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憲法改正の議論の前に、知っておくべきこと-海渡雄一FBより

 憲法改正に明確な意思を示す首相がいる時、やはり、きちんとした対抗理論が必要である。

 今回は、海渡雄一弁護士が、FBに、「憲法改正の議論の前に、知っておくべきこと-ポツダム宣言の受諾から日本国憲法の制定まで」を掲載した。
海渡雄一弁護士の指摘は、次のもの。そのまま掲載。



はじめに
 安倍政権は、いよいよ憲法改正の発議を目指すことを公言するようになった。日本国憲法の改正の是非について議論するためには、日本が15年戦争に敗北した時に、国際社会に対して、どのような約束をしたか、どのような経過で現在の憲法が制定されたかを知る必要があると思う。憲法について議論する前提となる基礎的な事実の確認のために、事実を整理した。
 第1 戦争する国を支えていた法制度とその復活

1 戦争する国のシステムと安倍政権による復活
 日中戦争とこれに引き続く太平洋戦争は、近代日本の総力戦であった。そして、そのためには、兵器や軍隊を整えるだけでなく、戦争を遂行するための法体制を作り上げることが必要であった。私は、2017年に、「戦争する国のつくり方: 「戦前」をくり返さないために」という本を上梓した。この本の中で書いたことをまとめると、次のようになる。
 戦争遂行するためには、まず第一に戦争を行う主体をつくることが必要であった。これが戦前では大本営であり、安倍政権の下であらたに設けられた国家安全保障会議がそれに該当する。
 第二に、戦争に反対する勢力を無力化する治安維持法などの法制が整備され、戦争に反対する諸勢力が非合法化・あるいは活動を大きく制限された。これが、現代的に復活したのが、新共謀罪であろう。
 第三に、一般国民を戦争に協力させるための、教育勅語・軍事教練・靖国神社などの思想・道徳の徹底のための教育がなされた。今、日の丸と君が代強制が教育現場で進み、道徳教育が教科化されている。
 第四に、戦争のためにすべての物質的・社会的資源を動員することのできる国家総動員法や徴兵制度などの法制度が整備された。これを現代によみがえらせたものが、有事法制であり、自民党改憲草案と安倍改憲案に含まれている国家緊急権条項であろう。
 第五に、戦争の準備の過程と戦意の高揚のために不都合な情報は隠ぺいできる情報管理体制を確立することが必要であり、1937年に制定された改正軍機保護法や1941年に総力戦体制とともに制定された国防保安法がそれにあたった。これを現代的に復活させたのが、特定秘密保護法である。
 第六に、国民を戦争に誘導するために、内閣情報局のもとで報道出版の検閲統制がなされ、隣組による市民の相互監視が強められ、戦争非協力者には配給上の不利益までが課された。軽快な「隣組」の歌は、実は戦争動員の歌だったのである。
 現代では、報道機関に対する脅しとキャスター外し、高市総務大臣の偏向放送の停波発言、NHK人事への介入が露骨になってきている。市民に対するデジタル監視のシステムも強められている。

2 安倍内閣は戦前の戦争法体系を現代型にして蘇らせようとしている
 政府は、まず解釈改憲と個別安全保障法の改正を先行させ、既成事実を軸にその後に憲法改正を提起する計画のようだ。
 2013年秘密保護法、2014年集団的自衛権を認める閣議決定、2015年平和安全法制=戦争法の制定、2016年高市電波停止発言、刑事訴訟法改正(盗聴法の大幅拡大による市民監視の強化、司法取引の導入)、2017年共謀罪制定など、安倍政権の一連の政策は、市民の抵抗を力と脅しによって黙らせ、憲法を改正し、国民を戦争に動員することのできる法体制へと導こうとしているようにみえる。
 そして、安倍政権は今開かれている臨時国会あるいは引き続く通常国会に改憲案の提起を行おうとしている。このような、政策誘導は、日本という国を敗戦以前の戦争できる国とすることをもくろんでいるように思われる。

第2 ポツダム宣言の受諾はなにを意味したか
1 15年戦争の敗北とポツダム宣言の受諾

 日本の戦後の歴史を規定しているものは、ポツダム宣言の受諾である。ポツダム宣言の受諾こそが日本の戦後の国のかたちを作った。ポツダム宣言の受諾は日本政府の非武装化を意味した。1945年7月26日に米・英・中の三か国が発した「ポツダム宣言(抄)」を確認しよう。
 「日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。
 日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。
 第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。
 カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。
 我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。
 日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。
 日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。
 我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。」

2 ポツダム宣言を受けて日本政府がやったことは、機密重要書類の焼却であった。
 政府は1945年8月14日に、ポツダム宣言を受諾したが、同日 「機密重要書類焼却の件」を閣議決定した。戦争はなかったものにしようと、戦争に関する一切の資料を焼却して、自ら開始した戦争を歴史から消し去ろうとした。この通知も焼却するように指示されていたが、焼却をまぬかれた原本が松本市に保管されている(写真を添付した)。軍と官僚による戦争の証拠隠滅である。 占領軍GHQの調査が始まるまえに、焼却を急いだのである。そして、軍関係、裁判所、町村役場、学校、地域では、数日をかけて重要書類を焼却、廃棄した。裁判所でも治安維持法違反事件の判決などを焼却した。

3 軍と秘密警察は解体された
 9月2日米艦ミズーリ号上において重光葵外相が降伏文書に調印した。ポツダム宣言によって軍は解体された。戦後改革の第1は軍の解体であった。アメリカを中心とする連合国は、日本の侵略戦争とファシズムの根源を断つため、まず非軍事化を強力に進めた。
 帝国陸軍と海軍の解体、軍需産業の生産停止、軍国主義者の公職追放、修身・歴史教育の禁止、国家と神道(しんとう)の分離などが進められた。

4 昭和天皇の平和国家宣言
 昭和天皇は、降伏文書調印の2日後9月4日の帝国議会開院式の勅語で「朕は終戦に伴ふ幾多の艱苦を克服し国体の精華を発揮して信義を世界に布き平和国家を確立して人類の文化に寄与せむことを冀ひ」と述べ、戦後日本がめざすべき国家像を「平和国家」だと宣言した。
 この発言は、自らの戦争責任を免れるための占領当局に対するアピールとも受け取れるが、ポツダム宣言に意味を正確に理解したものであったと評価することができるだろう。

5 自由の回復 治安維持法と軍機保護法の廃止と特高警察の解体
 まず、新聞の自由が回復された。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、1945年9月24日に「新聞界の政府からの分離に関する覚書」、同9月27日に「新聞および言論の自由に関する追加措置」(ただし29日付)を発し、これにより新聞紙法は事実上失効した。哲学者の三木清が、9月26日に豊多摩刑務所で死亡したことが報道され、GHQは治安維持法違反の政治犯が囚われたままであるという事実に衝撃を受ける。
 しかし、日本政府は自主的には治安維持法の廃止や特高警察の解体などは行わず、1945年10月の段階においても、岩田宙造司法大臣は「司法当局としては、現在のところ政治犯人の釈放の如きは考慮していない」と断言していた。岩田は予防拘禁されている者も含めて釈放の意思はないと外国人記者に言い放っていた。
 フランス人ジャーナリストのロベール・ギランらの努力により、多くの日本共産党員が豊多摩刑務所内の予防拘禁所に拘禁されていることが明らかになった(『東京発特電』)。

6 1945(昭和20)年10月4日には「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」が発せられた
 1945(昭和20)年10月4日、GHQが、自由を抑圧する制度を廃止するよう命じる指令を発した。正式には「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」という。「人権指令」とも呼ばれる。この指令は、思想、信仰、集会及び言論の自由を制限していたあらゆる法令の廃止、内務大臣・特高警察職員ら約4,000名の罷免・解雇、政治犯の即時釈放、特高の廃止などを命じていた。
 東久邇宮内閣はこの指令を実行できないとして、翌5日に総辞職した。つぎの幣原内閣では、この指令に基づき共産党員など政治犯約3,000人を釈放、治安維持法など15の法律・法令を廃止した。
 戦前の法制で廃止するものについて、この指令の中で説明されている。
一、政治的、公民的、宗教的自由に対する制限並に種族、国籍、信教乃至政見を理由とする差別を除去する為日本帝国政府は
a、左の一切の法律、勅令、命令、条例、規則の一切の条項を廃止し且直に其の適用を停止すべし
(一)思想、宗致、集会及言論の自由に対する制限を設定し又は之を維持せんとするもの 天皇、国体及日本帝国政府に関する無制限なる討議を含む
(二)情報の蒐集及公布に関する制限を設定し又は之を維持せんとするもの
(三)其の字句又は其の適用に依り種族、国籍、信教乃至政見を理由として何人かの有利又は不利に不平等なる取扱ひを為すもの
治安維持法・予防拘禁制度と軍機保護法・国防保安法、宗教団体法が廃止された
b、前項aに規定する諸法令は左記を含むも右に限定せられず
(1)治安維持法
(2)思想犯保護観察法 
(3)施行令
(4)保護観察所官制
(5)予防拘禁手続令
(6)予防拘禁処遇令
(7)国防保安法
(8)施行令
(9)治安維持法の下に於ける弁護士指定規程
(10)軍用資源秘密保護法 
(11)施行令
(12)施行規則
(13)軍機保護法
(14)施行規則
(15)宗教団体法
(16)前記法律を改正、補足若くは執行するための一切の法律、勅令、命令、条例及規則

7 GHQ 5大改革指令のトップは秘密警察の解体であった
 1945年10月11日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは当時の首相幣原喜重郎に対し、五大改革指令を命じた。秘密警察の廃止/労働組合の結成奨励/婦人解放(家父長制の廃止)/学校教育の自由化/経済の民主化(財閥の解体、農地の解放)などが含まれた。特高警察の解体こそが、戦後史の要だったことがわかる。公安警察のトップであった北村滋氏が内閣情報官から国家安全保障局長にまで登り詰めたことは、歴史を逆行させる重大な意義を持っている。

第3 日本国憲法制定の経緯
1 憲法問題調査委員会の時代錯誤
 10月25日 憲法問題調査委員会が設置された。委員長松本であった。11月22日 には近衛文麿が「帝国憲法改正要綱」を天皇に上奏した。11月29日には米統合参謀本部がマッカーサーに天皇の戦争犯罪について調査を指示した。12月6日にはGHQが近衛を戦犯に指名。近衛は服毒自殺(16日)した。12月8日 松本国務大臣は衆院で憲法改正4原則を示した。天皇統治権は不変/議会の議決事項拡大/国務大臣の責任拡大/人民の自由・権利を拡大が4原則である。

2 松本案は閣議決定されていない。GHQ案の受け入れは閣議決定された。
 1946年1月1日には天皇神格否定・人間宣言を行った。1月19日にはマッカーサーが極東軍事裁判所憲章を承認とその設置を命令した。1月24日には幣原・マッカーサー会談がもたれ、天皇制の維持と戦争の放棄を幣原から提案したとされる。異論はあるが、ほぼ定説といえる。1月26日には、松本烝治国務大臣が松本甲案を閣議に提出したが、閣議決定とならなかった。
 2月3日には、マッカーサーが、GHQホイットニー民政局長に憲法改正三原則を示した。
① 天皇は国の最高位の地位にある。
② 国権の発動たる戦争は廃止する。日本は自己の防衛と保護を世界を動かし筒ある崇高な理想に委ねる。陸海軍は将来も与えられることなく、交戦権も与えられない。
③ 日本の封建制度は廃止される。予算はイギリスの制度に倣う。
 2月8日 松本は閣議決定を経ないままGHQに「憲法改正要綱」を提出した。2月13日 GHQは松本案を拒否し、GHQ案を手交した。2月19日 松本委員長が閣議でGHQ案を手交されたことを説明した。2月21日 幣原・マッカーサー会談(3時間)「戦争を放棄してフォロワーがいるか?」などと議論したとされる。2月22日 松本、吉田、白洲がホイットニーと会談(1時間半)し、幣原は吉田、棚橋とともに天皇に拝謁、天皇はGHQ案を支持、午後閣議でGHQ案の受け入れを決定した。

3 日本政府とGHQの協議でまとめられた改正要綱
 3月4日 松本国務大臣、入江俊郎法制局次長、佐藤達夫法制局第1部長らが、GHQ案を参考に日本案を作成し、GHQに提出した。その審議は30時間に及んだ。3月6日 憲法改正要綱が発表され、同時に天皇の勅語、幣原首相の談話、マッカーサーの声明が付されていた。
 4月10日 衆議院総選挙が婦人参政権のもとでの初の選挙がなされた。4月17日 作家の山本有三らの要望により、憲法改正要綱は口語化されて公表された。4月26日 2月末に、極東委員会の密命を帯びて来日していたコールグローブGHQ憲法問題担当政治顧問は、極東委員会議長に対して、日本でマッカーサーの評価は高く、国民は憲法案を支持していると書簡を発した。5月3日には東京裁判が開廷された。5月13日 極東委員会憲法採択の三原則を示す(十分な審議時間、明治憲法との法的な継続性、国民の自由な意思表明)。
 5月22日 第一次吉田内閣が発足し、憲法担当大臣として金森徳次郎が任命された。

4 帝国議会の憲法審議で9条と25条が改正されている。
 6月21日にはマッカーサーは憲法審議に十分な時間を与えると声明した。6月28日 憲法改正草案は衆議院本会議から特別委員会(委員長芦田均)に付託された。7月25日 特別委員会の下に小委員会(委員長芦田均)を秘密会として組織して審議を継続した。
 8月1日には、9条、25条を修正した。9条2項に「前項の目的を達するため」を挿入(芦田提案)1項に「国際平和を誠実に希求し」を挿入(鈴木義雄提案)した。25条1項に生存権を付加(森戸辰男提案)した。
 8月24日 衆院で帝国憲法改正案を修正可決し、10月6日 貴族院で帝国憲法改正案を可決(9月23日GHQの要請で66条2項に文民条項を加えるよう要求、衆院で9月23日再修正)した。10月7日 日本国憲法帝国議会を通過し、11月3日 日本国憲法は公布された。

5 日本国憲法の施行 ほとんどの日本国民は、日本国憲法、そして戦争放棄を熱烈に支持した
 12月1日 憲法普及会が設立され、1947年2月15日憲法普及会は国家公務員700人を東大に集めて研修会を開催した。5月3日日本国憲法が施行され、皇居前広場で記念式典がもたれ、「われらの日本」が歌われる。憲法普及会の小冊子『新しい憲法 明るい生活』が2000万部配布された。 
「戦争は人間をほろぼすことです
 戰爭の放棄
 みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

9条は戦争の惨禍から生まれた日本国民の平和の誓い
そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。」

第4 日本国憲法は押し付けられたものではない
1  日本国憲法は押し付けられたものではない

1945-7 日本国憲法の制定と施行過程からわかることは、日本国憲法は押し付けられたものではないということである。

2  松本試案は閣議でも決定されて折らず、正規の日本政府案ではない

松本試案は、明治憲法の焼き直しでしかなく、ポツダム宣言を受諾した意味を正確に理解したものでなかった。閣議でも決定されて折らず、正規の日本政府案ではない。

3  憲法改正草案はGHQと日本政府の協議によって作られた

GHQは世界の進んだ憲法制度を公平に取り入れようとし、また日本側と十分に協議して憲法案が作成された。

4  9条戦争の放棄は保守層を含めて国民の意思に沿い、軍が解体された現実に適合したものだった。

 9条戦争の放棄は、日本国民の総意が戦争は二度とごめんだという気持ちであり、軍が解体されていた現実に合わせたものと考えられ、理想を追い求めただけでなく、現実的な根拠があった。
 ただ、この意識は戦争に対する被害者意識を主とし、加害責任の自覚に立ったものではなかったという弱点があった。
また、憲法制定の経過には、同じ占領下であったにもかかわらず、沖縄の代表の参加が認められていないという問題があった。
 戦争放棄がマッカーサーから指示されたものか、幣原首相の発案かは判然としないが、日本の政治家は、幣原だけでなく、吉田、芦田ら保守勢力も含めてこの考え方に賛成した。帝国議会で改正案に反対票を投じたのは共産党だけである。

5  帝国議会でも、憲法改正案は日本側の意見を容れて修正されている。
 憲法の原案はGHQが作成したものであるが、9条の文言の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し 」や生存権の規定などは日本の議会で修正されたものであり、押しつけ憲法という批判は事実とは異なるのである。


 以下、貝渡雄一のFBの引用。


憲法改正の議論の前に、知っておくべきこと-ポツダム宣言の受諾から日本国憲法の制定まで-海渡 雄一


はじめに
安倍政権は、いよいよ憲法改正の発議を目指すことを公言するようになった。日本国憲法の改正の是非について議論するためには、日本が15年戦争に敗北した時に、国際社会に対して、どのような約束をしたか、どのような経過で現在の憲法が制定されたかを知る必要があると思う。憲法について議論する前提となる基礎的な事実の確認のために、事実を整理した。

第1 戦争する国を支えていた法制度とその復活
1 戦争する国のシステムと安倍政権による復活
 日中戦争とこれに引き続く太平洋戦争は、近代日本の総力戦であった。そして、そのためには、兵器や軍隊を整えるだけでなく、戦争を遂行するための法体制を作り上げることが必要であった。私は、2017年に、「戦争する国のつくり方: 「戦前」をくり返さないために」という本を上梓した。この本の中で書いたことをまとめると、次のようになる。
 戦争遂行するためには、まず第一に戦争を行う主体をつくることが必要であった。これが戦前では大本営であり、安倍政権の下であらたに設けられた国家安全保障会議がそれに該当する。
 第二に、戦争に反対する勢力を無力化する治安維持法などの法制が整備され、戦争に反対する諸勢力が非合法化・あるいは活動を大きく制限された。これが、現代的に復活したのが、新共謀罪であろう。
 第三に、一般国民を戦争に協力させるための、教育勅語・軍事教練・靖国神社などの思想・道徳の徹底のための教育がなされた。今、日の丸と君が代強制が教育現場で進み、道徳教育が教科化されている。
 第四に、戦争のためにすべての物質的・社会的資源を動員することのできる国家総動員法や徴兵制度などの法制度が整備された。これを現代によみがえらせたものが、有事法制であり、自民党改憲草案と安倍改憲案に含まれている国家緊急権条項であろう。
 第五に、戦争の準備の過程と戦意の高揚のために不都合な情報は隠ぺいできる情報管理体制を確立することが必要であり、1937年に制定された改正軍機保護法や1941年に総力戦体制とともに制定された国防保安法がそれにあたった。これを現代的に復活させたのが、特定秘密保護法である。
 第六に、国民を戦争に誘導するために、内閣情報局のもとで報道出版の検閲統制がなされ、隣組による市民の相互監視が強められ、戦争非協力者には配給上の不利益までが課された。軽快な「隣組」の歌は、実は戦争動員の歌だったのである。
 現代では、報道機関に対する脅しとキャスター外し、高市総務大臣の偏向放送の停波発言、NHK人事への介入が露骨になってきている。市民に対するデジタル監視のシステムも強められている。

2 安倍内閣は戦前の戦争法体系を現代型にして蘇らせようとしている
 政府は、まず解釈改憲と個別安全保障法の改正を先行させ、既成事実を軸にその後に憲法改正を提起する計画のようだ。
 2013年秘密保護法、2014年集団的自衛権を認める閣議決定、2015年平和安全法制=戦争法の制定、2016年高市電波停止発言、刑事訴訟法改正(盗聴法の大幅拡大による市民監視の強化、司法取引の導入)、2017年共謀罪制定など、安倍政権の一連の政策は、市民の抵抗を力と脅しによって黙らせ、憲法を改正し、国民を戦争に動員することのできる法体制へと導こうとしているようにみえる。
 そして、安倍政権は今開かれている臨時国会あるいは引き続く通常国会に改憲案の提起を行おうとしている。このような、政策誘導は、日本という国を敗戦以前の戦争できる国とすることをもくろんでいるように思われる。

第2 ポツダム宣言の受諾はなにを意味したか
1 15年戦争の敗北とポツダム宣言の受諾

 日本の戦後の歴史を規定しているものは、ポツダム宣言の受諾である。ポツダム宣言の受諾こそが日本の戦後の国のかたちを作った。ポツダム宣言の受諾は日本政府の非武装化を意味した。1945年7月26日に米・英・中の三か国が発した「ポツダム宣言(抄)」を確認しよう。
 「日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。
 日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。
 第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。
 カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。
 我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。
 日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。
 日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。
 我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。」

2 ポツダム宣言を受けて日本政府がやったことは、機密重要書類の焼却であった。
 政府は1945年8月14日に、ポツダム宣言を受諾したが、同日 「機密重要書類焼却の件」を閣議決定した。戦争はなかったものにしようと、戦争に関する一切の資料を焼却して、自ら開始した戦争を歴史から消し去ろうとした。この通知も焼却するように指示されていたが、焼却をまぬかれた原本が松本市に保管されている(写真を添付した)。軍と官僚による戦争の証拠隠滅である。 占領軍GHQの調査が始まるまえに、焼却を急いだのである。そして、軍関係、裁判所、町村役場、学校、地域では、数日をかけて重要書類を焼却、廃棄した。裁判所でも治安維持法違反事件の判決などを焼却した。

3 軍と秘密警察は解体された
 9月2日米艦ミズーリ号上において重光葵外相が降伏文書に調印した。ポツダム宣言によって軍は解体された。戦後改革の第1は軍の解体であった。アメリカを中心とする連合国は、日本の侵略戦争とファシズムの根源を断つため、まず非軍事化を強力に進めた。
 帝国陸軍と海軍の解体、軍需産業の生産停止、軍国主義者の公職追放、修身・歴史教育の禁止、国家と神道(しんとう)の分離などが進められた。

4 昭和天皇の平和国家宣言
 昭和天皇は、降伏文書調印の2日後9月4日の帝国議会開院式の勅語で「朕は終戦に伴ふ幾多の艱苦を克服し国体の精華を発揮して信義を世界に布き平和国家を確立して人類の文化に寄与せむことを冀ひ」と述べ、戦後日本がめざすべき国家像を「平和国家」だと宣言した。
 この発言は、自らの戦争責任を免れるための占領当局に対するアピールとも受け取れるが、ポツダム宣言に意味を正確に理解したものであったと評価することができるだろう。

5 自由の回復 治安維持法と軍機保護法の廃止と特高警察の解体
 まず、新聞の自由が回復された。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、1945年9月24日に「新聞界の政府からの分離に関する覚書」、同9月27日に「新聞および言論の自由に関する追加措置」(ただし29日付)を発し、これにより新聞紙法は事実上失効した。哲学者の三木清が、9月26日に豊多摩刑務所で死亡したことが報道され、GHQは治安維持法違反の政治犯が囚われたままであるという事実に衝撃を受ける。
 しかし、日本政府は自主的には治安維持法の廃止や特高警察の解体などは行わず、1945年10月の段階においても、岩田宙造司法大臣は「司法当局としては、現在のところ政治犯人の釈放の如きは考慮していない」と断言していた。岩田は予防拘禁されている者も含めて釈放の意思はないと外国人記者に言い放っていた。
 フランス人ジャーナリストのロベール・ギランらの努力により、多くの日本共産党員が豊多摩刑務所内の予防拘禁所に拘禁されていることが明らかになった(『東京発特電』)。

6 1945(昭和20)年10月4日には「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」が発せられた
 1945(昭和20)年10月4日、GHQが、自由を抑圧する制度を廃止するよう命じる指令を発した。正式には「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」という。「人権指令」とも呼ばれる。この指令は、思想、信仰、集会及び言論の自由を制限していたあらゆる法令の廃止、内務大臣・特高警察職員ら約4,000名の罷免・解雇、政治犯の即時釈放、特高の廃止などを命じていた。
 東久邇宮内閣はこの指令を実行できないとして、翌5日に総辞職した。つぎの幣原内閣では、この指令に基づき共産党員など政治犯約3,000人を釈放、治安維持法など15の法律・法令を廃止した。
 戦前の法制で廃止するものについて、この指令の中で説明されている。
一、政治的、公民的、宗教的自由に対する制限並に種族、国籍、信教乃至政見を理由とする差別を除去する為日本帝国政府は
a、左の一切の法律、勅令、命令、条例、規則の一切の条項を廃止し且直に其の適用を停止すべし
(一)思想、宗致、集会及言論の自由に対する制限を設定し又は之を維持せんとするもの 天皇、国体及日本帝国政府に関する無制限なる討議を含む
(二)情報の蒐集及公布に関する制限を設定し又は之を維持せんとするもの
(三)其の字句又は其の適用に依り種族、国籍、信教乃至政見を理由として何人かの有利又は不利に不平等なる取扱ひを為すもの
治安維持法・予防拘禁制度と軍機保護法・国防保安法、宗教団体法が廃止された
b、前項aに規定する諸法令は左記を含むも右に限定せられず
(1)治安維持法
(2)思想犯保護観察法 (3)施行令
(4)保護観察所官制
(5)予防拘禁手続令(6)予防拘禁処遇令
(7)国防保安法 (8)施行令
(9)治安維持法の下に於ける弁護士指定規程
(10)軍用資源秘密保護法 (11)施行令(12)施行規則
(13)軍機保護法 (14)施行規則
(15)宗教団体法
(16)前記法律を改正、補足若くは執行するための一切の法律、勅令、命令、条例及規則

7 GHQ 5大改革指令のトップは秘密警察の解体であった
 1945年10月11日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは当時の首相幣原喜重郎に対し、五大改革指令を命じた。秘密警察の廃止/労働組合の結成奨励/婦人解放(家父長制の廃止)/学校教育の自由化/経済の民主化(財閥の解体、農地の解放)などが含まれた。特高警察の解体こそが、戦後史の要だったことがわかる。公安警察のトップであった北村滋氏が内閣情報官から国家安全保障局長にまで登り詰めたことは、歴史を逆行させる重大な意義を持っている。

第3 日本国憲法制定の経緯
1 憲法問題調査委員会の時代錯誤
 10月25日 憲法問題調査委員会が設置された。委員長松本であった。11月22日 には近衛文麿が「帝国憲法改正要綱」を天皇に上奏した。11月29日には米統合参謀本部がマッカーサーに天皇の戦争犯罪について調査を指示した。12月6日にはGHQが近衛を戦犯に指名。近衛は服毒自殺(16日)した。12月8日 松本国務大臣は衆院で憲法改正4原則を示した。天皇統治権は不変/議会の議決事項拡大/国務大臣の責任拡大/人民の自由・権利を拡大が4原則である。

2 松本案は閣議決定されていない。GHQ案の受け入れは閣議決定された。
 1946年1月1日には天皇神格否定・人間宣言を行った。1月19日にはマッカーサーが極東軍事裁判所憲章を承認とその設置を命令した。1月24日には幣原・マッカーサー会談がもたれ、天皇制の維持と戦争の放棄を幣原から提案したとされる。異論はあるが、ほぼ定説といえる。1月26日には、松本烝治国務大臣が松本甲案を閣議に提出したが、閣議決定とならなかった。
 2月3日には、マッカーサーが、GHQホイットニー民政局長に憲法改正三原則を示した。
① 天皇は国の最高位の地位にある。
② 国権の発動たる戦争は廃止する。日本は自己の防衛と保護を世界を動かし筒ある崇高な理想に委ねる。陸海軍は将来も与えられることなく、交戦権も与えられない。
③ 日本の封建制度は廃止される。予算はイギリスの制度に倣う。
 2月8日 松本は閣議決定を経ないままGHQに「憲法改正要綱」を提出した。2月13日 GHQは松本案を拒否し、GHQ案を手交した。2月19日 松本委員長が閣議でGHQ案を手交されたことを説明した。2月21日 幣原・マッカーサー会談(3時間)「戦争を放棄してフォロワーがいるか?」などと議論したとされる。2月22日 松本、吉田、白洲がホイットニーと会談(1時間半)し、幣原は吉田、棚橋とともに天皇に拝謁、天皇はGHQ案を支持、午後閣議でGHQ案の受け入れを決定した。

3 日本政府とGHQの協議でまとめられた改正要綱
 3月4日 松本国務大臣、入江俊郎法制局次長、佐藤達夫法制局第1部長らが、GHQ案を参考に日本案を作成し、GHQに提出した。その審議は30時間に及んだ。3月6日 憲法改正要綱が発表され、同時に天皇の勅語、幣原首相の談話、マッカーサーの声明が付されていた。
 4月10日 衆議院総選挙が婦人参政権のもとでの初の選挙がなされた。4月17日 作家の山本有三らの要望により、憲法改正要綱は口語化されて公表された。4月26日 2月末に、極東委員会の密命を帯びて来日していたコールグローブGHQ憲法問題担当政治顧問は、極東委員会議長に対して、日本でマッカーサーの評価は高く、国民は憲法案を支持していると書簡を発した。5月3日には東京裁判が開廷された。5月13日 極東委員会憲法採択の三原則を示す(十分な審議時間、明治憲法との法的な継続性、国民の自由な意思表明)。
 5月22日 第一次吉田内閣が発足し、憲法担当大臣として金森徳次郎が任命された。

4 帝国議会の憲法審議で9条と25条が改正されている。
 6月21日にはマッカーサーは憲法審議に十分な時間を与えると声明した。6月28日 憲法改正草案は衆議院本会議から特別委員会(委員長芦田均)に付託された。7月25日 特別委員会の下に小委員会(委員長芦田均)を秘密会として組織して審議を継続した。
 8月1日には、9条、25条を修正した。9条2項に「前項の目的を達するため」を挿入(芦田提案)1項に「国際平和を誠実に希求し」を挿入(鈴木義雄提案)した。25条1項に生存権を付加(森戸辰男提案)した。
 8月24日 衆院で帝国憲法改正案を修正可決し、10月6日 貴族院で帝国憲法改正案を可決(9月23日GHQの要請で66条2項に文民条項を加えるよう要求、衆院で9月23日再修正)した。10月7日 日本国憲法帝国議会を通過し、11月3日 日本国憲法は公布された。

5 日本国憲法の施行 ほとんどの日本国民は、日本国憲法、そして戦争放棄を熱烈に支持した
 12月1日 憲法普及会が設立され、1947年2月15日憲法普及会は国家公務員700人を東大に集めて研修会を開催した。5月3日日本国憲法が施行され、皇居前広場で記念式典がもたれ、「われらの日本」が歌われる。憲法普及会の小冊子『新しい憲法 明るい生活』が2000万部配布された。 
「戦争は人間をほろぼすことです
 戰爭の放棄
 みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

9条は戦争の惨禍から生まれた日本国民の平和の誓い
そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。」

第4 日本国憲法は押し付けられたものではない
1  日本国憲法は押し付けられたものではない

1945-7 日本国憲法の制定と施行過程からわかることは、日本国憲法は押し付けられたものではないということである。

2  松本試案は閣議でも決定されて折らず、正規の日本政府案ではない

松本試案は、明治憲法の焼き直しでしかなく、ポツダム宣言を受諾した意味を正確に理解したものでなかった。閣議でも決定されて折らず、正規の日本政府案ではない。

3  憲法改正草案はGHQと日本政府の協議によって作られた

GHQは世界の進んだ憲法制度を公平に取り入れようとし、また日本側と十分に協議して憲法案が作成された。

4  9条戦争の放棄は保守層を含めて国民の意思に沿い、軍が解体された現実に適合したものだった。

 9条戦争の放棄は、日本国民の総意が戦争は二度とごめんだという気持ちであり、軍が解体されていた現実に合わせたものと考えられ、理想を追い求めただけでなく、現実的な根拠があった。
 ただ、この意識は戦争に対する被害者意識を主とし、加害責任の自覚に立ったものではなかったという弱点があった。
また、憲法制定の経過には、同じ占領下であったにもかかわらず、沖縄の代表の参加が認められていないという問題があった。
 戦争放棄がマッカーサーから指示されたものか、幣原首相の発案かは判然としないが、日本の政治家は、幣原だけでなく、吉田、芦田ら保守勢力も含めてこの考え方に賛成した。帝国議会で改正案に反対票を投じたのは共産党だけである。

5  帝国議会でも、憲法改正案は日本側の意見を容れて修正されている。
 憲法の原案はGHQが作成したものであるが、9条の文言の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し 」や生存権の規定などは日本の議会で修正されたものであり、押しつけ憲法という批判は事実とは異なるのである。




by asyagi-df-2014 | 2019-10-22 08:33 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

選挙結果に向き合ってみる。

政治の在りように辟易することが、向こう側の思うつぼであることは理解していても、具体的に動くことを止めてしまっているのが実態である。
個の問題から、やはり外に向けて動き始めることが大切なのかもしれない。
 琉球新報(以下、「新報」)は2019年7月23日、「改憲3分の2割れ 世論は9条改定に反対だ」、と社説で論評した。
具体的な動きがない中では、一つの資料を参考にしながら考えてみることにする。
「新報」は、一つの選挙結果を示す。


「21日に投開票された参院選で改選124議席のうち、自民、公明の与党は目標とした改選過半数の63議席を上回り71議席を獲得した。ただ自民が議席を減らしたことで与党全体では6議席減となった。憲法改正に前向きな『改憲勢力』は、非改選議席を合わせ国会発議に必要な3分の2(164議席)を割り込んだ。」


 事実として、選挙結果は、「非改選議席を合わせ国会発議に必要な3分の2(164議席)を割り込んだ。」、ということになる。


 「新報」のこのことに関する指摘は、次のものである。


(1)今月中旬に共同通信が実施した世論調査では、安倍政権下での憲法改正に反対は51・4%で賛成は約34%だった。出口調査でも憲法改正に反対が47・5%で賛成の40・8%を上回った。改憲に対する国民の危機感の表れとみられる。他の主要争点についても、有権者は必ずしも安倍政権の主要政策を承認したとはいえない。先の世論調査では、10月に消費税率を10%へ引き上げる政府方針に反対は54・3%で賛成は40・8%。安倍政権の経済政策アベノミクスについては「見直してほしい」が62・0%で「継続してほしい」の29・1%を上回った。
(2)にもかかわらず自公が過半数を占めた背景には、野党の訴えが十分に浸透せず、1人区や比例代表で伸び悩んだことがある。32の1人区のうち野党統一候補は沖縄をはじめ東北4県や新潟、長野、大分などで自民候補を下したが、全体では10勝22敗だった。
(3)安倍政権は2012年以来、大型国政選挙で6連勝となった。「政治の安定」という聞こえがいい言葉を隠れみのに、国民から反対の強い政策を強引に進めはしないか、強く危惧する。その最たるものが改憲だ。


 「新報」は、安倍晋三政権による[改憲]について、次の批判を加える。


(1)自民党は参院選で四つの改憲案を掲げた。筆頭は自衛隊を憲法に書き込む9条改定だ。その最大の狙いは、日本が他国防衛を可能にする道を開くことではないか。実際、安倍政権はその地ならしをしてきた。特定秘密保護法、「共謀罪」法、憲法解釈による集団的自衛権の行使容認や安保法制などである。
(2)2番目には内閣が緊急時に政令を制定できる緊急事態対応を挙げた。政令は法律と同等の効力があり、事前に国会のチェックを受けず内閣の一存で定められる規定だけに、人権抑圧につながる乱用が懸念される。
(3)安倍首相は改選過半数を理由に改憲議論を秋の臨時国会で野党に提起する方針だ。しかし改憲は国民的議論になっていない。世論調査などでは一貫して9条改定に反対の意見が賛成を大きく上回っている。改憲が国民的議論に至っていない証左である。その上、改憲勢力各党の改憲への考え方はばらばらで、自公の間でも大きく異なる。


 「新報」は、最後に、「今回の参院選の結果を受けて国民から承認を得たとして安倍政権が改憲を強引に進めるなら、主権者である国民を軽視した行為と言える。中でも9条は変える必要はない。それが多くの国民の意見であることを自覚すべきだ。国民全体で政権の暴走を監視する必要がある。」、と断じる。


 安倍晋三政権は、すでに、「今回の参院選の結果を受けて国民から承認を得た」との動きを明確にする。
確かに、言いつくろいを強引に「姿」に変えてきた「手法」を改憲に、得意げに使わせるわけにはいかない。



by asyagi-df-2014 | 2019-07-28 12:24 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄の日本復帰47年。それは、日本国憲法に関わる問題。(4)

 沖縄から受け取ることは、沖縄には日本国憲法が適用されなかったということである。
 それは、日本という国が沖縄に、日本国憲法の代わりに「日米安全保障条約-日米地位協定-『運用』や『密約』」という構図(「0.6%に70.03%」)を押しつけてきた歴史に端的に表されている。
2019年5月15日、沖縄は、日本に復帰して47年目を迎えた。
日本という国は、このことをどのように捉えることができているのか。
中央紙でなく地方紙がこの問題をどのように捉えているのかを社説から見てみる。
 例えば、宮崎日日新聞(以下、「宮日」)は2019年5月19日、「沖縄本土復帰47年」、と社説で論評した。
 「地位協定抜本改定が必要だ」と主張する、この「宮日」の社説を考える。
 「宮日」は、「今も重い基地の負担」との沖縄の現状を次のように押さえる。


(1)1972年の沖縄本土復帰から47年がたった。敗戦後、米国の施政権下に置かれた沖縄では復帰によって初めて日本国憲法が適用されるようになった。同時に日米安全保障条約と在日米軍の法的地位を定めた日米地位協定の適用も始まった。本土復帰を願った沖縄の人々の運動には「日本国憲法の下へ」という強い思いがあった。戦争放棄、国民主権、基本的人権の尊重という憲法の理念の実現を求めたからだ。
(2)だが現状はどうだろう。在日米軍専用施設は沖縄に集中し、地位協定に守られた米軍に絡む事件・事故は後を絶たない。さらに、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡り、安倍政権は沖縄の民意を顧みない対応を続けている。人権尊重など憲法の理念が侵されていると言わざるを得ない。
(3) 玉城デニー知事は今年の憲法記念日の談話で「県民は熾烈(しれつ)な沖縄戦や米軍施政下の苦難の歴史を通して、平和と人権の尊さを肌身で感じている」と強調、「全ての人の尊厳を守る『沖縄らしい優しい社会』を実現する」と表明した。


 この上で、「復帰の日に当たり、この1年を振り返ろう。」、と沖縄の今を次のように描写する。


(1)故翁長雄志前知事は昨年の復帰の日、米軍施設が集中する現状を指摘し、地位協定が壁となって事件・事故に悩まされ続けているとの談話を出した。その状況は何も変わらないどころか、沖縄に対する政権の対応は強硬さを増している。
(2)沖縄は声を上げ続けている。翁長氏の急死に伴う昨年9月の県知事選では辺野古移設反対を訴えた玉城氏が圧勝。今年2月の県民投票では辺野古埋め立て「反対」が72・2%に上った。
(3)だが安倍政権は昨年末、辺野古埋め立ての土砂投入に踏み切った。安全保障政策は国の専権事項だとしても、沖縄の主権者の声を無視し不利益を押し付けるのは、まっとうな民主主義と言えるのか。
(4)全国の憲法学者の有志は今年1月、声明を発表し、辺野古移設の強行は「基本的人権の尊重や平和主義、民主主義、地方自治という憲法の重要な原理を侵害、空洞化するものだ」と指摘した。


 さらに、「宮日」は、「背景にあるのが、米兵犯罪に対する米側の優先的な裁判権や米軍機への航空法の適用除外などを定めた地位協定だ。」、と言い当てる。


(1)県によると、復帰から昨年末までに米軍人らによる刑法犯罪は約6千件、航空機関連事故は786件も起きている。
(2)沖縄県は今年4月、ドイツやイタリアなど欧州4カ国が結ぶ地位協定の現状を調査した報告書を公表した。それによると、いずれの国も駐留米軍に自国の国内法を適用していた。日米地位協定との違いは明確だ。


 だからこそ、「宮日は、「地位協定は沖縄だけの問題ではない。全国知事会も昨年7月、地位協定の抜本的見直しを政府に提言した。政府はこれまで運用の見直しなどで対応してきたが不十分だ。抜本的な改定が必要だ。」、と断じる。


 どうやら、どうしようもなく頭の固いのは、日本政府のようではある。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-23 08:00 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄の日本復帰47年。それは、日本国憲法に関わる問題。(3)

 沖縄から受け取ることは、沖縄には日本国憲法が適用されなかったということである。
 それは、日本という国が沖縄に、日本国憲法の代わりに「日米安全保障条約-日米地位協定-『運用』や『密約』」という構図(「0.6%に70.03%」)を押しつけてきた歴史に端的に表されている。
2019年5月15日、沖縄は、日本に復帰して47年目を迎えた。
日本という国は、このことをどのように捉えることができているのか。
5月18日までに把握できた各紙の社説・論説でこのことをみてみた。
例えば、東京新聞(以下、「東京」)は2019年5月13日に、「沖縄復帰47年 真に憲法の仲間として」、と社説で論評した。
ただ、 この「真に憲法の仲間として」との表現はどのような意味を持つものなのかについて考えさせられた。
 このことについて、「東京」の社説で考える。
まず、「東京」は次のように沖縄を描写する。


(1)沖縄県読谷村(よみたんそん)。太平洋戦争末期、米軍が沖縄本島で最初に上陸した村の役場前に高さ三メートルほどのコンクリート柱が立っている。憲法九条の碑。『日本國(こく)民は正義と秩序を基調とする國際平和を…』。旧字体で条文を刻んだ金属板が埋め込まれ、柱の上には植物の萌芽(ほうが)のごとく九条の精神が世界に満ちるように、との願いを込めた彫刻が掲げられている。」
(2)建立は戦後五十年に当たる一九九五年。「沖縄の人々にとって日本国憲法は輝かしい命そのものだった。人間が大事にされ、戦争をしない国になるという希望を与えてくれた。戦後の米国統治下の沖縄の復帰運動は、日本国憲法の下への復帰を目指すものでもありました」。当時読谷村長だった山内徳信(とくしん)さん(84)=元社民党参院議員=は、建立の背景を振り返る。
(3)五二年発効のサンフランシスコ講和条約で、沖縄は正式に米国の施政権下に置かれた。米側は沖縄に日本の「潜在主権」を残すことは認めたが、日本側は六五年、政府統一見解日本国憲法の「適用はない」と宣言した。
(4)沖縄には米国憲法も適用されない。軍人の高等弁務官を頂点とする米国民政府が軍事的必要性を最優先に行政、立法、司法上の権力を行使。基地拡大のための土地の強制収用をはじめ政治家の弾圧、表現の自由の規制、事件事故を起こした米兵の無罪放免-などが繰り返された。
(5)人々が、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義を基本原理とする憲法下での生活を求めたのは言うまでもない。山内さんによると、若者たちは鉛筆で条文を書き写しながらその日を夢見ていた。


 続いて、「東京」は、「沖縄は十五日、本土復帰四十七年を迎える。しかし、沖縄の人権や自治は今なお、日本国憲法の外にある状況ではないか。復帰の意味を問い直すときだ。」、と沖縄の現状を指摘する。


(1)七二年五月、沖縄の復帰は実現する。しかし「日本国憲法への復帰」は決してかなえられたとはいえない。悲運の発端は、広大な基地の継続・維持が盛り込まれた日米間の沖縄返還協定である。返還交渉中、日本政府は基地の扱いについて「核抜き本土並み」と表明し縮小に期待を持たせたものの、復帰前に沖縄本島面積の20%を占めた米軍基地は今なお14・6%と取り組みは進んでいない。
(2)基地は復帰まで、共産圏をにらむ最前線として最大約千三百発もの核が配備され、ベトナム戦争の出撃拠点となった。冷戦終結後も湾岸戦争、イラク戦争などに空軍や海兵隊を送り出してきた。
(3)日本は戦後一度も他国と戦火を交えていないのに、沖縄は米国の戦争と隣り合わせの状態に置かれ米軍機の事故や米兵、米軍属による事件が繰り返される。在日米軍の特権を定め、翁長雄志(おながたけし)前沖縄県知事が「憲法の上にある」と嘆いた日米地位協定もそのままだ。
(4)沖縄県や県警のまとめでは、復帰後二〇一七年末までに、県内で発生した米軍航空機関連の事故は七百三十八件(うち墜落は四十七件)、米軍人などによる刑法犯罪は五千九百六十七件(うち凶悪事件は五百八十件)。生命、生活、財産が脅かされる日常は法の下の平等に大きく反する。
(5)その上で、名護市辺野古で進められる新基地建設に県民が重ねて反対の意思を示すのは、当然すぎる行動だ。政府は米軍普天間飛行場の移設・返還のためというが新基地完成のめどは立っていない。その矛盾をどう解消するのか。新基地建設を巡ってはことし一月、国内の主な憲法研究者の約四分の一に当たる百三十一人が連名で「憲法の重要原理を侵害、空洞化する」との声明を発表した。解決には「何よりもまず沖縄の人々の人権問題」を考え工事を即時中止すべきだとする。
(6)「民主主義や地方自治の在り方が問われている点で、日本国民全体の問題」ととらえようとの提起は極めて重要だ。沖縄の地元紙琉球新報が、本土復帰に関して五年ごとに行っている県民世論調査がある。復帰して「とても良かった」「どちらかと言えば良かった」との回答の合計は、復帰から三十五年の〇七年には82・3%だった。四十周年の一二年にはちょうど80%。さらに五年後の一七年には75・5%と幅を広げながら低下している。一方、同紙の別の県民意識調査では、今後の沖縄の立場について自治州や連邦制への移行、または「独立」を望む声が一一~一六年の五年間に二割から三割超に急増した。「自己決定権」の希求。裏を返せば、復帰の本意をかなえないままの「日本」不信の表れだ。


 最後に、「東京」は、「沖縄を真に憲法の下の仲間とする-。中央の政治はもちろん本土側の国民も、あらためて当たり前のことを行いたい。」、とまとめる。


 「東京」の指摘する「真に憲法の仲間として」との意味は、「東京」が沖縄の現状を言い当て、「中央の政治はもちろん本土側の国民」の責任を問うものであることを示すものであった。
 それは、「あらためて当たり前のことを行いたい。」との決意とともに。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-22 05:41 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄の日本復帰47年。それは、日本国憲法に関わる問題。(2)

 沖縄から受け取ることは、沖縄には日本国憲法が適用されなかったということである。
 それは、日本という国が沖縄に、日本国憲法の代わりに「日米安全保障条約-日米地位協定-『運用』や『密約』」という構図(「0.6%に70.03%」)を押しつけてきた歴史に端的に表されている。
2019年5月15日、沖縄は、日本に復帰して47年目を迎えた。
日本という国は、このことをどのように捉えることができているのか。
5月18日までに把握できた各紙の社説・論説でこのことをみてみた。
例えば、朝日新聞(以下、「朝日」)は2019年5月15日に、「沖縄復帰47年 憲法との間の深い溝」と社説で論評した。

この「憲法との間の深い溝」とは、どういうものなのかを「朝日」の社説で考える。

「朝日」は、沖縄の現実から、「沖縄が日本に復帰して、きょうで47年になる。だが、本当に『復帰した』と言えるのか。沖縄の現実はそんな問いを突きつける。」、と日本全体に投げかける。また、「米軍施政下にあった沖縄の人々が希求した復帰とは、日本国憲法の下にある社会でくらすことだった。当時の屋良朝苗知事は式典で『取り残されてきた歴史に終止符を打つ』と、未来への希望を語った。しかし……。憲法がかかげる平和主義、基本的人権の尊重、地方自治の保障。そうした理念や原則から、いまなお取り残されているのが実態ではないか。」、とも。
「朝日」は、その沖縄の現実を次のように指摘する。


(1)国土面積に占める割合が0・6%の沖縄に、米軍専用施設の70%が集中する。その比率は復帰前よりむしろ高くなり、米軍絡みの事件事故は絶えない。
(2)普天間飛行場周辺での騒音発生回数は、18年度で1万1404回。前年度より13%増えた。嘉手納基地周辺では減ったが、滑走路の改修工事が始まったためとみられ、14~17年度はいずれも2万回を大きく超えている。夜間早朝の飛行制限協定は名ばかりで、18年度の離着陸回数は普天間で618回(前年度比49増)、嘉手納では1546回(同21増)を数えた。
(3)航空機騒音に詳しい松井利仁北大教授の推計によると、嘉手納周辺の住民1万7千人が睡眠を妨げられ、年に10人が心臓疾患で死亡しているという。
(4)嘉手納町は今年度、住民に聞き取りをして健康被害などを調べる。かねて政府に調査を求めてきたが応じないため、独自に取り組むことにした。


 「朝日」は、「国政の権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する――。憲法前文のこの一節を、政府・与党の幹部は読み直す必要がある。」、とまさしく「憲法との間の深い溝」について、次のように押さえる。


(1)「沖縄に寄り添う」と繰り返し、負担軽減を約束しながら、現実を見ることを拒む。国民の生命・身体を守るべき政府がとる態度とは到底言えまい。最近は「寄り添う」という言葉を使うことすらしなくなった。
(2)知事選や国政選挙、ことし2月に全県で実施された県民投票などを通じて、幾度となく示されてきた沖縄の思いは一顧だにされず、きのうも辺野古での埋め立て作業は進められた。玉城デニー知事は「民意を無視して工事を強行することは、民主主義を踏みにじり、地方自治を破壊する」と訴え、これが許されるなら「他の自治体でも同様のことが起こりかねない」と警鐘を鳴らす。

 
 この上で、「朝日」は、沖縄が異議を唱えざるを得ない「憲法との間の深い溝」の解消に向けて、「沖縄への無関心、不作為は、この国に何をもたらすのか。そんな想像力と問題意識をもって、沖縄の過去、そして現在に目を凝らし続けたい。」、との決意をあわせて表明する。



by asyagi-df-2014 | 2019-05-21 05:19 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄の日本復帰47年。それは、日本国憲法に関わる問題。(1)

 沖縄から受け取ることは、沖縄には日本国憲法が適用されなかったということである。
 それは、日本という国が沖縄に、日本国憲法の代わりに「日米安全保障条約-日米地位協定-『運用』や『密約』」という構図(「0.6%に70.03%」)を押しつけてきた歴史に端的に表されている。
2019年5月15日、沖縄は、日本に復帰して47年目を迎えた。
日本という国は、このことをどのように捉えることができているのか。
5月18日までに把握できた各紙の社説・論説でこのことをみてみる。
 まず、各紙の社説・論説の見出しは、次のようになっている。


(1)朝日新聞社説-沖縄復帰47年 憲法との間の深い溝-2019年5月15日
(2)毎日新聞社説-沖縄と日米地位協定 国は不平等の現実直視を-2019年5月15日
(3)沖縄タイムス社説-[復帰50年に向けて]振興の在り方再考せよ-2019年5月15日
(4)琉球新報社説-日本復帰47年 国民主権機能しているか-2019年5月15日
(5)宮崎日日新聞社説-沖縄本土復帰47年-2019年5月18日
(6)東京新聞社説-沖縄復帰47年 真に憲法の仲間として-2019年5月13日
(7)南日本新聞社説-[沖縄復帰47年] 民意の無視は許されぬ-2019年5月15日
(8)佐賀新聞論説-沖縄復帰47年/憲法が侵されている-2019年5月16日
(9)岩手日報論説-沖縄復帰47年-2019年5月17日
(10)産経新聞主張-沖縄復帰47年 抑止力と負担軽減両立を-2019年5月16日


 この10社のうち、4社が見出しに、「憲法との間の深い溝」「国民主権機能しているか」「真に憲法の仲間として」「憲法が侵されている」、とこの問題が日本国憲法に関わることを明示している。
ただ、産経は、「令和の時代にあっても、沖縄の歩んできた苦難の歴史を忘れることはできない。」「本土復帰後も今にいたるまで、大きな米軍基地負担をしてきたことは紛れもない事実である。」との認識のものに、「県が、安全保障政策を専権事項とする政府に対して、米軍基地負担の軽減を求めること自体は当然である。政府は負担軽減に努めなければならない。」、とまとめてはいるが、「抑止力」との表現でこの問題を抑える安易さは、いつも通りである。
また、当然のことではあるが、琉球新報と沖縄タイムスは、沖縄の未来に関わって、「振興の在り方再考せよ」(沖縄タイムス)と具体的な「振興策」に触れている。

 各新聞社の主張について、別項で見てみる。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-20 18:16 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

安倍晋三政権を批判し続けること。

 琉球新報(以下、「新報」)は2019年5月8日、「安倍首相の改憲姿勢 憲法軽視の弊害もたらす」、と社説で批判した。
 何と当たり前のことを、と笑ってはいけない。
間違っていることを指摘続けることの大変さと意義を、沖縄の闘いから学んできているから。
 安倍晋三首相の薄ら笑いが耐えがたいとしても。
今回の「新報」の指摘は次のものである。


(1)安倍晋三首相は3日に公開したビデオメッセージで、憲法9条への自衛隊明記を軸とした改憲に意欲を示し、2020年施行の目標も堅持していると明言した。しかし、国民の中に改憲を求める声は高まっていない。改憲自体が目的になった政権と与党自民党の、乱暴な手続きや発言が目に付くだけだ。
(2)自民党は18年3月に(1)9条への自衛隊明記(2)緊急事態条項の新設(3)参院選「合区」解消(4)教育無償化・充実強化―の改憲4項目をまとめた。      (3)このうち参院選の合区解消は、二つの県にまたがって一つの選挙区とする「合区」を改めるものだが、選挙制度の議論であり憲法のテーマとして唐突感が否めない。合区の解消は1票の格差を是認するものだ。国民の権利に関わる重大な問題であるにもかかわらず議論が不足している。
(4)教育の充実強化については憲法ではなく教育基本法など関連法で十分に対応が可能な内容だ。
(5)自衛隊を憲法9条に明記することと、緊急時に国民の権利を制限できる「緊急事態条項」を憲法に加えることにこそ真の狙いがある。聞こえのいい教育無償化を付け焼き刃で盛り込み、安倍首相が悲願とする改憲のハードルを下げる思惑ばかりがちらつく。


 「新報」の指摘、批判は続く。


(1)自民党の萩生田光一幹事長代行は4月にインターネットテレビ番組に出演した際、今通常国会で一度も開催されていない衆参両院憲法審査会の運営を巡り「新しい時代(令和)になったら、少しワイルドな憲法審査を進めていかないといけない」と発言した。野党の批判で陳謝に追い込まれたが、改正憲法施行に躍起な自民党の本音が表れている。
(2)それまでの自民党の改憲草案は「自衛軍」の創設や、前文に「国や社会を自ら守る責務」をうたうなど、公益重視の内容だった。国家権力を縛るべき憲法を、国民の権利を制限する方向へと変えていこうというのが首相や自民党が本来持っている憲法観だ。共同通信が2~3月に実施した世論調査によると安倍政権下での改憲には反対が54%で、賛成42%を上回った。国民に理解が深まっているとは言えず、それ自体が目的化した改憲の怪しさを国民は見透かしている。


 最後に、「新報」は、日本の現状に警告する中で、次のようにまとめる。


「14年6月にさいたま市で、憲法9条を守ろうというデモを題材にした俳句が、『公平性、中立性を害する』との理由で公民館だよりへの掲載を拒否された。作者への賠償を市に命じる判決が昨年12月に確定した。憲法を尊重する義務のある公務員が、憲法を守ろうという内容の表現に「政治的」とレッテルを貼り、排除することは異常というほかない。安倍政権の改憲姿勢が憲法軽視の風潮を生んでいるのではないか。政権がもたらした弊害と言っていい。安倍首相は国民の理解が得られない改憲は直ちに断念すべきだ。」


 確かに、安倍晋三政権は、改憲は直ちに断念しなければならない。



by asyagi-df-2014 | 2019-05-17 07:05 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

日本国憲法を手に取ってみる。(4)

2019年5月3日、毎日新聞(以下、「毎日」)は、「令和の憲法記念日に 国会の復権に取り組もう」、と社説で論評した。
やはり、日本国憲法をめぐる状況は危機的なものであるに違いない。朝日新聞に続いて「毎日」もまた安倍晋三政権を批判せざるを得ないところまで来ている。
 「毎日」は、次のように指摘する。


「憲法は国の背骨と言われる。日本国憲法が施行から72年の時を刻み、姿を変えずに令和の時代へとたどり着いたのは、基本的によくできた憲法であるからだろう。ただし、憲法典そのものが修正なしの長寿を保っているからといって、現実の国家運営が健全だということにはならない。大事なのはむろん現実の姿だ。国民の代表が集う国会は、絶えず憲法について論じ、その価値体系に磨きをかける努力が求められる。安倍晋三首相が政権に復帰して6年半になる。歴代で最も改憲志向の強い首相は『改憲勢力』の拡張に執念を燃やし、選挙でそれなりに勝利してきた。それでも衆参両院の憲法審査会は停滞したままだ。」

 「毎日」は、「なぜだろうか。」、と重ねる。


(1)野党の硬直的な態度が一因であることは確かだろう。しかし、本質的な原因は物事の筋道を軽んじる首相の姿勢にあるのではないか。
(2)ちょうど2年前、安倍首相は改憲派集会向けのビデオで憲法9条への自衛隊明記案を打ち上げ、「東京五輪のある2020年に新憲法施行を」と期限まで付けた。
(3)いずれも自民党内での議論を積み上げたものではない。国会で真意をただした野党議員には「(インタビューを掲載した)読売新聞を熟読してもらいたい」と言い放った。(4)昨秋、党総裁3選を果たすと、憲法に関わる国会や党の要職を側近で固め、与野党協調派を排除した。今年2月の党大会では、憲法が自衛隊を明記していないから自治体が自衛官募集に協力しないと、言い掛かりのようなことまで言っている。
(5)首相の軌跡をたどると、やはり幾つもの無理が積み重なっている。


 「毎日」は、「無理を積み重ねた首相」、と具体例をさらに積み重ねる。


(1)国内最強の実力組織である自衛隊を憲法上どう位置づけるべきか。その問題提起は間違っていない。ただ、日本の防衛政策は憲法9条と日米安全保障条約のセットで成り立っている。9条に自衛隊と書けば、自衛官は誇りを持てるといった情緒論に矮小化すべきではない。
(2)ましてや9条改正で日本の抑止力が増すかのような右派の主張は、少子化対策と憲法に書けば人口減が止まると言っているようなものだ。
(3)だから9条の見直し議論は、日米安保体制や、不平等な日米地位協定の改定を含めてなされるべきだ。その作業を避ける限り、政権として「戦後レジームからの脱却」をうたいながら、沖縄には過酷な戦後レジームを押しつけるいびつさが続く。
(4)今、憲法をめぐって手当てが必要なのは、9条の問題よりもむしろ、国会の著しい機能低下だろう。その最たるものは首相権力に対する統制力の乏しさだ。議院内閣制にあって、国会はあらゆる政治権力の源泉である。国会の多数派が首相を選び、首相は内閣を組織して行政権を行使する。ところが、「安倍1強」が常態化してくるにつれ、内閣は生みの親に対してさほど敬意を払おうとしなくなった。親にあれこれと指図する場面さえも目立ってきた。
(5)昨年の通常国会では森友学園をめぐって財務官僚による公文書改ざんが発覚した。行政府が国会を欺くという前代未聞の事態なのに、国会による真相究明はまったくの尻すぼみで終わった。首相が麻生太郎財務相を更迭することもなかった。
(6)国会の最も重要な役割は、社会一般のルールとして法律を制定することだ。多くの国民の利害にかかわるため、法案の妥当性は多方面から注意深く吟味されなければならない。それには正確な情報が要る。
(7)しかし昨秋、外国人労働者の受け入れ拡大に向けて政府が提出した入管法改正案は、新制度の具体的な内容をことごとく法務省令に委ねる立法府軽視の形式になっていた。


 施行72年目の日に、「毎日」は次のようにまとめる。


(1)憲法の基本思想は権力の分立による「抑制と均衡」だ。立法府が行政府に必要な統制力を働かせて初めて健全な憲法秩序が生まれる。
(2)平成期を通した一連の政治改革で首相権力が飛躍的に拡大したのに、国会の行政監視機能は貧弱なままに留め置かれた。ここに国政の構造的な問題があるのは明らかだろう。(3)平成の目標が首相官邸機能の強化だったなら、令和の目標は国会の復権であるべきだ。国政調査権の発動要件に、西欧のような野党配慮を盛り込むだけでも国会は変わる。(4)国会と政府の均衡を取り戻すことが、生産的な憲法対話の近道だ。
.


 確かに、「憲法の基本思想は権力の分立による「抑制と均衡」だ。立法府が行政府に必要な統制力を働かせて初めて健全な憲法秩序が生まれる。」(「毎日」)、であることに違いない。



by asyagi-df-2014 | 2019-05-14 07:08 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

日本国憲法を手に取ってみる。(3)

2019年5月3日、朝日新聞は(以下、「朝日」)は「AI時代の憲法 いま論ずべきは何なのか」、と社説で論評した。
今回は、AI時代とは何なのかというちょっとした違和感の中から、施行72年目の日本国憲法を見る。
「朝日」は、「AI(人工知能)が日本国憲法の前に立ちはだかる――。」、と始める。
「朝日」のAI時代の憲法への指摘-揺らぐ「個人の尊重」-は、次のものである。


(1)SFの世界の話ではない。学界や経済界では、現実に起こりうる課題として真剣な議論が交わされている。一部では、もはや人ごととは言えない状況がすでに生まれつつあるといってもいい。
(2)「AIによる人間の仕分けが、差別や深刻な排除を生む可能性があります」
(3)憲法学が専門で、昨年夏、さまざまな分野の専門家とともに『AIと憲法』を出版した山本龍彦慶応大教授はそう語る。
(4)懸念されるのは、たとえばこんな事態だ。
(5)企業の採用や人事、金融機関の融資の審査といった場面で、さまざまな個人情報に基づいてAIが人間に点数をつける。いったんAIからだめ出しをされると、その理由の説明もないまま、否定的な評価が知らぬ間に社会で共有され、ずっとついて回る。まさに、「個人の尊重」(13条)や「法の下の平等」(14条)という日本国憲法の基本的な原理に関わる問題だ。
(6)山本氏はAI自体に否定的なわけではない。経済合理性や効率性の追求に目を奪われるのではなく、「憲法と調和的なAI社会」の実現が必要だという。
(7)「激変する社会における新しい憲法論」。経済同友会の憲法問題委員会が先月、公表した報告書の一章だ。
(8)個人の購買履歴やウェブサイトの閲覧履歴などから、その人の趣味嗜好(しこう)、健康状態までAIに予測させるプロファイリングは、個人の尊厳やプライバシーを侵害しないか。
(9)選挙において、SNSを使って有権者を特定の投票行動に心理的に誘導する手法は、国民主権の原理を根底から揺るがす危険がないか。


 どうやら、「朝日」の「AI(人工知能)が日本国憲法の前に立ちはだかる――。」との意味は、「AIやビッグデータの活用など急速に進む技術革新が、私たちの生活を豊かにする一方で、人権や民主主義を脅かしかねないと警鐘を鳴らした。」、ということになる。
 確かに、この指摘は、よくわかる。
 さて、「朝日」は、一方、「時代の変化に応じて、憲法が定める普遍的な原理をどのように守っていくのか。徹底した議論の先に、あるいは憲法の条文を見直した方がよいという結論に至る可能性もあろう。しかし、今の安倍政権の憲法論議は、そうした真摯なアプローチとは全く逆の姿に見える。」、と明確にし、「改憲ありきのひずみ」と批判を次のように加える。


(1)3月半ば、神奈川県横須賀市の防衛大学校の卒業式。訓示の終盤で安倍首相は、司法が唯一、自衛隊を違憲とした1973年の札幌地裁の「長沼ナイキ訴訟」判決を取り上げた。会場には、判決当時、防大で学んでいた卒業生もいた。「皆さんも、心ない批判にさらされたかもしれません」。首相はそう語ったうえで「自衛隊の諸君が強い誇りをもって職務をまっとうできるよう環境を整えるため、全力を尽くす決意です」と、9条改正に意欲を示した。
(2)首相は2年前のきょう、9条への自衛隊明記を打ち出し、2020年を新憲法施行の年にしたいと表明した。しかし、この改憲で自衛隊の役割や位置づけは何も変わらないという。一方で、改正が必要な根拠については時々で力点が変わっている。
(3)憲法学者の多くが自衛隊を違憲といい、教科書にも「違憲」と書かれている。自衛官の子どもが肩身の狭い思いをしている……。今年に入ってからは唐突に、自衛官募集に自治体の協力が得られないことを理由に挙げだした。
(3)正確な事実を踏まえず、自衛隊が国民の間にすっかり定着している現実をも無視した首相の主張は、「改憲ありき」のご都合主義にしか映らない。


 「朝日」は、現状への分析のあり方や現状への批判に加えて、「主権者こそが考える」と72年目を迎えた日本国憲法の今の意味をこの様に位置づける。


(1)昨年のきょうの社説は、森友・加計問題などで国の統治の根幹がないがしろにされる中、安倍政権が「憲法改正を進める土台は崩れた」と書いた。それから1年。森友・加計問題の解明はたなざらしのうえ、国の政策立案の基礎となる統計の不正も明るみに出た。政治や行政への信頼回復は道半ばであり、土台は崩れたまま、と言わざるを得ない。
(2)憲法に照らして、いま考えなければいけないテーマは、AI以外にもさまざまある。
(3)非正規の増加などで貧困が広がる中、憲法25条が国民の権利とした「健康で文化的な最低限度の生活」をどう描くのか。
(4)人口減少が進み、外国人労働者がますます増える「多民社会」の下、外国人の基本的人権をどう守るのか。
(5)「安倍1強」が極まり、首相官邸の「下請け機関」化したとも形容される国会の機能の立て直しや、時の首相による乱用を防ぐための衆院の解散権のあり方など、統治機構をめぐる議論も活性化させたい。


 この上で、「朝日」は、「憲法に縛られる側の権力者が、自らの思い入れで、上から旗をふる改憲は、社会に亀裂をもたらし、憲法の価値をかえって損なう恐れもある。豊かな憲法論議は、主権者である国民が主導するものであるべきだ。」、と断じる。


 確かに、本来「憲法に縛られる側の権力者が、自らの思い入れで、上から旗をふる改憲」(「朝日」)は、社会に亀裂をもたらし、憲法の価値をかえって損なうことは、間違いない。



by asyagi-df-2014 | 2019-05-13 06:48 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

日本国憲法を手に取ってみる。(2)

2019年5月3日、琉球新報(以下、「新報」)は、「憲法施行72年 令和の時代も守り続けて」、と社説で論評した。
今回も、施行72年の日本国憲法を、日本国憲法が適用されなかった沖縄から見る。
「新報」は、「2020年の改正憲法施行を唱える安倍晋三首相の下で憲法は危機を迎えている。辺野古新基地建設のため昨年12月に政府が強行した土砂投入にこそ、人権よりも国家や軍事を優先する安倍改憲の本質が表れている。民主主義をないがしろにする政権の暴走を止めなくてはならない。」、と琉球新報社としての見解をまず最初に明示する。
 「新報」の指摘は、次のものである。


(1)天皇の代替わりの中で、日本国憲法は施行から72年を迎えた。新しい時代も平和が続くことを願う国民の期待を踏まえると、今年ほど憲法の持つ意義と価値を見つめ直す機会もないだろう。
(2)平成の30年余は、現憲法の下で即位した象徴としての天皇が、一つの元号を全うする初めての時代になった。
(3)上皇さまは1989年の即位に当たり「憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓う」と語り、在位中で最後の昨年12月の誕生日記者会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵(あんど)している」と胸の内を明かした。
(4)憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と、憲法の尊重擁護の義務を定める。先の大戦の反省に立ち、権力者が暴走して国家を思うままに操ることがないよう、法によって国家権力を縛る「立憲主義」を規定した条文だ。憲法の擁護者としての上皇さまの姿勢は単に個人の心掛けではなく、憲法により主権者となったわれわれ国民との最も重要な約束事だった。


 ここから、「新報」は安倍晋三政権への批判に移る。


(1)ところが内閣の長として同じく憲法尊重義務を負う安倍首相は、ことあるごとに改憲への意欲を語ってはばからない。2017年の憲法記念日には憲法9条に自衛隊を明記することを柱に「20年の改正憲法施行」の号令をかけ、自民党は改憲4項目の条文案をまとめた。
(2)集団的自衛権を認めていない憲法解釈をねじ曲げて安全保障法制を成立させ、自衛隊による米軍支援の領域を地球規模に拡大した。憲法を無視して現実を変更しておきながら、「現実に即した」憲法にすると改憲を正当化する論法は詭弁(きべん)と言うほかない。
(3)辺野古埋め立て反対の明確な意思を示した県民投票を顧みず、「辺野古が唯一」と開き直る政府の姿勢は憲法が保障する基本的人権を侵害するものだ。民主的な手続きを無視し、日米同盟の名の下に軍事強化を押し付ける。これで法治国家と呼べるのか。
(4)自衛隊明記の改憲がなされれば、戦力不保持を定めた9条は空文化する。南西諸島への配備が進められる自衛隊の存在は周辺地域との緊張を高め、沖縄の島々が再び戦禍に巻き込まれる危険がある。


 この上で、「新報」は、「令和も戦争がない時代にするためには、国家権力を制約する平和憲法を守り続けていくことが不可欠だ。首相は憲法尊重擁護の義務を踏まえ、辺野古の埋め立て工事を直ちに断念すべきだ。」、と断じる。


 今回の「新報」の見解は、施行72年目を迎えた日本国憲法と沖縄という「構図」から分析はされなかった。
 ただ、「自衛隊明記の改憲がなされれば、戦力不保持を定めた9条は空文化する。南西諸島への配備が進められる自衛隊の存在は周辺地域との緊張を高め、沖縄の島々が再び戦禍に巻き込まれる危険がある。」、との指摘は、まさしく、安倍晋三政権の狙いそのものである。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-12 07:37 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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