沖縄-辺野古-高江から-2024年6月25日
2024年 06月 26日
差別を終わらせるのではなく、姑息さの中で意図的に継続させることになる。
「国の誤った強制隔離政策で偏見差別に苦しむハンセン病元患者家族に対する補償法で、補償の対象外とした国の決定は法の趣旨に反するとして、元患者(故人)のトートーメー(位牌(いはい))を継いだ80代の男性が決定の取り消しを求める訴訟を那覇地裁に起こしたことが24日までに分かった。国の責任を認め、賠償を命じた熊本地裁判決から28日で5年。弁護団によると、補償外とされた親族らが訴訟を起こす例が全国でも相次いでおり、全面解決は程遠い状況だ。原告側は『国は偏見差別の実態を直視するべきだ』と訴える。」、と沖縄タイムス。
「ハンセン病元患者の家族に対する補償法で、元患者のトートーメー(位牌(いはい))を継いだ親族の男性が対象外とされた。事実上の親子として長年過ごしてきただけに落胆は大きく、『国から家族ではないと突き放されたようで悲しい』と唇を震わせる。『まさか』-。2022年3月、国から支給は認められないとする決定を受け、男性は言葉を失った。10代で位牌を継承する決意をし、本当の親子として生活を送っていた。自身の子や孫たちも『おじいちゃん大好き』と懐き、世代を越えた絆があった。ただ、親族内では偏見差別を恐れ、外部に元患者の話をすることはタブー。元患者自身も『迷惑がかかる』と話し、名護市の沖縄愛楽園以外で家族と会おうとはしなかった。地元で一緒に暮らそうと提案しても、断固として首を縦に振らなかった。」(沖縄タイムス)、とその現実を伝える。
もちろん、「原告代理人の本田祥子弁護士は『補償法の成立過程で男性のような事実上の養子を補償対象とするか否かの議論は一切なく、法が想定していない事案だ』と指摘。隔離政策下で養子縁組を行わなかったのは偏見差別を避けるためだったとし『国の決定は合理性を欠いている。法の趣旨や目的をないがしろにする、しゃくし定規なものだ』と批判した。」(沖縄タイムス)、との背景。
沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
何よりも、自らが沖縄から受け取るものを明確にするために。それは、捉え直しとして。
2024年度も、改めて琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
(1)沖縄タイムス-ハンセン病の元患者の親族、補償を求め提訴 位牌を継ぐ沖縄の男性 事実上の親子関係を主張 「国は差別の実態直視を」(社会部・下里潤)-2024年6月25日 4:02
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.国の誤った強制隔離政策で偏見差別に苦しむハンセン病元患者家族に対する補償法で、補償の対象外とした国の決定は法の趣旨に反するとして、元患者(故人)のトートーメー(位牌(いはい))を継いだ80代の男性が決定の取り消しを求める訴訟を那覇地裁に起こしたことが24日までに分かった。国の責任を認め、賠償を命じた熊本地裁判決から28日で5年。弁護団によると、補償外とされた親族らが訴訟を起こす例が全国でも相次いでおり、全面解決は程遠い状況だ。原告側は「国は偏見差別の実態を直視するべきだ」と訴える。(社会部・下里潤)
2.訴状などによると、男性は県内在住で元患者の親族。13歳の頃、母親から元患者の養子となってトートーメーを継承するよう言われた。元患者の住む名護市の沖縄愛楽園を頻繁に訪れるなど、事実上の親子関係にあったという。
3.ただ、元患者は偏見差別を恐れて地元で男性と一緒に過ごすことを避け、正式な養子縁組の届け出は「らい予防法」が廃止された1996年から6年後の2002年になってからだった。
4.男性は20年12月、国に補償金の請求を行ったが、支給は認められなかった。国は「らい予防法」が廃止された1996年3月末までに家族関係があった人を支給対象としており、当時、戸籍上の親子関係がなかったことが主な理由だ。
5.原告代理人の本田祥子弁護士は「補償法の成立過程で男性のような事実上の養子を補償対象とするか否かの議論は一切なく、法が想定していない事案だ」と指摘。隔離政策下で養子縁組を行わなかったのは偏見差別を避けるためだったとし「国の決定は合理性を欠いている。法の趣旨や目的をないがしろにする、しゃくし定規なものだ」と批判した。
6.同法は元患者の親や子、配偶者らに180万円、きょうだいや孫、めい、おいに130万円を支給するなどと規定。本田弁護士によると、必ずしも戸籍上の親族関係は必要ではなく、事実婚の配偶者は支給が認められている。
7.ハンセン病とは:感染力は弱いが、治療法がない時代には体の一部の変形や知覚障害などの後遺症が出た。日本は1996年のらい予防法廃止まで元患者らを療養所に収容する隔離政策を維持。2001年、元患者本人による国家賠償請求訴訟で熊本地裁は隔離政策を違憲と判断した。国は控訴を断念し謝罪した。16年には元患者の家族が集団提訴。熊本地裁は19年6月28日、国の責任を認め賠償を命じた。国は再び控訴を断念し謝罪した。同年11月には議員立法による家族補償法が施行され、家族への補償金支給が始まった。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1384515 参照 2024年6月25日)
(2)沖縄タイムス-養父の位牌を見つめ、「国は父が生きていた証を認めてほしい」と話す男性=20日、沖縄本島内(社会部・下里潤)-2024年6月25日 5:27
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.ハンセン病元患者の家族に対する補償法で、元患者のトートーメー(位牌(いはい))を継いだ親族の男性が対象外とされた。事実上の親子として長年過ごしてきただけに落胆は大きく、「国から家族ではないと突き放されたようで悲しい」と唇を震わせる。(社会部・下里潤)
2.「まさか」-。2022年3月、国から支給は認められないとする決定を受け、男性は言葉を失った。10代で位牌を継承する決意をし、本当の親子として生活を送っていた。自身の子や孫たちも「おじいちゃん大好き」と懐き、世代を越えた絆があった。ただ、親族内では偏見差別を恐れ、外部に元患者の話をすることはタブー。元患者自身も「迷惑がかかる」と話し、名護市の沖縄愛楽園以外で家族と会おうとはしなかった。地元で一緒に暮らそうと提案しても、断固として首を縦に振らなかった。
3.国の誤った隔離政策さえなければ「普通の家族」として暮らせたと思う。一緒にレストランへ行ったり、旅行を楽しんだりしたかったが、出かけた記憶は人里離れた海岸で弁当を食べたくらい。「世間には私の存在を絶対、話してはいけない」。そう言い残し、元患者は約10年前にこの世を去った。
4.国の責任を認定し、家族への賠償を命じた熊本地裁判決から5年。国は偏見差別の解消に取り組むとするが、「本当に実態を理解しているのか」と疑問を禁じ得ない。基地問題で「沖縄の負担軽減に取り組む」と繰り返す政府の言葉と同じに映るからだ。
5.「補償金が欲しくて裁判を起こしている訳ではない。国は、せめて父が生きた証しを認めてほしい」。位牌を前に、男性は目を潤ませた。
(沖縄独特の問題 救済すべきだ)
1.ハンセン病の問題に詳しい神谷誠人弁護士の話:ハンセン病家族補償法は一定の要件を設けることで偏見差別を受けた家族の補償範囲を決めている。しかし、実際の運用では想定外のグレーゾーンとも言うべき事案がどうしても出てくる。今回のようなトートーメー(位牌(いはい))継承により、事実上の親子関係が生じたケースは沖縄独特で珍しい。子は元患者との関係性が深く、周囲から偏見差別を受ける場合がほとんど。家族としての関係性が壊されることも多く、本来は裁判ではなく補償法の中で救済されるべき人たちだ。法改正を含め、新たな基準づくりが求められる。一方で、周囲からの偏見差別を恐れ、補償金の申請自体をためらう人も多い。実際には、申請する中で家族間で過去の複雑な思いを打ち明け、引き裂かれた関係が修復されるケースを何度も見てきた。補償金を受け取ることで気持ちが楽になることもある。悩んだ場合は弁護士など信頼できる人に相談してほしい。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1384488 参照 2024年6月25日)
(3)沖縄タイムス-「同じ痛みを持つ沖縄と連携したい」 韓国の「済州4・3財団」理事長、平和交流の具体化に意欲 玉城デニー知事を訪問(政経部・國吉匠)-2024年6月25日 4:49
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.韓国の「済州4・3平和財団」の金鍾旻(キム・ジョンミン)理事長は24日、沖縄県庁を訪れ、玉城デニー知事や池田竹州副知事と会談した。シンポジウムやセミナーの開催など、東アジアの平和と安定に向けた相互交流の具体化に意欲を示した。玉城知事は「恒久平和を願う沖縄の心と済州の平和への思いをつなげるための取り組みを重ねたい」と応じた。(政経部・國吉匠)
2.金理事長らは23日に糸満市の県平和祈念公園で開かれた沖縄全戦没者追悼式に参列した。
3.玉城知事が掲げる地域外交の「キックオフ」として、昨年6月に照屋義実副知事が訪韓し、財団の当時の理事長である高(コ)喜範(ヒボム)氏を訪問。それを受け、高理事長は同月、沖縄の追悼式に参列していた。財団理事長の参列は2年連続2回目。
4.財団は、軍などが済州島民を虐殺するきっかけとなった1948年の「4・3事件」関連の犠牲者を慰霊する済州4・3平和公園を管理運営し、毎年4月3日に追悼式を開いている。池田副知事は今年、県三役として初めて参列した。
5.玉城知事は「来年には戦後80年を迎える。平和の礎に刻まれた人の名前をなぞることで、二度と犠牲を出してはいけないという思いを強くする」と強調。「18歳以下などの若い世代に交流を促すことも非常に重要な取り組みだ」と対話による平和の実現を願った。
6.金理事長は「私たちも4年後に事件から80年がたち、同じ痛みを持つ。知事が発信している思いの実現のため連携して活動したい」と述べた。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1384460 参照 2024年6月25日)
(4)沖縄タイムス-廃業予定だった老舗写真館が事業承継 浦添市のスタジオチャーリー、長年のライバルへ託す 「人柄や姿勢に共感」(社会部・勝浦大輔)-2024年6月25日 5:05
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.創業約50年の老舗写真館、スタジオチャーリー(沖縄県浦添市)は24日、同業で長年のライバルだった第一スタジオ(本店・沖縄市、比嘉昇代表)に事業承継した。スタジオ名、希望した16人の従業員の雇用、商品内容は継続される。新社長には第一スタジオ専務で比嘉代表(51)の弟の雅樹氏(39)が就任。比嘉代表は副社長に就いた。(社会部・勝浦大輔)
2.チャーリーは現在も開業しているが撮影業務は休業中で、7月3日から新体制で再開する。6月24日、那覇市の琉球銀行本店で調印式が行われ、事業承継が完了した。
3.比嘉代表は「事業拡大のチャンスでもあった。スタジオチャーリーの名前が残る方がお客さまに安心感があり、足を運びやすい」と狙いを説明。
4.チャーリー前社長の前田初美氏(76)は「比嘉代表の人柄、お客さまを第一に考える姿勢に共感して決めた」とした上で「全てそのままの形で引き継がれ、お客さまにも安心して伝えられる」と安堵(あんど)した。
5.前田氏は、後継者がいないことを理由に昨年12月に廃業を決意していた。今年1月には社員に伝え、利用客にも5月末で店を閉めることをチラシで周知。取引先など関係者にも連絡を始めていた。
6.利用客からは「これからどこで写真を撮ればいいのか」「どうして」といった声が多くあったという。
7.前田さんが、良きライバルとして一目置いていた第一スタジオに撮影機材などを譲ろうと連絡を取り、2月に会ったことをきっかけに事業承継の話が浮上。琉球銀行が仲介する形で調整を続けてきた。創業約40年の第一スタジオはチャーリーに匹敵する老舗。比嘉代表は「父親の代からチャーリーは良きライバルとして意識していた」と話す。廃業の話を聞き、「もったいない」「寂しい」との思いを抱いたという。比嘉代表は「今までのチャーリーに第一スタジオの良い部分も取り入れ、より良くしていきたい」と意気込んだ。予約や衣装見学などは対応している。
8.問い合わせはスタジオチャーリー、電話098(878)4649(火曜定休)。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1384428 参照 2024年6月25日)
(5)琉球新報-「北大東にレーダー」伝達へ 防衛局、27日に村訪問 年度内に土地取得 沖縄(明真南斗、藤村謙吾)-2024年06月25日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.北大東村への航空自衛隊の移動式警戒管制レーダー配備計画を巡り、沖縄防衛局幹部は27日、同村を訪れて鬼塚三典村長や村議会と面談し、配備に向けて進めてきた調査の結果を説明する。
2.調査結果を踏まえ、正式に配備の意向を伝える見込み。防衛省は2024年度中に土地取得を始める予定。複数の関係者への取材で24日、分かった。防衛省は7月上旬に住民説明会開催を検討している。説明会の後、鬼塚村長は受け入れを表明するとみられる。
3.鬼塚村長は本紙の取材に対し、配備に肯定的であるとした上で、正式な受け入れ表明については「説明会後、結果を踏まえて議会関係者とも協議して判断する。村民には防衛局から丁寧に説明してもらい理解を求めていく」と話した。
4.玉城デニー知事は24日朝、記者団の取材に「(担当課から)報告がないので内容を確かめたい」と述べた。
5.村議会や村の誘致を受けて防衛省は配備の検討を始めた。23年6月には「適地」と判断して村や村議会に伝達した。同7月に住民説明会を開き、約30人規模の部隊を想定して基地の設置を検討していると明らかにした。島の北東部と南部の2カ所が候補地と示された。
6.22年に始めた、施設配置などを検討するための調査と動植物や生活環境に関する調査が24年2月に完了していた。防衛省は24年度予算の概算要求段階では、配備先を限定しない形で調査設計費約6億円を計上。予算には用地取得費も含まれていた。25年度も関連予算を計上する予定。(明真南斗、藤村謙吾)
(https://ryukyushimpo.jp/news/politics/entry-3231026.html 参照 2024年6月25日)
(6)琉球新報-「沖縄が戦場に」不安拡大 慰霊祭参加者ら 「可能性」平均59% 自衛隊拡張に危機感(南彰まとめ)-2024年06月25日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.沖縄戦から79年の「慰霊の日」を迎えた今年の沖縄全戦没者追悼式で、玉城デニー知事が自衛隊の配備拡張に「悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、沖縄県民は強い不安を抱いている」と訴えた。本紙記者が22~23日に糸満市摩文仁や各地の慰霊祭で遺族らに聞くと、再び沖縄が戦場になる可能性に危機感が広がっていた。
2.摩文仁の平和の礎を中心に、県内在住者・県内出身者に「『沖縄が戦場になった』79年前と同じ状態が100%、『沖縄が戦場になる心配が全くない』状態を0%としたら、いまの沖縄の状態は何%ですか」と尋ね、60人から回答を得た。
3.「戦争になる前に比べると、今の方がずっといい。民主主義になっただけマシだ」
4.宮城武さん(90)は「0%」を選んだ。小学校教諭女性(23)は「国民の過半数が戦争に反対する中では、5年以内に戦場になるような心配はないかなと思う」と言って「20%」と答えた。
5.ただ、戦場になる心配が少ない「0%」~「20%」と答えた人は60人中5人。全体の平均は「59%」と「50%」を上回った。沖縄戦の状態に近づいている県民の意識を示す結果となった。
6.「30%」~「50%」を選んだ人は、中国や北朝鮮、ロシアの脅威への不安を口にする人が多かった。
7.会社員の金城幸高さん(45)は「30%」か「40%」で悩んだ。「台湾有事が心配だ。中国のことを考えると上の数字になるし、米国が守ってくれるなら下の数字になる」
「50%」を選んだ40代会社員女性は「世界情勢が不安定すぎる。『もしも』がないとは言えない状況」と語った。
8.年代による回答の差はあまりなかった。差が出たのは「南西シフト」で進む、県内の自衛隊増強への見方だ。自衛隊増強に「賛成」「どちらとも言えない」という人の平均はともに「48%」だったが、「反対」の人の平均は「67%」だった。「60%」より高い数字を選んだ人の回答からは、県内の軍事基地化への危機感がにじんだ。
9.製造業女性(42)は「現状を見ていると(戦争に)巻き込まれるのではないかと思う」。50代福祉関係の女性は「離島が自衛隊の基地になり、国に管理されている」と語った。
10.與那覇全恵さん(84)は「自衛隊の増強など戦前と似た状況。沖縄戦のことを知らない世代も多く、軍備化が進むのが心配だ」と懸念した。建築設計士の男性(68)も「台湾有事などで国民があおられ、だんだんと平和が薄れているのではないかと怖い。戦争体験者が少なくなる中、本気で戦争の恐ろしさを訴えないとまた起こる」と危機感を口にした。(南彰まとめ)
(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3231040.html 参照 2024年6月25日)
(7)琉球新報-ミバエの一種、本島で初確認 国外から飛来か 農産物への被害懸念、わな増設 沖縄(新垣若菜)-2024年06月25日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.ウリ科植物などに寄生して被害をもたらすセグロウリミバエが24日までに沖縄本島で初確認された。那覇植物防疫事務所によると、国外から飛来した可能性が高い。県は、わなを増設して調査を進めている。
2.県が1993年に根絶宣言をしたウリミバエとは別種だが、同様にウリ科の果実などに寄生し、産卵するなどして実の腐敗を引き起こす。これまでに国内で定着事例はない。
3.3~5月にかけ、名護市で7匹、伊是名村で1匹のオスが調査用トラップにかかっているのが見つかった。
4.県病害虫防除技術センターによると、6月も複数確認されている。担当者は「万が一、まん延などの事態になれば作物の出荷停止などもあり得るが、現在はそこまでには至っていない」と説明した。
5.体長は8~9ミリ。防除に使用できる登録薬剤はなく、寄生果実は除去し処分することになる。
6.県内では石垣で98年と2003年に見つかっており、県内での確認は21年ぶり。石垣では農作物などへの寄生は見られなかった。(新垣若菜)
(https://ryukyushimpo.jp/news/economics/entry-3231025.html 参照 2024年6月25日)
(8)琉球新報-ガマフヤー具志堅さん、ハンスト終了 デニー知事に「自衛隊配備に強く反対していない」と指摘 沖縄(狩俣悠喜)-2024年06月25日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さん(70)らによるハンガーストライキが23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園で最終日を迎えた。沖縄戦戦没者の遺骨が混じる南部の土砂を名護市辺野古の新基地建設に使う計画の撤回を国に求め、那覇市の県民広場で20日からハンストを始めていた。
2.具志堅さんは、戦没者追悼式での玉城デニー知事のあいさつに「宮古や八重山、与那国の自衛隊配備について強く反対していない」と指摘した。
3.具志堅さんは「県民の一番の利益は沖縄が平和であること。軍事基地ができると戦場になる。知事にはそれに気付いてほしい」と語った。具志堅さんの活動を支持する多くの人がテントを訪れた。
4.共にハンストに参加した小橋川共行さん(81)=うるま市=は「テントに沖縄戦の多くの遺族が来て応援してくれた。一方で、遺族の悲しみが長い間たっても消えないことも感じた」と語った。(狩俣悠喜)
(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3231038.html 参照 2024年6月25日)
(9)琉球新報-衣の下の鎧現れる 「旧軍」へのすり寄りは愚行 半田滋 <日本軍と自衛隊 牛島司令官 辞世の句>上-2024年06月12日 14:06
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.那覇市に駐屯する陸上自衛隊第15旅団が公式ホームページで日本軍第32軍牛島満司令官の辞世の句を掲載している件を巡り、防衛政策や沖縄戦史に精通する識者に、同事案の問題点について寄稿してもらった。
2.自衛隊と日本軍が別組織であることは当たり前であり、広く知られている。日本軍について大日本帝国憲法第11条は「天皇は陸海軍を統帥す」と定め、軍の存在を当然視した上で「天皇の軍隊」であることを明記した。兵士は「天皇陛下のため」に命を捧げるよう求められ、太平洋戦争で230万人もの戦死者を出した。
3.一方、日本国憲法には軍はもちろん、自衛隊の文字もない。政府は、前文の平和的生存権や第13条の幸福追求権を組み合わせて、自衛隊は「(国民がこれらの権利を享受するための)必要最小限の実力組織」だから憲法に違反しないとの解釈を示してきた。
(文民統制)
1.旧軍と自衛隊の大きな違いの一つは、旧軍の指導部が天皇を隠れ蓑にして満州などで暴走した反省から、自衛隊は政治が軍事を統制する「シビリアン・コントロール(文民統制)」の下に置かれたことだ。日本軍は消滅し、新たな軍事組織として生まれた自衛隊は統制のあり方を含めて抜本的に見直されたことから旧軍と距離を置くよう求められ、自衛隊の幹部らも肝に銘じてきたはずである。
2.陸上自衛隊の駐屯地は旧陸軍の施設を居抜きで使っている例が多い。東京都の朝霞駐屯地には展示館の「陸上自衛隊広報センター(りっくんランド)」があるが、旧陸軍関係の展示品は一切なく、別の施設である振武台記念館に乃木希典大将の掛け軸や昭和の軍礼服などが展示されている。自衛隊と旧軍は違うことを分かりやすく示した実例といえる。
3.一方、海上自衛隊は佐世保資料館(長崎県)、鹿屋航空基地資料館(鹿児島県)とも「資料館」の名前を使って旧海軍の艦艇や航空機の模型、鹿屋ではゼロ戦の実機まで展示。旧海軍と海自が混在した施設となっている。
4.海自の場合、敗戦の翌月から連合国軍司令部(GHQ)から命じられた海運再開のための機雷除去を開始、航路啓開部と名前は変わったものの、海軍の活動が継続したことから、海自の一部には旧軍との連続性を主張する向きもある。
(住民感情は変化)
1.先の大戦で地上戦が行われ、県民4人に1人が亡くなった沖縄県と自衛隊の関わりをみてみよう。本土復帰した1972年、第一陣約100人の隊員が移住して陸自第1混成団(現第15旅団)は産声を上げた。着任したばかりの隊員たちは旧軍と同列視され、住民票登録を拒否されたり、成人式への出席を断られたりと冷遇された。
2.自衛隊機による急患輸送や不発弾処理などの実績を重ねる中で、住民感情は少しずつ変化したようだ。地元出身の隊員は増え、市町村役場は自衛官募集の事務取り扱いを代行する。チーム名で参加していた那覇ハーリーは、いつの間にか、○○自衛隊と陸海空の所属を明記するように変わり、私服で通勤していた隊員たちが迷彩服姿になったのを気に留めた人は少ないかも知れない。
3.90年代になると、雲仙普賢岳の噴火、阪神淡路大震災に代表される災害派遣が本格化し、国連平和維持活動(PKO)などの海外活動も始まった。災害活動への期待、海外における日本の知名度アップといった貢献ぶりが評価され、東日本大震災があった翌2012年、内閣府の「自衛隊に関する世論調査」で「自衛隊に良い印象を持っている」との回答が初めて90%を超え、その後も高止まりしている。
(先祖返り)
1.発足直後は「税金ドロボウ」とまでののしられた自衛隊が今や「良い印象」を持たれる組織に大変身した。高評価を受け始めたことと近年、見られる旧軍への「先祖返り」は無縁ではないだろう。言葉は悪いが、「調子に乗っている」と言われても仕方ない。
2.今年になって陸上幕僚副長を始めとする陸自幹部や海自の練習艦隊が靖国神社に集団参拝した事実が明るみに出た。埼玉県の陸自第32普通科連隊がX(旧ツイッター)の公式アカウントで「大東亜戦争」という用語を使って投稿し、批判されて削除した。
(日本軍第32軍の牛島満司令官)
1.沖縄では第15旅団が沖縄戦で日本軍第32軍を率いた牛島満司令官の辞世の句をホームページに掲載していることが判明した。「自衛隊と日本軍が一体と想起させるもので不適切だ」との批判があるが、埼玉の例と違って、こちらは削除されていない。
2.15旅団の広報担当者は「旧日本軍を美化する目的はない。誤解がないように情報発信していく」という。誤解とは事実や言葉を誤って理解することを指し、問題があるのは相手の方だと責任を回避する便利な言い回しである。
3.本当に誤解だろうか。「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦(よみがえ)らなむ」。この句は「敗色が濃厚となった沖縄の臣民は、大日本帝国のためにまた立ち上がってほしい」と解釈できる。当時の司令官の立場からすれば、自然にわき出た思いをつづったと想像できるが、新憲法の下の自衛隊が引き継いでよい考え方であるはずがない。
4.南西諸島の離島には陸自の駐屯地が次々に開設された。与那国島では情報収集の部隊が来るからと賛成した前町長ら誘致派の住民はミサイル部隊の配備が決まり、「こんなはずではなかった」と嘆く。
5.宮古島や石垣島に配備されたミサイルは、敵基地攻撃に使う長射程ミサイルに置き換わる可能性が高い。抑止力になると歓迎した人々は台湾有事への「巻き込まれ」に当惑し、政府が進める山口・九州への避難計画に反発する。
6.沖縄の自衛隊は、住民を戦争に巻き込んだ沖縄戦と同じ方向へと歩を進めている。積極的に旧軍にすり寄るのは、さらに信頼を失う愚行とわきまえるべきだ。
7.今もある旧陸軍の親睦組織「偕行社」には陸自OBが名前を連ね、代表は陸幕長経験者が務める。旧海軍の親睦組織「水交会(旧水交社)」には海自OBが参加し、こちらの代表は海幕長経験者だ。
8.こうした事実から旧軍と自衛隊は実は地下水脈でつながっていると疑われているのだから、せめて衣の下の鎧(よろい)ぐらいは隠せ。一方、ジャーナリズムはその鎧の実態を暴露し続けなければならない。
(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3186135.html 参照 2024年6月25日)
(10)琉球新報-捕虜許さず突撃命令 皇国史観の下 犠牲多数 川満彰<日本軍と自衛隊 牛島司令官 辞世の句>中-2024年06月25日 13:25
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.50数万人とも言える住民を巻き込んだ沖縄戦。戦略的な戦闘を終えて来年で80年という大きな節目を迎える。住民戦没者数は未だに不明で、4人に1人が犠牲になったとしか言いようのない状況が続く。
2.年々と戦争体験者が減少していくなか、自衛隊配備強化、日米合同演習、台湾有事に備えた宮古・八重山諸島住民の疎開計画など、再び沖縄戦前夜を想起させるような政策や発言が目立ってきた。他方、学校教育現場では、沖縄戦をはじめとしたアジア太平洋戦争を学ぶ機会も少なくなり、人々が学ぼうとする気力が失われつつあると感じる。
(戦死者を冒涜)
1.陸上自衛隊第15旅団のホームページに掲載されている第32軍司令官牛島満中将の「秋待たて/枯れ行く島の/青草は/皇国の春に/甦(よみがえ)らなむ」という辞世の句。陸上自衛隊トップの森下康臣陸上幕僚長が自衛隊幹部候補生らに対し、第32軍は沖縄戦で「善戦敢闘を得た」と指導していた問題。これら自衛隊幹部の言動は沖縄戦で犠牲となった住民だけでなく、戦死した日本兵士をも冒涜(ぼうとく)することで、決して許されることではない。
2.掲載されている辞世の句は、牛島満司令官が敗戦間近の6月18日に摩文仁の第32軍司令部壕で生き残った兵士に解散命令(=総攻撃)を出し、その翌日に大本営及び第10方面軍司令官安藤利吉大将(第32軍の統括)に送った決別電報の一部である。決別文は約510字の文章と二つの辞世の句で成り立つ。その内容は「大命ヲ奉シ」から始まり、全軍をあげて敵の撃滅に徹し勇猛果敢に戦ったが3カ月間に及ぶ全軍の奮闘努力にもかかわらず、我々の陸海軍を圧する敵の物量にはかなわず、最後の別れがきた。〈中略〉「上 陛下に対し奉り、下国民に対し、(敗戦となること)真に申訳なし」。「茲(ここ)に残存手兵を率ヰ、最後の一戦を展開し一死以て御詫び申上くる次第なるも」と、生き残った兵士を率いて死んでお詫びをすると述べていた。また「最後の決闘にあたり、既に散華(さんげ)せる摩下(きか)数万の英霊(すでに戦死した部下数万の魂)と共に、皇室の弥栄(一層の繁栄)と皇国の必勝とを衷心(ちゅうしん)(心底)より祈念しつつ」とし、「離島各隊あり 何卒宜敷く御指導賜り度、切に御願ひ申上く」と述べている。司令官は負け戦と知りながら全兵士に捕虜となることを許さない殲滅(せんめつ)を企て、第10方面軍に対し、自らの死後「離島各隊」を最後まで指揮して欲しいという主旨であった。
3.さらに文末では、これまで平素から我が第32軍を支えてくれた「各上司各兵団に対し、深甚(しんじん)なる(心より深く)謝意を表し」「以て訣別(けつべつ)の辞とす」と締めくくっていたのである。その後に続く二つの辞世の句は、(1)「矢弾(やだま)尽き/天地(あめつち)染めて/散るとても/魂還(たまかえ)り魂還りつつ/皇国(みくに)護らん」。前述した問題の(2)「秋待たて/枯れ行く島の/青草は/皇国の春に/甦らなむ」と詠っている。(1)の句は「矢も弾も尽き果て命を失っても、我が魂は必ずや故国へかえり、天皇の国(=国体護持)を護る」とし、(2)の句は「秋を待たずに朽ち果てた沖縄島、生き残った人々は皇国が息吹くなかで再びよみがえるであろう」という主旨である(筆者訳)。決別文は全てにおいて軍国・皇国史観に染められていた。
(報復攻撃)
1.牛島満司令官が決別文を打電した前後を振り返ってみたい。5月下旬に首里城真下にあった第32軍司令部壕から南部へ撤退した司令官は、30日に摩文仁の司令部壕に到着。その後、周辺では米軍の猛攻撃が始まり、混在していたおびただしい数の住民が犠牲となった。6月18日、米陸軍指揮官のバックナー中将が戦死すると、日本軍はさらに激しい報復攻撃にさらされ、司令官はそのさなかに「…最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」と、死を以て解散する命令(=総攻撃)を下したのである。この命令で多大な兵士が戦死し、多くの鉄血勤皇隊や看護隊の少年少女たちも犠牲になった。ひめゆり学徒隊では戦場に立たされ亡くなった136人中117人が命令後に死亡、もしくは行方不明となっている。そして翌19日、牛島満司令官は自身の有終の美を飾るかのように皇国の安泰を憂い、沖縄戦を聖戦とする決別文を打電した。このような皇国史観の下で動員、戦場に立たされた住民は「軍隊は住民を守らない」という教訓を得たのである。
(軍隊は住民守らず)
1.2004年、防衛省トップの統合幕僚長会議元議長栗栖弘臣は著書のなかで「今でも自衛隊は国民の生命、財産を守るものだと誤解している人が多い。〈中略〉国民の生命、身体、財産を守るのは警察の使命(「警察法」)であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない」と述べ、「自衛隊は『国の独立と平和を守る』(「自衛隊法」)のである。この場合の『国』とは、我が国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された国柄、天皇を中心とする一体感を享有する民族、家族意識である。決して個々の国民を意味しない」(石原昌家『援護法で知る沖縄戦認識』)とはっきり述べている。栗栖元議長の軍国・皇国史観は牛島満司令官と同一であり、森下幕僚長の、第32軍は「善戦敢闘し得た」という発言も同根であろう。
2.歴代の防衛大臣や自衛隊幹部らが持つ軍国・国家(=皇国)史観は、安倍・菅・岸田内閣のなかで有事法制が次々と整備され、防衛予算が4兆円と膨らみ、武器輸出3原則がなし崩しにされたことでますます強固なものとなり、戦争を正当化・美化する行動や発言が露出してきたと考える。
3.ウクライナでの戦争、イスラエルによるガザ地区侵攻を見ても、いったん戦争が始まると終わりが見えなくなる。自衛隊も含め、誰ひとりも戦場へ立たせてはいけない。
(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3232865.html 参照 2024年6月25日)
(11)沖縄タイムス-日本軍が撤退時に戸籍焼却を指示 戦後の住民は復元手数料を払えず 埋もれた死者を記録に残し平和の礎の刻銘につなぐ[記憶を積む 石原ゼミと戦災調査](社会部・吉田伸)-2024年6月25日 9:39-[記憶を積む 石原ゼミと戦災調査](6)石原昌家さん(83)
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.糸満市摩文仁の「平和の礎」には24万2225人が刻まれている。「慰霊の日」の23日、沖縄戦などで犠牲となった肉親を追悼しようと、朝早くから多くの人々が家族の名の前に足を運んでいた。
2.住民を巻き込んだ地上戦はどこでどう亡くなったか判然とせず、礎には「◯◯の長女」「◯◯の三男」など、名前が分からない人も刻まれている。刻銘そのものが家族かのように「今年も来たよ」と声をかけたり、なでたり。酷暑の中、持参した冷たい水をかける人もいた。礎は、理不尽に命を奪われた家族と向き合える場となっている。
3.この刻銘の名簿を作るに当たって生きたのが1980年代、浦添市史で大規模に行われた戦災実態調査の経験だった。
4.90年に就任した大田昌秀知事は、95年の戦後50年を見据えて平和の礎構想を掲げた。各地で悉皆(しっかい)(全戸)調査を重ねてきた沖縄国際大名誉教授の石原昌家さん(83)が「刻銘検討委員会」の座長に就いた。
5.当初、県は援護課や市町村にある戦没者名簿を使う考えだった。しかし、石原さんはこれまでの調査で、行政が把握している人数に含まれない死者が多数いることに気付いていた。戦中の日本軍は各地で撤退する際、戦後の米軍の占領行政がうまくいかないようにと各市町村に戸籍簿を燃やすよう指示していた。石原さんは軍の指示を受け、市町村に伝えた当時の県幹部や職員5、6人からその話を聞き取っていた。
6.調査で分かったことはこうだ。戦後、戸籍簿を復元する際、琉球政府に申請すると1人当たりの手数料がかかった。貧しい人々は亡くなった家族の分は申請できなかった。戦時中に壕で生まれて亡くなった子は元々、戸籍もない。
7.「沖縄戦の実態を記録するため、生きていた人々をしっかり拾おう。県民誰もが家族を失った。戦没者調査は海邦国体と同じよう、全県で取り組むべきだ」
8.石原さんは全県下で戦没者の再調査の必要性を説いた。92年、石原ゼミは東風平町(現八重瀬町)志多伯と知念村(現南城市)久手堅で全戸調査を実施。その結果を県の再調査につなげた。「ゼミ生の取り組みが礎のベースになった。学生の力は本当にすごい」と振り返る。
9.各市町村の調査員は約1100人。約1万人の戦争体験者に聞き取りを行い、刻銘名簿が刷新されていった。不十分な点はその後に追加刻銘していくことも決まった。
10.「思い出したくもない、つらい記憶を抱える人々に向き合い、こじ開けるように聞いてきた」と実感を込める石原さん。体験者が口々に語った「命どぅあたらさんどーやー」(命こそが大切だよ)が活動の道しるべとなっている。(社会部・吉田伸)
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1384453 参照 2024年6月25日)
by asyagi-df-2014
| 2024-06-26 06:47
| 沖縄から
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