2018年 09月 23日 ( 2 )

沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2018年9月23日

 こんな交流が大事なんだな。
「【名護】昨年12月に沖縄県宜野湾市の緑ヶ丘保育園に米軍機の部品カバーが落下した問題について、同園の保護者らでつくる『チーム緑ヶ丘1207』と名護市などに暮らす母親たちが22日、名護市瀬嵩で意見を交わした。約20人が『子どもたちの空を守ろう』と落下事故の経緯を共有し、米軍事故を防ぐための行動を県内に広げる必要性を確認した。米軍普天間飛行場の移設先とされる名護市で、チーム緑ヶ丘1207が部品落下事故を語ったのは初めて。同飛行場と隣り合わせで暮らす自らの経験を母親の立場で伝えたいとして企画された。」(琉球新報)
 やはり沖縄の力ではある。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2018年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2018年9月23日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)琉球新報-「安全な空を」親心同じ  部品落下の宜野湾・緑ヶ丘保育園 保護者、名護で意見交換-2018年9月23日 05:00


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「【名護】昨年12月に沖縄県宜野湾市の緑ヶ丘保育園に米軍機の部品カバーが落下した問題について、同園の保護者らでつくる『チーム緑ヶ丘1207』と名護市などに暮らす母親たちが22日、名護市瀬嵩で意見を交わした。約20人が『子どもたちの空を守ろう』と落下事故の経緯を共有し、米軍事故を防ぐための行動を県内に広げる必要性を確認した。米軍普天間飛行場の移設先とされる名護市で、チーム緑ヶ丘1207が部品落下事故を語ったのは初めて。同飛行場と隣り合わせで暮らす自らの経験を母親の立場で伝えたいとして企画された。」
②「緑ヶ丘保育園に子どもを通わせる宮城智子さん(49)、与那城千恵美さん(45)、園長の神谷武宏さん(56)が事故からこれまでを振り返り、園上空の米軍機飛行の禁止や原因究明を政府などに要請してきたことを報告した。宮城さんは『(要請に)政府は冷たく、お決まりの対応だった』と涙を浮かべた。普天間飛行場に隣接する宜野湾市立普天間第二小学校に米軍ヘリの窓が落下したことを受け、沖縄防衛局がカメラを設置し、避難所を作ったが、『飛行を前提とし、全く解決にならない』と批判した。」
③「『一報を聞いた直後、園に通う娘を思い、頭が真っ白になった。体が震えた』。そう語った与那城さんは事故後、基地のそばの暮らしは危険との隣り合わせだと痛感した。『』生まれ育ちも宜野湾で、それまでの生活に違和感を持たなかった。事故でその魔法が解け、理不尽だらけな現状に気付いた』とした。2人の話を聞き、涙ぐむ参加者もいた。」
④「報告を聞いた名護市瀬嵩の東恩納ちえ子さん(45)は『部品落下から約10カ月後の今も、米軍機の飛行は続く。安全な空を目指し、諦めないためにも緑ヶ丘とつながりたかった。同じ思いは二度としたくないし、させたくない。沖縄のお母さん全体の行動へとつなげたい』と語った。」


(2)沖縄タイムス-辺野古新基地の白紙化、米議員らに促す 米退役軍人の会が働き掛け-2018年9月23日 12:28


①「退役軍人を中心につくる『平和を求める元軍人の会-琉球・沖縄(VFP-ROCK)』のダグラス・ラミスさんらは20日、県庁で会見を開き、米政府監査院(GAO)に対し、名護市辺野古の新基地建設計画を調査するよう求めるため、米連邦議員への働き掛けを始めると発表した。」
②「先月25日、米国で開かれたベテランズ・フォー・ピース(VFP)の年次総会の全体会議で、GAOへの調査要求決議を全会一致で可決。沖縄に米軍基地が集中する実態や、辺野古の埋め立て予定海域の一部がマヨネーズのような軟弱地盤であることなどを調べるよう求めている。」
③「ラミスさんはGAOの防衛力管理局へ決議内容を報告したところ、『我々の仕事のほとんどは国会の委員会の要求や依頼に基づく』と19日付で返信があった。ラミスさんは『VFPは米全土に会員がいる。地元選出議員にGAOへ調査を求めるよう働き掛けたい。GAOが調査すれば、米政府の政策に影響を与え、辺野古の新基地建設を止めるかもしれない』と話した。」




by asyagi-df-2014 | 2018-09-23 17:30 | 沖縄から | Comments(0)

小鹿田の里に生活者の美を感じる。

小鹿田の里歩きをしてきました。

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未曾有の水害を克服しようとする地区の積み重ねを見てきました。
生活に根ざしたことがその美の特徴であるなら、自然の猛威はより厳しくなる。
でも、ひとしきりの生活者の思いを感じ取ることができました。

これまで、登り窯の旅を続けてきたのに、何故か、小鹿田は選んできませんでした。
それは、あまりにも有名になってしまったからということであったかもしれません。
でもそこには、小さな登り窯や電気釜等で必死に陶芸にに取り組んでいる人たちと同じ自然な営為がありました。
あらためて、小鹿田のすごさを思いました。

まずは、小鹿田の里の風景です。

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風景そのものが美となっていました。


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いつもの里の風景かもしれません。


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そこには、器をつくる人がいました。

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また、出番を待つ、火入れを待ち焦がれている器たちがいました。


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こんなにも、訪れるものを受け入れてくれる里の「力」に感謝しています。
小鹿田には、やはり、今後も訪れることになります。

by asyagi-df-2014 | 2018-09-23 06:49 | 写真を | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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