沖縄-辺野古-高江から-2024年6月24日
2024年 06月 25日
「鎮魂の祈りは、県内各地でもささげられ、県民の多くが、恒久平和を願う日となった。」(琉球新報)。
まず、2024年6月23日をきちんと刻み込もう。
そして、「知事は過重な米軍基地負担に加えて自衛隊の配備拡張が進む現状について『悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、私たち沖縄県民は強い不安を抱いている』」(沖縄タイムス)ことを。
沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
何よりも、自らが沖縄から受け取るものを明確にするために。それは、捉え直しとして。
2024年度も、改めて琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
(1)沖縄タイムス-沖縄戦の記憶、心に刻む 慰霊の日、島全体が鎮魂の祈りに包まれ 平和と継承誓う(社会部・下里潤、勝浦大輔、南部報道部・新崎哲史)-2024年6月24日 4:36-[戦後80年へ]
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.沖縄は23日、戦後79年の「慰霊の日」を迎えた。20万人を超える沖縄戦の犠牲者の死を悼む慰霊祭が県内各地で営まれ、島全体が鎮魂の祈りに包まれた。激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、沖縄全戦没者追悼式(主催・県、県議会)があり、県内外から約4500人が参列。戦前生まれの80歳以上の高齢者が全人口の1割を切る中、沖縄戦の記憶を次世代へ伝える大切さを改めて心に刻んだ。(社会部・下里潤、勝浦大輔、南部報道部・新崎哲史)
2.24万2225人の死者名が刻まれた同公園内の「平和の礎」には、早朝から手を合わせる人たちが絶えなかった。子どもから高齢者まで幅広い世代が花や線香を手向けた。
3.追悼式では、正午の時報に合わせ1分間の黙とうをささげた。県遺族連合会の我部政寿会長はロシアのウクライナ侵攻など紛争が世界で続いていると指摘。県内では戦後79年がたっても遺骨収集や不発弾の発見が相次いでいるとし、「沖縄の戦後はいまだ終わっていない」と力を込めた。
4.玉城デニー知事は平和宣言の中で米軍基地の過重負担や自衛隊の急激な配備拡張に言及。「犠牲になられたみ霊を慰めることになっているのか」と疑問を投げかけ、基地問題の早期解決を図るべきだと訴えた。
5.岸田文雄首相は「平和の尊さを次世代へ継承していくことはわれわれの責務」としつつ、米軍基地の負担軽減には「全力を尽くす」と述べるにとどめた。あいさつ中、会場の内外からやじが相次いだ。
6.那覇市の嘉数好子さん(87)は、母や弟らの名前が刻まれた平和の礎を訪れ「母たちの分も頑張ろうと生きてきた。戦争は絶対にしてはいけない。一人の力では限界がある。みんなで考えないと」と訴えた。
7.糸満市米須の「魂魄(こんぱく)の塔」で手を合わせた近くに住む福元米子さん(72)は、毎年この日に参拝する遺族の高齢化を痛感する。「世代が進み、来たくても来られない人もいる。地元の人も足を運びにくいので、思いを込めて祈った」と語った。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1383806 参照 2024年6月24日)
(2)沖縄タイムス-玉城デニー知事、自衛隊の増強に懸念 沖縄全戦没者追悼式の平和宣言で 地域外交で平和創造を決意(政経部・島袋晋作)-2024年6月24日 4:45
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.玉城デニー知事は23日の沖縄全戦没者追悼式の平和宣言で、安全保障環境の変化を背景に政府が進める南西諸島での防衛力強化について「自衛隊の急激な配備拡張が進められている」と懸念を示した。その上で「国際平和創造拠点」として地域外交を展開し、地域の緊張緩和や信頼醸成、ひいては世界の恒久平和につなげていく決意を語った。
2.知事は過重な米軍基地負担に加えて自衛隊の配備拡張が進む現状について「悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、私たち沖縄県民は強い不安を抱いている」と指摘した。
3.また1972年の日本復帰時、沖縄を平和の島とすることを目指した日本政府の声明に触れ「米軍基地の整理・縮小や普天間飛行場の一日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念など基地問題の早期解決を図るべきだ」と訴えた。
4.ロシアのウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ情勢、安全保障環境が複雑化する東アジア情勢にも言及し、今こそ「不条理な現状」を諦めずに声を上げ、行動していくことが一人一人に求められていると呼びかけた。(政経部・島袋晋作)
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1383807 参照 2024年6月24日)
(3)沖縄タイムス-岸田首相、遺骨土砂に言及 県民感情に配慮して調達先を選定 新基地巡り考え示す(政経部・島袋晋作)-2024年6月24日 5:15
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.岸田文雄首相は23日、名護市辺野古の新基地建設を巡り、沖縄戦戦没者の遺骨が交じる可能性がある沖縄本島南部の土砂を埋め立てに使う計画に反発が出ていることについて、県民感情に配慮して調達先を選定する考えを示した。「遺骨収集が進められており、(県民が)大きな関心を持って注視している。こうした事情も十分踏まえて調達先を考えなければならない」と述べた。(政経部・島袋晋作)
2.沖縄全戦没者追悼式に出席後、記者団の質問に答えた。岸田首相は就任後毎年、追悼式であいさつをしているが、今回初めて沖縄戦の遺骨収集に言及した。
3.首相は記者団に、土砂の調達先は「県内、県外の複数の候補地があり、確定していない」と説明。その上で「地元の皆さんの思いはしっかり受け止めなければならない」と語った。
4.一方、南西地域の防衛力強化と、在日米軍基地の整理・縮小は「決して矛盾するものではない」との見解を示した。地元と意見交換を続け、基地負担軽減に努力するとした。
5.その後記者団の取材に応じた玉城デニー知事は、過重な米軍基地負担に加えて自衛隊の強化が進む現状は「受忍限度を超えている」と厳しい認識を示した。遺骨が交じる可能性のある土砂を使うことは「人道的にも、道徳的にも認められない」と指摘した。
6.追悼式に先立ち、首相と知事は約10分間、非公開で面談した。自見英子沖縄担当相も同席した。
7.知事によると、県側は、政府の「骨太方針」原案に盛り込まれた沖縄振興策に期待し、ソフト・ハード交付金の確保を要望。また「基地負担の軽減を実感が伴うようやってほしい」と求めた。首相は沖縄振興や米軍基地の整理・縮小に取り組む考えを示したという。
8.辺野古問題で政府が「代執行」に踏み切って以降、初の面談となったが、知事は「特に直接辺野古については言及しなかった」という。その理由について「平和宣言の中でもわれわれはそれを主張している」と述べるにとどめた。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1383750 参照 2024年6月24日)
(4)沖縄タイムス-軍備増強に怒り 戦争体験者ら「沖縄を戦場にしてはいけない」と怒りや懸念の声 外交で平和を-2024年6月24日 5:55
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.戦後79年を迎えた沖縄で、急激な軍事化が進んでいる。自衛隊は南西諸島への配備を強化し、政府はシェルター整備や先島諸島住民の九州各県への避難計画を検討するなど、現状は「戦争前夜」とも指摘される。23日、糸満市の「平和の礎」を訪れた戦争体験者らから「沖縄を再び戦場にしてはいけない」との怒りや懸念の声が上がった。
2.沖縄戦中、南城市の嶺井良雄さん(87)は米軍の攻撃で家を壊され、北部に疎開して食糧不足に苦しんだ。父は兵隊に行き亡くなった。自衛隊増強に「戦争が起きたら真っ先にやられるのは沖縄。ウクライナ、ガザを見ても、巻き込まれるのは住民だ」と語気を強めた。
3.沖縄市の屋宜盛仁さん(86)は恩納村の山に避難したが、20代だったおじをブーゲンビル島で亡くした。「戦争のつらい体験は自分たちで十分だ」
4.若い世代も懸念を示す。祖父の弟の名前に手を合わせた渡真利祐紀さん(28)=浦添市=は「また沖縄が戦争の前線にされようとしているとしか思えない。武力ではなく外交による平和を目指すべきだ」と訴えた。
5.石垣市出身の平得永治さん(81)=嘉手納町=は、父と弟を台湾の防空壕で亡くした。戦後中国に渡り、妻の愛子さん(77)と結婚した。「台湾有事」が叫ばれるが、「戦争は起こしてはいけない。難しいことはよく分からないけれど、みんなで仲良くしないといけない」とうなずいた。
6.大阪府の原田義輝さん(74)は、妻の祖父古謝綏澄(すいちょう)さんの名前が刻まれた礎に毎年足を運ぶ。県出身の妻と結婚して沖縄の歴史を勉強した。「仮に戦争が始まっても自衛隊が住民を守ることはない。沖縄を捨て石にする行為は、本土の住民として情けない」と語った。
7.一方、礎でおじ3人の名に手を合わせた那覇市の名嘉清治さん(74)は「本当は望まない」と前置きした上で、「ロシア、中国がこれだけ脅威になっている。ある程度の抑止力として自衛隊の軍備増強は仕方がないのではないか」と投げかけた。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1383793 参照 2024年6月24日)
(5)沖縄タイムス-「なぜ私を先に殺してくれなかったのか」 渡嘉敷島の集団自決で生き残った姉妹(社会部・吉田伸)-2024年6月24日 5:36-[戦後80年へ]
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.青空が広がり、強い日差しが照りつけた戦後79年の「慰霊の日」。糸満市摩文仁の平和祈念公園では23日、遺族らが「平和の礎」の前で戦争の記憶をたどり、犠牲になった親族に語りかけた。日曜日とあって、世代を超え参拝し、祖父母が孫に戦争体験や実相を語り継ぐ姿も多く見られた。防衛力が強化され南西諸島での軍事色が強まる中、遺族らは不戦の誓いを新たにした。
(「集団自決」痛み今も 渡嘉敷で体験 喜久村・大城さん姉妹)
1.1945年3月、渡嘉敷島で住民330人が犠牲になった「集団自決(強制集団死)」で生き残った那覇市の喜久村清子さん(86)が、長姉の大城静子さん(89)=糸満市=と平和の礎を訪ねた。他界した母と末妹、祖母の名前を見つめながら「なぜ私を先に殺してくれなかったのか、母を恨んだこともあったが今は許せる」と語った。
2.阿波連集落で生まれ育った喜久村さんは当時6歳。米軍が上陸したため、日本軍は「米兵は女を強姦(ごうかん)し、男は首を切って殺す」と住民を脅し、島北部の北山(にしやま)に登るよう命令した。家に残ることは許されなかった。
3.山中の広場で、子どもたちが逃げないよう大人が取り囲んだ。母は親戚の男性に棒で背中を殴られ、亡くなった。11歳だった大城さんは首の後ろを2回打たれ「これ以上たたかれないよう死んだふりをした」。
4.喜久村さんは逃げ出したが、慕っていた「おばさん」が日本刀で腹を切られ、腸が飛び出すのを目にした。必死に腹に戻そうとする女性の夫に「水をくんできて」と求められた。急いで届けたのは、降り続いた雨と住民の血が混じった赤い水。「おばさん、血の水しかなかったよ」と話すと、「いいよ、清ちゃん」と飲んだ女性はそのまま息絶えた。
5.さらに海へ逃げる喜久村さんを追いかけてきたのは、2歳の弟をおぶった9歳の次姉。棒で喜久村さんの背中を殴ったが力が弱かった。ちょうど居合わせた米軍に捕らえられ、助かった。気を失ったふりの大城さんも、米軍に収容された。
6.米軍上陸前、家には日本兵5人が住み込んだ。「優しい母はおいしいご飯を食べさせていたのに、日本軍はデマを流して住民を殺し合わせた」と喜久村さんは怒りをあらわにする。「おばさんが死んだのは自分のせいだと苦しんできた。戦争はもう絶対にしてはいけない」(社会部・吉田伸)
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1383848 参照 2024年6月24日)
(6)沖縄タイムス-沖縄戦の体験、朗読劇に 小学6年生が現場巡り平和学習重ねる 6月30日学習発表会で披露(浦添西原担当・新垣玲央)-2024年6月24日 6:04-[戦後80年へ]
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.【浦添】浦添市立仲西小学校(金城一石校長)の6年生96人が30日に開かれる学習発表会で、沖縄戦で祖父と妹を亡くした同市宮城の喜舎場宗正さん(85)の体験に基づくデジタル紙芝居を使った朗読劇を披露する。4月から平和学習を重ね、5月に喜舎場さんらの話を聞いて壕なども一緒に巡った。平和への思いをそれぞれが詩に込め、発表会では一つにまとめた詩も群読する。劇のタイトルは「語り継ごう未来へ~平和への願い」。(浦添西原担当・新垣玲央)
2.宮城集落は沖縄戦で、当時の126世帯437人の半数以上となる228人が亡くなった。一家全滅の世帯は全体の3割余に上り、現在のキャンプ・キンザー内にあるウワーグヮーガマでは「集団自決(強制集団死)」の証言もある。
3.喜舎場さんは当時6歳。母は病死し、父が防衛隊に召集されたため、祖父と姉、妹の4人で戦火を逃げ惑った。ウワーグヮーガマへ向かう途中、祖父が目の前で銃撃に倒れて即死。そのガマでは米軍に黄リン弾を投げ込まれるなど混乱の中、妹を連れ出す余裕もなく姉と別の壕へ避難した。
4.米軍に捕らえられた後、孤児院で妹と再会できたが栄養失調で変わり果てていた。病院へ連れて行かれたまま安否は分からず、亡くなっていたと知ったのは66年後の2011年だった。
5.「悲惨な沖縄戦を伝え、平和を訴えることが妹やおじぃ、生きたかった人たちの慰霊になると思う」と語る喜舎場さん。5月の平和学習では、集落内に残る壕を案内しながら住民を巻き込む戦争の愚かさを伝え、「皆さん一人一人が平和をつくりだしていく主人公です」と呼びかけていた。
6.少年時代の喜舎場さん役を演じる照屋なつさん(11)は「とても残酷な体験だし、苦しんだ喜舎場さんの思いを伝えたい。平和のために自分のできることを一つ一つやりたい」。
7.プロローグの詩に選ばれた山城結愛さん(11)は「今ある日常、家族や周りの人がいることが当たり前じゃないと学んだ。何もせずに平和がいつまでも続くわけじゃない。戦争を知らないままでいけないし、大勢の人に伝えたい」と力を込めた。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1383700 参照 2024年6月24日)
(7)沖縄タイムス-知事 配備拡張にくぎ 自衛隊巡り踏み込む 首相との隔たり鮮明 沖縄全戦没者追悼式(政経部・嘉良謙太朗、島袋晋作、東京報道部・新垣卓也)-2024年6月24日 4:00
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.玉城デニー知事は沖縄全戦没者追悼式の平和宣言で「自衛隊の急激な配備拡張」にくぎを刺した。一方、岸田文雄首相は南西地域の防衛力強化の必要性を強調し、沖縄の負担軽減には反しないと理解を求める。双方の意見の隔たりが改めて浮き彫りになった。(政経部・嘉良謙太朗、島袋晋作、東京報道部・新垣卓也)
2.「今の沖縄の現状は、無念の思いを残して犠牲になられた御霊を慰めることになっているのか」。6度目となる平和宣言。専守防衛の範囲で自衛隊を容認する立場の玉城知事が、初めて疑問を投げかけた。
3.昨年の平和宣言でも政府が策定した安保関連3文書に懸念を示した。だが、自衛隊そのものには触れておらず、一歩踏み込んだ形だ。県幹部は「うるまの訓練場がいい例。住民合意のない計画は破綻する」と前のめりな政府をけん制した。
4.玉城知事は追悼式後、記者団の取材に、米軍基地の整理縮小が思うように進まない中、自衛隊の配備が計画通り進むことは賛否両論あると指摘。「住民に丁寧に説明し、基地の整理縮小を必ず進めるという責任感を持って取り組むべきではないかということを言葉に込めた」と狙いを明かした。
5.「南西地域を含め、防衛力を強化し、不測の事態においても国民の命と暮らしを守る取り組みを進めていくことが重要だ」。首相は追悼式後、記者団の取材にこう強調した。米軍基地返還が遅れる中での防衛力強化は負担軽減に逆行していないか問われると「決して矛盾するものではない」と否定した。
6.政府は昨年、石垣駐屯地を開設し、「空白地」とされてきた南西地域の自衛隊配備を完了。その後もミサイル部隊の配備を進め、2027年度までに陸上自衛隊第15旅団を師団化させるなど機能強化を図っている。
7.防衛省は新たに北大東村に航空自衛隊のレーダー部隊を配備する方針を決定した。東・南シナ海で覇権主義的な行動を強める中国などを念頭に、南西防衛体制の強化を進める。県民の軍事的負担は増加の一途だ。
8.「国民の誰も戦争は望まない。いかにそれを起こさせないようにするか、抑止の観点で防衛力強化は不可欠だ」と自衛隊幹部。「粘り強く理解を得ていくしかない」と話した。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1383760 参照 2024年6月24日)
(8)沖縄タイムス-悲惨な戦争、もう二度と 沖縄「慰霊の日」 平和への祈り島を包む 軍備強化に強い懸念も(宮沢之祐)-2024年06月24日 05:00
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.沖縄県は23日、沖縄戦で命を落とした20万人余に心を寄せ、平和を誓う「慰霊の日」を迎えた。79年前の激戦地、糸満市摩文仁の平和祈念公園では、県と県議会が主催する沖縄全戦没者追悼式が開かれた。玉城デニー知事は平和宣言の中で「自衛隊の急激な配備拡張が進み、県民は強い不安を抱いている」と、国が沖縄で進める防衛力強化に言及。参列した岸田文雄首相らに「沖縄の現状は、犠牲になられた御霊(みたま)を慰めることになっているか」と問いかけた。
2.式には遺族ら約4500人(県発表)が参列した。額賀福志郎衆院議長や尾辻秀久参院議長も出席。参列者らは正午の時報に合わせ黙とうした。
3.玉城知事は平和宣言で「抑止力の強化が地域の緊張を高めている」と指摘。しまくとぅばと英語を交え、交流による信頼関係の構築を訴えた。
4.岸田首相は「沖縄戦の悲惨な実相と平和の尊さを次世代に継承することは責務」と述べた。名護市辺野古の新基地建設や自衛隊増強には触れなかったが、会場から激しいヤジが飛んだ。
5.県遺族連合会の我部政寿会長は「二度と戦没者遺族を出さないという強い信念をもって活動する」と述べた。宮古高校3年の仲間友佑さんは平和の詩「これから」を朗読。世界で戦争が続く現状にあらがい、「僕らが祈りを繋(つな)ぎ続けよう」と誓った。
6.沖縄戦などで亡くなった人の名前を記す同公園の「平和の礎」には、今年は181人の追加があり、刻銘総数は24万2225人に。日曜の慰霊の日とあって訪れる人は途切れず、碑の前には手向けられた花束が並んだ。(宮沢之祐)
(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3227424.html 参照 2024年6月24日)
琉球新報-思いやり、世界変える」 宮古高3年の仲間さん、平和の詩に思い込め 沖縄「慰霊の日」(外間愛也)-2024年06月24日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.抑揚をつけた力強い語りは、聴衆の心に平和への思いを呼び起こした。23日の沖縄全戦没者追悼式で、平和の詩「これから」を朗読した宮古高校3年の仲間友佑さん(18)。「紡ぐ平和が/いつか世界のためになる/そう信じて」と読み上げた通り、今後も平和に関わり続ける思いだ。
2.一番強調したかったのは、沖縄戦から79年たった今も世界で起きる、戦争や紛争について問いかけた部分だ。詩ではできるだけ平易な言葉を使い、小学生から大人まで届くような普遍的なメッセージを込めた。「微力でも平和を願い続けること、他者を思いやりながら生活することが大切」と語った仲間さん。一人一人がその思いを持ち続ければ、世界は変わると信じている。朗読後に送られた拍手は、参加者の共感の思いを表すように、仲間さんが席に戻るまで途切れず会場に響き続けた。(外間愛也)
(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3227505.html 参照 2024年6月24日)
(9)琉球新報-炎天下に鎮魂の祈り 継ぐ平和への思い 沖縄戦体験者、悲しみ癒えず 慰霊の日(吉田健一、外間愛也、小浜早紀子、名嘉一心)-2024年06月24日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.正午の時報とともに目を閉じ、79年前の戦禍が奪った命を思う。沖縄は23日、慰霊の日を迎えた。日曜とあって、各地の慰霊や追悼の集いには、例年以上に多くの人々が訪れた。鎮魂と平和の祈りに包まれる中、自衛隊の急激な配備拡張に「戦前」を思い起こす戦争体験者がいる。悲惨な地上戦の経験から得た教訓を、私たちはどう受け継ぐべきか問われている。
2.沖縄戦の組織的な戦闘が終結してから79年となる慰霊の日の23日、糸満市米須の魂魄の塔や同市摩文仁の平和の礎には早朝から多くの遺族や親族らが訪れ、79年前の悲劇に思いをはせながら、鎮魂の祈りをささげた。
3.梅雨が終わり、青空から強烈な日が差した糸満市の平和祈念公園。夜明けとともに気温はぐんぐん上がり、沖縄全戦没者追悼式が行われた正午ごろには真夏日となる31度を記録した。沖縄特有の蒸し暑さも相まって、式典参列者や平和の礎を訪れた県民らは汗をぬぐいながら、故人を悼んだ。
4.母や父、きょうだいらの名前が刻まれた礎を指でなぞり涙を流す高齢者、祖父母らが語る沖縄戦の悲劇に耳を傾ける子どもたち。平和の礎はこの日、沖縄戦の実相を継承し、不戦を誓う場でもあった。戦後79年がたった今も癒えない傷や怒り、悲しみを抱える県民は少なくない。
5.那覇市の上原歳隆(たける)さん(48)は、1944年7月にサイパンで犠牲になった当時1歳の伯父の名が刻まれた平和の礎を初めて訪れた。昨年、78歳の母が亡くなったのがきっかけだ。礎を前にすると当時の環境や、伯父、祖父母の無念さが想像されると話し「自分は生かされている。日々を大事にしないといけない」と声を詰まらせた。
6.南城市玉城の比嘉正則さん(88)は兄と祖母の名が刻まれた平和の礎に手を合わせた。兄は兵隊として沖縄戦に従軍し、どこで亡くなったのかすら分からない。自身は戦時中、艦砲射撃を受け、頭と胸に今も傷跡が残る。「平和な時代なら兄も祖母も生きられただろう。戦争のない世の中になることを願っている」と語った。
7.追悼式では玉城デニー知事が平和宣言の中で、県内で進む自衛隊増強に「無念の思いを残して犠牲になられた御霊(みたま)を慰めることになっているのか」と問いかけた。会場からは大きな拍手がわき上がった。一方、岸田文雄首相があいさつをしている途中、会場の中央辺りで「岸田、沖縄を戦場にするな」と怒鳴り声が響き、会場は一時騒然とした。
8.鎮魂の祈りは、県内各地でもささげられ、県民の多くが、恒久平和を願う日となった。(吉田健一、外間愛也、小浜早紀子、名嘉一心)
(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3227442.html 参照 2024年6月24日)
(10)琉球新報-軍事増強「心配」 金城さん、慰霊碑に涙 激戦のサイパンで家族5人失う 沖縄(中村万里子)-2024年06月24日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.サイパンで両親ときょうだい3人を亡くし、兄2人と孤児になった那覇市の金城千代子さん(82)は23日、今年も那覇市識名の南洋群島戦没者慰霊碑に手を合わせた。「みんなに守られて生きてきたよ」。思いは尽きず、涙をぬぐう。
2.農業を営み、穏やかな暮らしを戦争が奪った。1944年6月15日、米軍がサイパンに上陸。当時2歳の金城さんを含む家族8人は艦砲射撃と爆撃の中を逃げ惑った。島の北の壕に隠れていた7月6日、日本兵が来て、米兵に総攻撃する「玉砕命令」が出たことを告げた。父親に行けるか聞いたが、父親は足をけがしていた。日本兵は手りゅう弾を渡し、言った。「戦えないなら自決せよ」
3.父親は他の住民らと「自決」。母親は子ども6人を連れ、海岸線を南下した。金城さんは兄におぶわれていた。結局母親と兄も行方が分からなくなり、姉と乳飲み子の弟は捕虜収容所で亡くなった。金城さんに記憶はなく、戦後引き取られた先で経緯を聞いた。兄2人も戦後苦しみ続けた。
3.軍事増強が進む沖縄について「もう7割方、沖縄は戦争になるという心配がある」と語る。「自衛隊は軍隊。基地があるところに戦争がある。もう基地をこれ以上造ってほしくない」
4.テレビで戦争の映像が流れる度に心臓をわしづかみにされるような気持ちになる。「戦争孤児ってこんなものだよね。今の子どもたちには戦争をしてほしくない」。沖縄戦から学び、次世代に最も継承するべきことは「戦争をしないことだ」と言い切る。(中村万里子)
(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3227503.html 参照 2024年6月24日)
(11)琉球新報-玉城デニー知事の平和宣言に参列者ら共感 首相あいさつは「形だけ」 沖縄「慰霊の日」(中村優希まとめ)-2024年06月24日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.沖縄全戦没者追悼式で平和宣言を読み上げた玉城デニー知事は、自衛隊の急激な配備拡張に県民が強い不安感を抱いているとして、「今の沖縄の現状は、無念の思いを残して犠牲になられた御霊(みたま)を慰めることになっているのでしょうか」と問いかけた。参列者からは「沖縄の人の心を訴えている」などと共感する声が聞かれた。岸田文雄首相は昨年と同様に「(米軍基地等の)負担の軽減に全力を尽くす」とあいさつした。
2.玉城知事が宣言を終えると大きな拍手が響いた。与那原町の男性(73)は「宮古や八重山の今の状況を見ると怖い。戦争に沖縄を巻き込むような感じになっている」と宣言に共感した。那覇市の男性(39)は長引く基地問題に触れ、「政府とのみぞを解消して少しでも解決に進むようにしてほしい」と求めた。
3.岸田首相のあいさつを聞いて、式典途中で席を立った女性(81)=北谷町=は「イライラして出てきた。もうだめ」と足早に帰って行った。沖縄大学の男子学生(20)=那覇市=は「首相は平和を強調していたように聞こえたが、沖縄の基地負担は変わらず、南西諸島の軍事化も進んでいる。平和を訴える沖縄に政府は逆行している。形だけのあいさつに感じた」と話した。
4.式典の後、おじとおばの名前がある平和の礎の前に立った那覇市の女性(75)は「(首相あいさつは)全然心に響かなかった。言っていることと、していることが違う」と手厳しかった。(中村優希まとめ)
(https://ryukyushimpo.jp/news/national/entry-3227446.html 参照 2024年6月24日)
(12)琉球新報-<全文>玉城デニー知事による平和宣言 慰霊の日 沖縄戦から79年-2024年06月23日 15:40
平和宣言
あの忌まわしい悲惨な戦争が、かつて、この美しい島で繰り広げられました。
鉄の暴風といわれるおびただしい数の砲弾による空襲や艦砲射撃により、私たちの島は、戦火に焼き尽くされ、多くの尊い命が失われました。
私たちは、あの悲惨な体験から戦争の愚かさ、命の尊さ、平和の大切さという教訓を学びました。
あの戦争から79年の月日が経った今日、私たちの祖先(うやふぁーふじ)は、今の沖縄を、そして世界を、どのように見つめているのでしょうか。
広大な米軍基地の存在、米軍人等による事件・事故、米軍基地から派生する環境問題など過重な基地負担が、今なお、この沖縄では続いています。
加えて、いわゆる、安保3文書により、自衛隊の急激な配備拡張が進められており、悲惨な沖縄戦の記憶と相まって、私たち沖縄県民は、強い不安を抱いています。
今の沖縄の現状は、無念の思いを残して犠牲になられた御霊を慰めることになっているのでしょうか。
かつて、沖縄の本土復帰にあたり、日本政府は、「沖縄を平和の島とし、わが国とアジア大陸、東南アジア、さらにひろく太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い生命を捧げられた多くの方々の霊を慰める道であり、沖縄の祖国復帰を祝うわれわれ国民の誓いでなければならない。」との声明を出しました。
この声明を想い起こし、沖縄県民が願う、平和の島の実現のため、在沖米軍基地の整理・縮小、普天間飛行場の一日も早い危険性の除去、辺野古新基地建設の断念など、基地問題の早期解決を図るべきです。
世界に目を向けると、今なお、争いは絶えることなく、ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ情勢など、戦争という過ちを繰り返し続けています。
東アジアでは、米中対立や中国の軍事力の強化、台湾や朝鮮半島を巡る問題など、自国の軍事増強により、抑止力の強化がかえって地域の緊張を高めている一方、経済面での緊密な結びつきが併存するなど、安全保障環境が複雑化しています。
世界の平和と安定に向けて、各国・各地域に求められているのは、それぞれの価値観の違いを認め合い、多様性を受け入れる包摂性と寛容性に基づく平和的外交・対話などのプロセスを通した問題解決です。
私たち沖縄県民は、万国津梁の精神で、近隣諸国との交流により、信頼関係を築いてきた歴史があり、また、「命どぅ宝」「ユイマール」「チムグクル」など多様な価値観の受容、相互扶助といった精神文化を継承しています。
「新たな建議書」「平和の礎」「沖縄平和賞」は、人類普遍の価値である平和を願う「沖縄のこころ」の表れであり、世界の恒久平和は、沖縄県民の切なる願いです。
私は、沖縄が国際平和創造拠点となり、万国津梁の精神をもって、「沖縄のこころ」を国内外に発信し、世界の平和構築や相互発展、国際的課題の解決に向け地域外交を展開していくことが、地域の緊張緩和と信頼醸成に貢献し、世界の恒久平和に繋がっていくものと確信しています。
国連ピース・メッセンジャーであり、自然保護や人道問題へ取り組む世界的な環境活動家でもあるジェーン・グドールさんは、「私たちの行動は、毎日必ず何かしらの影響を世界に与えています。どんな行動を取るかが“違い”を生み、どのような“違い”を生み出したいのかを決めなければなりません。」と語っています。
一人ひとりの思いや行動は、たとえ微力でも、確実に世の中を変えていく力があると、勇気を与えてくれる言葉です。
今こそ、私たち一人ひとりに求められるのは、不条理な現状を諦めるのではなく、微力でも声をあげ、立ち上がる勇気、そして、行動することです。
先人から受け継いだ精神文化をもって、他者を尊敬し、思いやり溢れる社会を造り上げ、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立に向けて、共に絶え間ない努力を続けてまいりましょう。
わったー元祖(ぐゎんす)んかい 誇(ちむふくい)ないる沖縄(うちなー)あらんとーないびらん。
わったーや近隣(けーとぅない)ぬ諸国(くにぐに)とぅ交流(とぅぃふぃれー)っしちゃるたみ、信頼関係(どぅしびれー)ぬ仲(なか)までぃ積(ち)み上(あ)ぎてぃちゃる歴史(でー)ぬあいびーん。
わったーや平和(ゆがふーゆー)大切(てーしち)にする精神(たまし)ぬあいびーん。
わったーや価値観(ありましくりまし)ぬ違(ち)げーぬあてぃん 互(たげー) に容認(ちむ) 合(あーし) ぬないる精神文化(ちむだまし)ぬ 継承(ふぃちちじ)さっとーいびーん。
沖縄県(わったーしま)が世界(しけー)ぬ恒久平和(ながゆがふーゆー)ぬ架橋(はしわたし)ないるぐとぅ一緒(まじゅん)っし目標(みやてぃ)んかい向(ん)かてぃいちゃびらな。
We strive to make Okinawa an island we and our ancestors are proud of.
We have a history of trust that has been established through exchanges with our neighboring countries.
We bear hearts that cherish peace.
We carry on the spirit of accepting diverse values.
We, the people of Okinawa, shall together aim to be the bridge to world peace for all time.
本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全ての御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、戦争に?がる一切の行為を否定し、人間の尊厳を重く見る「人間の安全保障」を含めた、より高次の平和を願い続け、この島が世界の恒久平和に貢献する国際平和創造拠点となるよう、全身全霊で取り組んでいくことをここに宣言します。
令和 6 年(2024年)6 月 23 日
沖縄県知事 玉城 デニー
(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-3225920.html 参照 2024年6月24日)
(13)琉球新報-<全文>岸田文雄首相あいさつ 沖縄全戦没者追悼式 沖縄戦から79年-2024年06月23日 17:42
令和六年沖縄全戦没者追悼式 内閣総理大臣挨拶
令和六年沖縄全戦没者追悼式が執り行われるに当たり、沖縄戦において、戦場に斃れられた御霊、戦禍に遭われ亡くなられた御霊に、謹んで哀悼の誠を捧げます。
先の大戦において、沖縄は、凄惨な地上戦の場となりました。人々の平穏な暮らしは、にわかに戦乱の渦に巻き込まれ、罪もない民間人を含め、二十万人もの尊い命が失われ、この地の誇る美しい海や森、豊かな文化は破壊されました。不発弾の処理や御遺骨の収集は、今もなお続いています。多くの子供たちの命が奪われた対馬丸事件のような耐え難い出来事もありました。こうした沖縄戦の悲惨な実相と平和の尊さを次世代に継承していくことは、我々に課された責務です。
平和の礎には、今年も百八十一名の御名前が新たに刻銘されました。平和の礎に刻まれた一人一人の戦没者の無念、残された御遺族の方々の悲しみや喪失感を思うとき、胸塞がる思いを禁じ得ません。
私たちが享受している平和と繁栄は、命を落とされた方々の尊い犠牲と沖縄の方々の筆舌に尽くし難い苦難の歴史の上にあることを、改めて深く胸に刻みながら、静かに頭を垂れたいと思います。
来年には沖縄戦から八十年を迎えます。これまで県民の皆様のたゆまぬ努力もあり、沖縄経済は着実に成長し、県民生活も大いに向上しました。
美しい自然、アジアの玄関口に位置する地理的特性、国際色豊かな文化や伝統。こうした魅力や優位性を最大限に活かしつつ、「強い沖縄経済」の実現に向けて、国家戦略として、沖縄振興を総合的に進めてまいります。
他方で、今もなお、沖縄の皆様には、米軍基地の集中等による大きな負担を担っていただいています。政府として、このことを重く受け止め、負担の軽減に全力を尽くしてまいります。
来年春には、今後の跡地利用のモデルケースとなる西普天間住宅地区跡地に、高度な医療・研究機能の拡充や地域医療の向上に繋がる健康医療拠点が誕生します。
引き続き、在日米軍施設・区域の整理・統合・縮小を進めるとともに、こうした目に見える成果を一つ一つ着実に積み上げてまいります。
戦後、我が国は一貫して、平和国家として、その歩みを進めてまいりました。戦争の惨禍を二度と繰り返さないという強い決意の下、世界の誰もが平和で心豊かに暮らせる世の中を実現する。この決意を貫き、後世にまで伝えていくことを、改めて御霊にお誓いいたします。
結びに、この地に眠る御霊の安らかならんことを、そして御遺族の方々の御平安を、心からお祈りし、私の挨拶といたします。
令和六年六月二十三日
内閣総理大臣 岸田文雄
(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-3226651.html 参照 2024年6月24日)
(14)沖縄タイムス-【慰霊の日・写真特集(1)】家族全員 誰一人の骨も戻らず 青春奪った戦争許せない-2024年6月24日 11:38
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.戦後79年の「慰霊の日」。県内各地で追悼式が執り行われ、多くの人が戦没者の冥福を祈り、恒久平和を願った。太陽が容赦なく照り付ける中、糸満市の「平和の礎」や「魂魄(こんぱく)の塔」では、日傘を差した遺族らが、花や線香を供えて手を合わせた。戦争で命を落とした家族の思い出を子や孫に聞かせる姿も。20万人を超える犠牲を出した沖縄戦の記憶をつないだ。
(一中健児之塔 那覇市首里金城町 730人)
1.久高安進さん(95)=那覇市 一中の同級生は70人ほど亡くなった。貴重な青春も戦争で無駄になってしまった。真壁村(現糸満市)で戦死した兄の遺骨は、いまだ見つからない。辺野古の埋め立てに南部の土砂を使う計画には、身の毛がよだつ思いを抱いている。
(白梅之塔 糸満市真栄里 約100人)
1.武村豊さん(95)=那覇市 戦時中は、ひものようなイモなどを拾ってきて、友達や子どもと分け合った。戦争はしたくなかったけど、間に合わなかったね。私にできることは戦争体験を少しでも伝えていくこと。きょうは、同窓生たちに会えて感動している。
(那覇商高和魂の塔 那覇市松山 約350人)
1.儀間秀子さん(94)=那覇市 戦争で父母、兄2人と弟1人の家族全員を亡くした。誰一人、骨も戻ってきていない。兄が祭られた塔へ毎年足を運んでいる。何とも言えない気持ちで手を合わせた。戦争を忘れたことはない。二度とないようにと、若い人に伝えたい。
(南洋群島慰霊碑 那覇市識名 自由参拝)
1.宜野座朝美さん(84)=那覇市 4歳の時、パラオで戦争に遭った。引き揚げた沖縄でも多くの人が犠牲になった。「慰霊の日」は亡くなった子どもたちが一番欲しがった水を真っ先に供えている。南洋群島帰還者会の活動も次世代が引き継ぐというので一安心だ。
(海鳴りの像 那覇市若狭 約100人)
1.松田京子さん(82)=名護市 父は1943年12月、米潜水艦に撃沈された「湖南丸」で亡くなった。まだ30代後半だった。自分もいまだに爆撃機の音は耳にこびりついている。年を重ねるごとに、若い人に平和の大切さを伝えなくてはとの思いが強まっている。
(積徳高女追悼法要 那覇市松山 9人)
1.知念栄仁さん(70)=八重瀬町 父の妹の1人(知念ヨシ子さん)が積徳高女で、動員されて犠牲になった。毎年のように孫を連れて来る。南西諸島に自衛隊が配備強化されている現状をみると、これからの世の中がどうなるのか心配。平和であるよう願っている。
(ずゐせんの塔 糸満市米須 自由参拝)
1.屋宜ヒデさん(97)=読谷村 慰霊塔には後輩や先生の名前が刻まれている。卒業後に戦争が始まったので看護隊に加わってはないが、後に仲間たちが亡くなったのを聞いて本当につらかった。青春を奪われたと思うと悔しい。愚かな戦争を許してはいけない。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1383731 参照 2024年6月24日)
(15)沖縄タイムス-【慰霊の日・写真特集(2)】今も各地で戦争起こり、つらい 体験語るのは苦しいが伝えねば-2024年6月24日 11:13
戦後79年の「慰霊の日」。県内各地で追悼式が執り行われ、多くの人が戦没者の冥福を祈り、恒久平和を願った。太陽が容赦なく照り付ける中、糸満市の「平和の礎」や「魂魄(こんぱく)の塔」では、日傘を差した遺族らが、花や線香を供えて手を合わせた。戦争で命を落とした家族の思い出を子や孫に聞かせる姿も。20万人を超える犠牲を出した沖縄戦の記憶をつないだ
(二中健児の塔 那覇市楚辺 約150人)
1.翁長芳子さん(84)=那覇市 県立二中の教員だった父(仲地善吉さん)を追悼しようと毎年来ている。遺骨も見つかっていないので、塔の刻銘はありがたい。今も世界各地で戦争が起こっていて、つらい。特に若い世代は平和についてたくさん考えてほしい。
(ひめゆりの塔 糸満市伊原 170人)
1.本永一馬さん(68)=浦添市 伯母はひめゆり元学徒の狩俣キヨ。陸軍病院南風原壕で亡くなった。足に被弾し動けなくなったと聞く。19歳だった。元学徒たちから伯母の最期を聞いて胸が痛んだ。戦争はあってはならない。子や孫に語り継いでいきたい。
(開南健児之塔 糸満市山城 自由参拝)
1.安里喜隆さん(76)=北中城村 10人きょうだいのうち4人を沖縄戦で亡くした。18歳の頃から手を合わせに来ている。平和を継続させることは何よりも難しいよ。今は沖縄戦を語り継ぐのが私の務めだと思っている。だから4人には安心して眠ってほしい。
(梯梧之塔 糸満市米須 自由参拝)
1.吉川初枝さん(96)=西原町 戦争で艦砲射撃に当たった弟を亡くした。母は爆風で耳から血を流し、自分も背中に弾のかすった傷が今も残っている。人間が人間じゃなくなるのが戦争。争いのない世の中を続けていってほしい。そのために、体験を語り続ける。
(南燈慰霊之塔 名護市大西 約220人)
1.大城幸夫さん(95)=名護市 県立三中の3年生で入隊し、八重岳などで部隊間の連絡網を確保する通信隊にいた。切れた電話線をつなげるため山中に駆り出され、友人2人が艦砲射撃の犠牲に。私も連日の艦砲で腕を負傷した。体験を語るのは苦しいが、伝えねば。
(島守の塔 糸満市摩文仁 約80人)
1.宮城真治さん(65)=那覇市 母の弟は県庁職員だったが海軍に召集され、銃剣も武器もない中で切り込み隊となり糸満市で戦死した。母が弟のことを打ち明けたのは28年前。ずっとつらかったのだろう。戦争の悲惨さを多くの人に伝え続けていきたい。
(沖縄師範健児之塔)
1.小濱善市さん(85)=本部町 長男(昇さん)に会いに来た。兄が戦死したとき僕は5歳。優秀で、おとなしいが人に優しかったと聞いている。幼かった自分は兄の顔を覚えていない。戦争は兄との思い出までも奪った。兄の人生を思うと本当にやりきれない。
(沖縄工業健児之塔 糸満市摩文仁 自由参拝)
1.渡嘉敷真盛さん(85)=豊見城市 家族で宮崎へ疎開していたため無事だったが、先輩方は戦争に強制的に協力させられ、無残な最期を遂げた。今の現状を見ると、この国がどこに向かっているのか気になる。これからも慰霊を続けなければならない。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1383969 参照 2024年6月24日)
(16)沖縄タイムス-玉城デニー知事「詳細を確かめたい」 北大東村へのレーダー配備方針 6月27日防衛省が村に説明へ-2024年6月24日 9:37
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.防衛省が沖縄県北大東村に航空自衛隊の移動式警戒管制レーダーと運用部隊を配備する方針を固めたことに、玉城デニー知事は24日午前、「その件についてはまだ基地対策課から報告はない。詳細を確かめたい」と述べた。記者団の質問に答えた。
2.政府関係者によると、沖縄防衛局の職員が27日、北大東村を訪問し、配備計画について正式に説明する予定という。
3.北大東村の自衛隊配備を巡っては、村や議会が2021年12月、防衛省に誘致の意見書を提出。昨年7月には、防衛省が住民を対象に配備の検討状況などを説明していた。
4.移動式警戒管制レーダーは、航空機や艦船の動向を把握する車両搭載型の装備。沖縄を含め全国に配備されている固定式レーダーではカバーできない範囲の警戒監視を担う。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1383929 参照 2024年6月24日)
(17)沖縄タイムス-岸田首相に複数のやじ 沖縄慰霊の日 「基地と一緒に持ち帰れ」空包持ち込んだ女性は任意同行-2024年6月24日 13:06
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.沖縄県などが主催する追悼式での岸田文雄首相のあいさつ中、複数からやじが飛んだ。大宜味村の男性(58)は「沖縄を犠牲にするな」などと叫んだ。警察官らに式典会場から連れ出されながらも「軍隊は住民を守らない。県民は声を上げなければいけない」などと訴えた。
2.東村の女性(45)は米軍北部訓練場返還跡地で発見した空包7発を持ち込み、会場外から「銃弾を基地と一緒に持ち帰れ」と叫び、その後、糸満署に任意同行された。
3.県警はこの日、千人規模で会場を警備。警察犬を配備し、所持品検査を入念に行うなど「厳戒態勢」を敷いた。家族3人で訪れた50代の女性は「早朝から警察官が多くてびっくり。式典も参加したかったが、混雑していてやめた」と疲れた表情だった。
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1383851 参照 2024年6月24日)
(18)沖縄タイムス-【沖縄慰霊の日】防衛力強化「まるで戦前」 有事回避へ外交努力求め(共同通信)-2024年6月24日 10:19
沖縄タイムスは、表題を次のように報じた。
1.太平洋戦争末期の沖縄戦終結から23日で79年となった。沖縄県民の平和への願いとは裏腹に、政府は台湾や尖閣諸島を巡る有事を念頭に、防衛力強化にまい進、住民の避難計画も練る。“鉄の暴風”に焼き尽くされた地上戦の惨禍の記憶が頭をよぎり、戦争体験者は「まるで戦前だ」と憂慮。政府に対し、悲惨な歴史を顧み、衝突を避ける外交努力を求めている。
(緊張)
1.「抑止力の強化がかえって地域の緊張を高めている」。玉城デニー知事は沖縄全戦没者追悼式の平和宣言で、各国・地域の軍備拡張が東アジアの不安定化を招いていると指摘。一方、経済的には結び付くなど安全保障環境は複雑になっており「沖縄が地域外交を展開し、緊張緩和に貢献する」と力を込めた。
2.政府は九州沖縄の防衛力を強化する「南西シフト」を進め、3月には地対艦ミサイル部隊を初めて沖縄本島に配備した。来年度には、相手国領域内を攻撃するために射程を約200キロから約千キロに延ばす、12式地対艦誘導弾の能力向上型を配備する方針。仮に沖縄に置けば中国本土が射程圏内となり、反発は必至だ。
3.台湾情勢は緊張が続く。中国軍は今年5月、台湾を取り囲むように艦艇や航空機を展開させる異例の大規模演習を実施した。自衛隊幹部はこの演習を振り返り「有事に備える重要性を県民に理解してもらえたのではないか。沖縄戦の再来を避けるには抑止力が必要だ」と訴えた。
(軍事拠点)
1.日米は連携を深める。両政府は有事に日本の空港や港湾を軍事拠点とする方針を掲げ、エマニュエル駐日米大使は5月、台湾に近い沖縄県の先島諸島を米軍機で巡った。
2.玉城知事は「緊張感をもたらす」と懸念を表明。「米軍機の民間空港の利用は緊急時に限る」とした要請もほごにされ、強い不快感を示した。
3.有事に自衛隊などの使用を想定した「特定利用空港・港湾」には、那覇空港と石垣港も含まれた。県の担当者は「相手国から標的にされる恐れがある」と危機感を示す。一方で、石垣市など離島5市町は、地元空港の滑走路延伸や、港湾の岸壁整備が見込めるとして前向きな姿勢を隠さず、県側の足並みには乱れもうかがえる。
(現実離れ)
1.「国は有事をあおるように島のとりで化を進めているが、平和を望む県民感情は置いてきぼりだ」。沖縄戦で家族7人を亡くした那覇市の澤岻正喜さん(85)は、旧日本軍が沖縄での任務を活発化させた記憶がよみがえり、不安を覚える。
2.1944年には、学童や教員らを乗せた疎開船「対馬丸」が沖縄を出発後、米軍の魚雷攻撃を受けて沈没。1400人以上が命を落とした。
3.現在、政府が策定を進める有事の住民避難計画は、先島諸島の住民ら約12万人を船舶と航空機で九州各県と山口県に退避させる想定だ。最短なら「6日間程度で可能」と見込まれるが、80年前の対馬丸の惨劇がダブり、実効性を疑問視する声も多い。
4.対馬丸事件を生き延びた高良政勝さん(84)は「運ぶのは米や麦ではなく生きた人間。ミサイルの標的になるかもしれず現実離れしている」と突き放し「戦争で被害を受けるのは国民。有事を招かぬよう、為政者同士で話し合いを続けてほしい」と注文を付けた。(共同通信)
(https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1383957 参照 2024年6月24日)
(19)琉球新報-【記者解説】「抑止力」で高まる緊張に危機感 沖縄戦に向き合わない政府 「慰霊の日」平和宣言、首相あいさつ(沖田有吾)-2024年06月24日 05:00
琉球新報は、表題を次のように報じた。
1.玉城デニー知事は平和宣言で「戦争につながる一切の行為を否定」し、沖縄が「世界の恒久平和に貢献する国際平和創造拠点となるよう、全身全霊で取り組む」と宣言した。例年よりも強い表現となった背景には、国の意思による「抑止力」強化によって、かえって緊張が高まっている現状への危機感がある。
2.知事は2年連続で、安保3文書改定による自衛隊の急激な増強に対して、沖縄戦の記憶と相まって県民が強い不安を抱いていることを指摘した。式典後、知事は記者団に対して、在沖米軍の整理・縮小が進まない一方で政府による自衛隊の「南西シフト」が急速に推し進められていくことへ「県民からすると、受忍限度を超えている」と表現した。
3.玉城知事は専守防衛の組織としての自衛隊を認めるが、県民の安全や生活を最優先する立場から配備拡張による住民生活への影響や、自衛隊が反撃能力(敵基地攻撃能力)を持つようになれば抑止力の増強がかえって緊張を高めるのではないかという懸念を持っている。価値観の違いを受け入れるという沖縄の精神文化を基に、地域外交を通じた平和の確立を目指すのは、地上戦の惨禍を経験した沖縄にとっては高望みではなく、平和の実現に向けた現実的な方策と言える。
4.一方、岸田文雄首相はあいさつで、辺野古新基地建設や自衛隊の増強による新たな基地負担には触れなかった。何よりも毎年のことではあるが、沖縄を本土決戦の「捨て石」にした日本政府の責任と反省については一切言及がない。「新たな戦前」の恐れさえ指摘されている今、なぜ沖縄戦が起きたのかを政府がどう分析・認識し、反省しているかを発信することが「次の沖縄戦」を防ぐために重要なメッセージとなるはずだ。
5.住民を守るとはどういうことか。「戦後最も複雑で厳しい安全保障環境にある」(岸田首相)というのならなおさら、政府は沖縄戦の反省に真摯に向き合わなければならない。(沖田有吾)
(https://ryukyushimpo.jp/news/politics/entry-3227435.html 参照 2024年6月24日)
by asyagi-df-2014
| 2024-06-25 06:57
| 沖縄から
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