2019年 08月 29日 ( 2 )

沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2019年8月29日

住民訴訟制度を否定するものではないか。むしろ、裏側の事情を推測させるものでしかないのではないか。あまり、行政側のには得にはならない気がするのだが。
「沖縄県宮古島市が2014年度に実施した不法投棄ごみ撤去事業は違法だとして、市民6人が下地敏彦市長や市職員に事業費約2250万円の返還を求めた住民訴訟を巡り、一連の裁判で虚偽の主張を続けて市の名誉を毀損(きそん)したとして、市がこの市民6人に1100万円の損害賠償を請求する訴えを起こす方針であることが28日分かった。市が提訴するには議会の承認が必要で、市は市議会9月定例会に議案を上程する。識者からは「行政をチェックする市民を萎縮させる」と批判が出ている。」
、と琉球新報。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2019年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2019年8月29日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)琉球新報-在沖海兵隊グアム移転先に遺跡 射撃場工事を中断-2019年8月29日 07:00


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「【与那嶺路代本紙嘱託記者】在沖海兵隊のグアム移転計画に伴い施設建設が進むアンダーセン基地北西部の実弾射撃場で7月末、二つの遺跡が見つかり、工事が一時中断していることが分かった。」
②「グアムの地元紙パシフィック・デーリー・ニュースによると、7月29日に考古学者と海兵隊が実弾射撃場を調査したところ、乳鉢や乳棒、貝の道具、石器などが見つかった。軍は工事を一時中断し、さらに調査を進めている。」
③「調査の後、遺跡を移して保管し、工事を再開する。軍によると、工事が避けられない場所ではこのような手順を取るという。グアムの米軍施設の建設現場では2018年12月以降、石器や陶器の破片など13件が相次いで見つかっている。」


(2)琉球新報-「市の名誉を毀損した」住民訴訟の市民を逆に提訴へ 宮古島市-2019年8月29日 06:34


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「沖縄県宮古島市が2014年度に実施した不法投棄ごみ撤去事業は違法だとして、市民6人が下地敏彦市長や市職員に事業費約2250万円の返還を求めた住民訴訟を巡り、一連の裁判で虚偽の主張を続けて市の名誉を毀損(きそん)したとして、市がこの市民6人に1100万円の損害賠償を請求する訴えを起こす方針であることが28日分かった。市が提訴するには議会の承認が必要で、市は市議会9月定例会に議案を上程する。識者からは「行政をチェックする市民を萎縮させる」と批判が出ている。」
②「不法投棄ごみの撤去委託事業を巡っては、市内に住む男女6人が16年1月、『市内のごみ1650トンを全て撤去する契約だったが、実際に存在したごみは少なく、市はごみの総量を把握せずに高額な契約を結んだ』として公金返還を求める住民訴訟を起こした。」
③「18年3月には那覇地裁が『市が業者と結んだ契約について違法とは言えず、事業費の支出についても職員に重過失はない』との判決を出し、市民側が敗訴。市民側は控訴したが、同年12月に福岡高裁那覇支部は『市に違法性はない』と訴えを棄却し、最高裁も今年4月に上告を棄却した。」
④「市は訴訟の理由について、市民側が一連の訴訟で事業費が違法に高額であり、市が違法な支出を阻止すべき指揮監督義務を怠ったと虚偽の主張をしたことで、市の名誉が傷つけられたとしている。賠償額については、裁判でかかった弁護士費用や弁護士との打ち合わせに伴う職員の旅費、名誉毀損に対する賠償額に加え、今後の訴訟にかかる費用を根拠とした。」
⑤「下地敏彦市長は『住民訴訟では市の主張が認められた。市が適正な処理をしたことを市民に知っていただくとともに、市の名誉を回復したい』と話した。」


(3)沖縄タイムス-津田大介さん「毀損された表現の自由リカバリーしたい」 不自由展中止の波紋-2019年8月29日 06:27


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「愛知県で開催中の国際芸術祭『あいちトリエンナーレ2019』の企画展『表現の不自由展・その後』が中止となった問題で、芸術監督を務めるジャーナリストの津田大介さん(45)が27日までに沖縄タイムスのインタビューに応じた。『毀損された表現の自由を回復させるプロセスを残りの会期で見せたい』と述べ、今後何らかの対応をする考えを示した。」
②「津田さんは企画展の狙いについて、行政の運営する美術館で作品の撤去などが近年問題になっている現状を踏まえ、『アートでこれだけ検閲的な状況がある。メディアも同じ危機感を抱えなければいけないと思った』と語った。」
③「企画展が中止したことについては、『ガソリンをまくぞ』といった抗議や脅迫が殺到したことを挙げ、『職員と観客の生命が人質に取られた状況だった』と理解を求めた。」
④「補助金交付を慎重に判断するとした菅義偉官房長官の発言について『あんなことをちらつかせられたら、政治的な表現はどこもやれなくなる』と批判。公金が使われた文化事業で行政による検閲を当然と考える風潮が強いことにも懸念を示した。」
⑤「米軍基地などを巡る沖縄の訴えが本土で無視されているとも指摘。『バッシングが起きる構図は沖縄にかかる問題と似ている。表現の自由が損なわれるのは沖縄だけでなく、日本のどこでも起こりうる問題だ』と語った。」                  (東京報道部・又吉俊充)


(4)琉球新報-米軍、北側滑走路の運用を再開 嘉手納基地 補修工事で閉鎖 住民は騒音を懸念-2019年8月29日 11:41


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「【中部】1月初旬から補修工事のため閉鎖されていた米軍嘉手納基地の北側滑走路が29日午前、運用を再開した。閉鎖後、1本の滑走路で運用していたが、外来機の飛来が相次ぐなど過密な運用が続いていた。運用再開で北側滑走路に近い住宅地住民への騒音被害などが懸念される。」
②「29日午前9時ごろ、米軍普天間飛行場所属のUC35Dが北側滑走路でタッチアンドゴーを行う様子が確認されたほか、午前10時ごろには航空自衛隊那覇基地所属のF15戦闘機1機が滑走路に緊急着陸した。航空自衛隊那覇基地は『脚系統に不具合が生じたため緊急着陸した』と説明している。」
③「米軍は当初、補修工事を6カ月間としていたが、米連邦航空局の訓練計画航空情報(ノータム)で8月31日まで滑走路を閉鎖するとしていた。同基地の第18航空団は遅延の理由について明らかにしていない。」
④「工事期間中は沖縄市と北谷町に近接する南側滑走路1本で運用されていたため、米軍機の離着陸が集中。嘉手納基地に着陸できず、普天間飛行場にダイバートする回数も増加していた。」


(5)沖縄タイムス-嘉手納基地の北側滑走路、運用再開 自衛隊1機が緊急着陸-2019年8月29日 10:58


 沖縄タイムスは、「【中部】米軍は29日午前、嘉手納基地の2本の滑走路のうち、補修工事に伴い閉鎖していた北側滑走路の運用を再開した。午前9時57分には、航空自衛隊那覇基地所属のF15戦闘機1機が北側滑走路に緊急着陸した。同基地によると、通常訓練で午前8時21分に同基地を離陸後、着陸時に出す車輪を格納するドアが閉まらない不具合が生じたためという。乗員1人にけがはなく、原因はこれから調査する。」、と報じた。



(6)沖縄タイムス-「市に異議申し立てる市民は許さないということか」 宮古島市、住民提訴方針の波紋-2019年8月29日 11:30


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「宮古島市が不法投棄ごみ訴訟を巡って名誉を毀損(きそん)されたとして、原告側の市民6人に損害賠償を求めて提訴する方針であることが分かった。『見せしめだ』『行政をチェックしようとする市民を萎縮させる』。市民や識者からは批判と怒りの声が上がった。」
②「同訴訟で原告の一人は『裁判で市の名誉を傷つけたことはない。提訴は市民の萎縮につながりかねず、理解できない』と驚く。同訴訟について『民事は最高裁で棄却されたが、高裁では行政のずさんさが指摘された。行政をただす意義のある裁判だった』と提訴の動きに強い疑問を示した。」
③「同訴訟に関連し、市の担当者は虚偽有印公文書作成・同行使の罪で有罪になった。行政の在り方が問われているとし『市側はしっかり反省し、市民のための運営に努めてもらいたい』と述べた。」
④「別の市民は『私たちは行政がよくなればとの思いで裁判を闘った。今後訴訟になるのであれば対応を協議し、再び真実を追求したい』と語った。」
⑤「同訴訟で住民側代理人を務めた喜多自然弁護士は『名誉毀損などあり得ない。市民の意見を封じるための訴訟としか思えず、通常では考えられない』と批判した。さらに『市長の政策に異議を申し立てた市民は許さないという独裁的な発想。議案を上程するだけで威嚇効果は十分で、他の市民への見せしめだろう』と話した。」


(7)沖縄タイムス-「沖縄バッシングと似た構図」 津田大介さん、混乱から見えたもの-2019年8月29日 11:07


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「『慰安婦』問題や昭和天皇を題材にした作品が抗議、脅迫を受け、中止に追い込まれたあいちトリエンナーレ2019の企画展『表現の不自由展・その後』。芸術監督の津田大介さんに企画意図や中止判断、混乱から見えた日本社会の問題点について聞いた。」 (聞き手=東京報道部・又吉俊充)
②「-企画の狙いは。:『契機は2015年に民間のギャラリーで見た【表現の不自由展】。僕自身ジャーナリストでアートにも興味があり、アートとジャーナリズムが地続きで交差する場所って、こういうことなんだと。アートの検閲的な状況にメディアは同じ危機感を抱えなければいけないと思った。公的な場所での美術表現が制限されているとも感じていた』」
②「-『不自由展・その後』は公的な場所、トリエンナーレで始まった。:『民間だったら普通にできる表現がひとたびパブリック・セクター、つまり公共性の高い場所になると批判が集中してできなくなる。ゆえに美術館や行政がある種の忖度(そんたく)や自己検閲して表現ができなくなってしまう状況に対し問題意識があった。不自由展を会期の75日間展示できれば、行政で当たり前に行われている検閲的状況に、美術館が対抗するモデルケースになるんじゃないか。ここは大きな動機だった』」
③「-今回の事態になる前から公共施設でこうした展示をやることがそもそもの狙いだった。:『狙いは大村秀章愛知県知事にも、事務局にも伝えた。ただ警備の都合で事前の説明が多方面に十分できなかったこともあり、非常に苛烈な抗議が来てしまった。しかも政治家があおるようなことを言い、収拾がつかなくなり現場が崩壊した。責任を感じていると同時にトリエンナーレの事務局自体が被害者でもある』」
④「-抗議の電話で事務局がパンクした。中止判断は致し方なかったか。:『僕は間違ってないと思う。現実的にテロの恐怖がどれだけあるのか。展示の2週間前に京都アニメーションの放火事件があり、電話口で【ガソリンまくぞ】と言われたり、実際にファクスも来たり。【テロに屈するのか、展示を続行しろ】という意見も理解できる。だが現場のストレスが非常に強い状況で、あの時点では続けることができなかった。ある意味、職員と観客の生命が人質に取られた状況だった』」








by asyagi-df-2014 | 2019-08-29 17:52 | 沖縄から | Comments(0)

伝え続ける責任とは。-沖縄タイムス社説から-

 何を伝えなければならないのか。
 沖縄タイムス(以下、「タイムス」)は2019年8月22日、軍の食料を確保し、戦略の足手まといになる女性や子どもらを立ち退かせるのが目的だった疎開船「対馬丸」の沈没と「乗船者のうち氏名が判明している1484人(2019年8月22日現在)が犠牲になった。うち半数以上の784人が学童だった。」(「タイムス」)との犠牲を伝えた。


(1)アジア・太平洋戦争の最中の1944年8月22日、国の疎開命令で学童ら1788人が乗船した疎開船「対馬丸」が、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃で沈められた日から22日で75年を迎える。44年7月、サイパン島で日本軍が玉砕し米軍の沖縄上陸が必至と判断した政府は、沖縄本島などから本土へ8万人、台湾へ2万人を送る疎開命令を沖縄県へ伝えた。疎開は軍の食料を確保し、戦略の足手まといになる女性や子どもらを立ち退かせるのが目的だった。
(2)対馬丸事件の以前にも、沖縄関係者を乗せた船が周辺海域で17隻沈められていたが、軍事機密としてかん口令が敷かれ、県民へ正確な情報は伝わっていなかった。
(3)対馬丸は44年8月21日午後6時35分、学童らを乗せて那覇から長崎へ出発。だが、南西諸島の海域は既に日本の補給路を断とうとする米潜水艦の動きが活発化。日本側の軍事情報は米軍に傍受され、対馬丸の船団もボーフィン号に追跡を受けていた。当時、建造から30年がたった老朽船は速度が遅く、翌22日午後10時12分、鹿児島県悪石島の北西約10キロで魚雷を受け、11分後の同23分に沈没した。
(4)対馬丸記念館によると、乗船者のうち氏名が判明している1484人(2019年8月22日現在)が犠牲になった。うち半数以上の784人が学童だった。


 何を、何故、伝えなければならないのか。
 「タイムス」は同日社説で、「[対馬丸撃沈75年]伝え続ける責任がある」、と示した。
まず最初に、「あまりにも多くの夢、希望、未来が、暗い海にのみ込まれていった。」というその様子を伝える。


(1)集団疎開の学童や一般の疎開者ら1788人を乗せた「対馬丸」が米潜水艦に撃沈されてから、きょうで75年となる。犠牲者は氏名が判明しただけで1484人。そのうち学童は半数以上の784人に上る。「雪も富士山も見ることができる」。修学旅行気分で船に乗り込んだ子どもも多かった。あまりにも多くの夢、希望、未来が、暗い海にのみ込まれていった。
(2)「生と死は紙一重だった」。垣花国民学校4年生だった上原清さん(85)は、あの日、あまりの蒸し暑さに船倉の寝場所を抜けだし甲板で寝ていた。そのため魚雷を受けてもいち早く海に飛び込めた。だが、「そこからが地獄の始まり」。上原さんは年長の少年3人と台風の影響が残る荒波を必死で救命いかだにしがみついた。日中は灼熱の太陽が体中に刺さった。海水を飲んだが、しょっぱくてすぐに吐き出した。体中が熱くなり、氷やアイスケーキを思い浮かべることで、喉の渇きを癒やした。4日間、一滴も水を飲んでいなかった。
(3)「リッカ、シーバイ、ヌマ(おい、小便飲もう)」「ウヌママ、ソーチーネー、シヌンドー(このままだと死んでしまうぞ)」。3、4滴しか出なかったが、手のひらに浸して一気に飲み干した。奄美大島に流れ着くまでの6日間、食べたのは、仲間が素手で捕まえたカワハギ1匹。「4人で分け、刺し身一切れ分だったが生きる希望が湧いた」。生き延びたのは奇跡だった。


 もしかしたら、最大の罪の一つは、被害者に、「体験を語るまでに59年もの時間が必要だった。」もの負い目を負わせてしまったことなのかもしれない。
「タイムス」は、伝える。


(1)対馬丸が長崎向けに那覇港を出港したのは1944年8月21日。7月にサイパンが陥落。米軍の沖縄上陸は必至と判断した日本軍の要請を受け、政府は女性や子ども、高齢者を島外へ疎開させるよう沖縄県に命じた。
(2)軍の食糧を確保し、戦闘の足手まといになる住民を戦場から排除する目的もあった。
(3)対馬丸の沈没は、国策で進めていた疎開を妨げることから軍事機密として厳重なかん口令が敷かれた。県民に正確な情報が伝わらず、生存者は、事実を語れないことに苦しんだ。そして生存者たちは、戦後も「自分だけ助かってしまった」という負い目を抱き生きてきた。
(4)「亡くなった子どもたちのために本当のことを伝えたい」。上原さん自身、体験を語るまでに59年もの時間が必要だった。
(5)対馬丸撃沈は、その後の「10・10空襲」、凄惨(せいさん)な地上戦へと沖縄がのみ込まれていく中で起きた。


 「タイムス」は、「[対馬丸撃沈75年]伝え続ける責任がある」の意味を示す。
「悲劇から75年の歳月が流れた。生存者の語り部は4人。親・きょうだいから次の世代へ遺族の代替わりが進む中、対馬丸記念館は昨年度から遺族宅を訪問し、戦前戦後の暮らしなどを聞き取る作業を始めた。今を生きる私たちに求められているのは『生きたかった』子どもたちの声に耳を澄ませ、戦争を知る努力を怠らないことだ。」、と。
 だからこそ、「悲劇を学び、伝え続ける責任がある。」、と。
このことが、新聞社の責任である、と。




by asyagi-df-2014 | 2019-08-29 07:14 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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