2019年 08月 21日 ( 2 )

沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2019年8月21日

「体験していないからこそ『一緒に思いをはせよう』と呼び掛けることができるのではないか-。そんな思いを胸に、ことし、語り部としての活動を始めた遺族がいる。」、と琉球新報。
対馬丸にこんな話があったとは。
「哲一さんは女きょうだいに囲まれた一人息子。家族は跡取りとして大切だからこそ学童疎開を選んだという。しかし出航から数日後、対馬丸が沈められたらしいとのうわさが親族たちの間に流れ始めた。哲一さんの母カマドさんは息子の消息を求め懸命に那覇の街を尋ねて回った。当時、沈没のことは語ってはいけないとされ、住民たちにはかん口令が敷かれていた。息子の消息を尋ね回るカマドさんは『流言飛語を流す非国民』として、憲兵に捕まり留置場に一晩入れられた。」(琉球新報)
遺族の思い。
「体験者が少なくなった今『聞いたことを伝えることで子どもたちの知識に血が通うようになってほしい』と願う。対馬丸の体験を聞いた者として、バトンを渡すことが役割だと考えている。」(琉球新報)。
体験を引き継ぐことが、人としての役割となる。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2019年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2019年8月21日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)琉球新報-一人息子を乗せた船が撃沈 うわさ聞き探し回ると「非国民」 義母の体験 次代に残すため語り部に-2019年8月20日 18:00


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「体験していないからこそ『一緒に思いをはせよう』と呼び掛けることができるのではないか-。そんな思いを胸に、ことし、語り部としての活動を始めた遺族がいる。謝花奈津子さん(68)=那覇市。75年前、夫の母の弟、我喜屋哲一さんが対馬丸に乗り亡くなった。哲一さんは天妃国民学校5年生の11歳だった。」
②「ことし6月の天妃小学校。子どもたちの前で語る奈津子さんの姿があった。『みんなのお母さんも、みんなが夜遅くまで帰って来なかったら、心配するでしょう。生きるか死ぬかのことで、カマドおばあさんも必死に哲一おじさんを探し回ったの』」
③「哲一さんは女きょうだいに囲まれた一人息子。家族は跡取りとして大切だからこそ学童疎開を選んだという。しかし出航から数日後、対馬丸が沈められたらしいとのうわさが親族たちの間に流れ始めた。哲一さんの母カマドさんは息子の消息を求め懸命に那覇の街を尋ねて回った。当時、沈没のことは語ってはいけないとされ、住民たちにはかん口令が敷かれていた。息子の消息を尋ね回るカマドさんは『流言飛語を流す非国民』として、憲兵に捕まり留置場に一晩入れられた。」
④「哲一さんが亡くなったことがはっきりしたのは終戦後だが、以降、カマドさんは哲一さんのことをほとんど口にしなかったという。『あまりの悲しみで話せなかったんだと思う』。カマドさんが亡くなったとき、たんすからは風呂敷に丁寧に包んだ哲一さんの着物が出てきた。奈津子さんは『着物にはカマドさんの苦しみや後悔や愛情などすべてが詰められていた』と振り返る。」
⑤「奈津子さんがそんな家族の歴史を知ったのは対馬丸記念館が開館した15年前のことだ。夫の寛営さん(68)が同館の役員として関わったのを機に、関係者から当時のことを聞き取るようになった。その同館からの依頼で語り部としての活動を始めた。哲一さんの疎開先を、本土か、姉のいた台湾かで悩んだこと。『哲ちゃんが行くなら自分も行く』と乗船した叔父の同級生がいたこと-。聞き取りを通して奈津子さんは『子どもたちを乗船させた家族は被害者なのに、加害者のような責めまで負わざるを得なかったことを知った』と話す。」
⑦「体験者が少なくなった今『聞いたことを伝えることで子どもたちの知識に血が通うようになってほしい』と願う。対馬丸の体験を聞いた者として、バトンを渡すことが役割だと考えている。」(社会部・下地由実子)


(2)沖縄タイムス-「知事が出たのはびっくり」 名古屋のラジオに沖縄知事が出演 DJ出身、軽快なトークを披露-2019年8月21日 06:00


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「【名古屋で大城大輔】東海ラジオ(名古屋市)の番組『タクマ・神野のどーゆーふー』で沖縄文化を発信している浜盛重則さん(69)=与那国町出身=のコーナー『ハイサイ~沖縄』に20日、玉城デニー知事が出演した。ラジオDJだった経歴を持つ知事は軽快なトークを披露した。」
②「浜盛さんが美ら島沖縄大使であることや、知事が基地問題を訴える全国キャラバンで名古屋市を訪れるタイミングと重なったことから、知事側の希望で共演が実現した。」
③「『知事、イッペーニフェーデービル、メンソーレー』と浜盛さんが紹介すると、知事は『ハイサイ、名古屋のグスーヨー、チューウガナビラ』とあいさつ。旧盆明けだったこともあり冥銭の『ウチカビ』などの話題で盛り上がった。」
④「番組では4月28日(サンフランシスコ講和条約)、5月15日(本土復帰の日)、6月23日(沖縄慰霊の日)などの沖縄に関わる節目には、この日がどういう意味をもつのか紹介している。基地問題に関して『本土と沖縄には温度差がある』と感じているとした浜盛さん。『身近な文化から沖縄のことを分かってもらえたら』と話した。」
⑤「別のラジオ局も含め浜盛さんの活動は18年目。『知事が出たのはびっくり。20年は頑張らんといけんな』と笑顔を見せた。番組はパソコンやスマートフォンのアプリ『radiko』でも聴ける。」


(3)沖縄タイムス-昭和天皇発言、今の沖縄に直結 1953年拝謁記、石原昌家・沖縄国際大名誉教授に聞く-2019年8月21日 14:51


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「初代宮内庁長官を務めた故田島道治が昭和天皇とのやりとりを記録した『拝謁記』の中で、日本国内で1950年代に基地反対闘争が激化したことに否定的な考えを示していたことについて、石原昌家沖縄国際大学名誉教授に聞いた。」
②「公開された拝謁記を読むと、在日米軍基地についての昭和天皇の考えが包み隠さず語られていると感じた。昭和天皇は戦後も日本の元首だという気持ちがあったのではないかということがうかがえる。『全体の為ニ之がいいと分れば、一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬ』などの発言は、昭和天皇が戦後にロシアの共産主義の脅威を恐れ、米国が琉球諸島を軍事占領することを求めた1947年9月の『天皇メッセージ』を踏まえたものだとも言える。」
③「天皇メッセージの内容は51年の対日講和条約の締結で具体化した。米国が国連に琉球諸島の信託統治を提案し、事実上の軍事占領が国際的に確約されたことで、日本は沖縄での基地反対運動の対応を米軍に任せることができた。そのため、拝謁記では直接、沖縄の基地には言及していない。理由は、沖縄は米軍に任せて安心していたためだろう。」
④「しかし、日本国内で朝鮮戦争の最中に石川県内灘で米軍基地反対闘争が起き、昭和天皇は『平和をいふなら一葦帯水(いちいたいすい)の千島や樺太から 侵略の脅威となるものを先づ去つて貰ふ運動からして貰ひたい、現実を忘れた理想論ハ困る』など反対運動に否定的な発言をしている。米国に国防を任せる以上は我慢して土地を提供しなければならず、退去するよう仕向けられないという考えだ。米軍に『感謝し報いるべきだ』とも述べている。現在の米軍への思いやり予算や名護市辺野古の新基地建設の問題での政府の姿勢は、昭和天皇のこうした発言の意を酌んでいるかのようで、現在にもつながっている。」
⑤「天皇メッセージは米軍基地が集中する現在の沖縄にストレートに直結する。戦後、戦争責任を感じ沖縄に行かなければいけないという状況だったはずが、最後まで訪れることはできなかった。自らの責任をよく知っていたからこそ、顔向けができないとも感じていたはずだ。」
⑥「拝謁記を読めば、昭和天皇にとって沖縄戦は天皇制を保持するための戦闘で、多くの住民が犠牲になったのはやむを得ないという考えが透けて見える。昭和天皇の考えが包み隠さず、赤裸々に語られており、これまで明らかになった資料の中で最も本音を示した内容だ。(平和学)(談)」


(4)沖縄タイムス-「『沖縄』を知らない安倍首相へ」雑誌の特集相次ぐ 保育園に落下物、声を上げる親たち-2019年8月21日 09:33


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「2017年12月に沖縄県宜野湾市の緑ヶ丘保育園に米軍ヘリの部品が落下した事故や、その後に園の保護者らでつくった『チーム緑ヶ丘1207』の活動が雑誌で相次いで紹介されている。米軍機の飛行停止を求めるメンバーは『顔と名前を出せる保護者は少ない。取材は毎回緊張して慣れないけれど、依頼がある限り自分たちがちゃんと受けなければと思う』と話す。」
②「週刊誌『週刊女性』は8月13日号で『【沖縄】を知らない安倍首相へ』と題した10ページの特集を組んだ。名護市辺野古の新基地建設問題のほか、落下事故でチーム緑ヶ丘のメンバーにインタビュー。部品を落下させた事実を米軍が今も認めていないことなどを伝えた。」
③「季刊誌『モモト』の夏号(39号)は『空を飛ぶのは小鳥だけがいい』と米軍機の飛行停止を求める保護者の思いを6ページにわたり掲載。5月24日号の『週刊金曜日』も『今週の巻頭トピック』でチーム緑ヶ丘を取り上げた。」
④「メンバーは仕事の不利益や子どもへの嫌がらせなどの不安も抱える。実際、フェイスブックに誹謗(ひぼう)中傷が相次ぎ投稿削除を余儀なくされたこともある。それでも国内外の新聞やテレビ、雑誌から取材の申し込みは絶えない。与那城千恵美さん(46)は『関心を持って支えてくれる皆さんがいるから、心が折れることもあるけれど活動できる』と語った。」


(5)沖縄タイムス-「離島」は差別用語ではないか? 国内最西端の町長が提起 「島しょ」使って-2019年8月21日 08:19


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「『離島』ではなく『島しょ』を使って-。『沖縄21世紀ビジョン基本計画』の総点検をする県振興審議会離島過疎地域振興部会(部会長・嘉数啓琉球大学名誉教授)で20日、島の表記に関する議論があった。」
②「県離島振興協議会会長の外間守吉与那国町長は『離島という表現は差別用語ではないか』と疑問を呈した。嘉数名誉教授は戦前は『島しょ』と使われていたが、1953年の離島振興法で初めて『離島』と使われるようになったのではないかと説明。本土や本島から離れたという意味があるため『ぜひ島しょと使ってほしい。法律を変えるのは大変だが使い方を考えて』と求めた。」
③「県は『沖縄21世紀ビジョン離島振興計画』は分かりやすくした副題で『住みよく魅力ある島づくり計画』が主題としつつ『差別につながらないようなタイトルにするよう考えていきたい』と答えた。」
④「委員らは、航路や航空路など交通ネットワークや介護医療を担う人材の不足は深刻と指摘。観光客が増えると産業が伸びる一方で、住民が困るケースもあるとし、島ごとに観光客数や収入を分析し、住民の意向に添った計画を立てるよう求めた。」


(6)沖縄タイムス-「琉球を失つた事は書いてあつたか」 昭和天皇が沖縄について言及-2019年8月21日 19:00


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「戦後、初代の宮内庁長官を務めた故田島道治が昭和天皇とのやりとりを記した『拝謁記』では、昭和天皇が沖縄について言及した部分もある。」
②「サンフランシスコ講和条約発効による日本の主権回復を前にした1952年2月26日、田島氏が『おことば』の下書き案を説明した際、昭和天皇は『琉球を失つた事は書いてあつたか』と述べた。これに田島氏が『国土を失ひ』とある、と説明すると、その後『そうか、それはよろしいが、戦争犠牲者に対する厚生を書いてあるか』などと発言したとされる。」
③「また、日本が主権回復する前年の1951年7月26日には、『媾和は(略)素(もと)ヨリ敗戦ノ結果デアリ 領土ノ一部ヲ失フトウフコト 戦死傷者ノコト 未帰還者ノコト等 戦争ニツイテノ 犠牲者ノコトヲ考フレバ 少シモ喜ブベキデナイ』などと発言したとされ、サンフランシスコ講和条約の発効で日本から切り離された沖縄などについても言及している。」
④「その一方で、米軍基地反対闘争については53年6月17日に『日本の軍備がなければ米国が進駐して 守つてくれるより仕方ハないのだ』、同11月24日には『誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ その犠牲ニハ 全体が親切ニ賠償するといふより仕方ないと私ハ思うがネー』などと述べたと記されている。」




by asyagi-df-2014 | 2019-08-21 21:02 | 沖縄から | Comments(0)

消防隊員らへの安全配慮を欠いては県民の生命、財産は守れない。

 地域社会は、地区の消防団の自主活動に一つの希望を見いだしている。
それだけ、消防活動全体には、重みがある。
 琉球新報(以下、「新報」)は2019年8月13日、「消防隊員らへの安全配慮を欠いては県民の生命、財産は守れないと肝に銘じたい。」、と社説を展開した。
「新報」は、「県内消防で米軍機事故への対応がいまだ整っていないことが本紙の調査で判明した。県内全18消防局・本部のうち7本部に放射線災害に対応できる防護服がない。うち1本部には放射線測定機器すら備えられていない。」、とまず指摘する。


 このことが、どれだけ大問題であるかについて、「新報」は指摘する。


(1)消防などの装備品が改めて重視されるようになったのは、2004年8月に発生した米軍ヘリ沖国大墜落事故である。事故の際、ヘリに搭載されていたのが放射性物質ストロンチウム90だった。墜落現場に飛散したとされる。機体や土壌など全てを米軍が持ち去ったため、県側は調査できなかった。実態は不明だが、本紙が情報公開請求で得た内部資料によれば「気化」したことが判明している。
(2)放射性物質であるストロンチウム90は体内に入ると骨に蓄積される。骨のがんや白血病の原因ともなる物質だ。専門家は「燃え上がると微粒子となり、大気中に飛散する。内部被ばくの恐れがあり、近くの住民が一粒吸い込むだけで被害があり得る」と指摘している。
(3)事故当時、現場で対応した消防隊員や警察官は被ばくリスクを知らないまま消火活動に従事していた。発生した危険は、教訓化されなければならない。消防装備の整備を怠ったために危険業務に従事する公務員の安全を脅かすことがあってはならない。
(4)沖国大の事故発生時の米軍の対応を振り返っても、その大切さが分かる。事故発生直後、米軍は機体に放射性物質を含むことすら沖縄側には伝えていない。存在を明らかにしたのは墜落事故から3週間もたってからである。
(5)米軍は「(人体への)懸念がなかったから公表が遅れた」と言う。しかし普天間基地所属の米軍救難消防隊員には検査をしていた。墜落の3日後から行った機体回収の際も米軍側は完全防護服で作業をしているのである。米軍は危険を熟知していたはずだ。
(6)宜野湾市の消防隊員には放射能検査もなされず、検査の必要性すら伝えられていない。もちろん、市民も危険を知らなかったということだ。


 こうした大問題が改善されていない状況を、「新報」は改めて突く。


(1)16年にも本紙は同様の米軍機事故の対応調査をしている。11本部に防護服がなく、3本部に放射線測定器がなかった。
(2)今回の調査で4本部で防護服が整備されたが、防護服を着用せぬまま、放射線量を測定するという、ちぐはぐな対応が7本部であり得るということだ。


 「新報」は、沖縄県の責任を追及しているのか。
 ただ単に、そのことだけを追及しているのではない。
 やはり、「新報」は、根本問題を指摘せざるを得ない。


「予算措置などが整備の壁になっているようだが、そもそも望みもしない米軍施設のリスク管理を、自治体予算で賄うのは筋違いだ。基地の提供責任者である政府に早急な対応を求めたい。政府が県民生活の安全を守る義務を放棄することは許されない。」



by asyagi-df-2014 | 2019-08-21 07:17 | 米軍再編 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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