2019年 09月 10日 ( 2 )

沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2019年9月10日

 実に、興味ある記事だ。反面教師的な意味だが。
「米軍基地問題の議論を全国的に深めようと『トークキャラバン』を実施している玉城デニー知事が9日、大阪府庁を訪れ、新井純副知事と意見交換した。吉村洋文知事は面会しなかった。・・さらに全国キャラバンについて『事務局(シンクタンク・新外交イニシアティブ)が非常に政治的に偏った方で構成されている。極めて政治的』と強調。『その議論を戦わせるなら政党の討論会でやるべきで、こういう役所の公務でするべきではないのではないかと思っている』と考えを述べた。・・玉城氏は9日、大阪市役所も訪問したが、松井一郎市長は日程調整がつかないとして会わなかった。」、と沖縄タイムス。
まあ、「政治的って意味合いは」、とかを聞いても意味がないのだろう。
 恐らく、前知事の「魂の飢餓感」という言葉について考えてもいないのだろう。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2019年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2019年9月10日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)沖縄タイムス-「政治的だったので」 大阪・吉村知事、沖縄デニー知事と面会せず-2019年9月10日 05:09


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「米軍基地問題の議論を全国的に深めようと『トークキャラバン』を実施している玉城デニー知事が9日、大阪府庁を訪れ、新井純副知事と意見交換した。吉村洋文知事は面会しなかった。理由について吉村氏は記者団に『日程の調整もあるが、僕は大阪府庁として実務的な立場で中立公正な立場で対応させてもらう方が誠実だと思った』と説明した。」
②「さらに全国キャラバンについて『事務局(シンクタンク・新外交イニシアティブ)が非常に政治的に偏った方で構成されている。極めて政治的』と強調。『その議論を戦わせるなら政党の討論会でやるべきで、こういう役所の公務でするべきではないのではないかと思っている』と考えを述べた。」
③「玉城氏は9日、大阪市役所も訪問したが、松井一郎市長は日程調整がつかないとして会わなかった。」


(2)沖縄タイムス-北朝鮮の新ミサイル配備なら「脅威は沖縄の米軍基地含む」 米国シンクタンク分析-2019年9月9日 19:00


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「【ワシントン共同】米シンクタンク戦略国際問題研究所(CSIS)は6日、衛星写真などに基づき、北朝鮮南東部金泉里の非公表の弾道ミサイル基地に、中距離弾道ミサイル『火星9』が配備されているとの分析結果を公表した。『日本の南半分と韓国全土』を射程内に収めているとみられるとしている。」
②「CSISは、より新しいミサイルがこの基地に配備されれば『脅威は沖縄の米軍基地を含む日本全体に及ぶ可能性がある』と指摘した。基地はソウルの北東約170キロの山あいに位置する。7月に撮影された衛星写真には、本部棟や居住区域が写っていた。近くにあるレーダー基地で働く要員の住居にもなっているという。」
③「同基地については、1990年代から短距離弾道ミサイルが配備されていると指摘されていた。」


(3)沖縄タイムス-辺野古の移植サンゴ、9群体のうち3群体が死滅 専門家「明らかな失敗」-2019年9月10日 10:39


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「沖縄県名護市辺野古の新基地建設で沖縄防衛局が設置した環境監視等委員会の第21回会合が9日、那覇市内で開かれた。防衛局は、昨年埋め立て区域から移植した絶滅危惧種のオキナワハマサンゴ9群体のうち、3群体が死滅や消失したと報告した。死滅したのは昨年8月に移植した1群体。移植後の目視調査で今年3月以降、生存部が縮小し、7月末以降は生存部が確認できなくなった。」
②「沖縄防衛局は、同群体が移植前から全体が白化するなど衰弱しており、自然死であるとの見方を示した。移植先に元々生息していたオキナワハマサンゴにも同様の現象があるという。また、別の1群体が消失、さらに別の1群体が部分死していることも報告された。」
③「消失した1群体は食害や削り取られた形跡がないことから、防衛局は『目視調査の直前に接近した台風で高波の影響を受けた可能性が高い』と説明した。部分死がみられる1群体は原因不明で、『今後も観察を続ける』と述べた。」
④「サンゴ生物学に詳しい東京経済大学の大久保奈弥准教授は、『消失』とされる群体は生存部が確認できない以上『死滅していると言える』とし、『部分死』としている群体も『ほとんど死んでいる状態』と指摘した。」
⑤「過去の研究で夏の高温期がサンゴの移植に不適切なことが分かっているにもかかわらず、移植を提言した環境監視等委員会の判断を『1年で9群体のうち3群体が死ぬのはかなり高い率。明らかな失敗だ』と批判。部分死した群体が回復するかは見通せず「環境監視等委員会のサンゴの学者が無責任に移植のアドバイスをした責任は大きい」と語った。」


(4)沖縄タイムス-議員の指摘に町が「名誉毀損」を主張 数の力で訴訟議案が可決 高知県黒潮町の事例【深掘り】-2019年9月10日 16:00


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「宮古島市の不法投棄ごみ撤去事業を巡って市長らを提訴した市民6人に対し、同市は『虚偽の事実を示し続けて市の名誉を毀損(きそん)した』として、損害賠償を求める訴訟を起こす方針だ。開会中の市議会で議案が審議されており、11日にも総務財政委員会で採決される見通し。市民を萎縮させ、言論の自由を脅かす恐れはないのか。同様の訴訟が起きた高知県黒潮町の事例を振り返る。」(社会部・伊集竜太郎)
②「黒潮町のケーブルテレビ事業の工事入札を巡り、町議5人がグループで発行する町民向け議会報告で疑問を投げ掛けたのは2010年2月。入札当日に遅刻した業者を役場職員が探していたのを町議の1人が目撃し、落札がその業者だったことを『単なる偶然なのか』『ちょっと奇妙』と指摘した。」
③「すると、町は『入札であらかじめ落札業者が決められ、その筋書き通りに手続きを進めたかのような誤解を読み手に与え、原告の行政執行に不正行為があったことを意図的に印象付ける』として、名誉毀損を主張。町議たちに計130万円の損害賠償を求める訴訟提起を議会に提案した。」
④「訴えられたのは当時現職の町議で、いずれも反町長派。訴えられた1人の宮地葉子さん(72)は、町側から議会報告に謝罪文を掲載するよう何度も求められたが、『日頃から町政を監視する議員活動の一環で、施策によって批判する内容を掲載している。指摘された内容も虚偽ではない』と、受け入れなかった。」
⑤「しかし、町長支持派が過半数の議会で、訴訟を起こす議案は可決された。」


(5)沖縄タイムス-提訴は「制裁目的」 町に訴えられた議員、反訴し勝訴【深掘り】-2019年9月10日 16:30


沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「高知県黒潮町に訴えを起こされた同町議会の宮地葉子町議(72)は、議会報告の掲載内容に『誤りはない』という確信があった。しかし『行政という大きな権力に裁判で訴えられて被告となり、ぬれぎぬを着せられ、報道もされた。仲間が4人いたからまだしも、これが1人だったら動揺したかもしれない』と、当時の心境を打ち明ける。」
②「町議たちは、町から訴えられたことで名誉を毀損(きそん)され、表現の自由や政治活動の自由が侵害されたとして、1人当たり慰謝料30万円などの損害賠償を求める反訴を起こした。」
③「2012年7月の高知地裁判決は、町民を代表する町議の監視の下、町が行政執行で相応の批判を受けるのは当然で『掲載内容は社会通念上、許容範囲を逸脱するものではない』として町の請求を棄却。逆に町議たちの反訴の請求の一部を認め、町が町議1人につき11万円を支払うよう命じた。」
④「さらに判決は、町が町議たちを訴える場合には『それ以後、町議が自由に批判することに萎縮的効果が生じることなどを考慮すると、そこに極めて高い必要性、相当性がないといけない』『原則として言論で対抗すべき』と指摘。提訴は必要性がなく『背景には町議らへの制裁目的があった』とし、町による提訴の違法性を認めた。町は控訴せず、判決は確定した。」
⑤「『住民には行政を批判する権利があり、それが住民自治。行政は住民からの批判を甘受する責任がある』と話すのは、町議側の代理人を務めた梶原守光弁護士。宮古島市の提訴の動きについても『裁判制度の悪用。住民の市政批判を封じることになる』と強く懸念する。」
⑥「市議会にも『行政のチェック機関であり、住民の代表である市議がこのような議案を通すべきではないのは当然。議論の余地すらない』とくぎを刺した。」        (社会部・伊集竜太郎)




by asyagi-df-2014 | 2019-09-10 17:23 | 沖縄から | Comments(0)

今、学校で起こっていること。-なぜ「無言」で清掃・給食なのか?―「対話」より「無言」を重視する教育のおかしさ-

 YAHOOニュ-スは、2019年8月30日、「なぜ「無言」で清掃・給食なのか?―「対話」より「無言」を重視する教育のおかしさ」(苫野一徳熊本大学教育学部准教授・軽井沢風越学園設立準備財団理事)、と配信した。


 どういうことなのか。
全国に広がる『無言清掃』についてです。
 苫野一徳さん(以下、「苫野」)の指摘は、「先日、N H Kスペシャル『“不登校”44 万人の衝撃』という番組が放送されました。番組内では、中学生の4~ 8 人に1人が、不登校もしくは不登校傾向にあるという、衝撃の調査結果が明らかにされました。この問題について、言いたいこと、言うべきことはたくさんありますが、今回取り上げたいのは、この番組でも取り上げられていたまた別の事柄、すなわち『無言清掃』についてです。『黙働流汗清掃』などとも言われます。この十数年で、全国の多くの学校に急速に広がっています。」、と始められます。

(1)先のN H K スペシャルの生放送には私も出演していましたが、この「黙働流汗清掃」が V T R で紹介された瞬間、L I N E で番組参加してくれていた不登校経験者の皆さんからは、「何だこれは、軍隊か!」といった声が一気に寄せられました。ツイッターにも、同じような反応が多数見られました。学校関係者にはよく知られた「無言清掃」ですが、それが世間からすれば異様な光景に見えたのは、当然のことだったと私は思います。
(2)ずいぶん有名になり、また問題視もされるようになった運動会の巨大ピラミッドなども、世間から見れば驚くべき異様な取り組みです。
(3)工事現場では、2メートルを超える高さで作業する場合は安全帯をつけることが法律で定められています(作業床のない場合)。一方、運動会で行われるピラミッドは、6段で3メートル。10 段だと7メートル。一番下の生徒には、男子中学生の場合約200キロもの負荷がかかります。
(4)件もの重大な事故が相次ぎました。にもかかわらず、「感動」とか「我慢」とか「一致団結」とかいったかけ声のもとに、巨大組体操は今もなお少なくない学校で続けられているのです。そもそも、「感動」や「一致団結」が、安全とトレードオフにしてまで教育にとって必要なものなのか、私たちは改めて本気で考え直す必要があるでしょう。全く必要ないと言いたいわけではありません。ただ、「感動」や「一致団結」を、学校が生徒を統率するための都合のいい合言葉にしてしまってはいないかどうか、改めて考え合いたいと思うのです。
(5)下着は白に統一だとか、髪の毛が茶色い生徒には「地毛証明」を出させるだとか、持ち物を統一するとか、机の上の筆記具の配置を統一するとか、そういった細かなルールも同様です。学校関係者は、それが「当たり前」の環境の中で時間を過ごすうちに、いつのまにかそうした世間の目から見れば異様な光景に、いくらか鈍感になってしまっているところもあるのではないかと思います。


 「苫野」は、『無言清掃・給食』の問題を含め、「学校」について指摘を行います。


(1)その意味で、無言清掃や無言給食も、やはりおかしな活動と言うべきです。分刻みで動かなければならない学校の先生にとって、子どもたちが掃除や給食の時間にダラダラおしゃべりして過ごしていては、時間がいくらあっても足りないという本音は分かります。
(2)でもそんな理由で、ただでさえ少ない子どもたち同士のコミュニケーションの機会を学校が奪ってしまってもいいのでしょうか。「ただでさえ少ない子どもたち同士のコミュニケーション」と言いました。これについては、「本当かな?」と思われた方もいるかと思います。確かに、学校をのぞいてみると、いたるところから子どもたちの声が聞こえてきます。一見、豊富なコミュニケーションがなされているように思います。
(3でも、皆さんもちょっと思い出してみてください。学校に行った時、コミュニケーションをとるのは、クラスの中の実はごく一部の友達だけだったのではないでしょうか? 「黙って、座って、先生の話を聞いて、ノートをとる」のが主流で、「協同的な学び」や「探究(プロジェクト)型の学び」がまだ十分になされていない学校では、こうしたことが起こります。友達とコミュニケーションができるのは、休み時間や部活の時間などに限られます。「仲よしグループ」(ただし、時に上辺だけの)だけでそのほとんどを過ごすことになるのは、ある意味では当然のことなのです。
(4)「無言清掃」は、黙って精神を統一し、自分と向き合う時間、という側面もあるそうです。それはそれでいいでしょう。でも、繰り返しますがただでさえ少ない子どもたち同士のコミュニケーションの時間を奪ってまで、そのような時間を設ける必要があるのかどうか、私たちはやっぱり、定期的に問い直す必要があるのではないかと思います。
(5)時間に余裕がないのであれば、どうすれば余裕を作れるかを考えたいものです。もしかしたら、掃除をする日を減らしてみてもいいかもしれません。別の余計な時間を見つけて、そちらを削ってみる必要もあるかもしれません。


 さらに、「苫野」は、「法律に抵触する可能性も」、と指摘を続けます。


(1)実は、給食や清掃を含む「特別活動」の目標について、新学習指導要領には「多様な他者との協働」が挙げられています。給食については、学校給食法に「明るい社交性及び協同の精神を養う」とあります。無言清掃・無言給食は、少し大げさに言えば、これらに抵触する可能性もあるかもしれません。
(2)熊本市教育長の遠藤洋路さんは次のように言っています。「新指導要領では、学校活動の前提が『同質の集団』ではなく『多様な他者』であることがより明確になった。無言清掃・無言給食に限らず、学校活動全体が、同質集団を前提とした『無言の圧力』を助長するものになっていないか厳しく見直す必要がある」と(熊本日日新聞2018 年12 月12 日夕刊)。


 最後に、「苫野」は、こう結んでいます。


 「学校教育の最大の目的は、お互いの存在を認め合う、そしてこの社会で自立して生きられる個人を育むことです。この目的に照らして、私たちが本当にやるべきことは何なのか、また何をやらないべきなのか、学校関係者は、子どもたちも一緒に、そんな議論・対話をもっと頻繁に重ねていく必要があるだろうと考えています。」


 「学校の常識は世間の非常識?」(「苫野」)。
 確かに、そこには、大人の側からの管理統制という問題が絡む。
 「そもそも、『感動』や『一致団結』が、安全とトレードオフにしてまで教育にとって必要なものなのか」や「学校関係者は、それが『当たり前』の環境の中で時間を過ごすうちに、いつのまにかそうした世間の目から見れば異様な光景に、いくらか鈍感になってしまっているところもあるのではないかと思います。」、との(「苫野」)の指摘は、管理統制に馴染む学校現場の現実の姿です。
これまでも、少年法の厳罰化などに対して明確に対応できないのが学校現場であった。
自戒を込めて。



by asyagi-df-2014 | 2019-09-10 07:11 | 人権・自由権 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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