沖縄-辺野古-高江から-2025年3月12日
2025年 03月 12日
東日本大震災から14年となった。
つまり、「3.11」が14年目を迎えた。
沖縄タイムスは、「3.11」からの声を伝える。
「あの日を決して忘れない」
「つらい思いは変わらない」
「ここに来ると母の元気な姿や笑顔を思い出す。今年で最後なのは残念」
「荒浜は小学生の頃に毎年家族で海水浴に来た思い出の場所。気持ちの整理がつかず怖かったけど、ママはこんなところに住んでいたと伝えたくて」
「あっという間の14年だった。当時のことは鮮明に覚えているし、決して忘れない」
「思い切り漁をできないのは悔しい」
「何かのアクシデントで漏れ出したらどうしよう」
沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
何よりも、自らが沖縄から受け取るものを明確にするために。それは、捉え直しとして。
2025年度も、改めて琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
(1)沖縄タイムス-「あの日を決して忘れない」東日本大震災きょう14年-2025年3月11日 5:33-[東日本大震災14年]
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.関連死を含め2万2千人以上の犠牲者が出た東日本大震災は11日、発生から14年となった。地震発生時刻の午後2時46分、各地で犠牲者を追悼。石破茂首相は福島県主催の追悼式に出席する。被災地では10日、帰らぬ家族や同僚に心を寄せる人たちの姿があり、住民は「あの日を決して忘れない」と誓った。
2.町職員ら43人が犠牲になった宮城県南三陸町の震災遺構・旧防災対策庁舎。犠牲者を慰霊し、教訓を後世に伝えるため初めて夜の照明がともり、庁舎は柔らかい光に包まれた。
3.「つらい思いは変わらない」。元職員の西城良子さん(68)はここで多くの同僚を失った。「年月を重ねて、少しでもつらさが薄れてくれれば」。追悼行事では、亡き人らに宛てた町民からの手紙も朗読された。
4.宮城県岩沼市の「千年希望の丘」では、慰霊碑の前に市内の犠牲者数と同じ181個の灯籠が並んだ。参加者の減少から、今年で最後の開催。津波で当時90代の母を亡くした曽我よねさん(86)は「ここに来ると母の元気な姿や笑顔を思い出す。今年で最後なのは残念」と話した。
5.4階建て校舎の2階に津波が押し寄せた震災遺構・荒浜小(仙台市)。沿岸部の家が全壊した同市の会社員佐々木舞さん(31)は、昨年5月に生まれた息子の蒼大(そうた)ちゃんと初めて訪れた。「荒浜は小学生の頃に毎年家族で海水浴に来た思い出の場所。気持ちの整理がつかず怖かったけど、ママはこんなところに住んでいたと伝えたくて」とほほ笑んだ。
6.「あっという間の14年だった。当時のことは鮮明に覚えているし、決して忘れない」。東京電力福島第1原発から北約45キロにある福島県相馬市の松川浦漁港で、漁師の立谷義則さん(60)は淡々と振り返った。
7.津波で壊滅的な被害に遭い、一時は漁の全面自粛に追い込まれるなど原発事故に翻弄(ほんろう)された。「思い切り漁をできないのは悔しい」。それでも海と共に生きると決めた。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1541516 参照 2025年3月11日)
(2)沖縄タイムス-東日本大震災で生活一変、教訓をつなぐ 原発事故避難の長谷川さん、北部豪雨支援でも痛感「日頃から最大限の対策を」(社会部・玉城日向子)-2025年3月11日 4:00-[東日本大震災14年]
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.茨城県神栖(かみす)市で東日本大震災を経験した長谷川牧子さん(50)は、福島第1原発の事故後、実家のある佐賀県などを経て、沖縄市へ移住した。生活が急変した大震災から14年。昨年の本島北部豪雨ではボランティアに取り組み「いつまた災害が起きるか分からない。できることから備えてほしい」と訴える。(社会部・玉城日向子)
2.2011年3月11日。車を運転中、激震に襲われた。アスファルトが波打ち、マンホールからは水が勢いよくあふれていた。「ただごとではない」。長距離移動が必要になると予感し、急いでガソリンスタンドへ寄り、小学生の子どもを迎えて帰宅した。
3.停電で、テレビやネットは通じない。ラジオでは、福島第1原発のニュースが流れていた。職場の事務所に家族で避難し、窓は粘着テープで目張りした。
4.原発からは直線距離で約200キロ。「何かのアクシデントで漏れ出したらどうしよう」。目に見えず、においもない放射線への恐怖から、車に最低限の衣服と食料を詰め、5人の子どもたちと佐賀の実家へ1日半をかけて向かった。
5.水下痢が始まったのはその2、3日後だ。子どもの足には紫色のあざや爪に黒い線が出た。昔「はだしのゲン」で読んだ被爆の症状に似ていると感じた。
6.佐賀で役場の臨時職員などとして働いたが、県内の玄海原発に不安を感じ12年4月、さらに南の沖縄へ。国頭村安田などで約3年半過ごし、16年から沖縄市に住む。
7.夫とは避難への考え方の違いが決定打となり離婚。自主避難のため、政府からの支援はほとんどなく、時には生活保護も受けながら懸命に働いて、子どもたちを育て上げた。
8.「お世話になった沖縄で、自分も何かできることがあるかも」
9.そう思ったのは、昨年11月の本島北部豪雨の時だ。発生から約1週間後、ジューシーを炊飯器に詰めて被災地へ駆け付けた。
10.役場職員に「個人でできることはない」と支援を断られたが、家に帰れない被災住民に温かい食事が行き届いているようには見えなかった。自主的に公民館を借りて、15人ほどに料理を振る舞った。
11.災害などの緊急事態では、埋もれた支援ニーズをくみ取る行政の役割に加え、困ったことがあれば一人で抱え込まず助けを求める力が大切と実感する。「災害は日常生活も人間関係も一変させる。日頃から最大限の対策を練り、影響を最小限に抑えることが重要だと思う」と語った。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1541542 参照 2025年3月11日)
(3)琉球新報-東日本大震災14年 被災地の再生へ奔走した2年、「気を使いすぎない」寄り添い 沖縄(前森智香子)-2025年03月11日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.津波で家を失った市民の気持ちをくみ取ろうと努め、地域コミュニティーの再生を願って奔走した2年間だった。
2.糸満市職員の玉城達也さん(43)は2013~14年度にかけ、東日本大震災で大きな被害に遭った宮城県塩釜市に派遣された。被災した市民向けの、災害公営住宅に関する業務に従事。妻が宮城県出身で「震災前から何度も訪れていた思い入れのある県」で復興に携わった。
3.2011年3月11日、玉城さん夫妻は糸満市で妻の実家に電話をかけ続けていた。妻は宮城県涌谷町出身。なかなかつながらず2、3日後に無事を確認し、胸をなで下ろした。
4.よく利用していた仙台空港が津波に襲われる様子など、流れてくる映像は衝撃的なものばかり。自治労からのボランティア募集に応じ、11年7月に宮城県石巻市に入った。戦争が起きたかのような、壊滅的な状態にショックを受けた。避難所の運営に当たり、住民たちと寝食を共にした。
5.その後、糸満市でも被災地派遣の募集があった。看護師の妻も東北での勤務を望み、玉城さんは13年4月から塩釜市で勤務した。配属は定住促進課。家を失った市民に、生活再建の基礎となる家をどうするか、意向を確認して災害公営住宅を整備する役目だった。宮城県によると、13年4月末時点で塩釜市内7カ所のプレハブ仮設住宅に427人、市内の民間借り上げ住宅には1090人が暮らしていた。
6.阪神淡路大震災では災害公営住宅の入居で震災前のコミュニティーが分断されるケースや、孤独死が相次ぐなどの課題が指摘されていた。塩釜市では対象となる約1100世帯にアンケートを実施するなどし、入居の在り方を検討した。
7.心がけたのは「気を使いすぎないこと」。石巻でボランティアをした際は、どう声をかけていいか分からなかった。塩釜では市民と自然に接するようにした。説明会などで何度も仮設住宅に足を運ぶうち、市民から名前を呼ばれるように。津波で家族を亡くしたと打ち明けられた時は、静かに受け止めた。
8.当初は1年の任期だったが1年延長した。市内約400戸の整備計画のうち、14年2月には戸建てタイプの災害公営住宅の入居が始まった。「入居時の市民の方の喜びように接することができたし、コミュニケーションもよく取れた。派遣中、当時の市長や職員の方に温かくしてもらった。個人的にも本当にいい経験だった」と振り返る。
9.玉城さんと現在も連絡を取り合っている塩釜市職員の小笠原善雄さん(52)は「災害公営への入居に向けて、まっさらな状態から一緒につくりあげてくれた仲間。交流を続けてくれて非常にありがたい」と話した。
10.現在は糸満市秘書防災課で防災係長を務める玉城さん。沖縄でも災害が増え、役所内の防災意識も高まっているように感じる。育児やコロナ禍で長らく塩釜を訪れられていないが、いまの様子が気になっている。「整備を終えてどうなっているか、見に行ってみたい」。再生したまちの姿を思い描いた。(前森智香子)
(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-4040409.html 参照 2025年3月11日)
(4)琉球新報-原発30キロ圏の市町村、避難計画「見直し必要」62% 道路寸断を想定せず24% 東日本大震災きょう14年(共同通信)-2025年03月11日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.廃炉や建設中を除く全国15原発の半径30キロ圏内で、原発事故時の避難計画を策定した116市町村の62%(72自治体)が、昨年1月の能登半島地震による道路や建物の被害を踏まえ、避難計画見直しの必要性を感じていることが10日、共同通信のアンケートで分かった。また、24%(28自治体)が現行計画で避難道路の寸断を想定していないことも判明した。
2.東日本大震災から11日で14年。発生直後の過酷な避難で多くの高齢者らが亡くなった東京電力福島第1原発事故を教訓とした国の指針にのっとり、市町村は避難計画を作っているが、新たな自然災害に直面し実効性への懸念が高まったことが浮き彫りになった。
3.アンケートは今年1~3月、原発30キロ圏にかかる122市町村を対象に実施。計画が完成していない茨城県内6市町を含む全自治体が回答した。
4.能登半島地震では、北陸電力志賀原発(石川県)で事故が起きた場合の避難道路が寸断し、屋内退避先となる建物の損壊も相次いだ。こうした状況を受け、避難計画見直しの要否を尋ねた。
5.「必要だ」は、能登半島の石川県輪島市、志賀町、穴水町を含む28自治体(24%)。「どちらかといえば必要だ」は44自治体(38%)だった。これら計72自治体のうち47が計画を改定・修正する予定があるとした。穴水町は「道路寸断を想定し、空路や海路を活用する計画が要る」と述べた。また、2025年度中の避難計画完成を目指す茨城県茨城町は「能登の被害を踏まえた内容を検討する」としている。
6.一方で28自治体が「どちらかといえば必要ない」。13自治体は「必要ない」と回答。「東日本大震災を教訓に、複合災害を想定して策定したため」(宮城県女川町)などの理由が挙がった。
(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-4040376.html 参照 2025年3月11日)
(5)沖縄タイムス-沖縄の基地負担軽減や振興策の記述なし 自民2025年運動方針 県関係議員からいぶかしむ声も(東京報道部・山城響)-2025年3月11日 4:00
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.【東京】自民党は9日、東京都内のホテルで第92回党大会を開いた。2025年運動方針を採択したが、沖縄の基地負担軽減や振興策が盛り込まれなかった。前首相の岸田文雄総裁時代は計3回の大会で毎年記述されており、県連幹部や県関係国会議員は「沖縄政策の転換を示すわけではない」と冷静に受け止めつつ、関心の低下や政策変更の現れではないかいぶかしむ声もある。(東京報道部・山城響)
2.運動方針案起草委員長は党沖縄振興調査会会長の小渕優子衆院議員。大会で方針案を説明したが、沖縄に特化した発言はなかった。
3.石破茂首相も総裁演説で戦後80年の節目を迎える思いを語ったが、沖縄戦には触れていない。
4.県連によると、これまでは沖縄に関わる内容について事前調整があったが、今回はなかったという。座波一幹事長は「特段の意味があるのか確認したい」との考えを示した。
5.党関係者の一人は「重要な書き換えなら入念な根回しがある」と指摘し、政策変更との見方を否定する。県連幹部も「沖縄振興の重要性は与党の共通認識。強いて記す必要はないとも言える」と語った。
6.「ごっそり抜けるのは異様だ」と警戒するのは自民党の県関係国会議員。「政権与党としてあらゆる場面で訴えるのは当然。『抜け』に気付き、指摘する側近がいなかったのか。沖縄の選挙で勝利が続き、危機感が薄れていないか」と問題視する。
7.2月の日米首脳共同声明では、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設計画を巡り、これまで用いられてきた「辺野古唯一」が盛り込まれなかった。ある県関係野党国会議員は「政権与党の政策に変化がないか、追及していく必要がある」と指摘した。
8.党大会では参院選の党公認候補の紹介もあった。立候補を予定する沖縄選挙区の奥間亮氏と、比例代表で現職の比嘉奈津美氏が必勝を誓った。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1541498 参照 2025年3月11日)
(6)沖縄タイムス-政府備蓄米の放出へ初回入札を開始 15万トン、大手業者参加-2025年3月11日 5:38
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.農林水産省は10日、政府備蓄米の放出に向けた初回入札を開始した。計15万トンを産地や品種などで分類し、それぞれ高値を付けた参加業者から順に落札する仕組み。全国農業協同組合連合会(JA全農)など大手集荷業者が参加したと表明しており、落札価格や十分な量が引き渡されるかどうかが焦点となる。落札されなかった分は、12日までに再び入札にかける。
2.停滞しているコメ流通の回復を目的とした放出は初めて。主要な流通経路を担うJA全農にコメが供給されれば、停滞が解消する可能性がある。コメの年間需要量は670万トンほどで、備蓄米15万トンは約2・2%に相当する。今回全量が落札されれば、1週間余りの需要を補うコメが放出されることとなる。
3.宇都宮大の小川真如助教(農業経済学)は「備蓄米がスーパーなどにうまく流通すれば、5キロ当たり3400円程度に落ち着くのではないか」と話した。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1541518 参照 2025年3月11日)
(7)琉球新報-宮古島・平良港の特定利用、市長が受け入れ方針 3月中旬、国に伝達へ 沖縄(友寄開)-2025年03月11日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.有事の際の自衛隊や海上保安庁による利用円滑化を前提に、国が指定した空港や港湾を優先的に整備する「特定利用空港・港湾」を巡り、嘉数登宮古島市長は10日、市役所で市議を対象に説明会を開き、平良港の特定利用指定を受け入れる方針を示した。3月中旬に意向を国に伝えるという。
2.特定利用の受け入れを巡り、嘉数市長は1月の市長選で「国と意見交換した内容を市議や市民に提供し、島全体で判断していく」と公約していた。一方、今月3日には「住民の代表が議員なので、議員と意見交換することは市民に情報提供した形になる」と報道陣に答えた。一連の対応に、一部市議から「選挙前後で言っていることが違う」「住民に丁寧な説明をするべきだ」などと批判の声が上がっている。
3.説明会は非公開。市は3日に市役所で面談した国の関係者に確認した内容を説明。自衛隊や海上保安庁の優先利用のためではないことなどを伝えた。
4.説明会後、嘉数市長は取材に対して「2023年度から説明や意見交換、情報提供を受けてきた」「市として確認事項の確認を取れたというような判断をしている」と述べた。市の意向を国に伝える時期について、17日から始まる市議会の一般質問の前になる可能性もあるとした。(友寄開)
(https://ryukyushimpo.jp/news/politics/entry-4040375.html 参照 2025年3月11日)
(8)琉球新報-震災後と戦後は「似た無力感」 広めたい「悲しんでいい」文化<福島から 東日本大震災14年>下(宮沢之祐)-2025年03月11日 05:00
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.あなたが生きていてよかった。ここに来てくれてうれしい―。精神科医の蟻塚亮二さん(78)は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しむ患者に、そんな言葉をかけてきた。2013年に診療の場は沖縄から福島へ。沖縄で、戦争のトラウマ(心的外傷)が歳月を経てPTSDを発症させることを見いだした。その診察経験が東日本大震災の被災者の治療に役立っている。
2.「過去のつらい記憶が時を飛び越え、今の生活に侵入してくるのがPTSD。60代や70代で仕事を辞めた後、眠れなくなったと訴える人たちは沖縄戦で死体を踏んで逃げたり、妹が機銃掃射で無残に殺されたりしていた。トラウマ刺激で目が覚める場合、睡眠導入剤が効かない。刺激そのものを治す必要がある」
3.福島県南相馬市のクリニックには、津波や原発事故で家族や家を失い、沖縄と同じ症状の患者がたくさんいた。トラウマは個人だけでなく社会に影響を与え、世代を超えて伝わる。そうした文化的トラウマを蟻塚さんは心配する。
4.「相馬の塾の先生から『震災後、生徒が難関大学にチャレンジしなくなった』と聞いた。戦争や災害や虐待を経験すると何事も『どうせ』と諦めるようになる。その方が傷つかないから。震災後の無力感と、戦後の無力感は似ている。沖縄もそうした否定的認知が文化になっていないか」
5.蟻塚さんは9年前、浦添市での「フォーラム3・11 今できること」で「心の傷は回復していない。福島はもっと悲しんでいい、と寄り添うことが大切だ」と語った。今も十分に悲しめないままだという。沖縄と福島の違いを踏まえ、こんなふうに説明する。
6.「沖縄では米兵による凶悪事件をみんなが悲しむ。『ちむぐりさ』という言葉は、痛みの主体と客体が分かれていない。人は人とつながっていると思えたら泣くことができる。県民集会のような人間への信頼と結びついた語る場が、トラウマを乗り越える力になる。でも、福島では沖縄ほどに話せない。児童虐待や離婚、若者の自殺が震災後に増えている」
6.「だから」と、蟻塚さんは新しい未来を描く。「悲しい時は悲しんでいい。泣いていい。そういう文化を広めたい」。今年で5年目になる語りの場「おらも、しゃべってみっか」も、その試みの一つだ。
7.「震災や原発事故、その後の記憶を語り合う。震災発生時に子どもだった若者は、親が悲しむから『つらい』と言えなかったと話した。本音をさらけ出せる場にしたい。今、生きていることを肯定できると、トラウマは過去形になる」(宮沢之祐)
(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-4040419.html 参照 2025年3月11日)
(9)琉球新報-【東日本大震災14年】備えよう身近な災害-2025年3月11日 10:32
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.2万2千人以上が犠牲になった東日本大震災の発生から11日で14年となった。海に囲まれた沖縄は過去に「明和の大津波」で1万2千人以上が犠牲になるなど津波の危険と隣り合わせだ。一方、台風に加え、近年ではゲリラ豪雨による水害も発生しており、災害は身近に迫る。沖縄の災害の歴史を振り返りながら、避難の注意点を確認し、災害への備えについて考える。
(事前の準備で弱者を支援)
1.災害時、高齢者や乳幼児は自力避難が難しく支援が必要だ。子ども、女性、高齢者が避難する際に注意するポイントや必要な事前の備えを、2児の母でもある防災士の平田千春さんに聞いた。
(こども リュックに必要品を)
1.リュックを自分で背負うようになる頃が「防災教育の始まり」。リュックには、おむつや着替えのほか、おもちゃや折り紙、お菓子など避難所で心が落ち着くものを入れることを勧める。小学生はランドセルを頭に載せてかがむ「だんごむし」ポーズの練習もしてほしい。
(女性 生理用品をストック)
1.避難生活中に香りでリラックスできるハンドクリームの携行を勧める。アロマは香りが周囲に広がるので要注意。化粧品などの試供品や生理用品も「ローリングストック」し、日頃から使用しながら備えること。ロングスカートがあると災害時のトイレ対策にもなる。
(高齢者 薬と一緒に入れ歯も)
1.入れ歯を忘れて食事ができず、結果薬が飲めない状況に直面した事例がある。命の危機にもつながるので、常用している薬などと一緒に忘れずに持っていきたい。認知症の家族がいたら、名前や住所を書いた紙などを財布やかばんに入れて携行することも大切。
(実は地震が多い沖縄 5年で震度1以上464回)
1.沖縄気象台によると、日本周辺は海溝に沿って地震活動が活発なため、世界の地震の約10%が日本周辺で発生している。沖縄周辺は、南西諸島の東から南にかけてある南西諸島海溝に沿って地震活動が活発だ。
2.昨年、沖縄周辺で観測した地震は約1万3500回に上る。県内では震度1以上の地震を57回観測し、全国で28番目に多い。2020~24年の5年間では、県内で震度1以上の地震を464回観測し、全国で15番目の多さだった。
3.日本最大クラスの津波といわれるのは、1771年に石垣島南東沖で発生した八重山地震津波(明和の大津波)。石垣島で約30メートル、宮古島で約20メートルの津波に襲われ、約1万2千人以上が犠牲になった。気象庁によると、被害が大きかった石垣島は島の面積の約40%が波にさらわれ、沿岸の集落では死亡率が8割を超えた。
4.1960年にチリ沖で発生したチリ地震津波では、沖縄まで数回にわたって津波が押し寄せ、名護市真喜屋で3人が亡くなった。
(沖縄に津波 最短50分弱 南海トラフ地震最大3~5メートル)
1.30年以内に発生する確率が約80%と言われる南海トラフ地震。気象庁は、県内に津波が最短50分弱で到達すると予測している。津波の高さは最大3~5メートルになる見通し。
2.南海トラフ地震は、静岡県の駿河湾から宮崎県の日向灘沖に至るプレート境界を震源域として、およそ100~150年間隔で繰り返されてきた大規模地震。
3.前回から約80年が経過し、次の切迫性が指摘されている。最悪の想定では死者、行方不明者が約32万3千人、家屋の全壊、焼失が約238万6千棟に上る。
4.発生すれば、県内にも大津波警報や津波警報が発表される可能性がある。県内の予想震度は3~4程度で、津波の予想到達時刻は南大東島地方で50分弱、沖縄本島北部で約1時間、宮古島地方で約1時間半、石垣島地方で約1時間40分となっている。
([防災士からアドバイス]):津波警報は「垂直避難」 平田千春さん(FMとよみアナウンサー)
1.FMとよみアナウンサーで防災士の平田千春さんは、津波警報が出た際は高いところに上がる「垂直避難」を徹底するよう呼びかける。日頃から自宅や通学路、職場の近くの津波避難ビルを確認しておくことが重要だと指摘する。また、避難ビルが近くになければ周辺の高台や高層の建物への避難が必要だと強調。避難者だけでなく、事業者や高層の建物に住んでいる住民も「地域の人が避難してくることを普段から想定することも大切」と説明する。
2.自宅では地震に備え、物が落ちてこない「セーフティーゾーン」を各部屋に確保することを提案する。暗闇での避難を想定し「自宅内では常に安全な避難導線を確保すること」と説く。
3.防災用の保存食や衛生用品などは使いながら買い足していく「ローリングストック」を勧める。「避難生活を考えると実際に食べておいしいと思うものを備えることも重要」と話す。
(台風時の外出は避けて ジョバンニさん(FMやんばる社長))
1.FMやんばる社長で防災士の資格も持つジョバンニこと新城拓馬さんは「台風や豪雨時には外出は極力避けてほしい」と強調する。冠水の恐れがある地域などでは事前の避難も必要だ。「無理せず、早めの避難を」と呼びかけた。
2.飛来物の危険があるため「カーテンを閉め窓には近づかないように」と語る。窓は開けずに冠水が迫っていないかの確認も都度、行うべきだという。
3.線状降水帯の発生など豪雨は予測しづらい。「日頃からの備えが重要だ」と指摘する。防災バッグは必要なものを家庭で話し合い、必ず用意してほしい。特に簡易トイレや4、5日分の水と食料を備蓄しておくと良い。インターネットでは必需品が完備されているバッグが手に入る。
4.断水の恐れもある。事前にアパートの管理会社などに聞くほか、浴槽などで水をためるよう求めた。
(水圧でドアが開かない 地震と水害 記者が体験)
1.災害の危険性と備えの大切さについて学ぼうと、名護市防災研修センターで5日、本紙記者が地震と水害を体験した。
2.地震体験の震度は3~4。テレビで緊急地震速報が流れ、急いで机の下に潜り込む。揺れが収まるのをじっと待ちながら、自宅ならキャスター付きのいすや棚が暴れ動く光景が浮かぶ。揺れは20秒だったが感覚では1分ほど。現実なら余震や本震が続く恐れもある。「このあと津波から逃げなければいけないのか」と思うと気が重くなった。
3.また津波や集中豪雨で建物周囲の水かさが増すと、水圧でドアが開かなくなる。水深10センチで4キロ、30センチで36キロ、50センチで100キロを動かす力が必要になる。
4.水害体験で10センチはなんとか開けられたが、30センチは体全体で押しても数センチしか開かず息が上がった。50センチではドアはびくともしなかった。
5.実際には開いたドアの隙間から水が勢いよく流れ込み、足をすくわれる危険が伴う。津波が街を飲み込む東日本大震災の映像を思い出し、手足に力が入らなくなった。
6.災害はある日突然にして私たちを襲い、住み慣れた街を「被災地」にしてしまう。行政も被災する可能性があり「公助」も万全ではない。自分自身の身を守る「自助」と、地域やコミュニティーで助け合う「共助」の意識を高めることが一人一人に必要だ。もう二度と、災害で大切な命を失わないために。
(防災バッグの中身チェック):防災バックの中身
□安全な避難場所・避難経路などを確認
□プロパンガスのボンベを固定、転倒を防ぐ
□家族との連絡手段を決めておく
□漏電遮断器や感震ブレーカーなどを設置
□窓ガラスの飛散防止対策をする
(地震への備え)
□安全な避難場所・避難経路などを確認
□プロパンガスのボンベを固定、転倒を防ぐ
□家族との連絡手段を決めておく
□漏電遮断器や感震ブレーカーなどを設置
□窓ガラスの飛散防止対策をする
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1541347 参照 2025年3月11日)
by asyagi-df-2014
| 2025-03-12 06:33
| 沖縄から
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