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年金の財政検証から考える。(1)

 年金制度は、人の命に関わる国作りの基本政策である。
 持続可能な社会の実現のために、非常に大きなインパクトを持つ。
 そんな中、安倍晋三政権は2019年8月27日、年金の財政検証を公表した。
 このことについて、朝日新聞は2019年8月28日、「鬼門の年金検証、3カ月遅れの公表 野党『選挙対策だ』」、と次のように報じた。


(1)政府は27日、前回より約3カ月遅れで年金の財政検証を公表した。参院選での争点化を意図的に避けたとみる野党は批判を強め、早期の国会審議を求める。年金問題は安倍晋三首相の「鬼門」とされているだけに、秋の臨時国会では大きなテーマとなりそうだ。
(2)財政検証の公表を受け、立憲民主党など野党は27日、財政検証に関する合同ヒアリングを国会内で開いた。立憲の長妻昭・元厚生労働相は出席後、「機械的にオプション試算なんてすぐできる。間違いなく選挙対策で遅らせたと認定できる」と指摘。「生身の人間がもらっているお金の話。(年金は)老後の命綱だ」として、閉会中審査や臨時国会の早期開会を求めた。国民民主党の玉木雄一郎代表も同日、訪問先の福岡市で「参院選の前に出せるものを3カ月も遅らせた。大事なことは隠そうという政権の体質が表れている」とし、財政検証をめぐる安倍政権の対応を批判。「国民の大きな関心事で、国会の中でしっかり議論したい」と述べた。野党が攻勢を強めるのは、年金問題を政権の弱点とみているからだ。
(3)第1次安倍政権下の2007年、年金記録のずさんな管理問題が国会の焦点となり、「ミスター年金」と呼ばれた長妻氏らが追及を強め、自民党は同年の参院選で大敗。首相退陣とその後の政権交代につながった。今年7月の参院選を前には老後の生活費が「2千万円不足する」と指摘した金融庁審議会の報告書の受け取りを麻生太郎金融相が拒み、年金に対する国民の不安が高まった。
(4)野党の求めに対し、自民党の国会対策委員会幹部は「議論するなら臨時国会が開いてからすればいい」と、早期の国会審議要求には応じない構えだ。別の自民党国対幹部も「『首相の外交日程が詰まっている』と言ってスルー(無視)すればいい」。政権の鬼門である年金問題の議論に時間を費やしたくないとの思いがにじむ。だが、年金問題は「全世代型社会保障改革」を掲げる安倍政権の優先課題の一つで、議論を避けることはできない。安倍首相は26日、訪問先の仏南西部ビアリッツでの記者会見で「(消費税は)社会保障を全世代型に転換していく上において必要な財源だ。国の信頼を守るためにも必要と考える」と強調し、10月に消費税率を10%に引き上げることを改めて明言した。政府は秋以降に社会保障制度改革の議論を本格化させる方針で、与野党の攻防は激しくなりそうだ。」                         (及川綾子、寺本大蔵)


 さて、今回の年金の財政検証について、8月27日から8月29日までの各新聞は、どのように評価しているのか、
 各新聞の社説・論説等の見出しは次のようになっている。


(1)琉球新報社説-年金財政検証 問題の先送り許されない-2019年8月29日
(2)京都新聞社説-年金財政検証  厳しい見通し直視せよ-2019年8月28日
(3)沖縄タイムス-[年金の財政検証]低給付世帯の対策急務-2019年8月28日
(4)朝日新聞社説-年金財政検証 不安に応える改革を-2019年8月28日
(5)毎日新聞社説-年金財政の検証 見通しに甘さはないのか-毎日新聞2019年8月28日
(6)東京新聞社説-年金制度の将来 安心の底上げを図れ-2019年8月28日
(7)日本経済新聞社説- 年金再改革を政治に迫る財政検証-2019年8月27日
(8)河北新報社説- 年金の財政検証/老後の不安解消には程遠い-2019年8月29日
(9)秋田魁新報社説-年金の財政検証 将来見据え議論加速を-2019年8月29日
(10)岩手日報論説-年金の財政検証 将来見据え議論加速を-2019年8月29日
(11)信濃毎日新聞社説-年金財政検証 厳しさ直視して改革を-2019年8月29日
(12)福井新聞論悦-老後の不安募るばかりだ-2019年8月29日
(13) 神戸新聞社説-年金財政検証/制度改革に踏み出さねば-2019年8月29日
(14)中国新聞社説-年金財政検証 多様化映すモデル示せ-2019年8月29日
(15)山陰中央新報論説-年金財政検証/少子高齢化の現実直視を-2019年8月29日
(16)高知新聞社説-【年金財政検証】不安解消する制度改革を-2019年8月29日
(17)南日本新聞社説- [年金財政検証] 低額受給者の対策急げ-2019年8月9日


 この17社だけでも、その論調の特徴は、問題点の指摘と制度改革の必要性を指摘、批判するものばかりである。
 「不安に応える改革を」「問題の先送り許されない」「厳しい見通し直視せよ」「低給付世帯の対策急務」「安心の底上げを図れ」「老後の不安解消には程遠い」「老後の不安募るばかりだ」「少子高齢化の現実直視を」と並べるだけで理解できるし、それは、「年金再改革を政治に迫る財政検証」「将来見据え議論加速を」「厳しさ直視して改革を」「制度改革に踏み出さねば」「不安解消する制度改革を」「多様化映すモデル示せ」、と制度改革そのものを要求したものになっている。
 つまり、安倍晋三政権の年金政策は、持続可能な名社会を担保するものにはなっていないということである。


 ここでは、日本経済新聞の社説「年金再改革を政治に迫る財政検証」(2019年8月27日)を取りあげる。
日本経済新聞は、「厚生労働省が年金財政の検証結果を、同相の諮問機関である社会保障審議会年金部会に提出した。厚生年金・国民年金の財政健全度を今後100年の超長期にわたって推計し、若い世代に将来像を示す重要な作業だ。結果からは、基礎年金の最低保障機能の強化や、低成長が続くなかでも年金の実質価値を毎年下げるルールへの改定など、一段の制度改革の必要性が読み取れる。」、と指摘している。
 ここでは、改めて、年金財政の検証とは、「厚生年金・国民年金の財政健全度を今後100年の超長期にわたって推計し、若い世代に将来像を示す重要な作業だ。」(日本経済新聞)、ということであることが確認できる。
 また、日本経済新聞は、破局のシナリオと政策の変換について、具体的に指摘する。


1.破局のシナリオ
(1)厚労省が年金の定期健診と呼ぶ財政検証は、2004年の年金改革法によって原則5年に1度の実施が義務づけられている。09年、14年に続く3度目の検証で浮かんだのは、若い世代にとって十分な年金が確保できない恐れだ。同省は「夫が会社員、妻が専業主婦だった高齢夫婦」をモデル世帯としている。年金の支給水準を表す指標は、男性会社員の平均手取り所得に対するモデル世帯の年金額の比率を示す所得代替率を用い、経済前提は6通り用意した。
(2)このなかで賃金・物価の上昇率が低い3つのケースは、将来の所得代替率が政府目標の50%を下回る。なかでも賃金・物価の上昇率を最も低く見積もったケースは、2050年代に国民年金の積立金が枯渇し、代替率は30%台後半に急落することを確認した。破局のシナリオといってよかろう。
(3)厚労省は社保審年金部会で、賃金・物価の上昇率が高いケースを挙げ、将来も代替率50%確保は可能だと強調した。また、非正規社員の厚生年金への加入促進などによって代替率の低下に歯止めをかけられるという試算をもとに、関連法の改正案を20年の通常国会に出す意向が示された。


2.政策の変換
(1)年金部会の委員の間でも成長戦略を求める声が出た。その重要性は論をまたない。しかし不本意にも低い成長が続く場合に備え、打っておくべき手を提案するのが審議会本来の役割ではないか。
(2)最大の問題は、年金の実質価値を毎年小刻みに切り下げるマクロ経済スライドには下限があり、賃金・物価の上昇率が低いときには作用せず、しわ寄せが若い世代に集中する仕組みにある。
(3)仮に日本経済がデフレから抜け出せなくても、賃金・物価の動向にかかわらず実質価値を下げるようにルールを改定すべきだ。マクロ経済スライドには基礎年金を著しく目減りさせる副作用がある。これは、低年金の単身女性などにとって深刻な問題だ。消費税収をうまく使って基礎年金の最低保障機能を強化するなど、財源論とセットで本格的な制度改革にカジを切るときである。
(4)所得代替率の低下を緩やかにするには、基礎年金の加入期間を40年から45年に延ばすのも有効だと厚労省は説明した。日本人の長寿化に伴って高齢者の就労率は高まっている。加入期間の延長は検討課題になりうるだろう。
(5)ただしそのぶん年金を増やすなら、必要になる税財源の確保が欠かせない。安倍晋三首相は参院選前の党首討論で、税率10%後の消費増税について「例えば、今後10年間くらいは上げる必要がないと思う」と述べている。
(6)財源は天から降ってこない。増税なくして持続的に基礎年金の充実を図るのは不可能である。負担と給付に関する大枠の議論を政治が主導して始めるときだ。


 さらに、日本経済新聞は、「モデル世帯の設定のあり方」と「検証結果の公表時期」について、次のように指摘する。


(1)不安定な雇用に甘んじている就職氷河期の世代が高齢化する数十年後は、低年金者の割合がさらに上昇するのは避けがたい。最低保障の強化をめざす方向性は、参院選でほとんどの政党が公約に取り入れた。与野党共同で改革案を練るのが理想であろう。
(2)また、50%の所得代替率を確保する対象として「夫が会社員を40年、妻は一度も働きに出たことがない主婦」という高度成長期に多数派だった夫婦像をモデル世帯にするやり方は、時代にそぐわなくなりつつある。
(3)これは、誰もが現役の収入の5割の年金がもらえるという虚構を振りまく一因にもなっている。過去との比較で、モデル世帯の代替率を指標に使うのはやむを得まいが、年金の実情を若い世代に明快に説くためにも、単身や共働きなど多様化する世帯像を前提にした見せ方を工夫してほしい。
(4)前回は6月初めだったが、今回は3カ月ほど遅れた。その間には参院選があった。選挙前の公表に待ったをかける政治の圧力はなかったのか。こうした疑念が若者の年金不信を高めていることを与党政治家は自覚してほしい。


 今回の日本経済新聞の社説から、次のことを受け取る。


Ⅰ.「年金部会の委員の間でも成長戦略を求める声が出た。その重要性は論をまたない。しかし不本意にも低い成長が続く場合に備え、打っておくべき手を提案するのが審議会本来の役割ではないか。」との日本経済新聞の指摘は、審議会だけでなく政府そのものの姿勢と捉えなければならない。
Ⅱ.「財源は天から降ってこない。増税なくして持続的に基礎年金の充実を図るのは不可能である。負担と給付に関する大枠の議論を政治が主導して始めるときだ。」、とは北欧型の社会保障モデルを参考にするという前提が必要であること。。
Ⅲ.持続可能な社会を実現するために重要な年金制度の財政検証公表は、政治的に利用されてはならない。





by asyagi-df-2014 | 2019-09-05 05:52 | 持続可能な社会 | Comments(0)

「日韓関係の悪化は長期的には日本の敗北で終わる」、とは。

 Yahooニュースは2019年8月17日、古谷有希子(以下、「古谷」)(ジョージメイソン大学大学院社会学研究科博士課程)の「日韓関係の悪化は長期的には日本の敗北で終わる」、との記事を伝えた。
ちょっと気になる見出しである。
この「古谷」の記事を考えてみた。
 「古谷」は、①「韓国はなぜ対日関係を悪化させるようなことをするのか?」、②「韓国はなぜ今になって強気に出ているのか?」、③「日本の政府要人が繰り返す歴史修正主義的発言の裏にあるのは植民地主義的差別心」、との筋立てをしている。
まず、①について次のように指摘する。


(1)8月15日は日本では終戦忌念日として認識されているが、韓国では光復節、つまり独立記念日である。韓国のアイドルグループBTSのメンバーが身に着けていた光復節記念のTシャツに原爆のイメージがプリントされていたことが日本で物議を醸したのは記憶に新しい。
(2)韓国の人々にとって、日本による植民地支配というのは「歴史」ではなく、今も続く忌まわしい記憶であり、いつかまた起こるかもしれない可能性の問題でもある。
(3)いつかまた同じ屈辱を味わう羽目にならないように、過去を記憶し続け、警戒し続け、少しでも問題があると考えれば早めにその芽を潰しておく、それが韓国の人々の大日本帝国による植民地支配への基本的な態度である。
(4)日本では韓国の人々のそうした態度や社会的雰囲気は、民族主義を押し出した国ぐるみの反日教育によってなされていると考えがちだが、そもそもこうした歴史観は政府主導で生み出されたものではない。日本で「反日」と考えられている親日清算問題は、80年代以降の軍事独裁の終焉、民主主義運動、民主主義社会の醸成によって、民衆やリベラル知識人たちが真実を求める声として強まったものである。彼らは、独裁政権が「親日派」「親日行為」の問題を明らかにせず、日本に対する十分な責任追及をすることなく、国民に真実を隠した状態で植民地問題を「金で解決」したことそのものを、問題視してきた。(5)民主化以降、韓国ではNGO・NPOによる草の根市民運動が盛んになり、市民社会の発展が目覚ましい。市民社会の発展は、人権、個人の権利、女性の権利などに対する意識の高まりをもたらした。こうした市民運動の広がりは、韓国社会における植民地支配の再認識にも寄与した。一般市民に隠匿されていた歴史の真実を求めるとともに、植民地支配当時は強く認識されることの無かった事象を、ポストコロニアルな視点から再発見し「過去清算」する意識が韓国社会に根付いていった。そして、人権の回復、履行を求めて、国内外の政府、企業、団体を相手取った裁判が頻繁に起こるようになった。
(6)民主化の流れを汲んで「過去清算」を希求する新たな歴史認識の台頭は、植民地支配について「日本が悪かった」といった単純な理解から脱却し、なぜ植民地支配が起こったのか、植民地支配とはどのようなものだったのかを、政治・経済・社会・文化など様々な側面から分析し、過去を断ち切り、民主社会韓国として新たな時代を迎えようという動きでもあった。
(7)端的に言って、韓国の人々にとって、民主化前と後では国家自体が全く異なる存在なのである。
(8)それは多くの日本人が、大日本帝国と戦後の日本を全く異なる存在として認識している感覚とも似ている。あるいは、徳川幕府下の日本と明治以降の日本くらい違うと言ってもいいかもしれない。このことを理解していれば、なぜ現在の韓国政府が日韓基本条約締結以降、日韓政府の間の共通認識となってきた請求権協定に対して、それを覆すような態度を取るようになったのかも理解しやすい。
(9)喩えるなら、日米修好通商条約が現在のアメリカと日本の間では全く無効であるのと似たようなものである。国民によって選ばれ、国民を代表する政府が取り交わした条約でないものが、現在の民主国家としての韓国の人々にとって受け入れられないのも、感情としては当然といえるだろう。
(10)さらに、民主化によって新たな権利意識を持ち、植民地支配についてもより構造的な問題を扱うようになった韓国社会が、軍事独裁下で国民の多くに真実を隠す形で締結された条約に違和感を持つのも自然ななりゆきである。そして、民主主義国家である以上、社会・市民の変化が司法・行政・立法府に反映されるのも当然である。
(11)民主化運動を経て、民主主義に基づいた市民社会への歩みを進めたことで、歴史問題に対して歴史修正主義的態度を改めてこなかった日本に具体的な変化を求めるようになった結果、日本側から見れば「対日関係を悪化させる態度」を取るようになったのである。


 次に、②について次のように指摘する。


(1)一方、韓国の民主化は1980年代になされたもので、韓国政府の態度の変化によって2000年代後半から日韓関係が大きく変化するまでに20年もの時間が空いている。それまでも歴史問題で軋轢のあった日韓両国だが、それが両国関係に深刻な影響を与えるようになったのは2000年代に入ってからである。
(2)具体的には、韓国政府が個人請求権は消滅していないとの認識を示すようになったのが、2005年の廬武鉉政権下であった。韓国の態度の変化には、前述した韓国社会の民主化のほかに、1)日本の重要性の低下、2)日本の政府要人の度重なる歴史修正主義的発言・態度、という二つの側面が影響している。
(3)民主化以降の20年の間に、韓国の国際競争力の上昇と日本の国際競争力の低下、そして韓国にとっての日本の相対的重要性が低下した。
(4)植民地下の朝鮮が日本経済と強く結びつき、解放後もその影響が強く残っていたのは当然のことだが、朝鮮戦争の停戦、日本との国交回復を経て、60年代から70年代の韓国にとって、日本は貿易対象国としても、また国家の発展モデルとしても重要な存在であった。だが、韓国にとっての日本の重要性は時を経て徐々に下がっていく。1960年の貿易対象国の中では、日本は輸出の約6割を占めていたが、1975年には25%、1985年には15%、そして2005年には8%にまで下がっている。また、輸入においても日本は1960年には21%、その後70年代は30%を維持するも、80年代から90年代までに20%台に下がり、2005年には19%を切っている。(出典:吉岡英美(日韓経済関係の新展開ー2000年代の構造変化を中心に(韓国語)))
(5)また、韓国に対する外国人投資の推移においても、70年をピークに日本人(日本法人)による投資は徐々に下がり続けている。(同上)。2000年代以降は貿易相手国として中国の台頭が目覚ましく、日本の存在感はますます霞んでいった。
(6)日本の経済的重要性が低下しても、日本の政治家は一貫して歴史修正主義的な発言を繰り返してきた。侵略と植民地支配を肯定し、戦犯のまつられる靖国神社に参拝し、従軍慰安婦被害者を侮辱し、サンフランシスコ講和条約以降の国際秩序の土台を揺るがすような発言を平然と口にする政府要人が後を絶たない。いくら公式談話で謝罪を口にしても、いくら補償・賠償として金銭を提供しても、こうした発言・態度を示す政府要人(首相含め)が罰されることもない日本を信用しろと、被害国であり、被害者が生存している韓国に求める方が無理な話である。
(7)教科書問題、靖国参拝問題など、日本の政治家によって繰り返される歴史修正的な発言や態度について、当時の廬武鉉大統領は強い批判を行った。また、従軍慰安婦問題や徴用工問題などの植民地支配における問題については、人権派弁護士、草の根市民運動のバックグラウンドを持つがゆえに、人権問題としての側面からのアプローチに大きく舵を切った。
(8)現在の文在寅大統領も民主化運動、人権運動をバックグラウンドとする運動家であり、廬武鉉元大統領の側近であった。廬武鉉元大統領と同様に、人権派弁護士、民主化運動家として従軍慰安婦問題や徴用工問題を取り扱おうとしていることは明白である。しかも、歴史問題で日本との軋轢を避けるために司法に不当な介入をしたとされる朴槿恵前大統領、さらにその前の李明博元大統領と、いずれも不正によって逮捕された保守・右派の大統領の次を担うリベラル・左派大統領として、市民の期待も大きい。人権派弁護士、市民運動家というバックグラウンドを持ち、それを前面に押し出してリベラル・左派大統領として選ばれた以上、人権問題としての従軍慰安婦問題や徴用工問題において「正しい発言」「正しい態度」を取らないわけにはいかない。
(9)しかも、三権分立の制度下において、司法の決定を行政が覆すことは不可能である。
司法が個人請求権を認めた以上、政府はその決定に従うほかない。


 さらに、③について、次のように指摘する。


(1)戦後、日本の政府要人は歴史修正主義的発言や態度を繰り返してきた。韓国はそのたびに反発してきたが、2000年代以降韓国が日本に対して強気な態度を取る後押しとなっているのは明らかに、韓国にとっての日本の重要性が低下したこと、韓国自体が日本の競争相手として台頭してきたこと(もはや一人当たりGDPは3000ドル程度の僅差に迫っている)、またソフトパワーにおいては日本をしのぐ世界的な存在感を示し始めていることなどが挙げられる。
(2)日本政府はこの問題については静観しつつ、政府要人が歴史修正主義的発言や態度を行って韓国をこれ以上刺激しないように注意深く静観し続けるのが正解だったのではないだろうか。だが、繰り返される日本の政治家の歴史修正主義的発言の裏には、結局のところ植民地主義丸出しの韓国・朝鮮(韓国人・朝鮮人)に対する差別意識がある。「韓国ごとき」「日本より格下」といった意識があるからこそ、対等な相手として、無用に刺激してはならない相手としてではなく「馬鹿にしていい相手」「何してもやり返せない相手」として扱い続けてきたのである。
(3)その認識を改めない限り、日本はいつまでも韓国を相手に歴史問題で先に進むことができない。
(4)時代は移り、世界の中での韓国の地位が上がる一方で日本の地位が下がり、両国は対等に向き合うべき相手となった。たとえ貿易戦争で一時的に国民をスカッとさせるような結果を得ても、歴史修正主義に立った「歴史戦」は日本の外から見れば明らかに日本の劣勢であり、長期的に見れば勝ち目のない戦いである。
(5)韓国側に何も問題が無いとは言わないが、国民をスカッとさせるのが外交政策としてまかり通るなら、それは民族主義に踊らされたポピュリズムにすぎない。
(6)日本政府はこの問題については静観しつつ、政府要人が歴史修正主義的発言や態度を行って韓国をこれ以上刺激しないように注意深く静観し続けるのが正解だったのではないだろうか。だが、繰り返される日本の政治家の歴史修正主義的発言の裏には、結局のところ植民地主義丸出しの韓国・朝鮮(韓国人・朝鮮人)に対する差別意識がある。「韓国ごとき」「日本より格下」といった意識があるからこそ、対等な相手として、無用に刺激してはならない相手としてではなく「馬鹿にしていい相手」「何してもやり返せない相手」として扱い続けてきたのである。
(7)その認識を改めない限り、日本はいつまでも韓国を相手に歴史問題で先に進むことができない。
(8)時代は移り、世界の中での韓国の地位が上がる一方で日本の地位が下がり、両国は対等に向き合うべき相手となった。たとえ貿易戦争で一時的に国民をスカッとさせるような結果を得ても、歴史修正主義に立った「歴史戦」は日本の外から見れば明らかに日本の劣勢であり、長期的に見れば勝ち目のない戦いである。


 まず最初に、この「古谷」の指摘にも含まれるが、今回の日韓両国のやり取りの発端と言われる徴用工問題については、「三権分立の制度下において、司法の決定を行政が覆すことは不可能である。司法が個人請求権を認めた以上、政府はその決定に従うほかない。」(古谷)、というものでしかないことを確認する必要がある。
 この上で、「古谷」の指摘から受け取るものは次のことである。


1.「 韓国の人々にとって、日本による植民地支配というのは『歴史』ではなく、今も続く忌まわしい記憶であり、いつかまた起こるかもしれない可能性の問題でもある。」、ということ
2.「端的に言って、韓国の人々にとって、民主化前と後では国家自体が全く異なる存在なのである。」、ということ。
3.現在の「歴史観は政府主導で生み出されたものではない。日本で『反日』と考えられている親日清算問題は、80年代以降の軍事独裁の終焉、民主主義運動、民主主義社会の醸成によって、民衆やリベラル知識人たちが真実を求める声として強まったものである。」、ということ。
4.このような「民主化の流れを汲んで『過去清算』を希求する新たな歴史認識の台頭は、植民地支配について『日本が悪かった』といった単純な理解から脱却し、なぜ植民地支配が起こったのか、植民地支配とはどのようなものだったのかを、政治・経済・社会・文化など様々な側面から分析し、過去を断ち切り、民主社会韓国として新たな時代を迎えようという動きでもあった。」、ということ。
5.こうした中で、「民主化運動を経て、民主主義に基づいた市民社会への歩みを進めたことで、歴史問題に対して歴史修正主義的態度を改めてこなかった日本に具体的な変化を求めるようになった結果、日本側から見れば『対日関係を悪化させる態度』を取るようになったのである。」、ということ。
6.また、こうした「民主化以降の20年の間に、韓国の国際競争力の上昇と日本の国際競争力の低下、そして韓国にとっての日本の相対的重要性が低下した。」、という事実が生まれたこと。
7.そうした中で、日本の側は、「日本の経済的重要性が低下しても、日本の政治家は一貫して歴史修正主義的な発言を繰り返してきた。侵略と植民地支配を肯定し、戦犯のまつられる靖国神社に参拝し、従軍慰安婦被害者を侮辱し、サンフランシスコ講和条約以降の国際秩序の土台を揺るがすような発言を平然と口にする政府要人が後を絶たない。』との実態を続けてきた。
8.結局、日本の側から引き起こしたことは、「いくら公式談話で謝罪を口にしても、いくら補償・賠償として金銭を提供しても、こうした発言・態度を示す政府要人(首相含め)が罰されることもない日本を信用しろと、被害国であり、被害者が生存している韓国に求める方が無理な話である。」、との韓国側の思いの積み重ねであったこと。
9.結局、「たとえ貿易戦争で一時的に国民をスカッとさせるような結果を得ても、歴史修正主義に立った「歴史戦」は日本の外から見れば明らかに日本の劣勢であり、長期的に見れば勝ち目のない戦いである。」、という結論にたどり着くしかないこと。



by asyagi-df-2014 | 2019-08-26 07:18 | 持続可能な社会 | Comments(0)

「あすへのとびら 転機の消防団 時代が求める新たな姿は」、と信濃毎日新聞。

 地域社会の一員としての自覚があって初めて、気づかされることがある。
濃毎日新聞(以下、「「信毎」)の2019年8月18日の社説(「あすへのとびら 転機の消防団 時代が求める新たな姿は」)もまた、自らの問題として、目に留まった。
「信毎」の社説は、このように始まる。


「『父親を毎日のように取られては子育てがつらくてたまらない』。昨年6月、本紙くらし面に、「消防団、在り方に疑問」と題する30代女性の訴えが載った。ポンプ操法やラッパ奏法の大会練習で夫が不在がちになり、0〜5歳の3人の子育てがのしかかる苦境をつづった内容だ。」


 どういうことなのか。
「信毎」の次のように示す。


(1)当時の県消防協会長、古村幹夫さんは『そういう思いを持つ人はいるよな』と思った。団員家庭の負担の重さは、団長を務める地元の辰野町消防団でも以前から問題になっていたからだ。毎年6月の大会の1カ月以上前から週5日ほど、分団ごとに午前5時ごろから2時間弱練習するのが習慣だった。県大会まで進めば7月下旬ごろまで続く。
(2)ポンプ操法は、火元に見立てた標的に放水して素早さや規律を審査する競技だ。古村さんも熱心に取り組んできた。高まる団結力がやりがいになった。だが近年は、大会そのものへの疑問も感じ始めていた。実際の現場でどれだけ役立つのか、災害時の避難誘導や平時の防災指導など大会の競技より力を入れるべきことがあるのではないか、と。
(3)辰野町消防団は今年、大会開催を取りやめ、地区大会や県大会の出場も見送った。消防団の在り方に一石を投じることになった。


 ここにも、地域社会の変化を感じる。
 それは、変わることを求められた結果でもあるのだが。
「信毎」は、「社会や災害の変化」について続ける。


(1)総務省消防庁によると、消防団の起源は江戸時代の町火消しにさかのぼる。各火消し組は組の名誉をかけ、競い合って働いた。町奉行の監督下にはあったものの、住民主体の自治組織だった。明治時代の「消防組」などを経て戦後、いまの消防団の形になった。消防本部などの「常備消防」を備える市町村は1970年時点で約3割。普段は他の仕事をしている住民が火事や災害が起きれば現場に駆けつけるスタイルが、長く消防の主体を担ってきた。
(2)しかし、高度経済成長期を経て多くの地域は、住民のサラリーマン化、多忙化、高齢化が進んだ。消防団員は減り続けた。55年の194万人から85年は103万人に。2018年は84万人となった。100%近い市町村が常備消防を置くようになったいまも、消火活動で重要な役割を果たしている地域は多い。
(3)消防団は、地域の青壮年の結び付きを強める役割も果たした。消防技術は先輩から後輩に受け継がれる。現場に出動する以上、規律は欠かせない。操法大会に熱を入れるのもその延長にある。
(4)一方、就業構造や住民意識の変化を踏まえると、地域の結束や伝統を前面に立てて負担を強いることは難しくなった。そんな現実に消防行政や消防団の指導者は、十分に向き合ってきただろうか。


 また、「信毎」は、私たちが知らなかったことを指摘する。


(1)団員減少が続く中、13年に消防団重視を掲げる法律が成立している。「消防団を中核とした地域防災力の充実強化に関する法律(地域防災力充実強化法)」だ。
(2)背景には、阪神大震災や東日本大震災がある。常備消防がカバーしきれない災害が現実となり、住民の主体的な防災活動が求められるようになった。その中心に消防団が位置付けられた。
(3)重要性は近年、高まる一方だ。昨年の西日本豪雨では、消防団員ら住民の呼び掛けで避難に踏み切れた人も少なくなかった。


 さらに、「信毎」は、「団員の負担軽減を図りつつ、災害多発時代にどう対応するか。」、ということを、「地域防災の要」をどのように作り上げていくのかという視点から、問いかけるのである。


(1)辰野町消防団では、分団ごとに訓練を工夫し始めた。参加しやすい日程に変え、大会の選手が重点的に扱いを身に付けていたポンプやホースを誰もが使えるようにする、といった取り組みだ。
(2)目指すべき消防団の姿は、単純ではない。都市と農村、想定される災害時の状況など、地域による違いは大きい。大会も引き続き重視しながら、参加しやすい訓練の在り方を模索する消防団もある。試行錯誤が必要だろう。
(3)団員の全体数が減る一方、女性団員や学生団員は増加傾向だ。地域防災力充実強化法は、学校や企業に消防団に協力することも求めた。連携できるよう、県や市町村は支援を強めてほしい。
(4)訓練や団員確保のほかにも課題はある。非常勤の公務員である消防団員に出る報酬の扱いがその一つ。プールして活動費に充てる方式には、不透明さを指摘する声がある。個人支給への切り替えなど透明性の確保が求められる。
(5)消防団の改革を進めていく上で前向きに捉えたいのは、災害が多発する時代に入り、防災や被災者支援で役に立ちたいと考える人は増えているという点だ。
(6)被災地には全国から大勢のボランティアが集まる。災害や防災の知識を身に付けた「防災士」の資格を取る人も急増している。


 「信毎」は、最後に、「地域に住む一人一人の意識を喚起し、受け止める組織へと脱皮できるかが問われている。」、と結ぶ。


 確かに、私の住む地域社会は、「しかし、高度経済成長期を経て多くの地域は、住民のサラリーマン化、多忙化、高齢化が進んだ。消防団員は減り続けた。55年の194万人から85年は103万人に。2018年は84万人となった。100%近い市町村が常備消防を置くようになったいまも、消火活動で重要な役割を果たしている地域は多い。」(「信毎」)や「一方、就業構造や住民意識の変化を踏まえると、地域の結束や伝統を前面に立てて負担を強いることは難しくなった。」(「信毎」)、という事実のなかにある。
 災害が多発する時代背景の中で、まずは、自分たちの地域と消防団の関係を見つめ直す時が来ている。



by asyagi-df-2014 | 2019-08-25 08:45 | 持続可能な社会 | Comments(0)

広島に原爆が落とされた日から74年。

 被爆74年のヒロシマとは、広島に原爆が落とされた日から74年という意味なのだということを改めて考えてみる。
琉球新報社説は2019年8月6日、「原爆投下74年 核軍縮に英知を絞る時だ」、と論評した。また、朝日新聞社説は2019年8月7日、「被爆74年の危機 核廃絶の道を開く想像力を」、と。
 両社の主張から、「核廃絶の道を開く想像力で核軍縮に英知を絞る時が来ている」、ということを受け取る。


琉球新報(以下、「新報」)は、「核兵器の恐ろしさを再認識し、核廃絶への誓いを新たにする日が巡ってきた。世界で今、その重要性が増している。」、と始める。
 「世界各国の指導者は二度とこの惨禍を繰り返さないよう努めなければならない。しかし残念ながら世界では今、核軍縮の取り組みが停滞しているばかりか、むしろ逆行する動きが広がりつつある。」、とするその指摘は次のものである。


(1)広島はきょう、長崎は9日に原爆投下から74年となる。2発の原子爆弾で21万人以上が犠牲になった。生き延びた被爆者も、健康被害や就職・結婚差別などで苦しんだ。
(2)2017年7月に国連で採択された核兵器を非合法化する史上初の国際法「核兵器禁止条約」は批准に必要な50カ国・地域の参加数に至っていない。
(3)今年6月には米軍が戦闘中の限定的な核兵器使用を想定した新指針が判明した。オバマ政権は核の先制不使用も一時検討するなど「核の役割低減」を目指したが、トランプ政権は、小型核を潜水艦に搭載する政策を打ち出すなど、通常戦力の延長線上に核戦力を位置付けている。
(4)そんな中、冷戦後の核軍縮の支柱となった米ロの中距離核戦略(INF)廃棄条約が2日に失効した。条約は東西冷戦下の1988年に発効し、射程500~5500キロの地上配備の中・短距離ミサイルの全廃を規定している。条約を巡り米ロがお互いに条約違反を指摘し合い、延長されることなく失効日を迎えた。
(5)背景には、条約で規制された水準のミサイルを戦略の柱とする中国の軍事的台頭がある。米ロに中国を加えた3カ国は条約の制約がなくなることで、軍縮とは逆行した核・ミサイル開発競争を激化させる恐れがある。
(6)条約失効の影響は欧州よりもアジアの方が大きいと指摘されている。米国がアジアで地上発射型の中距離弾道ミサイルを配備する可能性があるからだ。その場合、米軍が中国に対抗し、沖縄の米軍基地に中距離弾道ミサイルを配備する恐れがある。日本には非核三原則があり、核兵器は持ち込まれないことになっている一方、沖縄への核再持ち込みを認めた日米の核密約も存在する。沖縄が核戦争に巻き込まれるリスクは拭えない。沖縄からも強く核廃絶への声を上げる必要がある。


 この「沖縄への核再持ち込みを認めた日米の核密約も存在する。沖縄が核戦争に巻き込まれるリスクは拭えない。沖縄からも強く核廃絶への声を上げる必要がある。」、との声は、まさしく危機的状況に追い込まれた当事者としての「訴え」と「決意」なのである。


 だからこそ、「新報」は、安倍晋三政権に、次のことを突きつける。


「INF廃棄条約を締結した当時のゴルバチョフ・ソ連共産党書記長とレーガン米大統領は『核戦争に勝利はなく、決して戦ってはならない』との認識の下で調印した。世界の指導者たちはその認識に立ち返り、新たな核軍縮の枠組みを早急に築いて着実に核兵器を減らすべきだ。今はその英知を絞る正念場といえる。日本の役割は、米国の『核の傘』に依存し、それを守ることではなく、唯一の被爆国として惨禍を訴え、非核化実現に向けて各国の努力を促すことだ。」


 一方、朝日新聞(以下、「朝日」)もまた、次のように指摘する。


「広島に原爆が落とされた日から、きのうで74年を迎えた。核をめぐり、国際社会にはいま、荒涼たる風景が広がる。数年前までの『核なき世界』への希望が後退し、核大国は再び、軍拡に転じようとしている。核を『使える兵器』にする。そんな言葉さえ政治指導者から発せられる。まるで、74年前に被爆者たちが浴びた熱線も、広がる業火も知らぬかのように。核戦争は例外なく非人道的な殺害と破壊行為で、決して許されない。そう断じ、核兵器を禁じる条約をつくりあげた国際世論との溝は広がるばかりだ。」


 世界はどのような状況に追い込まれているのか。
「朝日」は、「高まる核のリスク」、と次のように示す。


(1)「『2020年、朝鮮半島の偶発軍事衝突が、北朝鮮による核攻撃に拡大する』。そんな小説が昨夏、米国で出版された。」
(2)トランプ大統領のツイッターが意図せぬ反応を呼ぶ。米国も北朝鮮も誤算を重ね、働くはずの安全弁が外れていく――。その想定を、絵空事とばかりいえない現実の世界がある。
(3)「核兵器が存在し、抑止論に頼り続ける限り、いつか使われるのは必至だ」。著者のジェフリー・ルイス博士は言う。米ミドルベリー国際大学院の教授で、北朝鮮問題にも精通する軍縮の専門家だ。
(4)国連軍縮研究所のドゥワン所長は今春、「核兵器が使われるリスクは、第2次世界大戦後で最も高い」と警告した。その大きな理由は、米国とロシア、中国の競合の激化だ。とりわけ米ロは、世界の核兵器のうち9割、計1万2千発以上を今も保有している。
(5)核不拡散条約で核保有の権利を認められてはいるものの、引き換えに果たすべき義務である核軍縮に背を向け、いまでは逆行するふるまいが目立つ。冷戦終結を導く象徴だった中距離核戦力(INF)全廃条約は今月、白紙に戻された。トランプ政権は戦力の更新に力を入れ、「より使いやすい核兵器」の開発に乗り出している。
(6)これにロシアは対抗姿勢を打ち出したほか、台頭する中国も新型ミサイルなどの開発に突き進む。競争の舞台はサイバーや宇宙空間にも広がり、兵器システムは複雑さを増している。
(7)こうした大国のエゴによる核軍拡は、紛争だけでなく、システムの誤作動や誤認による核戦争の危うさも高めている。核が新たに広がった地域についての懸念も深い。互いに核を持つインドとパキスタンは今年、戦火を交わし、中東では、イランの核開発を制限してきた多国間合意が揺らいでいる。


 こうした状況を打開するためになにが必要なのか。
 「朝日」は、次のように指摘する。


(1)進まぬ軍縮と、核リスクの拡大を座視することはできない。その共通の危機意識から多くのNGOや非核国が実現させたのが、核兵器禁止条約である。
(2)2年前に国連本部で122カ国が賛成して採択された条約に、核大国は反対している。核抑止にもとづく安全保障の現実を理由に掲げるが、その後も現実を正すどころか、悪化させているのが核軍拡だろう。
(3)理解に苦しむのは、戦争被爆国・日本の政府が条約の採択時に参加せず、いまなお否定的な態度を続けていることだ。国際世論と連帯する日本の被爆者たちの思いと、政府の行動との間には深い断層がある。
(4)冒頭のルイス博士が核戦争について執筆した動機は、14年から毎夏、広島を訪れたことだ。「より多くの人が被爆者の声に耳を傾ける」方法として、近未来のシナリオを編み出した。
(5)広島の小倉桂子さん(82)は6月、欧州連合首脳会議のトゥスク常任議長がやってきた時、自らの体験を語った。議長は、世界の首脳は被爆地を訪れ、自分で見聞すべきだ、と応じた。


 ここで、「朝日」は、まず必要なのは、「被爆者の視点に立つ」ことである、次のように指摘する。


(1)長年に及ぶ被爆者の声は、核禁条約の礎となり、今後の国際世論づくりでも期待される。ただ、あの日を知る人々が少なくなる今、記憶をつなぐには、新たな世代が過去から学ぶ想像力がいっそう必要となる。
(2)この春、本館がリニューアルした広島平和記念資料館が、ひとつの道を示している。原爆の惨状を示す実物を通じ、被爆者や遺族の視点から一人ひとりの苦しみ、悲しみを伝える構成だ。被爆者たちが自ら目にした光景を描いた「原爆の絵」を、国内外から訪れた人々が食い入るように見つめる。
(3)被爆者とやり取りし、なり代わるように絵を描きあげる若者たちもいる。広島市立基町(もとまち)高校で美術を学ぶ生徒たちが、12年前から取り組んでいる。3年生の門脇友春さんは、14歳で入市被爆した女性から何度も話を聞き、情景の心象にたどりついた。道路に横たわる焼けた遺体の数々……。「絵には言葉の壁もありません。想像していくことから始まり、見た人が能動的に考えるようになる」。


 この上で、「朝日」は、最後に、次のように決意を表明する。


「核兵器が使われたら、身の回りはどうなるのか。被爆者の苦しみを想像し、自分に当てはめてみる。そうした市民一人ひとりの営みこそが、核を使わせず廃絶へと向かう武器となる。その決意を新たにしたい。」


 確かに、私たちに必要なのは、抑圧を受けた又は受けている人達の側に常におり、抑圧を受けた又は受けている現場に自分の足で立ち、全身でその抑圧される側の行為の意味を感じ取るということである。
 例えば、沖縄の危機感や恐怖感は、「核兵器が使われるリスクは、第2次世界大戦後で最も高い」(「朝日」)との指摘が説明する。また、トランプ政権下の「より使いやすい核兵器」の開発は、より大きな恐怖感をさらに、増幅させる。
だからこそ、新しい風を。
 核廃絶の道を。



by asyagi-df-2014 | 2019-08-11 14:10 | 持続可能な社会 | Comments(0)

認知症を考える一助として。

 2019年7月24日付けの沖縄タイムス(以下、「タイムス」)の「認知症高齢者4万人超/3月末県調査 県内65歳以上の13%」の次の記事が目を引いた。


「県内で介護保険サービスを利用するのに必要な要介護(要支援)認定を受けた65歳以上高齢者のうち、何らかの支援を要する認知症と判定された人は3月末現在4万1343人となり、初めて4万人台に達したことが23日、県高齢者福祉介護課の調査で分かった。要介護認定を受けていない65歳以上を合わせた全被保険者の約7・6人に1人(13・1%)に当たる。沖縄は2018年に超高齢社会の水準に突入。さらに身近となる認知症の当事者や家族が暮らしやすい社会づくりが一層求められそうだ。」


 改めて、認知症の問題を考える必要があると考えさせられた。
 「タイムス」は2019年7月26日、「[増える認知症高齢者]誰もが当事者の視点で」、と社説で論評した。
この「タイムス」の社説で、認知症を考える。
「タイムス」の「65歳以上の高齢者の7・6人に1人が認知症を患っているという。認知症は歳を重ねれば誰でもなる可能性のある身近な病気だ。認知症になっても尊厳を持って暮らせるようわがこととして向き合いたい。」、とする指摘は次のものである。


(1)県内で介護保険サービスを利用するのに必要な要介護・要支援認定を受けた高齢者のうち、認知症と判定された人は3月末現在で、4万1343人となり初めて4万人台を超えた。要介護・要支援認定者に占める割合は7割以上だ。一方で、40~64歳の若年性認知症とされる人も前年比44人増の1216人だった。
(2)沖縄は総人口に占める高齢者の割合が、2018年に21%を超え、超高齢社会に突入した。今後、要介護認定者も、認知症高齢者も右肩上がりに増加することが予測される。
(3)認知症は病気が進行すると買い物や金銭管理、意思疎通が難しくなり、理解力や判断力が衰え、日常生活や社会生活に大きな支障が出る。
(4)認知症かその疑いが原因で行方不明になり、県警に届け出があったのは18年、110人と増加傾向が続いている。虐待されている高齢者の多くが、認知症患者だというデータもある。
(5)認知症に対する知識不足から、「何もできなくなってしまう人」という偏見や誤解も多い。


 一方、地域での取り組みと実態を紹介する。


(1)そうした中、認知症の人が尊厳を持ち、生き生きと暮らしていくために、地域でできる役割を模索するユニークな試みが始まった。 
(2)「ときどき注文を間違えるかもしれない」。接客スタッフは全員、認知症の人たち。あらかじめお断りを掲げる、その名も「注文をまちがえるゆいまーるな喫茶店」活動だ。スタッフも客もやりとりを楽しみ、笑顔が広がっている。趣旨に賛同する宜野湾市などの飲食店が協力した。実行委員長の元(もと)麻美さんは「認知症の方の家族はほとんどが、心配して外出させることを避ける傾向がある。地域の子どもや若者と交流すればお互いの顔が分かり、地域全体が優しく、明るくなれる」と話す。
(3)認知症患者や家族を自分のできる範囲で手助けする「認知症サポーター」の育成も学校や自治会などで進む。しかし、関心が高いとまでは言えない。認知症の人が社会的に孤立しない環境を整えるには、病気への理解を深めることが欠かせない。


 「タイムス」は、この認証の問題に関して、次のようにまとめる。


「政府は先月、認知症対策を強化するため25年までの施策を盛り込んだ新たな大綱を決定した。患者が暮らしやすい社会を目指す『共生』と『予防』を2本柱に据えている。高齢者が地域の公民館などで体操や趣味を楽しむ『通いの場』の拡充を重点政策の一つに位置づけた。全国では団塊世代全員が75歳以上になる25年には、認知症高齢者は5人に1人なるといわれる。高齢者の貧困対策も課題となる中、国の包括的な支援と地域のサポート体制の構築が急務だ。官民で知恵を絞りたい。」


 認知症にかかわって、『共生』の立場で、地域社会がいかに取り組むことができるのか重要になる。ただ、その背景には、国の包括的な支援と地域行政ののサポート体制の構築が必要である。




by asyagi-df-2014 | 2019-07-30 06:06 | 持続可能な社会 | Comments(0)

辺野古新基地建設を巡る7度目の裁判。地方自治の崩壊を食い止めるために。

「辺野古新基地建設を巡り、県は17日、国土交通相が埋め立て承認撤回を取り消した裁決は違法だとして、裁決の取り消しを求める訴訟を福岡高裁那覇支部に提起した。県民投票などで示された民意を無視して工事を強行する国に対する対抗措置である。」
2019年7月19日付けの沖縄タイムス(以下、「タイムス」)の社説は、このように始まる。
また、「タイムス」は同日、この訴えの骨子について、「①一般私人と異なる沖縄防衛局が国交相に審査を請求したのは違法、②撤回の決定は副知事がした。仮に行審法で審査請求するならば、請求先は国交相ではなく県知事となる、③沖縄防衛局と国交相は政府の機関同士であり審査請求制度を乱用している。」、と報じている。
「タイムス」の社説([辺野古で7度目の裁判]公正で実質的な審理を)は、次のように指摘する。


(1)今回の提訴は、県が昨年8月、新基地建設に必要な埋め立て承認を撤回したことが発端である。県はマヨネーズ並みといわれる軟弱地盤や活断層が承認後に判明したことを挙げ、サンゴやジュゴンの環境保全対策にも問題があるとして、承認を撤回した。
(2)県の撤回に対し、防衛省沖縄防衛局は撤回の取り消しを求め、国交相に審査を申し立てた。国交相は4月、撤回を取り消す裁決を下した。県は裁決を不服として、国と地方の争いを調停する総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」に審査を申し出たが、係争委は6月、国交相の裁決は審査の対象とならないとして却下した。
(3)県の主張は一貫している。国の機関である防衛局が一般国民の権利救済を目的とする行政不服審査法を使って国交相に審査を申し立てるのは違法であること、新基地建設を推進する安倍内閣を構成する防衛局の申し立てを同じ立場の国交相が審査するのは身内同士の判断であり、不公正であることだ。
(4)記者会見した玉城デニー知事は「国交相の裁決は、選手と審判を同じ人物が兼ねているようなもので、自作自演、結論ありきで公正さに欠けている」と厳しく批判した。


 「タイムス」は、「国の強引な法解釈が許されるのなら地方自治体の処分が何であれ、国が覆すことができる。対等であるべき国と地方の関係をゆがめるものだ。」、と断じたうえで、この訴訟の意味を次のように指摘する。


(1)地方自治を守る砦(とりで)といわれる係争委も、両議院の同意を得て、総務相が任命する手続きからして国の都合のよい機関になったようにみえる。
(2)2018年から委員長をはじめとする5人は全員新しくなった。沖縄防衛局が「私人」と同じ立場で承認を受けたとする国交相の判断に「疑問は生じない」と言い切る。だが係争委が却下の決定をしたからといって、国交相の撤回取り消しの裁決が、適法か違法かの司法判断が出ているわけではない。多くの行政法学者らが国の手法を「制度の濫用(らんよう)であり、法治国家にもとる」と批判する。それを司法の場で問うのが今回の訴訟である。
(3)一連の訴訟では国寄りの訴訟指揮をしたと受け止められた裁判長もいただけに、三権分立の一翼を担う司法の矜持(きょうじ)をもって公正な審理を尽くさなければならない。


 最後に、「タイムス」は、このように訴える。


「辺野古を巡る県と国の訴訟は7件目となる。玉城知事はこの日も毅然として訴訟に踏み切る姿勢をみせる一方で、『政府に対し、司法によらず、対話による解決の必要性と重要性を繰り返している』と訴えた。訴訟とは別に、玉城知事は引き続き政府との協議の道を探り、工事が進む現状を打開するにはどうすればいいのか、万国津梁会議の知恵も借りたい。政府は対話拒否の姿勢を改めるべきである。」


 この国のゆがみが、司法の場で歴然と示されている。
それは、「司法の矜持をもって公正な審理を尽くさなければならない。」(「タイムス」)
とまで言わさせている。
 だから、公正な審理が必要なのだと。
今はこそ、勇気と正義を示す時なのだ。
まさに、6.28熊本地裁判決は示したではないか。




by asyagi-df-2014 | 2019-07-22 06:06 | 持続可能な社会 | Comments(0)

安倍晋三政権が認知症に関する施策の指針となる大綱を決定。

 安倍晋三政権は2019年6月18日、認知症に関する施策の指針となる大綱を決定した。
成長戦略に沿った社会保障費の減額を狙った「予防」の数値目標の導入は、大綱の原案では「予防と共生」となっていたものが「共生と予防」に修正されたなかで、削除されることになった。
この大綱について、朝日新聞(以下「朝日」)は、「これまでは共生に軸足を置いてきたが、社会保障費の抑制などに向けて方針を転換」、と次のように報じた。


(1)政府は18日午前、認知症に関する施策を進めるための関係閣僚会議を開き、団塊の世代が75歳以上となる2025年までの取り組み方針をまとめた大綱を決定した。認知症になっても地域で安心して暮らせる『共生』と、認知症になる時期や進行を遅らせる『予防』を『車の両輪』として取り組むと明記した。これまでは共生に軸足を置いてきたが、社会保障費の抑制などに向けて方針を転換する。
(2)厚生労働省の推計では、認知症の人は25年には約700万人になり、高齢者の5人に1人にのぼる。大綱は「認知症はだれもがなりうる」としたうえで、運動不足の改善や社会参加などを進めた結果として「70歳代での発症を10年間で1歳遅らせることを目指す」とした。当初は数値目標で掲げる予定だったが、当事者らから「『認知症になるのは予防の努力が足りないからだ』との偏見を生みかねない」との反発を受けて参考数値に格下げした。
(3)共生の実現に向けては、車に代わる交通手段の確保や見守り体制の整備を進めるほか、認知症サポーターを20年度末までに1200万人養成するとした。原案には、老後の生活費が2千万円不足するとして資産形成・管理を呼びかける金融庁の審議会の報告書について「周知・浸透を図る」との記述もあったが、政府が正式な報告書として受け取らないと決めたことを受け、記述を削除した。                    (石川春菜)


 また、「朝日」は2019年6月19日、このことに関連して、「認知症『誰もがなりうる』 政府大綱が描く共生と予防」、と解説した。
 この中で、「予防」の数値目標を削減したことについて、次のように示している。


(1)団塊の世代が75歳以上となる2025年までを対象期間に、認知症になっても地域で安心して暮らせる「共生」と、認知症の発症や進行を遅らせる「予防」を「車の両輪」と位置づけた。予防の数値目標は反発を受けて撤回した。
(2)厚生労働省の推計では、認知症の人は25年には約700万人になり、65歳以上の5人に1人に上る。大綱は「認知症はだれもがなりうる」と指摘した上で、社会参加などを進めた結果として「70歳代での発症を10年間で1歳遅らせることを目指す」とした。15~25年が対象期間の従来の認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)は共生に重点を置いたが、今後は予防にも力を入れる。
(3)政府は当初、「70代で認知症になる時期を19~29年の10年間で1歳遅らせ、70代の認知症の人の割合を25年までに6%減らす」との数値目標を大綱に盛り込もうとした。だが、5月中旬に公表すると、当事者らが「予防に取り組んでいながら認知症になった人が『落第者』になり自信を失う」などと反発。最終的な大綱では「6%減」を削除し、「1歳遅らせる」は参考数値にとどめた。


 また、安倍晋三政権が、「予防」の数値目標を大綱に入れようとした目的については、次のように押さえている。


(1)予防を前面に打ち出すきっかけとなったのは、政府の経済財政諮問会議での議論だった。議事要旨によると、複数の民間議員が昨年10月の会合で、認知症にかかる医療・介護費などの社会的コストが30年には21兆円超になるとの試算に触れて、予防の重要性を主張。翌月の会合では、新浪剛史・サントリーホールディングス社長が、認知症を「日本経済に極めて大きな足かせとなる」としていた。当事者団体の幹部は「認知症の人や家族の声を脇に置いた、社会保障費の抑制の観点での議論だった」と残念がる。
(2)大綱を取りまとめた内閣官房と厚労省からは、「数値目標にあんなに反発があるとは」「軽率だった」との声が漏れる。原案では「予防と共生」だった語順も、大綱では「共生と予防」に修正。厚労省の担当者は「共生の基盤の上で予防を進めるという趣旨だ」と釈明した。
(3)また原案には、老後資金が2千万円不足するとして資産形成を呼びかける金融庁の審議会の報告書の「周知・浸透を図る」との記述もあったが、政府が受け取らないと決めたため記述を削除した。数値目標と同様、当事者の視点を欠いた内容の修正が相次いだ。


 「朝日」は、今回の大綱の決定について、最後に、次のように伝えた。


「認知症の人と家族の会代表理事の鈴木森夫さんは、数値目標が取り下げられたことは『評価したい』としつつも、『介護保険は、負担増や軽度向けサービス削減で【介護の社会化】の理想から後退を重ねている。本人や家族への支援を減らしながら【共生】の理念を掲げるのは矛盾する』と指摘。日本認知症本人ワーキンググループの藤田和子代表理事は、大綱が『本人』の意見や視点を踏まえた施策の推進を掲げたことを重視。『現在は地域差が大きい。身近な市町村で着実に実行され、希望をもって過ごせる人が増えるよう、私たち【本人】も一緒に取り組みたい』とする。」




by asyagi-df-2014 | 2019-06-27 05:49 | 持続可能な社会 | Comments(0)

「安心できる、無料の台所。」

 オスロ在住ジャーナリストの鐙麻樹さんのノルウェー通信を朝日新聞Globeで見つけました。
 今回は、「ノルウェー通信 世界初の無料学校給食を実現したフィンランドでは、ヴィーガンメニューも当たり前」(2019年6月11日)です。
 「フィンランドは世界初の無料給食を実現した国。給食の現場をのぞいてみると、ベジタリアンやヴィーガンといったメニューの豊富さだけでなく、日本の『こども食堂』の精神のようなものもありました。」、と報告されています。
以下、引用します。


 フィンランドの高校を取材中、「学食でランチを食べましょうか」と先生と生徒に誘われた。
 そこで、仰天したことがふたつ

・学校給食が無料
・肉料理・ベジタリアンに加えて、ヴィーガンが選択可能。ヴィーガンは義務化されたばかり
「子どもたちの育成と教育をサポートするために、無料給食は1943年に法律で制定された良い学校給食は未来への投資」Finnish National Board of Education「School meals in Finland」

 高校のリーマタイネン先生も、子ども時代を振り返り、「給食が無料は当たり前」という感覚で育ったという。

就学前教育、小学校~高校まで、給食費で心配することはない。

 「高い税金が何に使われているか、日常生活で明白に目に見えてわかるシステムですね」と私が言うと、「そうです。誇りをもっています」とほほ笑んだ。
 高校生のテルホ・ムティカさん(17)は、この日は授業がなかったが、学校給食だけを食べにやってきたという。「ベジタリアンの友達はたくさんいますよ。今日は学校には食べに来ただけ。食べたら、家に帰って宿題をする」と話す。
 北欧の学校では制服がないのが普通なので、みんな私服。この学校では出入りも自由で、他の学校の子どもでも忍び込んで食べることができそうだった。
 誰が出入りして給食を食べているかは、特にチェックしていないという。
 「給食担当員は生徒の顔を覚えているだろうし、ほかの地域の子どもがたまに給食を食べていても、あまり大きな問題ではない」と先生は話す。
 「平等」精神を重んじる北欧では、競争社会であるアジアよりも他人を信頼する傾向が強い。信頼でなりたつ仕組みが、ここにもあった。
 お腹が空いた時、給食だけを食べに学校に来てもいい。居場所がある安心感。
 保護者の収入や家庭状況にふりまわされることなく、金銭的な心配をせずにご飯を食べて育つ。
 日本のように、「給食費未納」がニュースになることはない。心が豊かな人が育ちそうだ。
 さらに驚いたのが、給食のバラエティ。ブッフェ形式で好きな食材を、好きな量だけ食べることができるのだが、「肉」に加えて、「ベジタブル」と「ヴィーガン」まであった。
 環境問題に配慮して、肉食(特に赤肉)を減らそうという議論が盛んな北欧。
 「ベジタブル」メニューの選択があるのは驚かないが、「ヴィーガン」まであるのにはびっくり仰天してしまった。
 ヴィーガン・カルチャーがこれほどまで力を発揮しはじめたか、と驚くのは私だけだろか。
 自治体エスポー(首都ヘルシンキに隣接)からの指示で、ヴィーガン食の導入は義務なのだという。
 体に良い給食は完全無料だが、健康に悪そうなものはメニューにはない。豆乳や様々な種類の牛乳は無料だが、コーヒーは有料、デザートは一切ない。
 エスポー市では全学校に「週に1度はベジタリアンのみの日」も義務付けているという(肉はなし)。
 ベジタリアン食とヴィーガン食に関しては、大きな都市では同じように導入されており、小さな自治体では場所によって異なる。
 エスポー市の食品サービス局のディレクターであるアホラ氏に問い合わせると、次のような回答がきた。
 「何を食べたいかの選択の幅を広めてほしいという市民からの声が多かったため、市議会がヴィーガン食の導入を決定しました。ヴィーガン食によって、市はさらなるサステイナブルな発展をとげるでしょう」。
 タピオラ高校の給食の責任者であるティーナ・フロンデリウスさん。ヴィーガンは義務化されたので作っているが、意外と利用する生徒は少ないという。
 「ヴィーガン食を求めている生徒は『たくさんいる』と聞いていたんです。50~100人はヴィーガン食を選ぶのかしらと思ったら、9人しか食べない。9人!本当に需要があるのかとも思うけれど、これからどんどん増えるのかもしれない。肉メニューを選ぶ生徒は500~700人ほどいるけれど、明らかに肉を好む声は減ってきています。ベジタブルメニューを選ぶ生徒は200人ほどですね」。
 エスポー市でのヴィーガン義務化は4月から始まった。食品ロスを減らすために、毎日どのメニューがたくさん食べられたかを記録し、量を調整しているそうだ。ヴィーガンメニューを希望する生徒は事前に申請をする必要がある。
 「給食を食べるためだけに、学校に来る生徒は多い」と話すフロンデリウスさん。
それはそうだろう。これだけおいしいメニューを無料で食べることができるなら、私も毎日学校に通う。私たちは2回お代わりをして、お腹いっぱいになった。
 「このような形で社会に還元されるなら、高い税金を払うのもありだな」、と思った。給食を食べに、また学校に行きたい。きっと勉強をする集中力も増すだろう。
 安心できる、無料の台所。こういう居場所が、忙しく変化する現代社会ではより必要とされるのかもしれない。




by asyagi-df-2014 | 2019-06-26 06:05 | 持続可能な社会 | Comments(0)

この国の現状。係争委が県申請却下。

「[係争委、また却下]地方自治守る砦 形骸化」(沖縄タイムス)
「係争委が県申請却下 国追認機関と化している」(琉球新報)


 2019年6月18日の沖縄タイムス(以下、「タイムス」)と琉球新報(以下。「新報」)の両社の社説の見出しは、何を物語るのか。
これをもとに、日本という国を考える。


1.事実
(「タイムス」)
(1)名護市辺野古の新基地建設を巡り、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会(係争委)」(委員長・富越和厚元東京高裁長官)は17日の第2回会合で、県の審査申し出を却下した。県は埋め立て承認撤回を取り消した国土交通相の裁決は違法だとして取り消しの勧告を求めていた。
(2)富越氏は会合後の記者会見で埋め立て承認撤回を取り消した国交相の裁決は自治体の行政運営への介入を意味する「国の関与」に当たらず、「申し出は不適法」と却下の理由を説明した。
(3)今年2月には国交相による埋め立て承認撤回の執行停止に関し、係争委は同じく「国の関与」に当たらないと県の申し出を却下している。
(4)形式論に終始し実質審理に踏み込まなかった係争委の姿勢は納得できない。地方自治を守る砦が形骸化し、存在意義が問われている。
(「新報」)
(1)米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を巡り、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」(係争委)は県の審査申し出を再び却下した。埋め立て承認撤回を取り消した国土交通相の裁決を不服とする県の申請に対してだ。2月には、埋め立て承認撤回の効力停止を不服とした県の主張を退けたが、それと同じ結論だ。
(2)係争委は県の審査請求の主張が前回と同趣旨だったため「判断も同旨となった」と説明した。「国が主張する内容の適法性を判断するものではない」とも述べた。国交相の判断が違法かどうかなど実質的な審議はせず形式論に終始し、またもや門前払いにした。
(3)係争委の判断を受けて県は国交相の裁決の取り消しを求めて福岡高裁に提訴する見通しだ。辺野古問題を巡る国と県の対立は再び法廷の場に移ることになる。


2.何が問題なのか。
(「タイムス」)
(1)今年2月には国交相による埋め立て承認撤回の執行停止に関し、係争委は同じく「国の関与」に当たらないと県の申し出を却下している。形式論に終始し実質審理に踏み込まなかった係争委の姿勢は納得できない。地方自治を守る砦が形骸化し、存在意義が問われている。
(2)係争委は国と自治体の関係を「上下・主従」から「対等・協力」に転換した1999年の地方自治法改正に伴い設置。国と自治体の紛争の解決のために公正・中立の立場で調停するのが筋だが、その役割を担っているか疑問だ。
(3)2015年に同じ構図で県の申し出が却下された際、当時の係争委は防衛省沖縄防衛局が「私人」と同じ立場で承認を受けたとする国交相の判断に「疑問も生じるところ」と疑義を呈し「一見明白に不合理であるとまでいうことはできない」と結論づけた。だが富越氏は「一見明白説をとらず、疑問は生じない」と明言した。自ら審理対象を狭め、国寄りへの転換ではないか。15年が賛成多数だったのに対し今回は5委員の全会一致だった点にも表れている。
(4)係争委の却下は県が行った撤回や、国交相の裁決についても適法か違法かの判断をしているわけではない。最終的な判断ではないのである。
(「新報」)
(1)行政不服審査制度を用いて撤回の審査を申し出た沖縄防衛局は一般私人と同様の立場にないため審査請求できないと県は主張する。内閣の一員である国交相は、防衛局の申し立てを判断できる立場にないとも指摘している。これに対し国は「防衛局は私人と同様の立場だ」と反論する。このため国の機関が審査庁になり得るとも主張している。
(2)これらの議論を巡る係争委の判断は前回同様、国の主張をうのみにした内容だ。国の主張に対しては、多くの行政法研究者が批判してきたが、それを無視した形だ。批判を真摯に受け止めているとは思えない。
(3)そもそも国が進める埋め立てには疑問が尽きない。大浦湾の軟弱地盤の改良は工期や工費を示せていない。県は、埋め立て工程の変更に関して環境保全を理由に国へ行政指導を再三実施している。環境面にも疑念が残る。こうした問題含みの工事について中身に踏み込まず形式論で門前払いしたことは、係争委が第三者機関として機能していないことを意味する。
(4)係争委は、国と自治体の関係を「上下・主従」から「対等・協力」に転換した1999年の地方自治法改正に伴い設置された。自治体の行政運営に対する国の介入が違法・不当だと判断すれば、是正を求める役割がある。ところが係争委は2月に続いて今回も国の主張に寄り添った。これではあるべき姿から程遠い。本来の役割を放棄し、国の追認機関と化しているように映る。


3.だから言わなければならないこと
(「タイムス」)
(1)県の主張は極めて常識的なことである。
(2)行政不服審査法(行審法)は国民(私人)の権利救済を図るのが目的である。行審法を国の機関の沖縄防衛局が利用するのは不適法である。公有水面埋立法では民間事業者と国の機関を明確に区別。防衛局が行審法を使って「私人」になりすまして審査請求・執行停止を申し立てたことに多くの行政法学者から批判を浴びたことからもわかる。
(3)裁決を下した審査庁の国交相は防衛省と同様、内閣の一員で、辺野古新基地を推進する立場である。安倍内閣の下で異なる判断が出るわけがないのである。国の「自作自演」というほかない。
(4)係争委は結果的に国の手法を追認しており、これが許されるなら自治体の処分が何であっても国の機関が覆すことができてしまう。
(5)県は係争委の結論を不服として福岡高裁那覇支部に訴訟を起こす方針だ。これとは別に、行政事件訴訟法に基づき、埋め立て承認の撤回を取り消した国交相の裁決を違法として取り消しを求める訴訟を那覇地裁に提起する見通しだ。
(6)司法には三権分立に則り、政権に忖度することなく中立・公正な審理を求めたい。
(「新報」)
(1)県が係争委に申し出たのは、いくら対話による解決を求めても政府が聞く耳を持たないからだ。投票者の約7割が反対した県民投票後も政府が姿勢を変えない中、第三者機関が機能しないのでは、自治にとどまらず、日本の民主主義制度全体が機能不全に陥っているとしか思えない。
(2)沖縄以外の人々にとっても人ごとではないはずだ。このあからさまな実態に目を向けてほしい。


 あらためて確認する。
 国地方係争処理委員会(係争委)は、国と自治体の関係を「上下・主従」から「対等・協力」に転換した1999年の地方自治法改正に伴い設置されたものであり、国と自治体の紛争の解決のために公正・中立の立場で調停するのが本来の仕事である。したがって、今回もまた、係争委員会は、その役割を逸脱した。
 日本という国を考えるとは、一つには、日本の司法の今を知るということである。この問題で、日本の司法は、本来の役割を果たすことができるのかを、注視する。




by asyagi-df-2014 | 2019-06-25 07:05 | 持続可能な社会 | Comments(0)

子どもの貧困対策法が改正されたこと。

 子どもの貧困対策法が改正された。
 このことがどういう意味を持つのか。
 朝日新聞(以下、「朝日」)は2019年6月13日、「改正子どもの貧困対策法が12日、参院本会議で全会一致で可決され成立した。貧困改善に向けた計画づくりを市区町村の努力義務とすることが柱で、地域の実情に合った対策の推進を目指す。すでに独自の取り組みを進める自治体もあり、動きが広がるかが課題だ。」、と伝えた。
実は、子どもの貧困対策法は、2013年に成立していた。
 「朝日」は2019年6月17日、「子どもの貧困 目前の危機まず救おう」、と社説で論評した。
「朝日」は、今回の改正について、次のように評価している。


「6年前に制定された現行法は、親から子に貧困が受け継がれるのを防ぐことを目的とし、施策の力点を教育の支援に置いていた。いわば『将来』を見すえた法律といえる。これに対し改正法は、将来だけでなく『現在』の貧困の解消を目的に明記し、対策として、保護者の仕事の安定・向上や所得の増大に役立つ支援をすることを新たに盛り込んだ。大きな前進だ。貧困の連鎖を断つのはむろん大切だが、まず目の前の生活苦を克服しなくては、未来を思い描けない。残念なのは、『貧困率を○年以内に○%以下にする』といった数値目標の導入が、与野党の事前調整で見送られてしまったことだ。独り歩きしかねない目標よりも、具体的に何をするかが大事であり、それを検証する仕組みづくりを政府に義務づけることにしたという。しかし、その検証の実をあげる意味でも、何らかの目標設定は必要ではないのか。改正法の効果を見ながら、引き続き議論すべきテーマだ。まず何よりも、足元の現実をふまえた政策を充実させなくてはならない。」
 

 また、この改正法で盛り込まれなかった「数値目標」の問題については、「しかし、その検証の実をあげる意味でも、何らかの目標設定は必要ではないのか。改正法の効果を見ながら、引き続き議論すべきテーマだ。」、と指摘している。ただ、政府の「認知症対策基本法」の数値目標の件があるので、その意味の整理が必要である。
さらに、「朝日」は、「まず何よりも、足元の現実をふまえた政策を充実させなくてはならない。」との見解とともに、次のように子どもの貧困の実態と原因の解消に向けた具体的な取り組みの必要性について指摘する。


(1)たとえば母子家庭が大半を占めるひとり親世帯は、半分が貧困状態にある。先進国では最悪のレベルで改善が急務だ。
(2)大きな要因は、非正規労働が多く、賃金が低いことにある。雇用の質を良くするとともに、児童扶養手当などの経済支援を充実させ、苦境から抜け出す手助けをする必要がある。
(3)改正法はまた、これまでの都道府県に加えて、現場をかかえる市町村にも貧困の改善に向けた計画づくりを課した。強制ではなく努力義務ではあるが、自治体間で実践例を学びあって施策を練ってほしい。
(4)とりわけ求めたいのは「食の保障」である。貧困家庭の子にとって学校給食は不可欠の栄養源だ。夏休み明けにやせ細って教室に現れる例が少なくないことが、それを裏づける。主食、おかず、牛乳がそろう完全給食の実施率は、公立中の場合、全国平均で93%だが、神奈川県(45%)など低い地域も残る。解消を急ぎたい。一方で奈良市や埼玉県越谷市は夏休み中などに学童保育で給食を提供している。こうした先進的な取り組みが広がるよう、政府は財政面で後押しするべきだ。


 「朝日」は、最後に、子どもの貧困解消が進まない原因を押さえる。


「貧困を本人の責任だけに帰す空気が、貧困対策の遅れをもたらした。改正法は『背景に様々な社会的な要因がある』と指摘し、それをふまえた施策の推進をうたう。まず、この認識を共有することから始めたい。」


 子どもの貧困対策法の成立時のことを忘れられない。
 これで少しは、進んでくれるかとは想ったが、遅々としてその実態は改善されないできた。
 そのことを阻んできたのが、貧困を個人の責任にする自己責任論であった。また、背景としてそれを支えてきたのが、政権の成長戦略ではなかったか。
この改正が必要になったということは、子どもの貧困がより過酷になったということである。
出発点は、ここにある。




by asyagi-df-2014 | 2019-06-24 05:54 | 持続可能な社会 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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