沖縄の海兵隊についてほとんど同趣旨の位置づけを行っている。                                                 『(日本にいる)太平洋海兵艦隊の海兵隊は、ほとんど沖縄に配備され、二万一六三一人を擁する第第Ⅲ海兵遠征軍に所属している。日本にはいるが、その部隊は責任を持つ太平洋戦域の内にも外にも緊急配備されうるものである。』                    しかし、現実には、沖縄海兵隊がその緊急性において果たしてきた役割は極めて小さい。」


(10)「力の空白」「瓶のフタ」論への反論


①「東アジア地域の軍事的バランス要因として米軍が沖縄に前進配備しているという議論は本末転倒である。米軍がいる結果、中国や北朝鮮の軍拡を促進してきたという側面が大きいからである。最近の安倍内閣による日米防衛協力のための新ガイドラインや集団的自衛権にまで踏み出した安保法制に対する両国の反応を見ても、日本の軍拡を抑えるというような中立的存在として在日米軍を考えてはいない。日米両軍が一体となって地域的軍事力を強める存在としてとらえている。一方、中国の軍事力強化やスプラトリー諸島を含む核心的利益とする主張に対抗するため、米軍のプレゼンスを歓迎する東南アジアの国々があることは事実である。これらの国々を安心させる方法は、地域全体を縮小均衡へと向かわせる発想であり、米軍のプレゼンス強化は逆の効果を生む。」
②「在日米軍に日本の軍拡を抑制する役割を託すという認識が日本国内にあることは確かである。一つは在日米軍が撤退すると、周辺諸国との軍事バランスが崩れるので、日本自身が軍拡をしてそれを埋めようとする。その結果日本が軍事強国となって米国への脅威となる。、という危惧である。もう一つは、日本に根強く存続している過去の戦争を賛美する歴史修正主義とそれに結びつく軍国主義論の台頭を抑えるという立場である。本来の『瓶のフタ』」論と呼ばれるものである。」
③「だが、このような理由による在日米軍の駐留は、日本の軍拡を抑える効果よりもナショナリズムを刺激して逆の効果を生むだけである。このような議論が、沖縄海兵隊、さらには在日米軍の前進配備必要論の合理的理由として通用するとは思われない。」


(11)財政こそ最大の理由


①「いわゆる『思いやり予算』をはじめとする日本の『受け入れ国支援(ホストネーション・サポート)』の魅力は、米軍にとって極めて大きなものである。『財政支援が沖縄海兵隊の前進配備の理由である』と公然と説明されることはないであろうが、実際には極めて大きな決定要因になっていると考えられる。」
②「日本のサポート金額は、年額約六〇〇〇億円であり、それは米軍駐留経費の七〇%以上をカバーし、『米国内に置くよりも日本に軍隊を駐留させる方が安上がりになる』(九五年六月、W・ロード国防次官補の米下院証言)状況を生み出している。その状況は二〇一七年の今日にも変わらず、トランプ政権に『日本の受け入れ国支援はお手本』と言わせたことも前述の通りである。」
③「受け入れ国支援だけでなく、米海兵隊が沖縄に確保している基地のインフラストラクチャーが、沖縄駐留の重要な利点となっている。かってのフルフォード太平洋海兵隊司令官は次のように述べている。                         『現在の緊急展開計画に決定的な重要性を持つ(沖縄)のインフラストラクチャーを保持することは、必要不可欠である。一九九六年、沖縄海兵隊の施設代替価格は七五億ドル、日本本土の海兵隊の施設は二〇億ドル以上と査定される。』(『海兵隊がゼット』一九九九年七月)毎年の『受け入れ国支援』に加えて、合計一兆円以上の基地資産を米海兵隊は日本に確保しているのである。」


(12)核兵器に関する事前協議と秘密合意


①「一九六〇年の日米安保条約改定のとき、岸首相とハーター米国務長官の間で条約第六条の実施に関して次のような交換公文(岸・ハーター交換公文」が交わされた。いわゆる『事前協議』に関する取り決めである。合衆国軍隊の日本国への配置における重要な変更、同軍隊の装備における重要な変更並びに日本国から行われる戦闘作戦行動(条約第五条の規定に基づいて行われるものを除く)のための基地としての日本国内の施設及び区域の使用は、日本国政府との事前の協議の主題とする。
②「この事前協議の取り決めの具体的内容に関して、日米間で一つの秘密合意が行われたことが、数々の米国の公開公文書から明らかになっている。その一つは、核兵器の持ち込みに関するものであり、もう一つは朝鮮有事のときの日本の基地からの直接戦闘作戦行動に関するものである。」
③「米外交文書によると、実は交渉過程の一九六〇年一月六日に、事前協議に関して秘密の『討議記録』が残されていた。その中には、岸・ハーター交換公文となるべき内容(1項)、藤山・マッカーサー口頭了解となるべき内容(2A項)が書かれている他に、次の記録が記録されていた。                           「『事前協議』は、合衆国軍隊の日本国への配慮における重要な変更の場合を除き、合 衆国軍隊とその装備の日本国への配置に関する減の手続き。また合衆国軍用機の日本へ の飛来や合衆国軍艦の日本領海・港湾への立ち入りに関する現行の手続きに影響を与え ると破壊されない。)2C項)」                       ④「この2C項は、軍艦や航空機の領海通過や通常の寄港は、『配慮の重要な変更』ではなく、核兵器搭載の有無にかかわらず、従来通りの扱いで行われることを、日米間で秘密合意したことを意味していた。」


(13)「運用の改善」と「軍属補足協定」


①「一九九五年一〇月二五日、日米合同委員会は『運用の改善』という弥縫策を合意して決着した。その内容は、『米国は、殺人または強姦という凶悪な犯罪では、被疑者の起訴前の拘禁の移転についてのいかなる要請にも好意的配慮を払う』こと、そして『その他の特定の場合について日本が合同委員会において提供することがある特別の見解を十分に考慮する』というものであった。この語彙は、米国の『好意的配慮』や『十分な考慮』を期待するという姿勢に過ぎず、対等な協定に近づくものではなかった。当然のことながら『運用の改善』の限界は、まもなく露呈された。」
②「二〇一七年一月、日米両政府は軍属の範囲明確化する手順を定めた『日米地位協定の補足協定』に合意した。・・・日本政府は補足協定の意義を強調するものの、日本の主権を少しでも回復する『地位協定の改訂』には否定的な姿勢をとり続けている。」


(14)兵士の特権意識の維持


①「米兵の犯罪についての裁判権問題には、軍隊駐留がはらむ極めて本質的な問題が潜んでいる。兵士が『敵を殺せ』という国家の命令に服し、命令によって『死ぬ』ことを厭わないようにするために、国家は絶えず兵士の精神と技術の訓練を継続しなければならない。そのような軍隊を、利害が完全に一致するわけではない外国の領土に常駐させ、外国の社会での暮らしを強いるという状況は、極めて特異な状況である。」
②「一応の人権救済制度の下にある本国においてでさえ、兵士は精神的緊張と歪みのもとに置かれる。それに加えて、海外駐留では異なる環境が生む身体的・精神的負担が加わる。兵士を送り出す国の政府は、そんな精神状態の兵士の士気を維持するために、兵士に使命感と同時に、特権意識を植え付けなければならない。特権は、彼らが特別に国家の恩恵と庇護の下に置かれていることを示すことによって裏付けられるであろう。ここに、米軍が『地位協定における優位』にあくまで固執する理由がある。日本政府もそれを知っているから、協定の改定に拒否の反応を示し続ける。」


(15)在日米軍の将来


 梅林は、米軍および在日米軍の将来について次のように分析しています。


①「九.一一は米軍に冷戦終結後のさまざまな軍事的事件と比較できない大きな影響を米軍に与えてきたことを、米軍の変化を捉える一つの重要な要素として考える必要がある。ブッシュ政権が始めたイスラム原理主義によるテロリズムとの戦い、いわゆる「対テロ戦争」は、政権を超えて今も米軍全体が引きずる遺産となっている。」
②「二一世紀の在日米軍を展望するとき、米軍全体の変化を特徴づけている二つの流れを考えなければならないであろう。一つは、情報技術を始め技術的な発展に起因して軍事全般にわたって起こり続けている時間軸の長い変化である。もう一つは、対テロ戦争と大国間のヘゲモニー争いが作り出している地政学的なゆるやかな変化である。」
③「対テロ戦争というのは、このように戦闘員の死者を比較するだけでも極めて一方的で非対称な戦争である。対テロ戦争の参戦国と戦闘地域の一般市民や社会的破壊を含めて比較したときには、その非対称性はさらに際立ったものになる。にもかかわらず、長引く対テロ戦争は参戦国にも大きな重圧としてのしかかってきた。」
④「世界の各地で長引く対テロ戦争は米軍に深刻な影響を与えている。」
⑤「ボブ・ワーク国防副長官が、二〇一四年九月、対テロ戦争の負担とその影響の深刻さを次のように語った。「簡単に言って、何かを諦めなければならない。この財政難の中で、このようなハイテンポの軍隊を維持することは持続可能ではない。はっきりしている。将来何が起こるかもしれない緊急事態に対して、我々はまともな準備ができないのだ。こう考えて私は夜中に目が覚めてしまう。国防総省はこのような(まともな)部隊を準備するのが究極の仕事なのに。』」
⑥「米軍のこの状況が。同盟国への要求を高める要因となっていることは第一章で述べた。この傾向は今後も確実に続くであろう。」


 次に、梅林は、この状況を受けて、在日米軍基地の将来的な問題を、もう一つの意味づけとしての「自衛隊の強化・拡大」(軍事貢献)として、次のように説明する。


「在日米軍基地が米軍の世界的展開に不可欠なハブとして求められ続けるという状況に加えて、今後の米軍基地にはもう一つの重要な役割が加わると考えられる。それは日米軍事協力の連結基地としての役割である。二〇一五年に作られた日米防衛協力の新ガイドラインと新安保法制によって新しい形の軍事協力が可能になった。トランプ政権は、すべての同盟国に対して米国の負う防衛義務を双務的なものにする主張を強めてきた。日米安保条約の改訂といった困難な挑戦をするとは考えにくいが、日本に対しては新ガイドラインにそった米国の要求を強めることができる。それによって米軍は、米軍基地によって享受している既得権に加えて、自衛隊の実質的な軍事貢献を引き出すことができる。安保法制が制定された経過から考えると、安倍政権は米国の要求を日本の自衛隊の活動領域の拡大の機会として利用しようと考えている。」


 梅林は、地球市民としての安全保障への現実的な取り組みについて、次のように押さえます。


①「在日米軍の必要性を訴えるために、『もしも武力攻撃があったら』から始まる安保論議に大木の市民が曝されている。軍事的な衝突を想定したシナリオが巷には溢れている。新安保法制の議論はほとんどそのように仕組まれていた。それに対して、軍事シナリオに対抗すべき平和構築の議論は残念ながら極めて少ない。そのために、多くの市民が『存立危機事態』『重要影響事態』などの軍事的危機のシナリオの虜となって普通の国へと向かう道に『仕方がない』と分別を見いだしてしまう。」
②「安全保障とは本来、人々が安心して暮らすことを保障するための人々自身の営みである。紛争や緊張関係があとを絶たない国際社会の現実に立脚して、国境を越えて彼我の人々の安全が共通に保障されるよう活動することは地球市民の勤めであると言ってもよい。そのための現実的外交への確信と創意が求められているのである。」
③「ジャヤンタ・ダナパラ国連事務次長(軍縮担当)は、『非核地帯が拡大してきたのは、核軍縮実験の理想があるためだけではない。もっとも懐疑的な現実主義者の抱く懸念に対してさえも、具体的な利益を生んできたからだ』との趣旨を述べた。
 確かに、これまで成立している五つの非核兵器地帯条約のすべては、それぞれの地域における安全保障上の大きな利益となってきた。それぞれによって、地域的な役割の大きさは異なるが、少なくとも地域内のすべての国が対話する機構として役立っていることは間違いない。日本と朝鮮半島を含む北東アジアにおいてもまた、非核兵器地帯は極めて現実的な非軍事的安全保障の出発点となるうる。」
④「さらに一般的に、非核兵器地帯条約で設置される第3項の条約実行機関は、核兵器問題を端緒としながらも、ミサイルを含む広範な安保問題を俎上にのせる場になるであろう。日本の植民地支配と謝罪なき戦後が生み出している根の深い不信が、将来の不幸な争いに発展しないような透明性の高い協議の場が、どこかに確保される必要があるが、条約実行機関はそのような協議の場を作り出す。それは、米軍依存の安全保障構造から主体的な新しい協議的地域安全保障の仕組みへと進む出発点となるのである。」


 梅林は「在日米軍の段階的縮小」について、このように記します。

「しばしば、在日米軍撤退論は、現実を踏まえない議論であるかのように言われるが、問題の大部分は政治意思の問題である。さらに言えば、政治意思とは平和に対する市民的熱意の強さによって生み出されるとすれば、それは私たちの意思と努力にも関係する問題である。北東アジア非核兵器地帯が一定の緊張緩和を生んだとき、政治意思があれば、軍事力のレベルを下げることができる。
 このような地域的な緊張緩和を基礎にした段階的な軍事力削減の場合においては、在に米軍が削減されると自衛隊が増強される、というアジア諸国の懸念が起こりにくい。懸念が起こったとしても、それを打ち消す措置を講じることもまた可能である。また、軍事力レベル低下の機会を、軍事環境悪化への逆戻りを防止するような地域的な新しい合意形成の好機として活かすことも可能である。」


 最後に梅林は、「北東アジア非核兵器地帯の設立は、非軍事的安全保障に向かう一つの有力なアプローチである。しかし、この他にもさまざまな創意工夫がありうるであろう。たとえば、日本の専守防衛政策を、日本国内において行動規範にまで高め、その規範を国際化することも可能である。」、と平和を作る側の新しい取り組みを呼びかけています。


by asyagi-df-2014 | 2017-10-10 05:52 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「【基地移設問題】『沖縄の米軍基地を本土へ』広がる引き取り運動」

著書名;週刊女性PRIME「【基地移設問題】『沖縄の米軍基地を本土へ』広がる引き   取り運動」
著作者:樫田秀樹
出版社;週刊女性


 週刊女性PRIMEは2017年8月9日、「【基地移設問題】『沖縄の米軍基地を本土へ』広がる引き取り運動」、との記事を掲載した。
沖縄の米軍基地を、沖縄県外に移設する運動が動き出している。
樫田秀樹(以下、樫田)は、この状況を、「沖縄の米軍基地を『本土』に引き取る─。実に刺激的なフレーズだが、この実現を目指す市民運動が今、全国5か所で展開されている。2015年の大阪を皮切りに、同年に福岡と長崎、’16年に新潟、そして今年の東京と同時発生的に立ち上がった。」、と描写する。
 また、樫田は、この運動の目的を、「引き取る・大阪」の松本亜季の言葉として、「日本人が沖縄に押しつけてきた差別を解消したい。国民の約9割が日米安保体制の維持が望ましいと考えています。つまり米軍駐留を肯定しているのに、それを沖縄だけに押しつけ、自分のところには来るなという状況を変えたいんです」、と紹介する。
 樫田は、「沖縄の米軍基地を『本土』に引き取る」運動を、次のように報告する。


Ⅰ.それぞれの運動の思い


樫田は、それぞれの地域での運動への思いを次のように伝える。


(1)「引き取る・東京」の坂口ゆう紀さん:10年、聴き取り調査で辺野古を訪れるなど、基地への関心があった。だが’16年3月、沖縄で出会った70代の地元女性から言われた「学生のときに本土から基地が移ってきた。悔しかった。元の場所に戻してほしい」との言葉が心に刺さる。これを機に坂口さんは、沖縄に米軍基地が集中するのは、日本各地の米軍基地が沖縄に移転した過去があったことを知る。
(2)「引き取る・大阪」の松本亜季さん:大学時代の’04年、辺野古での座り込み抗議運動に2か月間参加し、’05年には、辺野古での基地建設の白紙撤回を訴える市民団体『辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動』(以下、大阪行動)を設立、JR大阪駅前で毎週末10年間も街宣行動を展開した。だが、あるときから「この運動でいいのか」との思いにとらわれる。「10年の街宣で沖縄を理解する府民は増えた。でも多くは“沖縄は大変だね”との他人事の認識で、市民がどれだけ反基地を訴えても、辺野古の状況は悪化する一方だったからです」。基地撤去を訴えても、自分たちが「押しつけている」との社会的立場に目をつぶっているのは差別だ。そう思った松本さんは、「差別者」として沖縄に基地を押しつける「本土」こそ負担を引き受けるべきで、他人事から自分事として基地問題の世論を高めたいと考えた。そして’14年夏、大阪行動の会議で「米軍基地を大阪に引き取る運動をやりたい」と明言する。
(3)「引き取る会福岡」里村和歌子さん:里村さんは’10年、山口県に在住時、広島修道大学大学院で野村浩也教授のゼミを受講。野村教授は著書でもゼミでも、「基地を押しつける“本土”の植民地主義」を説き、「沖縄米軍基地の県外移設」を訴える。ゼミを通して、里村さんも自身の「差別者」としての社会的立場を認識した。その後、里村さんは福岡で暮らすが、『沖縄を語る会』(大山夏子氏主宰)という2か月に1度の勉強会で沖縄問題を学ぶ。そこで’15年7月に講演をしたのが東京大学大学院の高橋哲哉教授だった。
高橋教授はその前月、引き取りを訴える『沖縄の米軍基地「県外移設」を考える』(集英社新書)を上梓していたが、講演で「引き取る・大阪」の活動を紹介すると、里村さんは即座に決めた。勉強会の終わりに「引き取り運動を始めます。集まる人はいませんか?」と発言したのだ。
(4)「引き取る・東京」の佐々木史世さん:数年前に「引き取り」に関心を持った。SNSで見かけた沖縄県民による投稿《基地、おまえのとこへもっていけ》や、前述・高橋教授の著書との出会いで、漠然と「東京でも始められないかな」と思っていた。すると’16年3月、都内で開催された引き取りをテーマにしたシンポジウムに登壇した高橋教授と知り合ったことで、同じ意思をもつ人脈ができ、学習会を始めることができたのだ。佐々木さんは「“基地はどこにもいらない”との主張はそのとおりですが、それだけを通そうとするのは、沖縄の人たちにはきついと思う」と話す。例えば’09年の民主党政権で、当時の鳩山由紀夫首相は普天間飛行場の移設を「最低でも県外」と公言、多くの沖縄県民が期待した。結局、それは立ち消えになるが、このとき、基地絶対反対運動のなかには「立ち消えてよかった」との声もあった。「移設」は「基地はどこにもいらない」の真逆になるからだ。
 この姿勢は、沖縄県民には確かにきつい。


Ⅱ.この運動へ出される疑問と回答


 樫田は、この運動には常に2つの疑問が寄せられるとする。
 その疑問は、次のものである。
第一に、「米兵犯罪に責任を取るのか」ということ。特に女性への性的被害は議論を避けて通れない。
 第二に、「どこに引き取るか」ということ。
この疑問に対して、「引き取る・東京」の佐々木史世さん達は次の回答を用意しているとする。
第一については、「犯罪はもう沖縄で起きています。では、尋ねたい。それに対し、今まで何もしなかったのは誰? 日米安保という米軍基地駐留を認めているのは誰? と。これは市民団体だけではなく、全住民で考える問題です」。
 第二については、「それは私たちではなく、政治が決めること。私たちの目的は、それを政治課題にもっていくこと」。


 この引き取り運動は、「いかに地方や国の議員を動かすかも問われている。」、と樫田は説明する。


Ⅲ.新しい動き


「いかに地方や国の議員を動かすかも問われている。」に関しての引き取り運動の側のその手探りともいえる活動について、樫田は、次のように紹介する


 6月16日、引き取り5団体が『辺野古を止める! 全国基地引き取り緊急連絡会』を結成、東京で記者会見を開催した。会見にあたり、連絡会が進めていたのが、沖縄の米軍基地への認識を問うため、全国知事に送ったアンケートの集計だった。里村さんが原案を練り、『沖縄に応答する会@新潟』の福本圭介さんが分析、資料にまとめた。
 46都道府県知事の42知事が回答したが、福本さんは「脈はある」と思った。選択式の回答で「沖縄の米軍基地を縮小すべきだ」と回答したのは4知事にとどまったものの、記述式回答では、3分の1の知事が基地負担削減の必要性に、4分の1が日米地位協定の改定の必要性に言及したからだ。
「このような知事が一定数いることは、引き取る運動の可能性を覚える」(福本さん)。
 とはいえ、引き取りは一朝一夕ではできない。だが佐々木さんらは、「迷いはないです。10年単位で活動を続けます」との覚悟を見せている。沖縄に犠牲を強いる政府与党の姿勢に黙っていられないからだ。


 樫田は、引き取る運動の目的を、「今年5月、『引き取る・東京』は初のシンポジウムを開催した。その際、沖縄で長年、県外移設を訴えている知念ウシさんが一般席からこう発言した。『県外移設は“基地はどこにもいらない”運動には聞き入れてもらえません。でも、初めてその訴えを聞いてくれたのが、この“引き取る”運動です」。まさにこの声に応えたいと佐々木さんは語る。」、とまとめる。


 さて、この引き取り運動の背景にある基本的問題を、樫田は、次のように指摘する。


(1)1952年、在日米軍基地面積が沖縄に占める割合は約10%にすぎなかった。だが’57年、岐阜県、静岡県、神奈川県、静岡県、滋賀県、奈良県、大阪府の米軍海兵隊が沖縄に移駐し、’72年までには福岡県の空軍基地なども移駐、’76年には、山口県の第一海兵航空団が移駐。これには、沖縄県議会や県内政党が「犠牲を県民に押しつけるのか!」と一斉に反発した。移設理由のひとつに「本土」の反基地運動が反米運動へ転嫁していくのを日米両政府が懸念した、との研究報告もある。
 今、在日米軍基地面積が沖縄に占める割合は約70%。まぎれもなく政治が「押しつけてきた」結果だ。同時に、共同通信の『戦後70年世論調査』によると、日米安保の支持率は約9割。つまり米軍駐留を認めている。だが、その負担を自分の街では決して受け入れない。結果として、国民の多くも沖縄に基地を無自覚に押しつけているのだ。
(2)「引き取る会福岡」もシンポジウムや街宣などを行うが、運動を展開するうえでの厚い壁は「基地絶対反対」の運動だという。例えば、辺野古基地反対運動をしていたかつての仲間から「引き取るとは何事だ。基地をなくすのが目的なのに」と批判され、会を去った人もいるそうだ。ただし、基地絶対反対運動も引き取り運動も、将来的な「米軍基地撤去」の目標は同じだ。「引き取る・大阪」と「大阪行動」の両方で活動する人もいる。つまり、米軍基地撤去という目標実現には「引き取り」も選択肢のひとつなのに、それをただ批判するだけの基地絶対反対運動に里村さんは違和感を覚えるのだ。


 樫田の文章を受け取りながら、「沖縄に犠牲を強いる政府与党の姿勢に黙っていられないからだ。」との声に、きちんと押さえる必要があると感じている。
 例えば、新崎盛暉の指摘が重要になってくると捉え直している。
 新崎は、日本の戦後の出発を、「象徴天皇制、日本の非武装化、沖縄の(分離)軍事支配は、占領政策の上で、三位一体の関係になったのである。構造的沖縄差別の上に立つ対米従属的日米関係は、ここから始まる。一九四七年の、『沖縄を二五年ないし五〇年、米軍統治に委ねることに異存はない』といういわゆる天皇メッセージや、講和後も米軍の駐留を希望するという天皇のGHQへの積極的働きかけなどは、天皇がこの仕組みの中で自らに与えられた役割を果たしたものと言えるだろう。」と規定し、このことにより、「日本の非武装化は、日本国憲法にも明記され、それは平和憲法と呼ばれるようになったと説明する。 
 このことの理解のなかで、引き取り運動も進める必要があるのではないか。
 最後に、樫田を記事を受けて、確かに、次の気づきが、日本国民ひとりひとりにとって、重要になる。
 「沖縄でよかった」を克服するために。


Ⅰ.戦後一貫して、国民の多くが沖縄に基地を無自覚に押しつけていることに気づくこと  ができるか。
Ⅱ.国民ひとり一人が、差別者としての自覚を獲得することができるのか。
Ⅲ.米軍基地撤去という目標実現に「引き取り」も選択肢を含むことができるか。




by asyagi-df-2014 | 2017-08-18 05:32 | 本等からのもの | Comments(0)

屋良朝博の「沖縄基地問題 そびえ立つ『ワシントンの壁』 ジャーナリスト・屋良朝博のロビー活動記」(沖縄タイムス)を読む。

 沖縄タイムスは2017年7月24日、「沖縄基地問題 そびえ立つ『ワシントンの壁』 ジャーナリスト・屋良朝博のロビー活動記」を掲載した。
 これを読む。


 屋良朝博さん(以下、屋良)は、このように「ワシントンの壁」を描き始める。


 新外交イニシアチブ(ND)は7月12日、米ワシントンでシンポジウムを開催し、沖縄の米軍基地問題を解決する政策提言を発表した。おそらく日本側から具体策が示されたのはこれが初めてだ。また上下両院で多くの議員事務所を訪ねて政策提言を売り込むロビー活動を行った。確かな手応えを感じつつも「ワシントンの壁」を仰ぎ見るような思いがした。


 つまり、この記事は、屋良による「ワシントンの壁」の報告である。
 まずは、ワシントンでのロビー活動の様子について。


(1)現地では米シンクタンク「東西センター」(本拠地ハワイ)が提携し、シンポの会場を提供してくれた。筆者も提案者の1人としてNDの政策提言を説明。普天間飛行場を使い、その代替施設の辺野古新基地を使い、東村高江のヘリ着陸帯を使って訓練するのが海兵隊であるから、海兵隊を県外・国外へ移転できさえすれば、辺野古のサンゴ礁は守られ、森に囲まれた高江は静寂を取り戻す。ついでに主に海兵隊が使う那覇軍港を浦添西海岸に移転する必要もなくなる。在沖米軍基地の7割を占有している海兵隊が基地問題の大元なのである。
(2)政策提言は元防衛官僚で官房副長官補を務めた柳沢協二氏、中京大学の佐道明広教授(国際政治)、東京新聞論説委員の半田滋(論説兼編集委員)、そして筆者の4人が3年がかりで議論を重ねてまとめた。米軍再編による海兵隊の新配置と役割、今日的な安全保障課題について分析し、その上で沖縄から海兵隊の実戦部隊を撤退させる方法を導き出した。
(3)「米軍出て行け」という抗議ではなく、日米両政府に対してより良い方策を検討すべきだと提案している。辺野古埋め立てを強行すれば沖縄の民意は米軍に一層厳しくなり、極東最大とされる嘉手納飛行場の運用にも影響を及ぼし、日米関係どころかアジア太平洋地域の安全保障さえ揺るがす事態に発展しかねない、と警鐘をならしている。ワシントンのシンポでは半田氏と筆者、NDの猿田佐世事務局長が発表した。


 提起された政策提言の骨子は、①再編後に残る海兵隊の実戦部隊「第31海兵遠征隊(31MEU)」の全面移転、②日米ジョイントMEU for HA/DRを創設 (HA=人道支援、DR=災害救援)、③高速輸送船、駐留軍経費の移転先適用、④中国軍も含めアジア太平洋諸国のHA/DR連絡調整センターを設置、である。
 次に、屋良は、ロビー活動で行った具体的な内容を紹介する。この中では、コストの問題に関しても。


(1)米軍再編で海兵隊は戦闘力が4分の1に縮小され、主力はグアムへ移転することがすでに決まっている。残るのは司令部と31MEUという小ぶりの部隊だけになるが、この部隊でさえ長崎県佐世保に配備されている揚陸艦で年の半分以上を洋上展開している。艦船に隊員を乗せる場所が沖縄なので、電車に例えると始発駅が長崎、乗車駅が沖縄、目的地はアジア太平洋全域になる。再編枠をもう少し広げて、31MEUを沖縄から別の場所へ移転することは乗車駅を替えるだけであり、防衛態勢や安保体制の見直しといった仰々しい話ではない。
(2)31MEUは人道支援、災害救援を軸とした活動を通して諸外国との連携強化に力を入れている部隊だ。アジア諸国で国際共同訓練を企画し、フィリピンやタイで毎年定期的に開催される訓練には数十カ国が参加する。中国も近年、積極的に参加していることは日本の中ではあまり知られていない。
(3)冷戦後の安全保障課題を象徴するのが、「9・11」「3・11」と言われており、テロ対策、災害救援に対して国際社会の共同対処システムの構築が求められている。貧困対策、密輸、麻薬取引、感染症対策などの人道支援がテロを抑える効果が期待されるほか、災害救援が遅れると政情不安になりテロに利用される恐れもある。こうした全人類的な課題に取り組むシステムを日米間で構築し、31MEUが沖縄から他所へ移っても機能できるよう日本も体制を整備すべきだろう。それが「日米ジョイントMEU for HA/DR」の提案だ。
そしてHA/DRの国際連絡機能を沖縄に置き、中国を含む諸外国の担当者が沖縄に集い、アジアの安定と平和について議論する。冷戦の残滓(ざんし)である軍事拠点としての沖縄はアジアの平和の架け橋になる。そして日本も米国の軍事的庇護に身を委ねる戦後の生き方を改めて、あくまでもソフトパワーとしてアジア安保の礎となる努力をすべきだ。
(4)あと一つ大事なことが海兵隊との交渉で、あからさまに言うと、金目の話だ。海兵隊は米軍再編で部隊をグアム、豪州、ハワイへ分散配置するため、輸送力の向上が急務である。そこで、日本政府は日米ジョイントMEUを支援する目的で31MEUに高速輸送船を提供する。そして海兵隊が沖縄で受けている駐留軍経費の中の提供施設整備費を移転先で使えるようにする。高速輸送船の年間チャーター料は約11億円、在沖海兵隊の施設整備は約30億円だ。駐留軍経費には基地周辺対策、訓練移転経費、訓練水域の漁業補償など基地の外で使う間接的な駐留経費が含まれている。基地が減れば間接経費が大幅に減り、最も経費が大きな基地従業員給与も削減される。日本にとっては船チャーター料、施設整備費の海外支出を合わせても全体のバランスシートは大幅にプラスが大きくなる。
(5)米軍基地が縮小すると従業員の雇用不安が起きるのは避けられない。かつて全基地撤去を主張していた大田昌秀県政は、基地従業員を県庁と市町村で採用する案を提示していた。県内の基地従業員は約9000人で、海兵隊基地に限ると3000人といわれている。基地内従業員の退職などによる自然減は毎年約200人と言われ、計画的に基地を閉鎖していけば配置転換、自治体などへの転職支援をうまく組み合わせれば、不可能ではないだろう。沖縄の労働人口は63万人で、観光業を中心に経済規模も拡張基調の今こそ、基地従業員の雇用対策をしっかり確立しておかなければならない。それは雇用行政の対応によって十分に可能だと考える。


 屋良は、「米軍再編によってすでに大きな基地削減が想定されている。NDの提言を前提としなくても、雇用対策は万全でなければならないはずだ。このように、NDの提案は日米と沖縄にWin-Winをもたらす解決策だと自負している。」、とまとめる。
 屋良は、シンポジウムにおけると央論と質疑についての報告について続ける。


(1)シンポジウムの討論者を務めたジョージ・ワシントン大学のマイク・モチヅキ教授は抑止力の観点から指摘した。日米が北東アジアで懸念すべき安保問題として、「朝鮮半島情勢」「台湾海峡」「尖閣問題」の3点を挙げた。モチヅキ教授は、朝鮮有事への警戒は、1950年の朝鮮戦争で米軍は九州を発進拠点としたため、沖縄に海兵隊が常駐する必要性はないと論じた。台湾海峡が揉めた場合、空軍と海軍が主体となる。尖閣防衛の抑止力は一義的には自衛隊が担うべきものだが、中国にとって煙たいのは海兵隊の存在であるため、沖縄からの海兵隊撤退は慎重に議論すべきだ。緊急時に必要となる滑走路を確保する必要性も指摘した。モチヅキ教授はかねてから沖縄の海兵隊は大幅に縮小し、オスプレイやヘリコプターなど普天間配備の航空機を九州へ移転すべきだと主張している。沖縄には訓練に必要な数機を置くヘリポートを名護市辺野古のキャンプシュワブに設置し、普天間は有事の備えとして閉鎖、維持することを選択肢に挙げている。モチヅキ教授は上記の議論が日米双方の安全保障サークル(安保村のこと)を納得させるために不可欠だと強調した。合理性は別として、安保サークルの理解を得ない限り、政治的な選択肢になりにくいためだ。
(2)提言作成者も当然、軍事的な側面を議論してきた。沖縄は31MEUが長崎の船と合流する「ランデブーポイント」(落ち合い場所)であり、多くの時間をアジア太平洋に費やしている。落ち合い場所は沖縄でなくてもいい、という結論になる。有事対応では、日本はすでにガイドラインの見直しを含む様々な制度整備を実施している。自衛隊の飛行場や港湾などはほぼ使えるし、陸上輸送などのインフラは民間を含めて“徴用”できる仕組みができている。仮に有事対応に懸念があるのなら、そこを詰めていくことと、沖縄で普天間を温存する議論とは次元が違うはずだ、と私たちは主張している。
(3)日本の受け入れ体制に不備があるなら、そこを詰めていけばいいのであって、普天間の機能を温存することが唯一の要であるかのような議論は合理的ではない。さらには実際に起きるかどうか分からない事態に備えることが安全保障ではなく、起きないようにする営みを絶え間なく続けることで安全保障が実体化していく。私たちはそう考えている。
(4)東西センターの会議室に用意した椅子60席は埋まり、立ち見も出た。さまざまなシンクタンクがしのぎを削るワシントンでは日々、各種テーマのシンポジウムが開かれるだけに、まずまずの入りだったと言えよう。
(5)フロアからは、沖縄県知事や名護市長が反対する基地建設に対して、住民は蜂起するか、という質問が出た。筆者は「沖縄県民の米軍に対する許容度は大きく低下するだろう。辺野古埋め立てが強行されたときの反動がどのようなものかを予想するのは難しい」と答えた。


 屋良は、シンポジウムについて、その成果と課題をを次のようにまとめる。


(1)今回のND提案とモチヅキ教授の討論で、沖縄問題の核心を炙り出すことができたと考える。海兵隊は九州でもいいし、有事を想定した備えがあれば軍事施設は不動のものではないということだ。日本政府は沖縄の「地理的優位性」「抑止力」だけを強調し、辺野古埋め立ての根拠としているが、その議論は軍事機能論で評価すれば大きな疑問符がつくことは分かっている。
(2)軍事空白を作りかねないという懸念に対する半田氏の切り返しは明快だった。政府は抑止力を維持するために辺野古埋め立てを進めると言うが、米軍再編ですでに大幅縮小が決まっている海兵隊の駐留意義そのものが問われている、と主張した。再編で日米両政府が実戦兵力の実質的な撤退を決めた時点で、地理的優位論も抑止力論も現状を追認する有効な論点でなくなった。
(3)もっとも難しいのは、力による均衡を主張する日米の安保サークルと議論するチャンネルが開けるかどうかだろう。いまのところ扉は閉ざされている。NDの具体的な政策提言が双方を結ぶ役割を担うことができれば幸いだ。


 最後に、屋良は、「ロビー活動」について報告する。


(1)国会議事堂の周りには議員会館が配置されている。議員個人の部屋があり、それぞれ10人以上ものスタッフが議員の政治活動を支えている。しかも驚くべきは、議員会館は開放されていることだ。建物入り口で荷物検査を受けるだけで入館でき、親子連れが館内ツアーに参加する。民主主義の根幹はしっかり定着している。「忖度」「隠蔽」が流行語になりそうな日本とはどうも社会の作りが違うようだ。
(2)そのようなシステムなので、ロビー活動は誰でもできる。建物に入ると長い廊下が回路になっており、星条旗と出身の州旗が立つ議員居室が並んである。ノックしてドアを開けると秘書が出るので、まずは「こんな問題を議員に知って欲しくて」と資料を置いていく。後日連絡して政策秘書との面談を申し入れる。「沖縄米軍基地問題です」と売り込み、安全保障を担当するスタッフが話しくらいは聞いてくれるまでが第一関門だ。
(3)それでも与えられる時間は15分から長くて30分程度なので、沖縄基地問題に触れたことのないアメリカ人秘書にどれだけの情報を提供できるかが勝負になる。おそらく資料を手にしたところで、それが秘書の興味関心となり、議員へレクチャーしてくれる可能性はゼロに等しいだろう。その努力を積み重ね、運がよければ議員にたどり着くことができるはずだ。
(4)今回もNDの猿田事務局長とスタッフは精力的に動き、20以上の議員居室でスタッフに政策提言をセールスして回った。この中で、民主党の人権派下院議員が直接面談に応じ、ほんの15分だったが沖縄問題に耳を貸してくれた。辺野古の海を埋め立てることの愚かさ、沖縄問題を放置することの政治的リスクを一気に猿田氏がまくし立てた。うなずきながら聞いていた議員は「沖縄の問題は理解している」と語った。続けて、「米軍へ施設を提供するのは日本政府であり、問題を処理する当事者は日本である」とすでに準備していたかのような定型の答えを返した。別の議員事務所では女性の政策スタッフが「あなたたちが行くべきは東京でしょ」と冷淡に言い放った。
(5)沖縄県知事や県議会、市民団体は何度もワシントンで要請行動を繰り返すが、この施設提供義務を盾にした米側のブロックに阻まれている。よしんば理解を得られたとしても、議員に「私に何ができますか」と問われると、具体策を提示できない場合もままあった。
(6)沖縄は国内問題だという指摘に対して筆者はこう切り返した。「日米安保条約上、施設提供義務者はおっしゃる通り日本です。他方、米軍の部隊配置を決めるのは米国政府です。海兵隊の展開方法を少し見直すだけで辺野古の海を救い、沖縄の多くの問題を解消させ、日米間の政治リスクを低減させるプランがここにある」とNDの政策提言をアピールした。下院議員は提言書に目をやる。横に控えていた秘書が腕時計を見ながら、「次の日程があります」とせき立てた。議員は「いいプレゼンだったよ」と言ってくれた。それだけだった。


 屋良は、「希望をつなぐ言い方をすれば、この短いやり取りの積み重ねが大事なのだろう。」、と今回の経験を振り返りながら、最後をこのように締める。


 さらに一歩、次の一歩と踏み込めるかが課題だ。予算審議のときに辺野古に関わる項目を見つけて、その詳細を政府に問いただしてもらったり、米側の環境対策を問いただしたりしてくれる議員が増えれば、辺野古を埋め立てる政府官僚への強烈な“抑止力”になるはずだ。
 そこまで到達するには目の前に巨大な壁がそびえている。風穴を開け、突破していく知恵と勇気と団結が必要なのだろう。それをどう創造すればいいのだろうか-。ワシントンから帰ってからずっと物思いに耽る日々が続いている。


 どうやら、「ワシントンの壁」とは、「力による均衡を主張する日米の安保サークルと議論するチャンネルが開けるかどうかだろう。いまのところ扉は閉ざされている。」、ということを指すのだろう。
実は、この時期に来てようやく、「ワシントンの壁」に新たな風穴を開けようとしているという事実に、改めて驚かされている。
 しかし、これが日本と沖縄の現実なのである。




by asyagi-df-2014 | 2017-08-02 06:15 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-日本人のための平和論

著書名;日本次のための平和論
著作者:ヨハン・ガルトゥング
出版社;ダイヤモンド社


 ガルトゥングの「日本次のための平和論」における主張のすべては、次のことに尽きる。


 日本を苦しめている問題の根本原因は何か。そうたずねられれば、まず米国への従属という事実を挙げなくてはならない。近隣諸国とのあいだで高まる緊張はその帰結である。


 つまり、日本の実態は国際的に見てもこう取られざるを得ないものであるということである。
 鳩山元首相の「県外移転」発言が、自分自身の一つのタブ-を破ったように、当たり前の主張なのだということをあらためて確認している。
ここで、この本で赤線を引いた箇所を引用する。


(1)アメリカ人は、報復は禁止されているが先制攻撃や予防的暴力は禁止されていない、と強弁する。・・・つまり、報復ではないということで暴力を正当化しているわけである。・・・これが米国が行っていることの実態、より正確にいえばアメリカ帝国が行っていることの実態である。帝国とは、中央と周辺のあいだに不公平な交換が行われるシステムのことだ。そこには、経済的には搾取と被搾取、軍事的には殺害と被殺害、政治的に支配と被支配、文化的にはモデルと模倣という関係が存在する。周辺諸国の仕事は、帝国の敵に先制攻撃を仕掛け、帝国の被害を予防するための殺害である。


(2)ととえば、だれかが「私たちは広島に原爆を落とさなくてはならない。それは神が私たちに与えた使命だ」と主張すれば、ほとんどの人がその正気を疑うだろう。しかし、その主張が隠されたかたち、あるいは無害な表現にかたちを変えられて発せられたら、気づかいないうちに心の底に根を下ろすおそれがある。いつの間にか意識化で同じ考えを持つ人々で部屋がいっぱいになったら、集団が一気にその方向で動き始めるかもしれない。その意味では、だれも疑いを差し挟まない、当然のことと思われる考えほど、一気に間違った行動を引き起こす危険性を秘めていると言える。そういうわけで私は、世界を旅し、各国の深層分化を探り、隠された筋書きの存在に警鐘を鳴らしている。アベノミクスEU種の文化人類学的アプローチで平和学に取り組んでいるところである。


(3)正当化できる暴力-武力介入-というものがあるのだろうか。私は以下の条件が満たされるなら、最後の手段として力の行使は否定できないと考える。
1.直接的または構造的な暴力による苦しみが耐えがたいレベルに達している。
2.考え得る平和的手段はすべて試したが効果がなく、外交交渉も役に立たない。
3.暴力の行使が必要最小限に抑えられること。
4.勝利や英雄的行為の追求ではなく、正しい動機に基づく行動であるか、慎重なじこぎんみがおこなわれること。
5.平和的で非暴力な手段の模索が並行して続けられること。


(4)(「暴力に関するセビリア声明」」)
 声明は最後にこう結ばれている。「戦争が人間の心の中で起こるように、平和もまた人間の心の中で起こる。戦争を生みだした人間は、平和を生みだすこともできる。戦争も平和も責任は私たち一人ひとりにある。


(5)テロリズムとは、政治的目標を達成するための暴力をともなう戦術である。政治的手段としての暴力には、テロリズムを含めて4つの形態がある。
1.戦争
2.ゲリラ戦
3.国家テロリズム
4.テロリズム


(6)戦争は、軍服を着た兵士が、別の軍服を着た兵士と闘うことである。軍服を着用することで兵士に敵を殺す資格が与えられる。ゲリラ戦は、軍服を着用しない兵士が軍服を着用した兵士と闘うことである。国家テロリズムは通常、軍服を着た高官が軍服を着ていない民間人の上に爆弾を落とすことである。そしてテロリズムは、民間人が民間人を攻撃することである。形は違うが、すべてに共通するのは、政治目的のために暴力を使うということだ。・・・戦争とは他の手段を持ってする政治の延長である。だとすれば、ゲリラ戦も、国家テロも、そして単純なテロも、すべて政治の延長ということになる。しかし、政治目的を達成するためであれば、はるかにすぐれた方法がある。対話。協調行動、共同プロジェクト、トラウマの解消、根底にある対立の解消などがそれである。


(7)残念なことだが世界のどの国でも、すべての外国人が潜在的なテロリストとなる。米国、イギリス、オーストリア、フランス、そして日本でも。っだから世界は新たな外国人嫌悪の時代に入った。恐怖と嫌悪の対象は時代とともに変わる。かってそれはロシア人であり東ヨ-ロッパ人であった。今日それはイスラム教徒となり、そこにふたたびロシア人が加えられつつある。・・・暴力の根底にはトラウマと対立がある。私たちは何がトラウマとなっているのかを見極め、対立の原因を知る努力を必要がある。そのためには、もしかしたら将来テロリストを輩出するかもしれない集団とも腹を割って対話し、彼らと敵対している自分たちの立場を自問することも必要である。100%成功する和解の方法があると考えるほど私は愚かではない。あらゆる戦争や対立に効く万能薬はない。だが確かに言えることは、何もしなければ日本は相次ぐテロの標的になるということである。誰もそんなことは望まないはずだ。


(8)私は、日本は労働力不足問題は移民に頼るのではなく、自国でできる解決策に着手すべきだと言いたい。移民に頼る方向に舵を切る前に、産業分野ではハイテク技術のさらなる活用や高齢者の活用、農業分野では、高齢者の活用による農業再建を考えるべきだ。 とくに農業再建は日本にとって重要なテーマで、安全保障の基本である食糧自給にも繋がる。そのためには衰退の一途を辿る農村の活性化が急務だ。方策としては、若者と高齢者をつなぎ、高等教育を受けた人々とそうでない人々をつなぎ、農業と小規模な製造業をつなぐための協同組合を推奨する。
 そこに教育的要素を加味することで、若者たちは農村での暮らしを体験し、農村の人々は若者たちを通して都市の文化に触れることができる。社会が、過疎化した時代遅れの農村集落と、さまざまな機会や創造性を謳歌する都市に二分化されたような時代はもう終わりにきている。両者をミックスすることでよりよい未来が開けるはずだ。
 日本農民は土地に感謝し、土地を慈しみ、土地とともに生きようとする志を持っている。しかし、だからといって昔ながらの手法に縛られる必要はなく、新しい方法でも農業を営むことはできるはずだ。高齢者だけになり、彼らが働けなくなったら農場が崩壊し、地域が過疎化してしまうような農業は、とても持続可能とは言えない。


(9)平和には「消極的平和」と「積極的平和」がある。ただ暴力や戦争がないだけの状態を積極的平和、共感に裏付けられた協調と調和がある状態を積極的平和という。
 平和運動の原点から言えば、消極的平和のための運動は、戦争反対を訴えたり、対立の解消やトラウマの緩和をめざすもので、意識は過去や現在に向けられていると言える。一方、積極的平和のための運動は、新しい仕組みや協力関係を築こうとするもので、意識は未来に向いていると言える。


(10)消極的平和のための運動の問題は、前向きなメッセージが伝わらないという点にある。伝わるのは、何かに対する拒絶だけである。反対の考え方を持つ人々を変えられないばかりか、より強い反感を抱かせることも少なくない。何かに反対しているということだけで、内容に関係なく抵抗感を抱く人もいる。ノルウェーではこれを「否定の平和」と言う。その反対派「肯定の平和」である。
 人々の考えを変え、賛同者を増やしたいのなら、何か前向きで肯定的なこと、すなわち積極的平和のメッセージを発することが必要である。政府を動かしたいのなら、避難や罵倒ではなく、彼らが積極的に取り組める提案や要求を肯定的なメッセージに乗せて伝えるのである。そのメッセージを掲げて、権力の中枢である国会や省庁に足を運び、議員や官僚と対話をするとよいだろう。この方法はいくつかの国で一定の成果を収めている。
「沖縄を平和の島に!」
「尖閣に日中友好の家を作ろう!」
「和解の少女像を大使館前に!」
「無限の自然エネルギーを活用しよう!」
 これが積極的なメッセージであり、そこに込められた政治的意志は聞く人の耳に届くだろう。「戦争反対」は正しいメッセージだが、それだけでは十分ではないのである。


(10)今の日本を見ると、今や想像力も勇気も見る影はなく、ワシントンから聞こえてくる主人の声に従うという態度が蔓延している。国の独立と外交政策における想像力は足並みを揃えて進。それこそが、日本が米国から独立しなくてはならない理由である。もし日本が米国の呪縛から自らを解き放つことができれば、持てる想像力と勇気を-今度は戦争のためではなく平和構築のために-解き放つことができる。そうすれば、対等な立場で米国と良好な関係を結ぶことができ、平和実現のために独自の外交を展開することもできる。


(11)ショ-ペンハウア-の4段階
1.沈黙-新しい考えに触れたとき、人々の最初の反応は沈黙である。
2.嘲笑-「現実がわかっていない」「バカじゃないのか」と否定される。
3.疑い-「本当に狙い何だ?」「だれかの回し者だろう」と疑いの目で見られる。
4.同意-「私も前からそう考えていた」と言われる(この反応は政治家に多い)。
 これに当てはめるなら、鳩山は「嘲笑」の段階にいる。日本で鳩山の評価が低いのは、米国の意に反してモスクワとの関係を改善しようとして罰せられたからだと私は考えている。彼が他国のエージェントだと疑われているとまでは思わないが、集団主義的な日本人は、鳩山由紀夫という名前に対する適切な反応は冷笑であると学んだようだ。日本全体がそう反応しているように思えてならない。


(12)以上の認識と危機感から、私は新しい憲法9条の制定に賛成する。しかしその内容は、憲法改正を望む大方の人々が考えている内容とは異なる。私は、新9条が、より前向きな意思の表明となることを願う。これまで通りの反戦憲法であるにとどまらず、積極的平和の構築を明確に打ち出す真の平和憲法であって欲しい。平和とかを何か明記し、公平と共感の精神を高く掲げるものであったほしい。



こうしたヨハン・ガルトゥングの指摘は、2017年6月23日の翁長雄志沖縄県知事の「平和宣言」を鮮やかに蘇させる。
 「平和の礎」の建立こそ、積極的平和主義の道筋であり、この「平和宣言」には、世界への平和のメッセージが鋭く盛り込まれたいた。
 最後に、「今の日本を見ると、今や想像力も勇気も見る影はなく、ワシントンから聞こえてくる主人の声に従うという態度が蔓延している。」、との言葉は、まさしく、 日本という国が、「米国の目下の政府として、対米従属政策を『国是』とする」、ことを言い当てたものである。




by asyagi-df-2014 | 2017-07-05 05:45 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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