2019年 08月 26日 ( 2 )

沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2019年8月26日

常に、目の前の『暴力』があるとしたら、やはり、闘いは厳しい。できることは。
「新基地建設が進む沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沿岸では26日午前、K8護岸で消波ブロックの設置があった。大浦湾では土砂を積んだ運搬船から台船への積み替え作業があったが、K8・K9護岸への陸揚げ作業はなかった。新基地建設に反対する市民らは、カヌー7艇で作業を監視した。抗議船に乗って参加した高知県在住の男性(33)は『来る度に護岸工事が進んでいてショックだ。自分に何ができるか考えさせられる』と話した。」、と沖縄タイムス。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2019年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2019年8月26日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)沖縄タイムス-辺野古の新基地建設 大浦湾で埋め立て用土砂を積み替え 反対する市民ら作業を監視-2019年8月26日 14:24


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「新基地建設が進む沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沿岸では26日午前、K8護岸で消波ブロックの設置があった。大浦湾では土砂を積んだ運搬船から台船への積み替え作業があったが、K8・K9護岸への陸揚げ作業はなかった。新基地建設に反対する市民らは、カヌー7艇で作業を監視した。抗議船に乗って参加した高知県在住の男性(33)は『来る度に護岸工事が進んでいてショックだ。自分に何ができるか考えさせられる』と話した。」
②「キャンプ・シュワブゲート前では午前、座り込む市民らを機動隊が排除し、資材を積んだ工事車両がゲート内に入った。市民らは『美ら海を返せ』『工事を止めろ』などシュプレヒコールを続けた。」


(2)沖縄タイムス-沖縄女性の入れ墨「ハジチ」禁止令から今年で120年 法令で「憧れ」が「恥」に変わった歴史【WEB限定】-2019年8月26日 16:30


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「沖縄にはかつて、女性が手に入れ墨を彫る『ハジチ』の文化があった。1899年、日本政府が入れ墨を禁止したことで、ハジチは『憧れ』から『排除』の対象に変わった歴史がある。禁止されてから今年で120年。専門家は『ハジチを通して、歴史や差別の問題を知ってほしい』と話す。」(デジタル部・與那覇里子)
②「ハジチは、琉球王国の時代から沖縄にあった。ハジチを入れることは、女性として当たり前で、厄払い、婚姻、内地に連れて行かれるのを防ぐなどの意味があった。結婚を前提として突いたハジチには、痛さを我慢するように、姑付き合いも辛抱できるようにとの意味も込められていた。」
③「ハジチを入れた女性たちの調査をしてきた都留文科大学の山本芳美教授は『【あんなきれいな手でご飯をつくっていたら、さぞおいしかろう】と男性たちがハジチのある女性の手に憧れも持っていました。女性たちは誰が一番美しい仕上がりか勝負もしていました。女性たちもあこがれていたようです』」。
④「しかし、日本政府は1899年(明治32年)、入れ墨を禁止する『分身禁止令』を出した。山本教授によると、ちょんまげやお歯黒なども禁止された日本の『文明開化』政策の一環だったという。『明治政府は、入れ墨が欧米の人の目に触れることを気にして、庶民の行動を規制しようとしていたことが背景にあると思います』と指摘する。」
⑤「この禁止令を機に、ハジチはあこがれから排除の対象に変わる。山本教授によれば、違反者は罰せられ、学校でハジチをして登校すれば、教師にしかられ、塩酸で焼くようにしたこともあったという。ハジチを理由に離婚されるケースも出てきていた。『インタビューでも、【前はすごくきれいな風に見えたけど、今はものすごくきたないね】という言葉がありました。制度によって、価値観がガラリと変わってしまいました』」
⑥「ハジチはタブー視され、恥の文化になり、差別を受けることもあった。ハジチを入れた女性はカメラに収まる時、手を隠すため、正面から写ることを避けたという。」⑦「山本教授は、海外のタトゥーの研究者たちが日本の入れ墨について話す時、アイヌと東京の彫り師の話に集中していることを危惧している。『アイヌや東京は、英語の論文で触れられていたりするんですが、沖縄は全くない。でも、ハジチほど、調査がされているものもないんです。調査の蓄積や厚みが違う。1980年代、ハジチを入れたおばあさんたちが亡くなろうとしてしたころ、行政が細かく記録を残しているんです。読谷村は沖縄本島だけで772人も調査しています。世界的にも沖縄の調査はまれです』」
自由民権運動の謝花昇の実の妹=1973年9月13日撮影(元の白黒写真)
⑧「そんなハジチの歴史を見つめ直すため、山本教授は10月から沖縄で『沖縄のハジチ、台湾原住民族のタトゥー』と題した企画展を始める。なぜ、台湾かと言えば、台湾にも原住民族は入れ墨の文化がありながら、沖縄と同じように施術を禁止された歴史をたどったからだ。一方で、台湾ではさまざまな形でタトゥーが復活しつつある。『沖縄と台湾の歴史と今から、現代日本のあり方を考えたいと思っています』
⑨「しかし、ハジチをしている女性がいなくなった今、なぜこのタイミングでの開催なのか。『ハジチをしている知り合いや生き証人がいないということは、歴史的な生々しさがない状態です。模様をロマンチックに思うかもしれない。差別の話も冷静に受け入れ、考えられるかもしれない。フラットな状況で、もう一度、沖縄のことを見つめ直したいんです』」
⑩「企画展では、ハジチを身近に感じてもらえるように、レプリカも用意した。ハジチは、おばあさんの手の写真しかなく、若い女性の手に入っているイメージがつきにくい。また、黄色人種は、墨を差すと肌では青色になるので、色も青で着色した。『急ピッチで準備を進めているところで、企画展のクラウドファンディングも募集しています。ぜひ、力を貸してください』」


(3)琉球新報-末の妹を置き去りにして逃げた 「水もなく乳も出ない…」母の苦悩を胸に 南洋へ慰霊の旅を続けるきょうだい-2019年8月26日 10:26


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「母は山の中で生まれて間もない6人きょうだいの末っ子を岩のくぼみに置いて立ち去った。赤ちゃんのその後の行方は分からない。1944年6月、太平洋戦争で米軍がサイパンに攻め入り、穏やかな日常は一変した。激しさを増す艦砲射撃から逃げ惑う中、連れ添うほかのきょうだい3人を救いたい一心で母が下した決断だった。」
②「名前はさえこちゃん。当時4歳の次女崎浜洋子さん(80)=本部町=と2歳の三男秀晴さん(77)=同=は、その時の様子も妹の顔も覚えていない。35年前に亡くなった母が生前に幾度となく語り聞かせてくれたため、2人はサイパンでの悲惨な戦争体験を『記憶』としてとどめている。」
③「崎浜さん一家は漁師だった父を追い掛けて37年にサイパンに移住した。2年後には本部町に残っていた長男の秀市さんも来島し、洋子さんら3人が生まれた。秀市さんはサイパン実業高校、姉の和子さんはサイパン高女へ入学。将来が期待された。しかし秀市さんは卒業後、軍の整備員となり、戦争で生き別れた。どこで亡くなったか不明のままだ。」
④「『水もなく乳も出ない。このままではどのみち助からない。もしかしたら誰かに救われるかもしれない』。次男の秀司さんは避難中にはぐれてしまっていた。母は全員の死を覚悟しながらも、子どもたちを守るため赤ちゃんを手放した。その後、洋子さんと秀晴さんの2人は姉の和子さんに背負われたり手を引かれたりして、母と共に島の北端へと追いやられた。多くの人が崖から海へ身を投げていた。和子さんも飛び込もうとしたが、母が止めた。山中に引き返した後も和子さんは首をくくって死のうとした。この時、洋子さんは『洋子は死なないよ』と叫んだという。それが効いたのか和子さんは一命を取り留め、米兵に見つかった4人は収容所に入れられた。4カ月後、家族とはぐれていた秀司さんと再会を果たしたが、長男は帰ってこなかった。」
⑤「『生きている間は兄や妹を弔ってほしい』。長男秀市さんと末っ子のさえこちゃんを亡くした洋子さんと秀晴さんらきょうだいは母の遺言を胸に、慰霊の旅を40回以上続けてきた。一緒に母を支え、サイパンへの思いを寄せた次男の秀司さんも今年2月に87歳で亡くなった。秀晴さんは『戦争がなければ、母も苦労なんてしなかった』と75年の歳月を振り返る。」
⑥「『優秀で自慢だった長男』(洋子さん)を失った家族の悲しみは特に深く、母は自ら体験した戦争の悲惨さとともに反戦への強い思いを語り続けた。長兄を慕っていた秀司さんは教員となり『教え子を2度と戦場に送らない』との思いで教べんを取ってきた。姉の和子さんと洋子さんも教員になり、戦争の教訓を広げようと取り組んだ。」
⑦「サイパンとテニアンの戦闘終結から75年。基地の問題を巡り昭和天皇が『一部の犠牲はやむを得ぬ』との認識を示していたことが明らかになった。秀晴さんは『国を守るための一部の犠牲は戦争の時から続き、沖縄に負担を強いる構図が今も続いている』と憤る。」
⑧「復帰前から慰霊の旅を続け、戦争の教訓や平和への思いを発信してきた帰還者たち。しかし高齢化に伴い参加者は年々減少し、当時の学童たちは80歳を超えた。悲惨な戦争の記憶が薄れてしまわないか。懸念が膨らむ中で2度と同じ過ちを起こさないことを祈り続けている。」
(謝花史哲)
⑨「旧南洋群島サイパン・テニアンの戦闘終結から今年で75年がたった。戦争で犠牲となった家族が眠る、もう一つの古里。50回目の節目となる現地慰霊祭が27、28日開かれ、組織的な墓参りは終了する。慰霊の旅を続けてきた帰還者たちの思いを追った。」



by asyagi-df-2014 | 2019-08-26 18:20 | 沖縄から | Comments(0)

「日韓関係の悪化は長期的には日本の敗北で終わる」、とは。

 Yahooニュースは2019年8月17日、古谷有希子(以下、「古谷」)(ジョージメイソン大学大学院社会学研究科博士課程)の「日韓関係の悪化は長期的には日本の敗北で終わる」、との記事を伝えた。
ちょっと気になる見出しである。
この「古谷」の記事を考えてみた。
 「古谷」は、①「韓国はなぜ対日関係を悪化させるようなことをするのか?」、②「韓国はなぜ今になって強気に出ているのか?」、③「日本の政府要人が繰り返す歴史修正主義的発言の裏にあるのは植民地主義的差別心」、との筋立てをしている。
まず、①について次のように指摘する。


(1)8月15日は日本では終戦忌念日として認識されているが、韓国では光復節、つまり独立記念日である。韓国のアイドルグループBTSのメンバーが身に着けていた光復節記念のTシャツに原爆のイメージがプリントされていたことが日本で物議を醸したのは記憶に新しい。
(2)韓国の人々にとって、日本による植民地支配というのは「歴史」ではなく、今も続く忌まわしい記憶であり、いつかまた起こるかもしれない可能性の問題でもある。
(3)いつかまた同じ屈辱を味わう羽目にならないように、過去を記憶し続け、警戒し続け、少しでも問題があると考えれば早めにその芽を潰しておく、それが韓国の人々の大日本帝国による植民地支配への基本的な態度である。
(4)日本では韓国の人々のそうした態度や社会的雰囲気は、民族主義を押し出した国ぐるみの反日教育によってなされていると考えがちだが、そもそもこうした歴史観は政府主導で生み出されたものではない。日本で「反日」と考えられている親日清算問題は、80年代以降の軍事独裁の終焉、民主主義運動、民主主義社会の醸成によって、民衆やリベラル知識人たちが真実を求める声として強まったものである。彼らは、独裁政権が「親日派」「親日行為」の問題を明らかにせず、日本に対する十分な責任追及をすることなく、国民に真実を隠した状態で植民地問題を「金で解決」したことそのものを、問題視してきた。(5)民主化以降、韓国ではNGO・NPOによる草の根市民運動が盛んになり、市民社会の発展が目覚ましい。市民社会の発展は、人権、個人の権利、女性の権利などに対する意識の高まりをもたらした。こうした市民運動の広がりは、韓国社会における植民地支配の再認識にも寄与した。一般市民に隠匿されていた歴史の真実を求めるとともに、植民地支配当時は強く認識されることの無かった事象を、ポストコロニアルな視点から再発見し「過去清算」する意識が韓国社会に根付いていった。そして、人権の回復、履行を求めて、国内外の政府、企業、団体を相手取った裁判が頻繁に起こるようになった。
(6)民主化の流れを汲んで「過去清算」を希求する新たな歴史認識の台頭は、植民地支配について「日本が悪かった」といった単純な理解から脱却し、なぜ植民地支配が起こったのか、植民地支配とはどのようなものだったのかを、政治・経済・社会・文化など様々な側面から分析し、過去を断ち切り、民主社会韓国として新たな時代を迎えようという動きでもあった。
(7)端的に言って、韓国の人々にとって、民主化前と後では国家自体が全く異なる存在なのである。
(8)それは多くの日本人が、大日本帝国と戦後の日本を全く異なる存在として認識している感覚とも似ている。あるいは、徳川幕府下の日本と明治以降の日本くらい違うと言ってもいいかもしれない。このことを理解していれば、なぜ現在の韓国政府が日韓基本条約締結以降、日韓政府の間の共通認識となってきた請求権協定に対して、それを覆すような態度を取るようになったのかも理解しやすい。
(9)喩えるなら、日米修好通商条約が現在のアメリカと日本の間では全く無効であるのと似たようなものである。国民によって選ばれ、国民を代表する政府が取り交わした条約でないものが、現在の民主国家としての韓国の人々にとって受け入れられないのも、感情としては当然といえるだろう。
(10)さらに、民主化によって新たな権利意識を持ち、植民地支配についてもより構造的な問題を扱うようになった韓国社会が、軍事独裁下で国民の多くに真実を隠す形で締結された条約に違和感を持つのも自然ななりゆきである。そして、民主主義国家である以上、社会・市民の変化が司法・行政・立法府に反映されるのも当然である。
(11)民主化運動を経て、民主主義に基づいた市民社会への歩みを進めたことで、歴史問題に対して歴史修正主義的態度を改めてこなかった日本に具体的な変化を求めるようになった結果、日本側から見れば「対日関係を悪化させる態度」を取るようになったのである。


 次に、②について次のように指摘する。


(1)一方、韓国の民主化は1980年代になされたもので、韓国政府の態度の変化によって2000年代後半から日韓関係が大きく変化するまでに20年もの時間が空いている。それまでも歴史問題で軋轢のあった日韓両国だが、それが両国関係に深刻な影響を与えるようになったのは2000年代に入ってからである。
(2)具体的には、韓国政府が個人請求権は消滅していないとの認識を示すようになったのが、2005年の廬武鉉政権下であった。韓国の態度の変化には、前述した韓国社会の民主化のほかに、1)日本の重要性の低下、2)日本の政府要人の度重なる歴史修正主義的発言・態度、という二つの側面が影響している。
(3)民主化以降の20年の間に、韓国の国際競争力の上昇と日本の国際競争力の低下、そして韓国にとっての日本の相対的重要性が低下した。
(4)植民地下の朝鮮が日本経済と強く結びつき、解放後もその影響が強く残っていたのは当然のことだが、朝鮮戦争の停戦、日本との国交回復を経て、60年代から70年代の韓国にとって、日本は貿易対象国としても、また国家の発展モデルとしても重要な存在であった。だが、韓国にとっての日本の重要性は時を経て徐々に下がっていく。1960年の貿易対象国の中では、日本は輸出の約6割を占めていたが、1975年には25%、1985年には15%、そして2005年には8%にまで下がっている。また、輸入においても日本は1960年には21%、その後70年代は30%を維持するも、80年代から90年代までに20%台に下がり、2005年には19%を切っている。(出典:吉岡英美(日韓経済関係の新展開ー2000年代の構造変化を中心に(韓国語)))
(5)また、韓国に対する外国人投資の推移においても、70年をピークに日本人(日本法人)による投資は徐々に下がり続けている。(同上)。2000年代以降は貿易相手国として中国の台頭が目覚ましく、日本の存在感はますます霞んでいった。
(6)日本の経済的重要性が低下しても、日本の政治家は一貫して歴史修正主義的な発言を繰り返してきた。侵略と植民地支配を肯定し、戦犯のまつられる靖国神社に参拝し、従軍慰安婦被害者を侮辱し、サンフランシスコ講和条約以降の国際秩序の土台を揺るがすような発言を平然と口にする政府要人が後を絶たない。いくら公式談話で謝罪を口にしても、いくら補償・賠償として金銭を提供しても、こうした発言・態度を示す政府要人(首相含め)が罰されることもない日本を信用しろと、被害国であり、被害者が生存している韓国に求める方が無理な話である。
(7)教科書問題、靖国参拝問題など、日本の政治家によって繰り返される歴史修正的な発言や態度について、当時の廬武鉉大統領は強い批判を行った。また、従軍慰安婦問題や徴用工問題などの植民地支配における問題については、人権派弁護士、草の根市民運動のバックグラウンドを持つがゆえに、人権問題としての側面からのアプローチに大きく舵を切った。
(8)現在の文在寅大統領も民主化運動、人権運動をバックグラウンドとする運動家であり、廬武鉉元大統領の側近であった。廬武鉉元大統領と同様に、人権派弁護士、民主化運動家として従軍慰安婦問題や徴用工問題を取り扱おうとしていることは明白である。しかも、歴史問題で日本との軋轢を避けるために司法に不当な介入をしたとされる朴槿恵前大統領、さらにその前の李明博元大統領と、いずれも不正によって逮捕された保守・右派の大統領の次を担うリベラル・左派大統領として、市民の期待も大きい。人権派弁護士、市民運動家というバックグラウンドを持ち、それを前面に押し出してリベラル・左派大統領として選ばれた以上、人権問題としての従軍慰安婦問題や徴用工問題において「正しい発言」「正しい態度」を取らないわけにはいかない。
(9)しかも、三権分立の制度下において、司法の決定を行政が覆すことは不可能である。
司法が個人請求権を認めた以上、政府はその決定に従うほかない。


 さらに、③について、次のように指摘する。


(1)戦後、日本の政府要人は歴史修正主義的発言や態度を繰り返してきた。韓国はそのたびに反発してきたが、2000年代以降韓国が日本に対して強気な態度を取る後押しとなっているのは明らかに、韓国にとっての日本の重要性が低下したこと、韓国自体が日本の競争相手として台頭してきたこと(もはや一人当たりGDPは3000ドル程度の僅差に迫っている)、またソフトパワーにおいては日本をしのぐ世界的な存在感を示し始めていることなどが挙げられる。
(2)日本政府はこの問題については静観しつつ、政府要人が歴史修正主義的発言や態度を行って韓国をこれ以上刺激しないように注意深く静観し続けるのが正解だったのではないだろうか。だが、繰り返される日本の政治家の歴史修正主義的発言の裏には、結局のところ植民地主義丸出しの韓国・朝鮮(韓国人・朝鮮人)に対する差別意識がある。「韓国ごとき」「日本より格下」といった意識があるからこそ、対等な相手として、無用に刺激してはならない相手としてではなく「馬鹿にしていい相手」「何してもやり返せない相手」として扱い続けてきたのである。
(3)その認識を改めない限り、日本はいつまでも韓国を相手に歴史問題で先に進むことができない。
(4)時代は移り、世界の中での韓国の地位が上がる一方で日本の地位が下がり、両国は対等に向き合うべき相手となった。たとえ貿易戦争で一時的に国民をスカッとさせるような結果を得ても、歴史修正主義に立った「歴史戦」は日本の外から見れば明らかに日本の劣勢であり、長期的に見れば勝ち目のない戦いである。
(5)韓国側に何も問題が無いとは言わないが、国民をスカッとさせるのが外交政策としてまかり通るなら、それは民族主義に踊らされたポピュリズムにすぎない。
(6)日本政府はこの問題については静観しつつ、政府要人が歴史修正主義的発言や態度を行って韓国をこれ以上刺激しないように注意深く静観し続けるのが正解だったのではないだろうか。だが、繰り返される日本の政治家の歴史修正主義的発言の裏には、結局のところ植民地主義丸出しの韓国・朝鮮(韓国人・朝鮮人)に対する差別意識がある。「韓国ごとき」「日本より格下」といった意識があるからこそ、対等な相手として、無用に刺激してはならない相手としてではなく「馬鹿にしていい相手」「何してもやり返せない相手」として扱い続けてきたのである。
(7)その認識を改めない限り、日本はいつまでも韓国を相手に歴史問題で先に進むことができない。
(8)時代は移り、世界の中での韓国の地位が上がる一方で日本の地位が下がり、両国は対等に向き合うべき相手となった。たとえ貿易戦争で一時的に国民をスカッとさせるような結果を得ても、歴史修正主義に立った「歴史戦」は日本の外から見れば明らかに日本の劣勢であり、長期的に見れば勝ち目のない戦いである。


 まず最初に、この「古谷」の指摘にも含まれるが、今回の日韓両国のやり取りの発端と言われる徴用工問題については、「三権分立の制度下において、司法の決定を行政が覆すことは不可能である。司法が個人請求権を認めた以上、政府はその決定に従うほかない。」(古谷)、というものでしかないことを確認する必要がある。
 この上で、「古谷」の指摘から受け取るものは次のことである。


1.「 韓国の人々にとって、日本による植民地支配というのは『歴史』ではなく、今も続く忌まわしい記憶であり、いつかまた起こるかもしれない可能性の問題でもある。」、ということ
2.「端的に言って、韓国の人々にとって、民主化前と後では国家自体が全く異なる存在なのである。」、ということ。
3.現在の「歴史観は政府主導で生み出されたものではない。日本で『反日』と考えられている親日清算問題は、80年代以降の軍事独裁の終焉、民主主義運動、民主主義社会の醸成によって、民衆やリベラル知識人たちが真実を求める声として強まったものである。」、ということ。
4.このような「民主化の流れを汲んで『過去清算』を希求する新たな歴史認識の台頭は、植民地支配について『日本が悪かった』といった単純な理解から脱却し、なぜ植民地支配が起こったのか、植民地支配とはどのようなものだったのかを、政治・経済・社会・文化など様々な側面から分析し、過去を断ち切り、民主社会韓国として新たな時代を迎えようという動きでもあった。」、ということ。
5.こうした中で、「民主化運動を経て、民主主義に基づいた市民社会への歩みを進めたことで、歴史問題に対して歴史修正主義的態度を改めてこなかった日本に具体的な変化を求めるようになった結果、日本側から見れば『対日関係を悪化させる態度』を取るようになったのである。」、ということ。
6.また、こうした「民主化以降の20年の間に、韓国の国際競争力の上昇と日本の国際競争力の低下、そして韓国にとっての日本の相対的重要性が低下した。」、という事実が生まれたこと。
7.そうした中で、日本の側は、「日本の経済的重要性が低下しても、日本の政治家は一貫して歴史修正主義的な発言を繰り返してきた。侵略と植民地支配を肯定し、戦犯のまつられる靖国神社に参拝し、従軍慰安婦被害者を侮辱し、サンフランシスコ講和条約以降の国際秩序の土台を揺るがすような発言を平然と口にする政府要人が後を絶たない。』との実態を続けてきた。
8.結局、日本の側から引き起こしたことは、「いくら公式談話で謝罪を口にしても、いくら補償・賠償として金銭を提供しても、こうした発言・態度を示す政府要人(首相含め)が罰されることもない日本を信用しろと、被害国であり、被害者が生存している韓国に求める方が無理な話である。」、との韓国側の思いの積み重ねであったこと。
9.結局、「たとえ貿易戦争で一時的に国民をスカッとさせるような結果を得ても、歴史修正主義に立った「歴史戦」は日本の外から見れば明らかに日本の劣勢であり、長期的に見れば勝ち目のない戦いである。」、という結論にたどり着くしかないこと。



by asyagi-df-2014 | 2019-08-26 07:18 | 持続可能な社会 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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