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東京地裁は、安全保障関連法が憲法に違反するかが争われた訴訟の判決で、憲法判断をせずに原告の請求を棄却。

 朝日新聞は2019年11月7日、表題について、「安保法制違憲訴訟、原告敗訴 東京地裁も憲法判断せず」、と次のように伝えた。


(1)集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法が憲法に違反するかが争われた訴訟の判決で、東京地裁(前沢達朗裁判長)は7日、憲法判断をせずに原告の請求を棄却した。全国各地で起こされている一連の訴訟で、判決は札幌地裁に続いて2件目。原告側は控訴する方針。
(2)2016年の安保法施行により、憲法前文にある平和に生きる権利(平和的生存権)や人格権が侵害されて精神的苦痛を受けたとして、市民ら約1550人が国に1人10万円の賠償を求めていた。
(3)判決は「平和とは抽象的な概念で、個人の思想や信条で多様なとらえ方ができる」と指摘した上で、平和的生存権は国民に保障された具体的な権利とはいえないと判断した。
また、安保法の施行によって「戦争やテロの恐れが切迫し、具体的な危険が発生したとは認めがたい」とも言及。人格権が侵害されたとの訴えも退けた。違憲性については、具体的な権利の侵害があったとは認められないとして判断を示す必要はないと結論づけた。
(4)判決後、原告側の弁護団は会見し、「違憲性の判断を回避し、司法の誇りを捨て去った『忖度』判決と言われてもやむをえない」と批判した。」
(5)安保法制をめぐる訴訟は全国22の裁判所や支部で25件起こされ、原告の数は7700人にのぼる。                               (新屋絵理)


 また、このことに関して、東京新聞(以下、「東京」)は2019年11月8日、「安保法制判決 司法は本質を直視せよ」、と社説で論評した。
 「東京」は、「安全保障関連法は『違憲だ』とする集団訴訟で東京地裁は訴えを退けた。ただ合憲とも言わず憲法判断を避けたのは、問題の本質を直視しない表れではないか。司法の消極主義は極めて残念だ。」、と断じた。
また、「東京」はこの判決について、「ピストルの例え話をしよう。銃弾が発射され、標的の人に向かって飛んでいる。それを超スローモーションで見たら…。確かに銃弾は空中にあるので、その時点では人には何ら被害は起きていない。しかし、危険は刻一刻と迫り、いずれは人に命中する。」、と例えた。
 「東京」の指摘の根拠は、次のもの。


(1)二〇一四年に政府は従来の解釈を一転させ、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした。それに基づき安保法制がつくられ、一六年に施行された。事実上の解釈改憲であり、大多数の憲法学者から当時、「違憲」「違憲の疑い」と指摘された。
(2)安保法制は野党や国民からも「戦争法案」と呼ばれ、「戦争ができる国」へと変質しているとの声が上がった。元内閣法制局長官は別の裁判所で「丸ごと違憲」と証言している。
(3)確かにかつての「専守防衛」の枠から逸脱する防衛力が装備されつつある。自衛隊の任務も変わりつつある。例えば海上自衛隊の護衛艦「いずも」は事実上の空母に改修され、F35B戦闘機が搭載予定だからだ。これは憲法九条下で保有できないとされてきた攻撃型空母の機能を果たしうる。
(4)防衛費も二〇年度の概算要求は約五兆三千二百億円と過去最大規模に膨らむ。軍事大国化はもはや懸念の域を超えつつある。中東で米国が求める有志連合には加わらないが、自衛隊がいずれ中東地域に派遣され、近くの米軍艦船が攻撃されたら、自衛隊は紛争に巻き込まれる恐れはないか。交戦状態にならないか。閣議決定以来、なし崩し的に事は進み始めている。


 「東京」は、最後に、次のように警鐘を鳴らした。


(1)全国二十二の地裁で起こされた訴訟だ。東京の原告は実に約千五百五十人。みんなが迫りくる“ピストルの弾”という危険におびえている。札幌地裁に続き、今回も判決は「原告の精神的苦痛は義憤ないし公憤。法的保護を与えられるべき利益でない」と一蹴した。だが、この訴訟の本質は、安保法制に対する憲法判断を迫ったものだ。
(2)それに応答しない判決は肩透かし同然である。ならば「合憲」と言えるのか。違憲なら止めねばならぬ。その役目は今、司法府が負っている。裁判官にはその自覚を持ってもらいたい。


 原告側弁護団の「違憲性の判断を回避し、司法の誇りを捨て去った『忖度』判決と言われてもやむをえない」、との告発を噛みしめる




by asyagi-df-2014 | 2019-11-13 07:13 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

安倍晋三政権の改憲策動への反対「声明」-(2)

 「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」は2019年10月18日、「安倍首相らの改憲の動きに反対し、憲法審査会の再始動強行に反対します」(以下、「声明」)、と「事態は急を要しています。」との内容の声明を発表しました。
 「声明」が指摘する「緊急性」は次のものです。


(1)夏の参議院選挙は自民党が改憲を公約の重点項目に挙げ、安倍首相は「(憲法を)議論をする政党を選ぶのか、審議を全くしない候補者を選ぶのかそれを決めて頂く選挙だ」と改憲問題を争点化しましたが、改憲派は3分の2の議席を維持できず、自民党は単独過半数を手放すという結果に終わりました。これは「安倍9条改憲NO!」の署名運動や各地の市民連合など、全国の市民運動と野党の共同の成果です。
(2)しかし、安倍首相は「必ずや憲法改正を成し遂げる」「新しい時代にふさわしい憲法改正原案の策定に向け、衆参両院で第一党の自民党が憲法審査会で強いリーダーシップを発揮すべきだ」と述べ、臨時国会の所信表明演説では、「令和の時代に、日本がどのような国を目指すのか。その理想を議論すべき場こそ、憲法審査会ではないでしょうか」と訴えて、自らの任期中に改憲を成し遂げることに強い執念を燃やしています。


 「声明」はこうした政治状況に対して、「私たちは、自衛隊明記の9条改憲をはじめとする自民党の4項目の改憲案の発議と、そのための衆参両院の憲法審査会の始動に断固として反対するものです。」、と反対の根拠を次のように明確にします。


Ⅰ.自民党9条改憲案は9条2項を空文化して海外での戦争を可能にするものです。安倍自民党による改憲発議を許してはなりません。

(1)自民党9条改憲案は、「必要な自衛の措置」として集団的自衛権の全面行使をも可能とするものです。緊急事態条項に関する改憲案は、軍事的な緊急事態に内閣の権限を拡大し、人権の大幅な制約を可能にする危険性があります。大地震などの自然災害の対応についてはすでに充分な法律が整備されており、憲法に緊急事態条項を置く必要性はありません。さらに、合区に関する問題の解決は公職選挙法等の改正で可能であり、自民党の合区改憲案は投票価値の平等を侵害するなどの危険性があります。教育の充実に関する改憲案は、教育が「国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担う」として教育への国家介入を正当化する危険があります。教育の充実は国会と内閣がその気になれば、法律や予算措置で可能であり、改憲は必要ありません。
(2)自民党の4項目改憲案は、いずれも改憲の必要性・合理性を欠くうえに、日本国憲法の基本原理である平和主義、主権在民、基本的人権の尊重を破壊するものです。

Ⅱ.世論は、今、改憲を望んではいません。安倍改憲のための憲法審査会の始動を許してはなりません

(1)憲法改正の議論は世論の中から改正を求める意見が大きく発せられ、世論が成熟した場合に初めて国会で議論されるべき問題です。1980年11月17日の政府統一見解も、「憲法の改正については、慎重のうえにも慎重な配慮を要するものであり、国民のなかから憲法を改正すべしという世論が大きく高まってきて、国民的なコンセンサスがそういう方向で形成されることが必要である」としています。世論の支持がないままに「憲法尊重擁護義務」(憲法99条)を負う首相や国会議員が改憲議論を主導することは明らかな憲法違反です。
(2)世論が憲法改正を必要な政策と考えていないことは、この間の各種の世論調査の結果を見れば明らかです。人びとが望むのは、台風被害対応をはじめ山積する諸課題についての予算委員会など国会の各委員会での真剣な議論です。それは先の参院選で立憲野党と市民連合が合意した13項目の政策の実現のための議論であり、改憲のための憲法審査会の議論ではありません。憲法の議論を逃げているのは安倍首相の方です。

Ⅲ.与党提出「公選法並び」の改憲手続法改正案は、重大な欠陥法案であり、これを成立させてはなりません

(1)継続審議となっている与党提出の改憲手続法改正案は、2016年に成立した公職選挙法改正の内容にそろえて国民「投票環境を向上させる」ためなどと与党は説明しています。しかし、与党提出の改正案は、テレビ・ラジオの有料広告規制が、投票前2週間の投票運動に限定されていて「国民投票を金で買う」危険性がある問題、公務員・教育者に対する不当な規制の問題、大企業や外国企業、外国政府なども運動費用の制限なく国民投票運動ができる問題、最低投票率の定めがない問題等々、現行手続法が持つ数多くの本質的な問題点について、全く検討していない欠陥改正法案です。
(2)このように重大な欠陥のある法案を急ぎ成立させる必要性はありません。それは、安倍首相が目指す改憲4項目発議の環境を整えるものです。また、憲法審査会を開催して与党提出の改正案の議論に応じても、自民党が抜本的な手続法改正の議論に真摯に応じる保障はなく、任期中の改憲を目指す安倍自民党は欠陥改正法案を多少の手直しで強行採決し、次は具体的な自民党改憲案の議論に突き進もうとすることは明らかです。与党提出の「公選法並び」の改正案の議論は、自民党改憲4項目提示の「呼び水」でしかありません。

Ⅳ.国会内外呼応して、安倍改憲に反対しよう

(1)私たち総がかり行動実行委員会は、安倍首相らがめざす4項目の改憲案に反対し、自民党改憲案の「提示」や「審議強行」「発議」への道を掃き清めるための憲法審査会の再始動の強行に反対します。
(2)事態は急を要しています。いまこそ、憲法改悪に反対する市民と立憲主義の立場に立つ野党は結束して、「戦争する国」への道をひらく安倍改憲に反対しましょう。全国各地の草の根から、署名運動や集会、抗議デモ、街頭宣伝、スタンディング、SNSの発信・拡散など、可能なあらゆる行動をただちに巻き起こしましょう。


  私たちは、まずは、「与党提出『公選法並び』の改憲手続法改正案は、重大な欠陥法案である」(「声明」)ことから、私たちは、安倍晋三政権の策動に対して、明確な「否」の意思表示を一人一人がしなければなりません。
 そのために、「自民党9条改憲案は9条2項を空文化して海外での戦争を可能にするもの」(「声明」)という考え方を、一人一人が獲得する必要があること。
ひいては、この安倍晋三政権による改憲が、「自民党の4項目改憲案は、いずれも改憲の必要性・合理性を欠くうえに、日本国憲法の基本原理である平和主義、主権在民、基本的人権の尊重を破壊する」(「声明」)ことを回りの人達に訴える必要があります。




by asyagi-df-2014 | 2019-10-29 08:57 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

安倍晋三政権の改憲策動への反対「声明」-(1)

 「九条の会」は2019年10月10日、「改憲発議強行を草の根からの運動で阻もう」(以下、「声明」)、と声明を発表しました。
この「声明」の指摘を考えます。
まず最初に、安倍晋三政権の改憲の狙いと動きについて次のように指摘します。


(1)安倍首相は、先の参院選において市民と野党共闘の頑張りで改憲勢力3分の2の議席の維持に失敗したにもかかわらず、内閣改造と党役員人事で任期中の改憲発議強行に本腰を入れる体制をつくり、臨時国会に臨んできました。
(2)安倍自民党がねらうのは、改憲発議の第一歩として憲法審査会において何が何でも自民党改憲案を提示し、その審議に入ることです。そのため、自民党は、改憲手続法改正審議と並行して改憲案の提示を行おうとするなど、なりふり構わぬ形で議論に入ろうとしています。臨時国会で改憲案を提示して来年通常国会で発議強行、というスケジュールを描いているからです。
(3)臨時国会での所信表明演説においても、安倍首相は、改憲審議入りで演説を締めくくりました。「令和の時代に、日本がどのような国を目指すのか。その理想を議論すべき場こそ、憲法審査会ではないでしょうか。私たち国会議員が・・・しっかりと議論していく。皆さん、国民への責任を果たそうではありませんか」と。
(4)それに呼応するように、衆議院議長が今国会での改憲手続法の改正を促す発言をしたことは、その職責を逸脱した言語道断の暴挙といわねばなりません。さらに、安倍自民党は、改憲問題がすすまない背景にある「安倍改憲反対」の国民世論を意識し、国会審議と並行して、草の根からの改憲世論づくりに本腰を入れようとしています。日本会議と連携し自民党全支部での改憲推進本部づくりをはじめ、改憲国民投票を見据えて策動を強めています。


 確かに、この「改憲国民投票を見据えた策動」の端緒は、すでに、「韓国との対立を煽る一方で、朝鮮・中国の脅威を口実にして自衛隊の海外での武力行使を目指す9条改憲に執心する安倍政権の態度は、朝鮮半島の非核化、東北アジアの平和構築の方向に真っ向から逆行する極めて危険な策動です。安倍改憲を阻むことは、アジアと世界の人々に対する日本国民の責務となっています。」、と具体的なかたちで行われています。
 したがって、こうした事態をどのように捉え直すのかが問われています。

「声明」は、このことに関して次のように指摘します。


(1)改憲の新たな局面を迎えたいま、まず必要なことは、こうした安倍改憲の狙いと危険性を市民が共有することです。「安倍政権下の改憲」には反対の声は多数ですが、自衛隊を憲法に明記する9条改憲の危険性は、まだまだ市民の中には浸透していません。また、改憲手続法は、いま問題となっている有料CMが「カネで改憲を買う」危険をもっているだけに留まらず、公務員・教育者の地位利用の国民投票運動の禁止や「組織的多数人買収・利害誘導罪」など市民の自発的な運動を規制する致命的欠陥をもっていることも見逃せません。草の根からの学習、討論運動を巻き起こしましょう。
(2)先の参院選で3分の2を割らせた、3000万署名をはじめとする市民の運動に確信を持ち、改めて、署名、集会、スタンディング、ネットでの配信、など草の根からの運動をさらに幅広く大きなものにしましょう。草の根からの市民の声で安倍改憲を包囲し、阻止しましょう。


 安倍改憲の狙いと危険性を私たちが、いかに共有できるのかが大事になっています。





by asyagi-df-2014 | 2019-10-28 07:18 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

閣僚の靖国参拝は、日本国憲法の政教分離の原則を逸脱する。

 衛藤晟一沖縄北方相が靖国参拝を行った。彼については、どうしようもないと諦めている。ただ、高市早苗総務相がこれに続いた。これは、2年半ぶりのものとなった。
だとするときちんとこちら側の意思表示を伝える必要がある。
 このことについて、朝日新聞(以下、「朝日」)は2019年10月19日、「靖国神社参拝 閣僚は自重すべきだ」、と社説で見解を示した。
閣僚の靖国参拝の問題点について、「朝日」の指摘は次のもの。


(1)秋の例大祭が行われている靖国神社に、先月の内閣改造で初入閣した沖縄北方相の衛藤晟一氏と、総務相に再任された高市早苗氏が相次ぎ参拝した。閣僚が春と秋の例大祭や8月15日の終戦の日に靖国を参拝するのは、2017年4月の高市氏以来、2年半ぶりとなる。
(2)衛藤氏は記者会見で「国の命令でお亡くなりになった方々の慰霊を申し上げた」と述べたが、閣僚による参拝は、遺族や一般の人々が手を合わせるのとは意味合いが異なる。
(3)戦前の日本の対外戦争の戦死者らを祭神とする靖国神社は、軍国主義の精神的支柱となった国家神道の中心的施設だった。
(4)戦後は一宗教法人となったが、現在の政治指導者が参拝すれば、日本が過去の過ちを忘れ、戦前の歴史を正当化しようとしていると受け止められてもおかしくない。中国、韓国両政府が「遺憾」「抗議」を表明したのもそのためだ。
(5)靖国神社には、先の戦争を指導し、東京裁判で厳しく責任を問われたA級戦犯14人も合祀(ごうし)されている。サンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れ、国際社会に復帰した日本の歩みを否定することにもつながりかねない。


 「朝日」は、最後に、今回の閣僚の靖国参拝について、批判する。


(1)安倍首相は第1次政権で靖国参拝をしなかったことを「痛恨の極み」と語り、13年末の首相復帰1年の日に参拝を行った。現職の首相としては、2006年の終戦の日の小泉首相以来7年ぶりのことだった。しかし、その後は一貫して参拝を控え、春秋の例大祭は真榊(まさかき)の奉納にとどめている。であるなら、閣僚に対しても、自重を促すべきではなかったか。衛藤、高市両氏は首相の側近として知られ、これまでも靖国参拝を繰り返してきた。両氏の行動は首相の思いの体現とみられても仕方あるまい。
(2)日韓関係は戦後最悪と言われ、両国の政治家が打開へ向けて知恵を絞ることが求められている。日中関係も来春の習近平(シーチンピン)国家主席の国賓としての来日を控えた大事な時期である。近隣外交の火種をつくるような振る舞いは賢明とはいえない。
(3)首相や閣僚による靖国参拝は、憲法が定める政教分離の原則からみても疑義がある。衛藤、高市両氏とも「私人として」というが、閣僚という立場で公私は分かちがたい。小泉政権時代の02年、当時の福田康夫官房長官の私的懇談会が「国立の無宗教の戦没者追悼施設が必要だ」との報告書をまとめたことがあるが、具体的な進展はなかった。誰もがわだかまりなく追悼できる新たな施設の検討こそ、政治家の役割ではないか。


 さて、今回の問題を、確認する。
(1)首相や閣僚による靖国参拝は、憲法が定める政教分離の原則から違憲であること。なぜなら、「靖国神社は、軍国主義の精神的支柱となった国家神道の中心的施設」(「朝日」)であり、日本国憲法の考え方を逸脱するものであるから。
(2)「靖国神社には、先の戦争を指導し、東京裁判で厳しく責任を問われたA級戦犯14人も合祀(ごうし)されている。サンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れ、国際社会に復帰した日本の歩みを否定する」(「朝日」)ことに繋がること。
(3)「両氏の行動は首相の思いの体現」(「朝日」でしかないこと。




by asyagi-df-2014 | 2019-10-26 06:59 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

憲法改正の議論の前に、知っておくべきこと-海渡雄一FBより

 憲法改正に明確な意思を示す首相がいる時、やはり、きちんとした対抗理論が必要である。

 今回は、海渡雄一弁護士が、FBに、「憲法改正の議論の前に、知っておくべきこと-ポツダム宣言の受諾から日本国憲法の制定まで」を掲載した。
海渡雄一弁護士の指摘は、次のもの。そのまま掲載。



はじめに
 安倍政権は、いよいよ憲法改正の発議を目指すことを公言するようになった。日本国憲法の改正の是非について議論するためには、日本が15年戦争に敗北した時に、国際社会に対して、どのような約束をしたか、どのような経過で現在の憲法が制定されたかを知る必要があると思う。憲法について議論する前提となる基礎的な事実の確認のために、事実を整理した。
 第1 戦争する国を支えていた法制度とその復活

1 戦争する国のシステムと安倍政権による復活
 日中戦争とこれに引き続く太平洋戦争は、近代日本の総力戦であった。そして、そのためには、兵器や軍隊を整えるだけでなく、戦争を遂行するための法体制を作り上げることが必要であった。私は、2017年に、「戦争する国のつくり方: 「戦前」をくり返さないために」という本を上梓した。この本の中で書いたことをまとめると、次のようになる。
 戦争遂行するためには、まず第一に戦争を行う主体をつくることが必要であった。これが戦前では大本営であり、安倍政権の下であらたに設けられた国家安全保障会議がそれに該当する。
 第二に、戦争に反対する勢力を無力化する治安維持法などの法制が整備され、戦争に反対する諸勢力が非合法化・あるいは活動を大きく制限された。これが、現代的に復活したのが、新共謀罪であろう。
 第三に、一般国民を戦争に協力させるための、教育勅語・軍事教練・靖国神社などの思想・道徳の徹底のための教育がなされた。今、日の丸と君が代強制が教育現場で進み、道徳教育が教科化されている。
 第四に、戦争のためにすべての物質的・社会的資源を動員することのできる国家総動員法や徴兵制度などの法制度が整備された。これを現代によみがえらせたものが、有事法制であり、自民党改憲草案と安倍改憲案に含まれている国家緊急権条項であろう。
 第五に、戦争の準備の過程と戦意の高揚のために不都合な情報は隠ぺいできる情報管理体制を確立することが必要であり、1937年に制定された改正軍機保護法や1941年に総力戦体制とともに制定された国防保安法がそれにあたった。これを現代的に復活させたのが、特定秘密保護法である。
 第六に、国民を戦争に誘導するために、内閣情報局のもとで報道出版の検閲統制がなされ、隣組による市民の相互監視が強められ、戦争非協力者には配給上の不利益までが課された。軽快な「隣組」の歌は、実は戦争動員の歌だったのである。
 現代では、報道機関に対する脅しとキャスター外し、高市総務大臣の偏向放送の停波発言、NHK人事への介入が露骨になってきている。市民に対するデジタル監視のシステムも強められている。

2 安倍内閣は戦前の戦争法体系を現代型にして蘇らせようとしている
 政府は、まず解釈改憲と個別安全保障法の改正を先行させ、既成事実を軸にその後に憲法改正を提起する計画のようだ。
 2013年秘密保護法、2014年集団的自衛権を認める閣議決定、2015年平和安全法制=戦争法の制定、2016年高市電波停止発言、刑事訴訟法改正(盗聴法の大幅拡大による市民監視の強化、司法取引の導入)、2017年共謀罪制定など、安倍政権の一連の政策は、市民の抵抗を力と脅しによって黙らせ、憲法を改正し、国民を戦争に動員することのできる法体制へと導こうとしているようにみえる。
 そして、安倍政権は今開かれている臨時国会あるいは引き続く通常国会に改憲案の提起を行おうとしている。このような、政策誘導は、日本という国を敗戦以前の戦争できる国とすることをもくろんでいるように思われる。

第2 ポツダム宣言の受諾はなにを意味したか
1 15年戦争の敗北とポツダム宣言の受諾

 日本の戦後の歴史を規定しているものは、ポツダム宣言の受諾である。ポツダム宣言の受諾こそが日本の戦後の国のかたちを作った。ポツダム宣言の受諾は日本政府の非武装化を意味した。1945年7月26日に米・英・中の三か国が発した「ポツダム宣言(抄)」を確認しよう。
 「日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。
 日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。
 第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。
 カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。
 我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。
 日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。
 日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。
 我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。」

2 ポツダム宣言を受けて日本政府がやったことは、機密重要書類の焼却であった。
 政府は1945年8月14日に、ポツダム宣言を受諾したが、同日 「機密重要書類焼却の件」を閣議決定した。戦争はなかったものにしようと、戦争に関する一切の資料を焼却して、自ら開始した戦争を歴史から消し去ろうとした。この通知も焼却するように指示されていたが、焼却をまぬかれた原本が松本市に保管されている(写真を添付した)。軍と官僚による戦争の証拠隠滅である。 占領軍GHQの調査が始まるまえに、焼却を急いだのである。そして、軍関係、裁判所、町村役場、学校、地域では、数日をかけて重要書類を焼却、廃棄した。裁判所でも治安維持法違反事件の判決などを焼却した。

3 軍と秘密警察は解体された
 9月2日米艦ミズーリ号上において重光葵外相が降伏文書に調印した。ポツダム宣言によって軍は解体された。戦後改革の第1は軍の解体であった。アメリカを中心とする連合国は、日本の侵略戦争とファシズムの根源を断つため、まず非軍事化を強力に進めた。
 帝国陸軍と海軍の解体、軍需産業の生産停止、軍国主義者の公職追放、修身・歴史教育の禁止、国家と神道(しんとう)の分離などが進められた。

4 昭和天皇の平和国家宣言
 昭和天皇は、降伏文書調印の2日後9月4日の帝国議会開院式の勅語で「朕は終戦に伴ふ幾多の艱苦を克服し国体の精華を発揮して信義を世界に布き平和国家を確立して人類の文化に寄与せむことを冀ひ」と述べ、戦後日本がめざすべき国家像を「平和国家」だと宣言した。
 この発言は、自らの戦争責任を免れるための占領当局に対するアピールとも受け取れるが、ポツダム宣言に意味を正確に理解したものであったと評価することができるだろう。

5 自由の回復 治安維持法と軍機保護法の廃止と特高警察の解体
 まず、新聞の自由が回復された。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、1945年9月24日に「新聞界の政府からの分離に関する覚書」、同9月27日に「新聞および言論の自由に関する追加措置」(ただし29日付)を発し、これにより新聞紙法は事実上失効した。哲学者の三木清が、9月26日に豊多摩刑務所で死亡したことが報道され、GHQは治安維持法違反の政治犯が囚われたままであるという事実に衝撃を受ける。
 しかし、日本政府は自主的には治安維持法の廃止や特高警察の解体などは行わず、1945年10月の段階においても、岩田宙造司法大臣は「司法当局としては、現在のところ政治犯人の釈放の如きは考慮していない」と断言していた。岩田は予防拘禁されている者も含めて釈放の意思はないと外国人記者に言い放っていた。
 フランス人ジャーナリストのロベール・ギランらの努力により、多くの日本共産党員が豊多摩刑務所内の予防拘禁所に拘禁されていることが明らかになった(『東京発特電』)。

6 1945(昭和20)年10月4日には「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」が発せられた
 1945(昭和20)年10月4日、GHQが、自由を抑圧する制度を廃止するよう命じる指令を発した。正式には「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」という。「人権指令」とも呼ばれる。この指令は、思想、信仰、集会及び言論の自由を制限していたあらゆる法令の廃止、内務大臣・特高警察職員ら約4,000名の罷免・解雇、政治犯の即時釈放、特高の廃止などを命じていた。
 東久邇宮内閣はこの指令を実行できないとして、翌5日に総辞職した。つぎの幣原内閣では、この指令に基づき共産党員など政治犯約3,000人を釈放、治安維持法など15の法律・法令を廃止した。
 戦前の法制で廃止するものについて、この指令の中で説明されている。
一、政治的、公民的、宗教的自由に対する制限並に種族、国籍、信教乃至政見を理由とする差別を除去する為日本帝国政府は
a、左の一切の法律、勅令、命令、条例、規則の一切の条項を廃止し且直に其の適用を停止すべし
(一)思想、宗致、集会及言論の自由に対する制限を設定し又は之を維持せんとするもの 天皇、国体及日本帝国政府に関する無制限なる討議を含む
(二)情報の蒐集及公布に関する制限を設定し又は之を維持せんとするもの
(三)其の字句又は其の適用に依り種族、国籍、信教乃至政見を理由として何人かの有利又は不利に不平等なる取扱ひを為すもの
治安維持法・予防拘禁制度と軍機保護法・国防保安法、宗教団体法が廃止された
b、前項aに規定する諸法令は左記を含むも右に限定せられず
(1)治安維持法
(2)思想犯保護観察法 
(3)施行令
(4)保護観察所官制
(5)予防拘禁手続令
(6)予防拘禁処遇令
(7)国防保安法
(8)施行令
(9)治安維持法の下に於ける弁護士指定規程
(10)軍用資源秘密保護法 
(11)施行令
(12)施行規則
(13)軍機保護法
(14)施行規則
(15)宗教団体法
(16)前記法律を改正、補足若くは執行するための一切の法律、勅令、命令、条例及規則

7 GHQ 5大改革指令のトップは秘密警察の解体であった
 1945年10月11日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは当時の首相幣原喜重郎に対し、五大改革指令を命じた。秘密警察の廃止/労働組合の結成奨励/婦人解放(家父長制の廃止)/学校教育の自由化/経済の民主化(財閥の解体、農地の解放)などが含まれた。特高警察の解体こそが、戦後史の要だったことがわかる。公安警察のトップであった北村滋氏が内閣情報官から国家安全保障局長にまで登り詰めたことは、歴史を逆行させる重大な意義を持っている。

第3 日本国憲法制定の経緯
1 憲法問題調査委員会の時代錯誤
 10月25日 憲法問題調査委員会が設置された。委員長松本であった。11月22日 には近衛文麿が「帝国憲法改正要綱」を天皇に上奏した。11月29日には米統合参謀本部がマッカーサーに天皇の戦争犯罪について調査を指示した。12月6日にはGHQが近衛を戦犯に指名。近衛は服毒自殺(16日)した。12月8日 松本国務大臣は衆院で憲法改正4原則を示した。天皇統治権は不変/議会の議決事項拡大/国務大臣の責任拡大/人民の自由・権利を拡大が4原則である。

2 松本案は閣議決定されていない。GHQ案の受け入れは閣議決定された。
 1946年1月1日には天皇神格否定・人間宣言を行った。1月19日にはマッカーサーが極東軍事裁判所憲章を承認とその設置を命令した。1月24日には幣原・マッカーサー会談がもたれ、天皇制の維持と戦争の放棄を幣原から提案したとされる。異論はあるが、ほぼ定説といえる。1月26日には、松本烝治国務大臣が松本甲案を閣議に提出したが、閣議決定とならなかった。
 2月3日には、マッカーサーが、GHQホイットニー民政局長に憲法改正三原則を示した。
① 天皇は国の最高位の地位にある。
② 国権の発動たる戦争は廃止する。日本は自己の防衛と保護を世界を動かし筒ある崇高な理想に委ねる。陸海軍は将来も与えられることなく、交戦権も与えられない。
③ 日本の封建制度は廃止される。予算はイギリスの制度に倣う。
 2月8日 松本は閣議決定を経ないままGHQに「憲法改正要綱」を提出した。2月13日 GHQは松本案を拒否し、GHQ案を手交した。2月19日 松本委員長が閣議でGHQ案を手交されたことを説明した。2月21日 幣原・マッカーサー会談(3時間)「戦争を放棄してフォロワーがいるか?」などと議論したとされる。2月22日 松本、吉田、白洲がホイットニーと会談(1時間半)し、幣原は吉田、棚橋とともに天皇に拝謁、天皇はGHQ案を支持、午後閣議でGHQ案の受け入れを決定した。

3 日本政府とGHQの協議でまとめられた改正要綱
 3月4日 松本国務大臣、入江俊郎法制局次長、佐藤達夫法制局第1部長らが、GHQ案を参考に日本案を作成し、GHQに提出した。その審議は30時間に及んだ。3月6日 憲法改正要綱が発表され、同時に天皇の勅語、幣原首相の談話、マッカーサーの声明が付されていた。
 4月10日 衆議院総選挙が婦人参政権のもとでの初の選挙がなされた。4月17日 作家の山本有三らの要望により、憲法改正要綱は口語化されて公表された。4月26日 2月末に、極東委員会の密命を帯びて来日していたコールグローブGHQ憲法問題担当政治顧問は、極東委員会議長に対して、日本でマッカーサーの評価は高く、国民は憲法案を支持していると書簡を発した。5月3日には東京裁判が開廷された。5月13日 極東委員会憲法採択の三原則を示す(十分な審議時間、明治憲法との法的な継続性、国民の自由な意思表明)。
 5月22日 第一次吉田内閣が発足し、憲法担当大臣として金森徳次郎が任命された。

4 帝国議会の憲法審議で9条と25条が改正されている。
 6月21日にはマッカーサーは憲法審議に十分な時間を与えると声明した。6月28日 憲法改正草案は衆議院本会議から特別委員会(委員長芦田均)に付託された。7月25日 特別委員会の下に小委員会(委員長芦田均)を秘密会として組織して審議を継続した。
 8月1日には、9条、25条を修正した。9条2項に「前項の目的を達するため」を挿入(芦田提案)1項に「国際平和を誠実に希求し」を挿入(鈴木義雄提案)した。25条1項に生存権を付加(森戸辰男提案)した。
 8月24日 衆院で帝国憲法改正案を修正可決し、10月6日 貴族院で帝国憲法改正案を可決(9月23日GHQの要請で66条2項に文民条項を加えるよう要求、衆院で9月23日再修正)した。10月7日 日本国憲法帝国議会を通過し、11月3日 日本国憲法は公布された。

5 日本国憲法の施行 ほとんどの日本国民は、日本国憲法、そして戦争放棄を熱烈に支持した
 12月1日 憲法普及会が設立され、1947年2月15日憲法普及会は国家公務員700人を東大に集めて研修会を開催した。5月3日日本国憲法が施行され、皇居前広場で記念式典がもたれ、「われらの日本」が歌われる。憲法普及会の小冊子『新しい憲法 明るい生活』が2000万部配布された。 
「戦争は人間をほろぼすことです
 戰爭の放棄
 みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

9条は戦争の惨禍から生まれた日本国民の平和の誓い
そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。」

第4 日本国憲法は押し付けられたものではない
1  日本国憲法は押し付けられたものではない

1945-7 日本国憲法の制定と施行過程からわかることは、日本国憲法は押し付けられたものではないということである。

2  松本試案は閣議でも決定されて折らず、正規の日本政府案ではない

松本試案は、明治憲法の焼き直しでしかなく、ポツダム宣言を受諾した意味を正確に理解したものでなかった。閣議でも決定されて折らず、正規の日本政府案ではない。

3  憲法改正草案はGHQと日本政府の協議によって作られた

GHQは世界の進んだ憲法制度を公平に取り入れようとし、また日本側と十分に協議して憲法案が作成された。

4  9条戦争の放棄は保守層を含めて国民の意思に沿い、軍が解体された現実に適合したものだった。

 9条戦争の放棄は、日本国民の総意が戦争は二度とごめんだという気持ちであり、軍が解体されていた現実に合わせたものと考えられ、理想を追い求めただけでなく、現実的な根拠があった。
 ただ、この意識は戦争に対する被害者意識を主とし、加害責任の自覚に立ったものではなかったという弱点があった。
また、憲法制定の経過には、同じ占領下であったにもかかわらず、沖縄の代表の参加が認められていないという問題があった。
 戦争放棄がマッカーサーから指示されたものか、幣原首相の発案かは判然としないが、日本の政治家は、幣原だけでなく、吉田、芦田ら保守勢力も含めてこの考え方に賛成した。帝国議会で改正案に反対票を投じたのは共産党だけである。

5  帝国議会でも、憲法改正案は日本側の意見を容れて修正されている。
 憲法の原案はGHQが作成したものであるが、9条の文言の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し 」や生存権の規定などは日本の議会で修正されたものであり、押しつけ憲法という批判は事実とは異なるのである。


 以下、貝渡雄一のFBの引用。


憲法改正の議論の前に、知っておくべきこと-ポツダム宣言の受諾から日本国憲法の制定まで-海渡 雄一


はじめに
安倍政権は、いよいよ憲法改正の発議を目指すことを公言するようになった。日本国憲法の改正の是非について議論するためには、日本が15年戦争に敗北した時に、国際社会に対して、どのような約束をしたか、どのような経過で現在の憲法が制定されたかを知る必要があると思う。憲法について議論する前提となる基礎的な事実の確認のために、事実を整理した。

第1 戦争する国を支えていた法制度とその復活
1 戦争する国のシステムと安倍政権による復活
 日中戦争とこれに引き続く太平洋戦争は、近代日本の総力戦であった。そして、そのためには、兵器や軍隊を整えるだけでなく、戦争を遂行するための法体制を作り上げることが必要であった。私は、2017年に、「戦争する国のつくり方: 「戦前」をくり返さないために」という本を上梓した。この本の中で書いたことをまとめると、次のようになる。
 戦争遂行するためには、まず第一に戦争を行う主体をつくることが必要であった。これが戦前では大本営であり、安倍政権の下であらたに設けられた国家安全保障会議がそれに該当する。
 第二に、戦争に反対する勢力を無力化する治安維持法などの法制が整備され、戦争に反対する諸勢力が非合法化・あるいは活動を大きく制限された。これが、現代的に復活したのが、新共謀罪であろう。
 第三に、一般国民を戦争に協力させるための、教育勅語・軍事教練・靖国神社などの思想・道徳の徹底のための教育がなされた。今、日の丸と君が代強制が教育現場で進み、道徳教育が教科化されている。
 第四に、戦争のためにすべての物質的・社会的資源を動員することのできる国家総動員法や徴兵制度などの法制度が整備された。これを現代によみがえらせたものが、有事法制であり、自民党改憲草案と安倍改憲案に含まれている国家緊急権条項であろう。
 第五に、戦争の準備の過程と戦意の高揚のために不都合な情報は隠ぺいできる情報管理体制を確立することが必要であり、1937年に制定された改正軍機保護法や1941年に総力戦体制とともに制定された国防保安法がそれにあたった。これを現代的に復活させたのが、特定秘密保護法である。
 第六に、国民を戦争に誘導するために、内閣情報局のもとで報道出版の検閲統制がなされ、隣組による市民の相互監視が強められ、戦争非協力者には配給上の不利益までが課された。軽快な「隣組」の歌は、実は戦争動員の歌だったのである。
 現代では、報道機関に対する脅しとキャスター外し、高市総務大臣の偏向放送の停波発言、NHK人事への介入が露骨になってきている。市民に対するデジタル監視のシステムも強められている。

2 安倍内閣は戦前の戦争法体系を現代型にして蘇らせようとしている
 政府は、まず解釈改憲と個別安全保障法の改正を先行させ、既成事実を軸にその後に憲法改正を提起する計画のようだ。
 2013年秘密保護法、2014年集団的自衛権を認める閣議決定、2015年平和安全法制=戦争法の制定、2016年高市電波停止発言、刑事訴訟法改正(盗聴法の大幅拡大による市民監視の強化、司法取引の導入)、2017年共謀罪制定など、安倍政権の一連の政策は、市民の抵抗を力と脅しによって黙らせ、憲法を改正し、国民を戦争に動員することのできる法体制へと導こうとしているようにみえる。
 そして、安倍政権は今開かれている臨時国会あるいは引き続く通常国会に改憲案の提起を行おうとしている。このような、政策誘導は、日本という国を敗戦以前の戦争できる国とすることをもくろんでいるように思われる。

第2 ポツダム宣言の受諾はなにを意味したか
1 15年戦争の敗北とポツダム宣言の受諾

 日本の戦後の歴史を規定しているものは、ポツダム宣言の受諾である。ポツダム宣言の受諾こそが日本の戦後の国のかたちを作った。ポツダム宣言の受諾は日本政府の非武装化を意味した。1945年7月26日に米・英・中の三か国が発した「ポツダム宣言(抄)」を確認しよう。
 「日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。
 日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。
 第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。
 カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。
 我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。
 日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。
 日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。
 我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。」

2 ポツダム宣言を受けて日本政府がやったことは、機密重要書類の焼却であった。
 政府は1945年8月14日に、ポツダム宣言を受諾したが、同日 「機密重要書類焼却の件」を閣議決定した。戦争はなかったものにしようと、戦争に関する一切の資料を焼却して、自ら開始した戦争を歴史から消し去ろうとした。この通知も焼却するように指示されていたが、焼却をまぬかれた原本が松本市に保管されている(写真を添付した)。軍と官僚による戦争の証拠隠滅である。 占領軍GHQの調査が始まるまえに、焼却を急いだのである。そして、軍関係、裁判所、町村役場、学校、地域では、数日をかけて重要書類を焼却、廃棄した。裁判所でも治安維持法違反事件の判決などを焼却した。

3 軍と秘密警察は解体された
 9月2日米艦ミズーリ号上において重光葵外相が降伏文書に調印した。ポツダム宣言によって軍は解体された。戦後改革の第1は軍の解体であった。アメリカを中心とする連合国は、日本の侵略戦争とファシズムの根源を断つため、まず非軍事化を強力に進めた。
 帝国陸軍と海軍の解体、軍需産業の生産停止、軍国主義者の公職追放、修身・歴史教育の禁止、国家と神道(しんとう)の分離などが進められた。

4 昭和天皇の平和国家宣言
 昭和天皇は、降伏文書調印の2日後9月4日の帝国議会開院式の勅語で「朕は終戦に伴ふ幾多の艱苦を克服し国体の精華を発揮して信義を世界に布き平和国家を確立して人類の文化に寄与せむことを冀ひ」と述べ、戦後日本がめざすべき国家像を「平和国家」だと宣言した。
 この発言は、自らの戦争責任を免れるための占領当局に対するアピールとも受け取れるが、ポツダム宣言に意味を正確に理解したものであったと評価することができるだろう。

5 自由の回復 治安維持法と軍機保護法の廃止と特高警察の解体
 まず、新聞の自由が回復された。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、1945年9月24日に「新聞界の政府からの分離に関する覚書」、同9月27日に「新聞および言論の自由に関する追加措置」(ただし29日付)を発し、これにより新聞紙法は事実上失効した。哲学者の三木清が、9月26日に豊多摩刑務所で死亡したことが報道され、GHQは治安維持法違反の政治犯が囚われたままであるという事実に衝撃を受ける。
 しかし、日本政府は自主的には治安維持法の廃止や特高警察の解体などは行わず、1945年10月の段階においても、岩田宙造司法大臣は「司法当局としては、現在のところ政治犯人の釈放の如きは考慮していない」と断言していた。岩田は予防拘禁されている者も含めて釈放の意思はないと外国人記者に言い放っていた。
 フランス人ジャーナリストのロベール・ギランらの努力により、多くの日本共産党員が豊多摩刑務所内の予防拘禁所に拘禁されていることが明らかになった(『東京発特電』)。

6 1945(昭和20)年10月4日には「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」が発せられた
 1945(昭和20)年10月4日、GHQが、自由を抑圧する制度を廃止するよう命じる指令を発した。正式には「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」という。「人権指令」とも呼ばれる。この指令は、思想、信仰、集会及び言論の自由を制限していたあらゆる法令の廃止、内務大臣・特高警察職員ら約4,000名の罷免・解雇、政治犯の即時釈放、特高の廃止などを命じていた。
 東久邇宮内閣はこの指令を実行できないとして、翌5日に総辞職した。つぎの幣原内閣では、この指令に基づき共産党員など政治犯約3,000人を釈放、治安維持法など15の法律・法令を廃止した。
 戦前の法制で廃止するものについて、この指令の中で説明されている。
一、政治的、公民的、宗教的自由に対する制限並に種族、国籍、信教乃至政見を理由とする差別を除去する為日本帝国政府は
a、左の一切の法律、勅令、命令、条例、規則の一切の条項を廃止し且直に其の適用を停止すべし
(一)思想、宗致、集会及言論の自由に対する制限を設定し又は之を維持せんとするもの 天皇、国体及日本帝国政府に関する無制限なる討議を含む
(二)情報の蒐集及公布に関する制限を設定し又は之を維持せんとするもの
(三)其の字句又は其の適用に依り種族、国籍、信教乃至政見を理由として何人かの有利又は不利に不平等なる取扱ひを為すもの
治安維持法・予防拘禁制度と軍機保護法・国防保安法、宗教団体法が廃止された
b、前項aに規定する諸法令は左記を含むも右に限定せられず
(1)治安維持法
(2)思想犯保護観察法 (3)施行令
(4)保護観察所官制
(5)予防拘禁手続令(6)予防拘禁処遇令
(7)国防保安法 (8)施行令
(9)治安維持法の下に於ける弁護士指定規程
(10)軍用資源秘密保護法 (11)施行令(12)施行規則
(13)軍機保護法 (14)施行規則
(15)宗教団体法
(16)前記法律を改正、補足若くは執行するための一切の法律、勅令、命令、条例及規則

7 GHQ 5大改革指令のトップは秘密警察の解体であった
 1945年10月11日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは当時の首相幣原喜重郎に対し、五大改革指令を命じた。秘密警察の廃止/労働組合の結成奨励/婦人解放(家父長制の廃止)/学校教育の自由化/経済の民主化(財閥の解体、農地の解放)などが含まれた。特高警察の解体こそが、戦後史の要だったことがわかる。公安警察のトップであった北村滋氏が内閣情報官から国家安全保障局長にまで登り詰めたことは、歴史を逆行させる重大な意義を持っている。

第3 日本国憲法制定の経緯
1 憲法問題調査委員会の時代錯誤
 10月25日 憲法問題調査委員会が設置された。委員長松本であった。11月22日 には近衛文麿が「帝国憲法改正要綱」を天皇に上奏した。11月29日には米統合参謀本部がマッカーサーに天皇の戦争犯罪について調査を指示した。12月6日にはGHQが近衛を戦犯に指名。近衛は服毒自殺(16日)した。12月8日 松本国務大臣は衆院で憲法改正4原則を示した。天皇統治権は不変/議会の議決事項拡大/国務大臣の責任拡大/人民の自由・権利を拡大が4原則である。

2 松本案は閣議決定されていない。GHQ案の受け入れは閣議決定された。
 1946年1月1日には天皇神格否定・人間宣言を行った。1月19日にはマッカーサーが極東軍事裁判所憲章を承認とその設置を命令した。1月24日には幣原・マッカーサー会談がもたれ、天皇制の維持と戦争の放棄を幣原から提案したとされる。異論はあるが、ほぼ定説といえる。1月26日には、松本烝治国務大臣が松本甲案を閣議に提出したが、閣議決定とならなかった。
 2月3日には、マッカーサーが、GHQホイットニー民政局長に憲法改正三原則を示した。
① 天皇は国の最高位の地位にある。
② 国権の発動たる戦争は廃止する。日本は自己の防衛と保護を世界を動かし筒ある崇高な理想に委ねる。陸海軍は将来も与えられることなく、交戦権も与えられない。
③ 日本の封建制度は廃止される。予算はイギリスの制度に倣う。
 2月8日 松本は閣議決定を経ないままGHQに「憲法改正要綱」を提出した。2月13日 GHQは松本案を拒否し、GHQ案を手交した。2月19日 松本委員長が閣議でGHQ案を手交されたことを説明した。2月21日 幣原・マッカーサー会談(3時間)「戦争を放棄してフォロワーがいるか?」などと議論したとされる。2月22日 松本、吉田、白洲がホイットニーと会談(1時間半)し、幣原は吉田、棚橋とともに天皇に拝謁、天皇はGHQ案を支持、午後閣議でGHQ案の受け入れを決定した。

3 日本政府とGHQの協議でまとめられた改正要綱
 3月4日 松本国務大臣、入江俊郎法制局次長、佐藤達夫法制局第1部長らが、GHQ案を参考に日本案を作成し、GHQに提出した。その審議は30時間に及んだ。3月6日 憲法改正要綱が発表され、同時に天皇の勅語、幣原首相の談話、マッカーサーの声明が付されていた。
 4月10日 衆議院総選挙が婦人参政権のもとでの初の選挙がなされた。4月17日 作家の山本有三らの要望により、憲法改正要綱は口語化されて公表された。4月26日 2月末に、極東委員会の密命を帯びて来日していたコールグローブGHQ憲法問題担当政治顧問は、極東委員会議長に対して、日本でマッカーサーの評価は高く、国民は憲法案を支持していると書簡を発した。5月3日には東京裁判が開廷された。5月13日 極東委員会憲法採択の三原則を示す(十分な審議時間、明治憲法との法的な継続性、国民の自由な意思表明)。
 5月22日 第一次吉田内閣が発足し、憲法担当大臣として金森徳次郎が任命された。

4 帝国議会の憲法審議で9条と25条が改正されている。
 6月21日にはマッカーサーは憲法審議に十分な時間を与えると声明した。6月28日 憲法改正草案は衆議院本会議から特別委員会(委員長芦田均)に付託された。7月25日 特別委員会の下に小委員会(委員長芦田均)を秘密会として組織して審議を継続した。
 8月1日には、9条、25条を修正した。9条2項に「前項の目的を達するため」を挿入(芦田提案)1項に「国際平和を誠実に希求し」を挿入(鈴木義雄提案)した。25条1項に生存権を付加(森戸辰男提案)した。
 8月24日 衆院で帝国憲法改正案を修正可決し、10月6日 貴族院で帝国憲法改正案を可決(9月23日GHQの要請で66条2項に文民条項を加えるよう要求、衆院で9月23日再修正)した。10月7日 日本国憲法帝国議会を通過し、11月3日 日本国憲法は公布された。

5 日本国憲法の施行 ほとんどの日本国民は、日本国憲法、そして戦争放棄を熱烈に支持した
 12月1日 憲法普及会が設立され、1947年2月15日憲法普及会は国家公務員700人を東大に集めて研修会を開催した。5月3日日本国憲法が施行され、皇居前広場で記念式典がもたれ、「われらの日本」が歌われる。憲法普及会の小冊子『新しい憲法 明るい生活』が2000万部配布された。 
「戦争は人間をほろぼすことです
 戰爭の放棄
 みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

9条は戦争の惨禍から生まれた日本国民の平和の誓い
そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。」

第4 日本国憲法は押し付けられたものではない
1  日本国憲法は押し付けられたものではない

1945-7 日本国憲法の制定と施行過程からわかることは、日本国憲法は押し付けられたものではないということである。

2  松本試案は閣議でも決定されて折らず、正規の日本政府案ではない

松本試案は、明治憲法の焼き直しでしかなく、ポツダム宣言を受諾した意味を正確に理解したものでなかった。閣議でも決定されて折らず、正規の日本政府案ではない。

3  憲法改正草案はGHQと日本政府の協議によって作られた

GHQは世界の進んだ憲法制度を公平に取り入れようとし、また日本側と十分に協議して憲法案が作成された。

4  9条戦争の放棄は保守層を含めて国民の意思に沿い、軍が解体された現実に適合したものだった。

 9条戦争の放棄は、日本国民の総意が戦争は二度とごめんだという気持ちであり、軍が解体されていた現実に合わせたものと考えられ、理想を追い求めただけでなく、現実的な根拠があった。
 ただ、この意識は戦争に対する被害者意識を主とし、加害責任の自覚に立ったものではなかったという弱点があった。
また、憲法制定の経過には、同じ占領下であったにもかかわらず、沖縄の代表の参加が認められていないという問題があった。
 戦争放棄がマッカーサーから指示されたものか、幣原首相の発案かは判然としないが、日本の政治家は、幣原だけでなく、吉田、芦田ら保守勢力も含めてこの考え方に賛成した。帝国議会で改正案に反対票を投じたのは共産党だけである。

5  帝国議会でも、憲法改正案は日本側の意見を容れて修正されている。
 憲法の原案はGHQが作成したものであるが、9条の文言の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し 」や生存権の規定などは日本の議会で修正されたものであり、押しつけ憲法という批判は事実とは異なるのである。




by asyagi-df-2014 | 2019-10-22 08:33 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

選挙結果に向き合ってみる。

政治の在りように辟易することが、向こう側の思うつぼであることは理解していても、具体的に動くことを止めてしまっているのが実態である。
個の問題から、やはり外に向けて動き始めることが大切なのかもしれない。
 琉球新報(以下、「新報」)は2019年7月23日、「改憲3分の2割れ 世論は9条改定に反対だ」、と社説で論評した。
具体的な動きがない中では、一つの資料を参考にしながら考えてみることにする。
「新報」は、一つの選挙結果を示す。


「21日に投開票された参院選で改選124議席のうち、自民、公明の与党は目標とした改選過半数の63議席を上回り71議席を獲得した。ただ自民が議席を減らしたことで与党全体では6議席減となった。憲法改正に前向きな『改憲勢力』は、非改選議席を合わせ国会発議に必要な3分の2(164議席)を割り込んだ。」


 事実として、選挙結果は、「非改選議席を合わせ国会発議に必要な3分の2(164議席)を割り込んだ。」、ということになる。


 「新報」のこのことに関する指摘は、次のものである。


(1)今月中旬に共同通信が実施した世論調査では、安倍政権下での憲法改正に反対は51・4%で賛成は約34%だった。出口調査でも憲法改正に反対が47・5%で賛成の40・8%を上回った。改憲に対する国民の危機感の表れとみられる。他の主要争点についても、有権者は必ずしも安倍政権の主要政策を承認したとはいえない。先の世論調査では、10月に消費税率を10%へ引き上げる政府方針に反対は54・3%で賛成は40・8%。安倍政権の経済政策アベノミクスについては「見直してほしい」が62・0%で「継続してほしい」の29・1%を上回った。
(2)にもかかわらず自公が過半数を占めた背景には、野党の訴えが十分に浸透せず、1人区や比例代表で伸び悩んだことがある。32の1人区のうち野党統一候補は沖縄をはじめ東北4県や新潟、長野、大分などで自民候補を下したが、全体では10勝22敗だった。
(3)安倍政権は2012年以来、大型国政選挙で6連勝となった。「政治の安定」という聞こえがいい言葉を隠れみのに、国民から反対の強い政策を強引に進めはしないか、強く危惧する。その最たるものが改憲だ。


 「新報」は、安倍晋三政権による[改憲]について、次の批判を加える。


(1)自民党は参院選で四つの改憲案を掲げた。筆頭は自衛隊を憲法に書き込む9条改定だ。その最大の狙いは、日本が他国防衛を可能にする道を開くことではないか。実際、安倍政権はその地ならしをしてきた。特定秘密保護法、「共謀罪」法、憲法解釈による集団的自衛権の行使容認や安保法制などである。
(2)2番目には内閣が緊急時に政令を制定できる緊急事態対応を挙げた。政令は法律と同等の効力があり、事前に国会のチェックを受けず内閣の一存で定められる規定だけに、人権抑圧につながる乱用が懸念される。
(3)安倍首相は改選過半数を理由に改憲議論を秋の臨時国会で野党に提起する方針だ。しかし改憲は国民的議論になっていない。世論調査などでは一貫して9条改定に反対の意見が賛成を大きく上回っている。改憲が国民的議論に至っていない証左である。その上、改憲勢力各党の改憲への考え方はばらばらで、自公の間でも大きく異なる。


 「新報」は、最後に、「今回の参院選の結果を受けて国民から承認を得たとして安倍政権が改憲を強引に進めるなら、主権者である国民を軽視した行為と言える。中でも9条は変える必要はない。それが多くの国民の意見であることを自覚すべきだ。国民全体で政権の暴走を監視する必要がある。」、と断じる。


 安倍晋三政権は、すでに、「今回の参院選の結果を受けて国民から承認を得た」との動きを明確にする。
確かに、言いつくろいを強引に「姿」に変えてきた「手法」を改憲に、得意げに使わせるわけにはいかない。



by asyagi-df-2014 | 2019-07-28 12:24 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄の日本復帰47年。それは、日本国憲法に関わる問題。(4)

 沖縄から受け取ることは、沖縄には日本国憲法が適用されなかったということである。
 それは、日本という国が沖縄に、日本国憲法の代わりに「日米安全保障条約-日米地位協定-『運用』や『密約』」という構図(「0.6%に70.03%」)を押しつけてきた歴史に端的に表されている。
2019年5月15日、沖縄は、日本に復帰して47年目を迎えた。
日本という国は、このことをどのように捉えることができているのか。
中央紙でなく地方紙がこの問題をどのように捉えているのかを社説から見てみる。
 例えば、宮崎日日新聞(以下、「宮日」)は2019年5月19日、「沖縄本土復帰47年」、と社説で論評した。
 「地位協定抜本改定が必要だ」と主張する、この「宮日」の社説を考える。
 「宮日」は、「今も重い基地の負担」との沖縄の現状を次のように押さえる。


(1)1972年の沖縄本土復帰から47年がたった。敗戦後、米国の施政権下に置かれた沖縄では復帰によって初めて日本国憲法が適用されるようになった。同時に日米安全保障条約と在日米軍の法的地位を定めた日米地位協定の適用も始まった。本土復帰を願った沖縄の人々の運動には「日本国憲法の下へ」という強い思いがあった。戦争放棄、国民主権、基本的人権の尊重という憲法の理念の実現を求めたからだ。
(2)だが現状はどうだろう。在日米軍専用施設は沖縄に集中し、地位協定に守られた米軍に絡む事件・事故は後を絶たない。さらに、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡り、安倍政権は沖縄の民意を顧みない対応を続けている。人権尊重など憲法の理念が侵されていると言わざるを得ない。
(3) 玉城デニー知事は今年の憲法記念日の談話で「県民は熾烈(しれつ)な沖縄戦や米軍施政下の苦難の歴史を通して、平和と人権の尊さを肌身で感じている」と強調、「全ての人の尊厳を守る『沖縄らしい優しい社会』を実現する」と表明した。


 この上で、「復帰の日に当たり、この1年を振り返ろう。」、と沖縄の今を次のように描写する。


(1)故翁長雄志前知事は昨年の復帰の日、米軍施設が集中する現状を指摘し、地位協定が壁となって事件・事故に悩まされ続けているとの談話を出した。その状況は何も変わらないどころか、沖縄に対する政権の対応は強硬さを増している。
(2)沖縄は声を上げ続けている。翁長氏の急死に伴う昨年9月の県知事選では辺野古移設反対を訴えた玉城氏が圧勝。今年2月の県民投票では辺野古埋め立て「反対」が72・2%に上った。
(3)だが安倍政権は昨年末、辺野古埋め立ての土砂投入に踏み切った。安全保障政策は国の専権事項だとしても、沖縄の主権者の声を無視し不利益を押し付けるのは、まっとうな民主主義と言えるのか。
(4)全国の憲法学者の有志は今年1月、声明を発表し、辺野古移設の強行は「基本的人権の尊重や平和主義、民主主義、地方自治という憲法の重要な原理を侵害、空洞化するものだ」と指摘した。


 さらに、「宮日」は、「背景にあるのが、米兵犯罪に対する米側の優先的な裁判権や米軍機への航空法の適用除外などを定めた地位協定だ。」、と言い当てる。


(1)県によると、復帰から昨年末までに米軍人らによる刑法犯罪は約6千件、航空機関連事故は786件も起きている。
(2)沖縄県は今年4月、ドイツやイタリアなど欧州4カ国が結ぶ地位協定の現状を調査した報告書を公表した。それによると、いずれの国も駐留米軍に自国の国内法を適用していた。日米地位協定との違いは明確だ。


 だからこそ、「宮日は、「地位協定は沖縄だけの問題ではない。全国知事会も昨年7月、地位協定の抜本的見直しを政府に提言した。政府はこれまで運用の見直しなどで対応してきたが不十分だ。抜本的な改定が必要だ。」、と断じる。


 どうやら、どうしようもなく頭の固いのは、日本政府のようではある。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-23 08:00 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄の日本復帰47年。それは、日本国憲法に関わる問題。(3)

 沖縄から受け取ることは、沖縄には日本国憲法が適用されなかったということである。
 それは、日本という国が沖縄に、日本国憲法の代わりに「日米安全保障条約-日米地位協定-『運用』や『密約』」という構図(「0.6%に70.03%」)を押しつけてきた歴史に端的に表されている。
2019年5月15日、沖縄は、日本に復帰して47年目を迎えた。
日本という国は、このことをどのように捉えることができているのか。
5月18日までに把握できた各紙の社説・論説でこのことをみてみた。
例えば、東京新聞(以下、「東京」)は2019年5月13日に、「沖縄復帰47年 真に憲法の仲間として」、と社説で論評した。
ただ、 この「真に憲法の仲間として」との表現はどのような意味を持つものなのかについて考えさせられた。
 このことについて、「東京」の社説で考える。
まず、「東京」は次のように沖縄を描写する。


(1)沖縄県読谷村(よみたんそん)。太平洋戦争末期、米軍が沖縄本島で最初に上陸した村の役場前に高さ三メートルほどのコンクリート柱が立っている。憲法九条の碑。『日本國(こく)民は正義と秩序を基調とする國際平和を…』。旧字体で条文を刻んだ金属板が埋め込まれ、柱の上には植物の萌芽(ほうが)のごとく九条の精神が世界に満ちるように、との願いを込めた彫刻が掲げられている。」
(2)建立は戦後五十年に当たる一九九五年。「沖縄の人々にとって日本国憲法は輝かしい命そのものだった。人間が大事にされ、戦争をしない国になるという希望を与えてくれた。戦後の米国統治下の沖縄の復帰運動は、日本国憲法の下への復帰を目指すものでもありました」。当時読谷村長だった山内徳信(とくしん)さん(84)=元社民党参院議員=は、建立の背景を振り返る。
(3)五二年発効のサンフランシスコ講和条約で、沖縄は正式に米国の施政権下に置かれた。米側は沖縄に日本の「潜在主権」を残すことは認めたが、日本側は六五年、政府統一見解日本国憲法の「適用はない」と宣言した。
(4)沖縄には米国憲法も適用されない。軍人の高等弁務官を頂点とする米国民政府が軍事的必要性を最優先に行政、立法、司法上の権力を行使。基地拡大のための土地の強制収用をはじめ政治家の弾圧、表現の自由の規制、事件事故を起こした米兵の無罪放免-などが繰り返された。
(5)人々が、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義を基本原理とする憲法下での生活を求めたのは言うまでもない。山内さんによると、若者たちは鉛筆で条文を書き写しながらその日を夢見ていた。


 続いて、「東京」は、「沖縄は十五日、本土復帰四十七年を迎える。しかし、沖縄の人権や自治は今なお、日本国憲法の外にある状況ではないか。復帰の意味を問い直すときだ。」、と沖縄の現状を指摘する。


(1)七二年五月、沖縄の復帰は実現する。しかし「日本国憲法への復帰」は決してかなえられたとはいえない。悲運の発端は、広大な基地の継続・維持が盛り込まれた日米間の沖縄返還協定である。返還交渉中、日本政府は基地の扱いについて「核抜き本土並み」と表明し縮小に期待を持たせたものの、復帰前に沖縄本島面積の20%を占めた米軍基地は今なお14・6%と取り組みは進んでいない。
(2)基地は復帰まで、共産圏をにらむ最前線として最大約千三百発もの核が配備され、ベトナム戦争の出撃拠点となった。冷戦終結後も湾岸戦争、イラク戦争などに空軍や海兵隊を送り出してきた。
(3)日本は戦後一度も他国と戦火を交えていないのに、沖縄は米国の戦争と隣り合わせの状態に置かれ米軍機の事故や米兵、米軍属による事件が繰り返される。在日米軍の特権を定め、翁長雄志(おながたけし)前沖縄県知事が「憲法の上にある」と嘆いた日米地位協定もそのままだ。
(4)沖縄県や県警のまとめでは、復帰後二〇一七年末までに、県内で発生した米軍航空機関連の事故は七百三十八件(うち墜落は四十七件)、米軍人などによる刑法犯罪は五千九百六十七件(うち凶悪事件は五百八十件)。生命、生活、財産が脅かされる日常は法の下の平等に大きく反する。
(5)その上で、名護市辺野古で進められる新基地建設に県民が重ねて反対の意思を示すのは、当然すぎる行動だ。政府は米軍普天間飛行場の移設・返還のためというが新基地完成のめどは立っていない。その矛盾をどう解消するのか。新基地建設を巡ってはことし一月、国内の主な憲法研究者の約四分の一に当たる百三十一人が連名で「憲法の重要原理を侵害、空洞化する」との声明を発表した。解決には「何よりもまず沖縄の人々の人権問題」を考え工事を即時中止すべきだとする。
(6)「民主主義や地方自治の在り方が問われている点で、日本国民全体の問題」ととらえようとの提起は極めて重要だ。沖縄の地元紙琉球新報が、本土復帰に関して五年ごとに行っている県民世論調査がある。復帰して「とても良かった」「どちらかと言えば良かった」との回答の合計は、復帰から三十五年の〇七年には82・3%だった。四十周年の一二年にはちょうど80%。さらに五年後の一七年には75・5%と幅を広げながら低下している。一方、同紙の別の県民意識調査では、今後の沖縄の立場について自治州や連邦制への移行、または「独立」を望む声が一一~一六年の五年間に二割から三割超に急増した。「自己決定権」の希求。裏を返せば、復帰の本意をかなえないままの「日本」不信の表れだ。


 最後に、「東京」は、「沖縄を真に憲法の下の仲間とする-。中央の政治はもちろん本土側の国民も、あらためて当たり前のことを行いたい。」、とまとめる。


 「東京」の指摘する「真に憲法の仲間として」との意味は、「東京」が沖縄の現状を言い当て、「中央の政治はもちろん本土側の国民」の責任を問うものであることを示すものであった。
 それは、「あらためて当たり前のことを行いたい。」との決意とともに。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-22 05:41 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄の日本復帰47年。それは、日本国憲法に関わる問題。(2)

 沖縄から受け取ることは、沖縄には日本国憲法が適用されなかったということである。
 それは、日本という国が沖縄に、日本国憲法の代わりに「日米安全保障条約-日米地位協定-『運用』や『密約』」という構図(「0.6%に70.03%」)を押しつけてきた歴史に端的に表されている。
2019年5月15日、沖縄は、日本に復帰して47年目を迎えた。
日本という国は、このことをどのように捉えることができているのか。
5月18日までに把握できた各紙の社説・論説でこのことをみてみた。
例えば、朝日新聞(以下、「朝日」)は2019年5月15日に、「沖縄復帰47年 憲法との間の深い溝」と社説で論評した。

この「憲法との間の深い溝」とは、どういうものなのかを「朝日」の社説で考える。

「朝日」は、沖縄の現実から、「沖縄が日本に復帰して、きょうで47年になる。だが、本当に『復帰した』と言えるのか。沖縄の現実はそんな問いを突きつける。」、と日本全体に投げかける。また、「米軍施政下にあった沖縄の人々が希求した復帰とは、日本国憲法の下にある社会でくらすことだった。当時の屋良朝苗知事は式典で『取り残されてきた歴史に終止符を打つ』と、未来への希望を語った。しかし……。憲法がかかげる平和主義、基本的人権の尊重、地方自治の保障。そうした理念や原則から、いまなお取り残されているのが実態ではないか。」、とも。
「朝日」は、その沖縄の現実を次のように指摘する。


(1)国土面積に占める割合が0・6%の沖縄に、米軍専用施設の70%が集中する。その比率は復帰前よりむしろ高くなり、米軍絡みの事件事故は絶えない。
(2)普天間飛行場周辺での騒音発生回数は、18年度で1万1404回。前年度より13%増えた。嘉手納基地周辺では減ったが、滑走路の改修工事が始まったためとみられ、14~17年度はいずれも2万回を大きく超えている。夜間早朝の飛行制限協定は名ばかりで、18年度の離着陸回数は普天間で618回(前年度比49増)、嘉手納では1546回(同21増)を数えた。
(3)航空機騒音に詳しい松井利仁北大教授の推計によると、嘉手納周辺の住民1万7千人が睡眠を妨げられ、年に10人が心臓疾患で死亡しているという。
(4)嘉手納町は今年度、住民に聞き取りをして健康被害などを調べる。かねて政府に調査を求めてきたが応じないため、独自に取り組むことにした。


 「朝日」は、「国政の権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する――。憲法前文のこの一節を、政府・与党の幹部は読み直す必要がある。」、とまさしく「憲法との間の深い溝」について、次のように押さえる。


(1)「沖縄に寄り添う」と繰り返し、負担軽減を約束しながら、現実を見ることを拒む。国民の生命・身体を守るべき政府がとる態度とは到底言えまい。最近は「寄り添う」という言葉を使うことすらしなくなった。
(2)知事選や国政選挙、ことし2月に全県で実施された県民投票などを通じて、幾度となく示されてきた沖縄の思いは一顧だにされず、きのうも辺野古での埋め立て作業は進められた。玉城デニー知事は「民意を無視して工事を強行することは、民主主義を踏みにじり、地方自治を破壊する」と訴え、これが許されるなら「他の自治体でも同様のことが起こりかねない」と警鐘を鳴らす。

 
 この上で、「朝日」は、沖縄が異議を唱えざるを得ない「憲法との間の深い溝」の解消に向けて、「沖縄への無関心、不作為は、この国に何をもたらすのか。そんな想像力と問題意識をもって、沖縄の過去、そして現在に目を凝らし続けたい。」、との決意をあわせて表明する。



by asyagi-df-2014 | 2019-05-21 05:19 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄の日本復帰47年。それは、日本国憲法に関わる問題。(1)

 沖縄から受け取ることは、沖縄には日本国憲法が適用されなかったということである。
 それは、日本という国が沖縄に、日本国憲法の代わりに「日米安全保障条約-日米地位協定-『運用』や『密約』」という構図(「0.6%に70.03%」)を押しつけてきた歴史に端的に表されている。
2019年5月15日、沖縄は、日本に復帰して47年目を迎えた。
日本という国は、このことをどのように捉えることができているのか。
5月18日までに把握できた各紙の社説・論説でこのことをみてみる。
 まず、各紙の社説・論説の見出しは、次のようになっている。


(1)朝日新聞社説-沖縄復帰47年 憲法との間の深い溝-2019年5月15日
(2)毎日新聞社説-沖縄と日米地位協定 国は不平等の現実直視を-2019年5月15日
(3)沖縄タイムス社説-[復帰50年に向けて]振興の在り方再考せよ-2019年5月15日
(4)琉球新報社説-日本復帰47年 国民主権機能しているか-2019年5月15日
(5)宮崎日日新聞社説-沖縄本土復帰47年-2019年5月18日
(6)東京新聞社説-沖縄復帰47年 真に憲法の仲間として-2019年5月13日
(7)南日本新聞社説-[沖縄復帰47年] 民意の無視は許されぬ-2019年5月15日
(8)佐賀新聞論説-沖縄復帰47年/憲法が侵されている-2019年5月16日
(9)岩手日報論説-沖縄復帰47年-2019年5月17日
(10)産経新聞主張-沖縄復帰47年 抑止力と負担軽減両立を-2019年5月16日


 この10社のうち、4社が見出しに、「憲法との間の深い溝」「国民主権機能しているか」「真に憲法の仲間として」「憲法が侵されている」、とこの問題が日本国憲法に関わることを明示している。
ただ、産経は、「令和の時代にあっても、沖縄の歩んできた苦難の歴史を忘れることはできない。」「本土復帰後も今にいたるまで、大きな米軍基地負担をしてきたことは紛れもない事実である。」との認識のものに、「県が、安全保障政策を専権事項とする政府に対して、米軍基地負担の軽減を求めること自体は当然である。政府は負担軽減に努めなければならない。」、とまとめてはいるが、「抑止力」との表現でこの問題を抑える安易さは、いつも通りである。
また、当然のことではあるが、琉球新報と沖縄タイムスは、沖縄の未来に関わって、「振興の在り方再考せよ」(沖縄タイムス)と具体的な「振興策」に触れている。

 各新聞社の主張について、別項で見てみる。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-20 18:16 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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