沖縄-辺野古-高江から-2024年6月30日
2024年 07月 01日
日本の「新しい戦前」に抗うために何が必要なのかを、示してくれる。
「『沖縄に残っているアリランを探しに来ました』。眼鏡をかけた青年は、きらきらした瞳でそう語った。韓国の公共放送KBSのリスンチョル記者だ朝鮮半島から日本国内に『軍夫』や『慰安婦』として強制連行された人たちは沖縄にもいた。彼らが作業や洗濯の際歌った民謡アリランは地域で歌い継がれ、座間味村阿嘉島では『アリラン峠』のような地名に形を変え伝承されてもいる。その痕跡を今月、県内各地で10日間かけ映像に収めた。」、と沖縄タイムス。また、「取材旅行の後半訪れたのは本部町健堅。1945年1月の攻撃で亡くなった旧日本軍の輸送船「彦山丸」の乗員ら14人が埋葬されたとされる場所だ。このうち少なくとも2人は朝鮮半島出身者と確認された。地域の有志が花壇を作り管理している。リ記者を案内して8カ所回った三線奏者の桑江優稀乃さんはこの花壇の前で『月桃の花』『涙(なだ)そうそう』など5曲を演奏した。最後はアリラン。『悲しい時だけでなく、恋しい、懐かしいなど心が動かされた時に歌う曲だと聞きました』と話す桑江さん。戦禍と絶望、肉親への思い、望郷。三線の音色と相まって、カメラのファインダー越しに聴く筆者も胸が詰まった。」(沖縄タイムス)、とも。
ただ、沖縄タイムスは2024年6月60日の沖縄の一断面を、「1959年6月30日。石川市(現うるま市)の宮森小学校校舎に飛行訓練中の米軍嘉手納基地所属F100D戦闘機が激突。児童を含む18人が死亡、210人が重軽傷を負った。」(沖縄タイムス)、と「石川・宮森米軍ジェット機墜落事故」から65年目の朝の様子を伝え、あわせて、「3人の米兵が少女を暴行した1995年から2024年までの29年間に沖縄県内で発生した米兵による性的暴行事件で、県警が逮捕や書類送検した30件のうち、公表していない事件が少なくとも半数の15件に上る可能性があることが本紙のまとめで分かった。」、と伝える。
沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
何よりも、自らが沖縄から受け取るものを明確にするために。それは、捉え直しとして。
2024年度も、改めて琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
(1)沖縄タイムス-全身黒焦げの児童 我が子を探す母 18人が死亡した米軍機の小学校墜落事故 校長「子供を生かして返せ」 息子の記憶に残る父「げっそりして老けた」(中部報道部・又吉朝香)-2024年6月30日 5:10-[惨劇忘れまい 米軍ジェット機墜落65年]〈1〉
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.「ああ この惨劇 ゆきて帰らぬ子どもたち どんなことをしても子どもたちの生命は永久にかえらない」
2.1959年6月30日。石川市(現うるま市)の宮森小学校校舎に飛行訓練中の米軍嘉手納基地所属F100D戦闘機が激突。児童を含む18人が死亡、210人が重軽傷を負った。
3.当時校長だった仲嶺盛文さん(享年74)がつけていた備忘録には、校舎などの被害状況を詳細に記したメモの余白にそう走り書きがしてあった。
4.備忘録には「11人の子供を生かして返せ」という怒りに駆られたような記述や、「我らはおとなしく引き下がらない」と自身を奮い立たせるような言葉も記されていた。
5.仲嶺さんは犠牲者の補償金を巡る米軍との交渉にも当たった。補償は、双方が協議して決めるのではなく、米軍が一方的に査定した金額を提示したもので、交渉は難航を極めた。
6.寡黙だった盛文さんは生前、家族に事故の話はあまりしなかった。書斎にこもり、児童の様子や学校復興に向けての記録を書き続けた。
7.「父は事故後、げっそりして老けた。2週間で5キロ痩せた。校長としての責任を感じていたのだろう」。長男の盛一さん(74)は父が残した記録を手にそう振り返った。
8.盛一さんら兄弟3人も事故現場に居合わせた。盛一さんは宮森小4年生、次男の時雄さん(72)は1年生で、三男の文雄さん(69)は4歳だった。家族は校内にある校長公舎に住んでいた。
9.盛一さんは、石川に多く植えられていたフクギの木が燃え、火柱が高く上がるのを見た。火の雨が降っていた。身の危険を感じ、校舎に逃げ込んだ。機体のエンジンがゴロゴロ転がって校舎を突っ切る。腕の骨が見えるほどけがをした同級生がいた。
10.時雄さんは中庭で遊んでいた。「ドンッ」というごう音を聞いて身の危険を感じ、校外に飛び出した。様子が気になり引き返すと、男の子が全身真っ黒に焦げていた。髪の毛はチリチリに焼け、両腕には血があふれていた。服は切れ端が所々に残るだけで、ほとんど裸の状態だった。「お母さん、お母さん」。そう叫びながら歩き、しばらくすると倒れて死んだ。その光景は今でも脳裏に焼き付いている。
11.文雄さんは自宅にいた。学校が騒々しいと外に出てみると、心配そうな顔をして児童を探す母親や全身真っ黒に焦げた人が苦しそうに歩いていた。
12.事故から65年。県内では自衛隊の「南西シフト」で駐屯地の新設、組織の再編・増強が進む。計画は断念されたものの、墜落事故が起きた石川で、夜間戦闘やヘリの離着陸訓練が想定された陸自訓練場設置計画が浮上した。
13.「宮森の事故を忘れたのか。こんな計画を立てるなんてあり得ない」。盛一さんは語気を強める。時雄さんは数年前まで思い出すとつらい事故の話は避けてきた。「繰り返さないために何度でも思い返す。伝えることで平和の大切さを追求する」。そう思い直した。事故で亡くなった児童のために奮闘した父の思いを背負い、兄弟は経験を伝える決意を新たにしている。(中部報道部・又吉朝香)
14.石川・宮森米軍ジェット墜落事故から30日で65年。被害に遭った当事者や継承に取り組む関係者から話を聞き、平和について考える。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1387873 参照 2024年6月30日)
(2)沖縄タイムス-舞う火の粉や木片、パンツのひもだけが残り真っ黒になった児童 宮森小学校の惨状、今こそ語る 沖縄(中部報道部・又吉朝香)-2023年6月29日 8:42-[記憶次世代へ 石川・宮森米軍機墜落64年](上)
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.思い出すと苦しくて、事故の話は避けてきた-。1959年6月30日、米軍のジェット機が宮森小学校に墜落した事故で、当時12歳だった仲程サネコさん(76)=うるま市=は同級生3人を亡くした。地元で事故を後世に語り継ぐ取り組みが進む中、一度は証言の依頼を断ったが、「苦しいのは皆同じ。今しか語り継げない」と重い口を開いた。
2.バンッ。ちょうどミルク給食の時間だった。おかわりする児童もいたが、仲程さんはミルクを飲み終え友達とお手玉で遊んでいた。突然、頭上から大きな音が聞こえた。「戦争が始まったのか」「弟と妹は大丈夫だろうか」。不安と恐怖が押し寄せた。
3.慌てて教室から廊下に出ると、火の粉や木片が舞っていた。「戦争だ、戦争だ」。あちこちから叫び声が響く。窓ガラスの破片が散らばる廊下を走って中庭に出た。
4.今でも目に焼き付いて離れない光景がある。服は全て焼けていて、パンツのひもだけが残り真っ黒になっている喜屋武玲子さん(当時2年生)が中庭でポツンと立ちすくむ姿だ。後に亡くなったと知った。他にも、両腕から肉が飛び出している友達を見た。「ショックでそれから後の記憶がない」
5.学校には当時3年生の妹と1年生の弟もいた。心配で走って捜したが、どうやって家に帰ったのか記憶がない。全員無事だった。妹と弟に当時のことを聞くと、仲程さんが2人を捜し3人で家に帰ったという。
6.戦後78年。沖縄にはいまだ米軍基地が横たわる。地元のうるま市では、本年度をめどに陸上自衛隊勝連分屯地で地対艦ミサイル部隊が配備される方針だ。
7.今でも頭上で米軍ヘリの騒音が聞こえると「不安で押しつぶされそうになる」とこぼす。それでも、家族にも友達にも話せなかった記憶を次世代につなぐ。
8.「今も事故当時の状況と変わりがない。平和はいつ訪れるのか」。米軍ヘリが墜落する危険がないような平和な未来を願っている。
9.石川市(現うるま市)の住宅街と宮森小学校に米軍のジェット機が墜落した事故から30日で64年。児童を含む18人が犠牲になった。事故の悲惨さから、地元では話題を避ける傾向も強い。だが、体験者の高齢化が進む中、記憶継承への機運が高まり、新たに証言する人も出てきた。(中部報道部・又吉朝香)
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1178076 参照 2024年6月30日)
(3)沖縄タイムス-無人の米軍戦闘機が集落に パイロットは脱出 校舎や民家が炎上、児童を含む18人が犠牲に【宮森小墜落から65年・写真と図解で振り返る】(中部報道部・又吉朝香)-2024年6月29日 10:07
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.飛行訓練中だった米軍嘉手納基地所属のF100D戦闘機が沖縄の石川市(現うるま市)に墜落した「石川・宮森米軍ジェット機墜落事故」は、30日で65年となる。沖縄タイムスが撮影した当時の写真の他、「石川・宮森630会」が発刊した資料集などから事故の様子、被害をまとめた。(中部報道部・又吉朝香)
2.墜落事故は1959年6月30日午前10時40分ごろに起きた。戦闘機は嘉手納基地を離陸した後、エンジンが故障。パイロットは同基地に戻ろうとしたが不時着に失敗し、パラシュートで脱出してけがはなかった。だが操縦士不在となった機体は傾き、石川市6区5班(現うるま市松島区)に墜落し爆発した。
3.機体は衝動ではね上がり、宮森小学校の6年3組に激突。6区5班と8班の民家27棟や6区公民館、宮森小の2年生校舎は火のついたジェット機燃料を浴びて激しく炎上し、焼失した。児童11人、住民6人(後に後遺症で1人)の18人の命が奪われ、210人の重軽傷者が出た。
4.全身大やけどで髪の毛がちりちりに焼け、燃えた洋服が皮膚にこびりついた状態で「お母さん、お母さん」と言いながら死んでいった児童、亡くなった子どもを抱きかかえて泣き叫ぶ遺族-。毎年6月になると動悸(どうき)が激しくなり、眠れなくなる人もいた。
5.事故の主な原因は機体の整備不良だった。630会が入手した米軍の事故原因調査資料には「飛行の安全性に食い違いがある状況のまま、航空機の飛行を許可させた」と書かれている。
6.補償の問題も起きた。双方が協議して決めるのではなく、米軍が一方的に査定した金額が提示された。「資料集 石川・宮森の惨劇 米国公文書館文書に見るジェット機墜落事件」によると、補償金が要求額の10分の1以下しかもらえない人や、けがの治療が十分に施されず県外で手術をする人もいた。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1387515 参照 2024年6月30日)
(4)沖縄タイムス-「一人一人の手で平和のバトンを未来へ」 児童を含む18人が犠牲となった米軍機墜落で宮森小 事故65年を前に追悼集会(中部報道部・又吉朝香)-024年6月29日 4:04-[石川・宮森小墜落65年]
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.沖縄県うるま市石川に米軍ジェット戦闘機が墜落した事故から30日で65年となるのを前に、事故現場となった宮森小学校(金城睦男校長)で28日、追悼集会が開かれた。主催した宮森小の全児童と近隣の城前小6年生が参加し、犠牲者の冥福を祈った。
2.米軍機墜落事故は1959年6月30日に発生。児童を含む18人が犠牲となり、200人以上の重軽傷者が出た。戦後沖縄で最大の米軍機事故といわれる。
3.子どもたちは犠牲者の名前を刻んだ「仲よし地蔵」に花と折り鶴を奉納。1分間の黙とうをささげた。その後、平和を願って作った詩「平和の誓い」を朗読。「一人一人の手で平和のバトンを未来につないでいこう」と呼びかけた。
4.6年生で児童会長の山川宗馬さんは「平和学習で学んだことを後輩や身近な人に伝え、平和を願い続ける」と誓った。(中部報道部・又吉朝香)
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1387480 参照 2024年6月30日)
(5)沖縄タイムス-米兵による性的暴行事件 15件が非公表か 1995年~2024年の30件中 23年以降は逮捕や起訴後も公表せず 沖縄県警の判断が変容(社会部・大野亨恭、塩入雄一郎、豊島鉄博、玉那覇長輝)-2024年6月30日 5:30
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.3人の米兵が少女を暴行した1995年から2024年までの29年間に沖縄県内で発生した米兵による性的暴行事件で、県警が逮捕や書類送検した30件のうち、公表していない事件が少なくとも半数の15件に上る可能性があることが本紙のまとめで分かった。
2.「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」がまとめた性犯罪記録と、本紙報道などを元に検証した。21年までに発生した10件は摘発後に被害者が訴えを取り下げたケースが多い一方、23年以降の全5件は逮捕や起訴後も公表しておらず、公表判断が変容している実態が浮かび上がった。
3.性犯罪は、17年の刑法改正前は告訴しなければ起訴できない「親告罪」だった背景もあるが、県警の性犯罪の公表が極めて後ろ向きになっている。(社会部・大野亨恭、塩入雄一郎、豊島鉄博、玉那覇長輝)
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1387875 参照 2024年6月30日)
(6)沖縄タイムス-米兵による性的暴行事件 2023年以降の公表ゼロに 沖縄県警、被害者保護を強調(社会部・大野亨恭、塩入雄一郎、豊島鉄博、玉那覇長輝)-2024年6月30日 5:40
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.基地・軍隊を許さない行動する女たちの会が発行する「沖縄・米兵による女性への性犯罪」は、1945年4月から2021年までの事件記録をまとめている。1995年から2024年までの29年間で米兵による性犯罪は多発しているが、県警が公表していない事件は多く、23年以降に公表した件数はゼロだった。(社会部・大野亨恭、塩入雄一郎、豊島鉄博、玉那覇長輝)
2.2000年に米軍基地内で海兵隊員が女性を暴行する事件が発生。宜野湾署が那覇地検に書類送検した。ただ、被害者が事件化を望まなかったため起訴されず、米兵は軍法会議で禁錮4年となった。
3.17年には海兵隊員に暴行された女性が警察に被害届を提出。那覇地検は不起訴とし、米兵は軍法会議にかけられたが、被害者が捜査への協力を続けられなくなり取り下げた。いずれも、被害者側の取り下げにより裁判や軍法会議に進まなかったケースだ。他にも、県警は摘発しているものの、同会の記録になく、本紙が報道していない事件も多くあった。県警が公表していない可能性が高い。
4.23年以降は、公表された事件は1件もなかった。
5.23年2月に海兵隊員が知人女性を暴行し、県警は強制性交の疑いで書類送検。同年12月に発生した暴行事件は県警が書類送検、24年5月の事件は県警が逮捕し、いずれも那覇地検が起訴した。だが、県警は公表せず、6月に入り裁判期日や報道で明らかになった。
6.21年以前に公表された10件の大半は県警が逮捕した時点で報道機関へ広報しており、公表の判断が変遷していることがうかがえる。
7.県警関係者は「過去には性犯罪は件数だけを公表していた時期もあった」と説明し、県警内でも広報の在り方が時代によって変わっていることを明かす。
8.県警捜査1課の山本大地次席は28日の記者説明会で「一般的な感覚として被害者保護(の観点)が強まっている」と指摘。広報は事件ごとに検討しているとしつつ「時代の流れもあり、昔よりも被害者を守ろうという意識は当然強い。県民のニーズも踏まえ判断することになる」と性犯罪の公表に慎重な姿勢を示した。
9.一方、同会の記録では警察に訴えていない被害も多数あり、摘発した30件は氷山の一角とみられる。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1387935 参照 2024年6月30日)
(7)沖縄タイムス-米軍普天間飛行場へ外来機の離着陸 過去2番目の多さ 2023年度3153回 日米が合意している騒音防止協定の規制時間でも15%増(中部報道部・砂川孫優)-2024年6月30日 7:00
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.【宜野湾】米軍普天間飛行場を使っている外来機の離着陸回数が2023年度は3153回に上り、沖縄防衛局が24時間の目視調査を開始した17年度以降、過去2番目に多かったことが25日、分かった。前年より0・8%(27回)増。直近の3年間は3千回台で高止まりしている。(中部報道部・砂川孫優)
2.普天間への外来機飛来は21年度の3446回が最多。
3.外来機の中でも市が特に飛来禁止を求めている戦闘機は、FA18戦闘攻撃機132回、F35ステルス戦闘機25回、EA18電子戦機7回、F15戦闘機3回だった。
4.日米合意の航空機騒音規制措置(騒音防止協定)で飛行が規制される午後10時から翌午前6時の離着陸は435回で、前年比15%(57回)増だった。
5.宜野湾市によると、市民から寄せられた苦情件数は316件で、前年より14件増えた。
6.普天間に所属する常駐機の離着陸は前年度比22・9%(2839回)減の9518回だった。うち最も多かったのはAH1攻撃ヘリの2590回(21・6%減)。MV22オスプレイ2188回(35・6%減)、CH53大型輸送ヘリ2183回(13・8%減)、UH1多用途ヘリ2026回(20・8%減)などが続いた。離着陸回数はタッチ・アンド・ゴーや通過、旋回を含む。
7.外来機の飛来増については、嘉手納基地滑走路の補修工事と米軍が国際情勢の変化を理由に普天間での運用の幅を拡大しているとみられる。
8.宜野湾市議会6月定例会一般質問では、米軍機による騒音被害に関する質問が相次いだ。松川正則市長は「夜間の騒音は特に子どもの育成に影響する。早期移設含めて一日も早い返還を成し遂げるように取り組む」と述べた。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1387879 参照 2024年6月30日)
(8)沖縄タイムス-[大弦小弦]沖縄に残るアリラン(前田高敬)-2024年6月30日 6:00
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.「沖縄に残っているアリランを探しに来ました」。眼鏡をかけた青年は、きらきらした瞳でそう語った。韓国の公共放送KBSのリスンチョル記者だ
2.朝鮮半島から日本国内に「軍夫」や「慰安婦」として強制連行された人たちは沖縄にもいた。彼らが作業や洗濯の際歌った民謡アリランは地域で歌い継がれ、座間味村阿嘉島では「アリラン峠」のような地名に形を変え伝承されてもいる。その痕跡を今月、県内各地で10日間かけ映像に収めた
3.取材旅行の後半訪れたのは本部町健堅。1945年1月の攻撃で亡くなった旧日本軍の輸送船「彦山丸」の乗員ら14人が埋葬されたとされる場所だ。このうち少なくとも2人は朝鮮半島出身者と確認された。地域の有志が花壇を作り管理している
4.リ記者を案内して8カ所回った三線奏者の桑江優稀乃さんはこの花壇の前で「月桃の花」「涙(なだ)そうそう」など5曲を演奏した
4.最後はアリラン。「悲しい時だけでなく、恋しい、懐かしいなど心が動かされた時に歌う曲だと聞きました」と話す桑江さん。戦禍と絶望、肉親への思い、望郷。三線の音色と相まって、カメラのファインダー越しに聴く筆者も胸が詰まった
5.韓国の若者が、沖縄の人の目を通じて描いた79年前の同胞の足跡。このドキュメンタリーは8月、韓国内で放送予定だという。(前田高敬)
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1387877 参照 2024年6月30日)
(9)琉球新報-米兵確保、発生12時間後に潜伏先の宿特定 5月の女性暴行 基地外にいたため早期逮捕に-2024年06月30日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.女性に性的暴行をしてけがを負わせたとして、那覇地検が在沖米海兵隊上等兵の被告(21)を不同意性交致傷の罪で起訴した事件で、上等兵が逃亡先の本島内の宿泊施設で県警に任意同行を求められていたことが29日、複数の関係者への取材で分かった。関係者によると、県警は犯行の約12時間後に基地外の潜伏場所を特定し、緊急逮捕したという。
2.自民党県連は29日、外務省沖縄事務所の宮川学沖縄担当大使を呼び出し、被害者のプライバシーを守りつつ情報提供を迅速に行うよう要請した。宮川氏は要請の後、記者団の取材に「(沖縄防衛局に情報を)伝えたが、時期については差し控えたい」と答えた。
3.日米地位協定では、刑事事件の容疑者となった米兵が基地内などの米側に逃走した場合、原則、起訴まで身柄は米側に置かれる。上等兵が犯行後も、県警の捜査権の及ぶ基地外にとどまっていたことが早期の身柄確保につながったとみられる。
4.起訴状や県警によると、事件は5月26日に発生。上等兵は、本島の建物内で女性の首を後ろから絞めるなどの性的暴行に及び、女性に両目の内出血や口の負傷など全治約2週間のけがを負わせたとしている。
5.関係者によると、女性は被害に遭った直後の5月26日早朝に通報した。県警が捜査を開始し、現場周辺の防犯カメラ映像の分析を進めるなどして、同日中に上等兵とみられる男が現場から約20キロ離れた本島内の集落までタクシーで移動していたことを突き止めた。集落周辺で捜索を続け、宿泊施設に宿泊していた上等兵を発見。同日夜に警察署への任意同行を求め、緊急逮捕した。調べに被害女性と一緒にいたことは認めたものの、犯行は否認しているという。
6.昨年12月発生した米空軍兵長による少女誘拐暴行事件で、県警などは那覇地検が3月27日に不同意性交罪などで起訴するまで空軍兵長の身柄を確保せず、在宅で捜査した。日米地位協定では米兵の容疑者が公務外で日本の警察に現行犯逮捕されるなどした場合、日本側が身柄を確保することになっている。県警はこの原則に基づき上等兵を勾留し送検したとみられる。
(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3241384.html 参照 2024年6月30日)
(10)琉球新報-米兵性的暴行続発、自民沖縄県連が迅速な情報提供要請 外務省に(沖田有吾)-2024年06月30日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.自民党沖縄県連(仲田弘毅会長)と県議会の沖縄自民党・無所属の会(島袋大会派長)は29日、在沖米軍の兵士を被疑者とする性的暴行事件が相次いで発覚したことを受けて、外務省沖縄事務所の宮川学大使を那覇市久茂地の県連の事務所に呼び出し、情報提供を迅速にするよう要請した。
2.宮川大使は「被害に遭われた人のことを思うと大変心が痛む。政府の対応、情報提供の在り方について、県民の皆さんに不信の念を招いてしまっていることを重く受け止めている」と話した。
3.沖縄防衛局の伊藤晋哉局長も呼び出し、辺野古の埋め立て工事用の土砂を運ぶダンプカーに警備員の男性と抗議していた女性がひかれ男性が死亡した事故について、安全管理徹底などを要請した。伊藤局長は「事故発生は誠に遺憾だ。防衛局として再発防止にしっかり努めていく」と応えた。(沖田有吾)
(https://ryukyushimpo.jp/news/politics/entry-3241366.html 参照 2024年6月30日)
(11)琉球新報-つらくても記憶掘り起こす 宮森小米軍ジェット機墜落65年 事故で頭蓋骨骨折の女性、助けてくれた父思い涙 沖縄(玉城文)-2024年06月30日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.1959年に沖縄県石川市(現うるま市石川)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落して30日で65年となる。ジェット機は児童や住民を巻き込み、18人(うち児童12人)が亡くなった。当時、幼稚園生で、頭蓋骨骨折の大けがを負った山本(旧姓・山城)恵子さん(71)=佐賀県=が初めて慰霊祭に参加する。山本さんは事故の記憶がほとんどない。「私に何があったのか知りたい」。29日、山本さんと当時の同級生が集まり記憶をつなぎ合わせた。
2.山本さんは事故の時、外にいたことは覚えているが、それ以外は記憶がない。同級生や石川・宮森630会の久高政治会長(76)から当時の説明を受け、時に相づちを打ち、質問しながら、記憶を掘り起こした。
3.米国立公文書記録管理局が所蔵する医療報告書には、山本さんが頭蓋骨を損傷し、陸軍病院に1カ月半ほど入院したとある。けがの影響と見られる反応があり、59年と61年に入院している。山本さんの後頭部には、その時の傷跡が残る。
4.娘の回復を何よりも願う父・眞盛さんの思いも、報告書に残されている。政府関係者の訪問時に「陸軍病院でなければ、娘の命は救えなかった」と語ったという。補償金の遅れについて聞かれると「自分の心配の第一は、子どもの命」と、金銭面には触れなかった。
5.山本さんは、陸軍病院に入院したのは「父が抱っこしてたところを米軍が通りかかった」と聞かされていたが、実は眞盛さんが米軍に頼み込んでいたことが判明した。今回、妹から真相を知らされたという。山本さんは「父に助けられた」と目に涙をたたえた。
6.事故の苦しい記憶から、証言を避ける人もいる。山本さんは「思い出したら証言したい。自分の中にしまっても、どうにもならない。何かに生かさないと」と、前を見据えて話した。(玉城文)
(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3241385.html 参照 2024年6月30日)
(12)沖縄タイムス-「子供たちは生きたまま焼かれて死んだ。二度と事故が起こらない沖縄を」 石川・宮森小学校へ米軍機墜落から65年 被災者や遺族ら慰霊祭(中部報道部・又吉朝香)-2024年6月30日 11:28
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.【うるま】1959年に石川市(現うるま市石川)の宮森小学校と周辺住宅地に米軍嘉手納基地のジェット戦闘機が墜落し、児童を含む住民計18人が亡くなり、210人が重軽傷を負った事故から65年となった30日、同校で慰霊祭が開かれた。被災者や遺族ら約250人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。
2.石川・宮森ジェット機墜落事故遺族会と石川・宮森630会が主催。犠牲者の名前が刻まれた石碑「なかよし地蔵」に、千羽鶴と亡くなった児童が大好きだったヒマワリを奉納した。
3.うるま市出身の音楽家、海勢頭豊さんが事故をテーマに作詞、作曲した歌「630の誓い」を披露。「宮森の子は永久に平和の使徒になる」と歌った。海勢頭さんは「宮森小の子どもたちが事故のことを伝え続け、平和を築き上げることを期待して作った」とあいさつした。
4.630会の久高政治会長は「子どもたちは生きたまま焼かれて死んだ。犠牲者を思うと堪え切れない苦しみが込み上げる。事故は宮森小だけ、石川だけの問題ではない。県民全体で取り上げて二度と墜落事故が起こらないような沖縄をつくっていこう」と呼びかけた。
5.遺族会代表であいさつした上間義盛さんは弟の芳武さん(宮森小3年)を事故で亡くした。「基地があるが故に悲惨な事故が起きた。それなのに辺野古の新基地建設は進む。さらなる事故が起こる可能性が十二分にある」と怒った。
6.来賓で訪れた玉城デニー知事は「戦後79年がたっても沖縄は過重な基地負担を抱える。基地負担軽減に向けて全力で取り組んでいく」と約束した。うるま市の中村正人市長は「平和の尊さを次世代につなぐ活動を続ける630会の活動に感謝している」と話した。(中部報道部・又吉朝香)
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1388006 参照 2024年6月30日)
(13)沖縄タイムス-死亡した警備員 女性を引き留めようと巻き込まれたか 安和桟橋での事故-2024年6月30日 9:40
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.名護市の安和桟橋で、辺野古の新基地建設に抗議中の女性(72)と警備員の男性(47)がダンプカーにひかれて死傷した事故で、警備員はダンプの前に出た女性を引き留めようとして、事故に巻き込まれた可能性があることが捜査関係者への取材で29日分かった。
2.捜査関係者によると、事故の流れは(1)1人がダンプの前を牛歩で横切ろうとした(2)それを見た警備員が歩道に戻した(3)歩道でその様子を見ていた女性が何らかの理由でダンプの前に出た(4)制止しようとした警備員と女性の2人がはねられた-。けがをした女性が動き出したダンプ前に飛び出たとみている。
3.一方、最初に歩道に戻され、目の前で一部始終を目撃したという女性は本紙取材に「2人が立っているところにダンプが突っ込んだように見えた」と話した。事故直後、ダンプの運転手は、別の警備員の合図で発進したと話していたという。
4.県警が防犯カメラの映像を解析するなどして、当時の状況を調べている。
5.事故は28日午前10時10分ごろ、名護市安和桟橋の出口付近で発生。新基地建設の埋め立て用の土砂を搬出するダンプが作業ヤードを出て左折しようとした際、抗議活動中の女性と警備に当たっていた男性をひいた。男性は頭を強く打ち死亡。女性は足の骨を折るなどの重傷を負った。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1387937 参照 2024年6月30日)
by asyagi-df-2014
| 2024-07-01 06:43
| 沖縄から
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