2019年 08月 20日 ( 2 )

沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2019年8月20日

 「構造的沖縄差別」をもたらした一つの原因。
「初代宮内庁長官を務めた故田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりを詳細に記録した『拝謁(はいえつ)記』が19日、公開された。全国各地で反米軍基地闘争が起きる中、昭和天皇は1953年の拝謁で、基地の存在が国全体のためにいいとなれば一部の犠牲はやむを得ないとの認識を示していたことが分かった。専門家は、共産主義の脅威に対する防波堤として、米国による琉球諸島の軍事占領を望んだ47年の『天皇メッセージと同じ路線だ』と指摘。沖縄戦の戦争責任や沖縄の米国統治について『反省していたかは疑問だ』と述べた。」、と琉球新報。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2019年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2019年8月20日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)琉球新報-一部の犠牲やむ得ぬ 昭和天皇、米軍基地で言及 53年宮内庁長官「拝謁記」-2019年8月20日 07:30


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「【東京】初代宮内庁長官を務めた故田島道治氏が、昭和天皇とのやりとりを詳細に記録した『拝謁(はいえつ)記』が19日、公開された。全国各地で反米軍基地闘争が起きる中、昭和天皇は1953年の拝謁で、基地の存在が国全体のためにいいとなれば一部の犠牲はやむを得ないとの認識を示していたことが分かった。」
②「専門家は、共産主義の脅威に対する防波堤として、米国による琉球諸島の軍事占領を望んだ47年の『天皇メッセージと同じ路線だ』と指摘。沖縄戦の戦争責任や沖縄の米国統治について『反省していたかは疑問だ』と述べた。」
③「田島元長官の遺族から史料提供を受けたNHKが19日、遺族の意向を踏まえ一部を公開した。それによると、対日講和条約発効により琉球諸島が日本から切り離され米統治となった一方、日本が独立した翌年の53年11月24日の拝謁で昭和天皇は沖縄への具体的言及はないものの基地問題について発言した。」
④「昭和天皇は『基地の問題でもそれぞれの立場上より論ずれば一應尤(いちおうもっとも)と思ふ理由もあらうが全体の為ニ之がいいと分れば一部の犠牲は已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ一部の犠牲となる人ニハ全体から補償するといふ事にしなければ国として存立して行く以上やりやうない話』だとした。戦力の不保持などをうたった日本国憲法を巡っては『憲法の美しい文句ニ捕ハれて何もせずに全体が駄目ニなれば一部も駄目ニなつて了(しま)ふ』との見方も示していた。」
⑤「同年6月1日の拝謁で『平和をいふなら一葦帯水(いちいたいすい)の千島や樺太から侵略の脅威となるものを先(ま)づ去つて貰ふ運動からして貰ひたい 現実を忘れた理想論ハ困る』と述べた。旧ソ連など共産主義への警戒感を強め、米軍基地反対運動に批判的な見解を示していた。」
⑥「51年1月24日には『(沖縄不返還のマッカーサー方針について)そうすると徳川時代以下となる事だ。これは誠に困つた事でたとへ実質は違つても、主権のある事だけ認めてくれると大変いゝが同一人種民族が二国(にこく)ニなるといふ事はどうかと思ふのだが此点ニ関し演説で何といふか』とも述べていた。」
⑦「田島氏は48年、宮内庁の前身である宮内府長官に就任、49年から53年まで宮内庁長官を務めた。在任中、昭和天皇との会話の内容や様子を手帳やノート計18冊に書き留めていた。」


(2)琉球新報-辺野古「対話で解決」 玉城知事、名古屋で“キャラバン”-2019年8月20日 07:00


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「【名古屋で當山幸都】名護市辺野古の新基地建設や安全保障などについて玉城デニー知事が県の立場を全国に情報発信する『トークキャラバン』が19日、愛知県の名古屋市公会堂で開かれ、780人が来場した。開催は6月の東京に続き2カ所目。基調講演で玉城知事は、沖縄で起こっていることを『自分ごと』として捉えることや対話による解決を訴えた。」
②「玉城知事氏は政府が辺野古移設の工期や総事業費を示さず事業を進めていることや、行政不服審査法を使って県の埋め立て承認撤回の効力を取り消したおかしさを取り上げ『もはや民主主義も地方自治も存在しないと言わざるを得なくなり、お上の言う通りにやれということになってしまう。沖縄だけの問題ではない』と強調した。」
③「パネル討論で立憲民主党の近藤昭一衆院議員は、鳩山民主党政権時代に移設先として南洋のテニアンなどを提案した経験を紹介。『実現には抵抗があった。官僚や全ての人と連携していかなくてはならない』と振り返り、沖縄の現状について『選挙で民意が示され、米軍の戦略も変わっている。辺野古に新基地を造ることは問題がある』と話した。」
④「中京大の佐道明広教授は、在沖海兵隊の抑止力や沖縄の地理的重要性を疑問視。日米安保に不満を示すトランプ米大統領の発言を引用しつつ『日本が米国だけに依存するのでなくいろんな戦略を考えないといけないときに、ひたすら辺野古に基地を造り続ける状況は思考停止ではないのか』と問い掛けた。」
⑤「辺野古移設に賛成の立場として招かれた元陸上自衛隊研究本部長(陸将)で国際大の山口昇教授は現行計画について『これしかないとは申し上げないが、ここで辞めたら普天間(飛行場)が凍り付いてしまうのではないかという恐怖は抱いている』と説明。一方で基地負担軽減の必要性も指摘し『沖縄県民以外が責任を分担する覚悟を示さないといけない』と語った。」


(3)琉球新報-埋め立て土砂積み込みに抗議 本部港塩川地区で新基地建設反対の市民-2019年8月20日 13:00


 琉球新報は、「【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局の埋め立て工事に反対する市民は20日、本部町の本部港塩川地区や名護市安和の琉球セメント桟橋で埋め立て用土砂をダンプ車から運搬船に積み込む作業に抗議の声を上げた。本部港塩川地区では、午前中に170台の車両が土砂を運び込んだ。」、と報じた。


(4)沖縄タイムス-過渡期の象徴天皇 引きずる「君主」 再軍備志向を側近がいさめる 昭和天皇の拝謁記-2019年8月20日 15:00


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「戦後、初代の宮内庁長官を務めた故田島道治が昭和天皇とのやりとりを記した『拝謁(はいえつ)記』が見つかった。日本が国際社会に復帰した1952年の記述からは、東西冷戦が激しくなる中、昭和天皇が再軍備やそれに伴う憲法改正の必要性を強く感じていたことが分かる。吉田茂首相に意見を伝えようとして田島に何度もいさめられた。戦後『象徴』になってもなお、戦前の『君主』の思いを引きずる過渡期の天皇の姿が浮かぶ。」
②「『歴史の証明するところではソ連といふ国は何をするかわからない。中立不可侵条約があつたにもかかはらず日本が仲裁を頼んであつたにもかかはらず宣戦して来るといふ国だ』(4月9日)。昭和天皇が再軍備を志向した背景には、当時のソ連の侵略を現実の脅威と捉える危機感があった。中国では49年に共産党政権が成立。50年に始まった朝鮮戦争を契機に自衛隊の前身の警察予備隊ができた。中国や北朝鮮の後ろ盾はソ連だった。サンフランシスコ講和条約発効を52年4月28日に控え、国内では独立後の安全保障の在り方を巡り国論が割れていた。」
③「こうした状況下で昭和天皇は田島に明確な意思を示している。『私は憲法改正ニ便乗して外のいろいろの事が出ると思つて否定的ニ考へてたが今となつては他の改正ハ一切ふれずに軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいい様に思ふ』(2月11日)。その1カ月後には『警察も医者も病院もない世の中が理想だが、病気がある以上は医者ハ必要だし、乱暴者がある以上警察も必要だ。侵略者のない世の中ニなれば武備ハ入らぬが侵略者が人間社会ニある以上軍隊は不得已必要だといふ事ハ残念ながら道理がある』(3月11日)と胸の内を明かしている。」
④「昭和天皇はこうした思いを吉田首相にも訴えようとしていた。しかし、戦後の憲法は『天皇は国政に関する権能を有しない』と規定。田島は許されざる意見だとして繰り返し戒めている。2月18日、昭和天皇は『吉田ニハ再軍備の事ハ憲法を改正するべきだという事を質問するやうにでもいはん方がいいだらうネー』と田島に尋ねた。田島は『陛下の御考を仰せニなりませぬ形で御質問ニなる程度はおよろしいかと存じます』と忠告。『侵略者が人間社会ニある以上…』と述べた3月11日には、即刻『それは禁句』とくぎを刺している。」
⑤「田島が憲法改正には国民投票が必要だと指摘すると、昭和天皇が『そんなものが入るのか』(3月8日)と驚きを見せた。天皇が当時、新憲法を十分に理解していなかった様子が浮かぶ。」
⑥「今回明かされた再軍備と憲法改正にこだわる昭和天皇の姿。ただ5月8日には『私は再軍備によつて旧軍閥式の再抬頭は絶対にいやだ』と強調、決して戦前回帰の意図はなかった。」
⑦「独立と共に、米軍の駐留を認める旧日米安保条約が発効してから1年余りたった後の53年6月17日には、石川県内灘の米軍基地反対闘争に触れ『日本の軍備がなければ米国が進駐して 守つてくれるより仕方ハないのだ。内灘の問題などもその事思へば已むを得ぬ現状』と語っていた。」
⑧「君主より象徴として長く生きた昭和天皇は晩年の88年、先の大戦への思いを問われこう述べていた『「一番嫌な思い出であり戦後国民が協力して平和のために努めてくれたことをうれしく思う。今後も国民がそのことを忘れず平和を守ってくれることを期待している』」
⑨「拝謁記を分析した茶谷誠一志学館大准教授(日本近現代史)は『君主的な思いを引きずり、自分が前面に出た方が良いと考える天皇を、田島は新憲法を意識していさめている。象徴天皇制のレールを田島が敷いたとも言えるやりとりで、今につながる制度が形作られる過渡期の様子がよく分かる』と話した。(引用部は一部原文のまま)」
⑩「たじま・みちじ:1885年生まれ、愛知県出身。東京帝国大卒。鉄道院総裁の後藤新平の秘書や日銀参与などを経て、1948年に芦田均首相に請われ宮内府(現宮内庁)長官に就任。宮内庁に組織改編した49年から初代宮内庁長官になり53年まで務めた。皇室の重要事項について天皇、皇后に助言する参与にも起用された。上皇さまが皇太子時代の皇太子妃選考にも一時、関わった。ソニー会長も務め、68年に83歳で死去した。」


(5)沖縄タイムス-与党案も野党案も、なぜか両方可決 那覇市議会で核兵器廃絶への意見書-2019年8月20日 14:00


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「沖縄県の那覇市議会は19日の臨時会で、被爆国として核兵器廃絶を求める二つの意見書を可決した。一つは与党主導で、もう一つは野党主導。一般的な議会では意見書の内容に重みを持たせるため、議員間調整を経て、全会一致とする傾向がある。那覇ではなぜ、同じ趣旨の意見書が両方とも可決されるのか-。背景には市議会を構成する会派構成などの事情がある。」
②「与党が提出したのは核兵器禁止条約に署名・批准し、唯一の戦争被爆国にふさわしい核兵器廃絶への努力を求める意見書。野党の自民は核兵器廃絶に向け、唯一の戦争被爆国として一層の取り組みを求めた。大きな違いは、核兵器禁止条約への署名を求めるか、求めないかだ。」
③「野党は条約に『核なき世界への早道ではない』などの批判があるとし、日本は核保有国と非保有国との橋渡し役となり、廃絶への推進力となるべきだとした。」
④「与党案は与党・中立の市議20人、野党案は野党・中立の市議21人が賛成し、ともに可決した。どちらの意見書にも賛成した中立の市議もいた。議会関係者によると、こうした動きは2013年当選組の議会活動が本格化した、14年ごろから起きているという。」
⑤「那覇市議会は与党少数で、与党が単独で議案を通すのは難しい。鍵を握る17人の中立には、自民に近いグループと、是々非々の無所属議員たちが混在。一体的に投票行動するわけではない。あるベテラン市議は、以前は意見の相違があっても調整をした上で、全会一致に至っていたと振り返る。『議会の総意を届けるためにも勉強を重ね、全会一致で可決するのが望ましい』と語った。」



by asyagi-df-2014 | 2019-08-20 17:37 | 沖縄から | Comments(0)

沖縄国際大学にCH53D大型ヘリコプタ-が墜落して15年が経つが。

 2004 年8月13日(金曜)、沖縄国際大学の本館に米軍ヘリが墜落・炎上した。
2004年9月12日には、「沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故に抗議し、普天間飛行場早期返還を求める宜野湾市民大会」が開催され、「米国大統領・在日米国大使・在日米軍司令官・在沖米四軍調整官・在沖米国総領事・内閣総理大臣・外務大臣・防衛庁長官・防衛施設庁長官・外務省特命全権大使・那覇防衛施設局長・沖縄県知事」宛ての「市民決議」が採択されている。
その「市民決議」は次のように告発していた。


 2004年8月13日、午後2時18分頃、沖縄国際大学本館に米海兵隊所属CH-53D型ヘリコプターが接触し、墜落炎上するという大惨事が起こった。
 墜落ヘリは、沖縄国際大学本館の機能を麻痺させ、本館を削り取ったブロック片や部品が地域住民を襲い、その結果、多くの市民が被害を被った。
 墜落ヘリの乗組員3人の負傷だけですみ、民間人には犠牲者が出なかったのは奇跡としか言いようがない。今回の事故は過去に起きたヘリ事故の中でも、最悪の事故であり、日米両政府及び米軍に対し、強い怒りを持って抗議する。
 さらに、米軍は日米地位協定を盾にして、拡大解釈により事件現場の立ち入りを制限し、所有者である沖縄国際大学関係者はじめ、宜野湾市及び県の関係機関を含め日本側の捜査、調査を排除した。そのために、大学運営の回復や地域住民の不安を取り除くための事故原因の究明や被害実態の把握に支障をきたした。提供施設外において米軍が優先され、法治国家である日本の主権が侵害された事態は、異常な事態と言わざるを得ない。
 また、市民、県民が、連日この事故に対し抗議し、米軍機の飛行中止を求めている最中、「原因究明まで事故機は飛ばさない」と在沖米四軍調整官が自ら発表したにもかかわらず、8月22日の静かな日曜日に次々とCH-53Dヘリを飛行させたことは、私たち宜野湾市民はもとより、沖縄県民に対する侮辱であり、挑戦と受け止めざるを得ない。
 1996年のSACO最終報告による普天間飛行場の返還合意の原点は、危険きわまりない欠陥飛行場を取り除き、県民の基地負担の軽減を図ることであったはずである。返還期限の7年がすでに経過し、今回のヘリ墜落事故は、その原点が改めて問われるものであり、日米両政府には今こそヘリ基地としての運用を直ちに中止させ、普天間飛行場の早期返還を実現するよう求める。
 すでに普天間基地所属機50機のうち40数機が同基地を離れていることが発表されており、残る10数機を早急にハワイ等に撤退するよう併せて強く求める。
 8万8千余の宜野湾市民は、尊い命と平穏なくらしを守るために、今回の米軍ヘリ事故とその後の対応に対し、怒りを持って抗議し、以下のことを強く求める。
              記
1.被害の徹底調査と事故原因を明らかにし、すべての被害に対する謝罪と完全補償を早急に実施すること
1.すべての米軍機の民間地上空での飛行を直ちに中止すること
1.ヘリ基地としての運用を中止すること
1.危険極まりない普天間飛行場を早期返還すること
1.SACO合意を見直し、辺野古沖への移設を再考すること
1.日米地位協定を抜本的に見直しすること


 問題は、この6項目の「市民決議」に米国と日本政府の両国がどれくらい真摯に向き合ってきたのかということである。
 このことについて、2019年8月12日の沖縄タイムス(以下、「タイムス」)及び琉球新報(以下、「新報」)の社説は、「[沖国大ヘリ墜落15年] 危険性の除去策を示せ」及び「沖国大ヘリ墜落15年 対等な日米関係の構築を」、とそれぞれが批判を明らかにした。
 つまり、それが答えとしての現状であると。
「市民決議」の6項目がどのように扱われてきたのか、「タイムス」と「新報」の二紙で、1.事故原因、2.事故後の沖縄県民及び字の湾市民の現状、3.一向に改善されない問題点、の視点から見てみる。


1.事故原因
(「タイムス」)
 2004年8月13日、宜野湾市の沖縄国際大学構内に、米軍普天間飛行場所属のCH53D大型輸送ヘリが墜落・炎上した。飛散したヘリの破片は多くの民家や車両などに被害を与えたが、死者が出なかったのは奇跡というほかない事故だった。当時はイラク戦争の最中で、普天間はフル回転。整備士が過労でピンを付け忘れる人為ミスが原因だった。
(「新報」)
 大学内の現場跡地には、小さな公園が整備されている。記憶の風化にあらがうように焼け焦げたアカギの木が立ち、被災した校舎の壁の一部が設置されている。モニュメントにはこう記されている。「米軍は事故直後から墜落現場を一方的に封鎖し、本学関係者の要請する緊急かつ必要最小限度の立ち入りはもとより、沖縄県警の現場検証さえ拒否するなど『国家主権』が侵害されている異常な状態が続いています」。大学が設置した対策本部が発生2日後に出した抗議文の一節だ。


2.事故後の沖縄県民及び字の湾市民の現状
(「タイムス」)
(1)あれから15年。この間墜落事故は9件発生している。県民は軍用機の飛行を見るたびに墜落の恐怖におびえる生活を強いられており、理不尽というしかない。
(2)17年12月には同市野嵩の緑ヶ丘保育園の屋根に米軍ヘリから部品が落下。米軍は部品の保有は認めたものの落下は否定している。6日後には普天間第二小の校庭にCH53E大型輸送ヘリの窓が落下した。体育をしていた児童から十数メートルしか離れておらず、大惨事になるところだった。
(3)沖国大での墜落事故後、日米両政府は普天間周辺での飛行ルートに合意した。病院や学校、住宅地上空を避けることなどを定めているが、「できる限り」などの抜け道があり、守られていない。合意では緑ヶ丘保育園も第二小も飛行ルートに入っていない。だが沖縄防衛局の航跡調査では両教育施設上空付近や住宅地上空を頻繁に飛行していることが確認できる。
(4)合意はなきがごとくで、騒音被害とともに、学校・日常生活が危険にさらされ続けているのである。
(「新報」)
 宜野湾市の沖縄国際大に米海兵隊所属の大型輸送ヘリCH53Dが墜落してから、13日で15年になる。事故は沖縄の社会に大きな衝撃を与え、県民は大学に隣接する米軍普天間飛行場の一日も早い返還を強く求めてきた。だが今も大学や周辺住宅地の上空を米軍機が日常的に飛び交う。


3.一向に改善されない問題点
(「タイムス」)
(1)捜査権は主権に関わる重要な問題だ。沖国大ヘリ墜落事故があらわにしたのは、民間地にもかかわらず日本の捜査権が及ばないことだった。
(2)米軍が大学を封鎖し、県警が現場に入れたのは6日後。機体はすでに回収されていた。批判が高まり日米両政府は基地外での米軍機事故に関するガイドライン(指針)に合意。(現場に近い)内周規制線は日米共同で規制、外周規制線は日本側が規制、機体の残骸は米側が管理-などといった内容だったが、実際は内周の日米共同規制も、主導権は米軍にある。
(3)その後に起きた東村高江の民間地にCH53E大型輸送ヘリが不時着・炎上した事故が示している。日本側の立ち入りは6日後。米軍が機体、土壌を持ち去った後だった。これを契機に指針を改定。内周規制線内への日本側の「迅速かつ早期の立ち入り」が可能としている。だがこれも米軍次第だ。日本は「主権国家」とはとうてい呼べない。
(4)安倍晋三首相が約束した普天間の「5年以内の運用停止」は、米側と交渉した形跡もなく2月で期限が切れた。大浦湾に広がるマヨネーズ並みの軟弱地盤の存在が明らかになり、政府は辺野古新基地の工期も総事業費も示すことができない。説明責任を果たすことなく遮二無二に強行しているのは異常である。
(5)普天間の危険性除去に有効な手を打たず、いつ完成するともしれない新基地を待つつもりなら県民を愚弄するものだ。危険性の放置は県民の生命と財産を蔑ろにするもので政府の責任の放棄である。
(「新報」)
(1)米軍ヘリは大学の本館ビルに激突し、墜落・炎上した。住宅地上空を米軍機が普通に行き来する沖縄の空の現実を突き付けた重大事故だったことに加え、記憶に苦々しく残るのは米軍の振る舞いだ。米軍は数日間、事故現場を一方的に封鎖し、機体の搬出や木々の伐採などの作業を続けた。日米地位協定などを盾に県警の現場検証要請を拒み、市道の通行も止めた。米国と日本のいびつな主従関係や沖縄の属領性の本質を照らし出した事故だったと言える。「良き隣人」を掲げていた米軍が見せた素顔は、多くの県民の失望と怒りを招いた。そして事故後に大学が指摘した「異常な状態」の温床は現在も残されたままだ。
(2)2017年10月には東村高江の牧草地でCH53D後継機のCH53Eが不時着し炎上したが、県警が現場に立ち入ることができたのは発生6日後で、米軍が機体や周辺土壌を持ち去った。16年12月には普天間基地所属の輸送機MV22オスプレイが名護市安部の沿岸に墜落したが、同様に米軍が現場を規制した。
(3)日米両政府は今年7月、基地外での米軍機事故の現場対応に関する指針について、日本側が現場に速やかに立ち入ることができるよう改定に合意した。だが立ち入りや機体捜査には依然米側の同意が必要で、米軍が絶対的な主導権を握る状況は変わらない。
(3)トランプ米大統領は先日、日米安保条約は「不公平」だとして日本側に在日米軍駐留経費負担の増額を迫る構えを見せたが、日本側にとっては米軍の特権的地位を保障した不平等な日米地位協定の改定こそが最優先で取り組むべき課題であるはずだ。
(4)米国に付き従う姿勢は技術的にもコスト的にも先が見通せない辺野古移設合意への拘泥につながり、政府自ら「世界一危険」と言う住宅地中心部の基地返還を遅らせ続けている。主権が侵害される異常な状態を改めて対等な関係構築に歩み出し、早期返還の願いにいいかげん応えてほしい。


 沖縄国際大学の本館に米軍ヘリが墜落・炎上からの15年は、依然として、「普天間の危険性除去に有効な手を打たず、いつ完成するともしれない新基地を待つつもりなら県民を愚弄するものだ。危険性の放置は県民の生命と財産を蔑ろにするもので政府の責任の放棄である。」(「新報」)及び「米国に付き従う姿勢は技術的にもコスト的にも先が見通せない辺野古移設合意への拘泥につながり、政府自ら『世界一危険』と言う住宅地中心部の基地返還を遅らせ続けている。主権が侵害される異常な状態を改めて対等な関係構築に歩み出し、早期返還の願いにいいかげん応えてほしい。」(「タイムス」)、との結論しか日本人にもたらしていない。
 結局、2004年9月12日の「市民決議」-「日米地位協定を抜本的に見直しすること」-は、「日本側にとっては米軍の特権的地位を保障した不平等な日米地位協定の改定こそが最優先で取り組むべき課題」(「新報」)と15年が経過した今も、「主権国家の放棄が国民の危険性の放置として顕れる」という問題点を告発せざるを得ない状況として残されたままである。



by asyagi-df-2014 | 2019-08-20 08:38 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
画像一覧
更新通知を受け取る