2019年 10月 16日 ( 1 )

今を生きるために、「10・10空襲」を問い続けること。

 沖縄は、75年目の「10・10空襲」の日を迎えた。
琉球新報は、「1944年10月10日の『10・10空襲』から10日で75年を迎えた。延べ1396機の米軍機が投入され、沖縄本島や周辺離島、先島、奄美など南西諸島全域に爆弾の雨を降らせた。無差別な空襲によって668人が死亡、768人が負傷した。旧那覇市は家屋の約9割が焼失するなど、文字通り焼け野原となった。沖縄戦の前触れを県民が実感することになった『10・10空襲』。実際に体験した世代も高齢となり、その実相の継承が課題となる中、改めて体験談を語る人々もいる。27日には『那覇市戦没者追悼式(第24回なぐやけの碑慰霊祭)』が市若狭で行われる。」と伝え、「沖縄の『戦後75年』は『10・10空襲』から始まる。」、と報じる。
 また、琉球新報(以下、「新報」)は2019年10月10日、「「10・10空襲」きょう75年」、と社説で論評した。
まず、「新報」は、「10・10空襲」を振り返る。


(1)南西諸島の島々を延べ1400機の米艦載機が攻撃した「10・10空襲」から75年になる。668人が死亡し、768人が負傷した。那覇市の約9割が壊滅し、被災した市民約5万人が本島中南部に避難するという大惨事となった。空襲の被害は周辺離島、宮古・八重山、奄美にも及んだ。
(2)米軍上陸による激しい地上戦の前哨戦となった10・10空襲は、日本全国で76万人が犠牲となった無差別攻撃の始まりでもあった。
(3)早朝に始まった5次にわたる空襲は主に飛行場や港湾の軍事施設を標的としたが、攻撃対象は民間地域にも広がった。那覇市では大量の爆弾や焼夷(しょうい)弾を投下し、学校など公共施設や民家を焼き払った。それだけではない。商業、交易の街として栄えた那覇の歴史や文化が一日にして壊滅した。復興のために市民の多大な労力と長い年月を要した。戦争のすさまじい破壊力はこの街の歴史と将来を奪った。


 次に、「新報」は、「なぜ沖縄が米軍の標的となり、壊滅的な空襲被害を受けたのかを考えたい。」、とする。


(1)1944年3月に創設された第32軍は米軍の侵攻に備え、沖縄本島や周辺離島で飛行場や軍事施設の構築を推し進めた。その過程で多くの県民が動員された。米軍はこれらの飛行場や軍事施設を攻撃し、日本軍の弱体化を図った。
(2)日本軍は沖縄を日本本土防衛の防波堤とし、県民に対しては「軍官民共生共死」の方針を強いた。米軍は本土攻略に向けた戦略的な価値を沖縄に見いだした。太平洋を部隊とした日米両軍の戦闘が10・10空襲、翌年の沖縄戦へとつながり多大な県民の犠牲を生んだ。そのことから私たちは「戦争につながるものを許してはならない」という教訓を得たのである。


 だからこそ、「新報」は、この歴史的事実とともに、日本という国が沖縄に向けて発している 「戦争につながるもの」について告発するのである。


(1)今日、沖縄では日米双方による軍備増強が進められている。これは沖縄戦の悲劇から得た教訓に反するものであり、今日の県民の意思にも背くものだ。
(2)宮古島では陸上自衛隊ミサイル部隊の配備計画が進んでいる。既に宮古島駐屯地に、住民への説明がないまま中距離多目的誘発弾や迫撃砲は保管されていた。石垣島でも陸自駐屯地の工事が今年3月に始まった。いずれも地域住民の理解を得たとは言い難い。
(3)名護市辺野古では沖縄の民意に反し普天間飛行場の返還に伴う新基地建設が強行されている。さらに今月、核弾頭が搭載可能な中距離ミサイルを、沖縄をはじめとする日本に配備するという米計画が明らかになった


 「新報」は、最後に、「10・10空襲や沖縄戦体験に照らせば、日米による沖縄の軍備増強は住民を守るものではない。むしろ危機に陥れる可能性が大きい。これらの動きに異議を申し立てるためにも10・10空襲を語り継がなければならない。75年前の悲惨な体験を踏まえ、平和を築くことが沖縄の未来に対する私たちの使命だと自覚したい。」、と「10・10空襲」の日に日本の国に向けて訴える。


 では、「新報」が「沖縄の『戦後75年』は『10・10空襲』から始まる。」と伝える意味は何なのか。
 それは、「日本軍は沖縄を日本本土防衛の防波堤とし、県民に対しては『軍官民共生共死』の方針を強いた。米軍は本土攻略に向けた戦略的な価値を沖縄に見いだした。太平洋を部隊とした日米両軍の戦闘が10・10空襲、翌年の沖縄戦へとつながり多大な県民の犠牲を生んだ。そのことから私たちは『戦争につながるものを許してはならない』という教訓を得たのである。」(「新報」)、ということである。
また、それは、現在が、「戦争」をきちんと捉える必要があることの裏返しではないか。
 沖縄県と他の県との違いがあるとすれば、それは負わされた「体験」とその体験をどのように咀嚼してきたのかという「質」の違いである。
 しかし、「米軍上陸による激しい地上戦の前哨戦となった10・10空襲は、日本全国で76万人が犠牲となった無差別攻撃の始まりでもあった。」(「新報」)ということが歴史の教訓であるとするなら、今を生きるために、「戦争」を問い続ける必要があることは言うまでもない。




by asyagi-df-2014 | 2019-10-16 06:28 | 持続可能な社会 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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