2019年 04月 28日 ( 2 )

沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2019年4月28日

「本島中部の女性会社員が元米海兵隊の軍属の男に殺害された事件の発生から28日で3年を迎える。今もなお女性をしのぶ声が寄せられていることから、恩納村安富祖の周辺住民や同村の有志らが28日に合わせ献花台を遺棄現場に設置する。」、と琉球新報。
 これほどの悲しみがあるだろうか。
 忘れてはいけない。
 忘れたいとの想いの向こう側にあるもの。
 私たちは、やはり、思いを馳せよう。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2019年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2019年4月28日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)琉球新報-女性悼み、献花台設置 米軍属女性殺害事件3年-2019年4月28日 05:00


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「本島中部の女性会社員が元米海兵隊の軍属の男に殺害された事件の発生から28日で3年を迎える。今もなお女性をしのぶ声が寄せられていることから、恩納村安富祖の周辺住民や同村の有志らが28日に合わせ献花台を遺棄現場に設置する。」
②「女性が遺棄された現場には27日も被害女性と同じ年ごろの学生などが訪れ、手を合わせ黙とうする姿があった。事件当初から掃除や献花を続けてきた吉田勝広県政策参与も現場を訪れ、生い茂った草を刈り取った。吉田さんは「女性の親の世代は命を救えなかった自分たちの無力さを感じている』と語った。」
③「米軍に対し再発防止と綱紀粛正を求めてきたにもかかわらず、今月13日には北谷町桑江のアパートで海軍兵が女性を殺害する事件が起きた。吉田さんは『事件を忘れないことで犯罪の抑制につながる。多くの人に現場に来てもらって故人をしのび、事件を風化させないでほしい』と呼び掛けた。献花台は28日の夕方まで設置される。」       (高辻浩之)


(2)琉球新報-皇室に県民思い複雑 4・28万歳と拳 「屈辱の日」67年-2019年4月28日 05:00


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「サンフランシスコ講和条約が発効し、28日で67年。条約の発効によって沖縄は日本から切り離され、1972年の日本復帰まで、長く米統治下に置かれることとなった。沖縄にとって4月28日は『屈辱の日』として深く刻まれている。」
②「この条約発効で日本は戦後の占領統治から独立の回復を果たした。2013年4月28日には、安倍政権が主催し『主権回復の日』式典が開かれた。式典には首相、衆参両議長、最高裁長官の三権の長とともに天皇皇后両陛下も臨席された。サンフランシスコ講和条約を巡り、昭和天皇が米軍による沖縄の長期占領を望むと米側に伝えた47年の『天皇メッセージ』が沖縄の米統治につながるきっかけになったとも言われる。」
③「昭和天皇の『戦争責任』と講和条約による『戦後責任』を感じている県民の間には、皇室に対して複雑な感情もある。一方、平成の天皇陛下は皇太子時代を含めて11回沖縄を訪問し人々に寄り添われた。」
④「『平成』が終わり『令和』が始まる。新たな時代で沖縄の人々の皇室に対する思いはどこへ向かうのか。4月28日を巡る式典は平成の時代で、沖縄と皇室の在り方をあらためて問い掛ける出来事となった。」
⑤「『天皇陛下、バンザーイ』『バンザーイ』。2013年4月28日、東京都の憲政記念館で開かれた政府主催の『主権回復の日』式典。天皇皇后両陛下が退席される中、会場前方から突然、掛け声が上がった。つられるように、万歳三唱は会場中にこだまし、広がった。1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約によって、日本が戦後の占領統治下から主権を回復した日を記念し、政権が初めて開いた式典。安倍晋三首相は『日本の独立を認識する節目の日だ』と意義を強調していた。だが、講和条約締結を巡っては昭和天皇による「天皇メッセージ」が沖縄の米統治に大きな影響を与えたといわれる。沖縄戦で悲惨な戦禍を受け、その後も日本から切り離された沖縄にとって、皇室への複雑な感情は今もくすぶっている。こうした中で開かれた式典に、県内の反発は激しかった。一部の与党国会議員からも異論の声が上がった。『主権回復の日』式典と同日・同時刻に政府式典に抗議する『【屈辱の日】沖縄大会』が宜野湾市内で開かれ、県民は結集し怒りの拳を上げた。『万歳』と『拳』。本土と沖縄の温度差が際だっていた。」
⑥「『がってぃんならん(合点がいかない)』。『屈辱の日』沖縄大会は『主権回復の日』式典に抗議し『県民の心を踏みにじり、再び沖縄切り捨てを行うもので到底許されるものではない』とする決議と大会スローガンを採択した。毎日新聞の報道によると式典への出席を求める政府側の事前説明に対し天皇陛下は『その当時、沖縄の主権はまだ回復されていません』と指摘されていたという。『万歳三唱』によって政治色が極めて強くなった式典は、陛下の沖縄に対する思いとはかけ離れたものだった。」
⑦「政府が式典開催を公にした直後、仲井真弘多知事(当時)は『全く理解不能』と強い不快感を示した。県議会も抗議決議を可決。批判は全県に広がった。だが、沖縄の声は届くことはなく、政府は式典開催を決定し、知事の出欠に注目が集まった。元県幹部は式典について『寝耳に水だった』と振り返る。複雑な県民感情を踏まえ『知事が参加することに意義があるのかを慎重に検討した』という。当時の県政は副知事による代理出席という判断をした。」
⑧「式典開催から今年で6年。知事の名代で出席した高良倉吉副知事(当時)は『やっぱり歴史的な背景から、沖縄からすると【主権回復だ】とお祝いする日ではない。沖縄、奄美、小笠原は返還されていなかったのだから』と当時の複雑な感情を吐露した。」   (池田哲平)


(3)琉球新報-「基地」か「経済」か 常に判断迫られる 平成の沖縄6知事 日本政府との向き合い方に苦悩 〈平成の県政 上〉-2019年4月28日 13:51


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「平成(1989~2019年)の時代、6人の沖縄県知事が県政の課題解決に向き合った。昭和の時代に沖縄がたどった沖縄戦、米軍統治、日本復帰を経て、平成は『自立と発展』が主要課題になったが、過剰に集中する米軍基地が発展を妨げていることが明白になった時代だった。『基地と経済』という二項対立の中で、知事は常に日米両政府に向き合う宿命を背負った。観光や経済でさらなる飛躍が期待される沖縄の足固めにも奔走した知事の足跡を振り返る。」
②「西銘順治知事 基地問題解決で米に初の直談判:「『ヤマトンチュになろうと思ってもなりきれないというウチナーンチュとしての特色がある』。沖縄県民の心の機微をそう表現した西銘順治知事(1978年12月13日~90年12月9日)は、沖縄県知事として初めて米軍基地の過剰負担の解決を訴えるため85年に訪米した。地方自治体の知事による“外交”は異例で、後続の県知事の訪米に先鞭(せんべん)をつけた。第2次沖縄振興開発計画(82~91年度)の策定を政府に働き掛けたほか、県立芸術大学の創設などに奔走した。90年に第1回が開催された『世界のウチナーンチュ大会』を実現させ、海外のウチナーンチュが一堂に会す機会をつくった。」
③「大田昌秀知事 普天間飛行場の返還合意引き出す:「琉大教授から転身した大田昌秀知事(90年12月10日~98年12月9日)は沖縄戦に鉄血勤皇隊として招集された経験から、糸満市摩文仁に『平和の礎』を建立するなど一貫して平和行政に尽力した。段階的に米軍基地を全面返還させるとした『基地返還アクションプログラム』をまとめ、国に提案。米軍普天間飛行場の危険性を訴え、96年の日米両政府の返還合意を引き出した。国際都市形成構想の理念は現在の沖縄振興計画『沖縄21世紀ビジョン計画』に引き継がれている。」
④「稲嶺恵一知事 モノレール開業など経済振興に足跡:「稲嶺恵一知事(98年12月10日~2006年12月9日)は、経済界で要職を歴任してきた手腕を生かし、九州・沖縄サミットの開催(00年)や沖縄科学技術大学院大学の構想着手、沖縄都市モノレールの開業(03年)など沖縄振興に足跡を残した。一方、基地問題では米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設受け入れを表明したものの、在日米軍再編では代替施設の15年使用期限など県の意向が反映されずに世論の反発を招いた。普天間移設問題を巡り、任期終盤は政府との対立が鮮明になった。」
⑤「仲井真弘多知事 一括交付金実現も辺野古埋め立てを承認:「大田県政で副知事を務めた元通産官僚の仲井真弘多知事(06年12月10日~14年12月9日)は経済振興に力を入れた。07年に国際物流拠点として那覇空港の国際物流拠点化に全日空と合意したほか、12年に自由度が高い沖縄振興一括交付金の創設を実現させるなど、沖縄振興に成果を出した。一方、基地問題を巡っては『普天間の県外、国外移設』を2期目の公約に掲げながら13年に辺野古の埋め立てを承認し、政府が辺野古埋め立て工事を進める根拠をつくった。」
⑥「翁長雄志知事 辺野古移設阻止で日米政府と対峙:「『イデオロギーよりアイデンティティー』と県民に団結を呼び掛け、辺野古移設阻止を訴えた翁長雄志知事(14年12月10日~18年8月8日)は、スイスの国連人権理事会で米軍基地が集中する沖縄の現状を説明したほか、4回訪米して米政府関係者らに面会するなどして辺野古新基地建設中止を訴えた。任期中の18年8月に膵臓(すいぞう)がんで死去したが、子どもの未来県民会議を設立して30億円の基金を活用した事業を展開するなど子どもの貧困対策にも尽力した。」
⑦「玉城デニー知事 埋め立て賛否の県民投票実現へ奔走:「現職の玉城デニー知事(18年10月4日~)は今年2月に実施された辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票に向け、広報活動のほか、全県実施に向け調整した。投票者の7割が反対の意思を示した辺野古埋め立て工事を進める政府に対して、一貫して対話による解決を呼び掛ける。3月には『日米特別行動委員会(SACO、サコ)』に沖縄を加えた『SACWO(サコワ)』の設置を要求したが、実現の見通しは立っていない。」
⑧「平成の県知事について、琉球大学名誉教授の比屋根照夫氏は『日本政府とどう向き合うかということが常に問われた。基地か経済かという二項対立の中で判断を迫られてきた。究極的には永遠に混じり合わない二極の構造の中で、県政が引き裂かれるような局面もあった』と論評。その上で『【沖縄のことは沖縄が決める】という自己決定権の実現がこれからも引き続き県政の課題になるだろう』と指摘した。」              (松堂秀樹)


(4)琉球新報-少女乱暴事件、米軍ヘリ墜落…後断たない米軍事件・事故 基地に翻弄された時代に県民苦悩 〈平成の沖縄 基地・平和・いのち 上〉-2019年4月28日 15:07


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「1989年1月8日に始まった平成も沖縄にとっては米軍基地に翻弄(ほんろう)された時代だった。95年に発生した米兵による少女乱暴事件で県民の怒りのマグマは沸き立ち、反基地感情が高まる中で日米両政府は米軍普天間飛行場の返還を合意するに至った。ただ、名護市辺野古に新基地を建設することを決定、普天間飛行場の使用も継続され、いまだ返還の見通しは立っていない。」
②「95年の事件を受け、復帰後初となる大規模な抗議集会では日米地位協定の改定と基地の整理縮小を求めた。96年実施の県民投票でも同様の意思が示された。在沖米軍基地の一部で返還は進み、跡地利用で大きな経済効果を生み出したが、2019年1月1日現在で米軍専用施設の70・28%が沖縄に集中している。」
③「基地があり続けるため、米軍による事件・事故も後を絶たない。米軍機は最新機種に更新され、基地機能は強化されている。今年2月の県民投票では辺野古新基地建設に伴う埋め立て「反対」が71・7%に達した。民意が何度も示される中、沖縄全体が背負わされている基地負担。危険性除去はいつになるのか。令和の時代での解決が求められる。」 (仲村良太)
④「元衆院議員・古堅実吉さん 植民地的押し付け:「昭和だから、平成だからという立場ではないが、74年前の地獄の沙汰としか表現できない沖縄戦では二十数万人の命が奪われた。県土は破壊し尽くされ、私自身も師範学校の鉄血勤皇隊として戦場にかり出された。多くの先生方、友人、あまたの同胞も失う経験をした。以来、戦争に結び付くいかなる基地の強化、軍隊の在り方についても断じて許してはならないと生き抜いてきた。これが沖縄の心というものだ。米軍があるが故に1995年の少女乱暴事件は起き、米軍による事件で多くの県民が犠牲になった。普天間飛行場は沖縄戦のさなか、住民を収容所に押し込んで取り上げて造ったもので戦時中に敵国の私有財産を没収することを禁じたハーグ陸戦条約に違反する。県民は辺野古新基地建設問題にも反対の意思を示し続けている。現状は植民地的基地の押し付けだ。沖縄の、日本全体のあるべき姿を一日も早く成し遂げなければならない。」
⑤「平成の30年。多くの県民の注目を集めた基地、平和、長寿について振り返る。」


(5)沖縄タイムス-沖縄県警、執念の捜査で逮捕「せめてもの弔い」 うるま市の女性殺害から3年-2019年4月28日 10:55

 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「元米海兵隊員の軍属の男が、沖縄県うるま市在住で当時20歳の女性会社員を暴行して殺害したとされる日から28日で3年がたつ。殺人罪などに問われたシンザト・ケネス・フランクリン受刑者は、昨年10月に無期懲役が確定した。当時捜査を指揮した県警元幹部は『初期の自供がなければ捜査は難航していたかもしれない』と振り返る。」   (社会部・城間陽介)
②「2016年4月29日午後、休日で離島にいた元幹部は携帯電話で女性の行方不明を知らされた。『これは通常の失踪ではない』。事件性を疑ったのは、女性がいつも通りウオーキングに出掛け、それを交際相手にも伝えていたためだ。女性が自宅近くのスーパーで日用品の買い物をしていたことも、後に確認された。」
③「5月1日には、県警本部刑事部の捜査員半数に当たる約150人に情報収集を命じた。女性のスマートフォンの位置情報が途絶えた周辺の防犯カメラを調べ上げ、行方不明となった時間帯に付近を通過した車両262台を特定。所有者一人一人に捜査員が聴取した。」
④「捜索願の提出から2週間が過ぎた5月16日。Yナンバーを所有する男の挙動が捜査員の目に留まった。『自宅を訪ねると、ちょうどテレビで女性が行方不明とのニュースが流れていた。【その件で】と話し掛けると、男の顔がみるみる青ざめたんだ』(元幹部)。任意提出を求めた携帯電話を調べると、女性の名前が映ったスマホ画面の接写画像も保存されていた。」
⑤「翌17日、男は大量の睡眠薬やアルコールを摂取して自殺を図った。回復を待って任意同行を求めると、供述通り恩納村の山中から女性の遺体が発見され、緊急逮捕した。凶器となった金属製の棒が捨てられた場所も、供述と一致した。」
⑥「一方、フランクリン受刑者は逮捕後に完全黙秘に転じる。初期の供述がなければ、十分な証拠を集められない恐れもあった。捜査日数にして63日間、関わった捜査員は延べ3392人。元幹部は【救えなかったのは悔しい。犯人を検挙し全容解明をすることが、せめてもの弔いだった】と語った。」




by asyagi-df-2014 | 2019-04-28 18:38 | 沖縄から | Comments(0)

「8050問題」を考える。

 YAHOOニュ-ス2019年3月16日の池上正樹(以下、池上)による「ひきこもり親子はなぜ高齢化したのか?8050問題の背景を多角的に調査」、を偶然目にした。
不覚にも、「8050問題」について認識できていなかった。
改めて、この問題を考える。
 池上は、このことを次のように把握する。


(1)ひきこもり状態の子と親が高齢化していく中、家族はなぜ相談の声を上げられないのか?を考えるためのシンポジウム「社会的孤立が生んだ8050問題」が10日、富山県で開かれた。
(2)主催したのは、ひきこもり家族の当事者団体であるNPO「KHJ全国ひきこもり家族会連合会」。8050問題とは、80代の親が収入のない社会的孤立状態の50代の子と同居して生活を支えている世帯のことで、ハチ・マル・ゴー・マルと読む。8050問題に近づく7040世帯も含めて指すことが多い。
(3)厚生労働省の委託事業として、同会は多角的に調査を行った。まず、本来、ひきこもり支援とは関係のない、高齢者の介護などを援助している「地域包括支援センター」を調査したところ、回答のあった263か所の約84%にあたる220か所のセンターで8050事例を把握していることが、愛知教育大学大学院の川北稔准教授によって確認された。


 さらに、池上は、掘り下げる。


(1)その把握できた8050事例の本人の中には、かつて「正社員として就職していた経験がある」ものの、今は「就労が難しい」「仕事が長続きしない」、あるいは「親の介護に従事している」といった事例が数多く存在していることは、今後、注目していく必要がある。
(2)立正大学心理学部の徳丸享准教授が保健所に行った調査でも、回答のあった38機関のうち、8050事例が発見されて要請してきた先は地域包括支援センターが58%と最も多く、孤立した本人を短期間で支援につなげるための連携先としても有効なルートであることがわかった。
(3)一方で、保健所の調査からは、支援が途絶した理由について「来談者の意欲低下」を挙げた機関が34%と最も多かった。しかし、なぜ意欲が低下したのか。単に利用者側だけの問題にとどまらず、支援する側の体制、実情からも考えていかなければいけない。実際に、長期高齢化したひきこもり親子の世帯が、相談したのに支援が中断して放置され、命を奪われる悲劇も起きている。支援する側と支援される側の意識やニーズのギャップについて、これから検証していかなければならないだろう。
(4)各地でひきこもり支援を担当している「ひきこもり地域支援センター」と「生活困窮者自立支援窓口」を対象にした宮崎大学教育学部の境泉洋准教授の調査では、回答のあった602機関のうち、家庭訪問で孤立した本人を発見したことのある機関が31%も存在した。しかし、こうして発見しても、本人や親の意向で支援につなげられなかった事例が33%に上っていたことも、新たな知見だ。
(5)深刻なのは、ひきこもり支援の担当とされているにもかかわらず、その48%の機関が「ひきこもり相談対応や訪問スキルを持った職員・スタッフがいない」と回答したことだ。さらに「ひきこもり世帯数も未知数で、家族会の必要性があるかわからない」機関は56%に上るなど、半数を超える地域で、せっかく相談につながっても支援につながらない、現場の人材不足や不十分な情報共有による脆弱な支援体制ぶりが浮き彫りになったといえる。


 また、池上は、相談を受ける側の問題を次のように指摘する。


(1)シンポジウムでは、家族会を研究している新潟青陵大学大学院看護学研究科の斎藤まさ子教授が、SOSを発信できなくなった70代の母親の事例を紹介した。母親は、相談先で「育て方が悪い」「あなたが悪い」などと怒られ、相談することが怖くなり、息子とひっそりと生きてきたという。このように「意欲の低下」の背景には、家族が最初からあきらめていたわけでなく、相談の行き場を失っていたという実態も、今回の知見で明らかになった。
(2)KHJ家族会富山支部のNPO「はぁとぴあ21」の高和洋子理事長も、「相談に行くと、『どうしてこうなったのか』『どうしてここまで放置していたのか』と責められるので行きたくなくなった」などの親の声を報告。相談窓口に、ひきこもる気持ちや特性を理解できる担当者がおらず、相談員のコミュニケーション自体に相談を遠ざけている要因がある現実を指摘した。


(1)ただ、こうしたそれぞれのアプローチによって顕在化する8050世帯の事例は、ごく一部に過ぎない。我々はまだ見えなかった課題の入り口に立っただけであり、水面下には多くの孤立した家族が今も息をひそめて生きている。
(2)40歳以上のひきこもり実態調査は、まもなく内閣府から公表される予定だが、高齢化が進むひきこもり親子の実態は、これまで国のエビデンスもなく、まさに社会が想定していなかった事態が起きているといえる。国が地域共生社会を目指していく中で、潜在化した8050問題に向き合うためには、それぞれが自分ごととして、なぜ相談につながれないのかという視点から、みんなで一緒に考えていく必要がある。


 確かに、自らの「それぞれが自分ごととして、なぜ相談につながれないのかという視点」の共有化が必要である。



by asyagi-df-2014 | 2019-04-28 06:05 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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