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沖縄の日本復帰47年。それは、日本国憲法に関わる問題。(4)

 沖縄から受け取ることは、沖縄には日本国憲法が適用されなかったということである。
 それは、日本という国が沖縄に、日本国憲法の代わりに「日米安全保障条約-日米地位協定-『運用』や『密約』」という構図(「0.6%に70.03%」)を押しつけてきた歴史に端的に表されている。
2019年5月15日、沖縄は、日本に復帰して47年目を迎えた。
日本という国は、このことをどのように捉えることができているのか。
中央紙でなく地方紙がこの問題をどのように捉えているのかを社説から見てみる。
 例えば、宮崎日日新聞(以下、「宮日」)は2019年5月19日、「沖縄本土復帰47年」、と社説で論評した。
 「地位協定抜本改定が必要だ」と主張する、この「宮日」の社説を考える。
 「宮日」は、「今も重い基地の負担」との沖縄の現状を次のように押さえる。


(1)1972年の沖縄本土復帰から47年がたった。敗戦後、米国の施政権下に置かれた沖縄では復帰によって初めて日本国憲法が適用されるようになった。同時に日米安全保障条約と在日米軍の法的地位を定めた日米地位協定の適用も始まった。本土復帰を願った沖縄の人々の運動には「日本国憲法の下へ」という強い思いがあった。戦争放棄、国民主権、基本的人権の尊重という憲法の理念の実現を求めたからだ。
(2)だが現状はどうだろう。在日米軍専用施設は沖縄に集中し、地位協定に守られた米軍に絡む事件・事故は後を絶たない。さらに、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡り、安倍政権は沖縄の民意を顧みない対応を続けている。人権尊重など憲法の理念が侵されていると言わざるを得ない。
(3) 玉城デニー知事は今年の憲法記念日の談話で「県民は熾烈(しれつ)な沖縄戦や米軍施政下の苦難の歴史を通して、平和と人権の尊さを肌身で感じている」と強調、「全ての人の尊厳を守る『沖縄らしい優しい社会』を実現する」と表明した。


 この上で、「復帰の日に当たり、この1年を振り返ろう。」、と沖縄の今を次のように描写する。


(1)故翁長雄志前知事は昨年の復帰の日、米軍施設が集中する現状を指摘し、地位協定が壁となって事件・事故に悩まされ続けているとの談話を出した。その状況は何も変わらないどころか、沖縄に対する政権の対応は強硬さを増している。
(2)沖縄は声を上げ続けている。翁長氏の急死に伴う昨年9月の県知事選では辺野古移設反対を訴えた玉城氏が圧勝。今年2月の県民投票では辺野古埋め立て「反対」が72・2%に上った。
(3)だが安倍政権は昨年末、辺野古埋め立ての土砂投入に踏み切った。安全保障政策は国の専権事項だとしても、沖縄の主権者の声を無視し不利益を押し付けるのは、まっとうな民主主義と言えるのか。
(4)全国の憲法学者の有志は今年1月、声明を発表し、辺野古移設の強行は「基本的人権の尊重や平和主義、民主主義、地方自治という憲法の重要な原理を侵害、空洞化するものだ」と指摘した。


 さらに、「宮日」は、「背景にあるのが、米兵犯罪に対する米側の優先的な裁判権や米軍機への航空法の適用除外などを定めた地位協定だ。」、と言い当てる。


(1)県によると、復帰から昨年末までに米軍人らによる刑法犯罪は約6千件、航空機関連事故は786件も起きている。
(2)沖縄県は今年4月、ドイツやイタリアなど欧州4カ国が結ぶ地位協定の現状を調査した報告書を公表した。それによると、いずれの国も駐留米軍に自国の国内法を適用していた。日米地位協定との違いは明確だ。


 だからこそ、「宮日は、「地位協定は沖縄だけの問題ではない。全国知事会も昨年7月、地位協定の抜本的見直しを政府に提言した。政府はこれまで運用の見直しなどで対応してきたが不十分だ。抜本的な改定が必要だ。」、と断じる。


 どうやら、どうしようもなく頭の固いのは、日本政府のようではある。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-23 08:00 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄の日本復帰47年。それは、日本国憲法に関わる問題。(3)

 沖縄から受け取ることは、沖縄には日本国憲法が適用されなかったということである。
 それは、日本という国が沖縄に、日本国憲法の代わりに「日米安全保障条約-日米地位協定-『運用』や『密約』」という構図(「0.6%に70.03%」)を押しつけてきた歴史に端的に表されている。
2019年5月15日、沖縄は、日本に復帰して47年目を迎えた。
日本という国は、このことをどのように捉えることができているのか。
5月18日までに把握できた各紙の社説・論説でこのことをみてみた。
例えば、東京新聞(以下、「東京」)は2019年5月13日に、「沖縄復帰47年 真に憲法の仲間として」、と社説で論評した。
ただ、 この「真に憲法の仲間として」との表現はどのような意味を持つものなのかについて考えさせられた。
 このことについて、「東京」の社説で考える。
まず、「東京」は次のように沖縄を描写する。


(1)沖縄県読谷村(よみたんそん)。太平洋戦争末期、米軍が沖縄本島で最初に上陸した村の役場前に高さ三メートルほどのコンクリート柱が立っている。憲法九条の碑。『日本國(こく)民は正義と秩序を基調とする國際平和を…』。旧字体で条文を刻んだ金属板が埋め込まれ、柱の上には植物の萌芽(ほうが)のごとく九条の精神が世界に満ちるように、との願いを込めた彫刻が掲げられている。」
(2)建立は戦後五十年に当たる一九九五年。「沖縄の人々にとって日本国憲法は輝かしい命そのものだった。人間が大事にされ、戦争をしない国になるという希望を与えてくれた。戦後の米国統治下の沖縄の復帰運動は、日本国憲法の下への復帰を目指すものでもありました」。当時読谷村長だった山内徳信(とくしん)さん(84)=元社民党参院議員=は、建立の背景を振り返る。
(3)五二年発効のサンフランシスコ講和条約で、沖縄は正式に米国の施政権下に置かれた。米側は沖縄に日本の「潜在主権」を残すことは認めたが、日本側は六五年、政府統一見解日本国憲法の「適用はない」と宣言した。
(4)沖縄には米国憲法も適用されない。軍人の高等弁務官を頂点とする米国民政府が軍事的必要性を最優先に行政、立法、司法上の権力を行使。基地拡大のための土地の強制収用をはじめ政治家の弾圧、表現の自由の規制、事件事故を起こした米兵の無罪放免-などが繰り返された。
(5)人々が、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義を基本原理とする憲法下での生活を求めたのは言うまでもない。山内さんによると、若者たちは鉛筆で条文を書き写しながらその日を夢見ていた。


 続いて、「東京」は、「沖縄は十五日、本土復帰四十七年を迎える。しかし、沖縄の人権や自治は今なお、日本国憲法の外にある状況ではないか。復帰の意味を問い直すときだ。」、と沖縄の現状を指摘する。


(1)七二年五月、沖縄の復帰は実現する。しかし「日本国憲法への復帰」は決してかなえられたとはいえない。悲運の発端は、広大な基地の継続・維持が盛り込まれた日米間の沖縄返還協定である。返還交渉中、日本政府は基地の扱いについて「核抜き本土並み」と表明し縮小に期待を持たせたものの、復帰前に沖縄本島面積の20%を占めた米軍基地は今なお14・6%と取り組みは進んでいない。
(2)基地は復帰まで、共産圏をにらむ最前線として最大約千三百発もの核が配備され、ベトナム戦争の出撃拠点となった。冷戦終結後も湾岸戦争、イラク戦争などに空軍や海兵隊を送り出してきた。
(3)日本は戦後一度も他国と戦火を交えていないのに、沖縄は米国の戦争と隣り合わせの状態に置かれ米軍機の事故や米兵、米軍属による事件が繰り返される。在日米軍の特権を定め、翁長雄志(おながたけし)前沖縄県知事が「憲法の上にある」と嘆いた日米地位協定もそのままだ。
(4)沖縄県や県警のまとめでは、復帰後二〇一七年末までに、県内で発生した米軍航空機関連の事故は七百三十八件(うち墜落は四十七件)、米軍人などによる刑法犯罪は五千九百六十七件(うち凶悪事件は五百八十件)。生命、生活、財産が脅かされる日常は法の下の平等に大きく反する。
(5)その上で、名護市辺野古で進められる新基地建設に県民が重ねて反対の意思を示すのは、当然すぎる行動だ。政府は米軍普天間飛行場の移設・返還のためというが新基地完成のめどは立っていない。その矛盾をどう解消するのか。新基地建設を巡ってはことし一月、国内の主な憲法研究者の約四分の一に当たる百三十一人が連名で「憲法の重要原理を侵害、空洞化する」との声明を発表した。解決には「何よりもまず沖縄の人々の人権問題」を考え工事を即時中止すべきだとする。
(6)「民主主義や地方自治の在り方が問われている点で、日本国民全体の問題」ととらえようとの提起は極めて重要だ。沖縄の地元紙琉球新報が、本土復帰に関して五年ごとに行っている県民世論調査がある。復帰して「とても良かった」「どちらかと言えば良かった」との回答の合計は、復帰から三十五年の〇七年には82・3%だった。四十周年の一二年にはちょうど80%。さらに五年後の一七年には75・5%と幅を広げながら低下している。一方、同紙の別の県民意識調査では、今後の沖縄の立場について自治州や連邦制への移行、または「独立」を望む声が一一~一六年の五年間に二割から三割超に急増した。「自己決定権」の希求。裏を返せば、復帰の本意をかなえないままの「日本」不信の表れだ。


 最後に、「東京」は、「沖縄を真に憲法の下の仲間とする-。中央の政治はもちろん本土側の国民も、あらためて当たり前のことを行いたい。」、とまとめる。


 「東京」の指摘する「真に憲法の仲間として」との意味は、「東京」が沖縄の現状を言い当て、「中央の政治はもちろん本土側の国民」の責任を問うものであることを示すものであった。
 それは、「あらためて当たり前のことを行いたい。」との決意とともに。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-22 05:41 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄の日本復帰47年。それは、日本国憲法に関わる問題。(2)

 沖縄から受け取ることは、沖縄には日本国憲法が適用されなかったということである。
 それは、日本という国が沖縄に、日本国憲法の代わりに「日米安全保障条約-日米地位協定-『運用』や『密約』」という構図(「0.6%に70.03%」)を押しつけてきた歴史に端的に表されている。
2019年5月15日、沖縄は、日本に復帰して47年目を迎えた。
日本という国は、このことをどのように捉えることができているのか。
5月18日までに把握できた各紙の社説・論説でこのことをみてみた。
例えば、朝日新聞(以下、「朝日」)は2019年5月15日に、「沖縄復帰47年 憲法との間の深い溝」と社説で論評した。

この「憲法との間の深い溝」とは、どういうものなのかを「朝日」の社説で考える。

「朝日」は、沖縄の現実から、「沖縄が日本に復帰して、きょうで47年になる。だが、本当に『復帰した』と言えるのか。沖縄の現実はそんな問いを突きつける。」、と日本全体に投げかける。また、「米軍施政下にあった沖縄の人々が希求した復帰とは、日本国憲法の下にある社会でくらすことだった。当時の屋良朝苗知事は式典で『取り残されてきた歴史に終止符を打つ』と、未来への希望を語った。しかし……。憲法がかかげる平和主義、基本的人権の尊重、地方自治の保障。そうした理念や原則から、いまなお取り残されているのが実態ではないか。」、とも。
「朝日」は、その沖縄の現実を次のように指摘する。


(1)国土面積に占める割合が0・6%の沖縄に、米軍専用施設の70%が集中する。その比率は復帰前よりむしろ高くなり、米軍絡みの事件事故は絶えない。
(2)普天間飛行場周辺での騒音発生回数は、18年度で1万1404回。前年度より13%増えた。嘉手納基地周辺では減ったが、滑走路の改修工事が始まったためとみられ、14~17年度はいずれも2万回を大きく超えている。夜間早朝の飛行制限協定は名ばかりで、18年度の離着陸回数は普天間で618回(前年度比49増)、嘉手納では1546回(同21増)を数えた。
(3)航空機騒音に詳しい松井利仁北大教授の推計によると、嘉手納周辺の住民1万7千人が睡眠を妨げられ、年に10人が心臓疾患で死亡しているという。
(4)嘉手納町は今年度、住民に聞き取りをして健康被害などを調べる。かねて政府に調査を求めてきたが応じないため、独自に取り組むことにした。


 「朝日」は、「国政の権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する――。憲法前文のこの一節を、政府・与党の幹部は読み直す必要がある。」、とまさしく「憲法との間の深い溝」について、次のように押さえる。


(1)「沖縄に寄り添う」と繰り返し、負担軽減を約束しながら、現実を見ることを拒む。国民の生命・身体を守るべき政府がとる態度とは到底言えまい。最近は「寄り添う」という言葉を使うことすらしなくなった。
(2)知事選や国政選挙、ことし2月に全県で実施された県民投票などを通じて、幾度となく示されてきた沖縄の思いは一顧だにされず、きのうも辺野古での埋め立て作業は進められた。玉城デニー知事は「民意を無視して工事を強行することは、民主主義を踏みにじり、地方自治を破壊する」と訴え、これが許されるなら「他の自治体でも同様のことが起こりかねない」と警鐘を鳴らす。

 
 この上で、「朝日」は、沖縄が異議を唱えざるを得ない「憲法との間の深い溝」の解消に向けて、「沖縄への無関心、不作為は、この国に何をもたらすのか。そんな想像力と問題意識をもって、沖縄の過去、そして現在に目を凝らし続けたい。」、との決意をあわせて表明する。



by asyagi-df-2014 | 2019-05-21 05:19 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄の日本復帰47年。それは、日本国憲法に関わる問題。(1)

 沖縄から受け取ることは、沖縄には日本国憲法が適用されなかったということである。
 それは、日本という国が沖縄に、日本国憲法の代わりに「日米安全保障条約-日米地位協定-『運用』や『密約』」という構図(「0.6%に70.03%」)を押しつけてきた歴史に端的に表されている。
2019年5月15日、沖縄は、日本に復帰して47年目を迎えた。
日本という国は、このことをどのように捉えることができているのか。
5月18日までに把握できた各紙の社説・論説でこのことをみてみる。
 まず、各紙の社説・論説の見出しは、次のようになっている。


(1)朝日新聞社説-沖縄復帰47年 憲法との間の深い溝-2019年5月15日
(2)毎日新聞社説-沖縄と日米地位協定 国は不平等の現実直視を-2019年5月15日
(3)沖縄タイムス社説-[復帰50年に向けて]振興の在り方再考せよ-2019年5月15日
(4)琉球新報社説-日本復帰47年 国民主権機能しているか-2019年5月15日
(5)宮崎日日新聞社説-沖縄本土復帰47年-2019年5月18日
(6)東京新聞社説-沖縄復帰47年 真に憲法の仲間として-2019年5月13日
(7)南日本新聞社説-[沖縄復帰47年] 民意の無視は許されぬ-2019年5月15日
(8)佐賀新聞論説-沖縄復帰47年/憲法が侵されている-2019年5月16日
(9)岩手日報論説-沖縄復帰47年-2019年5月17日
(10)産経新聞主張-沖縄復帰47年 抑止力と負担軽減両立を-2019年5月16日


 この10社のうち、4社が見出しに、「憲法との間の深い溝」「国民主権機能しているか」「真に憲法の仲間として」「憲法が侵されている」、とこの問題が日本国憲法に関わることを明示している。
ただ、産経は、「令和の時代にあっても、沖縄の歩んできた苦難の歴史を忘れることはできない。」「本土復帰後も今にいたるまで、大きな米軍基地負担をしてきたことは紛れもない事実である。」との認識のものに、「県が、安全保障政策を専権事項とする政府に対して、米軍基地負担の軽減を求めること自体は当然である。政府は負担軽減に努めなければならない。」、とまとめてはいるが、「抑止力」との表現でこの問題を抑える安易さは、いつも通りである。
また、当然のことではあるが、琉球新報と沖縄タイムスは、沖縄の未来に関わって、「振興の在り方再考せよ」(沖縄タイムス)と具体的な「振興策」に触れている。

 各新聞社の主張について、別項で見てみる。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-20 18:16 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

安倍晋三政権を批判し続けること。

 琉球新報(以下、「新報」)は2019年5月8日、「安倍首相の改憲姿勢 憲法軽視の弊害もたらす」、と社説で批判した。
 何と当たり前のことを、と笑ってはいけない。
間違っていることを指摘続けることの大変さと意義を、沖縄の闘いから学んできているから。
 安倍晋三首相の薄ら笑いが耐えがたいとしても。
今回の「新報」の指摘は次のものである。


(1)安倍晋三首相は3日に公開したビデオメッセージで、憲法9条への自衛隊明記を軸とした改憲に意欲を示し、2020年施行の目標も堅持していると明言した。しかし、国民の中に改憲を求める声は高まっていない。改憲自体が目的になった政権と与党自民党の、乱暴な手続きや発言が目に付くだけだ。
(2)自民党は18年3月に(1)9条への自衛隊明記(2)緊急事態条項の新設(3)参院選「合区」解消(4)教育無償化・充実強化―の改憲4項目をまとめた。      (3)このうち参院選の合区解消は、二つの県にまたがって一つの選挙区とする「合区」を改めるものだが、選挙制度の議論であり憲法のテーマとして唐突感が否めない。合区の解消は1票の格差を是認するものだ。国民の権利に関わる重大な問題であるにもかかわらず議論が不足している。
(4)教育の充実強化については憲法ではなく教育基本法など関連法で十分に対応が可能な内容だ。
(5)自衛隊を憲法9条に明記することと、緊急時に国民の権利を制限できる「緊急事態条項」を憲法に加えることにこそ真の狙いがある。聞こえのいい教育無償化を付け焼き刃で盛り込み、安倍首相が悲願とする改憲のハードルを下げる思惑ばかりがちらつく。


 「新報」の指摘、批判は続く。


(1)自民党の萩生田光一幹事長代行は4月にインターネットテレビ番組に出演した際、今通常国会で一度も開催されていない衆参両院憲法審査会の運営を巡り「新しい時代(令和)になったら、少しワイルドな憲法審査を進めていかないといけない」と発言した。野党の批判で陳謝に追い込まれたが、改正憲法施行に躍起な自民党の本音が表れている。
(2)それまでの自民党の改憲草案は「自衛軍」の創設や、前文に「国や社会を自ら守る責務」をうたうなど、公益重視の内容だった。国家権力を縛るべき憲法を、国民の権利を制限する方向へと変えていこうというのが首相や自民党が本来持っている憲法観だ。共同通信が2~3月に実施した世論調査によると安倍政権下での改憲には反対が54%で、賛成42%を上回った。国民に理解が深まっているとは言えず、それ自体が目的化した改憲の怪しさを国民は見透かしている。


 最後に、「新報」は、日本の現状に警告する中で、次のようにまとめる。


「14年6月にさいたま市で、憲法9条を守ろうというデモを題材にした俳句が、『公平性、中立性を害する』との理由で公民館だよりへの掲載を拒否された。作者への賠償を市に命じる判決が昨年12月に確定した。憲法を尊重する義務のある公務員が、憲法を守ろうという内容の表現に「政治的」とレッテルを貼り、排除することは異常というほかない。安倍政権の改憲姿勢が憲法軽視の風潮を生んでいるのではないか。政権がもたらした弊害と言っていい。安倍首相は国民の理解が得られない改憲は直ちに断念すべきだ。」


 確かに、安倍晋三政権は、改憲は直ちに断念しなければならない。



by asyagi-df-2014 | 2019-05-17 07:05 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

日本国憲法を手に取ってみる。(4)

2019年5月3日、毎日新聞(以下、「毎日」)は、「令和の憲法記念日に 国会の復権に取り組もう」、と社説で論評した。
やはり、日本国憲法をめぐる状況は危機的なものであるに違いない。朝日新聞に続いて「毎日」もまた安倍晋三政権を批判せざるを得ないところまで来ている。
 「毎日」は、次のように指摘する。


「憲法は国の背骨と言われる。日本国憲法が施行から72年の時を刻み、姿を変えずに令和の時代へとたどり着いたのは、基本的によくできた憲法であるからだろう。ただし、憲法典そのものが修正なしの長寿を保っているからといって、現実の国家運営が健全だということにはならない。大事なのはむろん現実の姿だ。国民の代表が集う国会は、絶えず憲法について論じ、その価値体系に磨きをかける努力が求められる。安倍晋三首相が政権に復帰して6年半になる。歴代で最も改憲志向の強い首相は『改憲勢力』の拡張に執念を燃やし、選挙でそれなりに勝利してきた。それでも衆参両院の憲法審査会は停滞したままだ。」

 「毎日」は、「なぜだろうか。」、と重ねる。


(1)野党の硬直的な態度が一因であることは確かだろう。しかし、本質的な原因は物事の筋道を軽んじる首相の姿勢にあるのではないか。
(2)ちょうど2年前、安倍首相は改憲派集会向けのビデオで憲法9条への自衛隊明記案を打ち上げ、「東京五輪のある2020年に新憲法施行を」と期限まで付けた。
(3)いずれも自民党内での議論を積み上げたものではない。国会で真意をただした野党議員には「(インタビューを掲載した)読売新聞を熟読してもらいたい」と言い放った。(4)昨秋、党総裁3選を果たすと、憲法に関わる国会や党の要職を側近で固め、与野党協調派を排除した。今年2月の党大会では、憲法が自衛隊を明記していないから自治体が自衛官募集に協力しないと、言い掛かりのようなことまで言っている。
(5)首相の軌跡をたどると、やはり幾つもの無理が積み重なっている。


 「毎日」は、「無理を積み重ねた首相」、と具体例をさらに積み重ねる。


(1)国内最強の実力組織である自衛隊を憲法上どう位置づけるべきか。その問題提起は間違っていない。ただ、日本の防衛政策は憲法9条と日米安全保障条約のセットで成り立っている。9条に自衛隊と書けば、自衛官は誇りを持てるといった情緒論に矮小化すべきではない。
(2)ましてや9条改正で日本の抑止力が増すかのような右派の主張は、少子化対策と憲法に書けば人口減が止まると言っているようなものだ。
(3)だから9条の見直し議論は、日米安保体制や、不平等な日米地位協定の改定を含めてなされるべきだ。その作業を避ける限り、政権として「戦後レジームからの脱却」をうたいながら、沖縄には過酷な戦後レジームを押しつけるいびつさが続く。
(4)今、憲法をめぐって手当てが必要なのは、9条の問題よりもむしろ、国会の著しい機能低下だろう。その最たるものは首相権力に対する統制力の乏しさだ。議院内閣制にあって、国会はあらゆる政治権力の源泉である。国会の多数派が首相を選び、首相は内閣を組織して行政権を行使する。ところが、「安倍1強」が常態化してくるにつれ、内閣は生みの親に対してさほど敬意を払おうとしなくなった。親にあれこれと指図する場面さえも目立ってきた。
(5)昨年の通常国会では森友学園をめぐって財務官僚による公文書改ざんが発覚した。行政府が国会を欺くという前代未聞の事態なのに、国会による真相究明はまったくの尻すぼみで終わった。首相が麻生太郎財務相を更迭することもなかった。
(6)国会の最も重要な役割は、社会一般のルールとして法律を制定することだ。多くの国民の利害にかかわるため、法案の妥当性は多方面から注意深く吟味されなければならない。それには正確な情報が要る。
(7)しかし昨秋、外国人労働者の受け入れ拡大に向けて政府が提出した入管法改正案は、新制度の具体的な内容をことごとく法務省令に委ねる立法府軽視の形式になっていた。


 施行72年目の日に、「毎日」は次のようにまとめる。


(1)憲法の基本思想は権力の分立による「抑制と均衡」だ。立法府が行政府に必要な統制力を働かせて初めて健全な憲法秩序が生まれる。
(2)平成期を通した一連の政治改革で首相権力が飛躍的に拡大したのに、国会の行政監視機能は貧弱なままに留め置かれた。ここに国政の構造的な問題があるのは明らかだろう。(3)平成の目標が首相官邸機能の強化だったなら、令和の目標は国会の復権であるべきだ。国政調査権の発動要件に、西欧のような野党配慮を盛り込むだけでも国会は変わる。(4)国会と政府の均衡を取り戻すことが、生産的な憲法対話の近道だ。
.


 確かに、「憲法の基本思想は権力の分立による「抑制と均衡」だ。立法府が行政府に必要な統制力を働かせて初めて健全な憲法秩序が生まれる。」(「毎日」)、であることに違いない。



by asyagi-df-2014 | 2019-05-14 07:08 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

日本国憲法を手に取ってみる。(3)

2019年5月3日、朝日新聞は(以下、「朝日」)は「AI時代の憲法 いま論ずべきは何なのか」、と社説で論評した。
今回は、AI時代とは何なのかというちょっとした違和感の中から、施行72年目の日本国憲法を見る。
「朝日」は、「AI(人工知能)が日本国憲法の前に立ちはだかる――。」、と始める。
「朝日」のAI時代の憲法への指摘-揺らぐ「個人の尊重」-は、次のものである。


(1)SFの世界の話ではない。学界や経済界では、現実に起こりうる課題として真剣な議論が交わされている。一部では、もはや人ごととは言えない状況がすでに生まれつつあるといってもいい。
(2)「AIによる人間の仕分けが、差別や深刻な排除を生む可能性があります」
(3)憲法学が専門で、昨年夏、さまざまな分野の専門家とともに『AIと憲法』を出版した山本龍彦慶応大教授はそう語る。
(4)懸念されるのは、たとえばこんな事態だ。
(5)企業の採用や人事、金融機関の融資の審査といった場面で、さまざまな個人情報に基づいてAIが人間に点数をつける。いったんAIからだめ出しをされると、その理由の説明もないまま、否定的な評価が知らぬ間に社会で共有され、ずっとついて回る。まさに、「個人の尊重」(13条)や「法の下の平等」(14条)という日本国憲法の基本的な原理に関わる問題だ。
(6)山本氏はAI自体に否定的なわけではない。経済合理性や効率性の追求に目を奪われるのではなく、「憲法と調和的なAI社会」の実現が必要だという。
(7)「激変する社会における新しい憲法論」。経済同友会の憲法問題委員会が先月、公表した報告書の一章だ。
(8)個人の購買履歴やウェブサイトの閲覧履歴などから、その人の趣味嗜好(しこう)、健康状態までAIに予測させるプロファイリングは、個人の尊厳やプライバシーを侵害しないか。
(9)選挙において、SNSを使って有権者を特定の投票行動に心理的に誘導する手法は、国民主権の原理を根底から揺るがす危険がないか。


 どうやら、「朝日」の「AI(人工知能)が日本国憲法の前に立ちはだかる――。」との意味は、「AIやビッグデータの活用など急速に進む技術革新が、私たちの生活を豊かにする一方で、人権や民主主義を脅かしかねないと警鐘を鳴らした。」、ということになる。
 確かに、この指摘は、よくわかる。
 さて、「朝日」は、一方、「時代の変化に応じて、憲法が定める普遍的な原理をどのように守っていくのか。徹底した議論の先に、あるいは憲法の条文を見直した方がよいという結論に至る可能性もあろう。しかし、今の安倍政権の憲法論議は、そうした真摯なアプローチとは全く逆の姿に見える。」、と明確にし、「改憲ありきのひずみ」と批判を次のように加える。


(1)3月半ば、神奈川県横須賀市の防衛大学校の卒業式。訓示の終盤で安倍首相は、司法が唯一、自衛隊を違憲とした1973年の札幌地裁の「長沼ナイキ訴訟」判決を取り上げた。会場には、判決当時、防大で学んでいた卒業生もいた。「皆さんも、心ない批判にさらされたかもしれません」。首相はそう語ったうえで「自衛隊の諸君が強い誇りをもって職務をまっとうできるよう環境を整えるため、全力を尽くす決意です」と、9条改正に意欲を示した。
(2)首相は2年前のきょう、9条への自衛隊明記を打ち出し、2020年を新憲法施行の年にしたいと表明した。しかし、この改憲で自衛隊の役割や位置づけは何も変わらないという。一方で、改正が必要な根拠については時々で力点が変わっている。
(3)憲法学者の多くが自衛隊を違憲といい、教科書にも「違憲」と書かれている。自衛官の子どもが肩身の狭い思いをしている……。今年に入ってからは唐突に、自衛官募集に自治体の協力が得られないことを理由に挙げだした。
(3)正確な事実を踏まえず、自衛隊が国民の間にすっかり定着している現実をも無視した首相の主張は、「改憲ありき」のご都合主義にしか映らない。


 「朝日」は、現状への分析のあり方や現状への批判に加えて、「主権者こそが考える」と72年目を迎えた日本国憲法の今の意味をこの様に位置づける。


(1)昨年のきょうの社説は、森友・加計問題などで国の統治の根幹がないがしろにされる中、安倍政権が「憲法改正を進める土台は崩れた」と書いた。それから1年。森友・加計問題の解明はたなざらしのうえ、国の政策立案の基礎となる統計の不正も明るみに出た。政治や行政への信頼回復は道半ばであり、土台は崩れたまま、と言わざるを得ない。
(2)憲法に照らして、いま考えなければいけないテーマは、AI以外にもさまざまある。
(3)非正規の増加などで貧困が広がる中、憲法25条が国民の権利とした「健康で文化的な最低限度の生活」をどう描くのか。
(4)人口減少が進み、外国人労働者がますます増える「多民社会」の下、外国人の基本的人権をどう守るのか。
(5)「安倍1強」が極まり、首相官邸の「下請け機関」化したとも形容される国会の機能の立て直しや、時の首相による乱用を防ぐための衆院の解散権のあり方など、統治機構をめぐる議論も活性化させたい。


 この上で、「朝日」は、「憲法に縛られる側の権力者が、自らの思い入れで、上から旗をふる改憲は、社会に亀裂をもたらし、憲法の価値をかえって損なう恐れもある。豊かな憲法論議は、主権者である国民が主導するものであるべきだ。」、と断じる。


 確かに、本来「憲法に縛られる側の権力者が、自らの思い入れで、上から旗をふる改憲」(「朝日」)は、社会に亀裂をもたらし、憲法の価値をかえって損なうことは、間違いない。



by asyagi-df-2014 | 2019-05-13 06:48 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

日本国憲法を手に取ってみる。(2)

2019年5月3日、琉球新報(以下、「新報」)は、「憲法施行72年 令和の時代も守り続けて」、と社説で論評した。
今回も、施行72年の日本国憲法を、日本国憲法が適用されなかった沖縄から見る。
「新報」は、「2020年の改正憲法施行を唱える安倍晋三首相の下で憲法は危機を迎えている。辺野古新基地建設のため昨年12月に政府が強行した土砂投入にこそ、人権よりも国家や軍事を優先する安倍改憲の本質が表れている。民主主義をないがしろにする政権の暴走を止めなくてはならない。」、と琉球新報社としての見解をまず最初に明示する。
 「新報」の指摘は、次のものである。


(1)天皇の代替わりの中で、日本国憲法は施行から72年を迎えた。新しい時代も平和が続くことを願う国民の期待を踏まえると、今年ほど憲法の持つ意義と価値を見つめ直す機会もないだろう。
(2)平成の30年余は、現憲法の下で即位した象徴としての天皇が、一つの元号を全うする初めての時代になった。
(3)上皇さまは1989年の即位に当たり「憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓う」と語り、在位中で最後の昨年12月の誕生日記者会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)している」と胸の内を明かした。
(4)憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と、憲法の尊重擁護の義務を定める。先の大戦の反省に立ち、権力者が暴走して国家を思うままに操ることがないよう、法によって国家権力を縛る「立憲主義」を規定した条文だ。憲法の擁護者としての上皇さまの姿勢は単に個人の心掛けではなく、憲法により主権者となったわれわれ国民との最も重要な約束事だった。


 ここから、「新報」は安倍晋三政権への批判に移る。


(1)ところが内閣の長として同じく憲法尊重義務を負う安倍首相は、ことあるごとに改憲への意欲を語ってはばからない。2017年の憲法記念日には憲法9条に自衛隊を明記することを柱に「20年の改正憲法施行」の号令をかけ、自民党は改憲4項目の条文案をまとめた。
(2)集団的自衛権を認めていない憲法解釈をねじ曲げて安全保障法制を成立させ、自衛隊による米軍支援の領域を地球規模に拡大した。憲法を無視して現実を変更しておきながら、「現実に即した」憲法にすると改憲を正当化する論法は詭弁(きべん)と言うほかない。
(3)辺野古埋め立て反対の明確な意思を示した県民投票を顧みず、「辺野古が唯一」と開き直る政府の姿勢は憲法が保障する基本的人権を侵害するものだ。民主的な手続きを無視し、日米同盟の名の下に軍事強化を押し付ける。これで法治国家と呼べるのか。
(4)自衛隊明記の改憲がなされれば、戦力不保持を定めた9条は空文化する。南西諸島への配備が進められる自衛隊の存在は周辺地域との緊張を高め、沖縄の島々が再び戦禍に巻き込まれる危険がある。


 この上で、「新報」は、「令和も戦争がない時代にするためには、国家権力を制約する平和憲法を守り続けていくことが不可欠だ。首相は憲法尊重擁護の義務を踏まえ、辺野古の埋め立て工事を直ちに断念すべきだ。」、と断じる。


 今回の「新報」の見解は、施行72年目を迎えた日本国憲法と沖縄という「構図」から分析はされなかった。
 ただ、「自衛隊明記の改憲がなされれば、戦力不保持を定めた9条は空文化する。南西諸島への配備が進められる自衛隊の存在は周辺地域との緊張を高め、沖縄の島々が再び戦禍に巻き込まれる危険がある。」、との指摘は、まさしく、安倍晋三政権の狙いそのものである。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-12 07:37 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

日本国憲法を手に取ってみる。(1)

 施行72年の日本国憲法を、日本国憲法が適用されなかった沖縄から見る。
2019年5月3日、沖縄タイムス(以下、「タイムス」)は「[憲法と地位協定]生活視点で問い直しを」、と社説で論評した。
「タイムス」は、沖縄は、「米国の施政権下にあった復帰前の沖縄に、憲法は適用されなかった。『本土並み』になったのは施政権が返還された1972年5月15日以降のことである。」でしかないと示す。その上で、「『憲法が凍結された社会』が、どのような社会なのか、体験のない若い世代には想像しにくいかもしれない。」、と始める。
また、「タイムス」は、沖縄の日本国憲法適用の闘いと憲法適用と同時にもたらされた安保条約日米地位協定適用が引き起こした現実を示す。
 それは、「憲法や国内法で定められた権利は、米軍の特権などを定めた地位協定や関連取り決めによって侵食され、虫くい状態である。」、という次の指摘である。


(1)自治や人権など憲法にうたわれたさまざまな権利をどのように獲得していくかが、当時の大きな課題だった。
(2)65年4月、立法院は5月3日を憲法記念日とする「住民の祝祭日に関する立法」の改正案を全会一致で可決した。「憲法のわが沖縄への適用を期す」との願望を込めて。
(3)その年の9月、沖縄の住民は、日本への渡航拒否に対する損害賠償と、沖縄在住被爆者への医療費支給を求め、国を相手取って、東京地裁に違憲訴訟を起こしている。判決前に施政権返還が実現し、訴えは取り下げられたが、講和条約に基づく沖縄統治の理不尽さに対し、住民はさまざまな形で権利のための闘いを組織した。
(4)施政権返還によって憲法と同時に、日米安保条約と地位協定が適用された。政府はこれを「本土並み」だとアピールしたが、米軍基地が集中する社会に、地位協定が適用されると、どういうことになるか。復帰から47年。

 
 あわせて、「タイムス」は、沖縄の置かれてきた「構図」への違和感のひろがりを指摘する。


(1)沖縄返還協定の調印の際、当時の屋良朝苗主席は「本土並みといっても沖縄の基地は規模と密度と機能が違う」と指摘し、形式的な本土並み論に強い不満を表明した。
(2)沖縄の過重負担という基本的な構図は、あの時から変わっていない。
(3)ただ、米軍再編と日米一体化が進んだことによって、地位協定を巡る問題は、いっきに全国に飛び火した。
(4)オスプレイは県外での訓練の途中、各地に緊急着陸するようになった。米軍横田基地(東京)の周辺空域は、今も米軍が管制権を握っており、日本の航空機は自由に飛ぶことができない。その異常さに多くの都民が気付くようになった。
(5)全国知事会は昨年8月、地位協定の抜本的な見直しを日米両政府に提言した。
(6)作家の高村薫さんら有識者でつくる「世界平和アピール七人委員会」も4月、抜本的改定を求めるアピール文を発表した。


 72年目の施行の日、「タイムス」はこう訴える。


「憲法記念日というと、決まったように「護憲派」と「改憲派」の主張が紹介され、9条改憲を巡る安倍政権の動きが取り上げられる。だが、9条改憲以上に、生活に根ざした、優先して取り組むべき課題は多い。共同通信社が3月に実施した全国電話世論調査によると、安倍晋三首相の下での憲法改正に51・4%が反対、賛成は33・9%にとどまった。沖縄にとって切実なのは地位協定の抜本的な改定である。9条改憲よりも国内法の原則適用を急ぐべきだ。」


 確かに、「憲法や国内法で定められた権利は、地位協定や関連取り決めによって侵食され、虫くい状態である。」(「タイムス」)、という状況の早急な改善が必要である。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-11 07:21 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

「自民党職員の改憲ソング」だって。その手には乗らない。

 毎日新聞(以下、「毎日」)は2019年3月3日、「自民党職員の改憲ソングに漂う“軽さ” 国家の規範も「もう替えよう」?」、との記事を掲載した。
第一印象は、ここまできたか。
 でも、その手には乗らない、とも、
 「毎日」は、「歌を聴いて、安倍晋三首相が目指す改憲路線を考えてみた。」、と次のように紹介する。


(1)♪憲法なんてただの道具さ♪ 憲法を改正しようと高らかに歌う「改憲ソング」が、2月に発売された。企画したのは自民党本部の職員で、自身が歌っている。「個人の作品で、自民党とは無関係だ」と強調する。耳になじみやすいメロディーだが、曲全体に漂う「軽さ」は何だろう。歌を聴いて、安倍晋三首相が目指す改憲路線を考えてみた。     【江畑佳明/統合デジタル取材センター】
(2)タイトルは「憲法よりも大事なもの」(CDシングル、1080円)。2月6日に発売された。アマゾンなどで購入でき、動画投稿サイト「ユーチューブ」でも視聴できる。メロディーはややアップテンポのフォーク調で、なじみやすい。問題は歌詞だ。
(3)♪いつまでも同じ服は着られない 大人になったらもう着替えよう♪と、まずは改憲の必要性を訴え、サビの部分で、こう呼びかける。 ♪憲法なんてただの道具さ 変わること恐れないで 憲法よりも大事なものは 僕たちが毎日を幸せに安全に暮らすことさ♪
(3)「原案」と歌を担当したのは、自民党政務調査会の前審議役、田村重信さん(66)。これまで安全保障政策や憲法問題に取り組み、著書は共著を含め「防衛政策の真実」(扶桑社)や「改正・日本国憲法」(講談社)など約50冊に及ぶ。昨年1月に定年退職し、その後嘱託職員として再雇用された。
(4)憲法改正を目指す自民党の広報戦略なのかと思いきや、本人は「セカンドライフを充実させたいという思いから作った。党は全く関係ない」と、あくまで個人の仕事だと主張する。以前から歌うことが好きで、CDを出した経験もある。作詞と作曲は、音楽プロデューサーの坂本裕介さんが担当した。田村さんは「旧知の間柄で、憲法についても議論してきた」と語る。
(5)改憲ソングといえば、中曽根康弘元首相が作詞した「憲法改正の歌」(1956年)が知られる。やや勇ましい曲調で、歌詞は「押し付け論」に基づき、とにかく硬い。
(6)♪平和民主の名の下に 占領憲法強制し 祖国の解体を計りたり♪
(7)田村さんは自身の改憲ソングについて「中曽根さん以来ではないか」と胸を張る。
(8)田村さんの歌詞は「憲法改正の歌」と異なり、改憲を声高に叫んでおらず、全体的に抽象的な内容だ。「憲法に興味のない人や改憲に反対の人たちに届くように、聞きやすいものにしたかったから」(田村さん)。「日本は経済の停滞など、さまざまな閉塞感が漂っている。今の日本はこれでいいのか。世の中の変化に合わせて、憲法改正だけではなく、前に向かって一歩踏み出そうじゃないか。そんなメッセージを込めた」とも。
(9)それにしても、「毎日を幸せに暮らすこと」が「憲法」より大事だと言うが、現行「憲法」のもとでは「幸せ」に「安全」に暮らせないのか。
(10)さらに、歌詞にこうある。
 ♪誰かの助けを待つんじゃない 自分の力で立ち上がろう♪
 ここは、他国からの侵略をにおわせ、9条の改正を想起させる。「戦後、日本が平和だったのは憲法があったからではない。その考えは幻想で、日米安全保障体制と自衛隊によって守られた」と田村さんは持論を展開した。
(11)改憲ソングを、専門家たちはどう見るのか。九州大法学部の南野森(みなみの・しげる)教授(憲法)は「『憲法は道具』という表現は、確かにその通りです。憲法は国民を幸せにするためのものだから」と一定の理解を示しつつも、「いつまでも同じ服は着られない 大人になったらもう着替えよう」の部分を「憲法のたとえとしては不適切だ」と批判する。「本当に改憲したいなら、どの条文をどのように変えたいかの具体的な訴えがあってしかるべきだ。『もう着替えよう』からは『時代が変わったし、細かいことは考えなくていいから……』というニュアンスを感じる。憲法について真剣に考えているのか疑問です」と首をかしげる。その上で、南野さんは改憲ソングを「安倍首相がこれまで唱えてきた改憲論の延長線上にある」と指摘する。
(12)安倍首相はかつて、憲法の国会発議のハードルを下げようと96条(憲法の改正手続き)を改正しようと主張した。しかし、憲法学者の小林節氏に「裏口入学だ」と厳しく批判され、世論の反発でトーンダウンした。その後、東日本大震災への対処が不十分だったなどとして政府に一時的に強大な権限を与える「緊急事態条項」新設に意欲を示した。だが、これもトーンダウン。現在は9条への自衛隊明記にこだわり、「自衛官の息子が『お父さん、憲法違反なの』と涙を浮かべた」というエピソードを説いて回る。南野さんは言う。「安倍政権は、改憲の中身は関係なく、改憲そのものを目的としている。今回の歌にもその考えが表れています」
(13)「憲法のコモディティー(商品)化だ」と懸念するのは文筆家の平川克美さんだ。「グローバリズムという病」(東洋経済新報社)などの著書がある。平川さんは、服のたとえの部分を問題視している。「例えば『パソコンが古くなったから新しく買い替えよう』というのと同じ発想だ。憲法には先人たちが積み上げてきた歴史的な英知が反映されている。『時代が変わったから』というような短期的な理由で、国家の規範が変更されないために憲法が存在している。そういう基本的な憲法の精神を無視している」と批判する。そして「この『買い替えよう』という考え方は、経済発展を遂げた日本で受け入れられやすい。簡単に改憲していいという風潮が広がる可能性がある」と憂慮する。
(14)「政党による政治的宣伝は「プロパガンダ」と呼ばれる。田村さんは改憲ソングを自民党とは無関係だと強調するが、「たのしいプロパガンダ」(イースト・プレス)などの著書がある近現代史研究家、辻田真佐憲さんは「この歌もプロパガンダのひとつと言わざるをえない」と指摘する。この曲は「ヒット」するのだろうか。辻田さんは「効果の大きいプロパガンダは、人気歌手が歌うなどエンターテインメント性が高い。今回は大きな広がりにはならないのではないか」と否定的だ。それでも、気になる点があるという。「今後もし憲法改正の国民発議が行われ、国民投票が実施される段階になると、CMなどで改憲派と護憲派が主張を激しくぶつけ合う宣伝合戦となる事態が考えられる。その時に冷静に判断できるよう、日ごろからプロパガンダに備えておく必要がある」と警鐘を鳴らす。


 その手には乗らない。

「時代が変わったし、細かいことは考えなくていいから」ね。
だって、CDもでてるよ。
 ちょっと、車の乗り換え気分でやればいいんだよ。

やはり、その手には乗らない。



by asyagi-df-2014 | 2019-03-14 07:51 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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