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安倍晋三政権が認知症に関する施策の指針となる大綱を決定。

 安倍晋三政権は2019年6月18日、認知症に関する施策の指針となる大綱を決定した。
成長戦略に沿った社会保障費の減額を狙った「予防」の数値目標の導入は、大綱の原案では「予防と共生」となっていたものが「共生と予防」に修正されたなかで、削除されることになった。
この大綱について、朝日新聞(以下「朝日」)は、「これまでは共生に軸足を置いてきたが、社会保障費の抑制などに向けて方針を転換」、と次のように報じた。


(1)政府は18日午前、認知症に関する施策を進めるための関係閣僚会議を開き、団塊の世代が75歳以上となる2025年までの取り組み方針をまとめた大綱を決定した。認知症になっても地域で安心して暮らせる『共生』と、認知症になる時期や進行を遅らせる『予防』を『車の両輪』として取り組むと明記した。これまでは共生に軸足を置いてきたが、社会保障費の抑制などに向けて方針を転換する。
(2)厚生労働省の推計では、認知症の人は25年には約700万人になり、高齢者の5人に1人にのぼる。大綱は「認知症はだれもがなりうる」としたうえで、運動不足の改善や社会参加などを進めた結果として「70歳代での発症を10年間で1歳遅らせることを目指す」とした。当初は数値目標で掲げる予定だったが、当事者らから「『認知症になるのは予防の努力が足りないからだ』との偏見を生みかねない」との反発を受けて参考数値に格下げした。
(3)共生の実現に向けては、車に代わる交通手段の確保や見守り体制の整備を進めるほか、認知症サポーターを20年度末までに1200万人養成するとした。原案には、老後の生活費が2千万円不足するとして資産形成・管理を呼びかける金融庁の審議会の報告書について「周知・浸透を図る」との記述もあったが、政府が正式な報告書として受け取らないと決めたことを受け、記述を削除した。                    (石川春菜)


 また、「朝日」は2019年6月19日、このことに関連して、「認知症『誰もがなりうる』 政府大綱が描く共生と予防」、と解説した。
 この中で、「予防」の数値目標を削減したことについて、次のように示している。


(1)団塊の世代が75歳以上となる2025年までを対象期間に、認知症になっても地域で安心して暮らせる「共生」と、認知症の発症や進行を遅らせる「予防」を「車の両輪」と位置づけた。予防の数値目標は反発を受けて撤回した。
(2)厚生労働省の推計では、認知症の人は25年には約700万人になり、65歳以上の5人に1人に上る。大綱は「認知症はだれもがなりうる」と指摘した上で、社会参加などを進めた結果として「70歳代での発症を10年間で1歳遅らせることを目指す」とした。15~25年が対象期間の従来の認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)は共生に重点を置いたが、今後は予防にも力を入れる。
(3)政府は当初、「70代で認知症になる時期を19~29年の10年間で1歳遅らせ、70代の認知症の人の割合を25年までに6%減らす」との数値目標を大綱に盛り込もうとした。だが、5月中旬に公表すると、当事者らが「予防に取り組んでいながら認知症になった人が『落第者』になり自信を失う」などと反発。最終的な大綱では「6%減」を削除し、「1歳遅らせる」は参考数値にとどめた。


 また、安倍晋三政権が、「予防」の数値目標を大綱に入れようとした目的については、次のように押さえている。


(1)予防を前面に打ち出すきっかけとなったのは、政府の経済財政諮問会議での議論だった。議事要旨によると、複数の民間議員が昨年10月の会合で、認知症にかかる医療・介護費などの社会的コストが30年には21兆円超になるとの試算に触れて、予防の重要性を主張。翌月の会合では、新浪剛史・サントリーホールディングス社長が、認知症を「日本経済に極めて大きな足かせとなる」としていた。当事者団体の幹部は「認知症の人や家族の声を脇に置いた、社会保障費の抑制の観点での議論だった」と残念がる。
(2)大綱を取りまとめた内閣官房と厚労省からは、「数値目標にあんなに反発があるとは」「軽率だった」との声が漏れる。原案では「予防と共生」だった語順も、大綱では「共生と予防」に修正。厚労省の担当者は「共生の基盤の上で予防を進めるという趣旨だ」と釈明した。
(3)また原案には、老後資金が2千万円不足するとして資産形成を呼びかける金融庁の審議会の報告書の「周知・浸透を図る」との記述もあったが、政府が受け取らないと決めたため記述を削除した。数値目標と同様、当事者の視点を欠いた内容の修正が相次いだ。


 「朝日」は、今回の大綱の決定について、最後に、次のように伝えた。


「認知症の人と家族の会代表理事の鈴木森夫さんは、数値目標が取り下げられたことは『評価したい』としつつも、『介護保険は、負担増や軽度向けサービス削減で【介護の社会化】の理想から後退を重ねている。本人や家族への支援を減らしながら【共生】の理念を掲げるのは矛盾する』と指摘。日本認知症本人ワーキンググループの藤田和子代表理事は、大綱が『本人』の意見や視点を踏まえた施策の推進を掲げたことを重視。『現在は地域差が大きい。身近な市町村で着実に実行され、希望をもって過ごせる人が増えるよう、私たち【本人】も一緒に取り組みたい』とする。」




by asyagi-df-2014 | 2019-06-27 05:49 | 持続可能な社会 | Comments(0)

「安心できる、無料の台所。」

 オスロ在住ジャーナリストの鐙麻樹さんのノルウェー通信を朝日新聞Globeで見つけました。
 今回は、「ノルウェー通信 世界初の無料学校給食を実現したフィンランドでは、ヴィーガンメニューも当たり前」(2019年6月11日)です。
 「フィンランドは世界初の無料給食を実現した国。給食の現場をのぞいてみると、ベジタリアンやヴィーガンといったメニューの豊富さだけでなく、日本の『こども食堂』の精神のようなものもありました。」、と報告されています。
以下、引用します。


 フィンランドの高校を取材中、「学食でランチを食べましょうか」と先生と生徒に誘われた。
 そこで、仰天したことがふたつ

・学校給食が無料
・肉料理・ベジタリアンに加えて、ヴィーガンが選択可能。ヴィーガンは義務化されたばかり
「子どもたちの育成と教育をサポートするために、無料給食は1943年に法律で制定された良い学校給食は未来への投資」Finnish National Board of Education「School meals in Finland」

 高校のリーマタイネン先生も、子ども時代を振り返り、「給食が無料は当たり前」という感覚で育ったという。

就学前教育、小学校~高校まで、給食費で心配することはない。

 「高い税金が何に使われているか、日常生活で明白に目に見えてわかるシステムですね」と私が言うと、「そうです。誇りをもっています」とほほ笑んだ。
 高校生のテルホ・ムティカさん(17)は、この日は授業がなかったが、学校給食だけを食べにやってきたという。「ベジタリアンの友達はたくさんいますよ。今日は学校には食べに来ただけ。食べたら、家に帰って宿題をする」と話す。
 北欧の学校では制服がないのが普通なので、みんな私服。この学校では出入りも自由で、他の学校の子どもでも忍び込んで食べることができそうだった。
 誰が出入りして給食を食べているかは、特にチェックしていないという。
 「給食担当員は生徒の顔を覚えているだろうし、ほかの地域の子どもがたまに給食を食べていても、あまり大きな問題ではない」と先生は話す。
 「平等」精神を重んじる北欧では、競争社会であるアジアよりも他人を信頼する傾向が強い。信頼でなりたつ仕組みが、ここにもあった。
 お腹が空いた時、給食だけを食べに学校に来てもいい。居場所がある安心感。
 保護者の収入や家庭状況にふりまわされることなく、金銭的な心配をせずにご飯を食べて育つ。
 日本のように、「給食費未納」がニュースになることはない。心が豊かな人が育ちそうだ。
 さらに驚いたのが、給食のバラエティ。ブッフェ形式で好きな食材を、好きな量だけ食べることができるのだが、「肉」に加えて、「ベジタブル」と「ヴィーガン」まであった。
 環境問題に配慮して、肉食(特に赤肉)を減らそうという議論が盛んな北欧。
 「ベジタブル」メニューの選択があるのは驚かないが、「ヴィーガン」まであるのにはびっくり仰天してしまった。
 ヴィーガン・カルチャーがこれほどまで力を発揮しはじめたか、と驚くのは私だけだろか。
 自治体エスポー(首都ヘルシンキに隣接)からの指示で、ヴィーガン食の導入は義務なのだという。
 体に良い給食は完全無料だが、健康に悪そうなものはメニューにはない。豆乳や様々な種類の牛乳は無料だが、コーヒーは有料、デザートは一切ない。
 エスポー市では全学校に「週に1度はベジタリアンのみの日」も義務付けているという(肉はなし)。
 ベジタリアン食とヴィーガン食に関しては、大きな都市では同じように導入されており、小さな自治体では場所によって異なる。
 エスポー市の食品サービス局のディレクターであるアホラ氏に問い合わせると、次のような回答がきた。
 「何を食べたいかの選択の幅を広めてほしいという市民からの声が多かったため、市議会がヴィーガン食の導入を決定しました。ヴィーガン食によって、市はさらなるサステイナブルな発展をとげるでしょう」。
 タピオラ高校の給食の責任者であるティーナ・フロンデリウスさん。ヴィーガンは義務化されたので作っているが、意外と利用する生徒は少ないという。
 「ヴィーガン食を求めている生徒は『たくさんいる』と聞いていたんです。50~100人はヴィーガン食を選ぶのかしらと思ったら、9人しか食べない。9人!本当に需要があるのかとも思うけれど、これからどんどん増えるのかもしれない。肉メニューを選ぶ生徒は500~700人ほどいるけれど、明らかに肉を好む声は減ってきています。ベジタブルメニューを選ぶ生徒は200人ほどですね」。
 エスポー市でのヴィーガン義務化は4月から始まった。食品ロスを減らすために、毎日どのメニューがたくさん食べられたかを記録し、量を調整しているそうだ。ヴィーガンメニューを希望する生徒は事前に申請をする必要がある。
 「給食を食べるためだけに、学校に来る生徒は多い」と話すフロンデリウスさん。
それはそうだろう。これだけおいしいメニューを無料で食べることができるなら、私も毎日学校に通う。私たちは2回お代わりをして、お腹いっぱいになった。
 「このような形で社会に還元されるなら、高い税金を払うのもありだな」、と思った。給食を食べに、また学校に行きたい。きっと勉強をする集中力も増すだろう。
 安心できる、無料の台所。こういう居場所が、忙しく変化する現代社会ではより必要とされるのかもしれない。




by asyagi-df-2014 | 2019-06-26 06:05 | 持続可能な社会 | Comments(0)

この国の現状。係争委が県申請却下。

「[係争委、また却下]地方自治守る砦 形骸化」(沖縄タイムス)
「係争委が県申請却下 国追認機関と化している」(琉球新報)


 2019年6月18日の沖縄タイムス(以下、「タイムス」)と琉球新報(以下。「新報」)の両社の社説の見出しは、何を物語るのか。
これをもとに、日本という国を考える。


1.事実
(「タイムス」)
(1)名護市辺野古の新基地建設を巡り、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会(係争委)」(委員長・富越和厚元東京高裁長官)は17日の第2回会合で、県の審査申し出を却下した。県は埋め立て承認撤回を取り消した国土交通相の裁決は違法だとして取り消しの勧告を求めていた。
(2)富越氏は会合後の記者会見で埋め立て承認撤回を取り消した国交相の裁決は自治体の行政運営への介入を意味する「国の関与」に当たらず、「申し出は不適法」と却下の理由を説明した。
(3)今年2月には国交相による埋め立て承認撤回の執行停止に関し、係争委は同じく「国の関与」に当たらないと県の申し出を却下している。
(4)形式論に終始し実質審理に踏み込まなかった係争委の姿勢は納得できない。地方自治を守る砦が形骸化し、存在意義が問われている。
(「新報」)
(1)米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を巡り、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」(係争委)は県の審査申し出を再び却下した。埋め立て承認撤回を取り消した国土交通相の裁決を不服とする県の申請に対してだ。2月には、埋め立て承認撤回の効力停止を不服とした県の主張を退けたが、それと同じ結論だ。
(2)係争委は県の審査請求の主張が前回と同趣旨だったため「判断も同旨となった」と説明した。「国が主張する内容の適法性を判断するものではない」とも述べた。国交相の判断が違法かどうかなど実質的な審議はせず形式論に終始し、またもや門前払いにした。
(3)係争委の判断を受けて県は国交相の裁決の取り消しを求めて福岡高裁に提訴する見通しだ。辺野古問題を巡る国と県の対立は再び法廷の場に移ることになる。


2.何が問題なのか。
(「タイムス」)
(1)今年2月には国交相による埋め立て承認撤回の執行停止に関し、係争委は同じく「国の関与」に当たらないと県の申し出を却下している。形式論に終始し実質審理に踏み込まなかった係争委の姿勢は納得できない。地方自治を守る砦が形骸化し、存在意義が問われている。
(2)係争委は国と自治体の関係を「上下・主従」から「対等・協力」に転換した1999年の地方自治法改正に伴い設置。国と自治体の紛争の解決のために公正・中立の立場で調停するのが筋だが、その役割を担っているか疑問だ。
(3)2015年に同じ構図で県の申し出が却下された際、当時の係争委は防衛省沖縄防衛局が「私人」と同じ立場で承認を受けたとする国交相の判断に「疑問も生じるところ」と疑義を呈し「一見明白に不合理であるとまでいうことはできない」と結論づけた。だが富越氏は「一見明白説をとらず、疑問は生じない」と明言した。自ら審理対象を狭め、国寄りへの転換ではないか。15年が賛成多数だったのに対し今回は5委員の全会一致だった点にも表れている。
(4)係争委の却下は県が行った撤回や、国交相の裁決についても適法か違法かの判断をしているわけではない。最終的な判断ではないのである。
(「新報」)
(1)行政不服審査制度を用いて撤回の審査を申し出た沖縄防衛局は一般私人と同様の立場にないため審査請求できないと県は主張する。内閣の一員である国交相は、防衛局の申し立てを判断できる立場にないとも指摘している。これに対し国は「防衛局は私人と同様の立場だ」と反論する。このため国の機関が審査庁になり得るとも主張している。
(2)これらの議論を巡る係争委の判断は前回同様、国の主張をうのみにした内容だ。国の主張に対しては、多くの行政法研究者が批判してきたが、それを無視した形だ。批判を真摯に受け止めているとは思えない。
(3)そもそも国が進める埋め立てには疑問が尽きない。大浦湾の軟弱地盤の改良は工期や工費を示せていない。県は、埋め立て工程の変更に関して環境保全を理由に国へ行政指導を再三実施している。環境面にも疑念が残る。こうした問題含みの工事について中身に踏み込まず形式論で門前払いしたことは、係争委が第三者機関として機能していないことを意味する。
(4)係争委は、国と自治体の関係を「上下・主従」から「対等・協力」に転換した1999年の地方自治法改正に伴い設置された。自治体の行政運営に対する国の介入が違法・不当だと判断すれば、是正を求める役割がある。ところが係争委は2月に続いて今回も国の主張に寄り添った。これではあるべき姿から程遠い。本来の役割を放棄し、国の追認機関と化しているように映る。


3.だから言わなければならないこと
(「タイムス」)
(1)県の主張は極めて常識的なことである。
(2)行政不服審査法(行審法)は国民(私人)の権利救済を図るのが目的である。行審法を国の機関の沖縄防衛局が利用するのは不適法である。公有水面埋立法では民間事業者と国の機関を明確に区別。防衛局が行審法を使って「私人」になりすまして審査請求・執行停止を申し立てたことに多くの行政法学者から批判を浴びたことからもわかる。
(3)裁決を下した審査庁の国交相は防衛省と同様、内閣の一員で、辺野古新基地を推進する立場である。安倍内閣の下で異なる判断が出るわけがないのである。国の「自作自演」というほかない。
(4)係争委は結果的に国の手法を追認しており、これが許されるなら自治体の処分が何であっても国の機関が覆すことができてしまう。
(5)県は係争委の結論を不服として福岡高裁那覇支部に訴訟を起こす方針だ。これとは別に、行政事件訴訟法に基づき、埋め立て承認の撤回を取り消した国交相の裁決を違法として取り消しを求める訴訟を那覇地裁に提起する見通しだ。
(6)司法には三権分立に則り、政権に忖度することなく中立・公正な審理を求めたい。
(「新報」)
(1)県が係争委に申し出たのは、いくら対話による解決を求めても政府が聞く耳を持たないからだ。投票者の約7割が反対した県民投票後も政府が姿勢を変えない中、第三者機関が機能しないのでは、自治にとどまらず、日本の民主主義制度全体が機能不全に陥っているとしか思えない。
(2)沖縄以外の人々にとっても人ごとではないはずだ。このあからさまな実態に目を向けてほしい。


 あらためて確認する。
 国地方係争処理委員会(係争委)は、国と自治体の関係を「上下・主従」から「対等・協力」に転換した1999年の地方自治法改正に伴い設置されたものであり、国と自治体の紛争の解決のために公正・中立の立場で調停するのが本来の仕事である。したがって、今回もまた、係争委員会は、その役割を逸脱した。
 日本という国を考えるとは、一つには、日本の司法の今を知るということである。この問題で、日本の司法は、本来の役割を果たすことができるのかを、注視する。




by asyagi-df-2014 | 2019-06-25 07:05 | 持続可能な社会 | Comments(0)

子どもの貧困対策法が改正されたこと。

 子どもの貧困対策法が改正された。
 このことがどういう意味を持つのか。
 朝日新聞(以下、「朝日」)は2019年6月13日、「改正子どもの貧困対策法が12日、参院本会議で全会一致で可決され成立した。貧困改善に向けた計画づくりを市区町村の努力義務とすることが柱で、地域の実情に合った対策の推進を目指す。すでに独自の取り組みを進める自治体もあり、動きが広がるかが課題だ。」、と伝えた。
実は、子どもの貧困対策法は、2013年に成立していた。
 「朝日」は2019年6月17日、「子どもの貧困 目前の危機まず救おう」、と社説で論評した。
「朝日」は、今回の改正について、次のように評価している。


「6年前に制定された現行法は、親から子に貧困が受け継がれるのを防ぐことを目的とし、施策の力点を教育の支援に置いていた。いわば『将来』を見すえた法律といえる。これに対し改正法は、将来だけでなく『現在』の貧困の解消を目的に明記し、対策として、保護者の仕事の安定・向上や所得の増大に役立つ支援をすることを新たに盛り込んだ。大きな前進だ。貧困の連鎖を断つのはむろん大切だが、まず目の前の生活苦を克服しなくては、未来を思い描けない。残念なのは、『貧困率を○年以内に○%以下にする』といった数値目標の導入が、与野党の事前調整で見送られてしまったことだ。独り歩きしかねない目標よりも、具体的に何をするかが大事であり、それを検証する仕組みづくりを政府に義務づけることにしたという。しかし、その検証の実をあげる意味でも、何らかの目標設定は必要ではないのか。改正法の効果を見ながら、引き続き議論すべきテーマだ。まず何よりも、足元の現実をふまえた政策を充実させなくてはならない。」
 

 また、この改正法で盛り込まれなかった「数値目標」の問題については、「しかし、その検証の実をあげる意味でも、何らかの目標設定は必要ではないのか。改正法の効果を見ながら、引き続き議論すべきテーマだ。」、と指摘している。ただ、政府の「認知症対策基本法」の数値目標の件があるので、その意味の整理が必要である。
さらに、「朝日」は、「まず何よりも、足元の現実をふまえた政策を充実させなくてはならない。」との見解とともに、次のように子どもの貧困の実態と原因の解消に向けた具体的な取り組みの必要性について指摘する。


(1)たとえば母子家庭が大半を占めるひとり親世帯は、半分が貧困状態にある。先進国では最悪のレベルで改善が急務だ。
(2)大きな要因は、非正規労働が多く、賃金が低いことにある。雇用の質を良くするとともに、児童扶養手当などの経済支援を充実させ、苦境から抜け出す手助けをする必要がある。
(3)改正法はまた、これまでの都道府県に加えて、現場をかかえる市町村にも貧困の改善に向けた計画づくりを課した。強制ではなく努力義務ではあるが、自治体間で実践例を学びあって施策を練ってほしい。
(4)とりわけ求めたいのは「食の保障」である。貧困家庭の子にとって学校給食は不可欠の栄養源だ。夏休み明けにやせ細って教室に現れる例が少なくないことが、それを裏づける。主食、おかず、牛乳がそろう完全給食の実施率は、公立中の場合、全国平均で93%だが、神奈川県(45%)など低い地域も残る。解消を急ぎたい。一方で奈良市や埼玉県越谷市は夏休み中などに学童保育で給食を提供している。こうした先進的な取り組みが広がるよう、政府は財政面で後押しするべきだ。


 「朝日」は、最後に、子どもの貧困解消が進まない原因を押さえる。


「貧困を本人の責任だけに帰す空気が、貧困対策の遅れをもたらした。改正法は『背景に様々な社会的な要因がある』と指摘し、それをふまえた施策の推進をうたう。まず、この認識を共有することから始めたい。」


 子どもの貧困対策法の成立時のことを忘れられない。
 これで少しは、進んでくれるかとは想ったが、遅々としてその実態は改善されないできた。
 そのことを阻んできたのが、貧困を個人の責任にする自己責任論であった。また、背景としてそれを支えてきたのが、政権の成長戦略ではなかったか。
この改正が必要になったということは、子どもの貧困がより過酷になったということである。
出発点は、ここにある。




by asyagi-df-2014 | 2019-06-24 05:54 | 持続可能な社会 | Comments(0)

認知症基本政策策定とは。(3)

 安倍晋三政権が、認知症対策の新大綱にそんな「数値目標」を盛り込もうとした愚策に、新たな展開が生まれた。
 2019年6月15日の佐賀新聞の「政府の認知症対策 緻密な議論が必要だ」との社説を著した。。共同通信の辻村達哉の署名入りで。
佐賀新聞は事実経過を次のように伝える。


(1)70代の発症を10年間で1歳遅らせる。政府は認知症対策の新大綱にそんな「数値目標」を盛り込もうとして、取り下げた。新たな偏見につながるとする反対意見に配慮してのことだという。もっとも「参考値」としては残す。運動など発症を遅らせる可能性が示唆される取り組みを推進し、その結果として70代の発症を10年間で1歳遅らせることを目指す、ということだそうだ。
(2)取り下げた理由も参考値として残す意味合いも、実に不可解だ。偏見を避けたいなら誤解を解けばいいだけだ。根本的な誤りを認めようとしない旧態依然とした姿勢に、改めて危うさを覚える。


 こうした見解の根拠は、次のように明解である。


(1)科学的事実はこうだ。認知症を防ぐ方法も進行を止める方法も今のところ、ない。数値目標を立てても達成するすべがないのだ。参考値としてであれ、SFじみた数字を政策に掲げる国は果たして文明国なのか。
(2)さまざまな研究結果をまとめて分析し、認知症のリスクとなる年代別の要因を調べた研究が2017年、英医学誌ランセットに発表された。18歳未満の低学歴(初等教育まで)、45~65歳の高血圧、肥満、聴力低下、65歳超の喫煙、抑うつ、運動不足、社会的孤立、糖尿病という九つの要因が組み合わさり、発症全体の35%に絡んでいる可能性があるとした。ただし、それぞれの要因と認知症との間に因果関係が確立しているわけではない。あくまでも可能性にすぎないのだ。しかも関連していそうな割合は35%だから、全要因を改善しても認知症になることは当然ある。
(3)改善の取り組みが全く無意味だということではない。認知症の予防効果はなくても、健康を長く保つ上でどれも重要だ。しかし、その結果として、認知症の発症が先延ばしになる保証はない。
(4)認知症の人の数は15年の約520万人から25年には約700万人になる見通し。高齢化に伴い、その後も増える。予防できればいいが、できないのだから数値目標には意味がない。目標を達成できなかったとき、何が問題か分からないので政策検証にも役立たない。
(5)リスクとなる要因の改善は、中高年者の一般的な健康対策として進めれば十分だ。政府はこれまで取り組んできた、認知症の人と家族が地域で安心して暮らせる「共生」社会の実現にこそ、一層力を注ぐべきだ。


 続けて、佐賀新聞は「非科学的な数値目標は官邸が主導する作業の中で立てられた。そのせいか、新大綱の素案には他にも問題点がある。」、と違う観点での問題点を指摘する。


(1)例えば、予防に役立つと考えられる民間の商品やサービスを評価、認証する仕組みを検討する、とある。予防法が不明なのにそんな仕組みが必要なのか。科学的根拠の乏しい商品やサービスが出回ることにならないか。
(2)官邸主導による政策の粗雑さは分野を問わない。1年前に閣議決定した統合イノベーション戦略は「参考値」として「23年度までに世界大学ランキングトップ100に10校以上」を設定した。同ランキングは留学生向けのPRであり、上位ランク入りを狙う大学にノウハウを高値で売るビジネスにすぎない。その程度のものが「知の創造」の目標になってしまうのが、今の官邸主導の実態なのだ。


 佐賀新聞は、最後は、「複雑な社会的課題に対応するには、専門知識に基づく緻密な議論が欠かせない。」、とまとめることになる。


 確かに、はっきりした問題は、「根本的な誤りを認めようとしない旧態依然とした姿勢」「官邸主導による政策の粗雑さは分野を問わない。」(佐賀新聞)、との安倍晋三政権の手法であった。
 それも、「科学的事実はこうだ。認知症を防ぐ方法も進行を止める方法も今のところ、ない。数値目標を立てても達成するすべがないのだ。参考値としてであれ、SFじみた数字を政策に掲げる国は果たして文明国なのか。」(佐賀新聞)、というのだからどうしようもない。




by asyagi-df-2014 | 2019-06-22 06:14 | 持続可能な社会 | Comments(0)

「自分の頭で考えろ」ということ。

 窪田順生さんのYAHOOニュ-ス(DAIAMOND ONNLINE)は、「自分の頭で考えろ」ということで、いろんなことを考えさせられました。
以下に、「『年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる』と日本人をミスリードをしたのは誰か」を引用します。


「年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる」と日本人をミスリードをしたのは誰か

 「老後に公的年金以外に2000万円以上が必要」と書かれた金融庁の報告書が大炎上している。しかし、そもそも「年金だけで老後は安泰ではない」ことは30年以上も前から常識だったはず。一体いつの間に、「年金だけで死ぬまで安心」と信じる日本人が増えたのか?過去をたどると、小泉政権時代の「年金100年安心プラン」に行きつく。(ノンフィクションライター 窪田順生)

● 「年金だけで死ぬまで安心」と 思っていた日本人は一定数いる

 財布のヒモが堅い日本人をちょっぴりビビらせて、「つみたてNISA」などにカネをつぎ込ませたかっただけなのに、なぜ「選挙の争点」だとか「国家的詐欺」なんて感じで大騒ぎになってしまうのか、と金融庁も頭を抱えているかもしれない。

 連日のようにマスコミと野党がうれしそうに取り上げている、「老後2000万不足」問題のことだ。

 既に多くの専門家が指摘しているように、これは、貯蓄・退職金ゼロで、定年退職からの30年を年金オンリーで遊んで暮らそう、というかなりポジティブシンキングなご夫婦をモデルケースした「恣意的な試算」である。

 要するに、金融業界関係者が多く名を連ねる有識者会議「市場ワーキング・グループ」の皆さんが、「とにかく日本人はタンス預金じゃなくて投資にカネを回せ」という熱い思いを強く出しすぎてしまったせいで、世論をミスリードしてしまったのだ。

 その一方で、今回の問題は、もうひとつ別の「ミスリード」も浮かび上がらせたという点においては、極めて大きな意味があったと思っている。それは、「年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる」というミスリードだ。

 「老後2000万不足」報告書を受け、「聞いていないよォ!」とダチョウ倶楽部のように怒っている方たちや、「びっくりした」「100年安心詐欺だ」「選挙の争点にする」とキレている立憲民主党の辻元清美さんなどをご覧になればわかるように、世の中には、「年金だけあれば貯蓄ゼロでも死ぬまで安心」と思い込んでいた方が一定数いらっしゃる。

 もちろん、現実はそんなに甘くない。ネットの経済ニュースを見れば、ファイナンシャルプランナーの方たちが、「65歳以上は持ち家でも3500万は必要」「ゆとりある生活を送るなら4500万はいる」などと、さも「常識」のように語っているし、三菱UFJ信託銀行のホームページにも特にもったいぶった形でなく、しれっとこう書かれている。

 「一般的には老後資金の目安は3000万円だといわれることもありますが、これは年金以外の収入がなくなった際に、年金だけではまかないきれない分を指しています」

● 「貯蓄も必要」は30年前から 常識だったはずである

 このような情報には一切耳を塞ぎ、「年金だけ払ってればチャラヘッチャラ」と余裕をかましている人がいるということは、彼らをそう信じさせるだけの何か強烈な「ミスリード」があったということなのだ。

 という話をすると、「年金以外にそんな大金がいるという話の方が安倍政権のミスリードだろ」と、怒りでどうにかなってしまう方もおられるだろうが、「年金だけでは生活ができない」というのは、安倍政権の年金運用破綻が引き起こした「不都合な真実」でもなんでもなく、かれこれ30年以上前から当たり前のように言われ続けてきた「常識」なのだ。

 例えば、1984年、郵政省が出した資料の試算によると、当時の60歳以上の預金目標額は2050万円だが、実際の60歳以上の平均預金は884万だった。そして、当時の平均余命から60歳以上が亡くなるまでの約19年で必要とするのが5885万円と試算し、その19年間の厚生年金支給額が概算で3265万円なので、不足額が2619万円だとそろばんを弾いている。

 これを受けて、当時の参議院の委員会で、自民党から日本新党、新進党、民主党へと渡り歩いた松岡満寿男議員は、労働省(当時)の官僚に以下のように質問している。

 「六十歳以上の方で二千万ぐらい要するに預金をしておきたいと。しかし、実際八百万だという。その二千万がたまたま不足額に、大体十九年間生きるとしてなってきておるんですね。そうすると、やはり年金だけでやっていくというのは非常に難しい。そのために預金をしておるという現実があるのか、どうなのかよくわかりませんけれども、少なくともそういうデータが出ているようなんですが、我が国の年金のレベルというものが一体どうなんだろうか」(国民生活・経済に関する調査特別委員会高齢化社会検討小会委員会 1984年04月25日)

 熱湯風呂の前で「聞いてないよォ」とゴネるダチョウ倶楽部が、実は番組スタッフと綿密に段取りを打ち合わせしているのとまったく同じで、「年金だけで生活できないなんて聞いてないよォ」と驚く野党の皆さんも、実は国会での論戦や、官僚から耳にタコができるほど聞かされた話なのだ。

 では、30年前は当たり前だった「年金以外にも貯蓄が必要」が、なぜいつの間にか「年金だけで死ぬまで安泰」になったのか。

 いろいろな意見があるだろうが、筆者は小泉政権時代に政府が年金改革で掲げた「100年安心」というキャッチフレーズが招いたミスリードだと思っている。

● 小泉政権時代の「100年安心」は なぜミスリードされたのか?

 この政策のベースになったのは、自民党と連立政権を組んだ公明党の「年金100年安心プラン」だ。その概要について、同党の池添義春議員のホームページでは、このように説明している。

 1.保険料は18.3%を上限に2017年まで段階的に引き上げ、それ以上保険料が上らないようにした
2.もらえる年金はモデル世帯で現役世代の手取り収入の50%を確保

 どこにも「年金だけで死ぬまで生活できますよ」、などとは書かれていないのだ。しかし、この「100年」という言葉が、世の中に「年金だけもらっていれば100年生きていける」かのような誤解を与えてしまうのだ。

 その象徴的なやりとりが、2004年の参議院の議事録に残っている。今回の「老後2000万不足」でも安倍首相を厳しく追及する共産党の小池晃議員が、小泉純一郎首相(当時)にも、公的年金だけでは生きていけない、と詰め寄ったところ、小泉氏はこのように述べた。

 「公的年金だけで全部生活費をみるということとは違うと思うんですね。大きな柱の一つになってきているというのは事実でありますが、そのほかに日ごろの備えをしていかなきゃならないという点もあるでしょう」(参議院決算委員会 平成16年05月31日)

 もちろん、これを小池氏は厳しく批判するのだが、そこで興味深いことをおっしゃっている。

 「公的年金だけで生きていけないというのであれば、百年安心の年金制度などという看板はでたらめじゃないですか」(同上)

 さらに、この小池氏の反論を受けて、小泉氏はこう述べている。

 「公的年金ですべて生活できる人も一部にはいるでしょう。しかし、公的年金以外に自分の蓄えているものもあるでしょう。そして、なおかつ生活保護制度というのもあります。いろいろな組み合わせです」(同上)

 お分かりだろうか。小泉氏は、公的年金が老後資金の柱の一つになってきていることが「百年安心」という認識だが、小池氏は、公的年金だけで生活ができることが「百年安心」だと考えているので、まったく話が噛み合っていないのだ。

● ミスリードに踊らされず 自分の頭で考えよ

 当時、このようなズレた議論が連日のように繰り返され、マスコミも大きく取り上げていた。その中で、「100年安心」というキャッチーな響きが、ひとり歩きをして、「年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる」というミスリードを招いた可能性が高いのだ。

 というと、共産党や小池氏を批判しているように聞こえるかもしれないが、そういうつもりは毛頭ない。

 政権側の「言葉」の揚げ足取りをするのは、野党の仕事だ。むしろ、「100年安心」なんてツッコミどころ満載のネーミングをした政権側の脇の甘さが問題だ。

 しかも共産党は、企業や富裕層にガッツリ課税して、防衛費も減らして、年金だけで本気で100年暮らせる、いわば共産主義的社会を目指している政党である。そういう政策の人たちだから、「年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる」という社会像を国民に吹聴するのは当然だし、それが実現できていない政権に噛み付くのも、しごく当たり前のアクションだ。

 そこに共感する人は、共産党を応援して一票を投じればいいだけの話である。ただ、そういうイデオロギーなしに、「年金以外に金がかかるなんて安倍政権にダマされた!」「消えた年金問題の再来だ!」というのは、ちょっと違う気がする。

 安倍首相もかねてから、「基礎年金だけで老後に必要なものを全て賄うことはできない」「蓄えも含め、また、万全な老後が可能となるよう政府としても努力もしていきたい」(予算委員会 30年2月5日)と述べているからだ。

 金融庁の報告書もかなり恣意的なミスリードだが、一部野党やマスコミの「国家的詐欺」「安倍政権の年金運用ミス」という攻撃も、それに負けず劣らず恣意的なミスリードなのだ。

 参院選を控えて今は、与党も野党も「争点」を探している状況である。そこで活躍するのが、演技上手の政治家だ。彼らは馴染みのマスコミを利用して、「こんなひどい話は聞いたことがない」「国民を愚弄するな」なんてアカデミー賞ものの演技で、国民の怒りや不安を煽る。

 果たして、本当にその問題提起は日本のためになるのか。選挙演説で、あいつが悪い、こいつの息の根を止めないと日本はおしまいだ、と攻撃をするための「テーマ設定」ではないのか。

 マスコミの「現在、問題となっている」というナレーションに踊らされぬよう、自分自身の頭で考えて判断するリテラシーが、これまで以上に求められているのかもしれない。


 以下、YAHOOニュ-スの引用。


YAHOOニュ-ス-年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる」と日本人をミスリードをしたのは誰か-2019年6月13日


「年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる」と日本人をミスリードをしたのは誰か


「年金だけで老後は安泰」というミスリードの源流をたどっていくと、小泉政権時代の「年金100年安心プラン」に行きつく  Photo:JIJI


 「老後に公的年金以外に2000万円以上が必要」と書かれた金融庁の報告書が大炎上している。しかし、そもそも「年金だけで老後は安泰ではない」ことは30年以上も前から常識だったはず。一体いつの間に、「年金だけで死ぬまで安心」と信じる日本人が増えたのか?過去をたどると、小泉政権時代の「年金100年安心プラン」に行きつく。(ノンフィクションライター 窪田順生)

● 「年金だけで死ぬまで安心」と 思っていた日本人は一定数いる

 財布のヒモが堅い日本人をちょっぴりビビらせて、「つみたてNISA」などにカネをつぎ込ませたかっただけなのに、なぜ「選挙の争点」だとか「国家的詐欺」なんて感じで大騒ぎになってしまうのか、と金融庁も頭を抱えているかもしれない。

 連日のようにマスコミと野党がうれしそうに取り上げている、「老後2000万不足」問題のことだ。

 既に多くの専門家が指摘しているように、これは、貯蓄・退職金ゼロで、定年退職からの30年を年金オンリーで遊んで暮らそう、というかなりポジティブシンキングなご夫婦をモデルケースした「恣意的な試算」である。

 要するに、金融業界関係者が多く名を連ねる有識者会議「市場ワーキング・グループ」の皆さんが、「とにかく日本人はタンス預金じゃなくて投資にカネを回せ」という熱い思いを強く出しすぎてしまったせいで、世論をミスリードしてしまったのだ。

 その一方で、今回の問題は、もうひとつ別の「ミスリード」も浮かび上がらせたという点においては、極めて大きな意味があったと思っている。それは、「年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる」というミスリードだ。

 「老後2000万不足」報告書を受け、「聞いていないよォ!」とダチョウ倶楽部のように怒っている方たちや、「びっくりした」「100年安心詐欺だ」「選挙の争点にする」とキレている立憲民主党の辻元清美さんなどをご覧になればわかるように、世の中には、「年金だけあれば貯蓄ゼロでも死ぬまで安心」と思い込んでいた方が一定数いらっしゃる。

 もちろん、現実はそんなに甘くない。ネットの経済ニュースを見れば、ファイナンシャルプランナーの方たちが、「65歳以上は持ち家でも3500万は必要」「ゆとりある生活を送るなら4500万はいる」などと、さも「常識」のように語っているし、三菱UFJ信託銀行のホームページにも特にもったいぶった形でなく、しれっとこう書かれている。

 「一般的には老後資金の目安は3000万円だといわれることもありますが、これは年金以外の収入がなくなった際に、年金だけではまかないきれない分を指しています」

● 「貯蓄も必要」は30年前から 常識だったはずである

 このような情報には一切耳を塞ぎ、「年金だけ払ってればチャラヘッチャラ」と余裕をかましている人がいるということは、彼らをそう信じさせるだけの何か強烈な「ミスリード」があったということなのだ。

 という話をすると、「年金以外にそんな大金がいるという話の方が安倍政権のミスリードだろ」と、怒りでどうにかなってしまう方もおられるだろうが、「年金だけでは生活ができない」というのは、安倍政権の年金運用破綻が引き起こした「不都合な真実」でもなんでもなく、かれこれ30年以上前から当たり前のように言われ続けてきた「常識」なのだ。

 例えば、1984年、郵政省が出した資料の試算によると、当時の60歳以上の預金目標額は2050万円だが、実際の60歳以上の平均預金は884万だった。そして、当時の平均余命から60歳以上が亡くなるまでの約19年で必要とするのが5885万円と試算し、その19年間の厚生年金支給額が概算で3265万円なので、不足額が2619万円だとそろばんを弾いている。

 これを受けて、当時の参議院の委員会で、自民党から日本新党、新進党、民主党へと渡り歩いた松岡満寿男議員は、労働省(当時)の官僚に以下のように質問している。

 「六十歳以上の方で二千万ぐらい要するに預金をしておきたいと。しかし、実際八百万だという。その二千万がたまたま不足額に、大体十九年間生きるとしてなってきておるんですね。そうすると、やはり年金だけでやっていくというのは非常に難しい。そのために預金をしておるという現実があるのか、どうなのかよくわかりませんけれども、少なくともそういうデータが出ているようなんですが、我が国の年金のレベルというものが一体どうなんだろうか」(国民生活・経済に関する調査特別委員会高齢化社会検討小会委員会 1984年04月25日)

 熱湯風呂の前で「聞いてないよォ」とゴネるダチョウ倶楽部が、実は番組スタッフと綿密に段取りを打ち合わせしているのとまったく同じで、「年金だけで生活できないなんて聞いてないよォ」と驚く野党の皆さんも、実は国会での論戦や、官僚から耳にタコができるほど聞かされた話なのだ。

 では、30年前は当たり前だった「年金以外にも貯蓄が必要」が、なぜいつの間にか「年金だけで死ぬまで安泰」になったのか。

 いろいろな意見があるだろうが、筆者は小泉政権時代に政府が年金改革で掲げた「100年安心」というキャッチフレーズが招いたミスリードだと思っている。

● 小泉政権時代の「100年安心」は なぜミスリードされたのか?

 この政策のベースになったのは、自民党と連立政権を組んだ公明党の「年金100年安心プラン」だ。その概要について、同党の池添義春議員のホームページでは、このように説明している。

 1.保険料は18.3%を上限に2017年まで段階的に引き上げ、それ以上保険料が上らないようにした
2.もらえる年金はモデル世帯で現役世代の手取り収入の50%を確保

 どこにも「年金だけで死ぬまで生活できますよ」、などとは書かれていないのだ。しかし、この「100年」という言葉が、世の中に「年金だけもらっていれば100年生きていける」かのような誤解を与えてしまうのだ。

 その象徴的なやりとりが、2004年の参議院の議事録に残っている。今回の「老後2000万不足」でも安倍首相を厳しく追及する共産党の小池晃議員が、小泉純一郎首相(当時)にも、公的年金だけでは生きていけない、と詰め寄ったところ、小泉氏はこのように述べた。

 「公的年金だけで全部生活費をみるということとは違うと思うんですね。大きな柱の一つになってきているというのは事実でありますが、そのほかに日ごろの備えをしていかなきゃならないという点もあるでしょう」(参議院決算委員会 平成16年05月31日)

 もちろん、これを小池氏は厳しく批判するのだが、そこで興味深いことをおっしゃっている。

 「公的年金だけで生きていけないというのであれば、百年安心の年金制度などという看板はでたらめじゃないですか」(同上)

 さらに、この小池氏の反論を受けて、小泉氏はこう述べている。

 「公的年金ですべて生活できる人も一部にはいるでしょう。しかし、公的年金以外に自分の蓄えているものもあるでしょう。そして、なおかつ生活保護制度というのもあります。いろいろな組み合わせです」(同上)

 お分かりだろうか。小泉氏は、公的年金が老後資金の柱の一つになってきていることが「百年安心」という認識だが、小池氏は、公的年金だけで生活ができることが「百年安心」だと考えているので、まったく話が噛み合っていないのだ。


● ミスリードに踊らされず 自分の頭で考えよ

 当時、このようなズレた議論が連日のように繰り返され、マスコミも大きく取り上げていた。その中で、「100年安心」というキャッチーな響きが、ひとり歩きをして、「年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる」というミスリードを招いた可能性が高いのだ。

 というと、共産党や小池氏を批判しているように聞こえるかもしれないが、そういうつもりは毛頭ない。

 政権側の「言葉」の揚げ足取りをするのは、野党の仕事だ。むしろ、「100年安心」なんてツッコミどころ満載のネーミングをした政権側の脇の甘さが問題だ。

 しかも共産党は、企業や富裕層にガッツリ課税して、防衛費も減らして、年金だけで本気で100年暮らせる、いわば共産主義的社会を目指している政党である。そういう政策の人たちだから、「年金だけで死ぬまで遊んで暮らせる」という社会像を国民に吹聴するのは当然だし、それが実現できていない政権に噛み付くのも、しごく当たり前のアクションだ。

 そこに共感する人は、共産党を応援して一票を投じればいいだけの話である。ただ、そういうイデオロギーなしに、「年金以外に金がかかるなんて安倍政権にダマされた!」「消えた年金問題の再来だ!」というのは、ちょっと違う気がする。

 安倍首相もかねてから、「基礎年金だけで老後に必要なものを全て賄うことはできない」「蓄えも含め、また、万全な老後が可能となるよう政府としても努力もしていきたい」(予算委員会 30年2月5日)と述べているからだ。

 金融庁の報告書もかなり恣意的なミスリードだが、一部野党やマスコミの「国家的詐欺」「安倍政権の年金運用ミス」という攻撃も、それに負けず劣らず恣意的なミスリードなのだ。

 参院選を控えて今は、与党も野党も「争点」を探している状況である。そこで活躍するのが、演技上手の政治家だ。彼らは馴染みのマスコミを利用して、「こんなひどい話は聞いたことがない」「国民を愚弄するな」なんてアカデミー賞ものの演技で、国民の怒りや不安を煽る。

 果たして、本当にその問題提起は日本のためになるのか。選挙演説で、あいつが悪い、こいつの息の根を止めないと日本はおしまいだ、と攻撃をするための「テーマ設定」ではないのか。

 マスコミの「現在、問題となっている」というナレーションに踊らされぬよう、自分自身の頭で考えて判断するリテラシーが、これまで以上に求められているのかもしれない。




by asyagi-df-2014 | 2019-06-21 06:02 | 持続可能な社会 | Comments(0)

何かをはき違えているのではないか。-沖縄タイムスから-

 前回、「何かをはき違えているのではないか。」、と書いた。
 この間、その思いはより大きくなっている。
 沖縄タイムス(以下、「タイムス」)は2019年6月13日、社説で「老後報告書 実質撤回] フタをせず説明尽くせ」、と論評した。
「タイムス」の結論は、「安倍政権の経済政策(アベノミクス)の恩恵を受けている層は、大企業や資産家など一部に限られている。単身高齢者の貧困や高齢者間の格差は深刻だ。議論すべきことを先送りしてきたツケが回ってきているのである。」、である。
まさに、正解である。
この批判の根拠を「タイムス」は次のように示す。


(1)国民の関心が極めて高い問題であるにもかかわらず、説明も議論も不十分なままだ。選挙を意識した国民不在のドタバタ劇が将来不安をかき立てている。
(2)麻生太郎金融担当相は、老後の資産形成を促した金融審議会の報告書を「正式な報告書としては受け取らない」ことを明らかにした。報告書は、夫65歳以上、妻60歳以上の高齢夫婦の場合、年金だけでは老後の資金をまかなえず、生活費が30年間で2千万円不足する、と試算している。年金以外に約2千万円の蓄えが必要だとの試算は、年金制度そのものへの不安をかき立て、各方面から反発を招いた。
(3)野党は一斉に「年金の『100年安心』はウソだったのか」と政府を追及した。自民党は参院選への影響を懸念し、金融庁に強く抗議した。
(4)審議会の作業部会が報告書を発表した当初、麻生氏は内容を容認する姿勢を示していた。各方面からの批判にさらされ、麻生氏は「表現が不適切だった」ことを認めた。自らが諮問して専門家らに作成させた報告書の受け取りを担当大臣が拒否するのは極めて異例である。


 今回の「タイムス」の指摘は、安倍晋三政権の手法そのものについての批判である。
 それは、「自民党は『政府は報告書を受け取っていない』との理由で、野党が要求した予算委員会の開催を拒否した。選挙への影響を最小限にとどめるため、公になった報告書そのものをなかったことにし、十分な説明もないままフタをしようとする-その姿勢が不信感を招き、年金不安を高めているのである。」、ということである。
 「タイムス」の批判は続く。


(1)予算委員会の開催は、衆院が3月1日、参院は3月27日が最後で、その後一度も開かれていない。なぜ、予算委で集中審議し、国民の不安に答えようとしないのか。それがまったく理解できない。
(2)少子高齢化が進む中で公的年金の給付水準が低下するのは避けられない、と言われ続けてきた。
(3)報告書は原案では、年金水準の「実質的な低下が見込まれる」としていた。公表された報告書では「今後調整が見込まれている」とのあいまいな表現に変わった。表現が変わっただけで、将来の想定が変わったわけではない。そして強調されたのが資産形成などの「自助」の勧めである。
(4)選挙前になると政権与党は、糖衣錠のような「おいしい話」を有権者向けに打ち出し、「苦い話」を避けたがる。だが、今必要なのは正確な事実に基づいた将来を見すえた制度構想だ。
(5)各世代に広がる年金不安を放置すれば、有権者は将来に備え、個人消費を抑制する。金融機関は投資を奨励するが、リスクを考えると、とてもなけなしの預貯金を投資に回すことはできない。


 政府が、新自由主義の手法で成長戦略を大企業のために画策してきたことにより、貧困格差は、歪なかたちで拡大されてきた。
その政策の失敗を「自助努力せよ」というのだから、許されるはずがない。
「各世代に広がる年金不安を放置すれば、有権者は将来に備え、個人消費を抑制する。金融機関は投資を奨励するが、リスクを考えると、とてもなけなしの預貯金を投資に回すことはできない。」、と「タイムス」の指摘は当たり前の話である。



by asyagi-df-2014 | 2019-06-19 06:14 | 持続可能な社会 | Comments(0)

何かをはき違えているのではないか。

 何かをはき違えているのではないか。
 もっと言えば、このニュースを目にした時、金融庁の薄ら笑いが見えた気がした。
自らが引き起こした結果に過ぎないにもかかわらず、おまえらには解決できないだろうと言っている気がした。
 どういうことなのか。
 琉球新報(以下、「新報」)は2019年6月10日、このことについて「金融庁報告書 自助努力では解決しない」、と批判した。
「新報」の批判は、「公的年金制度の限界を政府自らが認めたものだ。しかし、2千万円も足りなくなる年金の不足分を、個々の資産運用によって補えと言われても、どれだけの人が対応できるのか。自助努力には限りがある。」、ということにある。
 「新報」は、具体的に次のように指摘する。


(1)金融庁が3日公表した高齢社会の資産形成に関する報告書が議論を呼んでいる。年金だけでは老後の資金を賄えず、95歳まで生きるには夫婦で2千万円の蓄えが必要になると試算した。その上で計画的な資産形成をするよう促している。
(2)報告書によると、平均的な無職の夫65歳以上、妻60歳以上の高齢夫婦で、公的年金を中心とする収入が月約21万円なのに対し、支出は約26万円となり、月5万円の赤字が生じると試算した。これから20年生きるなら約1300万円、30年なら2千万円不足するという。
(3)年金とともに老後の生活資金の柱となる退職金も、直近は大学卒が平均2千万円程度で、ピーク時より3~4割減っている。今後も減少傾向は続くとしている。
(3)報告書は働き盛りの現役世代のうちから、積み立て型少額投資非課税制度「つみたてNISA」などで長期投資をするように促す。 低金利の中、預金を投資商品に振り向けさせたいとの思惑も透けて見える。


 「新報」の次の批判は、当たり前の反論である。


(1)しかし、多くの人は日々の生活に精いっぱいで投資と言われても対応できないのではないか。厚生労働省の調査によると日本人の7人に1人は貧困にあえいでいる。金融広報中央委員会の2017年の「家計の金融行動に関する世論調査」では「運用目的の預貯金」がない世帯が31・2%だった。18年の同調査では「預貯金が全くない世帯」は1・6%だった。
(2)投資はリスクも伴う。金融庁の昨年の調査では銀行で投資信託を購入した個人の46%が損をしている。資産運用を薦めるなら投資について学ぶ場を拡充するなどの対応が必要だ。
(3)反発の大きさに、政府は火消しに躍起だ。報告書の発表後に「俺の生まれた年の平均寿命は47(歳)だから」「今のうちから考えておかないといかん」と語っていた麻生太郎財務相は、7日には不足額を「赤字」と表現したのは不適切だったと述べた。
(4)しかし、平均寿命が延び続けていることは何十年も前から分かっていた。高齢社会を前提とした制度設計を怠っていた政府の責任は大きい。このままでは中高年世代の不安はもとより、若い世代が年金保険料を払い続ける気持ちが薄れてしまうことにはならないか。
(5)報告書は「100年安心」を喧伝(けんでん)しておきながら、公的年金が危機的な状況にあることを改めて浮き彫りにした。


 確かに、「政府は国民に自助努力や自己責任論を押しつける前に、長寿社会に対応した、誰もが安心して暮らせる公的年金制度を確立すべきだ。」(琉球新報)、ということに尽きる。



by asyagi-df-2014 | 2019-06-11 07:41 | 持続可能な社会 | Comments(0)

持続可能な社会を考えるために。信濃毎日新聞社説を読む。

 いつからか、「持続可能性」が非常に重要な概念だということに気づかされてきた。
 「3.11」は、このことをはっきり確認させた。
「限界集落」が目の前にちらつく地区に生活している今、あらためてこのことを考えてみる。


 信濃毎日新聞(以下、「信濃毎日」)は、2019年6月2日の社説を「食品ロスを減らす できることから始めたい」、と論評した。
「信濃毎日」の話は、「『水洗いしたもやしは、保存用袋に入れて冷凍保存ができるよ』『トマトは、ヘタを下にして保存すれば、柔らかいトマトの底を保護できるため傷みにくくなるよ』」から始まる。
 どういうことなのか。
 「信濃毎日」のはなしは、このように続けられる。


(1)松本大学(松本市)の学生プロジェクト「◎いただきます!!」は3月にレシピ集「親子でつくろう絶品!おうちごはん」を作った。掲載した12のレシピそれぞれに食材を長持ちさせる方法、上手に使うこつをメモで添えている。食べられるのに捨てられてしまう「食品ロス」の削減につなげてもらおうという狙いだ。
(2)食を通じた地域との交流の一環で昨年の夏、地元の児童センターの子どもたちを対象に料理教室を開いた。その際に考案したレシピを基にしている。松本市と共同で3千部作り、市内の児童センターなどに配った。
(3)本年度のリーダー、服部優花さん(19)=健康栄養学科2年=はレシピ集作成に向けて市の担当者とやりとりする中で「ロスを減らすために何かできればという思いが強まった」と話す。今年も8月に子ども料理教室を計画している。調理前のミニ講座では、学生たちが栄養や食品ロスなどについて解説する。
(4)昨年の子どもたちには「家でも作って、おいしく食べたよ」などと好評だった。会計と書記を担う都筑優乃さん(19)=同=は「子どもと料理を楽しみながら、親を含め、大人にも関心を高めてもらえたら」と期待を込める。

 「信濃毎日」は、「毎日茶わん1杯のご飯を捨てるのとほぼ同じ量」(琉球新報)にあたる『食品ロス』について、押さえる。


(1)売れ残った節分の恵方巻きが大量に捨てられるなど食品ロスは近年、社会問題になっている。農林水産省は今年、需要に見合った恵方巻きの販売をするよう業界団体に異例の要請をした。
(2)大量廃棄の見直し機運が高まる中、国会では先月、政府の対策や自治体ごとの計画作りを求める食品ロス削減推進法が成立した。改めて問題に目を向け、食べ物を無駄にしない工夫を重ねたい。
(3)日本の食品ロスは2016年度の推計で約643万トンに上っている。国民1人当たりにすると、毎日茶わん1杯のご飯を捨てるのとほぼ同じ量になる。
(4)「もったいない」だけでは済まない。過剰な食料生産や食品の焼却は多量のエネルギー消費、二酸化炭素(CO2)の排出を生む。大量廃棄の一方で、世界の9人に1人、8億人超が栄養不足に苦しんでいる。国際的な環境問題、貧困問題にもつながる課題だ。
(5)国連の持続可能な開発目標(SDGs)は、1人当たりの食品廃棄量を世界全体で30年までに半減することを掲げる。
(6)カロリーで見た日本の食料自給率は38%にとどまる。多くの食材を輸入している。食品ロスは世界の資源の無駄遣いでもある。削減を進める責任が重い。
(7)業界や企業の取り組みが進んではいる。例えば、食品業界の「3分の1ルール」と呼ばれる商習慣の見直しだ。賞味期限までの期間の3分の1を過ぎると小売店に納品できない。これを2分の1に緩和したりしている。
(8)コンビニもやっと本腰を入れ始めた。セブン―イレブン・ジャパンとローソンは消費期限の近づいた弁当などを買った人に5%分ポイント還元する方針を示した。実質的な値引き販売で売れ残りを抑える狙いである。外食産業でも小盛りのメニューを用意したり、食べ切れない分を持ち帰るための容器を提供したりする取り組みが見られる。

 「信濃毎日」は最後に、企業の責任だけでなく、「食品ロス問題の解決に特効薬はない。外食、買い物、料理…。日々の暮らしを見直し、それぞれにできることから始めたい。」と消費者の側の自覚を問うている。


(1)各企業はロスを出さない仕組み作りを急いでほしい。同時に消費者の行動も鍵になる。
(2)買い物では鮮度にこだわり過ぎていないか。期限の迫った食品が手に取られず、売れ残るようでは結局、捨てられてしまう。
(3)宴会などで食べ残しをなくすための「30・10(さんまる・いちまる)運動」も全国的に展開されている。乾杯後の30分間とお開き前の10分間は自分の席で料理を楽しもうというものだ。
(4)運動を始めた松本市は家庭での30・10も提唱する。毎月30日は冷蔵庫クリーンアップデー、10日はもったいないクッキングデーとする。冷蔵庫を点検し、期限の近いものなどを積極的に使う。捨てている野菜の茎や皮などを活用して親子で料理をする。
(5)食品ロスの半分近くは家庭から出ている。消費者庁は、買い物は使い切れる分だけにする、料理を作り過ぎないといったポイントを挙げる。当たり前のことの積み上げが削減への力になる。
(6)賞味期限の正しい理解も呼び掛けている。おいしく食べられる期限であり、過ぎてもすぐに食べられなくなるわけではない。
(7)食品ロス問題の解決に特効薬はない。外食、買い物、料理…。日々の暮らしを見直し、それぞれにできることから始めたい。


 確かに、持続可能性の観点から、「信濃毎日」の「『売れ残った節分の恵方巻きが大量に捨てられるなど食品ロスは近年、社会問題になっている。』から『食品ロスを減らす』」ことの意味を、きちっと把握する必要がある。
 日本の「食品ロス」の削減を進める意味について、考え方を次のように整理することができる。
1.過剰な食料生産や食品の焼却は多量のエネルギー消費、二酸化炭素(CO2)の排出を生むということ。
2.大量廃棄の一方で、世界の9人に1人、8億人超が栄養不足に苦しんでいる。国際的な環境問題、貧困問題にもつながる課題であること。
3.国連の持続可能な開発目標(SDGs)は、1人当たりの食品廃棄量を世界全体で30年までに半減することを掲げること。
4.カロリーで見た日本の食料自給率は38%にとどまる。多くの食材を輸入している。食品ロスは世界の資源の無駄遣いでもあること。                  5.日本全体にとって、削減を進める責任は非常に重いこと。


 あらためて、「信濃毎日」の「食品ロス問題の解決に特効薬はない。外食、買い物、料理…。日々の暮らしを見直し、それぞれにできることから始めたい。」、との指摘を振り返っている。



by asyagi-df-2014 | 2019-06-09 09:37 | 持続可能な社会 | Comments(0)

福島県の評価部会は、「現時点で、発見されたがんと被曝(ひばく)の関連は認められない」とする見解。

 朝日新聞は2019年6月4日、表題について次のように報じた。


(1)2011年の東京電力福島第一原発事故時に、18歳以下だった福島県民を対象にした14~15年度分の甲状腺検査について、福島県の評価部会は3日、「現時点で、発見されたがんと被曝(ひばく)の関連は認められない」とする見解を取りまとめた。
(2)今回検討した検査は、11~13年度に続く2巡目。約27万人が受診し、このうち71人で、がんまたはがんの疑いが発見された。
(3)部会では、国連科学委員会による被曝線量の推計を使って、受診者の推計線量と、がんやがんの疑い発見の比率を、性別や年齢、検査年度などの影響が残らないよう調整して分析。線量とがんの発見率に関係がないと結論づけた。
(4)出席者からは、被曝線量の推計が個人別ではなく、地域で区分していることなどが指摘されたが、鈴木元(げん)部会長は現時点でできうる範囲のものと説明。「今回の結果をもって、(今後も)事故の影響が出ないとは言えない」とも述べた。    
(奥村輝)



by asyagi-df-2014 | 2019-06-04 19:28 | 持続可能な社会 | Comments(0)

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