2018年 05月 09日 ( 2 )

沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2018年5月9日

何度でも繰り返そう。
 「日米地位協定さえ改定できない日本の政権与党が、今こそ改憲の時だとは。笑止である。」(沖縄タイムス-金平茂紀)。
「日米地位協定の改定を政府に求めている県が、米軍基地がある国と米国の地位協定を実態調査した情報を広く発信しようと、県の公式ホームページ(HP)内に「地位協定ポータルサイト」を今月中に開設する。」、と沖縄タイムス。また、「県基地対策課は『日本の外務省のHPでは日米協定の情報のみ。日本と海外の米国との地位協定を比較するには情報収集に手間取るが、ポータルサイトで情報を提供する。通常なら費用がかかる情報収集も、県の資料ならば著作権の問題もクリアできる』と意義を強調する。」とも。
 大きく頷く。




 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2018年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2018年5月9日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)沖縄タイムス-地位協定、国ごとにどう違う? 沖縄県がサイト公開へ-2018年5月9日 05:00


 ①「日米地位協定の改定を政府に求めている県が、米軍基地がある国と米国の地位協定を実態調査した情報を広く発信しようと、県の公式ホームページ(HP)内に「地位協定ポータルサイト」を今月中に開設する。これまで調査したドイツ、イタリアの地位協定の原文、日本語訳、概要などの掲載を計画。日米協定との違いを示し、問題点を明確にする。開設後は韓国、フィリピン、イラク、アフガニスタンを加えた6カ国の地位協定の情報の提供を目指す。」(政経部・銘苅一哲)
②「県は2017年から、米国が結んだドイツのボン補足協定、イタリアの米伊了解覚書について①国内法の適用②基地管理権③訓練への関与―などで日米協定との違いを調査。日本で制限される米軍基地内の立ち入りについてドイツでは周辺自治体の立ち入りを認め、訓練を巡っては両国ともに米軍が事前に申請するなど日米協定との差が明らかになった。」
③「県はドイツ、イタリアの調査を盛り込んだ中間報告書を今年3月に公開し、本年度中に他の国の地位協定の調査を含めた最終報告書の作成を目指している。調査は継続中だが県は収集した情報を公開し、日米協定の問題を県内外に発信する。日本、ドイツ、イタリアの米国との地位協定に加えてドイツの航空交通法や航空交通規則、イタリアの基地の実務取り決めなどの資料も原文と日本語訳を掲載する。」
④「県基地対策課は『日本の外務省のHPでは日米協定の情報のみ。日本と海外の米国との地位協定を比較するには情報収集に手間取るが、ポータルサイトで情報を提供する。通常なら費用がかかる情報収集も、県の資料ならば著作権の問題もクリアできる』と意義を強調する。」
⑤「研究者などへの情報提供を念頭に置くのに加え、一般の閲覧者にも認識を深めてもらうため協定の概要や解説の掲載も予定している。」


(2)琉球新報-「これ以上基地はいらない」 午前中149台が基地内へ 名護市辺野古-2018年5月9日 12:12


 琉球新報は、「【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設で、市民約50人は9日午前8時すぎから、米軍キャンプシュワブゲート前で座り込み『これ以上基地はいらない』と拳をあげ、新基地建設に抗議した。大浦湾海上でも、抗議船やカヌーに乗った市民が抗議した。ゲート前では午前9時前から、機動隊が座り込む市民を排除し道路脇に押しやった。市民らは『市民弾圧やめろ』など抗議した。この日午前中は、149台の工事車両が基地内へ入るのが確認された。」、と報じた。


(3)琉球新報-米岩国基地のF35が三沢に到着 空自の同型機と初の共同訓練で-2018年5月9日 13:08


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「米海兵隊岩国基地(山口県岩国市)のF35最新鋭ステルス戦闘機が9日、航空自衛隊の同型機との初の共同訓練のため、青森県三沢市の三沢基地に到着した。訓練は三沢基地を拠点に24日まで行われる。」
②「米軍再編に伴う訓練移転の一環で、米海兵隊岩国基地のF35B8機と、空自三沢基地へ1月に初配備されたF35A1機が参加。米機は9日午前11時45分ごろ、第1陣の3機が三沢基地に着陸した。」
③「三沢東方の太平洋上と秋田県西方の日本海上の空域で戦闘訓練を行い、青森県の三沢対地射爆撃場で地上を狙う爆撃訓練も実施する。防衛省によると、訓練は空自と米軍の相互運用性の向上が目的という。」


(4)沖縄タイムス-嘉手納全14カ所で騒音増 普天間深夜652回、過去5年で最多 沖縄防衛局が調査-2018年5月9日 09:26


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「沖縄防衛局が2017年度に実施した米軍基地の航空機騒音調査で、嘉手納基地内と周辺市町村に測定器を設置した14カ所の全てで騒音が前年度を上回っていたことが8日、分かった。普天間飛行場では、日米の騒音防止協定で飛行が制限される午後10時以降に、計652回の騒音を測定。前年の451回を上回り過去5年で最多となった。」
②「調査は嘉手納基地で基地内に2カ所と隣接する市町村に12カ所、普天間飛行場は宜野湾市内の4カ所に測定器を設置。騒々しい街中の音にあたる70デシベル以上の騒音が5秒以上(基地内は3秒以上)継続した場合にカウントする。」
③「17年度は嘉手納で全14カ所の合計が13万6506回で前年度の11万667回を大きく上回り、過去5年で最多だった。基地内を除く地域別で最も多かったのは北谷町砂辺の1万8672回で、沖縄市倉敷が1万7124回と続いた。」
④「両地域は滑走路の南北それぞれの延長線上に位置し、年平均のうるささ指数(W値)は倉敷が86・9デシベル、砂辺が81・2デシベルで、救急車のサイレンの音にあたる80デシベルを上回った。」
⑤「普天間周辺では、全4カ所の合計が1万9301回で前年の2万3902回を下回ったが、深夜早朝の時間は増えていた。深夜早朝の騒音が最も多かったのは滑走路南側の大謝名で272回、北側の新城は207回だった。」
⑥「調査によって両基地の騒音被害の悪化が浮き彫りとなったが、沖縄防衛局は騒音増加の理由について『米軍の運用なので答えられない』としている。一方で、嘉手納町議会は今年3月、外来機などの影響で嘉手納基地からの騒音が激化したとする抗議決議と意見書を全会一致で可決。宜野湾市では17年度に市民からの騒音に対する苦情が432件に上り、4年連続で過去最多を更新していた。」


(5)沖縄タイムス-沖縄女性暴行殺害 7月に控訴審 元米軍属、改めて殺意否認か-2018年5月9日 08:53


 沖縄タイムスは、「うるま市で2016年、女性会社員=当時(20)=を暴行し殺害したとして殺人罪などに問われ、一審那覇地裁で無期懲役の判決を言い渡された元米海兵隊員で軍属だったシンザト・ケネス・フランクリン被告(34)の控訴審初公判が7月24日午後2時から、福岡高裁那覇支部で開かれる。ケネス被告は控訴審でも改めて殺意を否認するとみられるが、弁護側は『公判で明らかにしたい』と述べるにとどめた。」、と報じた。




by asyagi-df-2014 | 2018-05-09 18:28 | 沖縄から | Comments(0)

「4.28」が「屈辱の日」であることから。~琉球新報20180429~

 琉球新報(以下、新報)は、2018年4月29日の社説で、「4.28」を「不屈の日として刻みたい」、と記す。
 どういうことなのか。
新報の指摘は、次のように始まる。。


(1)「過重な在沖米軍基地負担などに抗議する『4・28県民屈辱の日を忘れない県民集会』が名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で開かれた。」
(2)「1952年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約第3条によって沖縄は日本から切り離されたことから『屈辱の日』と呼ばれた。あれから66年。県民集会で主催者を代表し高良鉄美実行委員長は『私たちの思いが無視された』と指摘した。新基地建設についても『基地を造らせないという思いも無視されている。まさに屈辱が70年続いている』と国の姿勢に抗議した。」


 また、新報は、沖縄がこの屈辱を克服するために、この日を「不屈の日」のしたということについて、その意味を紹介する。


(1)「『「屈辱の日』は、県民が自己決定権を求めて立ち上がった『不屈の日』でもある。戦後沖縄の政治をけん引した3人のエピソードがある。」
(2)「講和条約の発効を前にした4月1日、琉球大学で開かれた琉球政府発足式典で立法院議員が起立して宣誓した。瀬長亀次郎氏だけは起立せず宣誓文への押印も拒否した。瀬長氏の未発表の原稿によると、最初に示された宣誓文には『米民政府並に琉球住民の信頼にこたえるべく』とあった。有権者に選ばれたにもかかわらず、米国に宣誓する必要はないと考えた。そして『日本国民に対する民族的侮辱であり、日本復帰と平和に対する挑戦状だ』として拒否した。瀬長氏は米統治下で日本復帰運動の先頭に立った。」
(3)「講和条約が発効する3カ月前の52年1月、当時の沖縄群島政府文教部長の屋良朝苗氏(後の主席、県知事)は全島校長会を開催した。沖縄が日本から切り離される前に、沖縄の進むべき方向を示そうと考えたからだ。校長会は全会一致で『復帰要求決議』を採択した。屋良氏は47~50年の知念高校校長時代から生徒に日本復帰を訴えていた。以来、屋良氏は全県民的な支持を背景に、粘り強く日米両政府と向き合い、自治権の獲得と施政権返還を求めた。屋良氏は『沖縄問題の解決の可能性は、全国民の沖縄に対する真の理解と好意の度合いがバロメーターになる』と考えていた。県民の直接行動と全国民の理解、この二つがかみ合ったときに事態は前進すると確信した。」
(4)「対日講和会議が始まる7カ月前の51年2月1日付『沖縄新聞』は、沖縄の新聞として初めて社説で日本復帰論を掲げた。西銘順治氏らが創刊した『沖縄ヘラルド』が『沖縄新聞』に改題するのを機に主張した。西銘氏はこの社説の執筆に立ち会っている。この年の4月から西銘氏は仲間と共に日本復帰を求める署名運動に参加した。西銘氏は社大党の結党メンバーで、後に保守勢力のリーダーとして那覇市長、衆院議員、県知事に就任した。」


 その上で、新報は、「『屈辱の日』を体験した3人に共通するのは、抑圧に決して屈することなく、前途に希望を持ち続けたことではないか。」、と結ぶ。


 確かに、屈辱を超えるためには、「抑圧に決して屈することなく、前途に希望を持ち続ける」という精神の矜持が必要である。





by asyagi-df-2014 | 2018-05-09 07:00 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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