「週刊新潮コラム 言論担う責任に向き合え」、と信濃毎日新聞。
2025年 09月 12日
公共の言論を支えるはずの出版社新潮社の使命を、信濃毎日新聞は問うた。
このことについて、信濃毎日新聞は2025年8月21日、「週刊新潮コラム 言論担う責任に向き合え」、と社説で論評した。
この社説で、この問題を捉える。
信濃毎日新聞は、最初に、新潮社に対して、「公共の言論を支える出版社が、差別と排外主義に加担した責任は極めて重い。経緯の検証も説明もなく、身をすくめてうやむやに済ましてはならない。」、と突きつけた。
どういうことは引き起こされたのか。
1.新潮社の雑誌「週刊新潮」が掲載した作家の高山正之氏のコラムだ。 2.7月31日号で高山氏は、朝鮮半島に出自を持つ作家や俳優らの個人名を挙げ、日本を批判するのは勝手だが「ならばせめて日本名を使うな」と書いた。よそ者は黙れ、と言っているに等しい。
3.しかも「創氏改名2・0」のタイトルを付け、かつて日本が植民地支配した朝鮮半島の人々に日本式の氏名を強制したことと結びつけた。差別意識をむき出しにした言葉の暴力である。
しかも、新潮社による今回の対応は次のものであった。
1.名指しされた作家の深沢潮さんは記者会見して抗議し、文書での謝罪と、反論の掲載を求めた。新潮社は同じ日のうちに「お詫(わ)び」をホームページに載せたが、コラムのどの記述が問題だったのかには全く言及していない。
2.出版社としての「力量不足」を挙げ、今後は執筆者に世論の変化や社会の要請を伝えていく、としたにとどまる。その後、深沢さん側に回答した書面でも、差別や人権侵害にあたるコラムを掲載する考えはなかったとし、体面を取り繕うような姿勢に終始した。
3.挙げ句、唐突な連載の打ち切りである。20年以上続いていた高山氏のコラムは、昨日発売された8月28日号が最終回となった。欄外に「高山氏と編集部で協議の結果」とだけ記され、コラム本文にもそれ以上の説明はない。
その上で、「これで幕引きを図ろうとするなら、あまりに誠実さを欠く。終わりにすれば文句はなかろう、と踏んだかのようだ。筆者である高山氏の責任はもとより、掲載した週刊新潮と新潮社の責任も、何も明確になっていない。」、と指摘する。
また、これまでの新潮社の対応について、「新潮社は2018年にも、月刊誌『新潮45』に、当時衆院議員だった杉田水脈氏の、性的少数者には『生産性がない』とする寄稿を掲載し、強い批判を受けて廃刊に至った経緯がある。このときも、何が問題だったのかを検証し、信頼を回復しようとする努力は見受けられなかった。」、と指摘する。
さらに、「少数者への差別は根深く社会にはびこる。先月の参院選では『日本人ファースト』『違法外国人ゼロ』といった表看板を掲げて、各党が排外主義を競い合うような状況さえ生まれている。」、と指摘する。
最後に、信濃毎日新聞は、次のことを示す。
「報道や出版を担うメディアのあり方が一層厳しく問われる。新潮社はその責任に向き合い、自ら姿勢を正さなくてはならない。」、と。
(https://www.shinmai.co.jp/news/article/CNTS2025082100204 参照)
by asyagi-df-2014
| 2025-09-12 19:48
| 人権・自由権
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