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「終戦」という言葉では隠れてしまう事実とは。

 琉球新報(以下、「新報」)は2019年6月27日、<金口木舌>で「『終戦』から抜け落ちるもの」、と非常に興味深い意見を載せた。
「新報」は、「23日の慰霊の日。本土メディアも紙面や放送枠を割いて報じた。本土紙の記事で『沖縄戦の終結』との表現をいくつか見つけた。これには違和感が残った」、とした。
「新報」は、「終戦」という言葉が相応しいのかというのである。
「新報」が、次のように指摘する。


(1)県は、沖縄の第32軍司令官の牛島満中将らの自決で「組織的戦闘が終結」した節目として慰霊の日を定めている。だが誰にとっての「沖縄戦終結」なのか
(2)大本営が「沖縄終戦」を発表したのは6月25日。米軍は23日の後も掃討戦を続け、7月2日に沖縄作戦の終了を宣言した。沖縄での日本の降伏調印式は9月7日に越来村(現在の嘉手納基地)であった
(3)だが実際は23日以降も、壕や山に逃げ込んだ日本軍は住民を巻き込んだまま戦闘を続けた。沖縄作戦終了後も住民の犠牲者は増え、降伏調印式後も木の上に潜伏して戦いを続けた日本兵もいた。それが沖縄戦だった
(4)久米島では米軍が6月26日に上陸し、30日に占領を宣言した。山に逃げ込んだ日本軍は、住民をスパイ容疑で殺害、朝鮮人家族も殺された。米軍に捕らわれるのを恐れて自死する寸前で一命を取り留めた渡嘉敷一郎さん(80)は「一番怖かったのは日本兵だった」と証言する
(5)8月15日は「終戦記念日」だが、日本のポツダム宣言受諾は14日、降伏調印は9月2日。「敗戦」は「終戦」と言い換えられた。節目は過去を振り返る契機になるが、「終戦」という言葉では隠れてしまう事実が、まだある。


 「『終戦』という言葉では隠れてしまう事実が、まだある。」(「新報」)とは、
  確かに、「敗戦」の「終戦」への言い換えは、指摘されて長い。
 戦後の民主主義への「異論」の投げかけであった。
この「事実」とは、「構造的沖縄差別」の把握そのものであるのかもしれない。



by asyagi-df-2014 | 2019-07-11 06:15 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人