沖縄-辺野古-高江から-2026年2月24日
2026年 02月 25日
この記事を、「『普天間』は返還されないのか あの日、日本政府が約束した『責任』の果てに」、と沖縄タイムスは伝える。
「米軍普天間飛行場の移設計画を巡り、米国防総省が2025年9月に米政府監査院(GAO)に提出した回答文書で、名護市辺野古の新基地では能力が不足するため、代替となる『長い滑走路』が選定されるまで普天間を日本側に返還しないと明記していた。本紙の平安名純代・米国特約記者が文書を入手し、報じた。表に出ることを前提とせず、お役所内で仕事の進展を確認するような性質の文書だが、関係者から存在を聞きつけたという。」(沖縄タイムス)、と。
驚くことに、米国防総省が2025年9月に米政府監査院(GAO)に提出した回答文書という公式文書の中の記載である。
そこには、「普天間飛行場は人口10万人を超える宜野湾市のど真ん中に、ドーナツの穴のように位置する。『世界一』と言われる危険性を除去するために、日本政府は『辺野古への移設が唯一の解決策』と繰り返してきた。それなのに、辺野古の新基地が完成しても、米側が普天間を返還しない可能性に言及したのである。2013年4月に日米が合意した嘉手納基地より南の在沖米軍施設の統合計画で、普天間返還の条件として8項目が挙げられた。文書で指摘しているのはそのうちの一つ『普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のための緊急時における民間施設の使用の改善』のことだ。」(沖縄タイムス)、とあるのだ。
沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
何よりも、自らが沖縄から受け取るものを明確にするために。それは、捉え直しとして。
また、「沖縄戦50年」、「戦後80年」を継承していくために。
2026年度も、改めて琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
(1)沖縄タイムス-「普天間」は返還されないのか あの日、日本政府が約束した「責任」の果てに|沖縄政局インサイド-2026年2月24日 4:00
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.米軍普天間飛行場の移設計画を巡り、米国防総省が2025年9月に米政府監査院(GAO)に提出した回答文書で、名護市辺野古の新基地では能力が不足するため、代替となる「長い滑走路」が選定されるまで普天間を日本側に返還しないと明記していた。本紙の平安名純代・米国特約記者が文書を入手し、報じた。表に出ることを前提とせず、お役所内で仕事の進展を確認するような性質の文書だが、関係者から存在を聞きつけたという。
2.普天間飛行場は人口10万人を超える宜野湾市のど真ん中に、ドーナツの穴のように位置する。「世界一」と言われる危険性を除去するために、日本政府は「辺野古への移設が唯一の解決策」と繰り返してきた。それなのに、辺野古の新基地が完成しても、米側が普天間を返還しない可能性に言及したのである。
3.2013年4月に日米が合意した嘉手納基地より南の在沖米軍施設の統合計画で、普天間返還の条件として8項目が挙げられた。文書で指摘しているのはそのうちの一つ「普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のための緊急時における民間施設の使用の改善」のことだ。
4.普天間の滑走路は約2700メートル、辺野古の滑走路は約1800メートル。文書では、辺野古の新基地の滑走路が普天間より短く、普天間の任務の一部を受け入れられないため、「長い滑走路」を確保する必要があると説明。最終決定する責任は日本政府にあり、完了するまで普天間は日本に返還されないと踏み込んでいる。
5.政府監査院は2017年の報告書で、新基地の能力不足を取り上げ、「長い滑走路」を選定するなどの是正を国防総省に求めていた。文書はその返答に当たる。
(米国防長官は言い放った)
1.「日本の責任」と聞いて思い起こすのは、日米両政府が名護市辺野古のキャンプ・シュワブの沿岸部を埋め立てる案で合意した2005年10月26日、当時の米側代表だったリチャード・ローレス国防副次官が、大野功統防衛庁長官との電話で言い放った言葉だ。
2.「日本側が責任を持って(辺野古新基地を)建設してほしい」
3.それまで移設位置で、日米の意見が割れていた。米側はキャンプ・シュワブに影響がないよう沖合を埋め立てる案を提示。日本側は反対する住民の抗議活動の影響が少ないシュワブ沿岸部を埋め立てる案を掲げていた。
4.米側は自分たちの案を取り下げた。その代わり、遅れに遅れていた移設計画を日本の責任で前へ進めるよう促したのだ。
5.電話を切ったローレス氏は「ザ・ゲーム・イズ・オーバー」と語ったという。
6.その後、どうなったか。新基地建設の責任を負わされた日本政府は、沖縄県民が選挙や県民投票で示した「辺野古反対」の民意を無視し、突き進んでいる。
(金に糸目付けず「責任」果たす)
1.2014年の事業着手以降、県警や海上保安庁を動員し、現場で反対する住民たちを強制排除するようになった。金に糸目を付けず、総事業費も膨らんでいる。
2.埋め立て予定地で「マヨネーズ並み」の軟弱地盤が見つかり、玉城デニー知事が承認を撤回したり、新たな申請を承認しなかったりしても、裁判でその判断を覆し、知事の権限を取り上げる形で、承認を「代執行」するなど、強引に推し進めているように見える。
3.どれもこれも、あのときに米国と約束した「日本の責任」を果たすためなのだろうか。民主主義や地方自治をないがしろにしてまで。
4.米軍は沖縄で、普天間のほか、空軍嘉手納基地を運用する。嘉手納は4千㍍級の滑走路2本を備える。嘉手納が敵からの攻撃や災害で使用不能になった場合、飛行中の空軍機は普天間に着陸する。昨年11月、普天間に空軍のF35Aステルス戦闘機が相次いで飛来したのは、嘉手納が使用不能になった場合を想定した訓練だったとみられる。
5.滑走路の短い辺野古の新基地では嘉手納の空軍機が着陸できくなる。だから、もしもの場合の「長い滑走路」を探してほしいというのが米側の要望だ。
6.「普天間飛行場代替施設では確保されない長い滑走路を用いた活動のための緊急時における民間施設の使用」。日本政府が3千メートル級の滑走路2本を持つ那覇空港を想定しているのは間違いないだろう。
7.では、なぜ米側に伝えないのか。それは辺野古新基地建設で大きく反発してきた沖縄に、新たな火種を持ち込みたくないからではないか。
(米公式文書の「真相」)
1.年間の発着回数を見ると、普天間2万回、嘉手納6万回に比べ、那覇は16万回と過密だ。沖縄の玄関口で、多くの観光客が利用する。
2.日本政府は「緊急時に那覇空港を使用したい」というタイミングを見極めている。そんな事情も知ってか知らずか、米側の都合を並べたのが、今回の文書の真相なのだろう。
3.小泉進次郎防衛相は記者会見で「辺野古移設完了後も普天間が返還されないということは、全くない」と強調してみせた。しかし、緊急時とはどういう状況か、滑走路の長い民間施設とはどこか、なぜ米側にこのような文書が存在するのか、といった記者の質問には答えなかった。
4.決定を先延ばしする、沖縄県民への説明を後回しにする日本政府の姿勢は、この間、何度も見てきた弥縫策に映る。そしてタイミングが来たら「日本の責任」を果たすため、沖縄に受け入れさせようと「アメとムチ」をちらつかせ、しゃにむになる。普天間問題はその繰り返し。「日本の責任」がいつの間にか「沖縄の負担」に置き換わっている。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1779226 参照 2026年2月24日)
(2)沖縄タイムス-高市首相が非核三原則を見直せば日本は核攻撃拠点になる? 抑止崩壊で核戦争巻き添えリスク増も 核持ち込み容認で抱える別次元の脅威、70年代の米軍岩国核部隊にみる「核の傘」の実態【在日米軍と核戦争計画】(共同通信=新里環)-2026年2月23日 11:30
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.米軍岩国基地(山口県岩国市)の航空部隊が1971~74年、沖縄で核兵器による攻撃を想定した訓練を重ねていたことが、機密解除された米国の公文書で分かった。背景を探ると、ベトナム戦争で疲弊した米軍の再編や、ソ連との戦略核制限交渉に追われ、余裕を失いつつあった米国の事情が垣間見える。専門家は「軍事力の低下を戦術核で穴埋めする必要があった」と説明する。
2.当時のニクソン米大統領は、同盟国に提供する「核の傘」を維持した一方、自衛の努力を要請。現在、トランプ大統領も同盟国に応分の負担を求めている。2月の衆院選で大勝した高市早苗首相は、歴代内閣が堅持してきた非核三原則の見直しに着手するのか。持ち込みを容認すれば、日本は単に核の傘の提供を受けるだけではなく、核攻撃の出撃拠点となり、核抑止が崩壊すれば核戦争の巻き添えとなるリスクが再び高まりかねない。安全保障を考える上で、岩国の問題は現在に通じている。(共同通信=新里環)
(反核世論に配慮した「非核三原則」)
1.太平洋戦争の終戦間際の1945年8月、米国は広島と長崎へ原爆を投下した。1954年にはビキニ環礁で水爆実験を実施し、第五福竜丸などが被ばくした。これらの惨事は、日本に根深い反核感情を植え付けた。
2.日本は1952年、米国が主導する連合国軍総司令部(GHQ)の占領から解放されたが、同年に発効した日米安全保障条約は米軍の核持ち込みを制限していなかった。米軍は1953年に核を搭載した空母を寄港させ、日本への核持ち込みを始めた。核の存在が取り沙汰される中、日本政府は1960年の安保条約改定に伴い、核持ち込みなどを対象とする事前協議制度の導入にこぎつけた。
3.ただ、その裏では協議の対象を核の陸上配備に当たる「イントロダクション(持ち込み)」と解釈し、核を積んだ艦艇や航空機の「エントリー(進入)」は対象外とする文書「討議の記録」を米側と交わしていた。いわゆる「密約」だ。
4.1967年、当時の佐藤栄作首相が、核を「持たず、つくらず、持ち込ませず」との非核三原則を表明し、画期的なこととして国民に受け止められた。日本復帰を目指した沖縄で米軍が核を貯蔵しているとの疑惑が広がる中、反核世論に配慮したものだった。
(双方が壊滅被害の戦略核は使えず、戦術核で軍事力穴埋め)
1.一方、米国はベトナム戦争の戦費増大にさいなまれていた。「核の傘」は提供する。ただし、自衛は各国が努力する―。1969年7月、ニクソン大統領は、新たな極東政策を報道陣に示した。「アジア諸国が過度にわれわれに依存し、紛争に巻き込まれる政策は避けなければならない」
2.米国はベトナムに加え、日本や韓国に配備していた通常兵力の削減を進めた。東アジアにおける要衝として沖縄の重要性は増した一方、ベトナム戦争で出撃地になったことで反米感情が高まり、日本復帰運動が激化していた。米政府は、日米同盟と沖縄の基地利用を安定化させるため、1972年の沖縄返還で日本政府と合意した。
3.当時、ソ連は大陸間弾道ミサイル(ICBM)や潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)などの戦略核を急速に増強。米ソが核で攻撃し合えば、双方が壊滅的な被害を受ける「相互確証破壊」の状況が現実味を帯び、戦略核は事実上使えなくなっていた。ソ連が欧州を射程とする中距離核ミサイルの配備を進めたこともあり、有事には欧州だけが攻撃を受け米国は反撃しないのではないかという懸念が浮上。核を含む戦力で米国が同盟国の防衛に関わる「拡大抑止」の信頼性低下が指摘されていた。米ソは1969年から戦略核の制限を交渉し、1972年に第1次戦略兵器制限条約(SALT1)に調印。一方、局地戦のための戦術核に制約はなかった。
(米軍は、核の前方展開にこだわった)
1.沖縄には1967年時点で約1300発の核があったとされる。1972年の日本への返還に際して核は撤去されることになったが、米軍は核の前方展開にこだわった。
2.米政権と軍との間で見解の相違があったことは公文書からも読み取れる。沖縄返還に向けて国家安全保障会議が主導し作成した1969年4月の研究報告書は、国務省や国防総省、軍の統合参謀本部、それぞれの沖縄からの核撤去に対する見解を説明している。
3.政権中枢の文民組織である国務省と国防総省は、沖縄から核を撤去しても、朝鮮有事の際には韓国や海軍第7艦隊に配備した核で影響を最小化できると指摘。当時の太平洋軍が管轄する地域での抑止力の信頼性は、ICBMやSLBM、戦略爆撃機などで維持できると強調した。
4.一方、軍の制服組トップらでつくる統合参謀本部は、核の前方展開能力を失えば時間的猶予がない状況下での攻撃能力が損なわれ、代替手段では費用もかさむと主張。「共産勢力の誤算」を招くことになり、核紛争を地域レベルに抑えることが難しくなると訴えた。
(そして、「密約」が結ばれ…)
1.こうした軍部の反発を受け、米政権は日本に有事の沖縄への核再持ち込みを要求。日本は密約でこれを認めた。非核三原則の堅持と、米国の「核の傘」に依存する現実とを両立させるための政治的妥協だった。
2.一方、共同通信の取材で、1971~74年に岩国の部隊が沖縄で攻撃機による局地戦向けの核投下訓練をしていたことがこのほど、明らかになった。1971年7月に岩国部隊が核任務に就いたのは、こうした米軍の再編と戦略核制限、密約成立の流れと軌を一にする。
3.琉球大の我部政明・名誉教授(国際政治)は「ベトナム戦は通常爆弾や誘導弾を使った非核の戦争で、米軍は苦しめられた。そのため、ポスト・ベトナムを見据えて核戦争の対応へと後戻りしていった。使いやすい戦術核を重視し、岩国の部隊を核任務に組み込んだ」とみる。
(どうして岩国だったのか)
1.岩国基地の部隊は攻撃機による戦術核投下を訓練。沖縄は朝鮮半島と台湾に近く、即応態勢を維持する上で格好の場所だった。米国は特に、北朝鮮の動向を警戒。1968年には北朝鮮による韓国大統領府の襲撃未遂事件や米海軍の情報収集船「プエブロ号」の拿捕(だほ)が発生するなど、半島情勢は緊迫化していた。一方で米国は、ソ連と対立していた中国との関係改善を模索し、1972年にニクソン大統領が訪中した。
2.核任務に当たっていた攻撃機は、核と通常兵器のいずれも搭載可能な核・非核両用機だった。我部名誉教授は「岩国は朝鮮半島の目と鼻の先で、緊急時に備え海兵隊の航空部隊を岩国に残す軍事的理由があった」と分析する。沖縄の海兵隊拠点である普天間飛行場には、米軍のベトナム撤退に伴いヘリコプター部隊が移設される計画だった。「普天間には核攻撃部隊を収容できる施設やスペースがなく、配備は不適当と判断したのではないか」
3.九州大の中島琢磨教授(日本政治外交史)は「航空機は朝鮮半島に近い岩国に、兵器の搭載場所は核のあったグアムに近い沖縄としたのではないか」と考える。
(高まっていた巻き添えリスク)
1.岩国部隊が米国の核戦争計画に組み込まれたことで、日本が敵の核攻撃にさらされる危険性は増した。戦術核が持ち込まれれば日本が核戦争の最前線となり得て、敵の核攻撃の優先度が高まるためだ。
2.政府は当時、岩国部隊の任務は把握していないとの立場をとった。一方で、旧米太平洋軍司令部による1974年の公式記録は、日本が戦争に巻き込まれる可能性は低いとしながら、核抑止崩壊を念頭に「ソ連本土または潜水艦から核攻撃の可能性があった」と明記していた。
3.岩国基地問題に詳しい山口県平和委員会の吉岡光則会長は、岩国部隊の核訓練について「隠されていたことには怒りしかない」と語る。米国にとって日米安保は自国の覇権を守るためのものだと指摘。「核訓練の実態が明るみとなれば日米安保体制が崩壊しかねず、そのため日本国民に知られたくなかったのだろう」
4.米国は冷戦終結後の1991年に核戦略を見直し、世界にある地上と海洋配備の戦術核撤去を表明。欧州に展開する航空機用など一部は残した。米国の主な核戦力はICBMとSLBM、戦略爆撃機といった戦略核に集約された。現在、日本への「核の傘」の提供は、戦術核ではなく国外の戦略核によってなされているとされる。
(形ばかりの非核三原則)
1.「現実的な対応も含め、総合的に検討したい」。高市首相は昨年11月26日の党首討論で、三原則のうち核を「持ち込ませず」の見直しに含みを持たせた。首相就任前には、持ち込ませないのは「現実的ではない」との考えを示していた。
2.民主党政権だった2010年、当時の岡田克也外相は米軍による有事の核持ち込みの可否に関し「そのときの政権が命運をかけてぎりぎりの決断をし国民に説明すべきだ」と国会で答弁した。国の安全を守るために認め得るとの見解で、高市首相もこの答弁を「引き継いでいる」と明言した。
3.長崎の被爆者4団体は昨年12月、三原則の法制化を求めるアピールを発表。「(核を)持ち込めば安全だというのは、全く現実的ではない」と批判した。
4.核持ち込みは日米安保条約に基づく事前協議制度の対象。日本政府は、協議の申し入れがないことを理由に持ち込みはないと説明してきた。
5.しかし、1960年代には核を積んだ米揚陸艦が岩国基地の沖合数キロに常時停泊。統合参謀本部議長が旧太平洋軍司令官に宛てた公電は、日本政府が核搭載した揚陸艦の存在に気づいていたと言及する。「日本政府の申し出により、日本側が認識していることはオフレコ扱いとなった」という。非核三原則は表明された当初から形骸化していた。
6.岩国基地の部隊が1970年代に沖縄で核戦争に備えた訓練を重ねていたのは、当時のソ連や中国、北朝鮮など共産圏に対する抑止力強化のためだった。日本は唯一の戦争被爆国として非核三原則を国是とし、現実には安全保障を米国の核抑止力に頼り、核持ち込みの筋道を残し、時には黙認してきた。政策のねじれは約半世紀を経た今も変わらない。
(核任務も過去のことではない)
1.米軍の嘉手納基地(沖縄県)と三沢基地(青森県)では2009~2013年、核運用の支援システムに障害が生じる軽微な事故が少なくとも17件起きていたことが判明している。核爆弾も運搬できるトラックが走行中に故障したり、ミサイル発射装置の点検中に検査機器が壊れたりした。有事に核作戦を支える体制が残っていたことを示している。
2.中島教授は、米国が北大西洋条約機構(NATO)の欧州諸国に核を配備し、受け入れ国と共同運用する核共有制度へ英国が昨年6月に参加表明したことや、英国による核搭載可能なF-35A戦闘機の購入計画に注目する。複数の専門家は既に米軍が戦術核を英国へ搬入したとみる。
3.米軍は今年春、F-35Aを三沢基地に配備する予定だ。中島教授は、米軍が日本で核を運用する可能性は「現状では低い」と考える。だが高市政権が核持ち込みを容認すれば、岩国での任務実績は日本からの核出撃態勢のモデルケースになり得る。
4.中島教授は、有事に劣勢となった敵による核使用が差し迫れば、米軍は日本への核持ち込みを考えるとし「技術的に核搭載可能な機種を日本に配備するのは、その布石だろう」と指摘した。
(「核を持つべきだと思っている」と官邸筋のオフレコ発言)
1.現在、トランプ大統領も同盟国に安保で負担増を求めている。高市首相は防衛力強化に加え、非核三原則のうち核を「持ち込ませず」の見直しに前向きだ。
2.今回の衆院解散に当たり、高市首相は「国論を二分する」政策に挑戦すると意気込んだ。具体的な政策は明確ではないが、自民大勝が判明した2月8日夜、首相は民放番組で防衛政策をめぐり、持論である「非核三原則」の見直しを否定しなかった。
3.核保有論を巡っては昨年12月、安保政策を担当する官邸筋から、現実には難しいとの認識の上で「私は核を持つべきだと思っている」とのオフレコ発言が飛び出した。
4.日本の核武装は、米国の核抑止力では不十分とのメッセージにつながりかねず、核拡散防止条約(NPT)体制を否定することにもなる。米国務省は「日本は核不拡散や核軍備管理の国際的なリーダーであり、重要なパートナーだ」と警戒感をにじませた。
5.米国が提供する「核の傘」の政治的保証が損なわれれば、中国や北朝鮮が、米国は日本を助けないと誤算するリスクを招きかねない。日本が独自に核武装する場合は、敵の核攻撃に対し、被害を免れた核で報復する第二撃能力や、ミサイル防衛(MD)で迎撃し被害を抑える損害限定能力の構築などが課題となる。そもそも反核世論の強い日本が実際に核使用に踏み切ることができるのかとの問いもある。不使用を見透かされれば、核は張りぼてでしかない。
6.唯一の戦争被爆国・日本の核政策変更は、北朝鮮や中国のさらなる核軍拡や、核武装論が高まる韓国への「核ドミノ」を誘発する恐れがある。日本は核保有国のロシア、中国、北朝鮮に囲まれ、安保環境は厳しい。だが地域での緊張の高まりを理由に強硬論に突き進むのではなく、日米の役割や防衛戦略を広く国民に説明し、核戦争を回避するための冷静な議論を尽くす必要がある。(共同通信)
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1780711 参照 2026年2月24日)
(3)沖縄タイムス-宜野湾市大山のマンホールから白い泡 市職員が現場2カ所から採水、PFAS調査へ(中部報道部・垣花きらら、比嘉大熙)-2026年2月24日 13:07
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.【宜野湾】沖縄県宜野湾市大山の同市下水道施設課が管理する敷地内のマンホールで24日午前、白い泡の流出が確認された。同課の職員が現場のマンホール2カ所から採水しており、有機フッ素化合物(PFAS)調査を専門機関へ依頼する。
2.同課によると、マンホールは同課が管理する下水道関連施設内にあり、普天間飛行場からも排水が流れ込んでいる。午前9時過ぎに目撃者から連絡があり、職員が午前10時ごろに現場を確認したところ、白い泡の痕跡だけが残っていたという。周辺には住宅があるが、一般住民は立ち入らない場所だという。(中部報道部・垣花きらら、比嘉大熙)
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1781052 参照 2026年2月24日)
(4)琉球新報-デニー知事「米側に確認を」 普天間飛行場の返還条件 小泉防衛相の「日米に齟齬はない」発言に-2026年02月24日 10:21
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.沖縄県の米軍普天間飛行場の返還条件について小泉進次郎防衛相が「日米に齟齬(そご)はない」と発言したことについて、沖縄県の玉城デニー知事は24日、「米側に、合意事項を遵守するよう求めたいという発言が出てこないとおかしい」と述べ、米側への確認などをすべきとの認識を示した。記者団の質問に答えた。
2.小泉氏は、米国防総省が代替の長い滑走路が選定されなければ普天間飛行場は返還されないとの見解を示していることを受け、20日の記者会見で「特定公共施設利用法など必要な法的枠組みは既に整っている」と説明。その上で「普天間飛行場が返還されないなどということはない」との見解も示していた。
3.小泉氏の発言を受け、玉城知事は、必要に応じた飛行場能力の代替に関連する航空自衛隊新田原基地・築城基地の緊急時の使用のための施設整備、KC130給油機の岩国飛行場の本拠地化などの条件について「もう決まっている」と強調。「(小泉氏の発言は)ところどころ確認する必要がある」と前置きした上で、「齟齬がないとしても、それは取り決めましたよねっていうことは確認すべきだ」と話した。
4.玉城知事は、政府が「辺野古が唯一の解決策」と強調していることについても反論。「ヘリやオスプレイを乗せる船は佐世保にいる。ランデブー・ポイントを考えたら、沖縄に基地を造らなくても、日米同盟の必要性を認めている他の地域でもその可能性は十分にあると思う。 現に佐賀空港には自衛隊オスプレイが移った」と述べた。
(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-5065737.html 参照 2026年2月24日)
(5)琉球新報-飯塚事件で弁護団が特別抗告 再審認めなかった高裁決定に不服(共同通信)-2026年02月24日 17:15
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.福岡県飯塚市で1992年、小学1年の女児2人が殺害された「飯塚事件」で、死刑が確定、執行された久間三千年元死刑囚=執行時(70)=の弁護団は24日、第2次再審請求即時抗告を退けた福岡高裁決定を不服とし、最高裁に特別抗告した。この日が期限だった。
2.16日の高裁決定は、新証拠として提出された被害女児の目撃に関する男女2人の証言に関し「記憶が変容している可能性は否定できない」などとして、2024年の福岡地裁決定に続き信用性を否定した。
(https://ryukyushimpo.jp/kyodo/entry-5066868.html 参照 2026年2月24日)
by asyagi-df-2014
| 2026-02-25 06:23
| 沖縄から
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