2019年 08月 28日 ( 2 )

沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2019年8月28日

 悲惨な体験を正確に残していくこと。
その決意に頷く。
「『絶対に戦争はさせない。記憶が確かなうちに語り継がなければならないという気持ちが強くなった』。小瀧(旧姓大城)千代子さん(86)=東京都=はサイパン島の地上戦で、母ときょうだい4人を失った。戦争体験を語ることをかたくなに拒んできたが、『教訓として伝える必要がある』と考えるようになり、2年前から自身の悲惨な体験を語りだした。27日にサイパン島で行われた第50回全南洋群島沖縄県人戦没者慰霊祭に参列した。」、と琉球新報。
この意思をそれぞれが刻み込もう。
 「小瀧さんは家族に勧められ、自身の戦争体験をノートに書き記すことはあったが、他の人に見せることはなかった。『当時は信じられないことばかりだった。証言することで傷つく人もいる。悲惨な体験を思い出したくない気持ちもあった』と振り返る。しかし、2年前から戦争体験を教訓として語り継ぐべきだという思いから自身の体験を話すようになった。『一緒に生き残った父も軍隊に裏切られた思いを持っていた。平和のためにできることを考えたい』と小瀧さんは語った。」(琉球新報))。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2019年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2019年8月28日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)琉球新報-つらい記憶、継承決意 小瀧千代子さん(86)戦争体験語る-2019年8月28日 07:00


 ①「『絶対に戦争はさせない。記憶が確かなうちに語り継がなければならないという気持ちが強くなった』。小瀧(旧姓大城)千代子さん(86)=東京都=はサイパン島の地上戦で、母ときょうだい4人を失った。戦争体験を語ることをかたくなに拒んできたが、『教訓として伝える必要がある』と考えるようになり、2年前から自身の悲惨な体験を語りだした。27日にサイパン島で行われた第50回全南洋群島沖縄県人戦没者慰霊祭に参列した。」
②「小瀧さんは、サイパンに生まれ、料亭の料理人として働く父に育てられた。次男は優秀で自慢の兄だった。そんな穏やかな日常を戦争が奪った。」
③「1944年6月13日、家族は自宅を出て山の中に入り、北部の「千人壕」を目指した。しかし壕内は避難民でいっぱいだったため、そのまま山中を逃げ続けた。7月中旬頃、次男兄と姉が水くみから戻らなかった。追い掛けるように水をくみに行った小瀧さんは兄の遺体を見つけた。『盛り土に覆いかぶさっていた。たぶん土の下は姉だったのだろう。兄は姉を埋めて力尽きたんだと思う』。その後、母と三男兄と山中を逃げたが、機関銃に撃たれ負傷した。気が付くと収容所に入れられていた。以後、聞いた話では母と兄は11月ごろまで逃げ回り、最後は戦車による攻撃で命を落とした。母は内臓が飛び出た状態で横たわっていたという。」
④「小瀧さんは家族に勧められ、自身の戦争体験をノートに書き記すことはあったが、他の人に見せることはなかった。『当時は信じられないことばかりだった。証言することで傷つく人もいる。悲惨な体験を思い出したくない気持ちもあった』と振り返る。」
⑤「しかし、2年前から戦争体験を教訓として語り継ぐべきだという思いから自身の体験を話すようになった。『一緒に生き残った父も軍隊に裏切られた思いを持っていた。平和のためにできることを考えたい』と小瀧さんは語った。」


(2)琉球新報-慰安婦資料問題は日韓の意向尊重 世界記憶遺産でユネスコ事務局長-2019年8月28日 17:10


 琉球新報は、「【パリ共同】国連教育科学文化機関(ユネスコ、本部パリ)のアズレ事務局長は27日、就任後初の訪日に際して共同通信の書面インタビューに応じた。現在凍結している旧日本軍の従軍慰安婦関連資料の『世界の記憶』(世界記憶遺産)への登録審査に関し『進展は関係当事者の意思次第だ』として、反対する日本と、登録を後押しする韓国の双方の意向を尊重する考えを示した。2017年11月の就任後、アズレ氏が日本メディアのインタビューに応じるのは初めて。慰安婦資料の登録は中韓両国などの団体が申請し、ユネスコは17年10月に登録に関する判断を延期した。」、と報じた。


(3)琉球新報-埋め立て土砂搬入に抗議 ゲート前、学生や市民130人座り込み 名護市辺野古-2019年8月28日 15:16


 琉球新報は、「米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局は28日、埋め立て土砂の投入作業を続けた。本部港塩川地区や安和の琉球セメント桟橋では、土砂を積んだ大型車両に向かって建設に反対する市民が『違法工事を続けるのか』などと声を上げた。琉球セメント桟の沖合では、市民がカヌー13艇とボート1槽で抗議した。米軍キャンプ・シュワブゲート前では、工事車両が積荷を搬入する際に国内外の学生や市民ら約130人が集まり、座り込むなどして抗議した。」、と報じた。




by asyagi-df-2014 | 2019-08-28 17:53 | 沖縄から | Comments(0)

「見たくない過去、語ろう」、とは。 

 朝日新聞(以下、「朝日」)の記事が目についた。
「朝日」は2019年8月21日、国際政治学者の藤原帰一の「(時事小言)原爆投下と慰安婦像 見たくない過去、語ろう」を掲載した。
藤原帰一(以下、「藤原」)は、まずこのように、気ががりを指摘する。


(1)今年もまた、広島に原爆が投下された8月6日、長崎が被爆した8月9日、そして8月15日の終戦記念日と、戦争で亡くなった方々を追悼する式典が催された。新聞とテレビは74年前の戦争を振り返る記事や番組でいっぱいだった。
(2)それを読み、観(み)ながら、心に引っかかることがあった。第2次世界大戦において展開された暴力のなかに、広く語られる暴力と、語ることの許されない暴力の二つがあることだ。


 「藤原」の指摘する「第2次世界大戦において展開された暴力のなかに、広く語られる暴力と、語ることの許されない暴力の二つがある」、とは何を具体的に指すのか。
「藤原」の示す「語ることの許されない暴力」、とは次のものである。


(1)あいちトリエンナーレの企画「表現の不自由展・その後」が抗議ばかりでなく暴力行為の予告などを受けて中止となった。抗議や脅迫の元となった展示のなかには、昭和天皇の肖像群が燃える作品に加え、慰安婦の少女を表現した作品が、あったと報道されている。
(2)企画展の中止に関する論評の多くは憲法によって保障された表現の自由との関係から議論するものであった。もちろん展示会を暴力によって威迫することがあってはならない。だが、表現の自由とはまた別に、気になった問題がある。慰安婦の姿を表現することは受け入れることができない、そのような展示は認められないと考える人々が日本国内に少なからず存在するということだ。
(3)初めてのことではない。慰安婦の姿を表現した少女像は、設置を求める運動が韓国系団体を中心として展開され、ソウルの日本大使館前ばかりでなく世界各地に設置される一方、撤去を求める運動も行われてきた。ここでは慰安婦の表象が戦時性暴力ではなく反日的な行為として捉えられている。語られない、語ることが許されない戦争の暴力である。「見たくない過去」といってもいいだろう。


 一方、「広く語られる暴力」について、次のように示す。


(1)語られる過去もある。日本で広く伝えられてきた暴力の中核は、広島と長崎への原爆投下だろう。膨大な数の国民の生命を奪い、生き延びた人々についてもその心と身体(からだ)にむごい傷を与えたこの事件は、核兵器は地上から廃絶されなければならないという願いとともに繰り返し語られてきた。原爆投下ばかりでない。広島・長崎の被爆は、東京や阪神への空襲、あるいは沖縄戦を始めとした、銃後の日本人が経験した戦争のシンボルとして伝えられてきたといっていいだろう。
(2)一般市民の視点から戦争を捉えた作品の一つが「この世界の片隅に」である。こうの史代の漫画を原作としてテレビドラマも映画も作られたが、ここでは片渕須直が監督したアニメ映画を取り上げてみよう。この映画のほとんどが、絵を描くのが好きな主人公、すずの視点で貫かれている。この夢見がちな少女は北條周作と結婚して広島を離れて呉に住むことになるが、太平洋戦争のさなか、日を追うごとに暮らしは厳しさを増してゆく。食べるものにも事欠く状態となり、呉は米軍の空襲を受け、広島に原爆が投下される。悲劇としか呼びようのない展開ではあるが、悲劇性を印象づける画面づくりや音響効果は抑制され、他方では結婚前のすずが住んだ広島も、夫の実家がある呉も、細部まで描かれている。
(3)「この世界の片隅に」は、反戦や反核のメッセージを訴えるのではなく、すずの目に映ったものを観客に伝えることに徹している。ここで描かれる戦争の姿は、必ずしも新しいイメージではない。空襲と原爆投下というこれまでにも日本で語られてきた戦争経験が、軍人ではない日本国民の視点から精妙に表現されている。


 ここで、「藤原」は、この「広く語られる暴力と、語ることの許されない暴力の二つ」について、「『表現の不自由展・その後』の中止が発表された後、私は、3年前に観た『この世界の片隅に』を再見し、改めて感銘を受けた。そして、『この世界の片隅に』と慰安婦の少女像もともに受け入れることはできないのかを考えた。」、と次のように語る。


(1)戦争の記憶が政治的な争点となることは日本に限った現象ではない。1995年、スミソニアン航空宇宙博物館の企画した原爆投下の展覧会がアメリカ国内の反発を受けて中止に追い込まれ、原爆を投下したエノラ・ゲイが展示されるにとどまった。ここには「見たくない過去」としての原爆投下を排除する態度がある。
(2)原爆投下を「見たくない過去」とするアメリカ人がいるように、慰安婦を「見たくない過去」とする日本国民がいるのだろう。だが、原爆投下への批判がアメリカ国民への侮辱ではないように、慰安婦を語ることを日本国民への侮辱だと考える必要もない。
(3)不条理な暴力に踏みにじられた人間を描く点において、すずに心情同化して戦争を捉えることと慰安婦の表象を通して植民地支配と戦争を語ることとの間には矛盾はない。既に植民地支配も侵略戦争も過去のものとした日本であればこそ、民族の違いを超えて戦時の暴力の犠牲を見ることはできるはずである。(国際政治学者)


 確かに、「原爆投下を『見たくない過去』とするアメリカ人がいるように、慰安婦を『見たくない過去』とする日本国民がいるのだろう。」(「藤原」)という現状があったとしても、「だが、原爆投下への批判がアメリカ国民への侮辱ではないように、慰安婦を語ることを日本国民への侮辱だと考える必要もない。」(「藤原」)、ということは確かである。
 一方では、植民地支配や侵略戦争を、自国的にも対外的にもきちんと精算できていないからこそ、慰安婦像が戦時暴力を暴くものとして捉えられるのである。
ただ、「見たくない過去、語ろう」は、極めて正しい。




by asyagi-df-2014 | 2019-08-28 07:13 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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