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2019年6月23日、沖縄慰霊の日を迎えて。(2)

 6月23日、沖縄は、慰霊の日を迎えた。
 私たちは、この日をどのように迎えることができたのか。
 じっくりと考えてみたい。

 いつものように、6月22日から6月23日までの各紙の社説・論説を取りあげてみる。
 各社は、この沖縄慰霊の日を次のように表現している。
 

(1)朝日新聞社説-沖縄慰霊の日 日本のあり方考える鏡
(2)沖縄タイムス社説-[きょう慰霊の日]埋もれた声に思い寄せ
(3)琉球新報社説-慰霊の日 沖縄戦の教訓継承したい
(4)北海道新聞社説-沖縄慰霊の日 苦難を顧みぬ国の横暴
(5)茨城新聞論説-沖縄慰霊の日 「捨て石」の構図いつまで
(6)神戸新聞社説-沖縄慰霊の日/問われる平和と民主主義
(7)南日本新聞社説-[沖縄慰霊の日] 「痛み」忘れてはならぬ
(8)佐賀新聞論説-沖縄慰霊の日 2019 「捨て石」の構図いつまで
(9)大分合同新聞論説-沖縄慰霊の日 「捨て石」の構図いつまで


 さて、取りあげたのが9本であることをどう評価すれば良いのか。
 目の前の一人一人の苦痛に身を向けなくてなならない沖縄の二紙にとっては、当たる前のことでも、それを自らの問題にすることの難しさなのか。
 それでも、「日本のあり方考える鏡」「苦難を顧みぬ国の横暴」「『痛み』忘れてはならならぬ」や「『捨て石』の構図いつまで」まで、共有されているのは、沖縄戦を捉える視線である。

 ここでは、朝日新聞、北海道新聞、神戸新聞の社説を取りあげる。
 最初は、朝日新聞(以下、「朝日」)の主張を見てみる。
「朝日」は、まず、その命題を、「沖縄はあす、「慰霊の日」を迎える。第2次大戦末期の3カ月超に及ぶ地上戦で20万人以上が亡くなった。日本側の死者18万8千人のうち、沖縄県民が12万2千人を占める。県民の4人に1人が犠牲になったといわれる。なぜこんな凄惨(せいさん)な事態を招いたのか、原因は様々だ。個を捨て国家に殉ぜよという教育。戦局について虚偽情報を流し続けた果ての疎開の遅れ。本土侵攻を遅らせるために沖縄を「捨て石」にした作戦――。県民の命や権利よりも政府・軍の論理と都合が優先された。」、ということに置く。
 「日本のあり方考える鏡」(「朝日」)として、沖縄を置いて、次のように指摘する。


(1)15歳の少年や高齢者も現地召集され、女子生徒も構わず激戦地にかり出された。法的根拠のない「根こそぎ動員」だった。兵役年齢を広げ、女性にも戦闘部隊入りを義務づける法律が公布されたのは6月下旬。沖縄での日本軍の組織的戦闘が既に終わったころだった。
(2)それから74年。国策の名の下、県民を顧みず、定められた手続きなどに反しても、正当化して平然としている国の姿が、いまも沖縄にある。辺野古をめぐる状況もその一つだ。
(3)仲井真弘多(なかいまひろかず)知事(当時)が埋め立てを承認した際に条件とした県と国の事前協議などは、事実上ほごにされた。環境保全のため、埋め立て用の土砂が申請通りの成分になっているかを確認したいという県の求めを、国は無視し続ける。今月からは、県に提出した説明書とは異なる護岸を使って、土砂の陸揚げ作業を新たに始めた。玉城デニー知事が「国は法令順守の意識を欠いている」と批判するのはもっともだ。
(4)今月初め、浦添市の中学校のテニスコートに、米軍ヘリの部品のゴム片が落下した。米軍は「人や物に脅威をもたらすものではない」というが、県議会は自民党を含む全会一致で抗議の意見書と決議を可決した。
(5)学校上空を飛ぶのを「最大限可能な限り避ける」と約束しながら一向に守らず、事故を繰り返す米軍。手をこまぬいたまま、原因が究明されなくても飛行を容認する政府。両者への怒りと失望が、党派や立場を超えて意見書に凝縮されている。
(6)戦後、基地建設のため「銃剣とブルドーザー」で土地を取り上げた米軍への反対闘争にかかわった故国場(こくば)幸太郎さんが、本土復帰直後に若者向けに書いた「沖縄の歩み」が、岩波現代文庫から今月復刊された。「まえがき」にこうある。「沖縄の歴史を知ることは、(略)日本の真実の姿に照明をあて、日本の前途を考えるためにも必要なことです」。


 「朝日」は、「その言葉は、胸に一層響く。」、と締めくくる。


 次に、「朝日」に「日本のあり方考える鏡」とまで言わさせている「苦難を顧みぬ国の横暴」そのものについて、北海道新聞(以下、「北海道」)の社説から考える。
 「北海道」は、まず、時代背景を次のように指摘する。


(1)沖縄戦の組織的な戦闘が終結してから74年となった。きょう23日、糸満市摩文仁で沖縄全戦没者追悼式が行われ、県内各地の慰霊碑でも祈りがささげられる。親族の名が刻まれた平和の礎をなぞる高齢者の姿は年々少なくなっているように見える。本紙連載の「未来に伝える沖縄戦」で語る戦争体験者も最近はほとんどが当時子どもだった。体験者が減る中、戦争の悲惨さと、二度と戦争をしてはならないという思いを、確実に次世代へとつないでいかなければならない。
(2)今年の慰霊の日は、安倍晋三首相が悲願とする憲法改正が争点となる参院選が翌月にも控える。自民党は憲法9条に自衛隊を明記して「早期の憲法改正を目指す」とし、主要争点とする構えだ。安倍内閣が閣議決定で集団的自衛権の行使を認めたことは違憲と指摘されている。改憲によって正当化したいのだろうか。


 また、「北海道」は、沖縄戦における「苦難を顧みぬ国の横暴」について指摘する。


(1)軍隊を強くし、個人の尊厳より国益を優先する。現政権の姿勢に戦前の日本のありようが重なる。その帰結は沖縄戦であった。
(2)沖縄戦は日本兵よりも県民の死者がはるかに多かった。おびただしい数の住民が地上戦に巻き込まれたからだ。沖縄県史によると、沖縄戦での一般県民の死者は9万4千人、これに県出身の軍人・軍属約2万8千人が加わる。他都道府県出身兵は6万6千人弱だ。沖縄の防衛に当たる第32軍と大本営は沖縄戦を本土決戦準備のための時間稼ぎに使った。県出身の軍人・軍属には、兵力を補うために防衛隊などとして集められた17―45歳の男性住民が含まれる。沖縄戦ではこうして住民を根こそぎ動員した。
(3)さらにスパイ容疑や壕追い立てなど、日本軍によって多数の県民が殺害されたのも沖縄戦の特徴だ。
(4)住民は日本軍による組織的な戦闘が終わった後も、戦場となった島を逃げ回り、戦火の犠牲になった。久米島の人々に投降を呼び掛け、日本兵にスパイと見なされて惨殺された仲村渠明勇さんの事件は敗戦後の8月18日に起きた。


 「北海道」は、沖縄にのとっての「苦難を顧みぬ国の横暴」の策動を次のように指摘する。


(1)戦後、沖縄は27年も米施政権下に置かれ、日本国憲法も適用されず、基本的人権すら保障されなかった。沖縄が日本に復帰した後も米軍基地は残り、東西冷戦終結という歴史的変革の後も、また米朝会談などにみられる東アジアの平和構築の動きの中でも在沖米軍基地の機能は強化され続けている。
(2)74年前、沖縄に上陸した米軍は以来、居座ったままだ。米軍による事件事故は住民の安全を脅かし、広大な基地は県民の経済活動の阻害要因となっている。沖縄の戦後はまだ終わっていない。


 だから、「北海道」は、「苦難を顧みぬ国の横暴」の極みが、「『軍隊は住民を守らない』という沖縄戦の教訓」であるとし、「無念の死を遂げた沖縄戦の犠牲者への誓いとして、私たちはしっかり継承していかねばならない。」、と結ぶ。


 神戸新聞(以下、「神戸」)は、この「苦難を顧みぬ国の横暴」にどのように立ち向かうのかについて、「問われる平和と民主主義」、と指摘する。
「神戸」の視点は、「私たちは8月の広島、長崎の原爆の日に核廃絶を、終戦の日に不戦を誓う。6月のこの日も今を生きる者として平和と民主主義を守り、後世に引き継ぐ責務をかみしめる日としたい。」、ということにある。
この視点の根拠について、次のように示す。


(1)その沖縄で、平和と民主主義が揺らぐ事態が相次いでいる。
(2)沖縄県内では今、基地建設が進む。県民投票で反対が過半数を占めたにもかかわらず、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設工事は止まる気配がない。軟弱地盤が発見され工期や費用が計画を大きく上回ると県が指摘しても、安倍政権は意に介さない。
(3)たとえ移設が実現しても、在日米軍専用施設の約7割が沖縄に集中する現実は変わらない。日米合意では、辺野古完成後も条件が整わなければ普天間が返還されない可能性がある。その点に触れず、辺野古を「唯一の負担軽減策」と繰り返すのは、県民を欺くに等しい。
(4)並行して、海洋進出を活発化させる中国などを念頭に、政府は沖縄を含む南西諸島で防衛力強化を加速させている。宮古島に新設された陸上自衛隊駐屯地では、地元に小銃などの保管庫と説明していた施設に、中距離誘導弾や迫撃砲弾などを保管していたことが判明した。
(5)県民の4分の1が犠牲になった沖縄では、世代を超えて戦禍の記憶が語り継がれている。「戦争が起これば標的となり、再び捨て石にされる」との不安や疑念の声が漏れる。
(6)秋田では地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画を巡る調査ミスが発覚した。批判を受けて防衛省は再調査する考えを示したが、「結論ありき」で国策を押し通すような政府の姿勢は、辺野古や宮古島とも通じる。


 「神戸」は、「沖縄の問題は、日本の平和と民主主義が直面する危うさを示している。地方の意思を考慮しない政権の姿勢にも厳しい視線を向け続ける必要がある。」、と断じる。


 「沖縄慰霊の日」は、「沖縄戦が示すものは軍隊は住民を守らない」との視点を貫かなければならないことを教える。
実は、「沖縄慰霊の日」は、沖縄戦を通しての戦後の「構造的沖縄差別」を利用してきて日本政府とこれを支えてきた日本人を撃つ真実を持っている。
だから、「今を生きる者として平和と民主主義を守り、後世に引き継ぐ責務をかみしめる日としたい。」、という「神戸」の指摘は正鵠を撃つ正鵠を射るものなのである。



by asyagi-df-2014 | 2019-07-02 06:18 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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