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関東大震災における朝鮮人虐殺に、きちんと向き合うこと。(3)

 東京都の小池百合子知事は、関東大震災の直後に虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼する9月1日の式典に、9年連続で、追悼文を送らないことになった。

 しかし、一方で、埼玉県本庄市の吉田信解市長は、9月1日に市内で開かれる朝鮮人の慰霊追悼式に参列し、慰霊の言葉を述べている。

 このことについて、朝日新聞は2025年9月1日、「朝鮮人虐殺の追悼式、参列する市長の思い 『恐ろしいこと』見た祖母」(杉山あかり、北野隆一、田渕紫織)、と次のように報じている。

1.102年前に発生した関東大震災で、「朝鮮人が略奪や放火をした」といった流言飛語が広まり、多くの朝鮮人らが殺害される事件が各地で起きた。群馬県との県境に位置する埼玉県本庄市も、そのひとつだ。
2.もう二度と、同じ悲劇を起こしてはならない――。
3.吉田信解(しんげ)市長(57)はそんな思いから毎年、9月1日に市内で開かれる朝鮮人の慰霊追悼式に参列し、慰霊の言葉を述べている。
4.虐殺事件は、どのように起きたのか。
5.事件に関わった人らを裁いた裁判記録や本庄市史、吉田市長の説明によると、本庄市は当時、地震による被害は小さく、東京都内から多くの人が避難してきた。
6.その中には、朝鮮人ということで当時の本庄警察署に「保護」されたり、トラックで「移送」されてきたりした朝鮮人がいた。しかし、9月4日夜から5日未明にかけて、自警団などの群衆が朝鮮人を殺害。警察署内で虐殺された人数は、確認できただけで八十数人にのぼるという記録がある。
7.本庄市史では「凶器で叩(たた)く、殴る、蹴る、切るの残酷さは筆舌に尽くせぬものがあったという」と記されている。事件の遺体は、市役所の東側にある長峰墓地に埋葬されている。
(祖母 学校帰りに「子どもは来ないほうが」)
1.なぜ、虐殺事件が起きたのか。
2.吉田市長は「裁判記録によると、『所在不明の妹のことを思いだし、かたきを討つような心持ちで4、5人やっちまいました』という証言がある。あくまで推測だが、『朝鮮人は東京で俺たちの家族を殺してきて、何をするかわからない』という不確かな事実に基づく恐怖があったのではないか。当時はテレビもラジオもない。そのとき、その人にとってはそれが『真実』だったんだろう」と話す。
3.吉田市長の実家は寺で、代々住職を務める。幼いころから、同居していた祖母(2018年に死去)は「本当に恐ろしい出来事だった」と繰り返し話していたという。
4.祖母は当時、小学5年生だった。学校帰りに警察署に人だかりができていて、「子どもたちは来ないほうがいい」と言われた。数日後、こもをかぶせた遺体が大八車で長峰墓地に運ばれるのを見ていたという。
5.埼玉県内ではこれまで、県も積極的に関わって虐殺の大規模な調査を実施。犠牲者が多かった本庄市や熊谷市、上里町では市町長が自ら、地元で営まれる朝鮮人犠牲者の追悼行事に出席してきた。
6.吉田市長も小学生のころから、追悼式に参加。慰霊碑の横にある「塔婆」は、かつては住職だった祖父が書き、現在は吉田市長が書いているという。合併前の本庄市長に就任した2005年以降は、追悼式で慰霊の言葉を述べている。
7.一方で東京都では、虐殺の犠牲者を含む朝鮮人の追悼式典に歴代都知事が追悼文を送ってきたが、現職の小池百合子知事は9年連続で、追悼文を送らない考えを示している。
8.吉田市長は「よく東京都と比較され、見解を聞かれるが、都のことは私はわかりません」としつつ、「政治的な意図によって、事件がなかったとされたり、実際よりも誇張して伝えられたりという、両極端の流れがある。それは今後の教訓にはならないので、政治的に使わないで、と言い続けたい」と話す。
9.「それが、死者の尊厳を大事にすることにもつながる。寺では人種や民族に関係なく、死者を弔います」
10.日本で暮らす外国人が増えるなか、排外主義と指摘されるような主張が広がっていることについては、「制度的な不備もあると思う」。オーバーツーリズムや難民認定をめぐる課題を挙げ、「制度を整えないといけない」という。そのうえで、「ヘイトや差別は絶対に許さない。外国人労働力がなければ、いまの日本経済はもたない」と話す。
11.本庄市では以前から、市国際交流協会にブラジルやペルー、中国などのコミュニティーの代表者も入り、ゴミ出しのルールや相談窓口などを周知してもらっていたという。「ただし、こうしたコミュニティーも薄れつつある。お互いの顔が見えて話ができる関係は大切です」
12.関東大震災のときのような悲惨な事件を防ぐために、どうすればいいのか。改めて、聞いた。
13.「事件は混乱の中で、知らない人たちへの恐怖が起こしたものだと思う。今日でも起こりうることですが、あってはならない」
14.そして、こう続けた。
15.「もし首都直下地震などが起きたら、本庄市はまた、避難してきた人を受け入れる側になる可能性がある。どんな混乱やデマがあったとしても、うちの地域で絶対に同じ悲劇を起こしてはならないという思いで、慰霊し、追悼式を続けていきます」
(関東大震災発生時の朝鮮人虐殺)
1.1923年9月1日の関東大震災の発生後、混乱のなかで「朝鮮人が毒薬を井戸に投じた」「朝鮮人が放火した」などの流言が広がり、自警団や警察、軍によって朝鮮人が虐殺された。内閣府の中央防災会議の専門調査会がまとめた報告書によると、東京のほか埼玉など5県で発生。中国人や日本人も含む犠牲者数は「正確な数はつかめない」として、震災全体の死者10万人超の「1~数%にあたる」と記述。朝鮮人の犠牲者数を6600人超とする民間の調査結果も紹介している。
2.背景には、当時の朝鮮の植民地支配に対する抵抗運動への恐怖感や、民族的な差別意識もあったと指摘される。同報告書では「公式の記録で全貌(ぜんぼう)をたどることはできない」としている。
(https://digital.asahi.com/articles/AST8X4WVGT8XOXIE031M.html?pn=10&unlock=1#continuehere 参照)

 「もし首都直下地震などが起きたら、本庄市はまた、避難してきた人を受け入れる側になる可能性がある。どんな混乱やデマがあったとしても、うちの地域で絶対に同じ悲劇を起こしてはならないという思いで、慰霊し、追悼式を続けていきます」、との市長の声に、
繋がる。


by asyagi-df-2014 | 2025-09-30 19:05 | 人権・自由権 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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