軍人を公教育の場に入れること。

 三上さんのFBがこんなことを教えてくれました。


伊江島の公立中学校で
米兵が英語を教える?
それもレギュラーで?
このことが
沖縄県内でもまだ
さほど問題視されていないことが
信じられない

それどころか
何が悪いの?と
言う声が聞こえてきそう

75年前
学校に配属将校がいて
軍事教練をするだけでなく
子供をリクルートしていくだけでもなく
先生たちが軍隊に忖度していく

軍隊の影響下に
学校ごと入っていくことを
許した
その結果何が起きたか?

生徒を連れて戦場に行った
その反省の上で
教育現場と軍事組織は
絶対に交わってはいけないと
肝に命じたはずではなかったのか?

軍人を学校に入れてはいけない

頑なだと言われても
サヨクと言われても
人材不足だとか
異文化交流とか
悪い人たちじゃないとか
いるものは利用すれば?とか
肯定する100の理由は
いい

そんなことで一角を崩されたら
そのあとは早いんです

軍人を
公教育の場に入れて
平気になっては
いけないんです


私たちは、常に、緊張感を持って過ごしましょう。
久しぶりに、教育の独立性や学校現場の独自性ということ思い出しています。


 なお、基の記事は、次のもの。
Osprey Fuan Clubより。



JP 脅かされる教育の独立性
f:id:ospreyfuanclub:20190924174407p:plain


中学の教室に軍人がやってくる。
しかも今年の二月から
毎週授業を行う。
これは戦前戦中の中学の話なのだろうか。
英語教育のためなら、軍人を公教育の現場に招きいれ、教室で授業させることも問題なし、という、見境のない「アイデア」を思いついたのは、伊江中の教頭だという。

だいたい、地元との協定を守らず、住民の申し入れや抗議を徹底的に拒絶し、住民や被害者家族の申し入れ書を受け取ることまで拒絶している在沖米軍から、どうやって子どもたちが「コミュニケーション能力」を学ぶというのだろうか。

地元に耳を貸さない軍に「会話」を学ぼうとするより、軍が常套的に行う様々な対外的なイメージ戦略の「読み方」について、学ぶのが優先事項ではないだろうか。
というのも、海兵隊は伊江中の海兵隊員との授業風景や、生徒と一緒の給食時間を写真撮影し、在沖海兵隊のイメージアップ広報として使用する。海兵隊にとっては一石二鳥である。

在日海兵隊の公式アカウントには、このようなツイートが膨大に寄せられるが、不思議なことに、それではその「素晴らしい」海兵隊を本土で引き受けましょうというツイートは皆無なのである。羨ましいなら、今も伊江島の35%を占有し、戦闘機の轟音を響かせる飛行場ごと、ごっそり引き取ってくれればいいわけだが。
さらに注意したい点は、海兵隊員が毎週金曜日に中学校を訪れ、「主に英語のクラスを中心に授業に参加」しているとあるが、英語の授業以外にも、ほかにもいろいろと参加する。給食を一緒に食べる、などなど、


いったん軍人が学び舎の門をくぐれば、「教育の独立性」を維持するどころか、米軍との連携行事や活動など、活動を制限することは難しくなる。
しかし、驚くことに、伊江中の教師たちが、こうした軍学一体化になんの違和感も疑問も抱いていないことである。

いったいこの百年間の日本の教育史の知識すらないのだろうか。校長に至っては、中学生が学内で海兵隊と交流するのは「素晴らしいこと」と語っている。
しかし、これら赤嶺教頭が海兵隊の隊員に声をかけて始めたという伊江島中学の「米軍活用」は、なにも赤嶺教頭の思いついた「斬新な」教育メソッドではない。
斬新などころか、じつは昨年、日本政府が沖縄の教育現場に「提言」した「沖縄の英語教育に米軍活用」に、学校側が、そのまま従ったまでのことだ。実に情けない。

そして安倍政権は昨年6月15日の閣議決定で、「沖縄振興策の方向性」として、「米国の協力を得た英語教育の充実」を盛り込んだ。
ここで最も重要なのは、日本政府は、なにも米軍を学校教育に「活用」する教育策を、本土でやろうとは考えていない、という点である。

沖縄の教育現場にだけ「米軍を活用」して「新たな人材」を育成しようとしているのだ。
どうやってもまっとうに選挙や県民投票で勝ち目のない自民が、いま重視しているのが、若年層をターゲットにした「沖縄の教育に米軍を活用せよ」という施策。
差別的なまでの、その政策の本当の意味と目的を伊江中学の校長と教頭は理解できないほど愚か者ではないはずである。

今の教育現場には、人員も足りず、資金もなく、時間もない。
しかしそれは敗戦前の教育現場も全く同じ情況だった。教育行政が内務省に取り込まれ、監視され制御されていく過程に、こうして人為的に枯渇した教育行政が利用された。

海兵隊員を毎週の授業に取り入れたという伊江中学だが、島に最初の軍の飛行場が建設される際、日本軍とその兵士を島民みんなで支えた。その際、こちらの記憶が正しければ、伊江島中学も日本軍の駐屯地となったはずである。

しかしその結果は皆さんもご存知の通り、日本軍の基地の島となったゆえに島自体が逃げ道のない地獄へと化した「伊江島の戦い」だった。住民の約半数がそれでいのちを奪われただけではない。その後、今度は、米軍基地の島となった伊江島に、島民は二年以上も戻ることができず、いまだに島の 36%は米軍に接収されたままである。

74年前の沖縄戦では、県民の四人に1人の命が奪われたが、学徒動員をかけられた中学生たちは、最低でも二人に一人が親元に帰ることができなかった。

沖縄戦における学徒動員の戦死者率は、現在わかっているだけでも 51% 。それは、学徒を引率した教員の戦死者率 40% よりも圧倒的に高い。生き残った教師たちはいったい何を考えたのか、そのおぞましい「罪」に、ひとりひとりの教育者が向き合うことから戦後の教育は始まった。

つまり、教育の独立性である。

わかりやすく言えば、政治力、ましてや軍の影響力から子どもたちの「学び舎」をまもる、ということだ。

そして、戦後から74年。教育現場が貧すれば、日本軍でも米軍でも「活用」するという伊江中学校側の判断は、スマートなものなのか。
どうやら、伊江中の教頭も校長も、そう考えているようである。要領よく軍を利用すればよい、と考える。

しかし、それは逃げ道をたくさん持っている狡猾な大人の話だ。

74年前、本土からやってきた水産学校の校長は、軍服を着て威勢よく軍隊式を取り入れた。敬礼や挙手なども他校に先んじて導入し、軍や県庁からの評価が高かった。しかし、いざ沖縄戦が避けれない状況になると、ポンポン船に乗って本土に帰っていく。また戦場を逃げまどうひめゆりの女子学生たちを、ある校長と教員は石を投げてまで追い払ったという。

とかく立身出世に賢しい大人は変わり身が速い。死の意味を知り、妥協を知っている。ゆえに教師は要領よく目の前の危機から逃げることもできる。しかし子どもたちは違う。それがあの戦死者率の差に出てくる。

その現実を沖縄は経験してきたはずである。大昔のことではない、つい74年前のことだ。

公教育の現場がどれだけ貧しようと、国家権力や行政、ましてや、米軍や自衛隊に授業枠を提供してはならない。

こうした戦後教育の「独立性」の維持は、ここでは完全に破綻している。

伊江島中学のこの案件は、これからしっかりとした議論がもたれるべきものである。


by asyagi-df-2014 | 2019-09-30 06:41 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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