2019年 12月 07日 ( 1 )

中村哲さん逝く。(2)

 その声を伝える。


1 朝日新聞-中村医師の妻「いつかありうるとは思っていたが…」-2019年12月5日06時00分


 朝日新聞は、表題について次のように報じた。


(1)NGO「ペシャワール会」現地代表の中村哲医師(73)が4日、突然の銃弾に倒れた。苦しむ人たちに向き合い、医師の役割を超えて農業支援にも活動を広げていった中村さん。現地・アフガニスタンでも高く評価されていただけに、交流があった人たちは「なぜ」と言葉を失った。
(2)福岡市のペシャワール会事務局で4日、記者会見した広報担当理事の福元満治さん(71)は悲痛な面持ちで「正直、信じられない。無念でしかたない。この事業は中村哲という人物でなければできなかった」と語った。
(3)干ばつにあえぐ大地に用水路を造り、1万6500ヘクタールの農地を潤した。現地の住民は中村さんに「畏敬(いけい)の念を持っていた」という。「30年以上やって現地の信頼が一番のセキュリティーだった。(事件は)アフガンのことを思うとありえないこと」。今後の活動については、「あくまで続けるのが中村医師の遺志であると思っている」としながらも、「事業を拡大していくのはなかなか難しいのではないか」とも話した。
(4)中村さんは「自分は好きで勝手なことをしているので、家族には迷惑をかけたくない」と周囲に話していたという。妻の尚子さんは報道陣の取材に「いつも家にいてほしかったが、本人はこの仕事にかけていた。いつもサラッと帰ってきては、またサラッと出かけていく感じでした。こういうことはいつかありうるとは思っていたが、本当に悲しいばかりです」と話した。
(5)中村さんの生き方に感銘を受けてきた多くの人たちからは、突然の死を惜しむ声があがった。「えっ、亡くなったんですか」。アフガニスタンなどで人道支援をする国際NGO「JEN」(東京都新宿区)の木山啓子事務局長は絶句した。「世界にとってあまりに大きな損失です」。現地の人々の健康を考えるなら、医療だけではなく穀物の栽培や灌漑(かんがい)など持続可能な解決策が大切だと、日本で会った時にアドバイスされた。「素晴らしい人をこんな形で失うなんて」。
(6)福岡県朝倉市の徳永哲也さん(72)は、中村さんが地元の取水堰「山田堰」の近くに座り込み、何時間もながめていたのを覚えている。中村さんは同じような堰をアフガンにつくり、農地の再生を目指した。徳永さんは今秋、地元の土地改良区の理事長を退任。会の活動に協力するつもりで、4月には中村さんとアフガンの農地を視察していた。中村さんには武装した政府の警護者が常に付き、渋滞で止まった車をどかせるなど厳重にガードしていた。「政府がいかに中村先生を大事にしていたか。こういう状況の中での銃撃など信じられない」と絶句した。「活動がどうなるのか、影響は計り知れない。混乱して今は何も考えられない」。
(7)上智大学の東大作(ひがしだいさく)教授は、2009年から1年間、国連アフガニスタン支援ミッションの政務官を務めた。「日本人に好意を持つアフガン人が多いのも、中村医師の活動が広く知られているから。一緒に働いた若者はみんな誇りに感じていた」と話す。
(8)01年の米同時多発テロ後、米英軍はアフガンを空爆した。タリバーン勢力は05年ごろから息を吹き返し、08年には国土の7割が「政府ですら危なくて行けない地域」だったという。干ばつも進み、水がなくても育つケシに頼るようになり、麻薬産業だけで生きる若者も増えていった。「その中で、中村さんは灌漑事業がいかに重要かを、村長、市民、時には反政府勢力を1人ずつ説得し、進めていった。他の人にはまねできないこと」と言う。
(9)先日は国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんが亡くなった。「アフガニスタンをいかに良くすべきか考えていた2人を同時期に失った。大きな損失だ」
(10)中村さんの著書「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」の聞き手を務めたノンフィクション作家の澤地久枝さんは「足元から震えがのぼってきます。東京から、できるだけのサポートをしたいと思ってきましたが何と残念なことでしょう。私自身の気持ちの整理がつかず、言葉もないというのはこのことです。でも、中村先生が何より残念でいらっしゃるでしょう」とコメントを寄せた。


2 朝日新聞-吉永小百合さん「本当に残念で、悔しい」中村医師を悼む-2019年12月4日20時54分


 朝日新聞は、表題について次のように報じた。


(1)アフガニスタンで人道支援に取り組んできたNGO「ペシャワール会」(事務局・福岡市)の中村哲さん(73)が4日、亡くなった。中村さんの生き方に感銘を受けてきた多くの人たちが、突然の知らせに驚き、悲しんだ。
(2)2009年から1年間、国連アフガニスタン支援ミッションの政務官を務めていた上智大学の東大作教授は、「日本人に好意を持つアフガン人が多いのも、中村医師の活動が広く知られているから。中村さんと一緒に働いた若者はみんな誇りに感じてた」と話す。
(3)2001年9月11日の米同時多発テロ後、米英軍はアフガニスタンを空爆した。タリバーン勢力は05年ごろから息を吹き返し、08年には国土の7割が「政府ですら危なくて行けない地域」だったという。干ばつも進み、水がなくても育つケシだけに頼るようになり、麻薬産業だけで生きる若者も増えていった。「その中で、中村医師は灌漑(かんがい)事業がいかに重要かを、村長、市民、時には反政府勢力を1人ずつ説得し、進めていった。他の人にはまねできないこと」と言う。先日は国連難民高等弁務官だった緒方貞子さんが亡くなった。「アフガニスタンをいかに良くすべきか考えていた2人を同時期に失ったことは大きな損失だ」
(4)ペシャワール会の中村哲医師のアフガニスタンでの活動に共感し、現地の様子を記録したDVDで朗読を担当した俳優の吉永小百合さんが、中村医師の死去を受けて、朝日新聞の取材に対し語った。中村さんのアフガンでのプロジェクトを応援してきました。どうしてこんなことになったのかという思いです。世界を幸せにしようと思って頑張っていらっしゃる方が、こんな形で命を落とされたことは、本当に残念で、悔しい思いです。私たちは、中村さんの死をしっかりと受け止めて、自分たちができることをやっていかなければならないと改めて思いました。
(5)アフガニスタンなどで人道支援をしている国際NGO「JEN」(東京都新宿区)の木山啓子事務局長は4日、「あまりにショック」と話した。「世界にとってあまりに大きな損失です」。木山さんはアフガニスタンやパキスタンなどで、紛争や災害の被害に遭った人々の支援をしており、これまでに在日アフガニスタン大使館で開かれた集いなどで中村さんと会う機会があったという。現地の人々の健康を考えるなら、診察だけではなく、穀物の栽培や灌漑(かんがい)など生活の基盤を支えることが必要で、持続可能な解決策を探ることが大切だと言われた。「支援のあり方を一方的に教えてもらった。私は中村さんのファンのようなもの」と振り返る。
(6)今年10月に中村さんがアフガニスタンから名誉市民権を授与されると、JENのアフガニスタンスタッフも自分のことのように喜んでいたという。「中村さんは医師でありながら医者以上の活動をしていた。素晴らしい人をこんな形で失うなんて、残念でなりません」。
(7)10年以上前にペシャワール会の会員になった秋田県大館市の元高校教員山木敏子さん(72)はテレビのニュースで銃撃事件を知った。「現地の人が自立して暮らせるように活動してきた人が殺されるなんて、ショックとしか言いようがない」と肩を落とした。活動に共鳴し、中村さんの活動を紹介するDVD「アフガニスタン 用水路が運ぶ恵みと平和」を地元で上映したり、著書を高校に贈ったりした。本人に会ったことはないが、毎年届く会報でアフガンでの活動を見守ってきた。「中村さんにこそノーベル平和賞をもらってほしかった」と悼んだ。


3 琉球新報-アフガニスタンで死亡した中村哲医師が沖縄で語ったこと 現地診療所に「オキナワ」 第1回沖縄平和賞受賞-2019年12月4日 18:57


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「アフガニスタンで銃撃され、死亡した中村哲医師は、現地代表を務めるNGO『ペシャワール会』として第1回沖縄平和賞を受賞するなど、沖縄とのつながりも深かった。アフガニスタンで開設する診療所に『戦乱の地域に平和の基地を造ることで県民の気持ちを代弁したい』との思いで『オキナワ・ピース・クリニック』と命名することも語っていた。沖縄に関連して中村医師が残した言葉を振り返る。」(田吹遥子)
②「中村医師は2002年に『第1回沖縄平和賞』を受賞した。8月30日に行われた授賞式でのあいさつでは以下のように語っていた。『私たちの活動を【非暴力による平和の貢献】として沖縄県民の皆さまが認めて下さったことは、特別に意味のあることだと受け止めております』。【遠いアフガニスタンでの活動と、アフガンに出撃する米軍基地を抱える沖縄、このコントラストは、現場にいる私たちには圧倒的であります。平和をとなえることさえ、暴力的制裁を受ける厳しい現地の状況の中で物言えない人たちの声、その奪われた平和の声を【基地の島・オキナワ】が代弁するのは、現地にいる日本人として名誉であります』。『沖縄の抱える矛盾、これは凝縮された日本の矛盾でもありますが、米軍に協力する姿勢を見せないと生き延びられないという実情は、実はかの地でも同じです。基地を抱える沖縄の苦悩は、実は全アジア世界の縮図でもあることをぜひお伝えしたいと思います。今回の平和賞は、人としての誇りを失いがちな世界に一矢を報いるものであります。平和賞をめぐる議論があることも私たちは承知しております。しかし、平和とは少なくとも沖縄においては、政治的立場を超えて、全県民が切実な思いで求めておられるものと確信しております』
③「沖縄平和賞記念シンポジウム後に米軍基地について以下のように語っていた。『基地がないと生きて行けないという実態は沖縄だけでなく日本全体がそうだ。県民だけが苦しむのではなく、本土に投げ返すべきだ。アフガニスタンは、親米的な政権でないと国が滅びるという現実を考えると、単に沖縄だけの問題ではなくアジア的な広がりを持つ問題だ』」
④「テロ後に、空爆や自衛隊派遣があったことについて『大半の人は【あんな悪いことをする所はやっつけてもいいんじゃないか】という論調に引きずられた。ジャーナリズムも一役買ったのではないか。その根幹にあるのは親米的でないと日本は食って行けないという事情がある。それを暴力的な形で合理化したのは許しがたい。明らかに憲法に違反している』」
⑤「中村さんは、平和賞で贈られた賞金の一部で、アフガニスタンの山岳地帯に『オキナワ・ピース・クリニック』と命名した診療所を開設した。2002年8月31日付の琉球新報によると、診療所を開設したのはアフガニスタンのクナール州ダラエ・ピーチ渓谷のシンザイ村。同診療所は周辺地域の人々にとって唯一の医療機関になるとしている。中村さんは『アルカイダがいるとの情報で、米軍が集結しつつある』と現地の緊迫感を伝え、『紛争の地域であればこそ大事。暴力的な解決や、力で力を押さえ込むのではなく、(クリニックを造ることで)無言の力としたい』『戦乱の地域に平和の゛基地゛を造ることで、県民の(平和を願う)気持ちを力を持って代弁したい』と、クリニックへの思いを込めていた。」
⑥「2017年にも県女性の翼の会主催の講演会で登壇した。そこで中村さんは、現在の国際情勢に関し『世界中が現在、それぞれ非平和的な手段で自分たちの意図を通そうとしている。その中で右往左往しているのが私たちの現実だ。平和がいかに重要なことなのか、私たちの体験を通して伝えたい』と話していた。」


4 西日本新聞-アフガンに人生懸け 中村哲さん死亡 「なぜ先生が」 関係者ら悼む-2019年12月5日


 中村哲医師の支援活動に心を寄せてきた人々の間には深い悲しみが広がった。

 中村さんがアフガニスタンで建設してきた取水堰(ぜき)は、福岡県朝倉市を流れる筑後川の「山田堰」がモデルとなった。親交のあった山田堰土地改良区前理事長の徳永哲也さん(72)は「なぜ先生が狙われなければならなかったのか。こんな形で命が絶たれるなんて、先生も悔しかったと思います」と言葉を絞り出した。

 徳永さんは今年4月、念願だったアフガンを訪問し、完成したかんがい施設などを視察。中村さんが帰国した11月中旬にはアフガンの将来について熱い思いを聞いたばかりだった。「先生のおかげで山田堰は一躍脚光を浴び、来訪や視察が増えた。朝倉活性化の大きな力になった」と悼んだ。

 福岡市中央区の「ペシャワール会」事務局には4日午後、訃報を聞いた関係者たちが駆けつけた。廊下や玄関では女性たちが肩を寄せ合い、すすり泣く人も。医師として交流のあった佐藤耕造さん(83)=同区=は「僕は私利私欲のない彼の姿を理想にしていた」と、途切れ途切れに話した。

 「まだやるべきことがたくさんある」と話していた中村さん。福岡高校時代の同級生、西川ともゑさんは「同級生の誇りで希望の星だった。どれだけ無念か、私も悔しい」と惜しみ、西南学院中学時代の同級生和佐野健吾さんも「体は小さいがすごい男だった。今は何も考えられない」と声を詰まらせた。中学時代には福岡市東区の教会に通い、牧師の藤井健児さん(88)と社会問題や文学について何時間も語り合ったという。藤井さんは「自分にとって弟のような存在だった。残念で仕方ない」と話した。

 長年交流のあった元アフガニスタン大使館公使参事官の宮原信孝さん(61)=福岡県久留米市=は「現地の人たちの手で用水路を築き、運営するスキルまで育てているという意味で、世界に誇れる功績を残した人だ」と悔やんだ。

 中村さんは、九州の次世代のビジネスリーダーを育成する「九州・アジア経営塾(KAIL)」でも2004年の創設以来、年に1回の講演を担当。文化の異なる現地の人たちをいかに束ねていくかなどについて話をしていたという。橋田紘一塾長は「ざっくばらんで飾り気のない真のリーダーだった」と悼んだ。




by asyagi-df-2014 | 2019-12-07 09:19 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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