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「身の丈」発言。(6)

 大学入学共通テストの英語で導入される民間検定試験に関連して、文部科学大臣の「身の丈」発言(以下、「発言」)がなされた。
 この「発言」は、教育基本法の「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」が対置すればいいだけの、文部科学大臣の資質不足を露呈させるものでしかない。
また、この問題は、今回の英語民間試験の活用が「制度自体が『身の丈入試』であることを拭えない点だ。」(「朝日」2019年10月29日)、ということにある。
さらに、ことの「発言」そのものが、「政権の緩みやおごりの表れ」とされることは、日本の憂う現状を著しているが、逆に、日本の「教育格差」を炙り出しことになった。
 まず、安倍晋三政権が行わなければならないことは、「教育格差」の解消にあることは言うまでもない。


今回は、朝日新聞(以下、「朝日」)が「『身の丈』発言が浮き彫りにした教育制度の問題点』、としてインタビューを通した指摘をした。これを参考にする。
 最初は、「教育格差」のデータ無視 松岡亮二・早稲田大准教授」の報告。


(1)「身の丈」発言の後、萩生田さんは国会で「エールのつもりだった」と釈明していました。おそらく、あの発言に悪気はなかったのでしょう。
(2)発言の背景には、萩生田さんの考える「教育格差」とは、本人の志・能力・努力によって乗り越えられる程度のものだ、という認識があったのではないでしょうか。とすれば、それはデータが示す実態とは異なります。「生まれ」によって大きく人生の可能性が制限されている現実が日本にはあるからです。
(3)身の丈発言に、内心では同意した人もいるでしょう。社会にどれだけ自分の可能性を「諦めた」子どもたちがいるのかを想像せず、「格差はあっても、努力で乗り越えればいい。私はそうしてきた」というように。


 「朝日」は、「『身の丈』発言が浮き彫りにした教育制度の問題点とは。」、と斎藤孝・明治大学教授や、竹内洋・関西大学東京センター長にも聞きました、と次のように報告する。


(1)親の学歴を含む出身階層や出身地域によって、子どもが大学に進学しようと考えたり、日頃の学習意欲を持ったりすることに大きな格差があることは、多くの実証研究で明らかになっています。
(2)例えば、今年発表した私の研究では、中学1年ですでに、子どもが大学に進学することを期待する割合は両親が非大卒だと23%、一方の親が大卒だと41%、両親が大卒だと60%と明らかな差があり、親が大卒であるほど、子の学習時間も長いことが分かっています。
(3)社会経済的に恵まれない家庭の子どもたちは、ある時点で勉強を諦める傾向もあります。社会構造による教育格差があるのに、「勉強には向いていない」と、自身の可能性を低く見積もり、自分から「身の丈」で生きていこうとしているのだと思います。
(3)大学入学共通テストの導入は、現存する格差の拡大を後押しすると考えられます。テストの仕組みが複雑で選択肢もあまりに多いため、予備校などに相談し、膨大な情報を親と共に消化できる家庭の生徒ほど有利になるでしょう。
(4)英語民間試験では、一部受験生に金銭的な助成をするとも報じられましたが、親の協力を得て申請書を提出するのであれば、これ自体、見えない障壁です。
(5)経済的に恵まれない家庭の子は、自分の親にその申請書を渡すことすら躊躇(ちゅうちょ)するかもしれません。まさに自分が思い込んでいる「身の丈」に合わせようとする行動です。個人の選択ということもできますが、一方には、同じ障壁に悩むことなく受験勉強に打ち込める生徒もいるわけです。


 さて、「朝日」は、このようにこの報告を締めくくります。


「問題の根本は、これまでの『教育改革』が、データの蓄積や分析なしに、『これからはグローバル時代だ』といった理念で進められてきたことです。共通テストの国語と数学の記述式問題も、マークシートでは能力が測れないから導入するとのことですが、それはどの研究に基づくのでしょうか。理念先行で、ドーンと制度変更し、検証しない。そんな『改革のやりっ放し』はもうやめませんか。」(聞き手・稲垣直人)


 「身の丈」発言については、今回の「朝日」が十分に説明しています。
 確かに、安倍晋三政権の成長戦略というごり押し政策のもとで、より一層の「格差」が拡大されてきました。
 そうです。
 もうやめにしませんか。




by asyagi-df-2014 | 2019-11-12 07:26 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「身の丈」発言。(5)

 大学入学共通テストの英語で導入される民間検定試験に関連して、文部科学大臣の「身の丈」発言(以下、「発言」)がなされた。
 この「発言」は、教育基本法の「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」が対置すればいいだけの、文部科学大臣の資質不足を露呈させるものでしかない。
また、この問題は、今回の英語民間試験の活用が「制度自体が『身の丈入試』であることを拭えない点だ。」(「朝日」2019年10月29日)、ということにある。
さらに、ことの「発言」そのものが、「政権の緩みやおごりの表れ」とされることは、日本の憂う現状を著しているが、逆に、日本の「教育格差」を炙り出しことになった。
 まず、安倍晋三政権が行わなければならないことは、「教育格差」の解消にあることは言うまでもない。
今回は、朝日新聞(以下、「朝日」)の2019年10月30日の社説で、このことを押さえる。
「朝日」は、最初に、この件について、「制度が抱える構造的欠陥と、担当閣僚の不見識、無責任ぶりを示す発言と言うほかない。」、と断じる。
「朝日」の批判の根拠は、次のものである。まずは、経過の部分から。


(1)来年度から始まる「大学入学共通テスト」に英語の民間試験が導入されることによって、家庭の経済状況や住む地域による不公平が生じるのではないか。報道番組で問われ、萩生田光一文部科学相はこう答えた。
(2)「それを言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』というのと同じ」「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえば」。
(3)民間試験は英検など7種の中から受験生が自分で選ぶ。入試として受けられるのは2回までと決まっているが、別途、腕試しは何度でも自由にできる。受験料(1回約6千~2万5千円)に加えて会場までの交通費、場合によっては宿泊費もかかるため、都市部の裕福な家庭の子とそうでない子とで条件が違い過ぎると、懸念の声があがっている。生徒の側に「受けない」という選択肢はなく、予備校通いと同列に論じられる話でないのは明らかだ。
(4)入試には貧富や地域による有利不利がつきまとう。その解消に努めるのが国の責務であり、ましてや不平等を助長することはあってはならない。それなのに教育行政トップが「身の丈」を持ちだして不備を正当化したのだ。格差を容認する暴言と批判されたのは当然である。


 「朝日」は、今回のことに関して、次のようにまとめる。


(1)萩生田氏はきのう発言を撤回した。だが大臣として急ぎ取り組むべきは、改めて浮き彫りになった新制度の欠陥の是正ではないか。少なくとも受験料負担と試験会場をめぐる不公平の解消を図らねば、受験生や保護者の納得は得られまい。
(2)民間試験に関しては、異なるテストを受けた者の成績を公平に比較できるかなど、他にも課題は多いが、萩生田氏は今月初め、「初年度は精度向上期間」と述べて物議をかもした。
(3)改革の方向性は正しいのだから、多少問題があってもやるしかない。氏に限らず今回の入試改革の関係者には、そんな開き直った態度が見え隠れする。
(4)文科省のまとめでは民間試験を活用する大学・短大は6割にとどまる。中には一部の学部でのみ使う例もあるので、実際の使用率はもっと低い。また、求める得点レベルを極端に下げ、事実上成績不問とする大学も珍しくない。入試で最も大切な公平・公正に対する不安と不信の表れにほかならない。
(5)改革の目玉である民間試験への懐疑は、共通テスト制度そのものの信頼を揺るがす。矛盾を放置したまま実施を強行し、本番で問題が噴出したらどうなるか。文科省にとどまらない。そのリスクを政府全体で共有し、対策を講じるべきだ。


 結論は、すでに出ているではないか。
まずは、大学入学共通テストの英語で導入される民間検定試験の導入は延期すること。

 




by asyagi-df-2014 | 2019-11-07 10:07 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「身の丈」発言。(4)

 大学入学共通テストの英語で導入される民間検定試験に関連して、文部科学大臣の「身の丈」発言(以下、「発言」)がなされた。
 この「発言」は、教育基本法の「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」が対置すればいいだけの、文部科学大臣の資質不足を露呈させるものでしかない。
また、この問題は、今回の英語民間試験の活用が「制度自体が『身の丈入試』であることを拭えない点だ。」(「朝日」2019年10月29日)、ということにある。
さらに、ことの「発言」そのものが、「政権の緩みやおごりの表れ」とされることは、日本の憂う現状を著しているが、日本の「教育格差」を炙り出しことになった。
 まず、安倍晋三政権が行わなければならないことは、「教育格差」の解消にあることは言うまでもない。
今回は、しんぶん赤旗主張-受験「身の丈」発言 文科相として資格欠いている(2019年10月29日)-からこのことか考える。
しんぶん赤旗(以下、「赤旗」)の「憲法26条に真っ向から逆らう暴言」との指摘は、次のもの。


(1)2020年度からの大学入試共通テストで導入予定の民間英語試験について、地域や経済力で差がつくと懸念が出ている問題で、萩生田光一文部科学相が「自分の身の丈に合わせて」と発言しました。矛盾と問題だらけの新たな仕組みに不安を募らせる受験生らの切実な声に向き合おうとしないばかりか、経済格差などを当然視し、憲法が掲げる教育の機会均等をあからさまに否定する暴言です。こんな言葉を平然と口にした萩生田氏は教育行政トップの資格を欠いています。国民の批判を受け同氏は「陳謝」しましたが、それで済まされる問題ではありません。

差別的な発想そのもの
(2)萩生田氏の発言は、24日放送のBSフジ「プライムニュース」の中で、民間英語試験をめぐり、お金や地理的な条件で恵まれている人の試験を受ける回数が増えるなど不公平さを指摘する声がある、との司会者の質問に答えたものです。萩生田氏は「裕福な家庭の子が回数を受けてウオーミングアップできるようなことはあるかもしれないが、そこは自分の身の丈に合わせて」などと主張しました。
(3)これは“お金のない受験生は、その範囲で分相応に我慢しろ”という前近代的で差別的な発想そのものです。経済格差の固定・拡大を露骨に認める議論です。「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定めた憲法26条に真っ向から逆らう暴言という他ありません。
(4)だいたい萩生田氏の発言は、家庭の経済力の違いなどで、人生の大きな転機といえる大学受験の機会が奪われかねないと心底心配し、危機感を抱く受験生らの苦悩を真面目に受け止める姿勢がありません。地方から民間英語試験を受けに出なければならない受験生についても、「故郷を出て試験を受ける緊張感も大事」などと“精神論”にすりかえました。一連の発言は、教育にたずさわる文科相の資質を根本から疑わせるものです。
(5)萩生田氏の発言は、受験生の願いに反し、教育の機会均等をゆがめる民間英語試験導入の危険な姿を改めて浮き彫りにしています。いま高校2年生の大学入試から開始予定とされる民間英語試験の深刻な矛盾は解決されていません。この仕組みでは、英検、GTEC、TOEFLなど民間事業者が行う七つの資格・検定試験のいずれかを最大2回受験し、成績が各大学に提供されるというものですが、その成績を合否判定に使う大学は全体の6割にとどまります。
(6)1回の受験料も高いものでは2万5千円を超えることや、試験会場が大都市にしかなく地方の受験生ほど交通・宿泊費の経済的負担が重くのしかかる問題についての抜本的な打開策もありません。文科省は、民間事業者に受験料軽減や会場変更などを求めるくらいの対応しかしていません。実施ありきの姿勢をやめるべきです。

 また、「赤旗」は、「延期と見直しが不可欠 」、次のように指摘します。


「全国高等学校長協会は、延期と制度見直しの要望を文科省に提出しています。これは教育現場の不安が払しょくされておらず、懸念が高まっていることの反映です。日本共産党などの野党が、民間英語試験の導入延期法案を国会に提出したのは、受験生をはじめ国民の声にこたえたものです。延期と見直しの決断こそ必要です。」




by asyagi-df-2014 | 2019-11-06 07:56 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「身の丈」発言。(3)

 大学入学共通テストの英語で導入される民間検定試験に関連して、文部科学大臣の「身の丈」発言(以下、「発言」)がなされた。
 この「発言」は、教育基本法の「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」が対置すればいいだけの、文部科学大臣の資質不足を露呈させるものでしかない。
また、この問題は、今回の英語民間試験の活用が「制度自体が『身の丈入試』であることを拭えない点だ。」(「朝日」2019年10月29日)、ということにある。
さらに、ことの「発言」そのものが、「政権の緩みやおごりの表れ」とされることは、日本の憂う現状を著している。
今回は、高知新聞(以下、「高知」)2019年10月29日、「『身の丈』発言】文科相として見識を疑う」、との社説でさらにこのことを追求する。


(1)教育機会の均等や格差是正を図らねばならない文部科学相として発言がどう受け止められるのか、考えなかったのだろうか。
(2)大学入学共通テストの英語で来年度導入される民間検定試験について萩生田文科相が「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」と述べたことへの波紋が広がっている。
(3)民間試験は来年4月に始まる。受験生は12月までに最大2回、「英検」や「GTEC」など6団体7種類から選んで受ける。結果は受験生が目指す各校独自の試験への加点などに活用される。しかし、試験会場が都市部に偏っていたり、受験料が高額になったりするといった地域格差や経済格差への対応が不十分なままだ。この状況に、高校現場や受験生らからは延期を求める声が出ていた。
(4)萩生田氏の発言に「格差を容認するのか」といった反発が広がった。中には「貧乏人は高望みするなということか」といった批判もあったという。多くの不安を抱えた受験生らの当然の思いだろう。
(5)萩生田氏も「受験生に不安を与えかねない説明だった」と謝罪した。また、どんな環境下でも「力を最大限発揮できるようにしてほしい」という思いだったと釈明した。だが、あまりにも思慮を欠いた発言と言わざるを得ない。
(6)というのも萩生田氏は民間試験に関して今月上旬にも、「初年度は精度向上期間だ」などと、文科相としての見識を疑う発言をしている。受験生らからは「実験台にするつもりか」といった反発が出たが、その舌の根が乾かない中での言葉だ。
(7)民間試験について文科省は今月下旬にやっと、四年制大学の約7割が少なくとも一つの学部や学科で初年度は利用する予定といった集計結果を発表した。受験スタートまで半年を切っている。民間試験が志望校に必要なのかどうか。大きな不安を抱えていた受験生や保護者、教員らにとっては遅すぎる発表だ。いつ、どこの会場でという詳しい日程は決まっているだろうか。「初年度は…」という萩生田氏の発言が現実味を帯びる。


 「高知」は、何が問題なのかを明確にする。


(1)導入を見送った大学の中には複数の民間団体の試験をどう公平に採点に生かすのか結論が出なかったり、受験機会が異なる都市部と地方の受験生の状況などを考慮したりと、悩んだ学校があるだろう。
(2)私たちも指摘してきた、そうした課題が解決しないまま試験が導入されて混乱は起きないだろうか。
(3「貧乏人は高望みするな?」―。この反発の背景には、小学校から大学に相当する教育機関への日本の公的支出の少なさがある。経済協力開発機構(OECD)の調べで、国内総生産に占める公的支出の割合は2016年まで3年連続で日本は最下位。その裏返しで教育支出の多くを家計が負担している。こうした背景から教育格差は生じやすい傾向にある。この解消を文科相は目指すべきだ。


 日本の「教育格差」の問題の背景には、「高知」が指摘するように教育機関への日本の公的支出の少なさが厳然と横たわっている。
 安倍晋三政権が行わなければならないことは、「教育格差」の解消にある。



by asyagi-df-2014 | 2019-11-05 06:51 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「身の丈」発言。(2)

 大学入学共通テストの英語で導入される民間検定試験に関連して、文部科学大臣の「身の丈」発言(以下、「発言」)がなされた。
 この「発言」は、教育基本法の「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」が対置すればいいだけの、文部科学大臣の資質不足を露呈させるものでしかない。
また、この問題は、今回の英語民間試験の活用が「制度自体が『身の丈入試』であることを拭えない点だ。」(「朝日」2019年10月29日)、ということにある。
今回は、新潟日報(以下、「新潟」)2019年10月29日の「『身の丈』発言 文科相として適材なのか」、との社説から考える。
「新潟の」の「教育基本法は『教育の機会均等』を明記し、すべての国民が等しく能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならないと定めている。にもかかわらず、文部科学相が教育格差を容認するような発言をした。教育行政トップとして資質を疑う。」、との批判は次のもの。


(1)萩生田光一文科相が、大学入学共通テストの英語で導入される民間検定試験について、家計状況や居住地で不公平が生じるとの指摘に「自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえれば」と24日のテレビ番組で述べた。萩生田氏は、裕福な家庭の子なら本番に近い形式の試験を事前に何度も受けられるかもしれないと述べた上で、「身の丈」に合わせた受験を呼び掛けた。家庭の経済状況や住む場所によって、受験に不公平があっても当たり前と言っているように受け取れる。
(2)「『あいつ予備校に通ってずるい』というのと同じだと思う」との見方も示したが、試験の公平性確保という観点からは的外れだろう。
(3)萩生田氏の発言は、新テストの導入に不安を募らせている受験生や保護者、学校現場の感覚とはあまりに乖離(かいり)している。
(4)ネット上では「貧乏人は高望みするなということか」「財力で生じる教育格差の是正が文科省の仕事のはずだ」などと批判が相次いでいる。野党も「文科相としてあるまじき発言だ」と強く非難している。

 
 また、「萩生田氏は28日、『国民、特に受験生に不安を与えかねない説明だった』と謝罪したが、それで済む話ではない。」、と続ける。


(1)発言についての「どのような環境下でも、自分の力を最大限発揮できるようにしてほしいという思いだった」との釈明も、無理がある。2020年度に始まる新テストの英語の民間検定試験については、受験会場が都市部に集中したり、検定料が最大2万5千円程度かかったりするなど、地域格差や家計の負担の重さが指摘されてきた。
(2)全国高等学校長協会は、格差解消の見通しが立っていないことを理由に、試験の延期を求めている。
(3)9月の内閣改造で文科相に就任した萩生田氏は、新テストを予定通り実施するとした一方、課題を改善していく考えを示していた。だが、抜本的な対策に踏み込む構えは見えない。
(4)萩生田氏は、安倍晋三首相の側近で、過去にも発言を巡って批判を受けてきた。自民党幹事長代行時代の7月には、改憲を急ぐ政権の意向に沿うよう、衆院議長の交代に言及し、野党から反発を招いた。
(5)菅義偉官房長官は28日の記者会見で、萩生田氏について資質は問題はないとの認識を示し、「適材適所」だとした。理解に苦しむ。


 最後に、「新潟」は 、「秘書が有権者に香典を渡した問題で、菅原一秀氏が経済産業相を更迭されたばかりだというのに、危機感が感じられない。『1強』政権の緩みやおごりの表れではないか。」、と結ぶ。


 ことの結果が、「政権の緩みやおごりの表れ」とされること事態が日本の憂う現状を告発している。




by asyagi-df-2014 | 2019-11-04 06:34 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

「身の丈」発言。(1)

 大学入学共通テストの英語で導入される民間検定試験に関連して、文部科学大臣の「身の丈」発言(以下、「発言」)がなされた。
 この発言が旧態依然の手法である「リーク」である事も含めて、この問題について考える。 
 まずは、この「発言」がどういうものであったのか、2019年10月25日のJcastニュースから引用する。


大学入学共通テストに導入される予定の英語民間試験について、萩生田光一文科相がBSテレビの番組で行った発言が、ツイッター上などで波紋を広げている。
萩生田氏は一方で、負担軽減に努めたいと説明したが、地方の受験生などへの配慮が十分ではないという声も多いようだ。
「そういう議論もね、正直あります」。2019年10月24日夜放送のBSフジ「プライムニュース」で、萩生田氏は、キャスターの反町理さんの指摘にこう反応した。
英検やTOEFLなど民間試験を使うことについて、反町さんが「お金や場所、地理的な条件などで恵まれている人が受ける回数が増えるのか、それによる不公平、公平性ってどうなんだ」との声があるとして、その部分についての見解をただしたときだ。
萩生田氏は、議論を認めながらも、お金の懸念について、こう説明した。
「それ言ったら、『あいつ予備校通っていてズルいよな』と言うのと同じだと思うんですよね。だから、裕福な家庭の子が回数受けて、ウォーミングアップができるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは、自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえば」
民間試験は、年2回まで受けられる見込みになっている。 また、地方の受験生については、次のように述べた。
 「人生のうち、自分の志で1回や2回は、故郷から出てね、試験を受ける、そういう緊張感も大事かなと思う」。 ただ、萩生田氏は、「できるだけ近くに会場を作れるように今、業者や団体の皆さんにはお願いしています」「できるだけ負担がないように、色々知恵出していきたい」とも述べた。


 この「発言」の問題点について、朝日新聞(以下、「朝日」)は2019年10月29日、「『身の丈』発言に批判『格差容認か』 萩生田氏撤回せず」、と整理した。
まずは、経過について。


(1)2020年度から始まる大学入学共通テストで活用される英語の民間試験について、萩生田光一文部科学相が「身の丈に合わせてがんばって」と発言し、28日、謝罪に追い込まれた。教育格差を容認するような教育行政トップの発言に、受験生や教育関係者から憤りの声が上がった。野党は大臣の辞任を求め、追及を強める考えだ。
(2)「国民の皆様、特に受験生の皆さんに不安や不快な思いを与える説明不足な発言であった」。28日、萩生田氏は文科省内でそう謝罪した。同省によると、萩生田氏側から「記者に説明したい」と要望があり、急きょ「ぶら下がり取材」が設定された。
(3)問題の発言は、24日夜のBSフジの報道番組で、大学入試改革の目玉として来年4月から活用が始まる英語民間試験に言及した際に飛び出した。
(4)現在の高2が主に受ける共通テストでは、英検やGTECなど7種類の民間試験を使って、英語の「読む・聞く・話す・書く」の4技能を測る。国のシステムで各人の成績を集約し、出願先の大学に提供する。練習のために何度受けてもいいが、大学に提供されるのは高3で受けた2回までの試験の成績だ。


 次に、「朝日」は問題の核心に迫る。


(1)住む場所や家庭の経済状況によって不公平が生じないか――。こんな質問に、萩生田氏は「『あいつ予備校通っててずるい』というのと同じ」などと反論。高3で受けた2回までの成績が大学に提供されることを踏まえ、生徒の境遇により本番までの受験回数に差が出るのを認めた上で、「身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負してがんばってもらえば」と述べた。ただ、萩生田氏は28日の取材では不公平を容認しているとの指摘に対して、「どんなに裕福でも2回しか結果は提出できないので、条件は平等」と強調。発言は撤回せず、「民間試験なので、全ての人が(本番の)2回しか受けてはいけないというルールにはできない」などと釈明した。
(2)受験料が2万5千円を超える試験や、会場が都市部の10カ所に限られる試験もあり、地域格差や経済格差の問題は、導入が決まった当初から指摘されてきた。このため文科省は、合否判定に使える成績を、原則として「高3の4~12月に受けた2回まで」に限定。低所得世帯の受験料減免を業者に求めたり、離島の受験生に交通費や宿泊費の一部を補助する支援策を来年度予算の概算要求に盛り込んだりした。9月の大臣交代後は、大学に成績の活用方法の公表を迫るといった動きも続き、関係者には「根本的な解決にはならないが、文科省の動きが活発になった」との声もあった。
(3)一方で、萩生田氏は10月1日の会見で、新制度について「初年度は精密さを高めるための期間」などと発言。「生徒を実験台にするのか」などと批判を浴びた。11月1日から受験用の「共通ID」の申し込みが始まる前に、今回の発言で、さらに批判が強まりそうだ。文科省幹部は「『なぜあんな発言を』と考える職員はいるだろう。高校などに説明する際に悪影響が出るのが心配だが、立ち止まる余裕はない」と語った。
(宮崎亮、矢島大輔、増谷文生)


 また、「朝日」は、「萩生田氏の発言はSNSなどを通じて広がり、『地方の貧乏人は身の程を知れという姿勢?』などと反発が相次いだ。」、と現場から「異論」の声を伝える。


(1)都内の高校2年の男子生徒(17)は母子家庭で、塾に通わずに受験勉強をしている。「与えられている条件が人によって違うのに、『身の丈に合った』と言われると、自分の可能性を抑え込まれた感じがする」と言う。「そもそも身の丈に左右されてしまうような制度。それを止めるどころか推進するような発言だと腹が立ちました」
(2)25日夜に東京都内であった、大学の学費値上げなどに反対する大学生らの抗議行動。都内在住の慶応大1年の男子学生(18)は「身の丈」発言に触れ、「これは親の経済力、生まれた土地による『身の丈』ということです」と批判した。
(3)都立高校の50代教諭は「教育を担当する大臣として、あり得ない発言。国民をばかにしている」と憤る。離島の都立高校に赴任したことがある。受験料や往復の船代、長ければ1カ月近くかかる宿泊代をこつこつためていた生徒の家族をいくつも知っている。「格差はある。ただ、それを追認するような発言を大臣がしていいのか。格差追認が仕事ならば、さっさと辞めてほしい」
(4)小林雅之・桜美林大教授(教育社会学)は「身の丈発言は、家計に応じてという意味であれば、自助努力主義そのもの。国がすべきことと全く逆の発言であり、問題だ」と言う。教育基本法には「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」とある。小林教授は「国はもっと支援策を講じるべきだ。全国高校長協会が延期を求めるなど、試験そのものへの批判も強い。再検討した方がよい」と言う。
(5)大内裕和・中京大教授(教育社会学)も「経済格差と地域格差。今回の大学入試改革が内包する問題点を大臣自ら明らかにした」と話す。大内教授は萩生田氏が「あいつ予備校通っててずるいよな、というのと同じだと思う」と語った点を問題視。「予備校費用は完全な私費負担だが、英語民間試験は公的な制度に関わる私費負担。公の制度が格差を助長させている点が問題であり、予備校と一緒に論じる時点で大臣としての見識を疑う」


 さらに、「朝日」は政治手動向も伝える。


(1)萩生田氏の「身の丈」発言に対し、野党は強く反発する。大臣の辞任を求め、萩生田氏を厳しく追及する構えだ。
(2)立憲民主党の枝野幸男代表は26日夜、「教育の機会均等という政治の役割を放棄してしまっているような姿勢。あるまじき発言で深刻な問題だ」と指摘した。
(3)英語民間試験を巡っては、立憲民主党や国民民主党など野党統一会派と共産党が24日、「経済的な状況や居住地域に左右される」などとして、導入を延期する議員立法を衆院に提出した。その後、飛び出した萩生田氏の発言に、野党国対幹部は「憲法で保障された教育の機会均等なのに大臣自らが不平等を容認している。国会でも取り上げざるを得ない」と述べた。延期法案の審議入りを求める一方、文部科学委員会などで大臣の辞任を求め、萩生田氏を追及する考えだ。
(5)一方、菅義偉官房長官は28日午前の記者会見で、萩生田氏の発言に直接のコメントは避けたうえで「受験生が安心して受験できるための取り組みを進めていく」と強調。文科相としての資質についての認識を問われると、「適材適所だと思っている」と述べた。
(6)ただ、与党内からも批判の声が上がる。自民党幹部は萩生田氏の発言について怒りを隠さない。「まったく余計なことを言う。文科相の発言じゃない。かばってはいけない発言だ」。                                    (山下知子、井上昇)


 「朝日」は、最後に、編集委員・氏岡真弓名で、「教育政策を預かる資格なし」、と次のように断じた。


(1)英語民間試験の活用について「身の丈に合わせてがんばってもらえば」と発言した萩生田光一文科相が「説明不足だった」と謝罪した。だが問題は「説明不足」だったことではない。
(2)まず、大臣が「身の丈に合わせて」と格差を容認する言葉を口にしたことだ。教育基本法をふまえ、地域・経済格差が教育格差につながるのを防ぐのが大臣の責務だ。課題を受験生に押しつけ、開き直ったとも受け取れる。こんな姿勢では、教育政策を預かる資格はない。
(3)さらに深刻なのは、制度自体が「身の丈入試」であることを拭えない点だ。大学への成績提供を高3の2回に限り、経済的に恵まれない家庭や離島の家庭の子らに援助したところで、民間試験を使う以上、都会の裕福な家の子が何回も受験の練習をするのを妨げられない。萩生田氏の発言は、この問題を改めてあぶり出した。その犠牲になるのは受験生だ。11月1日から受験用の「共通ID」の申し込みが始まる。受験生の不安はすでに限界を超えている。


 確かに、まずは、教育基本法の「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない」が対置すればいいことだ。
根本的な問題は、今回の英語民間試験の活用が「制度自体が「身の丈入試」であることを拭えない点だ。」(「朝日」)、ということにある。




by asyagi-df-2014 | 2019-11-03 07:19 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

琉球新報の説くミハイル・ゴルバチョフの「叡智」。

 琉球新報(以下、「新報」)は、「世界が新冷戦と呼ばれる軍拡競争に向かっている今だからこそ、かつて壊滅的な世界戦争を回避させた巨人の言葉は非常に重い。」、との位置づけから、2019年10月29日の社説を始める。
「ゴルバチョフ氏提言 新冷戦脱却の声広げよう」、との見出しで主張されるものは次のことである。


(1)東西冷戦を終結に導き、ノーベル平和賞を受賞したミハイル・ゴルバチョフ氏は本紙のインタビューに対し、日本復帰後も沖縄に核兵器が存在するかどうかを検証する必要があると説いた。中距離核戦力(INF)廃棄条約締結を巡る当時の交渉相手、レーガン元米大統領の「信用せよ、されど検証せよ」という言葉を引用して述べた。
(2)復帰後の非核化への疑念を示唆した形だ。8月2日の同条約破棄後、核弾頭搭載可能な新型中距離ミサイルが沖縄に配備されることにも強い懸念を示した。核兵器の存在を検証することへの提言は、今後、沖縄が直面するであろうミサイル配備計画に警鐘を鳴らす意味がある。
(3)世界に向けては、主要各国の指導者と市民社会、それぞれに行動を提起した。指導者には「過剰な感情とプロパガンダ(政治宣伝)を消し去る必要がある」とし、新冷戦の現状に異を唱えることを促した。市民社会には、条約締結の際、「1980年代の反軍国主義や反核主義の運動の声がとても強く響いた」と述べ、行動を起こすよう呼び掛けた。
(3)提言の背景には、新冷戦の対立が深まることへの強い危機感がある。INF廃棄条約破棄後、世界で中距離ミサイルの開発競争が進む見通しだ。冷戦後の軍縮体制は「死に体」に陥ったと指摘されており、「核兵器なき世界」を目指す国際的な軍縮の機運は後退を強いられている。
(4)8月18日、米国は規制されていた地上発射型の巡航ミサイル実験を実施した。直後にロシアも北極圏に近いバレンツ海で潜水艦発射弾道ミサイルの発射実験を行うなど、既にさや当てが始まっている。
(5)新型ミサイルの開発・配備、それに対抗した兵器増産という悪循環を断たねばならない。危機回避のために過去から学ぶ必要がある。ゴルバチョフ氏とレーガン氏が87年、INF廃棄条約に調印した際に確認したのは「核戦争に勝利はなく、決して戦ってはならない」という認識だ。米中ロをはじめ各国の指導者はこの原点に立ち返るべきだ。
(6)ゴルバチョフ氏が言うように、核軍拡に対する市民社会の力強い反対の声や運動があったことも忘れてはならない。欧州の多くの一般市民を反核運動に突き動かしたのは「ミサイルの標的にされ、家族や友人ら多くの命が奪われる」との危機感だった。


 「新報」は、最後に、「米中ロの指導者は世界が軍拡から軍縮に転じるための国際協議の枠組みづくりや交渉に本腰を入れるべきだ。そのためには国同士を『脅威』の相手と決め付けずに信頼回復に努める必要がある。社会の一人一人が、この流れをつくる当事者だ。新冷戦からの脱却を主張する力強い世論を広げることが急務と言える。」、とまとめる。


 例えば、新中距離ミサイル弾の日本配備のことを、小さな学習会に集まった「意識ある」人達は、知らなかった。これが、一つの現実である。
 だとしたら、①指導者には「過剰な感情とプロパガンダ(政治宣伝)を消し去る必要がある」とし、新冷戦の現状に異を唱えることを促した。②市民社会には、条約締結の際、「1980年代の反軍国主義や反核主義の運動の声がとても強く響いた」と述べ、行動を起こすよう呼び掛けた。」、とのゴルバチョフの「叡智をしっかりと受け取ろう。



by asyagi-df-2014 | 2019-11-02 07:16 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

デニー沖縄県知事の二回目の訪米行動に「沖縄に背を向けた米議会」ということ。

 平安名純代・米国特約記者は沖縄タイムスの[想い風]の中で、デニー沖縄県知事の二回目の訪米行動について、「沖縄に背を向けた米議会 県は主体的な自主外交の展開を」、とその様子と結果を伝えた。
それは、「玉城デニー知事の2度目の訪米行動が終わった。米連邦議会で審議中の法案に焦点を当てたものだったが、鍵を握る重鎮議員らは、多忙を理由に玉城知事に背を向けた。米議会が沖縄の味方だった時代とは風向きが変化した状況を認識するとともに、主体性ある外交で転機を切り開かねばならない。」(沖縄タイムス)、というものだったと。
米国の変化を、次のように押さえる。


(1)2011年5月当時、米連邦議会で影響力を発揮していたジョン・マケイン上院議員(故人)らは、日米両政府が掲げていた米軍普天間飛行場の移設計画に待ったをかけた。
(2)マケイン氏ら米議会は、空軍嘉手納基地の所属部隊を整理縮小してスペースを作り、そこに海兵隊を分散移駐して普天間を閉鎖し、辺野古新基地建設計画も見直せと米政府に迫り、グアム移転予算を凍結し、日米合意をやり直させるなど計画の修正に追い込んだ。
(3)こうした流れを熟知している当時のマケイン氏の盟友で、現在は上院軍事委員会の委員長を務めるジェームス・インホフ議員(共和党)は、新基地建設計画とは実現不可能なものだという当時の議会の主張を忘れてはいないはずだ。
(4)大浦湾の軟弱地盤の存在が明らかとなり、新基地建設の実現性がさらに不透明となった現在は、計画そのものを見直す必要性はさらに高まっている。
(5)過重な基地負担による犠牲を強いられている沖縄に新たな基地はいらないとの民意は、かつては米議会の主張と呼応していた。しかし、米上院の多数派を握る共和党は、米国の軍事費不足を支える安倍政権を高く評価している。沖縄の現状に当事者意識を持っていたかつての米議会とは明らかに変化した。


 しかし、平安名純代は、「しかし希望はまだある。」、とする。
平安名純代は、こう結ぶ。


(1)米国では、カリフォルニア州のバークレー市議会やケンブリッジ市、そして市民団体のベテランズ・フォー・ピース(VFP)や、アジア太平洋系米国人労働者連合(APALA)などが、沖縄支援決議を採択している。そうした決議の背景には、地道に努力した沖縄系米国人や米市民らの存在がある。
(2)今後は「私たちも沖縄の基地問題の当事者だ」という意識を持つ人々と手を取り合い、沖縄を主体にした自主外交を展開していく必要があるだろう。
(3)玉城知事は帰沖後の記者会見で、今後は米議員らを沖縄に招聘(しょうへい)し、新境地を開拓する意欲を語った。
(4)沖縄が抱える問題を米メディアが報じない状況を打開するためにも、今後は県ワシントン事務所が果たす役割はさらに重要だ。分かりやすい解説記事などを逐次ウェブサイトにアップし、積極的に仕掛けていく必要がある。
(5)沖縄は再び岐路に立っている。市民や行政、メディアなどの各レベルにおいて、主体性ある自主外交を展開するにはどうすべきか。転機を呼び込むには、私たち一人一人が考え、動かねばならない。


 平安名純代の「沖縄は再び岐路に立っている。」、との呼びかけに呼応することができるのか。
 確かに、「私たちも沖縄の基地問題の当事者だ」(沖縄タイムス)こそが私たちの連帯である。



by asyagi-df-2014 | 2019-11-01 06:57 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

辺野古新基地建設にかかる「関与取り消し訴訟」の沖縄県の敗訴。(2)

 琉球新報は2019年10月24日、「米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡り、県の埋め立て承認撤回を取り消した国土交通相の裁決の取り消しを求め、県が国を相手に7月に提起した『関与取り消し訴訟』で、福岡高裁那覇支部(大久保正道裁判長)は23日、県の訴えを却下した。国が私人として行政不服審査法を利用したことは違法だという県の主張について、判決では埋め立て承認は『国の機関と一般私人とを区別することなく同様に扱うことが予定されている』として、国交相の裁決は違法ではないと判断した。県は上告する方針。」、と報じた。
 この判決について、東京新聞(以下、「東京」)は2019年10月25日、「辺野古で県敗訴 地方自治の理念歪める」、と論評した。
「東京」の判決の流れの指摘は次のもの。


(1)沖縄県が辺野古新基地建設阻止のため国を相手に起こした訴訟で、県が敗訴した。法治の規範であるべき国が、法の恣意的運用で地方自治を封じ込める-。そんな手法を認めた判決は納得し難い。福岡高裁那覇支部が二十三日、判決を言い渡した裁判は「国の関与取り消し訴訟」と呼ばれる。
(2)新基地建設を巡り、県は昨年八月、埋め立て承認を撤回。防衛省沖縄防衛局は行政不服審査法(行審法)に基づき、埋め立てを所管する国土交通相に審査請求し国交相は四月、撤回を無効にする裁決をした。これを根拠に防衛局は埋め立て工事を進めている。
(3)県の主張は主に(1)行審法は国民(私人)の権利救済を目的としており防衛局は審査請求できない(2)防衛局と同じ内閣の一員である国交相が申し立てを審査するのは公正さを欠く-の二点。国の手続きの是非のみを争点に違法な請求に基づく裁決を取り消せと訴えた。
(4)高裁判決は、国の言い分を全面的に認め、県の請求を却下した。
(5)埋め立ては民間業者も行う事業で、県もそれと同様に許認可を判断したのだから防衛局にも民間人と同じ権利がある、国交相の権限乱用もなかった、と認定した。


 「東京」は、この上で明確に批判を加える。


(1)防衛局が私人とはどう考えてもおかしい。海上保安庁が立ち入りを規制する海域で基地を建設するのは、国の専権事項である防衛のため。行審法はこうした「固有の資格」を持つ国の機関は審査請求ができないと定めている。国交相の裁決も「選手とアンパイアが同じ立場」という玉城デニー知事の主張の方に利がある。
(2)翁長前県政時代からの県と国との訴訟は八件に上るが、国の裁決に関して判決が出たのは初めて。
(3)多くの行政法学者が「法治国家に悖(もと)る」と批判した強引な法の運用で自治体の決定を覆すことが許されるなら、憲法がうたう地方自治の理念は大きく歪(ゆが)む。三権分立の観点からも司法の中立的判断が期待されたが、県の主張は退けられた。県は上告する方針だ。
(4)県は並行して承認撤回の正当性を問う訴訟を那覇地裁に起こしており、来月弁論が始まる。七割超が辺野古埋め立てに反対した県民投票結果なども審理の対象となる。今回の訴訟の上告審と合わせて司法は、沖縄の民意や地方自治の在り方に向き合って審理を尽くすべきだ。
(5)政府も勝訴したとはいえ、玉城氏が弁論で訴えた国と地方の「対等・協力の関係」構築に向けた努力を怠ってはならない。


 さて、「東京」の「法治の規範であるべき国が、法の恣意的運用で地方自治を封じ込める」(「東京」)とは、まさしく安倍晋三政権の常套手段である。もっと加えるなら、これを恐慌的手腕で、人権無視を行って誇りとする、というのがその方法論である。



by asyagi-df-2014 | 2019-10-31 06:35 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

辺野古新基地建設にかかる「関与取り消し訴訟」の沖縄県の敗訴。

 琉球新報は2019年10月24日、「米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設を巡り、県の埋め立て承認撤回を取り消した国土交通相の裁決の取り消しを求め、県が国を相手に7月に提起した『関与取り消し訴訟』で、福岡高裁那覇支部(大久保正道裁判長)は23日、県の訴えを却下した。国が私人として行政不服審査法を利用したことは違法だという県の主張について、判決では埋め立て承認は『国の機関と一般私人とを区別することなく同様に扱うことが予定されている』として、国交相の裁決は違法ではないと判断した。県は上告する方針。」、と報じた。
 この判決について、24日の朝に扱ったのは、沖縄の二紙と毎日新聞であった。
 この三紙を通じて、この判決の意味を考える。
 三紙の社説の見出しと特徴的な主張は、次のものである。


(1)琉球新報社説-関与取り消し訴訟 国追随の一方的な判決だ-「政府の言い分だけを一方的に採用した、国追随の不当な判決だ。」
(2)沖縄タイムス社説-[辺野古訴訟却下]政府に追随した判決だ-「今回の判決は問題だらけの新基地建設にお墨付きを与えるようなものである。司法が行政へ追従したと言わざるを得ない。」
(3)毎日新聞社説-辺野古訴訟で県側敗訴 国へのお墨付きではない-「辺野古の埋め立てに司法がお墨付きを与えたと考えるべきではない。県側は上告する構えで、那覇地裁に起こしたもう一つの訴訟も控える。」


 琉球新報(以下、「新報」)と沖縄タイムス(以下、「タイムス」)の二紙からは、この国の司法の不条理に対しての怒りが直接伝わってくる。毎日新聞(以下、「毎日」)は、この国のやり方を戒める言説となっている。
この三紙の主張は、1.判決内容、2.この判決が意味するもの、3.判決を受けての各新聞社の主張、にまとめられる。
それは、つぎのものである。


1.判決内容
(「新報」)
(1) 裁判で争われたのは、国民(私人)の権利・利益を救済するためにある行政不服審査法を、国の機関である沖縄防衛局が利用したことの適法性だった。公有水面埋立法は公有水面を「国ノ所有ニ属スル」と定める。国が都道府県知事から埋め立て権限を得る場合は「承認」であり、国以外の者は「免許」として別の制度とするなど、国の特別な地位を認めている。本来なら行政不服審査制度を利用できないはずの沖縄防衛局が、私人になりすまして制度を利用したことは違法だと県は訴えた。
(2)ところが判決は、埋め立て承認を巡り国とそれ以外で相違があることを認めておきながら、「本質部分における相違ではない」と県の主張を退けた。全く理解不能だ。
 米軍基地建設のための埋め立てという事業の目的を踏まえても、国は一般私人と異なる「固有の資格」を持つというのが当然の考え方だろう。国の立場をおもんぱかったような論理に、裁判所の存在意義を疑ってしまう。
(3)さらに、辺野古移設を推進する内閣の一員である「身内」同士による結論ありきの手続きという不公平性の指摘についても、判決は「審査請求人と審査庁のいずれもが国の機関となることは行政不服審査制度上当然に予定されている」と問題視しなかった。あまりの形式論だ。

(「タイムス」)
(1)大久保正道裁判長は「(地方自治法によって)裁決は国の関与から除外され、訴訟の対象になり得ない」などとして県の訴えを却下した。判決は県の訴えをことごとく退け、国の主張を全面的に認めている。

(「毎日」)
(1)問題は、国の機関である沖縄防衛局が私人の立場で承認撤回の取り消しを申し立て、同じ国の国土交通相がそれを認める裁決をしたことだ。この手続きの根拠法となった行政不服審査法は国民の権益救済を目的としたものだ。辺野古の埋め立てを進める国の内部で審査の申し立てと裁決が行われては、第三者性や公平性が確保される保証はない。
(2)県側は防衛局の申し立ても国交相の裁決も違法だと主張した。100人を超える行政法学者が「制度の乱用であり、法治国家にもとる」と憂慮する声明を発表している。 しかし判決は、国の機関が一般私人と同じ立場で処分を受けた場合には制度を適用すべきだとして、国側の主張を認めた。著しい権限の乱用もなかったとした。
(3)地方自治法は国と地方の係争処理手続きの対象に「裁決」は含まれないと定めている。判決はそれを根拠に「訴訟の対象になり得ない」との形式論で県の訴えを退けた。


2.この判決が意味するもの
(「新報」)
(1)法をねじ曲げてでも地方の決定を押しつぶす政府の強権的なやり方に、裁判所がお墨付きを与えることになる。判決が地方自治や法治主義に及ぼす影響について重大な危惧を抱かざるを得ない。
(2)翁長県政で決定し、玉城県政へと引き継がれた埋め立て承認撤回を、どんな手段を使ってでも覆そうという意思を現政権が持っていることを裁判所も知らないはずがない。辺野古移設を「唯一の解決策」として埋め立てを強行する政府の手法は、法律を逸脱していないのか。行き過ぎた権力行使には歯止めをかけることが、三権分立の下で司法に課せられた役割のはずだ。
(3)玉城デニー知事は意見陳述で「国が一方的に決定を覆すことができる手法が認められれば、政府の方針に従わない地方公共団体の行政処分について強制的に意向を押し通すことができるようになる」と述べ、決して沖縄だけの問題ではないと強調していた。

(「タイムス」)
(1)県は、国の機関である防衛省沖縄防衛局が一般私人の権利救済を目的とする行政不服審査法(行審法)を使って国交相に審査を申し立てたのは違法であると主張した。判決は、公有水面の埋め立てを排他的に行って土地を造成する点では防衛局と一般私人は本質的に異なるものではなく、「沖縄防衛局は、行審法に基づき、国交相に審査請求をすることができる」と国の立場を追認した。埋め立て用途がどのようなものであるかは影響しないとしている。米軍に基地を提供する私人がいるだろうか。とうてい納得できない。
(2)県は、新基地建設を推進する安倍内閣を構成する防衛局の申し立てを同じ内閣の国交相が審査するのは身内同士による判断で、中立・公正に重大な問題があると主張した。判決は、国交相が内閣の一員だからといってただちに審査庁の立場を放棄していたということはできず、その権限・立場を著しく濫用(らんよう)したとは認められない-とした。本当にそうだろうか。「辺野古が唯一」と内閣を挙げて新基地建設を推進する中で、国交相が中立的に裁決することは不可能だ。
(3)防衛局の申し立てを国交相が裁決する手法を認めるのは地方自治を破壊するものだ。強引な法解釈によって国の方針に従わない自治体の決定は、何であれ国が覆すことができるようになる。沖縄だけの問題ではないのである。1999年の改正地方自治法で国と自治体の関係が「上下・主従」から「対等・協力」の関係に改められたことにも、もとるものだ。

(「毎日」)
(1)米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する沖縄県の訴えを福岡高裁那覇支部が却下した。県が辺野古の埋め立て承認を撤回したのに対し、国側が県の撤回処分を取り消した行政手続きの是非を問う裁判だった。国と県が今後の対応を協議する契機になることも期待されたが、埋め立てをめぐる実質的な審理もなく、門前払いに終わったのは残念だ。
(2)こうしたお手盛りの審査を司法が追認したら、国と地方を対等と位置づける地方自治の原則がゆがめられるのではないか。


3.判決を受けての各新聞社の主張
(「新報」)
(1)裁判官が時の権力におもねるような判断ばかりを示すならば、司法に対する信頼は失墜する。裁判官は良心に従い職権を行使する独立した存在であることを改めて強調しておきたい。

(「タイムス」)
(1)県は上告する構えだ。撤回後の昨年9月の知事選から今年7月の参院選まで「辺野古反対」を掲げた候補者が3連勝。2月の県民投票では投票総数の7割以上が埋め立て工事に反対の民意を示した。だが国は工事を進め対話にも応じない。そんな中での県敗訴であり、玉城デニー知事に手詰まり感が漂うのも事実だ。
(2)埋め立てが始まっていない大浦湾側には「マヨネーズ並み」といわれる軟弱地盤が広がる。海底に約7万7千本の砂ぐいを打ち込むなど大規模な地盤改良が必要になる。サンゴ類や海藻草類などに決定的な影響を及ぼすのは確実だ。国の天然記念物のジュゴンは周辺からいなくなり、絶滅の疑いが出ている。地盤改良には県の承認が必要だが、玉城知事は認めない方針だ。
(3)今回の判決は問題だらけの新基地建設にお墨付きを与えるようなものである。司法が行政へ追従したと言わざるを得ない。

(「毎日」)
(1)2月の県民投票などで再三にわたり「辺野古ノー」の民意が示され、埋め立て区域では広大な軟弱地盤が見つかっている。その中で埋め立てを進める是非の審理を県側は司法に求めていた。
(2)辺野古の埋め立てに司法がお墨付きを与えたと考えるべきではない。県側は上告する構えで、那覇地裁に起こしたもう一つの訴訟も控える。
(3)法廷闘争が続いている間も埋め立ては進む一方、国と県の断裂もさらに深まっていく。仮に埋め立ての完成にこぎつけたとしても、地元の敵意に囲まれた米軍基地の円滑な運用は見通せないだろう。
(3)まずは国側が対決姿勢を改め、対話の道を探るべきだ。


 確かに、日本の司法の逸脱制は、「裁判官が時の権力におもねるような判断ばかりを示すならば、司法に対する信頼は失墜する。裁判官は良心に従い職権を行使する独立した存在であることを改めて強調しておきたい。」、との「新報」の主張に端的に表現されている。
 また、このことは、「こうしたお手盛りの審査を司法が追認したら、国と地方を対等と位置づける地方自治の原則がゆがめられるのではないか。」(「毎日」)との指摘そのものを招くものでしかない。
 現在の日本の司法の歪みは、現政権が倒れたとしても、果たして回復可能なものなのだろうかとの疑念が強い。



by asyagi-df-2014 | 2019-10-25 06:58 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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