2018年 04月 11日 ( 3 )

沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2018年4月11日

 驚くというよりは、許されないことである。
 新基地予定周辺の国立沖縄工業高等専門学校)が米国基準の高さ制限を超える問題について、「小野寺五典防衛相は10日、同基準が沖縄高専には適用されないことを明らかにした。『米側との調整で制限の対象とはならず、米軍飛行場設置基準違反との指摘は当たらない』と述べた。」、と沖縄タイムスは報じる。
 米側との調整とは、日本国自らが、二重基準を認めたということであり、沖縄の現状からいうと、人の命を天秤にかけたと言うに等しいではないか。




 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2018年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2018年4月11日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)沖縄タイムス-辺野古新基地:防衛相、高さ制限「沖高専は適用外」 二重基準と批判も-2018年4月11日 06:53


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「【東京】沖縄県名護市辺野古の新基地建設に伴い設定される米国基準の高さ制限を、新基地周辺の国立沖縄工業高等専門学校(沖縄高専)が超えることについて、小野寺五典防衛相は10日、同基準が沖縄高専には適用されないことを明らかにした。『米側との調整で制限の対象とはならず、米軍飛行場設置基準違反との指摘は当たらない』と述べた。」
②「周辺にある送電鉄塔は沖縄電力に移設を要請しており、県選出野党国会議員からは『二重基準」(伊波洋一参院議員)などと批判が噴出している。」
③「高さ制限は米軍の滑走路の仕様などについて定める米国防総省の「統一施設基準書」によるものだが、同基準書には規定を満たさない場合を想定した除外規定がある。だが、具体的な判断基準などの明示はなく、事実上、米側の判断に委ねられる。」
④「小野寺氏は、これまで同事実を学校側などに説明してこなかった理由を問われ、『高さ制限の対象にならない。いずれにしても飛行の安全への配慮をしっかり考えることが大事だ』と述べるにとどめた。参院外交防衛委で伊波氏に、衆院安全保障委で照屋寛徳氏に答えた。」
⑤「沖縄防衛局は10日、『沖縄高専には今後本件について説明していく』との姿勢を初めて示した。また、辺野古新基地周辺に高さ制限に抵触する沖縄電力の送電鉄塔が12カ所あると明らかにした。国予算で基本設計を終え、実施設計に進んでいるという。」


(2)沖縄タイムス-【解説】埋め立て環境整備へ、国は「急がば回れ」 辺野古新基地「N3」護岸-2018年4月10日 19:35


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「沖縄県名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局が9日に着手した『N3』護岸は『K4』『N5』と一部海域を囲い込むため、本格的な土砂投入が加速する見通しだった。だが、「K4」護岸の施工をサンゴ保全のため従来より1カ月程度工期が遅くなる方法に変更したことで、早ければ7月とされていた土砂投入は遅れる可能性が出てきた。」
②「背景には『K4』を遅らせたとしても、サンゴ保全を巡る県との調整の一部を回避し、結果的にスムーズに埋め立て環境を整えられるとの狙いがある。」
③「『K4』建設地の付近では希少な『ヒメサンゴ』1群体が確認されており、防衛局は今年1月、保全のため別の場所に移植する特別採捕許可を県に申請。しかし、県は移植予定先にサンゴを覆う『サンゴモ類』があり、移植しても死滅する可能性が高いとして採捕を不許可とした。これを受け、防衛局はヒメサンゴが埋め立て予定地の外にあるため、県との調整期間が不確定な移植ではなく、工事に時間がかかってでも汚濁防止を強化して保全を図りつつ護岸を完成させる『急がば回れ』の方針に切り替えた格好だ。」
④「防衛局は9日の環境監視等委員会で、汚濁防止の強化は1日当たりの石材の投入量を抑制したり、汚濁防止柵を従来の2倍にするなどの内容を専門家に報告した。ただ、シミュレーション結果は示されたものの、汚濁防止の具体的な数値は明らかにされなかった。」
⑤「県内部からは『どこまで汚濁を防げるか定かではない』との声もあり、環境保全策が不十分として知事が埋め立て承認を撤回する理由の一つとなる可能性もある。」    (政経部・銘苅一哲)


(3)琉球新報-「違法工事許さぬ」小雨降る中、市民70人が抗議 米軍キャンプ・シュワブゲート前-2018年4月11日 13:06


 琉球新報は、「【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設工事で11日、小雨がぱらつく中、市民約70人が米軍キャンプ・シュワブゲート前に座り込み、新基地建設に抗議した。『違法工事を許さないぞ』と声をあげる市民を県警の機動隊が強制的に移動させ、100台を超える工事車両が基地内に入った。大浦湾の海上では、『K3護岸』で大型クレーンが被覆ブロックを設置し、『K4護岸』と『K3護岸』では砕石が投下されるなど護岸工事が続けられている。」、と報じた。


(4)沖縄タイムス-飲酒運転・死亡事故の米兵に懲役4年判決 那覇地裁-2018年4月11日 11:13


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「昨年11月に那覇市内で酒気を帯びて米軍の2トントラックを運転し、死亡事故を起こしたとして、自動車運転処罰法違反(過失運転致死)と道交法違反(酒気帯び運転)の両罪に問われた米海兵隊牧港補給地区所属の上等兵(22)の判決公判が11日、那覇地裁であった。柴田寿宏裁判長は懲役4年(求刑懲役6年)を言い渡した。」
②「判決などによると、被告は、11月19日午前5時25分ごろ、酒気を帯びた状態で米軍トラックを運転し、国道58号を南向けに進行。那覇市の泊交差点の赤信号を見過ごしたまま、時速約88キロで同交差点に進入し、信号に従って対向車線から右折した同市の男性会社員=当時61=が運転する軽トラックと衝突。男性は肋骨(ろっこつ)骨折などによる胸部圧迫などで死亡した。」




by asyagi-df-2014 | 2018-04-11 20:56 | 沖縄から | Comments(0)

沖縄タイムスの【教科書のいま】を読む。(2)

 宜野湾海浜公園で、2007年9月29日、復帰後、最大規模の大会になった「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が、11万6千人(主催者発表)が参加し開催された。
 この日から、10年がたった。
 沖縄タイムスは、「2006年度の教科書検定で、高校日本史の沖縄戦『集団自決(強制集団死)』を巡り、日本軍の加害性の記述が大幅に薄められた。11万6千人(主催者発表)が参加した07年9月29日の県民大会を経て、記述はある程度回復したものの、『軍の強制』は認められていない。国の歴史観と、県民の『記憶』とのせめぎ合いが続く『教科書のいま』に焦点を当てる。」、と特集の連載を始めた。
 この沖縄タイムスの特集を読む。
第2回は2017年9月26日、「【教科書のいま・2】「集団自決」修正の標的 政治介入に警鐘」(社会部・湧田ちひろ)。
沖縄タイムスは、教育への政治介入という問題を、こう伝える。



(1)1991年10月、東京高裁。沖縄国際大教授(当時)の石原昌家さん(76)は、沖縄戦の研究者として法廷に立っていた。「住民が自主的に死んだのではなく、日本軍のために必然的に死に追い込まれました」。これまで聞き取った数千人の証言者と戦没者の思いを胸に、「集団自決(強制集団死)」の実相を語った。石原さんが出廷したのは、高校日本史教科書の執筆者である家永三郎さんが84年に起こした第3次家永訴訟。家永さんが日本軍による「住民殺害」を教科書に記述したことに対し、当時の文部省は「集団自決」も併記するよう求めた。
(2)文部省は「集団自決」を、国のために自ら命を絶った「殉国死」として書かせようとしている-。そう国の意図を感じ取った家永さんは反発し、検定の違法性を訴えて提訴した。石原さんも裁判で「日本軍の強制という意味での『集団自決』」と、枕ことばを付けて国の歴史観にあらがった。
(3)沖縄戦の記述が最初に変更させられたのは、さらに81年度検定にさかのぼる。日本史の教科書で江口圭一さんが執筆した「日本軍による住民殺害」の記述が全面削除された。県民の怒りとともに戦争体験者による新しい証言が相次ぎ、県議会も意見書を可決した。
(4)これらを受け、文部省は83年度検定からは「住民殺害」の記述を認めるよう軌道修正する。しかし同時に美談としての「集団自決」も書かせようとし、家永訴訟につながっていく。
(5)石原さんらの証言や裁判を巡る議論は、沖縄戦の実相がより深く理解される契機となった。教科書会社の抵抗もあり、80年代には「軍の強制」の記述が定着する。
(6)状況が一変したのは、2006年度の教科書検定。歴史修正主義の台頭を背景に、「集団自決」を巡る従来の記述に軒並み検定意見がついた。県民の猛反発で「軍の関与」は復活したものの、軍の「強制」や「命令」を明記することは今も認められていない。
(7)80年代に国の思惑で書かされ、そして20数年後に再び国の思惑で修正させられた「集団自決」。翻弄(ほんろう)され続ける「史実」に、石原さんは「国民を軍民一体で戦争へと駆り立てていくために、戦前から教科書を通じて思想教育や洗脳が行われてきた。教科書への政治の介入を許してはいけない」と警鐘を鳴らす。(社会部・湧田ちひろ)


 確認しなければならないのは、集団自決(集団強制死)の記述は、80年代に国の思惑で美談として書かされ、そして20数年後に再び国の思惑で修正させられた、という事実。
「国民を軍民一体で戦争へと駆り立てていくために、戦前から教科書を通じて思想教育や洗脳が行われてきた。教科書への政治の介入を許してはいけない」、との石原昌家さんの警鐘は、今を撃つ。




by asyagi-df-2014 | 2018-04-11 12:10 | 侵略戦争・戦後処理 | Comments(0)

新崎盛暉さん死去。社説、論説から。~沖縄タイムス20180403~

 新崎盛暉さんの死去の一報を見て、浮かんだのは、沖縄はこの死をどのように捉えているのだろうか、ということでした。
 私自身は、痛苦の思いで、「80年代以降の『沖縄』に関しては、新崎盛暉さんの理論を理解することから始まったという気がしています。『沖縄同時代史(全10巻)』をはじめとする書籍は、きちんと本棚で存在を発揮しています。『構造的沖縄差別』『目下の同盟』といった言葉は、新崎盛暉さんなしには、たどりつけなかったと思っています。」、と「沖縄-辺野古-高江-から」に書き込みました。
 沖縄タイムスは2018年4月03日、「沖縄現代史研究の第一人者で沖縄大学元学長の新崎盛暉さんが3月31日午後、肺炎のため南風原町の病院で亡くなった。82歳。」、と「[新崎盛暉さん死去]実践を通し民衆史紡ぐ」との題目で論評しました。
 沖縄タイムスは、新崎盛暉さんの人となりを次のように著しています。


(1)「昨年11月、破裂性急性大動脈解離で緊急入院し、治療を受けていたという。倒れる直前まで、資料の入ったバッグを肩にかけ、いつものラフな服装でシンポジウムや市民グループの勉強会、裁判の支援集会などに通っていた姿が、その風貌とともに、頭に浮かぶ。」
(2)「友人でもあった元琉球大学教授の岡本恵徳さん(故人)は、新崎さんのことを『永遠の少数派』と語ったことがある。国家権力に抗う民衆の運動に着目し、『民衆がつくる歴史』を同時代史として書き続けてきた生涯だった。」
(3)「平和・人権・環境・自立-個人を主体にした復帰後の市民運動の支柱のような存在でもあった。」 
(4)「金武湾の石油備蓄基地(CTS)建設に反対する住民運動、米軍用地の強制使用に反対する一坪反戦地主会の活動、そして新基地建設に反対する沖縄平和市民連絡会の取り組み-。新崎さんは共同代表や代表世話人として常に現場に立ち続けた。」
(5)「新崎さんの『沖縄現代史』(岩波新書)は、中国語や韓国語にも訳され、広く読まれている。『東アジアの民衆連帯』が新崎さんの口癖だった。『学び合うネットワーク』という新崎さんらがまいたタネは、冷戦の最前線にあった東アジアの中で芽を出し、着実に育っている。」 


 また、沖縄タイムスは、次のように続けます。


(1)「沖縄出身の両親のもとに東京で生まれた新崎さんは、東大卒業後、都庁に勤務するかたわら、英文学者の中野好夫さんが主宰する『沖縄資料センター』で戦後資料の収集、整理、分析などにかかわってきた。」
(2)「新崎さんら東京在住の若手研究者らが編集した『戦後資料沖縄』や『沖縄問題基本資料集』、『ドキュメント沖縄闘争』は、沖縄戦後史を研究する上での基本資料である。」(3)「新崎さんの沖縄戦後史研究は、その作業を通して花開いたもので、研究成果はその後、「沖縄同時代史」全10巻に結実する。」
(4)「『構造的沖縄差別』という言葉は、新崎さんが使い始め広く知られるようになった。『対米従属的日米関係の矛盾を沖縄にしわ寄せすることによって、日米関係(日米同盟)を安定させる仕組み』のことである。」
(5)新崎さんの執筆活動は半世紀を超える。新崎さんの戦後史に対しては『保守陣営の動きがまったく描かれていない』『戦後史というよりは運動史』だとの批判もある。こうした批判は、決して的はずれだとはいえないが、沖縄の戦後史は社会運動史である、という考えに揺るぎはなかった。現場と実践を重視する姿勢も一貫していた。」
(6)「『日本にとって沖縄とは何か』-新崎さんは一貫してこの問いを投げかけてきた。戦後沖縄の政治史を現場で定点観測し続け、『民衆の歴史』を紡ぎ続けたことは特筆すべき業績である。」 


 最後に、沖縄タイムスは、新崎盛暉さんの業績を「『日本にとって沖縄とは何か』-新崎さんは一貫してこの問いを投げかけてきた。戦後沖縄の政治史を現場で定点観測し続け、『民衆の歴史』を紡ぎ続けたことは特筆すべき業績である。」、と評しました。 


 確かに、沖縄タイムスが沖縄のすべてを表現できるわけではないが、やはり、沖縄タイムスが新崎盛暉さんを「国家権力に抗う民衆の運動に着目し、『民衆がつくる歴史』を同時代史として書き続けてきた生涯だった。平和・人権・環境・自立-個人を主体にした復帰後の市民運動の支柱のような存在でもあった。」と表明することに、私自身も新崎盛暉さんの業績を再確認する。
また、「新崎さんの戦後史に対しては『保守陣営の動きがまったく描かれていない』『戦後史というよりは運動史』だとの批判もある。」という沖縄タイムスの記述は、新崎盛暉のそうした基本的考え方が、私が新崎盛暉の本を受け入れられる前提でもあったのだということにあらためて気づかされる。




by asyagi-df-2014 | 2018-04-11 07:09 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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