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本からのもの-「[寄稿]徴用工問題の解決に向けて」

著書名;徴用工問題の解決に向けて
著作者:宇都宮健児
出版社;ハンギョレ


 宇都宮健児弁護士(以下、「宇都宮」)が、ハンギョレに2019年7月22日、「徴用工問題の解決に向けて」を寄稿した。
 誰もが見ても、現在、日韓関係の悪化は明らかである。
それは、「韓日関係が、日本植民地からの解放以来最悪に突き進んでいる。今回は独島ではなく強制徴用問題だ。日本の貿易制裁で火がついたが、発火の原因は昨年の韓国最高裁(大法院)の判決だった。最高裁は、強制徴用被害者に対し日本の戦犯企業が賠償責任を取るよう判決を下した。日本がこれを問題視し、日本帝国主義時代の被害を受けた韓国国民の損害賠償請求権は韓日請求権協定で消滅したかをめぐる論争が再燃した。朝鮮日報など韓国の保守右派メディアまで日本側に加勢し混乱している様相だ」、とハンギョレが伝えるものになっている。
 こうした状況を考えるために、今回の「宇都宮」の寄稿で考える。
この「宇都宮」の寄稿は、1.韓国大法院判決に対する日本政府の対応の誤り、2.徴用工問題の本質は人権侵害問題である、3.2012年12月11日の日本弁護士連合会と大韓弁護士協会の共同宣言、との三つの問題意識に分けられている。
 それぞれについて触れてみる。


1.韓国大法院判決に対する日本政府の対応の誤り


 この日韓関係の悪化については、日本政府が、三権分立の意味を理解できないというよりは、このことを利用しようとする思惑の強さが、実は目立つのであるが、この「日本政府の誤り」について、「宇都宮」は、次のように指摘する。


(1)2018年10月30日、韓国大法院(最高裁)が新日鉄住金株式会社に対し元徴用工4人への損害賠償を命じた判決について、安倍晋三首相は同年10月30日の衆議院本会議において、元徴用工の請求権について「1965年の日韓請求権・経済協力協定によって完全かつ最終的に解決している」とした上で、「判決は国際法に照らして、あり得ない判断だ。日本政府として毅然と対応していく」と強調した。また、河野太郎外務大臣も「判決は暴挙であり、国際法に基づく国際秩序への挑戦だ」と韓国大法院の判決を批判した。テレビ・新聞など日本のほとんどのマスメディアは、このような政府の姿勢に追随し、韓国大法院判決と韓国批判の大合唱を行っている。
(2)しかしながら、国民主権の民主主義国家においては、立法、司法、行政の三権は分立しているのが原理・原則となっている。三権が一権に集中すると独裁政権となり、権力の濫用が行われ、国民・市民の自由と人権が侵害される危険性が大きくなるからである。有名なフランス人権宣言16条では「権利が確保されず、権力の分立が定められていないすべての社会は憲法をもたない」と規定している。
(3)そして三権分立下での司法の中心的役割は、国民・市民の基本的人権を守るという立場から、立法・行政をチェックするところにある。元徴用工の人権を守るため韓国大法院が仮に韓国政府の立場と異なる判断をしたとしても、民主主義社会における司法のあり方として全然おかしいことではないのである。
(4)韓国大法院の判決を暴挙として批判を繰り返す日本政府や政府に追随する日本のメディアは、民主主義社会における三権分立とは何か、三権分立下における司法の役割とは何かを、全く理解していないものと言わざるを得ない。


 「宇都宮」は、その根拠を次のように示す。


(1)元徴用工などの個人の損害賠償請求権を国家間の協定によって消滅させることができないことは、今や国際人権法上の常識となっているものである。
(2)これまで日本政府や日本の最高裁判所においても、日韓請求権協定によっても実体的な個人の損害賠償請求権は消滅していないと解釈されてきたものである。
①1991年8月27日の参議院予算委員会において、外務省の柳井俊二条約局長(当時)は、「いわゆる日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが(中略)日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」と答弁している。
②日本の最高裁判所は2007年4月27日、中国人強制連行の被害者が日本企業の西松建設に賠償を求めた判決で、中国との間の賠償関係等について外交保護権は放棄されたが、被害者個人の賠償請求権については、「請求権を実体的に消滅させることまでを意味するものではなく、当該請求権に基づいて訴求する権能を失わせるにとどまる」と判断している。この最高裁判決の後、勝訴した被告の日本企業西松建設は、強制連行被害者との和解に応じている。この最高裁の解釈は、韓国の元徴用工の賠償請求権についても、当然あてはまる。この最高裁の解釈によれば、実体的な個人の賠償請求権は消滅していないのであるから、日本企業新日鉄住金が任意かつ自発的に賠償金を支払うことは法的に可能であり、その際に、日韓請求権協定は全く法的障害にならないはずである。


 ここで確認できることは、次のことである。


Ⅰ.三権分立下での司法の中心的役割は、国民・市民の基本的人権を守るという立場から、立法・行政をチェックするところにある。したがって、元徴用工の人権を守るため韓国大法院が仮に韓国政府の立場と異なる判断をしたとしても、民主主義社会における司法のあり方として当たり前のことであること。
Ⅱ.元徴用工などの個人の損害賠償請求権を国家間の協定によって消滅させることができないことは、世界的な国際人権法上の常識となっていること。
Ⅲ.これまで日本政府や日本の最高裁判所においても、日韓請求権協定によっても実体的な個人の損害賠償請求権は消滅していないと解釈されてきたこと。


 この意味で、「宇都宮」の「安倍首相の日韓請求権協定により『完全かつ最終的に解決した』という国会答弁が、元徴用工個人の賠償請求権は完全に消滅したという意味であれば、日本政府のこれまでの見解や日本の最高裁判所の判決への理解を欠いた答弁であり、完全に誤っているといわねばならない。」、との見解が意味を持つ。


2.徴用工問題の本質は人権侵害問題である


 「宇都宮」は、この問題の本質は、人権問題であると捉えることができるかにかかっていると、次のように指摘する。
 まずは、日本企業に対して。


(1)新日鉄住金を訴えた元徴用工は、賃金が支払われずに、感電死する危険があるなかで溶鉱炉にコークスを投入するなどの過酷で危険な労働を強いられてきた。提供される食料もわずかで粗末なものであり、外出も許されず、逃亡を企てたとして体罰をかせられるなど、極めて劣悪な環境に置かれていた。これは強制労働(ILO第29号条約)や奴隷制(1926年奴隷条約)に当たるものであり、重大な人権侵害である。
(2)徴用工訴訟は、重大な人権侵害を受けた被害者が救済を求めて提訴した事案であり、社会的にも解決が求められている事案である。したがって、この問題の真の解決のためには、被害者が納得し、社会的にも容認される解決内容であることが必要である。被害者や社会が受け入れることができない国家間の合意は、いかなるものであれ真の解決とはなり得ない。徴用工問題の本質が人権侵害問題である以上、なによりも、被害者個人の被害が回復されなければならない。そのためには、新日鉄住金など日本企業が韓国大法院判決を受け入れるとともに、自発的に人権侵害の事実と責任を認め、その証として謝罪と賠償を含めて被害者及び社会が受け入れることができるような行動をとることが必要である。
(3)例えば、中国人強制連行事件である花岡事件、西松建設事件、三菱マテリアル事件などでは、訴訟を契機に、日本企業が事実と責任を認めて謝罪し、その証として企業が拠出して基金を設立し、被害者全員の救済を図ることで問題を解決した例がある。そこでは、被害者個人に対する金銭の支払いのみならず、受難の碑ないし慰霊碑を建立し、毎年中国人被害者等を招いて慰霊祭等を催すなどの取り組みが、行われてきている。
(4)新日鉄住金をはじめとする日本企業は、元徴用工の被害者全体の解決に向けて踏み出すべきである。それは企業としても国際的信頼を勝ち得て、長期的に見れば企業価値を高めることにもつながる。また、日本の経済界全体としても日本企業のこのような取り組みを支援することが期待される。


 次に、日本政府に対して。


(1)徴用工問題に関しては、劣悪な環境に置いた日本企業に賠償責任が発生するのは当然のことであるが、日本政府・日本国の責任も問題となる。なぜなら、徴用工問題は、1910年の日韓併合後朝鮮半島を日本の植民地とし、その下で戦時体制下における労働力確保のため1942年に日本政府が制定した「朝鮮人内地移入斡旋要綱」による官斡旋方式による斡旋や、1944年に日本政府が植民地朝鮮に全面的に発動した「国民徴用令」による徴用が実施される中で発生した問題であるからである。
(2)このようなことを考えれば、日本政府は新日鉄住金をはじめとする日本企業の任意かつ自発的な解決に向けての取り組みに対して、日韓請求権協定を持ち出してそれを抑制するのではなく、むしろ自らの責任をも自覚した上で、徴用工問題の真の解決に向けた取り組みを支援すべきである。


 ここで、徴用工問題の本質として確認しなければならないことは、次のことである。


Ⅰ.この徴用工問題は、重大な人権侵害を受けた被害者が救済を求めて提訴した事案であり、社会的にも解決が求められている事案であると受け止めること。
Ⅱ.この問題の真の解決のためには、被害者が納得し、社会的にも容認される解決内容であることが必要であること。
Ⅲ.徴用工問題の本質が人権侵害問題である以上、なによりも、被害者個人の被害が回復されなければならないこと。
Ⅳ.被害者や社会が受け入れることができない国家間の合意は、いかなるものであれ真の解決とはなり得ないこと。


 この徴用工問題の解決に向けての取り組みについて、「ナチス・ドイツによる強制労働被害に関しては、2000年8月、ドイツ政府と約6400社のドイツ企業が『記憶・責任・未来』基金を創設し、これまでに約100カ国の166万人以上に対し約44億ユーロ(約7200億円)の賠償金を支払ってきている。このようなドイツ政府とドイツ企業の取り組みこそ、日本政府や日本企業は見習うべきである。」、と「宇都宮」は明快に示す。


3.2012年12月11日の日本弁護士連合会と大韓弁護士協会の共同宣言


 「宇都宮」は、今回の「寄稿」の結論を次のようにまとめている。


「徴用工問題の本質が人権侵害問題である以上、なによりも元徴用工個人の被害回復がされなければならない問題である。そのためには、まず、加害企業である日本企業は、自発的に人権侵害の事実と責任を認め、その証として謝罪と賠償を含めて被害者及び社会が受け入れることができるような行動をとるべきである。そして、日韓両国政府は相互に非難しあうのではなく、何よりも人権侵害を受けた元徴用工の被害回復の一点で日韓両国政府は協力すべきである。2010年12月11日の日弁連と大韓弁協の「共同宣言」は、その際の貴重な指針になるものと考える。」


 この指針となる「共同宣言」について、「宇都宮」は次のように説明する。


(1)私が日本弁護士連合会(日弁連)の会長を務めていた当時の2010年12月11日、日弁連と大韓弁護士協会(大韓弁協)(当時の会長は金平祐(キム・ピョンウ)弁護士)は、日本国による植民地支配下での韓国民に対する人権侵害、特にアジア太平洋戦争時の人権侵害による被害と被害回復に関し開催した共同シンポジウムの成果を踏まえて、日本軍「慰安婦」問題や強制動員被害の救済のために、「共同宣言」を発表している。
(2)この共同宣言の骨子は、以下のような内容である。
1.われわれは、韓国併合条約締結から100年を経たにもかかわらず、日韓両国及び両国民が、韓国併合の過程や韓国併合条約の効力について認識を共有していない状況の下で、過去の歴史的事実の認識の共有に向けた努力を通じて、日韓両国及び両国民の相互理解と相互信頼が深まることが、未来に向けて良好な関係を築くための礎であることを確認する。
2.われわれは、日本軍「慰安婦」問題の解決のための立法が、日本政府及び国会により速やかになされるべきであることを確認する。この立法には、日本軍が直接的あるいは間接的な関与のもとに設置運営した「慰安所」等における女性に対する組織的かつ継続的な性的行為の強制が、当時の国際法・国内法に違反する重大な人権侵害であり、女性に対する名誉と尊厳を深く傷つけるものであったことを日本国が認め、被害者に対して謝罪し、その責任を明らかにし、被害者の名誉と尊厳回復のための金銭の補償を含む措置をとること、その事業実施にあたっては、内閣総理大臣及び関係閣僚を含む実施委員会を設置し、被害者及び被害者を代理する者の意見を聴取することなどが含まれなければならない。また、日本政府は、日本軍「慰安婦」問題を歴史的教訓とするために、徹底した真相究明と、教育・広報のための方策を採用しなければならない。
3.われわれは、1965年の日韓請求権協定の完全最終解決条項の内容と範囲に関する両国政府の一貫性がない解釈・対応が、被害者らへの正当な権利救済を妨げ、被害者の不信感を助長してきたことを確認する。このような事態を解消するために、日韓基本条約等の締結過程に関する関係文書を完全に公開して認識を共有し、実現可能な解決案の策定をめざすべきであり、韓国政府と同様に、日本政府も自発的に関係文書を全面的に公開すべきことが重要であるという認識に達した。
4.韓国においては、強制動員による被害の救済のために、強制動員被害の真相究明及び支援のための法律が制定されたが、日本政府においても真相究明と謝罪と賠償を目的とした措置をとるべきである。さらにわれわれは、2007年4月27日に日本の最高裁判所が、強制動員に関わった企業及びその関係者に対し、強制動員の被害者らに対する自発的な補償のための努力を促したことに留意しつつ、既に自発的な努力を行っている企業を評価するとともに、他の企業に対しても同様の努力を行うよう訴える。この際、想起されるべきは、ドイツにおいて、同様の強制労働被害に関し、ドイツ政府とドイツ企業が共同で「記憶・責任・未来」基金を設立し、被害者の被害回復を図ったことである。韓国では、真相究明委員会が被害者からの被害申告を受け被害事実を審査していることから、同委員会とも連携し、日韓両国政府の共同作業により強制動員被害者の被害回復を進めることも検討すべきである。


 この「宇都宮」の「寄稿」から、徴用工問題の解決に向けて、受け止めることができるのは、次のことである。


Ⅰ.韓国併合条約締結から100年を経たにもかかわらず、日韓両国及び両国民が、韓国併合の過程や韓国併合条約の効力について認識を共有していない状況にあることをまずは認識すること。
Ⅱ.この中で、過去の歴史的事実の認識の両国の共有に向けた努力を通じて、日韓両国及び両国民の相互理解と相互信頼が深まることが、未来に向けて良好な関係を築くための基本であることを確認すること。
Ⅲ.日本軍「慰安婦」問題及び徴用工問題のの解決のためには、日本政府及び国会により速やかな立法が必要であること。
Ⅳ.この立法では、日本軍が直接的あるいは間接的な関与のもとに設置運営した「慰安所」等における女性に対する組織的かつ継続的な性的行為の強制が、当時の国際法・国内法に違反する重大な人権侵害であり、女性に対する名誉と尊厳を深く傷つけるものであったことを日本国が認め、被害者に対して謝罪し、その責任を明らかにし、被害者の名誉と尊厳回復のための金銭の補償を含む措置が盛り込まれること。また、日本政府は、徴用工問題においても同様に、真相究明と謝罪と賠償を目的とした立法措置をとるべきであること。







by asyagi-df-2014 | 2019-09-01 07:56 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「福島第一原発は津波の前に壊れた」

著書名;「福島第一原発は津波の前に壊れた」
著作者:木村俊雄
出版社;文藝春秋2019 9月号


 本当に、久しぶりに、文藝春秋を読むことになった。
木村俊雄(以下、「木村」)さんは、文藝春秋9月号に、「福島第一原発は津波の前に壊れた」を掲載した。
この 「福島第一原発は津波の前に壊れた」で、原発そのものについて考える。
「木村」さんは、原発に対して、どのような考え方を持っているのか、また、福島第一原発の過酷事故の原因について、このように記している。


1.問題意識-再稼働の現状

①現在停止中の原発も、多くが再稼働に向けて動き出しています。原発メ-カ-日立製作所の会長で経団連会長も務める中西宏明氏も、今年4月の記者危険で「再稼働していくことが重要」と発言しています。かって、福島第一原発で原子炉の設計・管理業務に関わった者として、私はこの動きを非常に危惧しています。原発事故の原因の検証がいまだに十分になされていないからです。
②再稼働のためには、「事故原因」を踏まえた新たな「安全対策」が絶対条件となるはずです。けれども「安全対策」どころか、肝心の「事故原因」すら曖昧にされているのが現状なのです。


2.問題意識-何かがおかしい。事故原因について

①東電の事故報告書は、「津波想定については結果的に甘さがあったと言わざるを得ず、津波に対する備えが不十分であったことが今回の事故の根本的な原因」と結論づけています。
②実は「津波」が来る前からすでに、「地震動」により福島第一原発は危機的状況に陥っていたことが分かったのです。メルトダウンの第一の原因は、「津波」ではなく「地震動」だった可能性が極めて高い、ということです。「津波が原因」なら、「津波対策を施せば、安全の再稼働できる」ことになりますが、そうではないのです。


3.わかったこと-東電が重要デ-タを公開していないこと

①「何かがおかしい」。「東電は、すべてのプラントデ-タを公開していない」と、とくに気になったのは、炉心内の水の流れを示す「炉心流量」に関連するデ-タが一切公開されていなかったことでした。
②これは、「過度現象記録装置」という計算機が記録するデ-タで、航空機でいえば、フライトレコ-ダ-やボイスレコ-ダ-に相当するものです。

4.わかったこと-燃料がドライアウトという事実

①開示されたデ-タを分析したところ、過度現象記録装置は、地震発生後、プラントの全計測デ-タを百分の一秒周期で収集し、計算期内に保存していました。
②BWR(沸騰水型)では、水が原子炉圧力容器内で、「自然循環」していれば、電源喪失で電気が止まっても、炉心の熱を訳五〇%出力まで除去できる仕組みになっています。「自然循環」はBWRの安全性を保障する極めて重要な機能を担っているのです。
③逆に言えば、「自然循環」がなくなれば、BWRは危機的状況に陥ります。「自然循環」による水流がなくなると、炉心内の燃料パレット(直径・高さともに一センチ程度の円筒形に焼き固めた燃料)が入っているパイプ(燃料被覆菅)の表面に「気泡」がびっしり張り付きます。この「気泡」が壁となり、熱を発している燃料被覆菅と冷却水を隔離してしまい、冷やすことができなくなり、次々に燃料が壊れてしまう。これを「ドライオウト」と言います。

④過度現象記録装置のデ-タを解析して分かったのは、地震の後、わずか一分三十秒後に、「ドライアウト」が起こっていた可能性が高い、ということです。
⑤ではなぜ、「自然循環」が止まってしまったのか、私が分析したデ-タや過去の故障実績を踏まえると、圧力容器につながる細い配管である「ジェットポンプ計測配管」の破損が原因である可能性が極めて高い、と考えられます。
⑥「運転員の過失」というより、「設計上・構造上の欠陥」なのです。
⑦いずれにせよ、津波の第一波が到達したのは、地震の四十一分後の十五時二十七分ですが、そのはるか前に炉心は危機的状況に陥っていた、ということです。

5.わかったこと-東京電力の過ち

①私のデ-タ分析に対して、東電は「炉心流量の計測には、ロ-カットフィルタリングという回路があり、そういった処理が数値上なされているだけで、実際には数量は止まっていない。自然循環は残っている。だから自身によってドライアウトが起こったわけではない」という主張を繰り返してきました。
②ところが、五月の公判で東電側は、「反対尋問の資料」として原子炉のメ-カ-の設計書を出してきたのです。その設計書を読んでみると、驚くことに、私が解析に使用した炉心流関連デ-タのほぼ全てが、ロ-カットフィルタリング回路を通す前段のデ-タであることが判明したのです。つまり、ロ-カットフィルタリング回路による処理のないデ-タでした。東電は、自分の主張を否定するような証拠を自ら提出してきたわけです。
③恥ずかしながら、私自身も事故情報の隠蔽に加担したことがあります。デ-タの改竄も行っていました。
④「安全性」よち「経済合理性」を優先する企業体質でもありました。一九九〇年代後半から電力自由化の動きが始まると、原子力の優位性を示そうと、発電単価を下げるための圧力が現場にも押し寄せてきました。そのため、法令で定められた運転期間を延長したり、二十四時間休みなしの作業で定期検査機関を短縮するような行為も日常茶飯事でした。

問題意識-原発そのものについて

①原発にはそもそも無理があるというのが、長年、現場経験を積んできた私の実感で、私は「反原発」です。
②安全基準作りの根拠となるべき事故原因の究明すら、いまだなされていないのです。
③東電は「津波によってメトルダウンが起きた」という主張を繰り返しています。。そしてその「津波」は、「想定外の規模」で原子力損害賠償法の免責条件にあたるとしています。しかし、「津波が想定外の規模だったかどうか」以前に、「津波」ではなく「地震動」で燃料破損していた可能性が極めて高いのです。
④私が分析したように、「自然循環」停止の原因が、ジェットポンプ計測配管のような「極小配管の破損」にあったとすれば、耐震対策は想像を絶するものとなります。細い配管のすべてを解析して耐震対策を施す必要があり、膨大なコストがかかるからです。おそらく、費用面で見て、現実的には、原発はいっさい稼働できなくなるでしょう。


 最後に、「木村」は、次のように警告します。


「原発事故からすでに八年が経ちますが、この問題は、決して、“過去の話”では在りません。不十分な事故調査にもとづく不十分な安全基準で、多くの原発が今も稼働し続けているからです。」


 この「木村」の告発の書から、「不十分な事故調査にもとづく不十分な安全基準で、多くの原発が今も稼働し続けている」、ということを改めて確認する。
また、日本政府と東電による「『津波によってメトルダウンが起きた』という主張を繰り返しています。そしてその『津波』は、『想定外の規模』で原子力損害賠償法の免責条件にあたる」(木村)、との主張はごまかしであり、すでにその理屈は事実の前に崩壊している。
 したがって、「『津波が想定外の規模だったかどうか』以前に、『津波』ではなく『地震動』で燃料破損していた可能性が極めて高い。」(木村)、との事実を日本の原発を考える上での判断基準にしなければならない。




by asyagi-df-2014 | 2019-08-23 07:02 | 本等からのもの | Comments(0)

沖縄県の「他国地位協定調査報告書(欧州編)」を読む。

著書名;「他国地位協定調査報告書(欧州編)」
著作者;沖縄県
HP  ;沖縄県地位協定ポ-タルサイト


 沖縄県は、2019年4月、「他国地位協定調査報告書(欧州編)」(以下、「報告書」)を公表した。
 この、「報告書」を読む。なお、アンダーライン等は、筆者による。
まず最初に、「報告書」による、日本の現状の確認から、日米地位協定の問題点の把握まで。

1.日本の現状の確認から、日米地位協定の問題点の把握

(1)日米地位協定とは。
①米軍による我が国における施設・区域の使用と我が国における米軍の地位について規定したもの。
②1960年に日米間で締結されて以来、現在まで一度も改定されていないこと。
③この間、米軍人等による様々な事件・事故、米軍基地に起因する騒音問題や環境問題等が発生していること。

(2)1972年の本土復帰から20180年12月末まで、沖縄県で米軍人等によって引き起こされた様々な事件・事故等について。
①米軍人等による刑法犯が5,998件。
②航空機関連の事故が786件。
③騒音問題では、嘉手納飛行場及び普天間飛行場の周辺住民が、国に対し、夜間・早朝の飛行差し止めや損害賠償を求める訴訟を幾度も提起するなど、日常的な航空機騒音に悩まされていること。
④米軍基地の返還跡地から環境基準値を超える有害物質が発見されるなどの環境問題も発生していること。

(3)近年、沖縄県で引き起こされたこと。
①2016年に米軍属の男が女性に対する死体遺棄。
②強姦致死及び殺人の容疑で逮捕・起訴された事件。
③オスプレイの名護市の集落近くへの墜落。
④2017年に東村の民間地へのCH-53Eの不時着・炎上。
⑤2017年CH-53Eの普天間第二小学校への窓枠の落下。
⑥2018年に米軍ヘリの施設外の民間地域への相次ぐ不時着、オスプレイのエンジンカバーの落下。
⑦名護市におけるキャンプ・シュワブからの流弾事故。

(4)沖縄県外において引き起こされたこと。
 2018年2月に三沢基地(青森県)所属のF-16戦闘機が離陸直後にエンジン火災を起こし、基地近くの小川原湖に燃料タンク2個を投棄したことで燃料油が流出し、シジミやワカサギなどが全面禁漁に追い込まれるなどの事故が発生。

(5)結局、このような相次ぐ事件・事故の度に日米地位協定の問題点が指摘されてきた。
(6)しかし、日米地位協定の見直しについては、次の状況。
①2000年に沖縄県が11項目の日米地位協定の見直しに関する要請を日米両政府に対して行った。
②米軍提供施設等が所在する主要都道府県で構成する渉外知事会や日本弁護士連合会が行った。
③2003年には、自民党国会議員でつくる「日米地位協定の改定を実現し、日米の真のパートナーシップを確立する会」も改定案を作成し、日米地位協定の見直しを求めてた。
④沖縄県は2017年9月に、平成12年に実施した見直しに関する要請以降の状況の変化を踏まえ、見直し事項を新たに追加し、日米両政府に要請を行った。
⑤2018年2月には、公明党も日米地位協定検討ワーキングチームを党内に設置し、同年8月には政府に対し、起訴前の身柄拘禁の日本側への移転について、現在の運用を日米地位協定に明記することなど5項目の申し入れが行われたほか、2019年1年1月には直接訪米し、米政府への申し入れも行われた
⑥国民民主党も2018年12月に、米軍への国内法適用など6項目の日米地位協定改定案をまとめた。
⑦全国知事会においても、沖縄県からの提案をきっかけに設置された「米軍基地負担に関する研究会」における計6回の議論を踏まえ、2018年7月に、日米地位協定の抜本的な見直しを含む「米軍基地負担に関する提言」が全都道府県による全会一致で取りまとめられ、同年8月には政府に対して提言が行われた。

(7)これまでの日米両政府のの考え方
「環境補足協定」や「軍属に関する補足協定」を締結しているものの、その実効性は十分とは言い難い状況であり、依然として、多くの基地問題が発生する都度、運用改善により対応している。

(8)沖縄県の考え方
①米軍基地を巡る諸問題の解決を図るためには、原則として日本の国内法が適用されないままで米側に裁量を委ねる形となる運用の改善だけでは不十分であり、地位協定の抜本的な見直しが必要であると考えている。
②日米地位協定の見直しについては、米軍基地が集中する沖縄という一地域だけの問題ではなく、我が国の外交・安全保障や国民の人権、環境保護、そして何よりも、日本の主権についてどう考えるかという極めて国民的な問題であると考えており、今後も、日米両政府に対して粘り強く求めていく考えである。
③沖縄県としては、日米地位協定の抜本的な見直しを実現するためには、この問題が日本国民全体の問題として受け止められる必要があると考えている。そのためには、日米地位協定に関する基礎的な情報や同協定が抱える問題点、そして見直しの必要性に対する理解を国民全体に広げていく必要がある。
④しかし、現状は、米軍専用施設が沖縄に集中していることもあり、事件や事故が起きても沖縄の問題として扱われ、この問題に対する理解や見直しに対する議論が国民的なものには至っていないのが実情であると考えている。
⑤このような状況を踏まえ、日米地位協定の問題点を更に明確化し、同協定の見直しに対する理解を広げることを目的として、他国の地位協定や米軍基地の運用状況について調査を行うものである。

(9)調査方針の特徴

①日米地位協定は、協定本文だけではなく、数多くの日米合意を含んだ大きな法体系になっていることに加え、協定の実施について協議する日米合同委員会は、原則として議事内容が非公開とされており、一部の関係者を除き、その協議内容を把握することはできない。
②これらのことから、日米地位協定を法的な側面から緻密に分析を行うことは非常に困難であり、それを一般国民が理解できるようにすることは更なる困難を伴うことが想定される。
③他国との比較という面から検討してみると、他国においてもやはり地位協定の下にそれぞれの国内法令や両国間での合意事項などが存在しており、そのすべてを詳細まで調査を行うことは難しい状況である。一方、日本と同じように米軍が駐留する他国においても、米軍に起因する事件・事故や訓練による騒音問題など、類似の事案が発生している。事案に対する各国の対応は、派遣国と受入国の間で締結した地位協定や受入国の国内法令、両国間での合意事項などが反映されたものとなる。
④このため、各事案に対する各国の対応(事例)を比較することで、日本と他国における地位協定や米軍基地の運用の違いがより鮮明になるとともに、各国の対応の違いを生み出した地位協定や国内法令の適用状況等の違いについて、より理解しやすいものになると考えられる。
⑤このような観点から、本調査においては、法令を中心にした調査ではなく、他国と日本の事例比較を中心に調査を行っている。項目としては、近年、沖縄県において米軍機による事故や訓練に関する様々な問題が発生していることを踏まえ、米軍に対する受入国の国内法の適用、基地の管理権、訓練・演習に対する受入国の関与、航空機事故への対応を中心に調査を行っている。


2.「報告書」による、「調査結果(まとめ)」。

(1)ドイツ・イタリアにおける地位協定の改定や新たな協定締結の経緯
①ドイツでは、1988年に発生した駐留軍の航空機による度重なる事故により、ボン補足協定改定を求める国民世論が大きくなったことを背景に、ドイツ側が抜本的な見直しを要求している。
②改定交渉に望んだドイツの代表団には、連邦政府だけでなく各州の代表者も参加している。
③イタリアでは、1995年に了解覚書(モデル実務取極)を締結した3年後の1998年に発生した米軍機によるロープウェー切断事故で20名もの死者が発生したことをきっかけとして反米軍感情が高まったことを背景に、モデル実務取極に規定されていた米軍機の訓練に対する許可制度や飛行規制などを大幅に強化している。
④両国共に、事故をきっかけとした国民世論の高まりを背景に交渉に臨み、それを実現させている。

(2)ドイツにおける地位協定等の状況
①航空法や騒音に関する法律、ドイツ軍の規則などを原則として米軍にも適用させることで、夜間の飛行など米軍の活動を大きく制限している。
②米軍の飛行もドイツ航空管制(DFS)が原則としてコントロールし、空域での訓練はドイツ航空管制(DFS)の事前許可が必要である。
③周辺自治体の首長や職員には立入証が交付されており、正当な理由があれば立ち入りが可能。また、ドイツの米軍基地内にはドイツの警察官2名が常駐している。各基地には騒音軽減委員会が設けられ、周辺自治体の意見等を米軍が聴取し、前向きに対応している状況であった。
④航空機事故への対応に関しても、NATO標準化協定(NATO STANAG3531)により自国領域内における他のNATO加盟国の航空機事故への調査権限が認められており、ドイツ側が主体的に調査等に関与している状況であった。

(3)イタリアにおける地位協定等の状況
①イタリアの米軍基地は全てイタリア軍司令官の下に置かれており、米軍の訓練等の活動には事前にイタリア軍司令官の許可が必要となっている。
②米軍基地の航空管制はイタリア軍が行っている。
③1998年に発生した米海兵隊によるロープウェー切断事故を受けて、訓練の許可制度、飛行高度、飛行時間などの規制を大きく強化した。各基地には州レベルでの地域委員会が設けられており、自治体からの要望は、委員会等を通じてイタリア軍司令官が対応している。また、飛行ルートの変更など、自治体からの要望は受け入れられている状況であった。

(4)ベルギーにおける地位協定等の状況
①ベルギーは面積・人口共に日本の九州よりも小さな国であり、歴史上、1830年にベルギーとして独立するまで、周辺大国の影響・支配を数多く受けてきた。独立後も2回の世界大戦でいずれもドイツ軍の侵攻を受け、その軍事支配を受けている。このような歴史的背景を持つベルギーにとって、防衛の中心は国際的な組織に属することであり、そのため、同盟国との関係は重要なものとされており、多数の国際機関の本部も誘致している。
②そのような状況においても、1990年にはベルギー国内の飛行規則を改正し、自国軍機の最低飛行高度を80mに維持する一方、外国軍機による低空飛行を禁止する措置を取るなど、自国の法律や規則を駐留軍にも適用することで、駐留軍を自国軍よりも厳しい規制の下に置いている。元ベルギー空軍大将のミシェル・マンデル氏によれば、駐留軍に対する規制措置によって同盟関係や防衛力に対する悪影響はなかったとのことであった。
③在ベルギーのシエーブル米空軍基地においては、周辺自治体による基地内への立入り権が、当然の権利として認められている状況であった。

(5)イギリスにおける地位協定等の状況
①英国においては、NATO軍地位協定締結当初から、国内法である駐留軍法を整備するなど、英国法を駐留軍にも適用させている。それにより、駐留軍機に対する規制措置や米軍の様々な活動に対する英国国防省の承認制度などが整備されている状況であった。
②米軍機の墜落事故の際にも、英国警察が現場の規制線を張り、英国法に基づき優先的に捜索等を行っており、それを米軍側も当然のこととして認識しているとのことであった。
③在英米軍基地には、英空軍の司令官や英国防省警察が常駐しており、英空軍司令官は、基地周辺の準自治体である教会区の会議に出席し、基地で行われる演習や夜間飛行訓練などについて地域住民に説明を行うなど、基地と地域コミュニティの良好な関係を維持する取組を行っていることが明らかになった。

(6)日本における地位協定等の状況

①日本では、「環境補足協定」や「軍属に関する補足協定」を米国と締結しているものの、その実効性は十分とは言い難い状況であり、依然として、多くの基地問題が発生する都度、運用改善により対応している。
②日本政府は、1960年に日米地位協定が締結されて以降、米国に対して正式に改定を提起したことは一度もないとされている。
③国内法の適用に関して日本政府は、一般国際法上、駐留を認められた外国軍隊には特別の取決めがない限り接受国の法令は適用されず、このことは、日本に駐留する米軍についても同様であるとの立場を取り、日米地位協定にも一部の法令を除き日本の国内法を適用する条文がないことから、在日米軍には日本の国内法は原則として適用されていない。
④米軍機の飛行に関しては、航空機の運行について定めている航空法の第6章などの規定が、航空法特例法の規定により一部を除き適用除外となっている。また、日本政府は米軍機の飛行に対する規制権限を有しておらず、日米両政府で合意した夜間・早朝の飛行制限等も守られていない。
⑤地域委員会設置に関しても、これまで地元自治体が設置を求めているが実現していない。
⑥航空機事故等への対応についても、日米合同委員会において、施設・区域内のすべての者若しくは財産、施設・区域外の米軍の財産について、日本の当局は捜索、差押え又は検証を行う権利を行使しないことに合意しているほか、事故現場の統制についても日本側の主導により行われている状況ではない。

(8) 総括

Ⅰ.ドイツ・イタリアでは、米軍機の事故をきっかけとした国民世論の高まりを背景に、地位協定の改定や新たな協定の締結交渉に臨み、それを実現させている。
Ⅱ.ベルギー・イギリスでは、協定を包括的に補足するような協定の存在は確認することはできなかったが、外国軍の駐留や駐留軍に対する国内法の適用に必要な法整備を行い、自国の法律や規則を駐留軍にも適用させている。そのような取り組みにより、これらの国では、自国の法律や規則を米軍にも適用させることで自国の主権を確立させ、米軍の活動をコントロールしている。
Ⅲ.騒音軽減委員会や地域委員会の設置、基地内への受入国側人員の配置等それぞれの国の実情に応じた形で、米軍基地の運用について、地元自治体からの意見聴取や必要な情報の提供が行われているほか、受入国側の基地内への立入り権も確保されている。
Ⅳ.米軍機の墜落事故の際にも、受入国側が主体的に捜索等に関わっている状況であった。
Ⅵ.調査結果を総合すると、このような状況がNATO、ヨーロッパでは標準的であると考えられるが、これに対し、日本では、原則として国内法が適用されず、日米で合意した飛行制限等も守られない状況や地元自治体が求める地域の委員会設置や米軍機事故の際の主体的な捜索、基地内への立入り権の確保等が実現していない状況であり、NATO、ヨーロッパとは大きな違いがある。


 最後に、「報告書」は、「他国地位協定調査における今後の課題と取組」について、次のようにまとめている。

(1)これまでの調査において、米軍に対する受入国の国内法の適用、基地の管理権、訓練・演習に対する受入国の関与、航空機事故への対応等の点について、NATO、ヨーロッパでの標準的な状況が確認できたと考えている。
(2)一方、NATOのように集団的安全保障体制ではなく、米国と個別に地位協定を締結している国やヨーロッパ以外の地域における状況については、これまで明らかにはなっていない。このようなことから、今後、調査対象国を韓国、フィリピン、オーストラリアなどアジア諸国等にも拡大することで、調査の更なる展開を図り、日米地位協定の問題点を更に明確化していくと共に、これまでの調査で日本と各国の違いが明らかになった「駐留軍に対する国内法の適用」及び「領空における空域の管理」については、引き続き、調査を継続していく必要がある。
(3)地位協定ポータルサイトのより一層の内容充実、調査結果を分かりやすくまとめたパンフレットの作成などの取組により、日米地位協定の見直しの必要性に対する理解を国民全体に広げていく必要がある。


3.補論-沖縄県の「本論評は、執筆者個人の見解であり、沖縄県の見解ではない。」との紹介の基に。

 この「報告書」は、この報告書の理解を深めるために、の「沖縄県『他国地位協定調査 報告書(欧州編)』を読んで」と伊勢崎賢治東京外国語大学総合国際学研究院教授の「日米地位協定に『見直し』は必要であろうか?」を補論として、掲載している。

(1)明田川融法政大学法学部教授の沖縄県「他国地位協定調査 報告書(欧州編)」を読んで-特に、受け入れ国国内法適用ということの理解のために(筆者)-

1.有効な視点

①米国は、第二次大戦中から、冷戦体制崩壊後の今日にいたるまで、世界に広がる「基地帝国」(ジョン・W.ダワー)を構築してきた。そのため、米軍基地とそこに在る米軍人・軍属らを規律すべき取り決めについての何らかの洞察を得ようとする者にとっては、自国が米国と結んでいる取り決めと、他国と米国との間の取り決めを比較検討することが、一つの有効な視座を与える。
②そもそも日米地位協定の前身である行政協定締結交渉において、また、同協定改定交渉において外務省が範とあおいだのは、NATO軍地位協定(1951年)や旧西ドイツに駐留するNATO軍の地位に関する、いわゆるボン補足協定(1959年)であった。
③ドイツやイタリアに駐留するNATO軍(米軍を含む)を規定する取り決めと日米地位協定とでは―とりわけ受け入れ国側の基地への立ち入り、基地に対する管理権、受け入れ国法令の適用に関して―著しく異なることが判ると、琉球新報ならびに中国新聞取材班が独・伊両国に取材し、運用の面でも日本と大きく異なることを明らかにした(「駐留の実像」ならびに「イワクニ 地域と米軍基地 ドイツ・イタリアから」)。

2.沖縄県「他国地位協定調査」の特色

①2017年度より沖縄県が取り組んでいる本調査は、他国との比較論的調査という古典的な手法に依りながらも、近年の政治的要請にも応えるものと評価することができる。
②各事案への各国の「対応(事例)を比較する」ことから、日本と他国における地位協定運用の違いを「より鮮明にする」という方針が採られている。
③こうした「対応(事例)」中心の調査方針を採った点に特色がある。

3.受け入れ国の基地立ち入り権と管理権

①2018年度「他国地位協定調査」では、受け入れ国による基地への立ち入り権が独伊以外の国でも認められていることが確認された。米空軍シエーブル基地が所在するシエーブル市(ベルギー)の市長は、「私は当然、基地に入る権利があるし、入ることができる」「基地の中で何かが起きれば、私の市民たちの安全を確実にするために確かめる必要があるし、そうではない平常時であっても、基地で何が起こっているかを知る権利がある」と述べているのだ。基地提供を受けている側の基地広報官も、基地周辺自治体の「首長だけでなく、市役所の職員でも基地内には当然入ることができる」理由として、基地が「基地はベルギーの領土内にあるのだから」と証言している。

4.受け入れ国に国内法が適用されないという日本製の考え方-日本国法令の「尊重」にとどまる日米協定

①日米地位協定は、米軍人・軍属・それらの家族による日本国法令の「尊重」義務を規定し、米軍の作業は「公共の安全に妥当な考慮を払つて」行わなければならないなどと定めるのみだ。この点に関する政府(外務省)の考え方も、外国の国家機関である軍隊が受け入れ国の主権の下に服さないことの「当然の帰結」として、「一般国際法上」、外国軍隊には受け入れ国の法令の適用が「ない」のであり、したがって米軍に対しても、特定の事項に関する法令の適用が日米間で合意されている場合を除き、基地内外を問わず「原則として我が国の法令の適用はない」という立場をとってきた。
②米軍に国内法令が適用されないとどうなるか。たとえば、その第6章で最低高度の順守(第8 1条)や粗暴な操縦の禁止(第85条)などを定める航空法は、地位協定に基づく航空特例法― だから、正確には特例法という国内法の適用による航空法からの除外ということになるのだが ―によって米軍機には適用されない。そうした状況においても地位協定の運用改善によって対応していくことが合理的と説明する。
③日本政府は、外務省のホームページにある「日米地位協定Q&A」から具体的根拠の示せない「国際法」の文言を削ったものの、国内法令不適用の根拠が国際法にあるとする姿勢は変えていない(『朝日新聞』2019年1月13日)。

5.受け入れ国に国内法を適用させるという沖縄県等の考え方

①「米側に裁量を委ねる形となる運用改善だけでは不十分であり、日米地位協定を抜本的に見直すことで、米軍にも国内法を適用し、自国の主権を確立させる必要がある」というのが沖縄県としての「考え」である(2019年第2回沖縄県議会における渡久地 修議員の質問に対する知事公室長答弁)。
②沖縄県に加えて、日本弁護士連合会や野党議員も、基地周辺住民の権利侵害の多くは「日本法令の適用除外」によって起きており、「一般国際法」の根拠は如何と政府に質してきた。
③近年では、米国政府や米軍内にさえ、外国軍隊は国際法上、受け入れ国の法律に従うべきだとの見解を示している。

6.明田川融が示す受け入れ国国内法令適用という「考え方」

①「領土主権」(領域主権)である。これは、受け入れ国は自国の領域内にある全ての人と物に対して立法管轄権と法執行権を有するという考えで、「国際法の基本」である。したがって、「一般的に、特別な協定がない限り駐留軍には受入国の国内法が適用される」ことになる。日本の外務省の考え方とは正反対なのだ。(ちなみに、日弁連が政府に国内法の適用を求めるのもこの考え方に基づいており、この考えを裏づける「条約法に関するウィーン条約」には日本も1981年に加盟している。)
②土地や環境といった価値とともに、何より、「市民の権利」を守らなければならないという考え方である。たとえば、ドイツで行われていたNATOの飛行訓練を1990年に受け入れることになったベルギーでは、受け入れ地住民の間に騒音への懸念が高まった。そこでベルギー政府は地元の合意を得るために国内法令改正により飛行下限高度を引き上げ低空飛行を規制した。「他国と協議しなければならないことではない」という。「他国」より「地元の合意」を優先するベルギー政府の姿勢は、沖縄県の度重なる要請に重い腰をあげようとしない日本政府のそれとは異なる。
③最後に、「軍は様々な理由で駐留しているので、国内法による規制で駐留軍が撤退してしまうようなことはベルギーではあり得ない」という考え方も示唆を与える。しばしば、日米地位協定の改定を求めれば、米国が日本やアジア太平洋地域に対する関与を減退させることにつながりかねないという議論を耳にする。しかし、まさに米軍は「様々な理由」で日本に駐留している。兵站基地としての日本は米軍から「最高点に近い評価」を得ているという。加えて、駐留経費負担の面でも日本は「非常に気前がいい」(春名幹男『仮面の日米同盟』)。そして近年では、集団的自衛権行使容認も閣議決定された。
④このような状況を考えあわせるならば、内閣は国内法―とりわけ沖縄県の要望の強い航空法 ―を米軍にも適用して、沖縄に静かで安全な空を取り戻すことをうべきではないだろう。前年度調査で得られた「沖縄が抱える問題は、日本の政治家が動いて条約を勝ち取らないと解決が難しい。……世界の状況を見れば、米国が日本を必要としていることは明らかなのだから、そこをうまく利用して立ち回るべきだ」というランベルト・ディーニ伊元首相の言葉が想起される。その「政治家」を動かすためにも、日米地位協定問題をめぐる真の国民的議論が行われることを望む。

(2)伊勢崎賢治東京外国語大学総合国際学研究院教授の日米地位協定に「見直し」は必要であろうか?-国家間の互恵性について(筆者)-

1.まさしく、日米地位協定に「見直し」は必要であ在るのかという視点

①日米間に「主」と「従」の関係があり、「従」が「主」に対して、待遇の改善を求める。これが今まで日本人が求めてきた「見直し」である。しかし、本調査による他国の地位協定の「比較」が突きつける現実の要請は、待遇の「見直し」ではない。主従関係そのものの「見直し」である。
②駐留米軍の「自由の制限」は、すなわち受入国の「主権の回復」である。地位協定を巡る国際情勢の大変換期にあって、地位協定の「安定」に苦慮するアメリカ政府が行き着いた政策は、「互恵性」の導入であった(国務省 国際安全保障諮問委員会 地位協定に関する報告書、p23、2015年) 。
③互恵性。すなわち派兵国と受入国の主権が対等になる。外交特権のように「逆」がありうるのだ。「たとえ米軍の駐留が一方的なものであっても互恵性の導入は受入国の“国家のプライド”と“主権”にかかわる問題をかわすのに有効」とまで同報告書はうたう。互恵性は事故の防止を保証するものではない。だが、事故発生時に、少なくとも「不平等条約」であるという誹りをかわせる。
④互恵性とは、つまり「アメリカが本土で、他国の軍に許さないことを駐留米軍は受入国でやらない」ことであるから、「アメリカではFAA(アメリカ連邦航空局)のルールに外国軍機も従わなければならない」のになぜ?と、本調査でインタビューに応じた要人たちが「横田空域」に驚くのは当然過ぎるくらい当然のことなのだ。
⑤この「文化」は、アメリカの現在の戦場となっている新しい受入国との地位協定にも既に常態化している。駐留米軍への依存度が日本より格段に高いはずのアフガニスタンにおいても、だ。2012年に合意した両国の協定では、序文から「アフガニスタンの主権」が基調になっており、協定の文面を支配する「文化」の格差に目眩がする。アフガニスタンに裁判権での互恵性はまだないが、同協定では、米軍人・軍属を裁く米本国での裁判にアフガン政府関係者が立ち会える権利を保障している(アフガニスタン・アメリカ治安・防衛相互協力協定 第13条2項)。こんな措置は、日米間では、俎上にも上がらない。
⑥互恵性を基調とする「文化」は、米軍が使用する基地と空域は受入国の「主権」が支配し、当然、駐留米軍の「自由出撃」を許さない。本来これは、現代の開戦法規である国連憲章51条が固有の権利として国連加盟国に保障する個別的自衛権の観点から、当然の帰着である。「自由出撃」で誘発される敵国の報復の第一の標的は直近の受入国になるからだ。それは集団的自衛権を分かち合う間柄にとっても同じで、自衛権すなわち国防における主権は不可侵のものであり、「自由出撃」は独立した主権国家間の国際関係に存在し得ない概念である。これを許す日米間に、日本の主権は存在しない。
⑦同時に、その敵国に対して、日本の戦力、例えば自衛隊が何もしなくても、戦時国際法の中立法規の要求(基地を造らせない。通過をさせない。金を出さない等)を何も満たさない日本は、敵国にとって合法的な攻撃目標となる。「自由出撃」を許す日本は、アメリカのための「自動交戦国」である。

2.伊勢崎賢治のまとめ

 伊勢崎賢治は、「日本人は、今一度、鏡に映った自身の姿を見つめるべきだ。親米保守は、アメリカの行動のリスクを内包できない、同盟国にはあるまじき国防の「無主権」を。反米リベラルは、「九条の平和」の本当の姿を。なぜ、現代の国際関係では当たり前のこの「文化」が、日本に到達していないのか?朝鮮半島を基点とするこの圏域では、いまだ「冷戦」が継続しているからだ。」、とこの中でまとめる。
 また、次のように指摘する。

①朝鮮国連軍。38度線で北朝鮮/中国に対峙しているのはアメリカ/韓国軍ではない。“国連”である。拒否権を持つ中国を安保理に擁する現在の「国連」ではありえない終戦直後の国連軍である。本土から一万キロも離れたこの地域に国外最大の軍事拠点を置くアメリカに、「国際益」を装う機会を与え続ける冷戦の遺物である。
②戦後、日本が正式に国連加盟国になる前の1954年、日本は、アメリカ、イギリス、フランス、オーストラリアなど9カ国と「日本国における国際連合の軍隊の地位に関する協定」を結んでいる。この朝鮮国連軍地位協定は、日米地位協定と連動し、横田を含む7つの在日米軍基地が、この国連軍の使用に指定されている。つまり、「米朝開戦」は「“国連”朝開戦」であり、その開戦の意思決定に日本は含まれず、開戦と同時に日本は北朝鮮にとっての合法的な攻撃目標となる。「自動交戦国」の根源はここだ。
③日本は、「冷戦」の終結をじっと待つのか。それとも、国際法で保障されている国防の主権を盾に、現代の「国連」が匙を投げている“国連軍”の解体を主体的に推し進めるのか。本調査が次の訪問先にあげている韓国で、協働できる可能性を探って欲しい。



by asyagi-df-2014 | 2019-05-10 07:16 | 本等からのもの | Comments(0)

OKIRONを読む。-「普天間基地『返還問題』の起源を探る」

著書名;普天間基地「返還問題」の起源を探る~その①②③~
著作者; 野添 文彬 沖縄国際大学准教授
HP  ;OKIRON


 沖縄国際大学准教授の野添文彬(以下、野添)は、「1980年代を中心に、普天間基地返還問題がどのように沖縄において政治論点化していったのかを歴史的に振り返って検討する。これを通して、1996年の日米合意以降に注目しがちな普天間返還問題を相対化し、そもそも沖縄では何が求められてきたのかを考える。」、とこの論考の趣旨を押さえる。


(1)普天間基地は、1996年に日米両政府によって返還が合意された。しかし、返還条件が名護市辺野古への県内移設であることから、20年以上にわたって基地返還は実現しないままこの問題は迷走している。日本政府は、普天間基地の辺野古移設は、街の真ん中にある普天間基地の危険性を除去するとともに日米同盟の抑止力を両立させる「唯一の解決策」だとして、移設工事を進めている。
(2)一方、沖縄では、翁長雄志県知事を筆頭に、多くの県民が普天間基地の辺野古移設に反対し、政府の移設工事強行に反発の声が高まっている。2017年の世論調査によれば、普天間基地の辺野古移設に賛成する人は27%に対して反対する人は63%だった。辺野古移設に反対する人のうち県外または国外への移設を求める人が55%、「撤去」を求める人が36%に対し、「普天間にそのまま残すべき」と答えた人は、3%に過ぎなかった(河野啓「沖縄米軍基地をめぐる意識―沖縄と全国」『放送研究と調査』2017年8月)。つまり沖縄県民の多数が、辺野古移設に賛成であれ反対であれ、普天間基地返還を求めているのだ。


 したがって、野添は、「私たちは、普天間問題を考える際に、県内移設を前提とした普天間基地返還という1996年の日米合意を『起源』と考えがちである。また、1996年の普天間返還合意については、その前年1995年の3人の米兵による少女暴行事件への沖縄県民の怒りや、当時の橋本龍太郎首相やクリントン大統領、ペリー国防長官のリーダーシップが注目される(宮城大蔵・渡辺豪『普天間・辺野古 歪められた20年』集英社新書、2016年)。しかしその結果、1996年以前から求められてきた、沖縄における普天間基地返還要求が見落とされがちなのではないだろうか。」、と


 この論理の展開の基に、「まず、普天間基地の歴史を見ておきたい。」、と始める。長い引用になります。


(1)普天間基地の建設が開始されたのは、1945年の沖縄戦の最中である。もともと、普天間基地がある場所には集落が存在し、約9000人が生活していた。4月に沖縄に上陸した米軍は南部へ侵攻し、同時に日本本土を攻撃するために集落を破壊して普天間基地を建設する。集落に住んでいた人々は、戦争中から戦後数か月間、収容所に収容されていた。彼らが1945年末から1946年半ばに解放されて自分たちの土地へ戻ったとき、集落は跡形もなく、普天間基地の滑走路が広がっていたのである。住民たちはやむなく基地の周辺で生活を始めるしかなかった。
(2)普天間基地は、当初陸軍が管轄していたが、1960年に海兵隊へ移管される。滑走路も、当初2400メートルだったが、朝鮮戦争で後方基地として使用され、1953年には2700メートルに延長される。とはいえ、当初、普天間基地は米軍にとってそれほど重要という訳ではなかった。米国がベトナム戦争の泥沼化に苦しんでいた1968年には、国防省内で普天間基地の閉鎖が提言されている(川名晋史「1960年代の海兵隊『撤退』計画にみる普天間の輪郭」屋良朝博ほか『沖縄と海兵隊―駐留の歴史的展開』旬報社、2016年)。
(3)ところが、沖縄の施政権返還が合意された1969年以降、普天間基地は強化されていく。同年11月には、第一海兵航空団の第36海兵航空群が普天間基地に移駐し、本拠地として活動するようになる。沖縄返還直後の1973年1月に嘉手納基地の補助飛行場としてジェット機が使用できるよう、普天間基地の滑走路の延長が行われる。1976年には山口県の岩国基地から第一海兵航空団司令部が沖縄のキャンプ瑞慶覧と普天間基地に移駐する。同年、北谷町のハンビー飛行場が返還されると、代替となる格納庫や駐機場などが建設されるとともに、ハンビー飛行場で行われていた海兵隊のヘリコプター訓練が普天間基地で行われるようになる。しかし、普天間基地の役割がますとともに、周辺地域への騒音被害や事故も増えていった。
(4)普天間基地が街の真ん中にあることを、米国政府も問題視していた。1973年、国務省政治軍事問題局は、普天間基地について、「ここで使用される航空機は、人の多く住む地域を低く飛び、目立った騒動を起こす」ので、「明らかに政治的負債」だと問題視している。また1976年に第一海兵航空団司令部が沖縄に移転してきた際には、米国の那覇総領事館は、移転先の普天間基地が街の真ん中にあることに懸念を表明していた(野添文彬『沖縄返還後の日米安保―米軍基地をめぐる相克』吉川弘文館、2017年)。
(5)沖縄戦の最中に建設された普天間基地は、1970年代に入る頃から機能が強化された。今回は、こうした中で、地元で普天間基地返還を求める声が高まっていく過程についてみていきたい。



宜野湾市の普天間基地返還要求
(6)1960年代以降、沖縄本島中部の要衝である宜野湾市では都市化が進んだ。宜野湾市の人口は1965年の3万5000人から1975年には約5万5000人、1980年には約6万3000人へと増大する。なお、普天間小学校の過密化から普天間第二小学校が暫定的に設置されたのが1969年、校舎の一部が建設されたのは1970年のことだった。しかし、それまであまり使われていなかった普天間基地の機能が強化され、騒音被害が深刻になったのはまさにこの頃からだったのである。
(7)1973年6月、宜野湾市は、市の面積の約4割が米軍基地に占められており、都市計画や交通体系、住民福祉の障害になるとして、米軍基地の返還を要請している。もっともこの時点では、「広大な基地の解放には多くの時日を要するものと思われ」るとして、基地の即時返還を求めてはいなかった。しかし普天間基地の役割が増大する中、騒音被害や事件・事故も頻発していた。1972年12月には、米軍機の燃料タンクが基地近くに建設中の沖縄国際大学に落下した。1980年10月2日には、普天間基地の滑走路で米軍機が訓練中に墜落し、乗員1名が死亡する。1982年8月19日には、訓練中の輸送ヘリが同基地の滑走路に墜落している。これは普天間第二小学校の200メートル先でしかなかった。この時期には普天間基地の外でも同基地所属のヘリが墜落や緊急着陸、不時着を繰り返している(『宜野湾市と基地』昭和59年)。こうした中、1980年に宜野湾市は普天間第二小学校の移転を検討し始める。
(8)さらに、1983年10月、宜野湾市が地元として初めて普天間基地の返還を要請する。きっかけとなったのは、1983年7月に米軍攻撃機Aスカイホークが普天間基地に移駐したことだった。ジェット機であるAスカイホークが夜間に飛行訓練を繰り返したことで、市民の間で基地被害・事故への不安が高まり、基地返還要求が強まったのである。
(9)こうして1983年10月8日、宜野湾市の安次富盛信市長が、西銘順治沖縄知事に普天間基地の移転を要請した。安次富市長は、次のように訴える。「普天間飛行場は市街地のど真ん中に位置し、本市の発展に大きな障害になっているばかりか、米軍ヘリや各種航空機の離発着訓練、演習等が昼夜頻繁に行われ、それから発生する爆音被害は恒常化しており、市民の物的、精神的障害は計り知れない」。その上で安次富市長は、普天間基地を「安全な場所に移転させてほしい」と要請したのである。(『宜野湾市と基地 昭和59年』)。


 あわせて、野添は、「西銘沖縄県知事の普天間基地返還論」の紹介する。


(1)実は当時、沖縄県知事であった西銘順治も1982年の再選にあたって普天間基地返還を掲げていた。西銘は、自民党の保守政治家であり、日米安保・自衛隊を支持していた。なお、宜野湾市の安次富市長も、自民党の保守政治家であった。その後、西銘知事は、1985年と1988年には訪米して米国政府に普天間基地返還を直接要請する。なぜ保守政治家の西銘が、普天間基地返還を唱えたのか。
(2)西銘は、沖縄県知事になる前には那覇市長や衆議院議員もつとめた有力政治家である。1968年以来、屋良朝苗、平良幸市といった革新系の知事は、日米安保反対、基地撤去を訴えてきた。これに対して西銘は、当時厳しい不況の中にあった沖縄経済を日本政府による財政支援によって立て直すことを最重点課題に置き、1978年の沖縄県知事選挙で勝利した。こうして西銘は、県政一期目の時期は、経済振興に重点を置き、基地問題については、整理縮小よりも、米軍による事件・事故への対応に専念した。日米両政府も、このような西銘の県政運営を高く評価していた。(野添『沖縄返還後の日米安保』)。
(3)しかし西銘は、再選をかけた1982年11月の沖縄県知事選挙では、積極的に米軍基地の整理縮小を掲げる。公約で西銘は、米軍基地は「振興開発の推進さらに県民生活向上の上からも大きな阻害要因」だとして、「基地の整理縮小を推進する」という方針を示した。そして西銘は、インタビューで「普天間飛行場等の都心部に位置している基地等については、これを移設していきたい」と発言する(『琉球新報』1982年11月9日)。再選後も西銘は、「都心部に位置している普天間飛行場等、市町村の再開発のじゃまになるような基地は、のけてもらう」との考えを示している(『琉球新報』1982年11月16日)。
(4)二期目以降の西銘の方針の変化にはどのような背景があるのか。一つは、公約でも述べているように、西銘が重視する沖縄の振興開発のためにも、米軍基地が大きな障害になっていたことである。第二に、米軍基地に対する沖縄県内の世論である。保守県政を誕生させたとはいえ、沖縄県民は、基地の縮小を強く望んでいた。1982年の世論調査では、米軍基地について「全面撤去」「本土並みに少なく」と回答した人は、77%に上っていた(河野啓「本土復帰後四〇年間の沖縄県民意識」『NHK放送文化研究所年報2013年』)。
(5)こうした中、西銘は、沖縄の経済発展のために重要な位置にあり、米軍関係の事件・事故が頻発する中、普天間基地の返還を主張するようになったといえる。また、西銘県政の元幹部によれば、西銘は、米軍による事件・事故が多いことや、宜野湾市が人口過密であることを問題視しており、「嘉手納基地もあることだし、普天間基地はいらないんじゃないか」と述べていたのだった。1980年代に入って普天間基地返還問題が沖縄で政治論点化する中、西銘順治県知事は1985年と1988年に訪米し、米国政府に対し普天間基地返還を直接要請する。今回は、この西銘訪米を検討し、沖縄で求められていたのは何だったのかを考える。

 
 次に、野添は、「西銘県知事訪米」の意味を押さえる。


(1)1984年11月、西銘知事は、記者会見で「沖縄の基地が過密で、それゆえいろいろな基地問題が派生している」と述べ、訪米して米国政府に直接基地問題の解決を訴える方針を示した。この背景には、当時、米爆撃機B52の相次ぐ飛来、米兵による住民殺害事件など、米軍関連の事件が多発していたという事情があった。当時の知事公室長・国吉真賜によれば、「現地軍と交渉したが、らちがあかない」と考えられたのである(琉球新報社編『戦後政治を生きて―西銘順治日記』琉球新報社、1998年)。なお、沖縄県知事が訪米して基地問題の解決を要請することは現在では珍しくないが、西銘訪米はその初の試みであった。
(2)西銘は、1985年5月から6月にワシントンを訪問し、ワインバーガー国防長官、アマコスト国務次官、アーミテージ国防次官補などと会談する。西銘は、ベトナム戦争の終結、米中・日中関係の改善など国際情勢が好転しているにもかかわらず、沖縄に米軍基地が集中し、「都市経済、産業振興の障害になっているし、被害も大きい」と訴えた。その上でキャンプ・ハンセン、キャンプ・シュワブでの演習の中止、普天間基地や那覇軍港の移設などを求めた。西銘は、日米安保を支持しながらも、「せっかくアメリカまで来たのだから、思いきったことを言わないと問題の早期解決にはならない」と覚悟して様々な要請を行ったのである(『琉球新報』1985年6月9日)。
(3)西銘は、1986年11月の沖縄県知事選挙で三選を果たす。しかし、この間も西銘は、県道104号線越えの実弾射撃訓練など基地問題に悩まされた。こうした中、1988年4月、西銘は再び訪米する。訪米前、西銘は基地問題について「政府だけにまかせておけない」と述べている(琉球新報1988年4月22日朝刊)。また西銘は、「基地問題は県政の中心課題」であり、「保守、革新を超えて解決に努力しないといけない」と発言している(『琉球新報』1988年4月18日朝刊)。西銘は、保革を越えた、いわば「オール沖縄」で基地問題に取り組む必要があると考えていたのである。
(4)訪米した西銘は、カールーチ国防長官やアーミテージ国防次官補、グレイ海兵隊総司令官らと会談する。ここで西銘は、「今後とも日米安全保障体制を踏まえた日米友好協力関係をより緊密にするためには、沖縄県民の不満を解消するとともに県民との摩擦を避けることが最も肝要」だと訴えた。その上で西銘は、「狭い沖縄県内で新たな代替地をみつけることは不可能に近い」として、米軍基地の整理縮小について全面的な見直しを求める。また西銘は、普天間基地について、土地利用や産業振興、さらに騒音や危険の問題から、その「早期返還」を要望した。


 野添は、こうした西銘県知事(当時)の訪米の意義について、「注目すべきは、西銘が、米軍基地の「移設なき返還」を求めたことである。」、と次のように押さえる。


(1)注目すべきは、西銘が、米軍基地の「移設なき返還」を求めたことである。1972年の沖縄返還実現以降、しばしば沖縄米軍基地の整理縮小が日米両政府によって合意されてきたが、そのほとんどが県内移設条件であり、移設先が決まらないで返還されない基地が多くあった。その最大のものが、1974年に返還合意された那覇軍港である(現在も未返還)。西銘は、「余程条件整備をやるか地域住民の支援がないとできない」として、「リロケーション(移設)前提は事実上不可能」で「沖縄に移転先をみつけるのは困難」だと考えていたのである(『琉球新報』1988年4月16日朝刊)。
(2)これらの二度にわたる西銘訪米は、ただちには成果をもたらさなかった。しかし、1995年9月、米兵三人による少女暴行事件が起こった時、米国では、かつて国防次官補をつとめ、西銘訪米の際に応対したアーミテージが、国防省に普天間基地返還を主張した。ペリー国防長官が、普天間基地返還を決断した背景には、知日派のアーミージの助言もあった(船橋洋一『同盟漂流 上』岩波書店、2006年、山本章子「米国の普天間移設の意図と失敗」『沖縄法政研究』2017年2月)。西銘の訪米は、こうした形で1996年の日米両政府による普天間基地返還合意に影響を与えたのである。


 最後に、野添は、「沖縄側の要求は『移設なき返還』」、と次のように指摘する。


(1)ここまで、普天間基地「返還」問題がどのように沖縄で政治論点化していったのかを見てきた。まず、沖縄戦の最中に、住民の生活する集落を破壊して造成された普天間基地の「出自」こそが、この問題の原点に他ならない。1970年代以降に普天間基地の機能が強化され、事件・事故が多発する中で、危険性の除去や沖縄の経済振興のために地元の宜野湾市や沖縄県で基地返還が公に要求されるようになった。さらに西銘県知事が、二度にわたる訪米によって、普天間基地返還を米国政府に直接訴えた。西銘は、日米同盟の安定という観点からも、基地負担への沖縄県民の不満を解消すべきだと考えていた。
(2)今日、日本政府は、普天間基地の危険性除去と普天間基地が返還された場合の経済発展を根拠として、普天間基地の辺野古移設を推進している。しかし、これらは、すでに1980年代には沖縄県内で唱えられていた。しかも、西銘が二度目の訪米で主張したのは、「移設なき返還」であった。西銘は、那覇軍港の例のように県内移設条件の返還は不可能であると認識していたのである。


 だから、野添は、普天間基地返還問題を考える上で、重要なことは、次のことであると結論づける。


「沖縄側の要求を、日米両政府は、最初は無視し、その後は辺野古移設を条件にして沖縄側の反発を引き起こし、基地の『返還』を事実上遠ざけてきたといえる。普天間基地の危険性が改めて明らかになる中、沖縄側が求めていたのは、普天間基地の『移設なき返還」であったことに立ち返って、この問題を考える必要があるのではないか。」


 確かに、この野添の論考から、普天間基地「返還」問題を考える上で、次のことが確認できる。


1.まず、沖縄戦の最中に、住民の生活する集落を破壊して造成された普天間基地の「出自」(野添)こそが、この問題の原点に他ならないということ。
2.1980年代には沖縄県内で唱えられていたのはが、「移設なき返還」であったこと。





by asyagi-df-2014 | 2019-04-05 07:08 | 本等からのもの | Comments(0)

「辺野古が唯一の解決策」を問うために-「普天間『返還』条件に『緊急時に民間施設の使用』 米軍はどの空港使う?」を読む

著書名;普天間「返還」条件に「緊急時に民間施設の使用」 米軍はどの空港使う?
著作者; 藤田直央(朝日新聞専門記者)
HP  ;AERAdot.AERA 2018年11月5日号


 私にとって現在の沖縄の課題を捉えるために、重要なテーマは、「「普天間返還問題」と「辺野古真意基地建設」は、分離して解決する問題として確認すること」、ということにあると考えている。
この意味で、AERAdot.の「普天間『返還』条件に『緊急時に民間施設の使用』 米軍はどの空港使う?」(藤田直央(以下、藤田)を読む。


 藤田は、「米軍普天間飛行場の移設先は辺野古沖だけではない。別に「緊急時」の滑走路も必要だ。そのひとつが民間空港になる。どこを米軍が使うのか。日本政府は口をつぐむ。」、書き始める。
 それは、日本政府のこんな考え方が背景にあるからだとする。


「民意って何ですかね」。9月末にあった沖縄県知事選での玉城デニー・前衆院議員の当選に、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の返還交渉に関わってきた防衛省幹部は苦虫をかみつぶす。日米両政府は1996年に打ち出した普天間返還の条件として、代替施設を名護市辺野古沖に造る「県内移設」に合意済み。だが玉城氏は、急逝した翁長雄志・前知事の「遺志を継ぐ」立場から反対する。日本政府は「辺野古移設が唯一の解決策」(菅義偉官房長官)と譲らない。「県内移設」に理解を示したかつての知事らと協議し、ようやく得た連立方程式の「解」だからだ。」


 藤田は、「こうした深い溝の底にある根本的な問題も、政府と沖縄県の対立再燃で鮮明になっている。」、と指摘する。そして、 この根本的な問題について、次のように指摘する。


(1)菅氏は『問題の原点は、世界で一番危険と言われ、周りに住宅や小学校がある普天間飛行場の危険除去にある』と語る。
(2)それならば日本政府はなぜ、国民を危険にさらす普天間飛行場の閉鎖をまず米政府に求めてこなかったのかということだ。
(3)背景には米政府の基本姿勢がある。日本にある米軍基地を返すとしても、米軍の活動に必要なその機能は日本の他の場所で確保を──。それを日本政府も「日米同盟の抑止力の維持」という立場で受け入れている。


 藤田は、この問題の本質を、「普天間『返還』は在日米軍基地が集中する沖縄の負担軽減の象徴とされるが、本質は『日本国内での機能移転』なのだ。」、と示す。あわせて、それが、「『世界一危険』と日本政府が繰り返す普天間飛行場を、代替施設ができるまで米軍が使い続ける矛盾として現れる。」、とも。
 また、藤田は、「これは実は沖縄だけの問題ではない。普天間返還のための代替施設は、辺野古沖以外にも必要なことをご存じだろうか。」、と日本全体に投げかける。
 それが、どういうことなのかいうとことについて、「日米で2013年に確認した普天間返還の8条件の一つの条項」が、実は、日本全体の問題なのだと指摘するのである。
 その条項とは、「普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のための緊急時における民間施設の使用の改善」、というもの。
藤田は、この条項に関して、次のように説明を加える。

(1)普天間の滑走路は2700メートルで、辺野古沖の代替施設は1800メートル。普天間から移る輸送機オスプレイなどの「回転翼」には足りるが、返還する飛行場の機能全体を別の場所で確保したい米政府にすれば足りない。普天間なみの「長い滑走路」をどこかの「民間施設」、つまり空港でせめて「緊急時」に使えるようにというわけだ。
(2)輸送機や戦闘機といった「固定翼」の使用が念頭にある。パイロットにすれば、物資や爆弾を積み込めば2700メートルでも若干不安なのは確かだ。
(3)だが、「緊急時」とは何か。防衛省は「日本が攻撃された場合」とだけ例示するが、そもそも米軍は日米安全保障条約で、「極東の平和」のためなら日本政府の同意のもとで日本のどこでも活動できる。普天間返還の条件として、あえて「民間施設の緊急時の使用」の確保を明記せずともよかったと言える。
(4)それでも「民間施設」の条件は05年の日米合意で初めて盛り込まれ、今に至る。合意当時に日本政府中枢で交渉に関わった複数の関係者によると、米政府の強い要望だったという。


 藤田は、「『台湾有事ですよ』と経緯に詳しい元防衛省幹部は明かす。」、と05年当時の日本政府の内幕を指摘する。


(1)台湾を中国の攻撃から守るための在日米軍基地からの出動は安保条約の下で想定されてきたが、05年には中国軍の増強傾向が明白だった。日米交渉で米側は、普天間なみの「長い滑走路」を日本政府が米軍のために確保するよう、返還条件への明記にこだわったという。
(2)当時の交渉での米側の攻勢ぶりは、やはり米軍が「緊急時」に必要だとして、航空自衛隊の新田原(にゅうたばる)基地(宮崎県)と築城(ついき)基地(福岡県)の使用まで条件に書き込まれたことにも表れている。滑走路は新田原が2700メートル、築城も延伸工事で2700メートルになる。
(3)返還される普天間なみの滑走路がなぜ「民間施設」に加え空自基地2カ所までいるのか。「安保条約で米軍が日本のどこでも使えるのだから構わないだろう、と米側に押し込まれた」と当時の首相官邸筋も振り返る。

 さらに、藤田は、「では、『民間施設』は国内のどの空港になるのか。」、と指摘を続ける。少し長い引用となる。


(1)防衛省は沖縄の負担軽減を強調しようと、普天間返還で代替施設は県内になるがヘリ使用想定で滑走路は短くなる上、「緊急時」の機能は「県外」で担うと説明してきた。だが、この「県外」は九州の空自基地2カ所の話で、「民間施設」選定では沖縄県内もありうるという。
(2)この件に関する米側の姿勢を明かす文書が二つある。まず米政府の活動の費用対効果を監視する独立機関GAO(米政府監査院)の昨年の報告書だ。
(3)それによると、米国防総省が14年に日本政府に求めて日米共同で「民間施設」の調査を開始。候補は12カ所挙がり、うち沖縄県内も1カ所あったという。GAOは、米軍が普天間なみの滑走路を使う「緊急時」の活動のため「国防総省が代わりの滑走路を沖縄で示せば問題解決を助ける」と指摘する。
(4)もう一つは内部告発サイト・ウィキリークスが入手した米外交公電だ。日本関連の公電の提供を受けた朝日新聞は、11年にこう報じている。09年に日本で民主党政権が発足した直後、日米の外務・防衛当局が普天間返還について協議した。鳩山内閣は代替施設の辺野古沖建設をやめ米軍嘉手納基地(沖縄県)に統合できないか探っていたが、協議でキャンベル国務次官補(東アジア・太平洋担当)はこう牽制した。「90年代は朝鮮半島や中国で有事作戦計画を実行するのに米軍嘉手納基地と那覇空港の滑走路があれば十分だったが、中国の劇的な軍事力増強により、有事に少なくとも滑走路3本へのアクセスが必要になった」。
(5)「滑走路3本」とは、嘉手納基地と那覇空港に加えもう一つの施設という意味のようだ。嘉手納含め飛行場が三つ必要なのに嘉手納に普天間を統合するなんて無理というわけだが、ここで重要なのは、米側が普天間返還を前提とした中国への有事対応に必要な飛行場として、すでに那覇空港を挙げていることだ。
(6)沖縄県は警戒している。昨年6月、当時の稲田朋美防衛相が「民間施設」について「米側と調整が整わなければ普天間は返還されない」と国会で答弁。辺野古沖の代替施設だけで済まないとの表明に、翁長知事は「大きな衝撃」と述べ、県は「那覇空港の米軍使用は決して認められない」と牽制した。
(7)GAOの報告書によれば日米共同調査による「民間施設」候補は沖縄県外にもある。ところが防衛省は、調査どころか「緊急時使用」の意味が日本有事からどこまで広がるのかすらノーコメント。「民間施設」が決まっても非公表もありうるという。


 さて、藤田は、問題の核心にはいる。


(1)確かに、米軍が日本で「緊急時に民間施設を使用」するのは相当危うい事態で、運用は極秘だ。しかも中国にらみとあれば首相訪中で関係改善を探る日本政府の口は重くなる。そんな機微な話が普天間返還という注目度の高いテーマで条件に明記されているわけだ。
(2)95年の沖縄県での米兵による少女暴行事件を機に、普天間返還が決まって二十数年。日本側の交渉経験者は、「飛行場は手放しても機能は守る」という米側の姿勢に「沖縄戦で米兵の血であがなった基地だ」という気概をひしと感じたという。
(3)日本側はどうか。長年にわたる日米交渉で、沖縄で、日本で、国民が背負う米軍基地負担は全体として減っているのか。そうした総論を「厳しさを増す安全保障環境」というかけ声でぼかし、国民生活に関わる「民間施設使用」をめぐる各論も語らないまま、安倍内閣は普天間問題を収束させるべく辺野古沖の代替施設建設へ突き進む。(朝日新聞専門記者・藤田直央)


 藤田が指摘しているように、稲田朋美防衛相(当時)は、17年6月の参院外交防衛委員会で「米側との具体的な協議やその内容に基づく調整が整わないことがあれば返還条件が整わず、普天間飛行場の返還がなされない」と政府関係者として初めて明言した。この答弁の根拠は、日米両政府が2013年4月に合意した「沖縄における在日米軍施設・区域に関する統合計画」である。
 このなかで、普天間飛行場の「返還条件」として以下の8項目が列挙されている。

(1)海兵隊飛行場関連施設等のキャンプ・シュワブへの移設
(2)海兵隊の航空部隊・司令部機能及び関連施設のキャンプ・シュワブへの移設
(3)普天間飛行場の能力の代替に関連する、航空自衛隊新田原基地及び築城基地の緊急時の使 用のための施設整備は、必要に応じ実施
(4)普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のための緊急時に おける民 間施設の使用の改善
(5)地元住民の生活の質を損じかねない交通渋滞及び関連する諸問題の発生の回避
(6)隣接する水域の必要な調整の実施
(7)施設の完全な運用上の能力の取得
(8)KC-130飛行隊による岩国飛行場の本拠地化


 藤田は、この第4項の「民間施設の利用の改善」について指摘しているのである。


 藤田の指摘で確認できることは、米政府は、「日米政府の基本姿勢がある本にある米軍基地を返すとしても、米軍の活動に必要なその機能は日本の他の場所で確保をする」との基本姿勢を示しているということである。ただ、そうは言いながらも、「沖縄戦で米兵の血であがなった基地だ」と沖縄への認識が米軍には強くあるということ。
 一方、日本政府は、①長年にわたる日米交渉にもかかわらず、沖縄で、日本で、国民が背負う米軍基地負担は全体として減っていないこと、②「厳しさを増す安全保障環境」と強弁するだけで国民生活に関わる「民間施設使用」をめぐることを何も説明することなく、普天間問題を収束させるために「辺野古が唯一の解決策」を繰り返しているに過ぎない。




by asyagi-df-2014 | 2019-04-04 10:17 | 本等からのもの | Comments(0)

OKIRONを読む。-「使えない辺野古」がなぜ「唯一の解決策」なのか

著書名;「使えない辺野古」がなぜ「唯一の解決策」なのか
著作者;渡辺 豪
HP  ;OKIRON


 渡辺豪(以下、渡辺)は最初に、この論考の意味を、「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への代替施設建設に伴う埋め立ての是非をめぐる県民投票で7割超の『反対』の民意が示された後も、政府は普天間の危険性除去には『唯一の解決策』なのかと呪文のように繰り返すばかりだ。あらためて問いたい、本当に『辺野古が唯一』なのか―。」、と規定する。
「辺野古が唯一の解決策」との安倍晋三政権の『理屈』をきちんと越えるために、渡辺の指摘で考える。


1.辺野古案以外の有力案-公明党の動き


(1)「公明、県内陸上案を検討」。2016年10月、普天間飛行場の移設先に関し、沖縄の地元紙に掲載された記事に注目が集まった。 「県内陸上案」とは何か。「名護市辺野古の埋め立てによる滑走路建設ではなく、キャンプ・シュワブ、ハンセンいずれか」 (2016年10月20日付沖縄タイムス) に代替施設を建設する案だという。
(2)キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセンは、いずれも沖縄本島北部の米海兵隊演習場だ。現計画はキャンプ・シュワブの半島先端部をかすめる形で海域を埋め立てる案だが、「県内陸上案」は埋め立てを伴わない内陸部の既存基地内に造る案である。この案を「検討対象の一つ」として論議している、と報じられたのは公明党の「在沖縄米軍基地調査ワーキングチーム」(以後WT)だ。WTは16年6月に発足。きっかけは16年4月に沖縄県内で起きた元米海兵隊員の米軍属による女性暴行殺人事件だった。
(3)公明党関係者は筆者の取材に当時、こう話した。「事件後、政府と米軍は再発防止を強調しましたが、党として沖縄県民の感情に寄り添ってもう少し踏み込んだ対策ができないかと、ゼロベースで沖縄の米軍基地の在り方を議論することにしたのです」。 「ゼロベース」議論の中には、普天間の移設先として「辺野古」以外の選択肢を検討することも排除されていなかったという。WTは公明党の国会議員と沖縄県内の地方議員で構成。沖縄、東京で会合を重ね、基地視察のほか有識者や外務・防衛官僚のヒアリングも行った。
(4)公明党内部の状況については少し説明が必要だろう。党の沖縄県本部は辺野古新基地建設に「反対」し、県外・国外移設を求める立場だが、東京の党本部は自民党とともに「推進」のスタンスで、地元と中央の間で「ねじれ」が生じている。当時、地元の党関係者はこう明かした。「現行の辺野古案以外の有力案として検討されていたのは、軍事アナリストの小川和久氏の案です」。
(5) 静岡県立大学特任教授の小川氏に取材を申し込むと、こんな答えが返ってきた。「私は1996年の普天間返還合意以来の当事者です。日本側の当事者能力の不在に失望しています。私が提案した以上の構想が出ていないからです」。 「当事者」を自認する小川氏の強い思いにひかれ、筆者は17年4月に取材に臨んだ。このとき小川氏は、開口一番にこう言った。「米軍は冷ややかに見ていますよ。軍事的合理性から見れば、まったく使えない施設ですから」。
(6)筆者はその後、同じ言葉を米軍関係者や日米の安全保障の専門家から聞くことになる。


2.辺野古はまったく使えない施設-有事のときは那覇空港を使う

(1)辺野古新基地が「使えない」とはどういう意味なのか。最大の要因は「キャパ不足」だという。 「辺野古案は普天間飛行場の38%のキャパしかありません。これでは有事に対応できないのです」(小川氏)。
(2)日本に展開している米海兵隊第1海兵航空団は456機を保有し、日本への配備は約100機。在日米海兵隊の航空基地は普天間のほか岩国基地(山口県岩国市)があるが、有事には「普天間だけで300機規模に膨れ上がり、それだけの収容能力が必要となる。
(3)同時に海兵隊の飛行場は4〜5万人規模の陸上部隊と装備品を受け入れられなければならず、「少なくとも普天間の広さは不可欠」(小川氏)という。
(4)これを裏付ける記事が17年4月12日付朝日新聞に掲載された。米政府監査院(GAO)が発表した米海兵隊のアジア太平洋地域の再編に関する報告書で、「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移転計画に関し、移転先の滑走路が『特定の飛行機には短すぎる』と指摘した。GAOは、同県内で代替の滑走路を探すよう求めている」というのだ。報告書はさらに、「現行の普天間飛行場の滑走路(約2700メートル)はオスプレイのような回転翼がついた航空機や、災害時の国連の緊急対応など様々な用途で使われていると説明。そのうえで、辺野古に建設される予定の滑走路は『同様の作戦の要件を十分に満たさない』と指摘」している。
(5)同報告について小川氏はこう解説した。「GAOは日本の会計検査院と行政監察の機能を高いレベルで兼ね備えた組織で、国防総省の戦略的判断や装備の調達計画をも修正させるパワーを持ちます。米国側は現行の辺野古案の不備を認識しつつ、日本政府に付き合ってきた面があるのですが、マティス国防長官の時代になってリアリティを優先する雰囲気が出て、GAOも腰を上げたのかもしれません」。
(6)米軍再編で普天間の移設先が現行案に決まったあとの2010年、米国防総省の高官は小川氏にこう説明したという。「普天間問題は早く決着をつけ、日米同盟が安定的に運用されているのを中国に見せることを最優先しました。海兵隊には泣いてもらいましたが、辺野古は使い物にならないので、有事の際は那覇空港を使うことになります」。有事には民間機の発着が限定される那覇空港を海兵隊航空基地に充てるというのだ。


3.小川案とは何だったのか


(1)小川案の中身はどうなのか。最優先すべきは「普天間飛行場の閉鎖による危険の除去」との認識から、2段階に分けて整備を図る構想だ。24機のオスプレイを始めとする普天間所属機の仮移駐先として、小川氏はキャンプ・シュワブの陸域を想定。仮移駐先の用地は2日間で更地にし、基本的な航空施設を1カ月以内に整備する。自衛隊は日米共同の転地訓練でこうした能力を保持しているという。仮移駐先にはその後、1年半以内をめどに段階的に2000m級滑走路を建設する。
(2)WTのヒアリングで小川氏はこう説明したという。「軍事的合理性などを加味すると、ハンセンの陸上案以外にはありません。東日本大震災後は特に、津波と高潮の課題が重視されています。辺野古はそういう面からもNG。沖縄県内で50メートル以上の標高に用地を確保できるのはハンセンだけです」。
(3)小川氏が普天間問題の当事者と自認するのには理由がある。橋本、小渕、小泉、鳩山政権で公式・非公式を含め普天間問題に関して助言を求められ、地元沖縄だけでなく米側との交渉にも当たってきた、との自負があるからだ。
(4)小川氏が最初にハンセン陸上案を政府に提言したのは1996年6月だという。日米が普天間返還合意した2カ月後だ。小川氏は当時、自民党総務会長の塩川正十郎氏に沖縄問題への対応のアドバイスを求められ、描いたばかりの「ハンセン陸上案」を説明した。 「塩ジイは、これで解決できるなあって言ってくれて、梶山(静六)のところへ行こうと言われて、議員会館の梶山事務所へ連れていかれた」(小川氏)。しかし、梶山官房長官は小川氏に名刺すら渡さず、話を聴こうともせず、こう告げた。 「岡本行夫に評論家なんてやめて泥をかぶれと言ってんだ」。北米局北米第一課長などを務めた岡本氏は91年に突如外務省を去り、国際コンサルタント会社を設立。95年に沖縄で起きた3米兵による少女暴行事件を機に、「沖縄問題」が橋本内閣の最重要課題に浮上する中、梶山氏の知遇を得ていた岡本氏が「密使」として沖縄とのパイプ構築に尽力していた。岡本氏は後に、名護市長を「辺野古移設」受け入れ容認に導く上で主要な役割を果たす。
(5)小川氏はこう言う。「梶山さんはボタンを掛け間違えた。辺野古移設の流れは、そのまま梶山さんを師と仰ぐ、今の菅(義偉)官房長官に引き継がれたのです」。
(6)ハンセン陸上案は、96年12月のSACO(日米特別行動委員会)最終報告の段階で検討対象から除外されている。「演習場の真ん中に滑走路を造れば、演習ができなくなる」との米軍内部の反発が理由だという。これについて小川氏は「米側に否定されたのは防衛省が出した案でナンセンスな代物だった」と言う。小川氏のハンセン陸上案は別物だからだ。小川氏は、最適な代替地はキャンプ・ハンセンのチム飛行場跡地だという。チム飛行場は米海軍が45年の沖縄占領直前、日本本土爆撃の拠点とするため10日間で設営。戦後すぐに不要になり、跡地には米海兵隊の隊舎が建設されている。「キャンプ・ハンセン南端の、この場所であれば訓練に支障は生じません。両端を延ばせば、普天間と同規模の2500メートル以上の滑走路建設も可能です」(小川氏)。
(7)小川氏は、米国のゼネコンが同規模の軍用飛行場を1年半の工期で建設した資料を米政府に提示したこともあるという。


 結局、渡辺は、辺野古案以外が途絶え、「辺野古が唯一の選択」に到達する道筋の不透明さを指摘し、辺野古が使えない施設である以上、「SACOの再検証は必須だ。」、と次のように指摘する。


(1) 公明党WTは2016年11月、提言書の提出時期を当初予定していた「16年内」から「17年春」に変更すると発表。その後、17年5月に提言をまとめ、「普天間飛行場の5年以内の運用停止」などを政府に申し入れたが、結局、「辺野古見直し」には言及しなかった。公明党は18年2月にWTを再始動したが、同年8月に政府に申し入れた提言は「日米地位協定の改定案」に限定されている。公明党WTが一時検討したとみられる「辺野古見直し」は、文字通り「幻」となった。
(2)小川氏が提示したハンセン陸上案も「県内移設」に変わりはなく、沖縄側の反発は大きいことが予想される。ただ、既存基地内に収まる具体案が選択肢から外される一方、軍事的要件を満たさない辺野古への「新基地建設」に流れていった経緯は不可解と言わざるを得ない。
(3)沖縄県の玉城デニー知事は、日米当局で構成するSACOに沖縄県を加えた、「SACO with沖縄」(SACWO)という新たな枠組みの中で「辺野古見直し」の協議に取り組むよう政府に提案している。沖縄の人たちが抱く最大の不信は、「沖縄県外」への移設はどれだけ真剣に議論され、それはどのような経緯と理由で排除されたのか、という点だろう。普天間飛行場の返還とともに、代替施設の建設場所を「沖縄本島東海岸沖」と明記したSACOの再検証は必須だ。


 これまでも、辺野古新基地建設に伴う軟弱地盤の公表により工期の長期化や工費の膨大化が明らかになった。
 さらに、活断層の存在の問題が明確になってきた。
こうしたことに加えて、建設しようとする辺野古基地そのものが「使えない」とするならば、確かに、SACOの再検証は必要である。
もちろん、そこには沖縄の民意が厳然と存在する。



by asyagi-df-2014 | 2019-03-19 10:10 | 本等からのもの | Comments(0)

宮城大蔵の「普天間・辺野古問題の「焦点」はどこにあるのか(上)(下)」から普天間・辺野古を考える。

著書名;「普天間・辺野古問題の「焦点」はどこにあるのか(上)(下)」
著作者;宮城大蔵
HP ;OKIRON


 沖縄の「県民投票」に暗雲が立ちこめているように見える現在、県民投票を否定する側から、「辺野古移設が進まなければ、『普天間の固定化につながる懸念が強い』」との反論が強く流されている。
 このことについて、どのように具体的に反論できるのか。
宮城大蔵(以下、宮城)上智大学教授は、OKIRONで「普天間・辺野古問題の『焦点』はどこにあるのか(上)(下)」を掲載した。
この宮城の論点から、普天間・辺野古問題の問題を考える。
宮城は、①「歴史観」、②「『早期』の危険性除去」、③「辺野古か、普天間の継続かとの論点の立て方の間違い」、④「すでに、『安倍後』に向けたビジョンが必要」、との四点から、この問題を次のように捉えている。


1.「歴史観」


 宮城は、歴史を捉える時、「歴史を書く際には、扱う時間の幅をどのように設定するかがとても重要である。」、と説く。
 その上で、普天間・辺野古を考える時の視点について、「全国メディアの解説などでも、鳩山政権から始めるものを多く目にする。」、とその間違いを批判する。
 このことが何故問題なのかについて、下記のように指摘する。


(1)鳩山政権の印象が強烈なのは当然であろう。「最低でも県外」を掲げる一方で、首相自らが問題決着の期限を明示し、その中で次々と移設候補地が挙がっては拒否され、あげくに自民党政権時代の辺野古移設「現行案」に舞い戻るという迷走ぶりであった。その印象があまりに強い反動として、現在、安倍晋三政権が進めようとしている辺野古移設は、確かに力づくで強引かもしれないが、鳩山政権の尻ぬぐいとして問題収拾に努めているのだという「歴史観」も、一定の説得力を持つと見えるかもしれない。
(2)鳩山政権を起点とするこの見方では、普天間・辺野古問題がなぜこれほどこじれているのか、答えを見出すことができない。下手をすると、沖縄の人々がわがままを言っているので、問題が決着しないのだという構図にすらなりかねない。すでに日本全国の米軍専用施設の7割を背負う沖縄が、更なる基地建設に反対するからわがままだというのは、ずいぶんと倒錯した話しである。


 宮城は、普天間・辺野古問題の起点は、鳩山政権ではなく「20年余り前の1995年に起きた少女暴行事件である。」、と明確にする。
しかし、それだけに留まらず、歴史の幅の問題として、問題の本質を衝くものとして「琉球新報1995年9月29日」の記事を紹介する。


「日米両政府は今回の事件を『一部の不心得な米兵が起こした不幸な事件』ととらえたが、沖縄県民は『戦後五十年繰り返され、米軍基地ある限り続く悲劇の一つ』と捉えた。そこに『温度差』『認識のズレ』がある」


 ただ、1995年に起きた少女暴行事件がもたらした諸々の行為が、宮城の指摘するように具体的な現在の普天間・辺野古問題の起点になったことは間違いない。
だから、宮城は、次のように押さえるのである。


「この事件で噴出した沖縄の憤りに対応すべく打ち出されたのが、1996年4月の日米両政府による普天間基地返還合意であった。それが20年余りを経て、沖縄県の反対を押し切る問答無用の新基地建設に転じたのだから、話しがまったく逆になっているのである。 返還合意では代替施設について、既存の米軍基地内に『ヘリポート』を新設するとされた。それが大規模に海を埋め立て、滑走路二本を備えた新基地建設に変貌した。代替施設に使用期限を設けることも沖縄側の受け入れ条件であったが、2006年の閣議決定で破棄された。このように20年前の起点からこの問題を捉えないと、なぜ普天間・辺野古がこじれているのか、問題の本質が見えなくなる。」


2.「『早期』の危険性除去」


 安倍晋三政権は、「辺野古新基地建設が『世界一危険』な普天間基地の危険性除去のための『唯一の解決策』」、と繰り返し喧伝してきた。
 また、2019年2月の新基地建設をめぐる県民投票では、「いくつかの自治体でこれに協力しない意向が示されている。その理由の一つは、辺野古移設が進まなければ、『普天間の固定化につながる懸念が強い』」、という状況が生まれていることも確かである。
 宮城は、こうした状況について、「この問題については、『辺野古移設か、普天間の継続使用か』という問いかけが、一見したところの焦点となりかねないわけだが、それはズレていると思う。より重要なのは、『時間軸』という観点である。」、との視点を提起する。
また、押さえておく必要があるのは、宮城の「そもそも仲井真弘多氏が知事として埋め立て承認をした際、普天間基地の『5年以内の運用停止』が事実上の前提条件であった。また仲井真氏は、新基地建設には最短でも10年程度見込まれるとして、辺野古での工事進捗とは切り離して運用停止を実現すべきだとしていた。安倍政権はこれを呑んで仲井真氏から埋め立て承認を取り付けたものの、新基地建設に反対する翁長雄志知事の誕生を契機に、『5年以内』を後退させて今に至る。」、との指摘である。
 宮城は、「結果として翁長氏に大敗したが、もし仲井真氏が知事として三選を果たしていたら、安倍政権は『5年以内の運用停止』に向けて米側と折衝するなど、本当に真剣に取り組んだだろうか。実に興味深い歴史の『イフ(もしも)」である。」、と当然のように疑問を呈する。
 さらにあわせて、この時の仲井真元沖縄県知事のこんな胸中を紹介する。


「みんな間違って考えていると僕は思っていましたよ。本当は(辺野古よりも)もっとやりやすい場所があるはず。腰を据えて取り組めば、すぐに解決できる。米国の政治家も本気になってくれれば、簡単な話だとね」(『沖縄を売った男』205頁)。


 宮城は、「知事在任中の仲井真氏は、普天間代替施設について『県外』を求めつつも、『県内』も否定しないという歯切れの悪い姿勢をとったが、本人によればその真意は、最優先すべきは普天間の危険性の早期除去であって、それが実現できるのなら、『県内』もありというものであった(同上、186頁)。」、とも指摘する。
 結局、「早期」の危険性除去ということに関して、宮城は、次のようにまとめる。


(1)仲井真氏の在任時ですら、辺野古での新基地建設には10年程度かかると見られていたわけだが、建設予定地にきわめて軟弱な地盤が広がっていることが判明し、新基地計画は10数年から場合によっては、20年近くかかる可能性も指摘されている。
(2)それが意味するのは、「辺野古移設」ではもはや、「普天間の危険性の速やかな除去」は無理だということである。
(3)そのような中、普天間基地の「5年以内の運用停止」の期限が迫りつつある。安倍政権は「5年以内」について、2014年2月を起点とした。ところが同政権はここに来て、「5年以内」を反故にする姿勢を鮮明にしつつある。安倍政権としては普天間の「早期の危険性除去」をあきらめ、今後、10数年にわたって危険性を放置するということであろうか。
(4)また、米軍としては滑走路が短いなど辺野古新基地の機能が不十分だと見なしており、辺野古が完成しても普天間基地の返還にすんなりと結びつくかも、不透明だというのが実情であろう。


3.「辺野古か、普天間の継続か」との論点の立て方の間違い」


 宮城によると、現在の普天間・辺野古問題の起点を「1995年に起きた少女暴行事件」と捉えることは、問題の核心が「『早期』の危険性除去」にあると把握することである。
したがって、宮城は、「『辺野古か、普天間の継続か』はズレている」、とあたかも「辺野古か、普天間の継続か」といった論点の立て方の間違いを次のように指摘する。


(1)普天間・辺野古をめぐっては、先日の土砂投入や、来月の県民投票に向けた沖縄県内の足並みの乱れなどに注目が集まりがちである。安倍政権としては、この問題は「もはや決着済み」だとしてあきらめを誘い、玉城デニー知事の足元を切り崩したいのであろう。
(2)だが、問題の焦点はそこにあるのではない。「早期の危険性除去」というこの問題の原点が、現政権によって放棄されつつあることこそが、重要なのである。
(3)別の角度から言えば、「辺野古か、普天間の継続使用か」という一見、分かりやすい選択肢そのものが、ズレているのである。なぜなら、「辺野古移設」では、「早期の危険性除去」という本来の目標をもはや達成することができないからである。
(4)そうであるならば、県民投票をめぐって沖縄の民意が「辺野古か、普天間の継続使用か」という形で割れるとすれば、きわめて不幸なことである。「普天間の危険性の早期除去」を望むという点では、差異はないはずだからである。


 結局、宮城は、「『辺野古か、普天間の継続使用か』という問いの設定は、『危険性の早期除去』が放棄されつつあることを覆い隠し、その上で民意を分断することを意図した『筋の悪いタマ』である。」、と断じる。
 その上で、「『普天間の危険性の早期除去』という原点に立ち返り、いかなる方途がそれを可能にするのかということに議論が収斂しなくてはならない。」、と提起する。


4.「すでに、『安倍後』に向けたビジョンが必要」


 最後に、宮城は、「『安倍後』に向けたビジョン」の必要性について、「『安倍一強』の陰で日本政治が活力を失っていると言われて久しい。日本のこれからにとって、実にゆゆしきことである。普天間・辺野古をめぐる『安倍後』のビジョンを構想し、具体化することは、政界における停滞打破の突破口になるだろう。」、と説く。
また、その根拠を次のように指摘する。

(1)振り返って見れば、仲井真、翁長という二人の知事は、安倍政権との協調と対立という点で、逆方向を向いていたかに見えるかもしれないが、「普天間の危険性の早期除去」という点では共通しており、「辺野古移設」がその回答にはならないという点でも同じであった。
(2)その中で仲井真氏は「普天間移設」とは別に「5年以内の運用停止」を求めたのであり、翁長氏は政権側の強硬策を前に、辺野古新基地反対に力点をおかざるを得なかった。
(3)辺野古での工事は、政府と県の対立といった政治的要素は別にしても、軟弱地盤の大規模な改良と工費の膨張、財政の制約などの難関に突き当たるであろう。「早期」はとても無理である。普天間の危険性の「早期除去」という本来の目的を達成するにはどのような方途が適しているのか、今から練っておく必要があるだろう。
(4)「安倍一強」と言われて久しいが、いずれにせよ政権末期に向けて「一強」もこれから下り坂である。普天間・辺野古をめぐる現在の強硬策には、自民党内でも眉をひそめる向きは少なくない。一方で立憲民主、国民民主など旧民主党系の野党は、鳩山政権の迷走以降、この問題には及び腰である。全国世論でも辺野古での「現行案」見直しとなれば、また「最低でも県外」かと、現状に胸を痛めつつも正直、ウンザリといった反応もあるだろう。「最低でも県外」という、あまりに分かりやすいキャッチフレーズが残した副作用である。


 宮城は、「普天間・辺野古問題の『焦点』はどこにあるのか」に関わって、「『県内』か『県外』か、というところに問題の本質があるのではない。『普天間の危険性の早期除去』について、辺野古での『現行案』がその答えにならないことがはっきりしつつある中、いかなる方途が『早期除去』を可能にするのか。それを問い、具体化することが必要なのである。」、と結論づける。
 また、「『安倍後』に向けたビジョン」の必要性に関して、「専門家の間では、大規模な新基地建設なしで『早期』を可能にするためのさまざまな方策が議論されている。それを吸い上げ、選択肢として可視化、具体化して見せるのが政治に求められる仕事である。」、とあわせて指摘する。


5.最後に


 宮城のこの提起から受け取ることができるのは、次のものである。


(1)普天間・辺野古問題の起点は、鳩山政権時代に始めるのではなく、「20年余り前の1995年に起きた少女暴行事件」である。20年前の起点からこの問題を捉えないと、なぜ普天間・辺野古がこじれているのか、問題の本質が見えなくなる。
(2)この少女暴行事件で噴出した沖縄の憤りに対応すべく打ち出されたのが、1996年4月の日米両政府による普天間基地返還合意であったにもかかわらず、20年余年を過ぎると、日本政府は、沖縄県の反対を押し切る問答無用の新基地建設に転じた。このことは、「話しがまったく逆」になってしまっていることを示す。
(3)「話しがまったく逆」が示すものは。日本政府・安倍晋三政権によって、「沖縄の人々がわがままを言っているので、問題が決着しない」という理由付けが、日本国民を納得させる手段として利用されている構図。
(4)普天間・辺野古問題とは、「早期の危険性除去」ということこそが問題の原点であることを意味する。
(5)辺野古新基地建設問題は新たに、建設予定地にきわめて軟弱な地盤が広がっていることが判明したり、活断層の存在が浮かび上がったことにより、、新基地計画が13年かかる可能性が沖縄県からも指摘されている。実際、このことが意味するのは、「辺野古移設」ではもはや、「普天間の危険性の速やかな除去」は無理だということである。
(6)米軍は滑走路が短いなど辺野古新基地の機能が不十分だと見なしており、辺野古が完成しても普天間基地の返還にすんなりと結びつくかは不透明である。
(7)「辺野古か、普天間の継続使用か」という一見、分かりやすい選択肢そのものが間違っている。なぜなら、「辺野古移設」では、「早期の危険性除去」という本来の目標をもはや達成することができないからである。また、「普天間の危険性の早期除去」を望むという点では、差異はないはずである。
(8)「普天間の危険性の早期除去」について、辺野古での「現行案』」その答えにならないことがはっきりしつつある中では、いかなる方途が「早期除去」を可能にするのかを問い、具体化することが必要である。それは、すでに、「『安倍後』に向けたビジョン」ということである。




by asyagi-df-2014 | 2019-01-14 09:00 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「沖縄と国体」

著書名;DAYS JYAPAN10月号 「沖縄と国体」
著作者:白井 聡
出版社;DAYS JYAPAN


 白井聡(以下、白井)の「沖縄と国体」での指摘は、Ⅰ.沖縄と日本、Ⅱ.「永続敗戦レジーム」とは、Ⅲ.沖縄と国体、ということの三点に渡る。
 それぞれの指摘を視てみる。


Ⅰ.沖縄と日本


 白井は、沖縄の現在の闘いの姿を理解するために始める。
 沖縄を考える時の一つの重要な視点を示す。
 それは次のことである。


「戦後レジーム」の「構成的外部」である。「構成的外部」とは、あるシステムが自立的に成立するために、システムの外へと排除したものを指す。つまりそれは、当該システムの外側にあるように見えて、実はそのシステムが成り立つための根幹的な役割を負っている。

 つまり、沖縄は「構成的外部」とされたという指摘である、
 このことを説明するために、戦後の日本の「平和と繁栄」に関しての日本本土と沖縄の対称を、次のようにそれぞれを抉り出す。


 日本本土について。
(1)親米路線が長年にわたり安定的に追求された結果だと親米保守派は自賛する。他方、リベラル左派のあいだでは、憲法9条の平和主義により、やはり同じく「平和と繁栄」が実現されたと考えられている
(2)本土が「持たず、作らず、持ち込ませず」という徹底的「反核」を国是と定める。
(3)「民主化」の掛け声の下に、(外見的には)議会制民主主義が定着した。
(4)戦後日本の経済発展を支えた吉田ドクトリン(軽武装+親米路線)は、沖縄に巨大な米軍基地を置くことで可能になった。かつ、本土は重化学工業を基軸とする先進工業国化に成功する。
 沖縄について
(1)だが、平和?本土は、第2次大戦が終わるや否や憲法9条を戴く「平和国家」へと素早く変身し、東西対立の激化にもかかわらずその看板を守れたのに対し、沖縄は戦争終結から30年近くもの間、軍事的要請がすべてに優先し、平然と人権を蹂躙する支配の下に置かれ続けた。
(2)米軍統治下の沖縄は、核戦略の重要拠点に指定され、ピーク時には1000発を超える核弾頭が持ち込まれていた。そして、沖縄返還時の核密約。
(3)1972年の返還=本土復帰以前には、米軍の端的な軍事支配があったし、復帰以後も、民主国家であれば当然担保されるべき住民の主権(自決権)を簒奪された状況にある。
(4)米軍統治下の沖縄は産業の内発的発展を阻害され、基地依存経済が構造化されたのであった。


Ⅱ.「永続敗戦レジーム」とは


 白井は、沖縄の犠牲を下に反映してきた日本という国のあり方を、次のように示す。
それは、「沖縄とは『戦後レジーム』の『構成的外部』である。」、という規定でもある。


(1)要するに、非核三原則とは、一個の笑い話である。
(2)本土と沖縄の対照的な様相は、両者が別々にそうなったのではなく、本土における「平和・繁栄・民主主義」が沖縄のそれらすべての不在に依存してきた。「平和・繁栄・民主主義」が戦後レジームの壮観な外観である一方、その成立のためには、例外としての、否、見えない支柱としての、
「平和・繁栄・民主主義」がを完全に欠いた空間(=沖縄)を必要としてきた。
(3)この意味において戦後レジームにとっての沖縄とは、「構成的外部」にほかならない。


 だから、一つの例として、沖縄にとって辺野古新基地建設を反対することがどのような意味を持つのかということへの理解が、どうしてもできない日本本土の「構造」を次のように押さえる。


(1)名護市辺野古での米軍基地建設をめぐって沖縄の我慢が限界を超えたいま、どのような政治的立場からであれ、戦後という時代を「平和・繁栄・民主主義」と安易に特徴づけることには、欺瞞性がつきまとう。
(2)親米保守派とリベラル左派は、「平和・繁栄・民主主義」の理由を前者は親米路線(≒日米安保体制)に、後者は9条平和主義に帰することによって対立しているかのように見えるが、両者ともその肯定的な戦後感が「構成的外部としての沖縄」を排除することで成り立つ点で、共通している。両者の対立は、同じ対象を異なる角度から視ることで生まれるものに過ぎない。
(3)日米安保体制と9条平和主義は、漫然として意味においてではなく、政治的事実を明確にたどれる形で、密接に繋がっている。言い換えれば、それは同一物の二側面である。


 白井は、論を進めるに当たり、白井のいう「永続敗戦」という意味を、「戦後レジームとは、筆者の言う『永続敗戦レジーム』と同一である。『永続敗戦』とは、『平和と繁栄』としてとらえられてきた戦後レジームの正体を言い表す概念である。それは、先の大戦での大日本帝国の敗北が持つ意味を曖昧にした歴史認識である。」、と説明する。
 その上で、このことがもたらした結果について、「かかる歴史認識は『敗戦』が『終戦』と呼び換えられて流通していることに端的に現れているが、戦後日本人は、『敗戦を否認』してきたのであり、これを可能にした最大の要素こそ、戦後の「親米」の名を借りた対米従属であった。東西対立の世界で、アジアにおけるアメリカの最重要パートナーに収まることで、比較的速やかな復興をはじめ、戦後日本は敗戦の意味を矮小化することができた。」、と断じる。
 だから、白井は、現在までの『永続敗戦レジーム』を背景とした歴史意識に関わって日本の現況について、次のように指摘する。


(1)戦後の日本人の多くは、自覚的速やかにそうした状況から脱することに成功した。だがいま、その幸福の代償が政治と社会のゆがみとして全面的に露呈してきているのである。統治エリート(政官財学メディアの主流派)の領域では、それは、世界に類を見ないような卑小さを伴う自己目的化した対米従属として現れている。
(2)体制のそうした在り方の起源に遡れば、東西対立の激化を背景とした「逆コース」政策へとアメリカの対日政策が転換するなかで、戦前の保守支配層は戦争責任の追及を逃れて復権する機会を掴んだ。だから彼らが「アメリカ様」に対して頭が上がる道理がない。岸信介の孫である安倍晋三に象徴されるように、現在も統治エリート集団の枢腰部を占めているのは、右の経過によって首がつながった者たちの末裔である。
(3)一般的な社会現象としては、「敗戦の否認」は、先の大戦への真摯な反省と自己変革の努力の不在として現れている。われわれが実はあの戦争に負けていないのだとすれば、後悔の必要もなく自分を変える必要もないのだから。
(4)この精神態度が、戦後民主主義を表層にとどめた一方、「成長し続ける経済」という戦後日本の繁栄の前提は東西対立の終焉と同時期に崩壊した。そこで現れたのが、敗戦の結果もたらされた戦後民主主義的価値観に対する不満の鬱屈であり、それが、「ポツダム宣言を詳らかに読んだことがない」まま「戦後レジームからの脱却」を唱えるという、奇行に及んでいる宰相に支持を与えている。その行き着く先は何らかの形での「第二の敗戦」であるほかはない。敗戦を正面から受けとめないためにダラダラと負け続ける-これが「永続敗戦」の合意である。


 白井は、このように「永続敗戦レジーム」を定義したうえで、これを可能にしたのは、日本という国の「戦後の対米従属、より正確には、古今東西類を見ないような特殊な対米従属である」と規定する。
次に、白井は、「対米従属」の構造を次のように解き明かす。


(1)ある国家が超大国に従属していること自体はありふれた現象だが、戦後日本の対米従属は、従属の事実がボヤかされている点に重要な特徴がある。そこには、対米従属は対米戦敗北の直接的帰結であるが、敗戦を否定するには、その帰結をも否認しなければならない、という構造的な動機がある。そして、そこから、「従属の事実を否認する従属」という類希なる特殊な従属が生まれる。その「特殊性」とは究極的には天皇制に起因するものである。
(2)どういうことか?明治維新以後に国家の公認イデオロギーとして形成された「国体」観念は、日本を「万世一系の天皇が永久に君臨する家族国家」であると定義した。天皇は、他の文明圏の、権力により「支配する」君主とは違って、人民を我が子のように、「赤子」として慈しむ日本民族(さらには、植民地諸民族)の「大いなる家長」であるとされた。
(3)この構造が戦後は対米関係に投影されたのだ。アメリカは「慈悲深き家長」として日本を従える。愛に基づく支配であるならばそれは支配ではない、という論理が従属に事実を否認する。ゆえに、「戦後レジーム」=「永続敗戦レジーム」とは、同時に「戦後の国体」にほかならない。


Ⅲ.沖縄と国体ということ


 白井は、いよいよ本論に入る。
 まずは、「『戦後の国体』の形成とその歩み、そしてその崩壊において、沖縄がどのような役割を割り振られたのか」、という問題を掲げる。
 それは、「戦後の国体」の問題を理解することが、沖縄返還の「虚構性」とその「虚構性」が必要とされた理由を焙り出すだけでなく、その「虚構性」に利用されてきた沖縄の「虚構性」への現在の闘いの意味まで解明する。
まずは、日本の「国体の護持」について。


(1)1945年8月のポツダム宣言受諾に際して、当時の国家指導部が最後までこだわった降伏の条件が「国体保持の保障」であったことはよく知られているが、その実質は何であったのか。敗戦と占領改革の時期における「国体護持の行方」は、昭和天皇の戦争責任の不問と象徴天皇制の導入によって決着された、と一般的には受けとめられている。
(2)「国家のあり方」が変革されたという対外的評価を得ることができてはじめて、戦後日本の国際社会への復帰(占領終結、サンフランシスコ講和条約の締結(、)が許されたのである。そうでなければ、戦後ドイツがナチス第三帝国であるがまま国際社会に復帰するのと同じであって、そのような事態は到底あり得なかった。したがって、「国家のあり方」という意味での国体は、面目を一新したのであり、国体が護持されたとは到底言えない。ゆえに、マッカーサーが主導した天王星の存続(国体護持)とは、多分に外面的なものである。
(3)マッカーサーが内外の世論、また米政府内での「天皇の責任を問うべし」という圧力を断固たる決意で押し返した端的な理由は、天皇を攻撃するよりも、天皇を活用した方が円滑な占領統治に有益である、という判断であった。
 マッカーサー自身が骨子である「三原則」を提示して起草された新憲法の内容も、この文脈から理解される必要がある。「三原則」とは「天皇を元首とする」「戦争放棄」「封建制度の廃止」であったが、「天皇を元首とする」(天皇が象徴として存在し続ける)と「戦争放棄」(完全な非武装化)は、密接に関連していた。天皇の責任を問う内外の圧力をかわすためには、日本を軍事面で徹底的に無力化することが必要だったのである。
(4)GHQは、単に昭和天皇を免責するだけでなく、新生日本を「平和主義」で「民主主義」の国へと変える主導者の役割をも天皇に割り当てるようになる。こうしたアメリカの思惑に対して、昭和天皇は、「官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ」と述べた「人間宣言」をはじめ巧みに応えた。
(5)天皇にとって、戦前から存在した国体の不倶戴天の仇としての共産主義は、いよいよ力を増してきたと認識された。そのとき、国体の守護神といて要請されたのが米軍のプレゼンスにほかならなかった。豊下が明らかにしたように占領終結後の米軍駐留継続は、昭和天皇による「天皇メッセージ」にも後押しされて、アメリカが「われわれの」望む数の兵力を、望む場所に、臨む期間だけ駐留させる権利を確保する」取り決めとして、日米安保条約がサ条約とセットで結ばれることによって実現された。


 白井は、次に、「利用された沖縄」という核心を突きつける。
 どういうことなのか。
実は、「利用された沖縄」とは、「ここに深刻な矛盾が発生する。第二次大戦後のアメリカは、主要なものだけでも、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争と、ほぼ間断なく戦争をし続けてきた。そして、これらの戦争が、日米安保条約に基づく大規模な基地の提供なしに遂行し得なかったことは、明白である。」 、という「矛盾」の解消のために沖縄が利用されたことを指すのである。
沖縄が背負わされた「矛盾」とは次のものである。


(1)矛盾とは、日本は一方で決して戦争をしないという「平和国家」の看板を掲げつつ、同時に他方で、常に何らかの戦争を闘っている国家の、その戦争遂行にとって不可欠な援助者である、という事実にある。
(2)この矛盾を覆い隠す役割を背負わされたのが沖縄であった。そのプロセスは、大戦終結直後から始まっている。アメリカが凄惨な地上戦の果てに占領した沖縄は、サンフランシスコ講和条約(以下、サ条約)によって日本の主権が回復されたがゆえに、国際法的にきわめて曖昧な、極度の無権利状態に置かれることとなった。サ条約は、沖縄に対する日本の「潜在主権」を認めつつ、統治の実権は全面的にアメリカに帰せられたからだ。同時にアメリカは、「いかなる領土の変更も欲しない」と宣言した大西洋憲章(連合国の行動要領、1941年)以来の無併合の大方針に拘束されており、沖縄を一時的にであれ併合するわけにはいかなかったため、沖縄は国際法的に定義困難な地位に留め置かれた。その結果、沖縄は、日本の領土でもなければアメリカ領でもなく、ゆえに両国の憲法が規定する人権保障がいずれも機能しないがために、軍事的要請が制約なしに貫徹される空間と化した。その具体的表れが、「銃剣とブルドーザー」による軍用地の強制収容であった。
(3)かかる明白な人権蹂躙を、アメリカは何時まで続けるつもりだったのか。答えは「無期限」である。53年に、時の国務長官・ジョン・フォスター・ダレスは、「極東に脅威と緊張の状態が存する限りアメリカは琉球諸島に対する統治権を行使続ける」と、宣言した。この宣言は「ブルースカイ・ポリシー」と呼ばれ、「一点の雲もなく空が青くなるまで沖縄は返還されない」ことを意味した。「極東に脅威と緊張の状態が存する」か否かを判断するのは、無論アメリカである。


 では、こうした状況下での沖縄返還はどういう位置づけであったのか。
白井は、次のように説明する。


(1)それでも72年に沖縄返還が実現するのは、日本の本土および沖縄での復帰要求の高まりと、アメリカの事実上の沖縄領有、否、領有よりさらに悪い自由軍事利用への国際的な批判の視線を、アメリカも意識せざるを得なかったためである。
(2)米軍による沖縄支配に終止符を打つために、日本外交があらゆる手段を動員したことはない。具体的には、返還以前に、サ条約が認めた日本の潜在主権を根拠に沖縄の軍事植民地的状況の不当性を国連の場で問題化するという手段は検討されなかった。また、東西対立終焉以後、在日米軍の最大の駐留根拠(対ソ連)が失われた以上、大規模な駐留削減の提案も可能だったはずが、96年の日米安保共同宣言は、日米同盟がアジア太平洋地域の安定の基礎であるという論理にによって、在日米軍の兵力規模維持を宣言した。これは、「ブルースカイ」は、存在せず、今後も存在しない、つまり、「沖縄は返還されない」と宣しているに等しい。
(3)このような、自発的な従属の実態、従属の事実を否認する従属の虚構性は、沖縄の現実において暴き出されてしまう。
(4)本土の多くの米軍基地が沖縄に移されたことによって、右の虚構は本土では現実として通用する。「戦争と絶縁した平和主義の日本」という虚構と「世界最強の軍国主義国家の援助者=子分」という現実は、「アメリカに愛されているのであって従属などしていない本土」と「アメリカによって力づくで支配されている沖縄」という形で空間上に転態されるのである。


 白井の指摘は、「この構造が固定され変わらない理由の筆頭は、差別であろう。」、と規定する中で、「ここでは、第一の理由として、このような戦後沖縄の状況をつくり出した経緯の一端を昭和天皇が担ったことの意味を指摘したい。」、とその核心に至る。


(1)昭和天皇は、日米安保条約締結を働きかけたのみならず、47年に「天皇メッセージ」をアメリカに伝え、米軍による沖縄占領を50年間よりもさらに長く継続させることを希望する意思を表した。天皇の考えでは、国体を護持する(=皇統が持続する)ためには、平和主義の国是と同時に、共産主義の脅威に対抗するための国土の要塞化が必要だったのである。この矛盾を解消すべき指定されたのが、「日本でもなくなくアメリカでもない」沖縄であった。
(2)「天皇メッセージ」がどれほどの政治的実効性を持ったかについては、まだ十分に解明されていない。ただし、その直接的効果よりも重要なのは、昭和天皇の考え方が戦後日本の統治エリートの全般的な意思とシンクロし、一般化していった点にある。とにもかくにも施政権が返還され、東西対立も終焉し、日米間の国力格差も戦後直後とは全く異なった状況になったにもかかわらず、沖縄を不変の構造に押し込め続けている無意識化された動機に、われわれは直面する。つまりそれは、「昭和天皇がお決めになったことだから、変更できない」ということではないのか。
  

 白井は、最後に、「『戦後の国体』は明白に崩れ始めている。」、との現在の状況把握の下に、現在の「戦後の国体」と闘う沖縄の姿の意味を示す。


(1)「天皇陛下のように日本を愛してくれるアメリカ」という幻想は、東西対立にその根拠があった。アメリカは日本をアジアにおける最重要の同盟国と見なして、恩恵を授けた。しかし、東西対立の時代はとうに終わった。にもかかわらず、対米従属の合理性が失われた時代(ポスト冷戦)においてこそ、親米保守派が支配する戦後レジームの対米従属姿勢は、より露骨なものとなってきた。
(2)「戦後の国体」の構成的外部としての沖縄から発せられた声は、今日の日本の政治状況の本質を衝くものとなり、故翁長雄志知事の発言は、的確で鋭利な戦後レジーム批判として現れた。
(3)本土の日本人が安倍政権に支持を与えてきたことは、これらの指摘を却下してきたということであり、「戦後の国体」を依然として支持しているということでもある。しかし、いまオール沖縄が闘いを挑んでいる。「戦後の国体」とは、本来は、現レジームの特権階級(例えば、「家柄の良さ」だけで二度も総理大臣を務めさせてもらえるような特権階級)の構成員を除くすべての日本人にとって、打倒すべき敵なのである。


 さて、こうした白井の論理展開が、新崎盛暉の提起した「構造的沖縄差別」という論理と重なるということに気づかされる。
例えば、新崎は、「新崎盛暉が説く構造的沖縄差別」の中で、次のように指摘している。


 新崎は、日本の戦後の出発を、「象徴天皇制、日本の非武装化、沖縄の(分離)軍事支配は、占領政策の上で、三位一体の関係になったのである。構造的沖縄差別の上に立つ対米従属的日米関係は、ここから始まる。一九四七年の、『沖縄を二五年ないし五〇年、米軍統治に委ねることに異存はない』といういわゆる天皇メッセージや、講和後も米軍の駐留を希望するという天皇のGHQへの積極的働きかけなどは、天皇がこの仕組みの中で自らに与えられた役割を果たしたものと言えるだろう。」と規定し、このことにより、「日本の非武装化は、日本国憲法にも明記され、それは平和憲法と呼ばれるようになったと説明する。 
 つまり、日本国憲法は、「沖縄を除外することによって成立した」ものであり、このことこそが、構造的沖縄差別を端的に顕していると。
 また、米国の「日本非武装化」という考え方は東西冷戦が顕在化すると、米国は「敵対者として覇権を争った日本を『目下の同盟者』として保護育成利用する方針」に転換し、「米国内市場を開放して経済的復興を支援するとともに、日本の再軍備を促すことになった。」と指摘する。
 さらに、「構造的沖縄差別」に関して、「日本、米国、沖縄、基地など様々な要素が織りなす構造において、沖縄への基地押しつけを中心とする差別的仕組みは、日米安保体制維持のための不可欠の要素とされてきた。そしてそれは、時の経過とともに、『沖縄の米軍基地に対する存在の当然視』という思考停止を生んだ。」という現状認識を問うている。
 その結果、ヤマトの側の「この数十年にわたる思考停止状態の中での『沖縄の米軍基地に対する存在の当然視』こそ、構造的沖縄差別に他ならない」と、断じている。


 今回の白井の指摘は、まさに、核心を突くものであった。
 最後に、あらためて、大きく気づかされることがある。
 日本人の「沖縄でよかった」というつぶやきは、「昭和天皇がお決めになったことだから、変更できない」という意味をも含んでいたのだということを。



by asyagi-df-2014 | 2018-09-26 07:04 | 本等からのもの | Comments(0)

本からのもの-「#黙らない女たち」

著書名;「#黙らない女たち」
著作者:李 信恵・上瀧 浩子
出版社;かもがわ出版




 この本は、李信恵、上瀧浩子の闘いの記録とこれから闘うための理念の書である。
 李信恵は、今回の二つの尊厳の回復の闘いについて、「はじめに」で、こう綴っている。


 2018年6月28日、保守速報との裁判の控訴審判決が言い渡された。判決後に携帯電話を見ると、Kさんからメッセージが入っていた。
 「勝利判決おめでとう。ビワの実はもうないけど、ビワの種はあるよ。落ちた実から自生した、生命力のあるビワの苗が」
 ビワの実はまるで私のようだ。私はこの裁判を通じて、朝鮮人として、女性として、日本に生まれてよかったと思った。私は、ずっと前からこの日本社会に根を張って、生きている。これから先もきっと。 

 
 李信恵のこの吐露が、この裁判が、命、生きるということに関わったものであったことっを示す。
 実は、この本は、「複合差別」を日本の裁判所で始めた勝ち取った李信恵のなまなましい闘いの報告である。
 李信恵が闘った裁判の判決結果は、次のように書かれている。


 対「在特会」については、大阪高裁判決(2017年6月19日)で人種差別を認めた大阪地裁判決(2016年9月27日)を上回る判決内容-「人種差別と女性差別との複合差別に当たる」-が認定された。
また、対「保守速報」については、大阪地裁判決(2017年11月16日)は、①「保守速報」運営者の被告の投稿記事は、社会通念上許される限度を超えた侮辱、人種差別に当たる、②原告の容姿等への言及について、「名誉感情や女性としての尊厳を害した程度は甚だしい複合差別である、③まとめサイト「保守速報」への転載に際して、表題の作成や情報の「編集」行為は憲法13条の人格権の侵害と認定した。最終的に、高裁控訴審となった大阪高裁判決(2018年6月28日)も高裁1審判決を支持した。


 さて、ここでは、弁護士上瀧浩子(以下、「上瀧」)の記述からいくつかを引用する。
 「上瀧」はまず最初に、「ヘイトスピーチ」とは何かについて、次のように指摘する。


(1)ヘイトスピーチが、個人の尊厳を踏みにじることは当然である。松垣伸次氏は、「日本国憲法は個人の尊厳を基本理念としており、また平等の理念は、「人権の歴史において、自由とともに、個人尊重の思想に由来し、常に最高の目的とされた」ものである。そして、人権は、個人の人格的価値を決定するものではないゆえに、人種による差別が近代的平等思想と相容れないことは明かである。人種等を理由としない名誉毀損や侮辱などとは異なり、ヘイト・スピーチは「厳然とした”力の差異”のある関係の中で行われてきた」ものであり、その力関係を維持・強化させる。それゆえ、犠牲者の真の人間性を否定するものであり、犠牲者に深い傷を与える」と述べる。
(2)顔と名前を公にして、白昼堂々と、デモ行進や街頭宣伝で「朝鮮人は出ていけ」などと叫ぶ者の存在自体が、表だって民族差別をしてもいいのだというメッセージを社会に発している。これは、社会にうっすらとある偏見と差別意識を再生産したり、結晶化する作用がある。ヘイトデモや街宣を放置することは、社会の差別に対するハードルを下げ、偏見と差別を深く広く浸透させる契機になるのではないか思われた。
(3)沈黙効果とは、ヘイトスピーチにさらされた当事者が、これに抵抗すれば、より酷い攻撃を受けたり、そもそも差別社会においては自分たちの抗議が非常に軽く扱われたりすることを恐れて抵抗せずに、黙るという傾向があるというものだ。襲撃事件のあと、学校関係者が対策を話し合ったときには、在特会らに対抗すればさらに攻撃を誘発することになるかもしれないという意見もあったと聞く。これは、まさに沈黙効果であろう。
(4)「朝鮮人一般」に対する人種差別が朝鮮人という属性を持つ人たちにとって個人の具体的損害にならないというのは、差別される側の実感とは離れている。李信恵さんを始め在日韓国・朝鮮人の人たちは、「朝鮮人」と言われたときに、自分もその中に入っているのだという意識を強くもつからだ。しかし、現行法の建前では、「朝鮮人は」という言い方は「大阪人は」や「女性は」と同様に被害が希釈化されるという考え方が一般的である。この現行法の建て前を崩さず人種差別に対して法的対応をろつためには、新たな立法が必要だと考える所以だ。
(5)排外主義活動をする者たちは、自分が差別しているとの意識はない。彼らは、私たちと同様に、差別という行為が認められていないことを認識している。これは、一定期間、民族差別を表立っては言いにくい現状が生じていた、ということが基礎にある。すなわち、「すでに差別は消滅している」という現代的レイシズムの前提には、社会の中で、差別が許されないという「一般常識」「建前」が社会の中にあった(もちろん、影では差別は行われていたし、制度的差別も存在した)。
(6)現代型レイシズムは、差別がなくなったように「見える」ことを出発点としているのであり、それは、権利に対する共通意識が進んだことを示している面もあるのだ。この点、森千香子氏も、「ヘイトスピーチの嵐は、在日朝鮮人やフランスの移民の社会進出がすすみ、以前に比べると「対等」に近づきつつあるという現実を示すものである」としている。平等という価値観が浸透した結果、排外主義も「どちらが差別者か」を問うような形で争点を拡散させたのである。彼らにとって「在日特権」は一面では差別を正当化する根拠となったが、他面で彼らは「在日特権」という「理屈」を持ち込まなければ自分たちの主張を正当化できない隘路に立っている。


次に、 「上瀧」は今回の裁判の最大の課題であった「複合差別」 について、次のようにまとめている。


(1)複合差別は、主として女性差別と他の自由による差別の交差ないし複合の態様に着目した概念だ。
(2)国連人種差別撤廃委員会は、2000年3月「人種差別のジェンダーに関連する側面に関する一般的な性格を有する勧告25」で、「人種差別が女性とや男性に等しく又は同じような態様で影響を及ぼすわけでは必ずしもないことに注目する。人種差別が、女性にのみに若しくは主として女性に影響を及ぼし、又は男性とは異なる態様で若しくは異なる程度で女性に影響を及ぼすという状況が存在する。」と述べた。
(3)又、国連女性差別撤廃委員会は、2010年10月、一般的勧告第28において「18.複合とは、第2条に規定された締約国が負うべき一般的義務の範囲を理解するための基本概念である。性別やジェンダーに基づく女性差別は、人種、民族、宗教や信仰、健康状態、身分、年齢、階層、カースト制及び性的嗜好や性同一性など女性に影響を与える他の要素と密接に関係している。性別やジェンダーに基づく差別は、このようなグループに属する女性に男性とは異なる程度もしくは方法で影響を及ぼす可能性がある。締結国は、かかる複合差別及び該当する女性に対する複合的なマイナス影響を法的に認識ならびに禁止しなければならない」とした。
 このように、複合差別という概念は、国際的には2000年代から意識され始め、2010年には差別を理解する上での基本概念となっていた。
(4)差別の問題を考えるとき、女性差別撤廃委員会も人種差別撤廃委員会も、複合差別という概念を基本的概念として言及している。日本でも、「女性にのみに若しくは主として女性に影響を及ぼし、又は男性とは異なる態様で若しくは異なる程度で影響を及ぼすという状況」や「異なる程度もしくは方法で影響を及ぼす可能性がある」という状況があるのか。この実体について日本政府が行った公的な調査はない。


 また、 「上瀧」は、これからの課題について、述べる。


(1)李信恵さんの2の判決は、李信恵さんに対する罵倒行為が民族差別と女性差別の複合差別だと判断した。
 複合差別の射程は、在日韓国・朝鮮人差別と女性差別も交差的な影響にほかならない。女性差別撤廃委員会が指摘するように、日本には「アイヌの女性、同和地区の女性、在日韓国・朝鮮人の女性などの先住民族や民族的マイノリティの女性とともに障害のある女性、LBTの女性及び移民女性」など複合的・交差的差別を経験している女性のグループがある。この判決が、彼女らに援用できる先例となってほしい。
 また、複合差別は、女性のグループだけではない。在日韓国・朝鮮人の障がい者、部落やアイヌの障がい者も、また複合差別を受けている可能性がある。
(2)そして、複合差別のかたちはヘイトスピーチに限らない。例えば、企業の中で障がいのある女性が執拗なセクハラを受けたりすること、外国人女性がDVの犠牲になることなど、職場や家庭が複合差別の現場になることもある。この判決が、マイノリティの中でもさらに押し込められた立場の人たちに生かされることが、判決に生命力を与えるのだと思う。
(3)これをきっかけとして政府が複合差別に関して調査を行うように願う。女性差別撤廃委員会は、第5回及び第6回政府報告書への最終見解で、2006年にはすでに、日本政府に対して複合差別の実態調査をするように勧告している。これは、やがて立法へと結びつく基礎となる調査になると考える。


 さらに、「上瀧」は、違った視点での指摘を行う。


(1)保守速報らを提訴した直後に、李信恵さんと私は外国特派員協会で記者会見をしたが、この際、イタリアの記者から保守速報に広告を出しているのがどのような企業か、との質問を受けた。その時に私は初めて、保守速報のブログ記事を作成した人だけでなく、広告を出す側もヘイトスピーチから利益を受けていることに気づき、海外では広告主の責任を問うことがごく普通なのではないかと感じた。
(2)保守速報管理人は、自分の10個以上のバナー広告を貼っていた。そこから保守速報管理人が得ている広告収入がどれほどのものかわからないが(私たちは、裁判所に対して収入金額を明らかにするため調査嘱託を申し立てたが認められなかった)、アクセス数からいって相当程度の収入を得ていることは想像がつく。実際、保守速報側も広告収入を得ていることを認めていた。
(3)このようにインターネット上のヘイトスピーチが利益を生む構造の中で、ヘイトスピーチを抑制しようとする思えば、その構造を変えなければならない。アフィリエイトサービスプロバイダーは、保守速報などのアフィリエイターを拒絶することができる。アフィリエイトサービスプロバイダーに対する法的手段を検討してもいいように思う。広告主も、自分たちの広告が、どのような記事に貼られているのかを注意してほしいと思う。広告主が支払った金銭が、アフィリエイトサービスプロバイダーを介してブログ主に流れ込むのである。広告主は、アフィリエイトサービスプロバイダーを選ぶことができる。ヘイトスピーチが利益を生む構造を変化させるきっかけを提供できるのである。最近、エプソンなどの企業が「コミュニケーション活動の中立性維持の観点」等の理由で、保守速報への広告出稿を相次いで取りやめている。この動きに注目したい。


 「上瀧」は、こうした指摘に、「裁判の限界」「表現の自由」の問題を加える。



(1)現行の法律上では、名誉毀損も侮辱も、個人の社会的評価の低下や名誉感情を害するものであり個人の権利や利益の侵害を要件としている。言い換えれば、「朝鮮人は皆殺し」とインターネットや街頭宣伝やデモで扇動しても、そこに「個人の人権侵害」がなければ刑事訴訟や民事訴訟の法的手段はとれない。
(2)在日韓国・朝鮮人の人にとっては「朝鮮人は日本から出て行け」といわれることと、特定の彼、彼女が在日韓国・朝鮮人ゆえに「日本から出ていけ」といわれることに大きな差はない。しかし前者では民事訴訟でも刑事訴訟でも被害者は救済されない。被害の実態に鑑みると、個人の名誉毀損や侮辱を媒介としてしか法的責任を問えないとすることには違和感がある。
(3)ヘイトスピーチの本質は、マイノリティの社会的排除を扇動することにあり、もっといえば、マイノリティへの支配・従属関係を再生産することにある。そこに焦点をあてた立法が必要である。ヘイトスピーチ対策法は、その一部の実現であるが、罰則規定も含めた法整備が必要ではないか。
(4)状況は、ヘイトスピーチからヘイトクライムへと移行している。ヘイトクライムがヒェノサイド(大量殺害)に繋がっていくことは、私たちの歴史が証明している。人種差別撤廃委員会は、人種差別撤廃条約に関して、一般的勧告35「ヘイトスピーチと闘う」(以下「一般勧告35)という)を出した。この勧告は、2012年8月、世界的にのヘイトスピーチが吹き荒れている状況の中で出されたものである。私たちの日本社会も、この一般的勧告と真摯に向き合う必要がある。

(5)外務省が述べる理由は、「人種差別の扇動」などの言葉が広すぎて表現の自由を不当に制約すること。刑罰の対象とならないものの境界が不明確で罪刑法定主義に反する可能性があるとするものだ。日本政府は、表現の自由に多くの価値を置いており、表現の自由とヘイトスピーチに対する処罰規定は対立するという立場である。
(6)憲法13条には生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は「公共の福祉に反しない限り」最大限の尊重をするべきとされており、表現の自由も絶対的なものではない。
(7)一般的勧告35も「表現の自由は、他者の権利と自由の破壊を意図するものであってはならず、そこでいう他者の権利には、平等及び被差別の権利が含まれるものである」とする。一方で、一般的勧告35は、「人種主義的ヘイトスピーチから人びとを保護するということは、一方に表現の権利を置き、他方に集団保護のための権利制限を置くといった単純な対立ではない。すなわち、本条約による保護を受ける権利を持つ個人及び集団にも、表現の自由の権利とその権利行使において人種差別による保護を受ける権利を持つ個人及び集団にも、表現の自由の権利とその権利の行使において人種差別を受けない権利がある。ところが、人種主義的ヘイトスピーチは犠牲者から自由なスピーチを奪いかねないのである」と述べる。
(8)ここでは、ヘイトスピーチの規制が表現の自由を制約するという単純な対立ではないこと、マイノリティにも差別されることなく表現する自由が保障されているが、ヘイトスピーチは、マイノリティから表現の自由を奪う可能性があると指摘している。
(9)表現の自由が重要であるのであれば、マイノリティの表現の自由も同時に保障されなければならない。表現の自由が重要な価値があるとされる理由は「自己実現の価値」「自己統治の価値」があるからとされる。自己実現の価値とは、個人の人格の形成と展開にとって不可欠であること。自己統治の価値とは、立憲民主主義の維持管理にとって不可欠であるという意味である。
(10)少数者が、必要な情報に接し、他者と自由に意見を交換する中で自分の考えを検証したり確認したりする中で人格を発展させ、また、必要な政治的な主張をする社会が豊かな社会である。しかし、ヘイトスピーチが蔓延する社会では、在日韓国・朝鮮人の言論は、すでに事実上「萎縮」させられてしまっている。
(11)表現の自由において、表現の強者と弱者が存在するという視点は、大切である。 
(12)ヘイトスピーチを規制することによって守られるのは、民族的マイノリティがヘイトスピーチによって現実に生じている被害を避けられることであり、マイノリティとしての民族的アイデンティティであり、社会に対する安心感、信頼、表現の自由である。他方、ヘイトスピーチ規制によって失われるものは何か。それが人種差別をする自由であるという議論はさすがに目にしない。そこでよく言われるのは、罰則規定が濫用される可能性である。しかし、「濫用される可能性」は可能性にすぎないのに対して、マイノリティの被害は現実に生じている。将来起凝るかもしれない濫用の危険性のゆえにマイノリティの現在の被害を放置することは許されない。「濫用の危険性」があるのなら、濫用されない方法を模索するべきでだろう。


 「上瀧」は「おわりに」で、このように触れる。



 この裁判を通じて、「言葉」というものの大切さをあらためて思った。
 「ヘイトスピーチ」や「複合差別」ということばは、事実を発見し、誰かがどこかで名づけ、使い始めた。引用した意見書も、論文も、言葉で綴られる知性である。李信恵さん、大杉弁護士との打ち合わせのほとんどはことばを探す作業にあてられた。この裁判は、ことばの歴史の上に成り立っている。
 複合差別やヘイトスピーチは、今は、まだ、現実を切り取ることばとして生きている。しかし、差別がなくなれば、かってあった歴史上の表現として語られるだろう。裁判所の判決も小さな歴史として判例の森に埋もれていってほしい。
 編集者の中村純さんから、李信恵さんの裁判の経緯を本にしないかと言われたとき、正直、迷った。けれど、中村さんは詩人でもあり「ことば」への想いは一通りではない。そういう信頼もあって、本を書くと決めた。
 差別のない社会をめざして、一緒に頑張りましょう。


 実は、在特会のヘイトスピーチに出会ったとき、ことばを失った。
 「上瀧」の「おわりに」を読んで、その意味の一端を理解した。
 李信恵さんの二つの判決は、李信恵さんに対する罵倒行為が民族差別と女性差別の複合差別であると判断した。
この判決が意味を持ってくるためには、「この判決が、マイノリティの中でもさらに押し込められた立場の人たちに生かされること」に繋がる必要がある。
 そのことで、この判決は、本当の意味で、生きてくる。
 この判決を生かしていきたい。


by asyagi-df-2014 | 2018-08-28 06:23 | 本等からのもの | Comments(0)

「黒島美奈子の政治時評」- 軍用機事故で露わに 日米地位協定の正体-

著書名;週刊金曜日1174号-「黒島美奈子の政治時評」
著作者;黒島美奈子
出版社;週刊金曜日




 週刊金曜日1174号の「黒島美奈子の政治時評」は、日米地位協定が日本にもたらしているものついて、痛烈にあぶり出す。
まずは、「『日米地位協定』とは何か。私たちの生活にどういう関わりがあるのか。2月に相次ぎ発生した軍用機事故で、図らずも、協定の正体が露わになった。」、と二つの事故を紹介する。


 一つ目の事故について。


(1)「2月5日、佐賀県神埼市の住宅地に陸上自衛隊のヘリコプターが墜落した。乗員2人は死亡、墜落した住宅にいた児童1人がけが、住宅2棟が炎上した。」
(2)「事故現場には、陸自をはじめ県警や消防が駆け付け、業務上過失致死と航空危険行為処罰法違反の容疑で現場検証を実施。翌日には、主回転翼(メイン・ローター)の異常が墜落に繋がった可能性のあることが報じられた。陸自は即座に事故機が所属する目達原駐屯地のヘリ全機の運用停止を表明。事故機と同型機以外のヘリ飛行を再開したのは、事故から約2週間後の22日だった。同型機の運用停止は2月26日現在継続している。」
(3)「この間、墜落の原因も少しずつ明らかになってきた。事故から9日後には防衛省が、事故機のメイン・ローター・ヘッドが以前にも故障・修繕した中古品であったと公表している。原因究明を速やかに実施・公表し、住民の安全に配慮する。当たり前のようだが、一連の陸自の行動は、日本国憲法や国内法の存在なしにはあり得ない。」


 二つ目の事故について。


(1)「同じ頃発生した米軍機事故の顛末はどうか。」
(2)「2月20日、、青森県の米軍三沢基地所属のF16戦闘機が離陸直後にエンジン火災を起こし、燃料タンク2個を基地近くの小川原湖に投棄した。燃料タンクは空の状態で重さ215キロという。当時、約10隻のシジミ漁船が操業しており、一歩間違えれば人身事故の可能性もあった。湖には漏れ出た燃料が広がり、直後から全面禁漁を余儀なくされた。」
(3)「当日、各紙は米空軍第35戦闘航空団司令官が発表した『事故原因究明のため徹底した調査を実施する』とのコメントを報じた。しかし以降、事故調査の進捗情報はない。湖面に広がった燃料の回収は、青森県知事による『災害派遣』要請で海上自衛隊があたり、米軍の姿はなかった。『しんぶん赤旗』によると、米軍は事故後も同型機の訓練を実施している。」


 黒島美奈子は、この二つの事故の「違い」を、「この対応の差を生み出しているのが、1960年、安全保障条約に基づき定められた日米地位協定の存在だ。米軍がドイツやイタリア、韓国など他国との間で結ぶどの地位協定と比べても日本とのそれは片務性が目立つ。つまり、米軍による事故の責任を不問にするのが日米地位協定と言える。」、と喝破する。
 また、こうした日本の状況を、2018年2月15日に開かれた全国知事会での翁長雄志沖縄県知事の「憲法の上に日米地位協定がある。国会の上に日米合同委員会がある」、との言葉を紹介することによって、日本の中の沖縄の位置づけ改めて焦点化させる。

 黒島美奈子は最後に、「米軍機事故は沖縄だけでなく全国で起き始めている。いずれ国民の不満は広がるだろう。政府に危機管理能力があるなら、地位協定の改定は何より急がなければならないはずだ。」、と結論づける。
つまり、もはや、沖縄だけに押し込めることができないほどに、米軍の劣化と、自衛隊の拡大強化が進んでいる中で、命の危機は国民一人一人のすぐ隣まで来ているということを語りかける。


 さて、「『日米地位協定』とは何か。私たちの生活にどういう関わりがあるのか。」に関わって、黒島美奈子がはっきりさせたことは、「原因究明を速やかに実施・公表し、住民の安全に配慮する。このことは、日本国憲法が求めるものである。」ということである。 また、もちろん、国内法は日本国憲法に沿って存在していることも。




by asyagi-df-2014 | 2018-03-11 17:30 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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