時には、じっくりと考えてみることを。-年金問題-

 朝日新聞記者による「経世彩民 浜田陽太郎の目」に気づかされた。
 もう少し、じっくり考える必要があると。
朝日新聞(以下、「朝日」)は2019年9月24日、「私は政府のポチなのか? 年金不安あおる報道に違和感」、とこのように伝えた。
 まずは、「自分はもう、マスコミの世界で決定的に感覚がずれてしまったのではないか……。」、とこのように始められる。


(1)8月末に発表された「年金の健康診断」、すなわち5年に1度の財政検証の報道にふれて、身の置きどころのないような感覚におそわれた。
(2)新聞には「見通し改善せず」「先細りの未来」といったクラ~イ見出しが躍り、ワイドショーではコメンテーターが「この試算は甘い」「日本はダメになっている」と追い打ちをかける。
(3)いやいや、自分も若いころには、さんざん同じようなトーンの記事を書いてきた。エラそうなことはいえない。額にシワを寄せて、制度の不備を指摘し、危機を訴えてきたじゃないか……。だが、社会保障を20年近く取材してきたいま、「政府の見通しは甘い。このままだと年金は破綻(はたん)する。何とかしろ」という大合唱に、加わる気が失せている。


 指摘は、「自分は政府のポチになったのか。もう『年金記者失格』なのか――。」、と綴られる。
 それは、「年金と生活保護、何が違う」、と続けられる。


(1)心変わりの理由の一つに、高齢者の生活実態に触れる機会を得たことがある。
(2)6年来のおつきあいになる取材先の男性(71)は、月額4万円弱の年金を受け取っている。非正規の仕事を転々とし、なるべく社会保険料の負担から逃れようと行動してきた。それでも、勤め先で厚生年金に加入していた期間が細切れであり、それを足し合わせると136カ月と、年金をもらえるのに最低必要な「10年分」に届いていた。
(3)もちろん、年金だけでは生活できないので、貯金を取り崩している。それでも、生きている限り、受け取る権利が保障されたお金の存在が、いかに「頼もしい」ことか。
(4)それを実感するのは、生活保護と比べたときだ。
(5)私は地元の社会福祉協議会の仕事として、一人暮らしのお年寄りの金銭管理をお手伝いしている。通帳を預かって現金を引き出し、生活に必要な支払いをする。
(6)なかには生活保護を受けている人もいる。支出が少ないと保護費を使い切らず、結果的に貯金が増えることがある。そうなると本人は、保護費を減らされる心配をしなければならない。「約束」のある年金に比べ、生活保護費の「頼りなさ」が皮膚感覚で理解できた。


 だから、次には「不安あおる報道より『年金増やす』報道を」、と。


(1)年金が「ある」ことの大切さが初めて「腹落ち」した感覚があった。私は心の底から、公的年金制度の安定と強化、信頼の回復を願うようになった。
(2)一方で、記者としての経験は私にこう告げる。〈おまえさんが記事を書く機会を与えられるのは、年金の信頼が揺らぎ、人々が不安を抱く出来事があった時だけじゃないのか?〉
(3)そう。今年6月に発表された金融庁の審議会報告書に端を発した「老後2000万円問題」がまさに典型例だった。私たちメディアは、人々の「恐怖」や「不安」を刺激する話題かどうかで、ニュース価値を判断することが多い。だから報道は、どうしても人々の不安をあおる方向に走りがちなのだ。
(4)メディアは年金制度の足らざるところ、問題点を指摘したのだから、政府が何とかするだろうし、何とかすべきだ――。これが報道する側の従来の感覚だった。だが、そんなスタンスで報道を続けていて、はたして問題は解決していくのだろうか。
(5)人口増と高度成長期ならそれでもよかったろう。いまは人口が減り、少子高齢化で放っておけば年金の給付水準は下がる。この部分だけ取り上げて財政検証の結果を報じれば、記事を読んだ人の不安は増すだけだ。


 最後に、「朝日」は、こうまとめる。


「これからの年金記者は、『年金を増やす』方策、すなわち、より多くの人がより長く働く社会をつくる解決策を徹底的に取材しなければ、読者から見放されるのではないか。いや、そうなるべきだと、まだ『年金記者失格』になりたくない私は思う。」


 確かに、私たちは、「私たちの運度が批判に留まることによって実は体制の維持をしている」ことに気づかされてきた。それは、「自らが『提言機能』を持ち得るか」、ということであった。
「朝日」の「メディアは年金制度の足らざるところ、問題点を指摘したのだから、政府が何とかするだろうし、何とかすべきだ――。これが報道する側の従来の感覚だった。だが、そんなスタンスで報道を続けていて、はたして問題は解決していくのだろうか。」、とはまさしくこのことである。ただ、そこでは私たちもそうであったが、組織全体の方針にすることができるかという問題が常に残されるのであるが。

 ひとつよく分かったことは、記者や新聞社が、決意を持って臨んでいることを、見逃さない必要があるということ。
より多くの人がより長く働く社会をつくるということに向けて。




by asyagi-df-2014 | 2019-09-24 19:46 | 持続可能な社会 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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