2019年 05月 20日 ( 3 )

沖縄の日本復帰47年。それは、日本国憲法に関わる問題。(1)

 沖縄から受け取ることは、沖縄には日本国憲法が適用されなかったということである。
 それは、日本という国が沖縄に、日本国憲法の代わりに「日米安全保障条約-日米地位協定-『運用』や『密約』」という構図(「0.6%に70.03%」)を押しつけてきた歴史に端的に表されている。
2019年5月15日、沖縄は、日本に復帰して47年目を迎えた。
日本という国は、このことをどのように捉えることができているのか。
5月18日までに把握できた各紙の社説・論説でこのことをみてみる。
 まず、各紙の社説・論説の見出しは、次のようになっている。


(1)朝日新聞社説-沖縄復帰47年 憲法との間の深い溝-2019年5月15日
(2)毎日新聞社説-沖縄と日米地位協定 国は不平等の現実直視を-2019年5月15日
(3)沖縄タイムス社説-[復帰50年に向けて]振興の在り方再考せよ-2019年5月15日
(4)琉球新報社説-日本復帰47年 国民主権機能しているか-2019年5月15日
(5)宮崎日日新聞社説-沖縄本土復帰47年-2019年5月18日
(6)東京新聞社説-沖縄復帰47年 真に憲法の仲間として-2019年5月13日
(7)南日本新聞社説-[沖縄復帰47年] 民意の無視は許されぬ-2019年5月15日
(8)佐賀新聞論説-沖縄復帰47年/憲法が侵されている-2019年5月16日
(9)岩手日報論説-沖縄復帰47年-2019年5月17日
(10)産経新聞主張-沖縄復帰47年 抑止力と負担軽減両立を-2019年5月16日


 この10社のうち、4社が見出しに、「憲法との間の深い溝」「国民主権機能しているか」「真に憲法の仲間として」「憲法が侵されている」、とこの問題が日本国憲法に関わることを明示している。
ただ、産経は、「令和の時代にあっても、沖縄の歩んできた苦難の歴史を忘れることはできない。」「本土復帰後も今にいたるまで、大きな米軍基地負担をしてきたことは紛れもない事実である。」との認識のものに、「県が、安全保障政策を専権事項とする政府に対して、米軍基地負担の軽減を求めること自体は当然である。政府は負担軽減に努めなければならない。」、とまとめてはいるが、「抑止力」との表現でこの問題を抑える安易さは、いつも通りである。
また、当然のことではあるが、琉球新報と沖縄タイムスは、沖縄の未来に関わって、「振興の在り方再考せよ」(沖縄タイムス)と具体的な「振興策」に触れている。

 各新聞社の主張について、別項で見てみる。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-20 18:16 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2019年5月20日

 宜野湾市で開かれた県民大会には約2千人(主催者発表)が集まった。
誇り高き沖縄の誓いは、止まらない。
 「大会会場となった宜野湾海浜公園屋外劇場は、風がほとんどなく、直射日光で気温がぐんぐん上がった。客席は多くの県民と、県外から連帯する人たちとで埋め尽くされた。会場には子どもたちの姿も多く見られた。南風原町から祖母大城ミヨコさん(71)と一緒に来ていた小学5年の日菜さん(10)は、自ら進んで参加した。ミヨコさんの祖母は沖縄戦の犠牲となった。『ひいひいおばあちゃんは、なぜ死んでしまったのかちゃんと知りたい』。3年生の頃から沖縄戦を調べ始め、沖縄陸軍病院南風原壕にも行った。『たくさんの人が壕で亡くなったのかと思うと怖かったけど、ちゃんと見なきゃいけない』。友達と一緒に遊びたいという気持ちもある。それでも『反対運動をしている人たちはお年寄りばかり。私たちが頑張らなきゃいけない』と、まっすぐな瞳で語った。」、と琉球新報。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2019年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2019年5月20日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)琉球新報-強い日差しの下、「基地ノー」訴え 復帰47年県民大会 「体力続く限り」「おばあちゃんと一緒に」-2019年5月20日 05:00


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「強い日差しが照り付ける中、参加者は『平和な沖縄を返せ』『平和憲法を守るぞ』と何度も拳を上げた。沖縄の日本復帰47年に合わせて、19日に宜野湾市で開かれた県民大会には約2千人(主催者発表)が集まった。踏みにじられ続ける『基地ノー』の民意。それでも参加者たちは『平和を求めて声を上げ続ける』と前を向く。」 
②「『基地はいらない』。沿道を進む参加者たちがシュプレヒコールを上げる。その横を、警察車両に前後を挟まれた右翼団体の街宣車が並走し『恥を知れ』『沖縄から出て行け』と大音量で罵声を浴びせ続ける。17日から始まった平和行進。何度妨害されても、歩みを止めることはない。」
③「『久々に行進したけど、若い頃よりも体力を消耗したね。年を重ねたことを実感した』というのは那覇市の70代女性。苦しい表情を浮かべながらも『それだけ沖縄の現状が変わっていないということも実感した。できることは微々たるものだが、体力が続く限り声を上げ続けたい』。声は力強い。」
④「大会会場となった宜野湾海浜公園屋外劇場は、風がほとんどなく、直射日光で気温がぐんぐん上がった。客席は多くの県民と、県外から連帯する人たちとで埋め尽くされた。会場には子どもたちの姿も多く見られた。南風原町から祖母大城ミヨコさん(71)と一緒に来ていた小学5年の日菜さん(10)は、自ら進んで参加した。ミヨコさんの祖母は沖縄戦の犠牲となった。『ひいひいおばあちゃんは、なぜ死んでしまったのかちゃんと知りたい』。3年生の頃から沖縄戦を調べ始め、沖縄陸軍病院南風原壕にも行った。『たくさんの人が壕で亡くなったのかと思うと怖かったけど、ちゃんと見なきゃいけない』。友達と一緒に遊びたいという気持ちもある。それでも『反対運動をしている人たちはお年寄りばかり。私たちが頑張らなきゃいけない』と、まっすぐな瞳で語った。」


(2)琉球新報-宮森小ジェット機墜落60年 脳裏の記憶 絵に-2019年5月20日 05:00


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「【うるま】米軍嘉手納基地を飛び立ったジェット機がうるま市石川(旧石川市)の住宅地と宮森小学校に墜落し、18人が命を落とした事故から6月30日で60年。石川中学校の巡回教員だった当時、事故直後の墜落現場に駆け付けた伊波則雄さん(81)=読谷村=はこのほど、当時の様子を大きなキャンバスに描いた油絵を完成させた。『頭の中の記憶をぶちまけたかった』。独自の取り組みを終え、完成を喜ぶと同時に、悲惨な事故を次代に伝える大切さを改めて確認した。」
②「伊波さんは、事故の惨状を目の当たりにした。石川中に勤務する前は宮森小で働いており、犠牲者の中には教え子もいた。今回、事故を語り継ぐ『石川・宮森630会』の久高政治会長から依頼があり、筆を取った。60年前の記憶をたぐり寄せ、縦130センチ、横160センチの大きなキャンバスに3カ月かけて描いた。」
③「途中、体調を崩して断念しかけたこともある。しかし『脳裏に焼き付いている記憶をきちんと形にしなければいけない』との思いが勝り、何とか最後まで描き上げることができた。墜落しバラバラになった機体の残骸を大きく絵の中心に据え、犠牲になった生徒12人の姿も描いた。絵の左上には『人が燃えてる 人が倒れてる 血を流してる』などの言葉も書き添え、より具体的に描写した。」
④「もうすぐ事故から60年が経過する。若い頃から絵を描いてきた伊波さんは『絵で語り継ぐことが自分なりの方法だ』と話す。絵を通し、次の世代へ事故の記憶を継承していく考えだ。」
⑤「うるま市の石川歴史民俗資料館では6月1~30日、同事故に関する資料展示会があり、伊波さんの絵も展示される予定。多くの人の観賞を望む伊波さんは『二度とこういう事故があってはならないという気持ちが芽生えてくれたらうれしい』と静かに語った。」(砂川博範)


(3)沖縄タイムス-「浄水器は気休めだった」有害物質の血中濃度調査 沖縄全県での実施訴え-2019年5月20日 05:12


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「沖縄県宜野湾市大山の住民を対象にした有機フッ素化合物の血中濃度調査で、国際的に製造や使用の禁止が検討されているPFHxS(ピーエフヘクスエス)が高濃度で検出された。住民や識者からは、健康への影響を懸念する声が上がる。」
②「血中濃度調査に協力した安仁屋眞昭(さねあき)さん(79)は、生まれも育ちも宜野湾市大山。水道水が汚染されているとの調査結果に『浄水器を付けていたけれど、それも気休めだったか』と不安を見せた。」
③「湧き水に有害物質が含まれていることは知っており、水道水はどうなのか気になっていたという。『本当なら分かりたくなかった事実だけれど、米軍にきちんと向き合ってもらいたくて協力した。どうにか改善してほしい』と訴えた。」
④「心配なのは、有害物質が長年にわたって体内に蓄積された場合の影響だ。行政として全県的に調査し、濃度基準を早期に定めるべきだと考える。『水俣病だって、最初はみんな何でもないと思っていた。水は毎日飲む。異常が出てからでは遅い』」
⑤「米軍基地周辺の有機フッ素化合物の調査を続けているインフォームド・パブリック・プロジェクトの河村雅美代表も『既に規制されているPFOS、PFOAだけでなく、その代替物として使われるほかの有機フッ素化合物も同じように対策することが重要だ』と指摘する。一方、県企業局は『毒性が明らかになっていない物質で国内法でも指標がなく、調査結果についての評価はできない』とし、県環境部も『まだ情報収集段階。PFHxSを調査対象に加えるかどうか検討していない』と述べるにとどめた。」


(4)沖縄タイムス-下水道工事費を無償に 沖縄の辺野古周辺で 基地関連交付金を充てる-2019年5月20日 09:43


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、政府、 名護市、建設地周辺の久辺3区(辺野古・豊原・久志)の三者が、各世帯の負担となる下水道の引き込み工事費を無償化する方向で調整していることが19日、分かった。対象は久辺3区。政府が同市に支給している米軍再編交付金を充てることを検討している。」
②「下水道の引き込み工事費は、住民が負担した場合、一般的に世帯当たり30万円程度かかる。久辺3区の世帯数は3月末現在、約1600世帯あり、単純計算で約5億円が必要となる。」
③「世帯負担の無償化は、かねて3区が求めていた戸別補償の代替案の一つ。過去にも再編交付金による3区の下水道整備計画があったが、移設反対の稲嶺進前市長時代に政府が交付金を凍結したため、計画が進まなかった経緯がある。」
④「3区幹部の一人は『戸別補償の実施ができなくなったので、何ができるか模索している中の一つだ』と説明。政府関係者は『戸別補償は難しいので代替案をいくつか区に提案している。工事支援はその内の一つだ』と説明している。政府は市、区の3者で事業実施に向け調整する。」
⑤「国は昨年、市に2017年度の繰り越し分も含めて再編交付金29億8千万円の支給を通知。市はこれを財源に21億円超の基金を積み立て、給食費や保育料の無償化を始めている。」


(5)沖縄タイムス-世界平和へ思い一つに 沖縄の5・15県民大会で決意 国内外の2千人-2019年5月20日 09:27


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「5月17日から3日間の平和行進を終え『復帰47年 5・15平和とくらしを守る県民大会』(主催・同実行委員会、沖縄平和運動センター)が19日、沖縄県宜野湾市の海浜公園屋外劇場で開かれた。海外を含め約2千人(主催者発表)が参加。米軍基地の強化・拡大への反対、不平等な日米地位協定の抜本的改正を求め『世界平和のために闘い抜く』とする大会宣言を採択した。参加者はガンバロー三唱で平和への思いを一つにした。」
②「実行委員長で、同センターの山城博治議長は『沖縄がいま発信する怒りを、県民の思いを、全国で共有しよう』と参加者に訴えた。その上で『復帰50年を3年後に迎える。大きな闘いの取り組みをしたい』との方針を示した。」
③「平和フォーラムの藤本泰成共同代表は『(米軍による)女性への暴行事件、殺人事件、ひき逃げ、戦闘機の墜落、部品の落下。安全保障の名の下に、命の脅威がはびこっている』と指摘した。」
④「海外ゲストとして平和行進に参加した、韓国基地平和ネットワークのシン・ジェウクさんは『戦争の傷痕が残る場所を歩き、今も戦争の痛みが残っていると感じた』と報告。『歴史が刻まれている場所を歩くことは、過去に人々が歩んだ歴史を心に留めることだ』と参加の意義を強調した。」
⑤「参加者は同日午前、2コースに分かれ、宜野湾市役所から宜野湾市海浜公園まで、米軍普天間飛行場を囲うように行進。『基地のない平和な沖縄をつくろう』『辺野古新基地建設反対』と声を上げた。行進には、3日間で累計3590人(主催者発表)が参加した。」


(6)沖縄タイムス-辺野古、県外の平和団体も加わり抗議の声 ゲート前に一時250人-2019年5月20日 15:26


 沖縄タイムスは、「沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前では20日午前、新基地建設に反対する市民らが抗議の声を上げた。『5・15平和行進』に参加するため来県していた金沢市や東京都、福岡県、高知県などの平和団体も抗議に加わり一時は約250人が集まった。午前9時20分ごろ、土砂を積んだ工事車両が列をなしてゲート前に並んだが、抗議の市民の阻まれ基地内に入ることはできなかった。車列は宜野座方向に去った。午後0時40分、同日2回目の資材搬入が行われた。座り込んでいた市民ら約40人が県警の機動隊員に次々と強制排除された。」、と報じた。


(7)琉球新報-辺野古移設で係争委が初会合 7月23日までに結論-2019年5月20日 13:21


 琉球新報は、「沖縄県名護市辺野古への米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設を巡り、総務省の第三者機関『国地方係争処理委員会』は20日、初会合を開いた。審査を申し出た県側は、辺野古沿岸部の埋め立て承認を撤回したのに対し、国が取り消しを裁決したのは違法と主張。7月23日までに結論を出す。係争委は有識者5人で構成し、自治体の行政運営に対する「国の関与」が違法・不当かどうかを審査する。会合は非公開。委員長の富越和厚元東京高裁長官は終了後の記者会見で『(国の裁決が)関与に当たるかどうかを議論した』と述べた。」、と報じた。


(8)琉球新報-なぜ遺骨を掘り続けるのか 具志堅隆松さん(遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表) 〈ゆくい語り・沖縄へのメッセージ〉11 -2019年5月20日 12:00


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「まだ梅雨の明けぬ6月の糸満。ぬかるみをものともせず、小柄な背中が小高い丘をすいすい登っていく。紛れもなく、道なき道を進んできた人の背中だ。」
②「丘の中腹に目的の場所はあった。遺骨収集ボランティア『ガマフヤー』代表の具志堅隆松さん(64)が今、掘り出している遺骨が眠る場所だ。岩の裂け目に潜って土を少しずつ掃き、骨の破片を一つ一つ丁寧に掘り出す。自営業の傍ら、週末をほぼこのように過ごす。名誉とも金銭とも無縁のこうした行いを、30年余も続けてきた。活動が知られるようになったのは最近のことにすぎない。長年、何の称賛も受けずに黙々と独りで掘ってきた。ただ良心の命ずるままに。支えてきたのは、家族の元に帰りたい遺骨がこのままでいいのか、という思いだけだ。」
③「『集団自決』(強制集団死)の跡とみられる例も数多く見た。死を強いられた者の無念をわがことと受け止めるからこそ、湧き出る思いがある。『国が自殺を命じたのは間違いだと、国との間で確認しておきたい』。理不尽への静かな憤りが、言葉の端々に宿る。」
④「―初の遺骨収集は28歳と聞く。:『当時ボーイスカウトの成人リーダーをしており、県外の遺骨収集団から協力要請が来た。岩陰で土を掘ると人骨が次から次に出てきた。翌年も案内があり、だいぶ悩んだ。だが本土から来たおばあさんが雨がっぱをかぶり、わが子の遺骨を探しに山へ入る姿が目に浮かび、参加することにした。誘いを待たずに自分で探し始めたのは3~4年過ぎ、遺骨の風化が進んでいると知ってからだ。戦争で殺された人を家族の元へ帰してあげたい、と思うようになった』」
⑤「―2008年に那覇市真嘉比で市民による遺骨収集をした。市民参加型の収集は具志堅さんが最初です。」:『多くの遺骨があった那覇新都心で開発が始まり、1991年に市へ収骨を訴えたが受け止めてもらえなかった。だから開発が真嘉比に及んできた時、今度こそ開発を止めてでも遺骨収集しようと決心した。市に掛け合って許されたが、これだけ広いと一人では間に合わない。考えた末、市民に呼び掛けることにした』」。
⑥「―市民参加型にしたのは、業者の収集方法に衝撃を受けたからとも。:『業者の方法はショベルカーで大量の土を掘り、それをベルトコンベヤーに載せて遺骨を探すやり方だ。これでは名前が刻まれた遺品があっても、どの遺骨のものか分からず、遺骨を遺族へ帰せない。われわれがやったのは一体一体動かさず、丁寧に土を取り除き、何を持っていたのか、全部記録しながらの作業だった』。『真嘉比でも172体出て、名前のある遺品と一緒だったのは1体だけだった。万年筆に【朽方精】とあった。平和の礎で【朽方精】の名を見つけた時には小躍りして喜んだ』」
⑦「―真嘉比は平和学習の場にもした。:『子どもたちには【自分の目で確認したから、あなたたちは、真嘉比は戦場だったそうだ、でなく、真嘉比は戦場だった、と言える】と話した』。『昨年チビチリガマを壊した子どもたちに何が足りなかったというと、遺骨には手を合わせている家族がいる、この場所を悲しむ人がいる、という実感だったと思う。遺骨を【見るものじゃない】と教えてきたわれわれ大人は、戦争の惨状を【見えないもの】にしてきたのではないか』」
⑧「―米兵の遺骨は見つからない。:『米軍には戦没者を家族の元に返す伝統がある。だから必ず遺体や遺骨を収容しようとした。その結果だろう。そういう感覚はむしろ日本人の方があると思っていたが違った』」
⑨「―沖縄の住民と日本兵の状態も対照的だと聞く。:『南部の収集現場では、艦砲弾が当たってもびくともしないような頑丈な岩の下から出てくるのは全て日本兵だ。対照的に住民の骨は、体一つ入るか入らないかの小さな岩陰から見つかる。それも親子だったりすると哀れだ。強者の論理が押し通されるのが軍民混在の戦場の実相だ』」
⑩「―遺骨のDNA鑑定を提唱する。:『国は【高温多湿の南方ではDNAは十分抽出できない】と言ってきたが、朽方さんの例でDNAが取れ、沖縄でも鑑定できると証明できた。だから全ての遺骨でDNA鑑定を、と国に要請した。県に対しては(焼骨するとDNA抽出が困難になるから)火葬をやめてくれと要請した』。『国は当初、【名前のある遺品が一緒なら】と言い、次いで【歯のある遺骨は鑑定する】となったが、欧米では四肢骨も鑑定に用いる。訴え続けた結果、四肢骨も対象となった』。『もう一つ要請しているのは各地の慰霊塔にある遺骨の鑑定だ。焼骨されておらず、DNA鑑定が可能なものもあるはず。だから鑑定の対象にしてほしいと国に要請した』。『今、11の大学に分散発注しているが、予算も人員も足りず、なかなか進まない。専用施設を国が沖縄に造ってはどうか。そこで南洋など国外の遺骨も扱ったらいい』。『フィリピンの博物館には千~2千体の遺骨があり、フィリピン人の骨も混ざっているという理由で留め置かれている。だが安定同位体元素を調べれば、戦前の人だと出身地が分かるという。それを用いればウチナーンチュは沖縄に収骨でき、DNA鑑定で遺族の元に返せる』」
⑪「―今、訴えたいことは。:『沖縄戦で【ウチナーンチュの中にスパイがいる】と言われたことが間違いだったということ。日本軍の疑心暗鬼が生んだ話だが、体験者がいなくなるとフェイクニュースが独り歩きしかねない。国にきちんと研究させて確定しておきたい。もう一つは【自決】の問題だ。沖縄戦では手りゅう弾を2個渡され、降伏という選択肢を与えられなかった。軍隊での教育の結果だ。【国が自殺を命令していた。それは誤りでした】と、正式に国との間で確認したい』。『辺野古には大浦崎収容所があって、少なくとも302人が亡くなった。戦後一度も調査されず、遺体は埋まったままだ。家族の元に帰すべきだ。逃げることもできず、食料も少なくて衰弱して死んだ。いわば米軍による虐待死だ。そこに新たな戦死者を生む施設を造るというのは、死者への冒涜(ぼうとく)以外の何物でもない』」
⑫「ぐしけん・たかまつ:1954年2月26日、那覇市生まれ。沖縄戦遺骨収集ボランティア『ガマフヤー』代表。自営業の傍ら30年余もガマや激戦地での遺骨収集を続ける。2007年に『ガマフヤー』を設立。08年には那覇市真嘉比の開発地で市民による遺骨収集を初めて実施、09年にはホームレスなどを雇用した遺骨収集事業を手掛けた。11年度に吉川英治文化賞を受賞した。」
⑬「具志堅さんの遺骨収集に同行した。ぬかるみの中、掘り出した遺骨を慈しむように見つめる。そのまなざしは肉親のよう、否、あの世から現世の自分を眺めているかのようだ。長年、野ざらしになった遺骨は哀れだが、それでも具志堅さんに掘り出された人は幸いに思える。無念の思いに共感してもらえるのだから。遺骨を見つける瞬間を『戦死の姿に会う』と表現した。『自分が殺されるのを認めるのは間違っている、自分で自分を殺すことは間違っている』とも話す。独りで入る壕の中は『ウソも冗談も通用しないところ』で、「自分は何のためにここにいるのか」と自然に自問自答したのだという。紡ぎだす言葉が示唆に富むのも長年、ガマの中で自問した思索の結果なのだろう。市井の哲人と呼ぶにふさわしい。」
(琉球新報 2018年7月2日掲載)



by asyagi-df-2014 | 2019-05-20 18:15 | 沖縄から | Comments(0)

新しい風に。米軍基地負担の陳情の広がりを。

 新しい風をを吹かせる。
その取り組みについて、琉球新報(以下、「新報」)は2019年5月12日、「全国青年司法書士協議会(半田久之会長)は11日、那覇市で役員会を開き、辺野古新基地建設の即時中止や米軍普天間飛行場の県外・国外移転の国民的議論を求める意見書を可決するよう、全国1788の都道府県と区市町村議会に陳情を提出することを決めた。県内の有志の会による取り組みとして陳情提出の動きがあるが、全国的な士業組織が地方議会に陳情を展開していくのは初めて。」、と伝えている。
また、「新報」はこのことについて、「米軍基地負担の陳情 公正負担の国民的議論を」、と社説で論評した。
「新報」は、「全国青年司法書士協議会が、在日米軍基地負担の国民的議論を求める陳情を全国の都道府県議会と市区町村議会に提出することを決めた。画期的であり、歓迎したい。」、と次のように説く。


(1)協議会は普天間飛行場の名護市辺野古移設に伴う新基地建設の即時中止や普天間飛行場の運用停止と併せて、米軍基地や普天間の代替施設が国内に必要かどうかを国民が議論することを求めた。米軍基地負担に関して「一地域への一方的な押し付けとならないよう公正で民主的な手続きで解決する」ことも掲げた。
(2)若手の司法書士が所属する同協議会は、これまでも全国を普天間の移設候補地とするよう求める会長声明などを出してきた。陳情の提出は、沖縄への基地偏在の本質を問う契機となろう。真摯(しんし)な取り組みに敬意を表したい。


 「新報」は在日米軍基地負担の問題について、まず、「日米安保は国土面積の0・6%の沖縄に全国の米軍専用施設面積の70%を置くことで維持されているが、軍事的な必然性からではなく、政治的な理由で沖縄が過重な負担を強いられていることを改めて指摘しておきたい。」、と押さえる。
 この上で、次のように指摘する。


(1)沖縄の米軍基地は、74年前の沖縄戦で米軍が住民の土地を奪い建設された。戦前は集落が点在する農村だった現在の普天間飛行場の一帯もその一つだ。沖縄戦を戦った米海兵隊の部隊の多くは戦後沖縄を離れたが、1950年代に山梨や岐阜から沖縄に海兵隊の第3海兵師団が移り、69年には海兵航空群が山口県の岩国基地から普天間に移った。
(2)「反米基地運動が燃え盛ることを恐れた日本と米国が、米国の施政下にあった沖縄に多くの海兵隊部隊を移した」「本土から沖縄に基地が集約する形で今日の姿ができあがった。このことを決して忘れてはならない」。安保政策に明るい石破茂自民党元幹事長は昨年、自身のホームページでこう解説した。まさにその通りである。
(3)発言が報じられると当該部分は削除されたが、政府が沖縄への米軍基地集中の理由として説明する「地理的優位性」に説得力がないことは明らかだ。安倍晋三首相が昨年2月に国会で答弁した通り、「移設先となる本土の理解が得られない」から沖縄に基地を置いているにすぎない。
(4)こうした差別的な政策は民主主義や正義に反し、住民の合意に基づいて成り立つはずの国防・安保の基本理念からも懸け離れていることは言うまでもない。辺野古の新基地建設は軟弱地盤の問題などで完成が見通せない中、工費は最大2兆6500億円に膨らむと試算されており、環境保全や財政負担の観点からも疑問が噴出している。


 「新報」は、最後に、「全国青年司法書士協議会の半田久之会長は陳情提出について『一人一人が自分ごととしてとらえ、考えていかなければならない』と語った。基地の公正負担や持続可能な安全保障政策のありようについて、根源的な議論をぜひ全国の各地で深めてほしい。」、と訴える。


 確かに、今は、新しい風を感じ、どこから吹いてくるのか、どこに吹こうとするのかを、日本という国の大地に立って、まずは感じ取る時。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-20 07:04 | 米軍再編 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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