2019年 10月 22日 ( 2 )

沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2019年10月22日

「米軍嘉手納基地で、MC130J特殊作戦機から重さ約3.6キロの部品がなくなったことが21日、分かった。沖縄防衛局などによると、機体が同基地に着陸した後の18日午前5時40分ごろ、点検中に発覚した。部品は着陸装置の主脚の一部(トルク管)で、縦約90センチ、横約7.5センチ。その後、米軍提供施設内で部品が見つかった。トラブルを起こしたのは嘉手納基地を拠点とする第353特殊作戦群の航空機で、嘉手納基地内で部品が見つかったとみられる。離着陸時に嘉手納基地内で機体から落下した可能性がある。いつどのように機体から脱落したのか、基地内のどこにあったかなどは不明で、本紙は米軍に問い合わせているが21日までに回答はない。部品が見つかるまで米軍もどこでなくしたのかを把握しておらず、防衛局に対し『(嘉手納)飛行場内か海上に落下した可能性が最も高い』と説明していた。」、と琉球新報。
 米軍基地があることによる事故、事件の日常化。
それにしても『(嘉手納)飛行場内か海上に落下した可能性が最も高い』(琉球新報)とは、何とも重たい。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2019年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2019年10月22日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)琉球新報-脱落部品、嘉手納基地で見つかる-2019年10月21日 20:06


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「沖縄防衛局によると、18日に米軍MC130J特殊作戦機から落下したとみられていた重さ約3.6キロの部品が21日午後7時までに米軍嘉手納基地内で見つかった。」
②「18日午前5時40分ごろ、同機が嘉手納基地に着陸後、機体の点検中に部品がないことが発覚した。いつどのように脱落したのか、基地内のどこで見つかったのかは不明で、本紙は21日午後8時現在、米軍に問い合わせているが回答はない。」
③「脱落していたのは着陸装置の主脚の一部で、縦約90センチ、横約7.5センチ。米側は『嘉手納基地内か海上で逸失した可能性が高い』と説明していた。」
④「防衛局は18日午後10時前、県基地対策課にメールで「在京米大使館情報」として部品落下を通報した。県は『不確定情報』だと伝えられたため、情報の更新を待ち21日夕、県庁記者クラブに情報を提供した。」


(2)琉球新報-米軍機、部品落下か 嘉手納基地拠点のMC130J 重さ3.6キロ、基地内で発見-2019年10月22日 05:00


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「米軍嘉手納基地で、MC130J特殊作戦機から重さ約3.6キロの部品がなくなったことが21日、分かった。沖縄防衛局などによると、機体が同基地に着陸した後の18日午前5時40分ごろ、点検中に発覚した。部品は着陸装置の主脚の一部(トルク管)で、縦約90センチ、横約7.5センチ。その後、米軍提供施設内で部品が見つかった。トラブルを起こしたのは嘉手納基地を拠点とする第353特殊作戦群の航空機で、嘉手納基地内で部品が見つかったとみられる。離着陸時に嘉手納基地内で機体から落下した可能性がある。」 
②「いつどのように機体から脱落したのか、基地内のどこにあったかなどは不明で、本紙は米軍に問い合わせているが21日までに回答はない。部品が見つかるまで米軍もどこでなくしたのかを把握しておらず、防衛局に対し『(嘉手納)飛行場内か海上に落下した可能性が最も高い』と説明していた。」
③「 防衛局は18日午後10時前、県基地対策課に在京米大使館情報からの不確定情報として部品が落下したと通報した。県が情報の更新を待ち21日夕、公表した。」
④「嘉手納基地を管理する第18航空団は21日、本紙の取材に対し『21日午後、第353特殊作戦群は米軍が管理する飛行場内で部品を回収したと報告した』と説明した。一方、第353特殊作戦群は取材に回答していない。防衛局は21日、本紙の取材に『米側に機体の点検・整備と安全管理の徹底、実効性のある再発防止策、事故発生時における速やかな通報を申し入れた』と述べた。」


(3)沖縄タイムス-ナイスアイデアと米兵も感心 基地前で「二日酔い知っていますか?」-2019年10月22日 06:31


 沖縄タイムスは、「米軍キャンプ・コートニー(沖縄県うるま市)のゲート前でこのほど、飲酒運転撲滅作戦があり、うるま署の交通安全活動推進員らが『二日酔いについて知っていますか?』と英語で書かれたチラシを出入りする運転者に配布した。中には『頑張って』と日本語で応える米国人もいた。参加した西銘百合子さん(68)は『英語が通じてうれしい』と笑顔で話した。一緒に参加した海兵隊の報道カメラマン、ジェイコブ・ハンコックさん(22)は、チラシで飲酒運転の撲滅を訴える取り組みに『ナイス・アイデア』と感心していた。(与古田徳造通信員)」、と報じた。


(4)琉球新報-普天間離着陸、前年2・6倍の1142回 市民負担増す-2019年10月22日 10:37


 琉球新報は、「【宜野湾】沖縄防衛局の目視調査によると、航空機が9月に宜野湾市の米軍普天間飛行場で離着陸などした回数は、8月の1632回より3割少ない1142回だった。一方、2018年9月の432回と比べると2・6倍に増加しており、市民の負担感は増している。内訳は外来機の飛来が、17年4月の調査開始以降最多だった8月の425回から減少し、236回となっている。前年同月(56回)の4・2倍だった。機体別ではセスナ機が99回で最多となった。常駐機は8月の1207回より少ない906回となり、前年同月(376回)の2・4倍だった。最も離着陸が多かったのはCH53E大型輸送ヘリコプターで、8月の442回から317回に減少した。」、と報じた。


(5)琉球新報-「民間地上空飛ばないで」 米軍機部品落下か 基地周辺住民に不安 米軍の機体整備に疑問-2019年10月22日 11:21


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「【中部】米軍嘉手納基地でMC130J特殊作戦機の主脚の部品の所在が一時、不明となったことが判明した21日、嘉手納基地周辺やこれまでに米軍機からの落下事故があった地域に住む人々は『危険だ』『民間地の上空を飛ばさないで』などと求めた。米軍機の整備・点検態勢への疑念も訴えた。」
②「嘉手納爆音訴訟原告団で事務局長を務める平良眞知さん(68)=うるま市=は、MC130が日頃から民間地上空を飛ぶ現状に触れて『(部品が上空から落下して)直撃すれば、命を失う危険がある。そのような環境で暮らしているのは異常なことだ。ウチナーンチュの命と生活を脅かす基地は撤去すべきだ』と語気を強めた。米軍機の事故への日米両政府の対応について、『県民に対しての言い訳にしかなっておらず、われわれが一番に願う危険性の除去は期待できない』と切り捨てた。」
③「今年6月に米軍ヘリのゴム製テープが落下した浦添市の浦西中学校で、PTA会長を務める大城保さん(53)は『子どもたちの上に落ちてこないか心配だ』と話す。『とにかく機体の整備を徹底して、少なくとも学校上空は飛ばないでほしい』と訴えた。」
④「2017年12月に米軍ヘリの窓が落下した普天間第二小学校に児童が通う30代の父親は『常に上空を米軍機が飛んでおり、不安はある。日本政府が米軍側に申し入れても何も変わらない状況だ。(MC130が飛来する)飛行場は早く撤去してほしい』と話した。」


(6)琉球新報-識者「整備不良か」 MC130部品落下、構造に問題も有料-2019年10月22日 15:18


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「米軍嘉手納基地でMC130Jから部品が落下したとみられる事案について、軍事の専門家は整備不良や構造的問題の可能性を指摘した。リムピース編集長の頼和太郎氏は『MC130Jは特殊作戦部隊で不整地の場所で離着陸訓練をしている可能性があり、機体の劣化が進みやすい。推察だが、整備にお金をかけていないか使い方が粗いなどが考えられるのではないか』と話した。その上で『基地の中で落ちたということは基地の外で落ちる可能性も十分あった』と指摘した。」
②「航空評論家の青木謙知氏は、MC130Jは比較的新しい機体でここ数年でHC130Pに代わって導入されたとし『部品の落下は聞いたことがない。初めてではないか』と話した。『着陸する際の装置(降着装置)はもともと動く部品が多く、ねじなどが落ちやすいという構造はある』と指摘した。」


(7)琉球新報-沖縄県幹部「管理ずさん」 トラブル繰り返す米軍を批判有料-2019年10月22日 15:29


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「米軍MC130J特殊作戦機の部品が無くなっていた件で県基地対策課は18日、沖縄防衛局から『部品の落下』として報告を受け、情報収集に追われた。県幹部は21日、『整備を徹底すると言ってトラブルを繰り返している』『県民に不安を与える』などと批判した。」
②「不確定情報として部品が落下したとの連絡を受けた謝花喜一郎副知事は『まずは事実関係を確認しないといけない。もし部品落下が地上であれば大きな被害があっただろうし、洋上でも船舶の航行がある。こういった事態は県民に不安を与える』と指摘。『県は防衛局を通して事実関係を確認しているが、いち早く情報を提供できる態勢にしてほしい』と抗議した。」
③「吉田勝広政策参与は『整備を徹底すると言って何十回も繰り返している。このままでは県民は安心して生活できない』と反発した。基地内で部品が見つかったとの知らせを受け『落ちたことには変わりない。むしろ基地内で落ちているのに気がつかなかったのが信じられない。今の管理態勢がずさんだと証明されたのではないか。実態を究明してもらわなければならない』と指摘した。」


(8)琉球新報-恩赦「司法判断ゆがめる恐れ」中野教授-2019年10月22日 15:47


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「天皇即位のお祝いだから、刑罰を受けた人の権利を回復してあげようという国家の側からの恩恵が恩赦だ。天皇制に対して恩を着せる意味合いが強く、天皇制の維持存続のためにいい制度でもある。」
②「三権分立では権力は監視し合い暴走を防ぐ目的がある。恩赦は行政が後から司法の判断を覆すもので、国の統治の在り方としてよくない。過去には選挙違反で罰を免れた人もいる。政治の思惑によって、司法判断がゆがめられる恐れがある。」
③「今回、米軍人軍属も対象になるが、法の下ではすべて平等に扱わないといけないので、そういった対応になるだろう。問題は、本人の更正や努力とは別次元で、刑罰から免れたり復権したりすることだ。反省が反映されたものではなく、運が良かったとしか思わないのではないか。」(刑事法、談)


(9)沖縄タイムス-国旗掲揚で揺れる学校現場 市町村教委、異なる指示-2019年10月22日 14:43


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「22日の天皇陛下の『即位礼正殿の儀』に合わせ、政府は『祝意を表するため』として、自治体や学校に国旗を掲揚するよう協力を求めている。一方、沖縄戦で国体(天皇制)護持や本土防衛のための『捨て石』にされた沖縄では、皇民化教育を想起させる『日の丸』に対する抵抗感が根強く、学校は掲揚するかどうかで揺れている。」
②「本島中部の小学校は学校側の判断で21日夕、校庭に日の丸を掲げた。しかし、地元の教育委員会が掲揚しない方針を示したため、数時間後に下げたという。」
③「八重山地域にある自治体の一つは、地元教委が掲揚への協力を求めて学校側に通知した。中学校の校長の一人は『職員の意見を聞きながら』としつつ、22日に掲揚する方針を示す。別の学校の男性教諭は『思想信条の自由に反する指示だ。学校側の判断に任せてほしい』と批判した。」
④「一方、本島南部の小学校の校長は掲揚しないことを決めた。『誰に向けて掲げるのか分からない』と戸惑う。」
⑤「高嶋伸欣琉球大名誉教授は『他県では掲揚に違和感がなくても、沖縄は問題意識を全国に提起することができる。皇室への意見は分かれるが、思考力や判断力を育てることを目標にする学校教育法に照らして考えたい。沖縄から意思表示することは重要だ』と指摘した。」


(10)沖縄タイムス-天皇恩赦に疑問、犯罪被害者ら「納得できない」 米軍人・軍属も対象-2019年10月22日 09:52


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「天皇陛下が即位を宣言する22日の『即位礼正殿の儀』に合わせて、約55万人を対象に実施することが決まった『恩赦』。実施される恩赦の種類は、罰金刑により制限された資格を回復する『復権』が大半だ。ただ、犯罪被害者など関係者からは制度そのものへの疑問の声が上がる。」
(社会部・下地由実子、榮門琴音)
②「恩赦は天皇の即位といった国の慶弔時に、刑事裁判の効力を消したり軽くしたりするもので、天皇皇后両陛下の結婚以来26年ぶりの実施となる。」
③「今回は、有罪判決が無効になる訳ではない。重大犯罪が含まれる懲役刑や禁錮刑となった人は対象外。減刑も実施しない。罰金刑で喪失・停止した国家資格などを再取得できるようになるだけで、法務省保護局は『それ以上でもそれ以下でもない』と話す。」
④「例えば、罰金刑を受けると医師や看護師などの国家資格が5年間得られないが、復権の対象となると制限が解かれる。公選法違反の場合は公民権が回復し、選挙権や被選挙権が得られるようになる。対象は、罰金を納めて3年経過し再犯していない人で、罪種は問わない。救済される職種は、医師や看護師、薬剤師など限定的だ。」
⑤「法務省によると、『日本で裁判をし確定していたら対象』で、国籍や現在国内にいるかは関係ない。沖縄で多い酒気帯び運転などで罰金刑を受けた米軍人・軍属も対象。ただ、その数は『不明』という。」
⑥「対象者への通知はなく、官報などで条件を確かめる必要がある。復権がなされたことの証明が要る場合には、事件を取り扱った検察庁に証明書の申請方法を問い合わせる。」
⑦「本人の反省とは関係なくなされる恩赦。犯罪被害に遭った当事者や遺族・家族らでつくる九州・沖縄犯罪被害者連絡会(みどりの風)の松永まり子会長は自身の娘も交通犯罪の被害者で『私たちにとって、罪に対する加害者の刑罰はすごく軽いと思うのに、恩恵を受けるのは納得できない』と強調。『恩赦には十分な説明も無い。いったい何のため、誰のためにやるのか』と話した。」



by asyagi-df-2014 | 2019-10-22 17:22 | 沖縄から | Comments(0)

憲法改正の議論の前に、知っておくべきこと-海渡雄一FBより

 憲法改正に明確な意思を示す首相がいる時、やはり、きちんとした対抗理論が必要である。

 今回は、海渡雄一弁護士が、FBに、「憲法改正の議論の前に、知っておくべきこと-ポツダム宣言の受諾から日本国憲法の制定まで」を掲載した。
海渡雄一弁護士の指摘は、次のもの。そのまま掲載。



はじめに
 安倍政権は、いよいよ憲法改正の発議を目指すことを公言するようになった。日本国憲法の改正の是非について議論するためには、日本が15年戦争に敗北した時に、国際社会に対して、どのような約束をしたか、どのような経過で現在の憲法が制定されたかを知る必要があると思う。憲法について議論する前提となる基礎的な事実の確認のために、事実を整理した。
 第1 戦争する国を支えていた法制度とその復活

1 戦争する国のシステムと安倍政権による復活
 日中戦争とこれに引き続く太平洋戦争は、近代日本の総力戦であった。そして、そのためには、兵器や軍隊を整えるだけでなく、戦争を遂行するための法体制を作り上げることが必要であった。私は、2017年に、「戦争する国のつくり方: 「戦前」をくり返さないために」という本を上梓した。この本の中で書いたことをまとめると、次のようになる。
 戦争遂行するためには、まず第一に戦争を行う主体をつくることが必要であった。これが戦前では大本営であり、安倍政権の下であらたに設けられた国家安全保障会議がそれに該当する。
 第二に、戦争に反対する勢力を無力化する治安維持法などの法制が整備され、戦争に反対する諸勢力が非合法化・あるいは活動を大きく制限された。これが、現代的に復活したのが、新共謀罪であろう。
 第三に、一般国民を戦争に協力させるための、教育勅語・軍事教練・靖国神社などの思想・道徳の徹底のための教育がなされた。今、日の丸と君が代強制が教育現場で進み、道徳教育が教科化されている。
 第四に、戦争のためにすべての物質的・社会的資源を動員することのできる国家総動員法や徴兵制度などの法制度が整備された。これを現代によみがえらせたものが、有事法制であり、自民党改憲草案と安倍改憲案に含まれている国家緊急権条項であろう。
 第五に、戦争の準備の過程と戦意の高揚のために不都合な情報は隠ぺいできる情報管理体制を確立することが必要であり、1937年に制定された改正軍機保護法や1941年に総力戦体制とともに制定された国防保安法がそれにあたった。これを現代的に復活させたのが、特定秘密保護法である。
 第六に、国民を戦争に誘導するために、内閣情報局のもとで報道出版の検閲統制がなされ、隣組による市民の相互監視が強められ、戦争非協力者には配給上の不利益までが課された。軽快な「隣組」の歌は、実は戦争動員の歌だったのである。
 現代では、報道機関に対する脅しとキャスター外し、高市総務大臣の偏向放送の停波発言、NHK人事への介入が露骨になってきている。市民に対するデジタル監視のシステムも強められている。

2 安倍内閣は戦前の戦争法体系を現代型にして蘇らせようとしている
 政府は、まず解釈改憲と個別安全保障法の改正を先行させ、既成事実を軸にその後に憲法改正を提起する計画のようだ。
 2013年秘密保護法、2014年集団的自衛権を認める閣議決定、2015年平和安全法制=戦争法の制定、2016年高市電波停止発言、刑事訴訟法改正(盗聴法の大幅拡大による市民監視の強化、司法取引の導入)、2017年共謀罪制定など、安倍政権の一連の政策は、市民の抵抗を力と脅しによって黙らせ、憲法を改正し、国民を戦争に動員することのできる法体制へと導こうとしているようにみえる。
 そして、安倍政権は今開かれている臨時国会あるいは引き続く通常国会に改憲案の提起を行おうとしている。このような、政策誘導は、日本という国を敗戦以前の戦争できる国とすることをもくろんでいるように思われる。

第2 ポツダム宣言の受諾はなにを意味したか
1 15年戦争の敗北とポツダム宣言の受諾

 日本の戦後の歴史を規定しているものは、ポツダム宣言の受諾である。ポツダム宣言の受諾こそが日本の戦後の国のかたちを作った。ポツダム宣言の受諾は日本政府の非武装化を意味した。1945年7月26日に米・英・中の三か国が発した「ポツダム宣言(抄)」を確認しよう。
 「日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。
 日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。
 第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。
 カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。
 我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。
 日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。
 日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。
 我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。」

2 ポツダム宣言を受けて日本政府がやったことは、機密重要書類の焼却であった。
 政府は1945年8月14日に、ポツダム宣言を受諾したが、同日 「機密重要書類焼却の件」を閣議決定した。戦争はなかったものにしようと、戦争に関する一切の資料を焼却して、自ら開始した戦争を歴史から消し去ろうとした。この通知も焼却するように指示されていたが、焼却をまぬかれた原本が松本市に保管されている(写真を添付した)。軍と官僚による戦争の証拠隠滅である。 占領軍GHQの調査が始まるまえに、焼却を急いだのである。そして、軍関係、裁判所、町村役場、学校、地域では、数日をかけて重要書類を焼却、廃棄した。裁判所でも治安維持法違反事件の判決などを焼却した。

3 軍と秘密警察は解体された
 9月2日米艦ミズーリ号上において重光葵外相が降伏文書に調印した。ポツダム宣言によって軍は解体された。戦後改革の第1は軍の解体であった。アメリカを中心とする連合国は、日本の侵略戦争とファシズムの根源を断つため、まず非軍事化を強力に進めた。
 帝国陸軍と海軍の解体、軍需産業の生産停止、軍国主義者の公職追放、修身・歴史教育の禁止、国家と神道(しんとう)の分離などが進められた。

4 昭和天皇の平和国家宣言
 昭和天皇は、降伏文書調印の2日後9月4日の帝国議会開院式の勅語で「朕は終戦に伴ふ幾多の艱苦を克服し国体の精華を発揮して信義を世界に布き平和国家を確立して人類の文化に寄与せむことを冀ひ」と述べ、戦後日本がめざすべき国家像を「平和国家」だと宣言した。
 この発言は、自らの戦争責任を免れるための占領当局に対するアピールとも受け取れるが、ポツダム宣言に意味を正確に理解したものであったと評価することができるだろう。

5 自由の回復 治安維持法と軍機保護法の廃止と特高警察の解体
 まず、新聞の自由が回復された。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、1945年9月24日に「新聞界の政府からの分離に関する覚書」、同9月27日に「新聞および言論の自由に関する追加措置」(ただし29日付)を発し、これにより新聞紙法は事実上失効した。哲学者の三木清が、9月26日に豊多摩刑務所で死亡したことが報道され、GHQは治安維持法違反の政治犯が囚われたままであるという事実に衝撃を受ける。
 しかし、日本政府は自主的には治安維持法の廃止や特高警察の解体などは行わず、1945年10月の段階においても、岩田宙造司法大臣は「司法当局としては、現在のところ政治犯人の釈放の如きは考慮していない」と断言していた。岩田は予防拘禁されている者も含めて釈放の意思はないと外国人記者に言い放っていた。
 フランス人ジャーナリストのロベール・ギランらの努力により、多くの日本共産党員が豊多摩刑務所内の予防拘禁所に拘禁されていることが明らかになった(『東京発特電』)。

6 1945(昭和20)年10月4日には「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」が発せられた
 1945(昭和20)年10月4日、GHQが、自由を抑圧する制度を廃止するよう命じる指令を発した。正式には「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」という。「人権指令」とも呼ばれる。この指令は、思想、信仰、集会及び言論の自由を制限していたあらゆる法令の廃止、内務大臣・特高警察職員ら約4,000名の罷免・解雇、政治犯の即時釈放、特高の廃止などを命じていた。
 東久邇宮内閣はこの指令を実行できないとして、翌5日に総辞職した。つぎの幣原内閣では、この指令に基づき共産党員など政治犯約3,000人を釈放、治安維持法など15の法律・法令を廃止した。
 戦前の法制で廃止するものについて、この指令の中で説明されている。
一、政治的、公民的、宗教的自由に対する制限並に種族、国籍、信教乃至政見を理由とする差別を除去する為日本帝国政府は
a、左の一切の法律、勅令、命令、条例、規則の一切の条項を廃止し且直に其の適用を停止すべし
(一)思想、宗致、集会及言論の自由に対する制限を設定し又は之を維持せんとするもの 天皇、国体及日本帝国政府に関する無制限なる討議を含む
(二)情報の蒐集及公布に関する制限を設定し又は之を維持せんとするもの
(三)其の字句又は其の適用に依り種族、国籍、信教乃至政見を理由として何人かの有利又は不利に不平等なる取扱ひを為すもの
治安維持法・予防拘禁制度と軍機保護法・国防保安法、宗教団体法が廃止された
b、前項aに規定する諸法令は左記を含むも右に限定せられず
(1)治安維持法
(2)思想犯保護観察法 
(3)施行令
(4)保護観察所官制
(5)予防拘禁手続令
(6)予防拘禁処遇令
(7)国防保安法
(8)施行令
(9)治安維持法の下に於ける弁護士指定規程
(10)軍用資源秘密保護法 
(11)施行令
(12)施行規則
(13)軍機保護法
(14)施行規則
(15)宗教団体法
(16)前記法律を改正、補足若くは執行するための一切の法律、勅令、命令、条例及規則

7 GHQ 5大改革指令のトップは秘密警察の解体であった
 1945年10月11日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは当時の首相幣原喜重郎に対し、五大改革指令を命じた。秘密警察の廃止/労働組合の結成奨励/婦人解放(家父長制の廃止)/学校教育の自由化/経済の民主化(財閥の解体、農地の解放)などが含まれた。特高警察の解体こそが、戦後史の要だったことがわかる。公安警察のトップであった北村滋氏が内閣情報官から国家安全保障局長にまで登り詰めたことは、歴史を逆行させる重大な意義を持っている。

第3 日本国憲法制定の経緯
1 憲法問題調査委員会の時代錯誤
 10月25日 憲法問題調査委員会が設置された。委員長松本であった。11月22日 には近衛文麿が「帝国憲法改正要綱」を天皇に上奏した。11月29日には米統合参謀本部がマッカーサーに天皇の戦争犯罪について調査を指示した。12月6日にはGHQが近衛を戦犯に指名。近衛は服毒自殺(16日)した。12月8日 松本国務大臣は衆院で憲法改正4原則を示した。天皇統治権は不変/議会の議決事項拡大/国務大臣の責任拡大/人民の自由・権利を拡大が4原則である。

2 松本案は閣議決定されていない。GHQ案の受け入れは閣議決定された。
 1946年1月1日には天皇神格否定・人間宣言を行った。1月19日にはマッカーサーが極東軍事裁判所憲章を承認とその設置を命令した。1月24日には幣原・マッカーサー会談がもたれ、天皇制の維持と戦争の放棄を幣原から提案したとされる。異論はあるが、ほぼ定説といえる。1月26日には、松本烝治国務大臣が松本甲案を閣議に提出したが、閣議決定とならなかった。
 2月3日には、マッカーサーが、GHQホイットニー民政局長に憲法改正三原則を示した。
① 天皇は国の最高位の地位にある。
② 国権の発動たる戦争は廃止する。日本は自己の防衛と保護を世界を動かし筒ある崇高な理想に委ねる。陸海軍は将来も与えられることなく、交戦権も与えられない。
③ 日本の封建制度は廃止される。予算はイギリスの制度に倣う。
 2月8日 松本は閣議決定を経ないままGHQに「憲法改正要綱」を提出した。2月13日 GHQは松本案を拒否し、GHQ案を手交した。2月19日 松本委員長が閣議でGHQ案を手交されたことを説明した。2月21日 幣原・マッカーサー会談(3時間)「戦争を放棄してフォロワーがいるか?」などと議論したとされる。2月22日 松本、吉田、白洲がホイットニーと会談(1時間半)し、幣原は吉田、棚橋とともに天皇に拝謁、天皇はGHQ案を支持、午後閣議でGHQ案の受け入れを決定した。

3 日本政府とGHQの協議でまとめられた改正要綱
 3月4日 松本国務大臣、入江俊郎法制局次長、佐藤達夫法制局第1部長らが、GHQ案を参考に日本案を作成し、GHQに提出した。その審議は30時間に及んだ。3月6日 憲法改正要綱が発表され、同時に天皇の勅語、幣原首相の談話、マッカーサーの声明が付されていた。
 4月10日 衆議院総選挙が婦人参政権のもとでの初の選挙がなされた。4月17日 作家の山本有三らの要望により、憲法改正要綱は口語化されて公表された。4月26日 2月末に、極東委員会の密命を帯びて来日していたコールグローブGHQ憲法問題担当政治顧問は、極東委員会議長に対して、日本でマッカーサーの評価は高く、国民は憲法案を支持していると書簡を発した。5月3日には東京裁判が開廷された。5月13日 極東委員会憲法採択の三原則を示す(十分な審議時間、明治憲法との法的な継続性、国民の自由な意思表明)。
 5月22日 第一次吉田内閣が発足し、憲法担当大臣として金森徳次郎が任命された。

4 帝国議会の憲法審議で9条と25条が改正されている。
 6月21日にはマッカーサーは憲法審議に十分な時間を与えると声明した。6月28日 憲法改正草案は衆議院本会議から特別委員会(委員長芦田均)に付託された。7月25日 特別委員会の下に小委員会(委員長芦田均)を秘密会として組織して審議を継続した。
 8月1日には、9条、25条を修正した。9条2項に「前項の目的を達するため」を挿入(芦田提案)1項に「国際平和を誠実に希求し」を挿入(鈴木義雄提案)した。25条1項に生存権を付加(森戸辰男提案)した。
 8月24日 衆院で帝国憲法改正案を修正可決し、10月6日 貴族院で帝国憲法改正案を可決(9月23日GHQの要請で66条2項に文民条項を加えるよう要求、衆院で9月23日再修正)した。10月7日 日本国憲法帝国議会を通過し、11月3日 日本国憲法は公布された。

5 日本国憲法の施行 ほとんどの日本国民は、日本国憲法、そして戦争放棄を熱烈に支持した
 12月1日 憲法普及会が設立され、1947年2月15日憲法普及会は国家公務員700人を東大に集めて研修会を開催した。5月3日日本国憲法が施行され、皇居前広場で記念式典がもたれ、「われらの日本」が歌われる。憲法普及会の小冊子『新しい憲法 明るい生活』が2000万部配布された。 
「戦争は人間をほろぼすことです
 戰爭の放棄
 みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

9条は戦争の惨禍から生まれた日本国民の平和の誓い
そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。」

第4 日本国憲法は押し付けられたものではない
1  日本国憲法は押し付けられたものではない

1945-7 日本国憲法の制定と施行過程からわかることは、日本国憲法は押し付けられたものではないということである。

2  松本試案は閣議でも決定されて折らず、正規の日本政府案ではない

松本試案は、明治憲法の焼き直しでしかなく、ポツダム宣言を受諾した意味を正確に理解したものでなかった。閣議でも決定されて折らず、正規の日本政府案ではない。

3  憲法改正草案はGHQと日本政府の協議によって作られた

GHQは世界の進んだ憲法制度を公平に取り入れようとし、また日本側と十分に協議して憲法案が作成された。

4  9条戦争の放棄は保守層を含めて国民の意思に沿い、軍が解体された現実に適合したものだった。

 9条戦争の放棄は、日本国民の総意が戦争は二度とごめんだという気持ちであり、軍が解体されていた現実に合わせたものと考えられ、理想を追い求めただけでなく、現実的な根拠があった。
 ただ、この意識は戦争に対する被害者意識を主とし、加害責任の自覚に立ったものではなかったという弱点があった。
また、憲法制定の経過には、同じ占領下であったにもかかわらず、沖縄の代表の参加が認められていないという問題があった。
 戦争放棄がマッカーサーから指示されたものか、幣原首相の発案かは判然としないが、日本の政治家は、幣原だけでなく、吉田、芦田ら保守勢力も含めてこの考え方に賛成した。帝国議会で改正案に反対票を投じたのは共産党だけである。

5  帝国議会でも、憲法改正案は日本側の意見を容れて修正されている。
 憲法の原案はGHQが作成したものであるが、9条の文言の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し 」や生存権の規定などは日本の議会で修正されたものであり、押しつけ憲法という批判は事実とは異なるのである。


 以下、貝渡雄一のFBの引用。


憲法改正の議論の前に、知っておくべきこと-ポツダム宣言の受諾から日本国憲法の制定まで-海渡 雄一


はじめに
安倍政権は、いよいよ憲法改正の発議を目指すことを公言するようになった。日本国憲法の改正の是非について議論するためには、日本が15年戦争に敗北した時に、国際社会に対して、どのような約束をしたか、どのような経過で現在の憲法が制定されたかを知る必要があると思う。憲法について議論する前提となる基礎的な事実の確認のために、事実を整理した。

第1 戦争する国を支えていた法制度とその復活
1 戦争する国のシステムと安倍政権による復活
 日中戦争とこれに引き続く太平洋戦争は、近代日本の総力戦であった。そして、そのためには、兵器や軍隊を整えるだけでなく、戦争を遂行するための法体制を作り上げることが必要であった。私は、2017年に、「戦争する国のつくり方: 「戦前」をくり返さないために」という本を上梓した。この本の中で書いたことをまとめると、次のようになる。
 戦争遂行するためには、まず第一に戦争を行う主体をつくることが必要であった。これが戦前では大本営であり、安倍政権の下であらたに設けられた国家安全保障会議がそれに該当する。
 第二に、戦争に反対する勢力を無力化する治安維持法などの法制が整備され、戦争に反対する諸勢力が非合法化・あるいは活動を大きく制限された。これが、現代的に復活したのが、新共謀罪であろう。
 第三に、一般国民を戦争に協力させるための、教育勅語・軍事教練・靖国神社などの思想・道徳の徹底のための教育がなされた。今、日の丸と君が代強制が教育現場で進み、道徳教育が教科化されている。
 第四に、戦争のためにすべての物質的・社会的資源を動員することのできる国家総動員法や徴兵制度などの法制度が整備された。これを現代によみがえらせたものが、有事法制であり、自民党改憲草案と安倍改憲案に含まれている国家緊急権条項であろう。
 第五に、戦争の準備の過程と戦意の高揚のために不都合な情報は隠ぺいできる情報管理体制を確立することが必要であり、1937年に制定された改正軍機保護法や1941年に総力戦体制とともに制定された国防保安法がそれにあたった。これを現代的に復活させたのが、特定秘密保護法である。
 第六に、国民を戦争に誘導するために、内閣情報局のもとで報道出版の検閲統制がなされ、隣組による市民の相互監視が強められ、戦争非協力者には配給上の不利益までが課された。軽快な「隣組」の歌は、実は戦争動員の歌だったのである。
 現代では、報道機関に対する脅しとキャスター外し、高市総務大臣の偏向放送の停波発言、NHK人事への介入が露骨になってきている。市民に対するデジタル監視のシステムも強められている。

2 安倍内閣は戦前の戦争法体系を現代型にして蘇らせようとしている
 政府は、まず解釈改憲と個別安全保障法の改正を先行させ、既成事実を軸にその後に憲法改正を提起する計画のようだ。
 2013年秘密保護法、2014年集団的自衛権を認める閣議決定、2015年平和安全法制=戦争法の制定、2016年高市電波停止発言、刑事訴訟法改正(盗聴法の大幅拡大による市民監視の強化、司法取引の導入)、2017年共謀罪制定など、安倍政権の一連の政策は、市民の抵抗を力と脅しによって黙らせ、憲法を改正し、国民を戦争に動員することのできる法体制へと導こうとしているようにみえる。
 そして、安倍政権は今開かれている臨時国会あるいは引き続く通常国会に改憲案の提起を行おうとしている。このような、政策誘導は、日本という国を敗戦以前の戦争できる国とすることをもくろんでいるように思われる。

第2 ポツダム宣言の受諾はなにを意味したか
1 15年戦争の敗北とポツダム宣言の受諾

 日本の戦後の歴史を規定しているものは、ポツダム宣言の受諾である。ポツダム宣言の受諾こそが日本の戦後の国のかたちを作った。ポツダム宣言の受諾は日本政府の非武装化を意味した。1945年7月26日に米・英・中の三か国が発した「ポツダム宣言(抄)」を確認しよう。
 「日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない。
 日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力を永久に除去する。無責任な軍国主義が世界から駆逐されるまでは、平和と安全と正義の新秩序も現れ得ないからである。
 第6条の新秩序が確立され、戦争能力が失われたことが確認される時までは、我々の指示する基本的目的の達成を確保するため、日本国領域内の諸地点は占領されるべきものとする。
 カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。
 我々の意志は日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではないが、日本における捕虜虐待を含む一切の戦争犯罪人は処罰されるべきである。日本政府は日本国国民における民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍は排除するべきであり、言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されるべきである。
 日本は経済復興し、課された賠償の義務を履行するための生産手段、戦争と再軍備に関わらないものが保有出来る。また将来的には国際貿易に復帰が許可される。
 日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める。この項目並びにすでに記載した条件が達成された場合に占領軍は撤退するべきである。
 我々は日本政府が全日本軍の即時無条件降伏を宣言し、またその行動について日本政府が十分に保障することを求める。これ以外の選択肢は迅速且つ完全なる壊滅があるのみである。」

2 ポツダム宣言を受けて日本政府がやったことは、機密重要書類の焼却であった。
 政府は1945年8月14日に、ポツダム宣言を受諾したが、同日 「機密重要書類焼却の件」を閣議決定した。戦争はなかったものにしようと、戦争に関する一切の資料を焼却して、自ら開始した戦争を歴史から消し去ろうとした。この通知も焼却するように指示されていたが、焼却をまぬかれた原本が松本市に保管されている(写真を添付した)。軍と官僚による戦争の証拠隠滅である。 占領軍GHQの調査が始まるまえに、焼却を急いだのである。そして、軍関係、裁判所、町村役場、学校、地域では、数日をかけて重要書類を焼却、廃棄した。裁判所でも治安維持法違反事件の判決などを焼却した。

3 軍と秘密警察は解体された
 9月2日米艦ミズーリ号上において重光葵外相が降伏文書に調印した。ポツダム宣言によって軍は解体された。戦後改革の第1は軍の解体であった。アメリカを中心とする連合国は、日本の侵略戦争とファシズムの根源を断つため、まず非軍事化を強力に進めた。
 帝国陸軍と海軍の解体、軍需産業の生産停止、軍国主義者の公職追放、修身・歴史教育の禁止、国家と神道(しんとう)の分離などが進められた。

4 昭和天皇の平和国家宣言
 昭和天皇は、降伏文書調印の2日後9月4日の帝国議会開院式の勅語で「朕は終戦に伴ふ幾多の艱苦を克服し国体の精華を発揮して信義を世界に布き平和国家を確立して人類の文化に寄与せむことを冀ひ」と述べ、戦後日本がめざすべき国家像を「平和国家」だと宣言した。
 この発言は、自らの戦争責任を免れるための占領当局に対するアピールとも受け取れるが、ポツダム宣言に意味を正確に理解したものであったと評価することができるだろう。

5 自由の回復 治安維持法と軍機保護法の廃止と特高警察の解体
 まず、新聞の自由が回復された。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、1945年9月24日に「新聞界の政府からの分離に関する覚書」、同9月27日に「新聞および言論の自由に関する追加措置」(ただし29日付)を発し、これにより新聞紙法は事実上失効した。哲学者の三木清が、9月26日に豊多摩刑務所で死亡したことが報道され、GHQは治安維持法違反の政治犯が囚われたままであるという事実に衝撃を受ける。
 しかし、日本政府は自主的には治安維持法の廃止や特高警察の解体などは行わず、1945年10月の段階においても、岩田宙造司法大臣は「司法当局としては、現在のところ政治犯人の釈放の如きは考慮していない」と断言していた。岩田は予防拘禁されている者も含めて釈放の意思はないと外国人記者に言い放っていた。
 フランス人ジャーナリストのロベール・ギランらの努力により、多くの日本共産党員が豊多摩刑務所内の予防拘禁所に拘禁されていることが明らかになった(『東京発特電』)。

6 1945(昭和20)年10月4日には「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」が発せられた
 1945(昭和20)年10月4日、GHQが、自由を抑圧する制度を廃止するよう命じる指令を発した。正式には「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」という。「人権指令」とも呼ばれる。この指令は、思想、信仰、集会及び言論の自由を制限していたあらゆる法令の廃止、内務大臣・特高警察職員ら約4,000名の罷免・解雇、政治犯の即時釈放、特高の廃止などを命じていた。
 東久邇宮内閣はこの指令を実行できないとして、翌5日に総辞職した。つぎの幣原内閣では、この指令に基づき共産党員など政治犯約3,000人を釈放、治安維持法など15の法律・法令を廃止した。
 戦前の法制で廃止するものについて、この指令の中で説明されている。
一、政治的、公民的、宗教的自由に対する制限並に種族、国籍、信教乃至政見を理由とする差別を除去する為日本帝国政府は
a、左の一切の法律、勅令、命令、条例、規則の一切の条項を廃止し且直に其の適用を停止すべし
(一)思想、宗致、集会及言論の自由に対する制限を設定し又は之を維持せんとするもの 天皇、国体及日本帝国政府に関する無制限なる討議を含む
(二)情報の蒐集及公布に関する制限を設定し又は之を維持せんとするもの
(三)其の字句又は其の適用に依り種族、国籍、信教乃至政見を理由として何人かの有利又は不利に不平等なる取扱ひを為すもの
治安維持法・予防拘禁制度と軍機保護法・国防保安法、宗教団体法が廃止された
b、前項aに規定する諸法令は左記を含むも右に限定せられず
(1)治安維持法
(2)思想犯保護観察法 (3)施行令
(4)保護観察所官制
(5)予防拘禁手続令(6)予防拘禁処遇令
(7)国防保安法 (8)施行令
(9)治安維持法の下に於ける弁護士指定規程
(10)軍用資源秘密保護法 (11)施行令(12)施行規則
(13)軍機保護法 (14)施行規則
(15)宗教団体法
(16)前記法律を改正、補足若くは執行するための一切の法律、勅令、命令、条例及規則

7 GHQ 5大改革指令のトップは秘密警察の解体であった
 1945年10月11日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは当時の首相幣原喜重郎に対し、五大改革指令を命じた。秘密警察の廃止/労働組合の結成奨励/婦人解放(家父長制の廃止)/学校教育の自由化/経済の民主化(財閥の解体、農地の解放)などが含まれた。特高警察の解体こそが、戦後史の要だったことがわかる。公安警察のトップであった北村滋氏が内閣情報官から国家安全保障局長にまで登り詰めたことは、歴史を逆行させる重大な意義を持っている。

第3 日本国憲法制定の経緯
1 憲法問題調査委員会の時代錯誤
 10月25日 憲法問題調査委員会が設置された。委員長松本であった。11月22日 には近衛文麿が「帝国憲法改正要綱」を天皇に上奏した。11月29日には米統合参謀本部がマッカーサーに天皇の戦争犯罪について調査を指示した。12月6日にはGHQが近衛を戦犯に指名。近衛は服毒自殺(16日)した。12月8日 松本国務大臣は衆院で憲法改正4原則を示した。天皇統治権は不変/議会の議決事項拡大/国務大臣の責任拡大/人民の自由・権利を拡大が4原則である。

2 松本案は閣議決定されていない。GHQ案の受け入れは閣議決定された。
 1946年1月1日には天皇神格否定・人間宣言を行った。1月19日にはマッカーサーが極東軍事裁判所憲章を承認とその設置を命令した。1月24日には幣原・マッカーサー会談がもたれ、天皇制の維持と戦争の放棄を幣原から提案したとされる。異論はあるが、ほぼ定説といえる。1月26日には、松本烝治国務大臣が松本甲案を閣議に提出したが、閣議決定とならなかった。
 2月3日には、マッカーサーが、GHQホイットニー民政局長に憲法改正三原則を示した。
① 天皇は国の最高位の地位にある。
② 国権の発動たる戦争は廃止する。日本は自己の防衛と保護を世界を動かし筒ある崇高な理想に委ねる。陸海軍は将来も与えられることなく、交戦権も与えられない。
③ 日本の封建制度は廃止される。予算はイギリスの制度に倣う。
 2月8日 松本は閣議決定を経ないままGHQに「憲法改正要綱」を提出した。2月13日 GHQは松本案を拒否し、GHQ案を手交した。2月19日 松本委員長が閣議でGHQ案を手交されたことを説明した。2月21日 幣原・マッカーサー会談(3時間)「戦争を放棄してフォロワーがいるか?」などと議論したとされる。2月22日 松本、吉田、白洲がホイットニーと会談(1時間半)し、幣原は吉田、棚橋とともに天皇に拝謁、天皇はGHQ案を支持、午後閣議でGHQ案の受け入れを決定した。

3 日本政府とGHQの協議でまとめられた改正要綱
 3月4日 松本国務大臣、入江俊郎法制局次長、佐藤達夫法制局第1部長らが、GHQ案を参考に日本案を作成し、GHQに提出した。その審議は30時間に及んだ。3月6日 憲法改正要綱が発表され、同時に天皇の勅語、幣原首相の談話、マッカーサーの声明が付されていた。
 4月10日 衆議院総選挙が婦人参政権のもとでの初の選挙がなされた。4月17日 作家の山本有三らの要望により、憲法改正要綱は口語化されて公表された。4月26日 2月末に、極東委員会の密命を帯びて来日していたコールグローブGHQ憲法問題担当政治顧問は、極東委員会議長に対して、日本でマッカーサーの評価は高く、国民は憲法案を支持していると書簡を発した。5月3日には東京裁判が開廷された。5月13日 極東委員会憲法採択の三原則を示す(十分な審議時間、明治憲法との法的な継続性、国民の自由な意思表明)。
 5月22日 第一次吉田内閣が発足し、憲法担当大臣として金森徳次郎が任命された。

4 帝国議会の憲法審議で9条と25条が改正されている。
 6月21日にはマッカーサーは憲法審議に十分な時間を与えると声明した。6月28日 憲法改正草案は衆議院本会議から特別委員会(委員長芦田均)に付託された。7月25日 特別委員会の下に小委員会(委員長芦田均)を秘密会として組織して審議を継続した。
 8月1日には、9条、25条を修正した。9条2項に「前項の目的を達するため」を挿入(芦田提案)1項に「国際平和を誠実に希求し」を挿入(鈴木義雄提案)した。25条1項に生存権を付加(森戸辰男提案)した。
 8月24日 衆院で帝国憲法改正案を修正可決し、10月6日 貴族院で帝国憲法改正案を可決(9月23日GHQの要請で66条2項に文民条項を加えるよう要求、衆院で9月23日再修正)した。10月7日 日本国憲法帝国議会を通過し、11月3日 日本国憲法は公布された。

5 日本国憲法の施行 ほとんどの日本国民は、日本国憲法、そして戦争放棄を熱烈に支持した
 12月1日 憲法普及会が設立され、1947年2月15日憲法普及会は国家公務員700人を東大に集めて研修会を開催した。5月3日日本国憲法が施行され、皇居前広場で記念式典がもたれ、「われらの日本」が歌われる。憲法普及会の小冊子『新しい憲法 明るい生活』が2000万部配布された。 
「戦争は人間をほろぼすことです
 戰爭の放棄
 みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。
戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

9条は戦争の惨禍から生まれた日本国民の平和の誓い
そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。」

第4 日本国憲法は押し付けられたものではない
1  日本国憲法は押し付けられたものではない

1945-7 日本国憲法の制定と施行過程からわかることは、日本国憲法は押し付けられたものではないということである。

2  松本試案は閣議でも決定されて折らず、正規の日本政府案ではない

松本試案は、明治憲法の焼き直しでしかなく、ポツダム宣言を受諾した意味を正確に理解したものでなかった。閣議でも決定されて折らず、正規の日本政府案ではない。

3  憲法改正草案はGHQと日本政府の協議によって作られた

GHQは世界の進んだ憲法制度を公平に取り入れようとし、また日本側と十分に協議して憲法案が作成された。

4  9条戦争の放棄は保守層を含めて国民の意思に沿い、軍が解体された現実に適合したものだった。

 9条戦争の放棄は、日本国民の総意が戦争は二度とごめんだという気持ちであり、軍が解体されていた現実に合わせたものと考えられ、理想を追い求めただけでなく、現実的な根拠があった。
 ただ、この意識は戦争に対する被害者意識を主とし、加害責任の自覚に立ったものではなかったという弱点があった。
また、憲法制定の経過には、同じ占領下であったにもかかわらず、沖縄の代表の参加が認められていないという問題があった。
 戦争放棄がマッカーサーから指示されたものか、幣原首相の発案かは判然としないが、日本の政治家は、幣原だけでなく、吉田、芦田ら保守勢力も含めてこの考え方に賛成した。帝国議会で改正案に反対票を投じたのは共産党だけである。

5  帝国議会でも、憲法改正案は日本側の意見を容れて修正されている。
 憲法の原案はGHQが作成したものであるが、9条の文言の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し 」や生存権の規定などは日本の議会で修正されたものであり、押しつけ憲法という批判は事実とは異なるのである。




by asyagi-df-2014 | 2019-10-22 08:33 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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