2019年 07月 11日 ( 2 )

沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2019年7月11日

 これが、「日常」だというのなら、日本国憲法の規範を大きく逸脱している。
「沖縄県東村高江の米軍北部訓練場『N1』地区出入り口前で10日正午ごろ、銃で武装した米兵6人が行軍しているのを、ヘリパッド建設に反対する住民らが確認した。目撃した『ヘリパッドいらない住民の会』の儀保昇さん(64)によると、迷彩服を着た米兵は小走りで南向けに行軍したという。儀保さんは『長い銃を持っていたので驚いた。県道での行軍はおかしいのではないか』と話した。沖縄防衛局は本紙の取材に対し、県道を銃を所持した米兵が歩行したのを確認しているとし『目的などについて米側に照会している。違反かどうかは現段階ではコメントできない』と回答した。」、と沖縄タイムス。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2019年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2019年7月11日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)沖縄タイムス-銃で武装した米兵6人が県道を行軍 沖縄の北部訓練場近く-2019年7月11日 08:00


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「沖縄県東村高江の米軍北部訓練場『N1』地区出入り口前で10日正午ごろ、銃で武装した米兵6人が行軍しているのを、ヘリパッド建設に反対する住民らが確認した。」
②「目撃した『ヘリパッドいらない住民の会』の儀保昇さん(64)によると、迷彩服を着た米兵は小走りで南向けに行軍したという。儀保さんは『長い銃を持っていたので驚いた。県道での行軍はおかしいのではないか』と話した。」
③「沖縄防衛局は本紙の取材に対し、県道を銃を所持した米兵が歩行したのを確認しているとし『目的などについて米側に照会している。違反かどうかは現段階ではコメントできない』と回答した。」
④「また同日午前、同地区出入り口付近にある住民側のテントなどに、防衛局による撤去通知文が置かれているのが見つかった。16日午後5時までの撤去を求めている。」


(2)沖縄タイムス-SNSで許可なし「タクシー」拡大? 米軍関係者、日本の法律に違反か-2019年7月11日 05:00


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「沖縄県内の米軍関係者が私有のYナンバー車両を使い、許可を受けずに有償で客を運ぶ『白タク』行為をしていることが10日、沖縄タイムスの取材で分かった。日本の道路運送法に違反する。白タクは会員制交流サイト(SNS)を通じて予約した軍人や軍属を乗せ、本島中部の繁華街や各基地を行き来しているケースが多い。運転手は数十人規模に上る見通しで、運転手には現役の軍人が含まれているとの情報もある。」(社会部・比嘉太一、西倉悟朗)
②「Yナンバーの白タク行為について、沖縄総合事務局は『聞いたことがない。事実ならば違法であり、早急に把握に努めたい』と述べた。沖縄署も『関係機関と実態把握に努めている』とした。」
③「白タクは日本の旅客自動車運送事業の許認可を受けずにタクシー業務をする行為で、第2種運転免許を持たない米国人運転手らが運行しているとみられる。」
④「沖縄のタクシー会社の複数の運転手によると、Yナンバーの白タクが特に目立つようになったのは2018年12月ごろ。多くの白タクは北谷町美浜や沖縄市胡屋の飲食店の前に停車し、飲食や遊興を終えた米軍人らを乗せ、米軍キャンプ・ハンセンやキャンプ・シュワブに運んでいる。料金が一般のタクシーの50~60%の白タクもあるといい、一般タクシーの運転手からは『「客が奪われ売り上げが減った』などの苦情が出ている。県内のタクシー会社の一つは今年5月、米軍の福利厚生などを担当する企業『エーフェス』に白タク行為をやめさせるよう要請した。」
⑤「このタクシー会社が車両番号などを把握している白タクだけで6台あり、疑わしい車両も含めると数十台規模になる可能性がある。白タク運転手を務める基地従業員の外国人男性は『日本で違法なのは知っている。運転手には軍人もいる』と語った。」
⑥「本紙は米軍嘉手納基地の第18航空団にもYナンバーの白タクについて照会したが、10日までに回答はない。Yナンバーは米軍の軍人や軍属の私有車で、ナンバープレートに『Y』の文字が記載されている。」


(3)琉球新報-国が米軍基地内PFOS調査を断念 2年連続、嘉手納基地が許可せず-2019年7月11日 14:37


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「米軍基地周辺の河川や湧き水から有機フッ素化合物PFOS(ピーフォス)などが高濃度で検出されている問題で、沖縄防衛局が2017年度に続き18年度も米軍嘉手納基地への立ち入り調査を要請したが、米軍から許可を得られず断念していたことが10日までに分かった。このため防衛局は基地外で調査することを決めたが、米軍との調整に約1年を要し、調査の実施は19年度にずれ込み、まだ実現していない。県などは立ち入り調査を米軍に認めさせるよう国に要請しているが、国も立ち入りできない現状が浮き彫りになった。」
②「調査団体インフォームド・パブリック・プロジェクトの河村雅美代表による情報開示請求で明らかになった。河村代表は『この問題に関して日本政府は何もできていない。同盟国の米軍基地が汚染源であることを特定するための調査を、日本政府は沖縄のために実施できないのではないか』と指摘した。」
③「開示された資料によると、調査・分析作業は当初、18年の4月から8月までに米側と調整し、9、10月に業務を発注、11月からは比謝川周辺で実施する予定だった。だが19年5月まで米側と調整しても立ち入りは認められず、基地外で調査することになった。業務開始は8月ごろになる見通しだ。」
④「防衛局は本紙の取材に『国内におけるPFOSなどを規制する基準がない中、調査結果の活用方法について米側との調整が整わなかった』と答えた。立ち入りの手続きや環境調査への協力を定めた日米合意には、立ち入りの条件として環境基準値などは上げられていない。防衛局は今回の米軍との調整について『特定の合意に基づくものではない』とも述べた。」
⑤「防衛局は17年度にも基地内外で調査を予定していたが、米軍が応じず調査地点を基地外に変更して実施していた。」
(明真南斗)
⑥「【識者評論】沖縄県は事実を整理し対応の具体化を 河村雅美インフォームド・パブリックプロジェクト代表:「日本政府がどのように、どれだけプレッシャーをかけて米側と交渉したかは定かでないが『現況調査』という予定された調査自体が安全な飲料水の確保という問題解決のためにどれだけ意味があるものか疑問だ。基地への立ち入りを断念したからという理由でこのまま防衛省が漫然と基地周辺で調査することを、県も県民も傍観してはならないだろう。また、日本政府が基地内に立ち入りできないことを問題が進まないことの言い訳にするのを許してはならず、沖縄側もそれを理由に足踏みしていてはならないと考える。現在、行政の要請や議会の意見書などでも『何のための立ち入りか』が想定されておらず、立ち入り自体を自己目的化してしまっている。もはやそのような段階でないことを認識する必要がある。汚染源の特定に関しては、嘉手納基地の空軍は県や日本政府と協議の場にも出ており、在日米軍司令部に問題を報告していることからも、汚染源であることは否定していないといえよう。県の基地周囲の河川や地下水、基地内の井戸の調査、米軍による基地内の調査というデータもある。県はまずこのようなデータや米軍の対応状況といった事実を整理し、この問題が現在どのような段階にあるかをきちんと示すべきだ。立ち入りができないという限られた条件下でも、どこにどのようなプレッシャーをかけていけるのか、何ができるかをより具体的に県民も行政と考え続ける必要がある。」


(4)琉球新報-宮森小墜落事故を知って 沖縄の630会が証言集4巻を発行-2019年7月11日 11:11


 琉球新報は、「【うるま】60年前に旧石川市で起きた米軍ジェット機墜落事故を語り継ぐ石川・宮森630会は6月10日、当事者の証言を集めた記録集『沖縄の空の下で(4)』を発行した。当時宮森幼稚園生だった人らの事故についての座談会や現場を取材した記者らの座談会などが収録されている。結成10年目を迎えた630会の活動も振り返っている。税込み750円。『沖縄の空の下で(3)』から8年ぶりに刊行した。630会の久高政治会長は『事故は遺族らの人生を左右した。当事者がどのような体験をしたのか多くの人に知ってもらいたい』と話した。6月1日には米公文書を翻訳した資料集『石川・宮森の惨劇』も出版している。」、と報じた。



by asyagi-df-2014 | 2019-07-11 18:13 | 沖縄から | Comments(0)

「終戦」という言葉では隠れてしまう事実とは。

 琉球新報(以下、「新報」)は2019年6月27日、<金口木舌>で「『終戦』から抜け落ちるもの」、と非常に興味深い意見を載せた。
「新報」は、「23日の慰霊の日。本土メディアも紙面や放送枠を割いて報じた。本土紙の記事で『沖縄戦の終結』との表現をいくつか見つけた。これには違和感が残った」、とした。
「新報」は、「終戦」という言葉が相応しいのかというのである。
「新報」が、次のように指摘する。


(1)県は、沖縄の第32軍司令官の牛島満中将らの自決で「組織的戦闘が終結」した節目として慰霊の日を定めている。だが誰にとっての「沖縄戦終結」なのか
(2)大本営が「沖縄終戦」を発表したのは6月25日。米軍は23日の後も掃討戦を続け、7月2日に沖縄作戦の終了を宣言した。沖縄での日本の降伏調印式は9月7日に越来村(現在の嘉手納基地)であった
(3)だが実際は23日以降も、壕や山に逃げ込んだ日本軍は住民を巻き込んだまま戦闘を続けた。沖縄作戦終了後も住民の犠牲者は増え、降伏調印式後も木の上に潜伏して戦いを続けた日本兵もいた。それが沖縄戦だった
(4)久米島では米軍が6月26日に上陸し、30日に占領を宣言した。山に逃げ込んだ日本軍は、住民をスパイ容疑で殺害、朝鮮人家族も殺された。米軍に捕らわれるのを恐れて自死する寸前で一命を取り留めた渡嘉敷一郎さん(80)は「一番怖かったのは日本兵だった」と証言する
(5)8月15日は「終戦記念日」だが、日本のポツダム宣言受諾は14日、降伏調印は9月2日。「敗戦」は「終戦」と言い換えられた。節目は過去を振り返る契機になるが、「終戦」という言葉では隠れてしまう事実が、まだある。


 「『終戦』という言葉では隠れてしまう事実が、まだある。」(「新報」)とは、
  確かに、「敗戦」の「終戦」への言い換えは、指摘されて長い。
 戦後の民主主義への「異論」の投げかけであった。
この「事実」とは、「構造的沖縄差別」の把握そのものであるのかもしれない。



by asyagi-df-2014 | 2019-07-11 06:15 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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