2019年 10月 06日 ( 2 )

沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2019年10月6日

『動物たちに静かで平和な森を返してあげたい』。そんな思いを聞きながら歩いていると、『キョキョキョキョ』とヤンバルクイナの鳴き声が聞こえてきた。」、と沖縄タイムス。
 本来の山原の森の姿。
 この姿をどうするのかは、私たちにかかっている。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2019年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2019年10月6日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)琉球新報-安倍首相、辺野古推進に意欲 所信表明演説、沖縄県関係・国会議員の反応-2019年10月5日 17:00


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「【東京】安倍晋三首相は4日の所信表明演説で、米軍普天間飛行場の返還に向け、名護市辺野古の新基地建設を進める考えを改めて示した。米軍キャンプ瑞慶覧内にある『施設技術部地区』(11ヘクタール)の返還予定を2020年3月末と表明するなど、負担軽減を強調した。」
②「首相は『普天間飛行場の全面返還に向けて、辺野古への移設を進める』と述べた。その上で『昨年度の牧港補給地区に続き、今年度末に予定されるキャンプ瑞慶覧の一部返還に向けて準備を進める』と説明。『沖縄の皆さんの心に寄り添いながら、一つ一つ、確実に結果を出す』と強調し、通常国会の施政方針演説で使わなかった『沖縄に寄り添う』との文言を復活させた。」
③「国の責任を認めたハンセン病元患者家族訴訟に関しては、補償を早急に実施する考えを示すとともに、『差別、偏見の根絶に向けて、全力を尽くす』とした。」
④「国民生活に冷淡: 赤嶺政賢衆院議員(共産):『消費増税にあえぐ国民生活に冷淡な態度だ。憲法改悪押し付けで平和主義を壊すことは到底容認できない。民意を蹂躙(じゅうりん)し辺野古基地を押し付けておいて基地負担を軽減していると主張するのは恥ずべき演説だ。』」
⑤「口先だけの言葉:照屋寛徳衆院議員(社民):『口先だけ、歯の浮いた言葉ばかりの自己陶酔型演説は相変わらず。沖縄に寄り添う心があるなら今すぐ辺野古新基地建設から手を引け。平和憲法こそ国造りの道しるべ。非戦と護憲の立場で改憲策動に抗(あらが)う。』」
⑥「『寄り添う』空虚:屋良朝博衆院議員(国民):『所信表明に今回も【沖縄問題】が儀礼的に取り上げられた。辺野古を進めるとしながら、【沖縄の皆さんの心に寄り添う】と語るのが空虚だ。政策と国民幸福が伴わない。この国の在り方さえ虚(うつ)ろにする。』」
⑦「経済優先の内閣:西銘恒三郎衆院議員(自民):『自信に満ち力強かった。幼児教育無償化や全世代型社会保障などが大きなテーマになると思うが、しっかり取り組むという意志を感じた。消費税が上がった中で、景気を腰折れさせない経済最優先の内閣だ。』」
⑧「景気や生活配慮:国場幸之助衆院議員(自民):『幼児教育・保育の無償化や奨学金拡充、医療年金の安定などが消費税10%により形になるが、景気や生活に万全の配慮をする決意を感じた。沖縄の基地と振計、平和主義を貫く憲法論も活発に議論する決意。』」
⑧「議論を深めたい:下地幹郎衆院議員(維新):『一億総活躍社会に向けた取り組みには、わが党が主張する大胆な規制緩和と行政改革が必要であり、議論を深めたい。沖縄の米軍基地負担軽減ついては、具体的で綿密な負担軽減プランを示すことが大事だ。』」
⑨「多様な社会追求:宮崎政久衆院議員(自民):『【みんな違って、みんないい】多様性ある社会、差別偏見のない社会を追求する姿勢が示された。沖縄の基地負担軽減へも具体的に言及している。私も法務大臣政務官として沖縄のためにより一層尽力する。』」
⑩「県民投票尊重を:伊波洋一参院議員(沖縄の風):『【沖縄の心に寄り添う】のなら、県民投票の結果を尊重して辺野古新基地を断念し、普天間や嘉手納の危険性を除去するとともに、南西諸島へのミサイル配備ではなく外交で周辺国との緊張を解消すべきだ。』」
⑪「露骨な改憲意欲:高良鉄美参院議員(沖縄の風):『県民の心に寄り添うとうそぶく一方で、基地建設強行で踏みにじり、全ての子どものためとしながら外国籍は排除、みんな違っていいと言うものの多様性は認めない、改憲意欲むき出しの独善的な所信。』」


(2)沖縄タイムス-「この闘いを全国、世界に広げよう」 辺野古ゲート前、800人が新基地建設に反対の声-2019年10月5日 15:28


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「名護市辺野古の新基地建設に反対する『オール沖縄会議』は5日、米軍キャンプ・シュワブゲート前で毎月第1土曜日の『県民大行動』を開いた。主催者発表で800人が参加し、新基地建設阻止へ思いを一つにした。」
②「同会議共同代表や県選出の国会議員、県議らがマイクを握り『この闘いを全国、世界に広げよう』などと訴えた。」
③「同会議の稲嶺進共同代表は『辺野古の新基地建設は仮に進んだとしても20年もかかる。軟弱地盤の問題もあり使えない代物になる』と指摘。9月に共同代表への就任が決まった照屋義実氏は『改めて辺野古を止める闘いに合流し、皆さんと共に頑張っていきたい』と意気込みを語った。」
④「シュワブ沿岸ではこの日埋め立て作業が進められた。一方、ゲート前からの資材搬入はなかった。」


(3)沖縄タイムス-米軍が捨てたゴミが散乱 世界自然遺産の候補地、原状回復は遠く【深掘り】-2019年10月5日 15:00


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「国が世界自然遺産登録を目指すやんばるの森。生物多様性が高く、多くの固有種や希少種が息づく。中でも2016年に返還された米軍北部訓練場跡地には、良好な自然が保たれた森林が多い。一方で返還後、米軍のものとみられる廃棄物が相次いで発見され、原状回復が課題となっている。チョウ類研究者の宮城秋乃さん、空包などの回収を目的とする名護署の警察官と共に3日午後、返還地の森を歩いた。」(北部報道部・當銘悠)
②「午後1時前。国頭村の待ち合わせ場所で車を降りると、アスファルトを照り付ける太陽に汗が流れる。道路から、シイやカシの木に覆われた森に分け入る。先ほどとは打って変わり、うっそうと茂る木々の樹冠部が直射日光を遮り、長袖でも暑さを感じない。」
③「準絶滅危惧種のチョウ、リュウキュウウラボシシジミが優雅に舞う。歩く途中、ヒメハブにも遭遇した。『他の島々と交わることのなかったやんばるの森には独自の進化を遂げてきた生き物がたくさんいる』と宮城さん。『木も川も空もつながっている。森は一つだ』と強調する。」
④「しばらく歩き、着陸帯LZ-1・LZ-1A跡に着いた。木の根や落ちている枝に隠れて劣化した野戦食の袋が散らばっていた。それから1時間半ほど歩いた先が、返還地最大の着陸帯LZ-FBJ跡。近くの茂みの中で未使用の空包1発を発見した。着陸帯整地用のコケの生えた土のうや、さびた鉄板も至る所にあった。」
⑤「ここで宮城さんが9月27日に発見した未使用と不発の空包129発を警察官が数を確認して回収。その後、LZ-2・LZ-2A跡でも、今月2日に宮城さんが見つけた未使用空包262発を回収した。」
⑥「17年12月に支障除去を終えたとして地権者に引き渡されて以降、宮城さんが訓練場跡地で見つけた空包などの弾薬は1800発以上にもなる。『廃棄物処理のプロでない私でもこんなに見つかる。沖縄防衛局は支障除去を終えたと言うが、現状を見ればそうでないことは明らか』」
⑦「この日、半日歩くだけでも、米軍のものとみられる廃棄物が頻繁に見つかった。それは跡地の原状回復が十分でないことを示している。」
⑧「宮城さんは週4日ほど山に入る。『動物たちに静かで平和な森を返してあげたい』。そんな思いを聞きながら歩いていると、『キョキョキョキョ』とヤンバルクイナの鳴き声が聞こえてきた。」


(4)沖縄タイムス-安倍晋三首相「沖縄の心に寄り添う」 否めない空疎な印象…沖縄県と政府、断絶浮き彫り【深掘り】-2019年10月5日 16:00


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「玉城デニー知事が就任1年を迎え、名護市辺野古の新基地建設を強行する安倍政権を「政治の怠慢」と批判した4日、永田町では安倍晋三首相が所信表明で『辺野古への移設を進める』と明言した。普天間飛行場の返還手法を巡る県と政府の断絶が、改めて浮き彫りとなった。」
②「沖縄の基地負担軽減を巡っては、県内で保革を問わず政府に求めている要望として、米軍普天間飛行場の運用停止時期の明示と、日米地位協定の改定がある。通常国会が閉会して以降、9月に米軍オスプレイ墜落事故で搭乗していた機長が氏名不詳のまま書類送検され、日本側の捜査権限が限定されたとして地位協定の改定の必要性が再びクローズアップされた。同じ月に米軍普天間飛行場の負担軽減推進会議の作業部会があり、沖縄側は飛行場の運用停止期限の再設定を求めていた。」
③「首相の所信は一連の訴えを一顧だにせず、沖縄で反対の民意が示されている辺野古新基地建設と、すでに予定されていたキャンプ瑞慶覧の一部返還を負担軽減策としてアピールした。『沖縄の心に寄り添う』との言葉が復活したが、内実は伴わず、空疎な印象が否めない。」(東京報道部・又吉俊充)


(5)沖縄タイムス-外来機のE8地上監視早期警戒機 嘉手納に飛来 北朝鮮の動向警戒か-2019年10月6日 09:00


 沖縄タイムスは、「米軍嘉手納基地(沖縄県)に5日、外来機のE8地上監視早期警戒機が飛来した(読者提供)。同機は空から地上部隊を識別・監視できる能力があり、同基地を拠点に北朝鮮や南シナ海の動向を警戒する任務飛行に当たる可能性がある。目撃者によると、同機は午前11時52分に飛来した。3日にも同機種の飛来があり、現在は計2機が駐機している。」、と報じた。


(6)沖縄タイムス-「寝たので酒は抜けたと思った」酒気帯び運転の疑い 米軍三等軍曹を逮捕 那覇市久茂地の市道-2019年10月6日 09:00


 沖縄タイムスは、「那覇署は5日、道交法違反(酒気帯び運転)容疑で米軍キャンプ・シュワブ所属の海兵隊三等軍曹(24)を現行犯逮捕した。調べに対し『寝たので酒は抜けたと思った』と容疑を否認しているという。呼気からは基準値を若干上回るアルコールが検出された。逮捕容疑は5日午前6時40分ごろ、那覇市久茂地の市道で酒気を帯びた状態で乗用車を運転した疑い。」、と報じた。 


(7)琉球新報-「現在ミサイルの在庫がない」 米国防総省が沖縄配備計画を否定 米メディアは沖縄も言及-2019年10月6日 07:00


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「核搭載可能な中距離ミサイルを沖縄に配備する米国の計画が本紙報道で明らかになったことに関し、米国防総省は5日、琉球新報の取材に『現在、地上発射型の中距離ミサイルや核ミサイルの在庫がない。そのため、沖縄に配備する計画はない』と回答した。」
②「一方で、エスパー国防長官は8月の『中距離核戦力(INF)廃棄条約』の失効後、アジア太平洋地域への中距離ミサイルの将来的な配備に言及している。INF廃棄条約で30年以上にわたり規制されてきた地上配備の中・短距離ミサイル(射程500~5500キロ)の開発を進めながら、今後、配備先となる同盟国に協議を打診する可能性がある。配備先について『日本が最有力』として沖縄への配備の可能性に触れる米メディアもある。」
③「米国とロシアのINF廃棄条約が失効した8月2日の声明で米国防総省は、初期段階にある移動式の地上発射型巡航、弾道ミサイルの開発を全面的に進めることを表明。条約失効直後の8月に巡航ミサイルの発射実験に成功したとし、11月にも弾道ミサイルの発射実験を計画しているという。」




by asyagi-df-2014 | 2019-10-06 17:37 | 沖縄から | Comments(0)

沖縄から-三上智恵の沖縄〈辺野古・高江〉撮影日記第93回

沖縄の地で、体を張って新しい歴史を作ろうとしている人たちがいる。
そこには、その煌めきの記録を残そうとしているジャーナリストがいる。
だとしたら、その生きざまの瞬間を私たちは受け取る必要がある。
三上知恵の沖縄撮影日記。


 今回の三上さんの報告は、最後の次の報告に尽きる。


 「山岳地帯に潜むゲリラとの闘いは消耗が激しい。そのことを沖縄の戦闘で実感し、7割が森林に覆われている日本本土でこれをやったらたまらない、と思わせたのは護郷隊を含む沖縄の山や壕の闘いだったという説は新鮮だった。しかしいずれにせよ、沖縄での戦闘が本土の何がしかを救ったという、防波堤として機能したという類の言説には容易に与することはできないが、テロ、ゲリラ、スパイを駆使した戦争は今も世界中で続けられている通り、終わりがない。日本の住民地域で、しかも住民を使ってそれを実践してしまった沖縄と、やがて同じ運命を辿ろうとした本土の実態はあまりにも知られていないが、ここを学ぶことこそ、日本人が目を背けてきた戦争の実像を掴む近道なのだ。だから、わたしはまだ当分、この問題を追いかけ続けることになるだろう。」


 そうか、三上さんの仕事は、「日本人が目を背けてきた戦争の実像」を明らかにすることだったのだ、と今さらながら感じ取る。


 今回の報告は、以下のもの。


(1)2カ月前、岐阜に住む新聞記者の女性から電話が入った。彼女が取材している97歳の男性が、ゲリラ戦の教官として岐阜の少年たちを指導したと話しているという。しかも中野学校で訓練を受けたと言うが、資料も乏しくまとめ方に苦心していた矢先、『沖縄スパイ戦史』を見て、これだ! このことだったのか、と瞠目し、相談したいと連絡をくれたようだ。
(2)岐阜新聞の記者・大賀由貴子さんは、満州で起きた黒川開拓団の性接待の特集など硬派な戦争ものに取り組んできたまだ20代のホープで、すでに多くの資料にあたっていて私が協力できることは少なかったのだが、逆に私がお願いをした。その方にぜひ会ってみたい。岐阜の故郷の山河で本土に上陸したアメリカ軍を迎える覚悟で少年を指揮していたゲリラ戦のプロ。まさに護郷隊の村上治夫や岩波壽が今、目の前に甦ってくるような気持ちで、私は岐阜に飛んだ。
(3)野原正孝さん、97歳、大正11年1月生まれ。護郷隊の村上、岩波両隊長と同級生の終戦時23歳。そして率いた少年兵も14歳から17歳と同じ。彼自身は中野学校の名簿にこそ載っていないが、数カ月間がっつり中野学校の指導を受けている。中野学校は、本校のほかに二俣分校(現静岡県浜松市)があったことは知られているが、1945年に入って彼が特訓を受けたのは京都市の宇治分校。そのほかにも、本土決戦に備えてゲリラ戦指導者を急造・量産するために数カ月機能した「分校」の存在があったようだ。つまり野原さんは、実質的に中野学校仕込みのゲリラ戦指導者だったことも村上たちと同じ。大きく違う点は、野原さんは幼いころから自分が親しんだ野山で同じ地域の少年たちをゲリラにして戦うという、まさに指揮官の郷土を戦場にした作戦を子どもたちと共に準備していたということだ。
(4)もともと野原さんが所属していたのは、満州からテニアンに移って玉砕した部隊だったのだが、ひょんなことで運命が分かれた。ある日、人事係の准尉に呼び出されて行ってみると、野原さんの戸籍は今日で抹消する、といきなり告げられた。


野原「お前は今日限り国籍をはく奪します、転属せよ、と。その代わり外泊を三日間やると言われ喜んで外泊したんだけどね。あとから考えたらね、中野学校はみんなそうやてね。その陸軍中野学校の本校はそれこそ東大出とか素晴らしい頭の人たちで、英語もできなあかんし頭いい人だけど、ゲリラを造ろうと思って二俣分校を作って、二俣分校で足らんで宇治分校作ったんやもんね」

三上「宇治分校ってあったんですか?」

野原「うん。宇治分校って名前で、校歌も中野学校の校歌ですよ。♪赤き~心で 断じてなせば~。そして4番がですね、♪南船北馬 今我は行く 母と別れて 海越えていく 同士よ我らと いつまた逢わん…ごめんなさい…涙が出てね。こんな学校でも、母という言葉を使うんですね」

三上「何を思い出して涙が出るんですか?」

野原「戦友やね。戦友…。だめだ。大事な戦友がみんな逝っちゃったからね、テニアンでね。本当に…情けないです」

三上「私もこの歌うたえるんですよ、全部。♪いらぬ~は手柄 浮雲の如き 意気に感ぜし人生こそは(後半一緒に歌って)神よ与えよ万難我に♪ですよね?」

野原「おおーっ!またあんたもえれエ…。どういうこっちゃ、これは!」


(5)こんな軽妙なやり取りができる野原さんは、70代と言っても納得するほど若くてエネルギッシュ。極秘の部隊で少年たちを動員したことを、90を超えても誰にも話さずに過ごしてきたが、今年に入って最後のチャンスだと思い、自ら岐阜新聞に電話を入れたという。


野原「僕はこれまで全然口にも出さなかった。誰にも私がゲリラの教官やっとったことは話してない。子どもにも話してない。やはり極秘、と言われたことが頭にこびりついてそのまま来たわけよね。誰に言っても、信用してもらえんと思うし」


(6)私は『沖縄スパイ戦史』のラストに、護郷隊、つまり地域の少年にゲリラ戦をやらせるという残酷なアイデアは沖縄だけに終わらなかったこと、本土上陸に備えて中野学校卒業生が全国に散り、少年部隊を編成し訓練を始めていたことを織り込んでいるが、その全貌はなかなか明らかになってこない。しかし、まだ元少年兵たちにあたる時間は残されているから、その先は各地方のジャーナリストに頑張ってもらいたいという期待を込めてそのシーンを入れた。だから、大賀さんから連絡があったときに「よっしゃー!」と小躍りをしたのだが、まさか教官経験者の証言が聞けるなんて思ってもいなかった。
(7)なので、本来は『スパイ戦史2』の企画を立ち上げ、貴重な動画を寝かせておきたい気持ちも山々なのだが、あまりにも、あまりにも証言内容が面白いということと、そしてまだまだ見渡せば各地域に野原さんのような生き証人や資料が眠っているかもしれない、と奮起してくれるジャーナリストやフィールドワーカーがいることを信じて、しばらくは動画を公開しておくことにする。
(8)特に面白いのは、ゲリラ戦演習の内容である。中野学校が教えたスリのやり方、家宅侵入のノウハウ。煙の出ない炊飯方法、夜間の視力を確保する「周辺視」の手法。これは私も初耳だったが、調べてみるとあの義烈空挺隊も会得していたという記述もあり、周辺視をマスターし、夜でも絶対に外さない狙撃手もいたという。また、薬もない中で怪我を克服し戦うために「マムシ」を活用したくだりでは、野原さんはその脅威の実物をカメラの前に披露してくれた。部屋には異様なにおいが漂っていたが、これが化膿止め、熱さましに絶大な力を発揮するという。野原さん自身現在も使っているし、今でもマムシを見たら捕獲するらしい。
(9)中野学校のゲリラ戦指導者の中に甲賀流忍術の継承者がいたというが、まさに薬師・セブリなどの山岳漂泊民族の流れを汲んで山岳ゲリラ的な能力を持つ忍びの集団が出来上がったように、その知恵と日本の山野に潜んで戦う伝統の手法は、中野学校に引き継がれ、大戦末期には岐阜の内陸部の村にまで伝わっていたのかと感心しきりだった。
(10)宇治分校の演習はそれだけではない。京都大久保飛行場に行っては飛行機や戦車の爆破方法を習い、琵琶湖では伝馬船の漕ぎ方を習い、京都操車場に行っては汽車と電車の爆破を習い、最後は四国に渡って「高知平野にアメリカ軍が上陸し飛行場を占拠された」という想定で大規模な卒業演習が行われた。敵の役は二俣分校の教官らが務めたが、忍び込む造船場や飛行場などの施設には演習のことは当然秘密で、目的物に「爆破」と書かれた紙を貼って来るのがゴールだった。ところが実際に警察に捕まって拘置されてしまった仲間もいた。演習期間が終わって初めて、上官が警察から仲間の身柄を引き取ってきたというから、中野学校式訓練の豪快さは噂以上だ。
(11)この訓練を、野原さんは故郷の岐阜県山県郡谷合村(現山県市)に持ち帰った。地元の少年兵や予備役の40歳前後のベテランらを鍛えるべく野原さんが応用実践したのは、役場の夜間攻撃だった。


野原「役場に訓練のことを通達して、全部警戒に当たれと。在郷軍人の協力もお願いしてね。その警戒網をくぐって爆破する。それは成功しとるんです。爆破、と書かれた紙を役場に貼って来るだけですけどね。私らは地形もよく知っとるために、気づかれずに攻撃成功しよったです。子どもたちはもう張り切って」

三上「子どもたちはそうやって、自分たちの故郷を舞台に戦う覚悟ができていくわけですね。これはすごい話ですよ。沖縄戦ではなく、本土でここまでゲリラ戦の準備をしていたとは」

野原「今までホントによく知られずにここまで来たと、私は感心しとるわ。どうして誰も言わなんだやろ、って」

三上「最後は自分たちの地域で戦うということを本当にリアルに考えてましたか?」

野原「そりゃ考えてましたよ。だから天皇陛下のお言葉に、ガクッと来てしまったもんね。なんか虚しくてね、もう自分の役割も地位もないわけでしょ。虚しいだけやったです」

三上「もっと戦えたのにという気持ち?」

野原「そう、その方が大きかったです」

三上「本土決戦でもう少しできたのに、と?」

野原「そう。谷合の山なら、こっちが地形を熟知しとるんやから勝負できると。本当は地域で戦争したらいかんけどね、それより自分ら勝ちたい。勝ちたいだけ」


(12)ここまで話が及ぶと、リアルに恐ろしくなってくる。まさに国民全員にゲリラ戦をするよう指導した図説『国民抗戦必携』にあるように、武器がなくても崖の上から石を落として敵の戦車を止める。石を投げて攻撃する。寝込みを襲って武器を奪う。まさに漫画のようだと半ば呆れて見ていた、あのテキストどおりの作戦を野原さんたちは真剣にやろうとしていたのだ。しかも、ほとんど武器弾薬も支給されない中で。鍛錬と精神論だけで、内実は少年たちに素手で敵に向かわせ、体当たりで戦車を止めろという段階の一歩手前だった。
(13)いや、正確に言えば沖縄では、そこまで一部は到達してしまっていた。少年たちに敵の弾を拾ってでも戦え、素手でもやれと指導していたし、少年たちも実践していた。この中野学校×地元の少年で作るゲリラ部隊=護郷隊の事例は、恐ろしいことにひとつの成功例と解釈され、全国各地で少年兵部隊が作られる基礎となり、終戦の日まで訓練途上にあったのだ。
(14)これは何一つ笑えない。本土決戦は「幻の」でもなければ、その荒唐無稽に見える作戦は「バカバカしい」と一笑に付して終わらせていい簡単な問題ではない。これは10代の少年の命を数百万人単位で武器として消耗することを是とした、今も反省されていない重大な国家犯罪だ。インタビューの後半、野原さんは私が凍りつくような言葉を発した。


野原「軍隊は住民を守らないというより、同じ立場で戦わせようとした。そこに無理があったわね。若いにもかかわらず。住民はそりゃ確かに、一つの兵器に過ぎなかったんやね」

三上「住民は兵器に過ぎなかった…。そこまで言います?」

野原「基地は大事やけども、住民は兵器やで、消耗品やもんね」


(15)兵隊は消耗品だ、と叩きこまれてきた野原伍長にとっては、部下であれば少年も住民も消耗品、だったのか。いや、そんなに単純ではない。陸軍中野学校でゲリラ戦のプロに仕立てられてから、野原さんはこう言った。ゲリラ戦は和をもって繋がりを強固にす。捕虜になっても生き伸びろ。必ず助けに行く、と教わったと。中野の教えは違うなと感心したと。それは、護郷隊もそうだった。命は鴻毛より軽い、だから天皇陛下に潔く捧げよ、と教育された少年たちは、護郷隊に入ってからは命を大切にせよ、捕虜になってもいい、逃げてこいという上官に感激した。しかし、それは人道上そうなったのではない。諜報員が死んでは情報が来ない。スパイが敵陣で死ねば証拠が残る。あくまで作戦上そうでなければ困るからだ。スパイ、ゲリラのほか、少年兵はテロ要員でもあった。現に、野原さんの従弟で、部下でもあった小森智さん(当時15歳)は、戦車に体当たりして死ぬ訓練しかしていない、と証言している。


小森「穴を掘って、そこに爆弾をもってすくんで待っておって、戦車が来たら自爆する訓練。向こうから来るのを待つ。実戦になったら死ぬんだなあ、と思ったね」


(16)小森さんの証言もとても貴重だ。彼が岐阜の「国土防衛隊」に召集された7月には、もう武器弾薬はおろか軍服も軍帽も、ゲートルさえ支給されなかった。恐ろしい欠乏の中、潤沢に使えるのは少年の命だけという、完全に戦争継続能力の限界値を越えてからの召集だった。


小森「お宮さんの拝殿で、村長さんの激励のあいさつをもらって行った覚えはある。そこから宿舎までどう行ったのかは記憶にない。軍服はなかった。自分の国民服。支給されたのは地下足袋だけだった。ゲートルもなくて、母に帯の芯をほどいて作ってもらった。それと普通の肩掛けのカバンに丼鉢を入れて行ったんですよ。食器も自前ということで。帽子は家に鉄兜があったもんだから。これをかぶっていった。天高神社に並んだのは5人くらいかな。召集兵の中でも、僕が最年少ね。17歳くらいまでいた」


(17)武器も軍服もなく、家にあった鉄兜をかぶり、食器用の丼鉢をカバンに突っ込んで入隊した15歳の少年ゲリラ兵。それは沖縄の護郷隊より数段酷い。しかし野原さんは、今年初めて護郷隊を知り、同じ運命の沖縄の少年兵部隊の存在に衝撃を受けたと言い、インタビュー中でも何度か涙した。沖縄の少年らがかわいそうでならん、と繰り返した。映画の導入部分を見ていただいたのだが、もう見ていられんと目を覆った。あのまま戦争が続いていたら。野原さんが幾度となく想像した部下たちの末路が、そこに重なったのだろう。

(18)インタビューの終盤、私が先島の自衛隊問題に触れたとたん野原さんは色めき立った。


野原「これは考えないといかん。今、アメリカは日本を守ってくれるとみんな言うんやけども、守ってくれるんでなく、自分たちの防波堤なんやね、日本は。アメリカの防波堤。日本を守るんやにゃあで。そういうことは…どっちに転んでも一緒やけど。本当にこれは考えなあかん。本当に日本は独立国にならないかん。独立国やあれへんねん、今。アメリカの属国やで。まだ韓国の方がどうにか頑張っとるわ」


(19)本質を突いたコメントに驚いた。いや、中野学校の指導を受けたほどの軍人なら、現在の状況を読み解いて当然なのかもしれない。もし仮に、国の危機を背負って暗躍した中野学校の卒業生たちの大半が、戦死した人も含め、まだ頭脳明晰なまま生きていて、令和を迎える今の日本の政治状況を見ていたら、騙され続けている国民や騙されたふりを決め込む日本の政治家たちに辟易とするだろう。74年経ってまだ独立も勝ち取れないのか、と呻く人も多いだろう。村上治夫が、岩波壽があと15年長生きしてくれたら、少年を犠牲にしても守れなかった沖縄をまた懲りずに防波堤にするのか、と怒ったかもしれない。野原さんのように日本自体がアメリカの防波堤だぞ、と老兵として苦言を呈していたかもしれない。

(20)それにしても沖縄以外の地で、ここまで自分の故郷で戦うことを本気で考えた人物に会えて驚きの連続だった。しかしこの状況は相当まずいと思いませんでしたか? と聞くと、意外な答えが返ってきた。


野原「ゲリラ戦になったら戦争は終わらないな、とは思ったね。アメリカが日本本土に上陸して完全に占領することをしなかったのは、やっぱり沖縄のゲリラ戦部隊の恩恵もあると思う、わたしは。ゲリラ戦争は終わりがない。それを突っ込んでって失敗したのがベトナムでしょう。やったら終わりのない戦争になるで」




by asyagi-df-2014 | 2019-10-06 05:57 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧
更新通知を受け取る