沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2019年6月24日

沖縄慰霊の日を見つめ直すとは、「礎と同じ平和祈念公園内にある『韓国人の碑』には『この沖縄の地にも徴兵、徴用として動員された1万人余があらゆる艱難を強いられたあげく、あるいは戦死あるいは虐殺されるなど惜しくも犠牲となった』と記されている。464人と1万人余。この差は何だろうか。一体、何人が動員され、何人が犠牲になったのだろうか。」(琉球新報)、ということについて、深く考えるということでもある。
 それは、「日本軍に所属していた軍人軍属は、未帰還の場合、戦後処理として死亡認定され、恩給法や援護法の適用を受けた。しかしその対象は日本人だけであり、朝鮮人は『外国籍』であることを理由にこれらの制度から除外された。さらに日本政府は朝鮮人の未帰還者の生死や傷病の有無などについて調査や確認作業をしていない。このため、沖縄戦で犠牲になった朝鮮人のほとんどが『生死不明』となっているのだ。朝鮮人の平和の礎への刻銘は、旧厚生省が作成した死亡者の名簿を基に、韓国で調査を行い、遺族に刻銘を呼び掛けた。つまり、基とのなった名簿自体が朝鮮人の犠牲の実相を反映していないため、刻銘数は極端に少なくなっているのだ。」「沖本さんが主に研究しているのは朝鮮人兵士、軍属だが、沖縄戦に巻き込まれた朝鮮人はこれだけではない。戦前から沖縄に住んでいた人たち、『慰安婦』にされた女性たち、民間業者に労務動員された人たち、船舶の乗組員も犠牲になった。なお、朝鮮人『慰安婦』の戦死者数は不明で『平和の礎』には一人も刻銘されていない。」(琉球新報)、ということから始まる。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2019年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2019年6月24日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)琉球新報-涙雨ぬぐい祈る 世代超え戦没者悼む 沖縄・慰霊の日-2019年6月24日 05:00


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「おびただしい数の住民を巻き込んだ沖縄戦の組織的戦闘が終結して74年。『慰霊の日』の23日、県内各地で慰霊祭が行われ、人々は思い思いの形で戦没者を悼み、島々は鎮魂の祈りに包まれた。雨が降りしきる中、糸満市摩文仁の平和祈念公園内にある『平和の礎』には多くの戦争体験者や家族連れが足を運んだ。刻銘された戦没者の名をなぞったり、手を合わせたりして、戦争のない平和な沖縄を願った。」
②「時折強い雨が降り足元が悪い中、糸満市摩文仁の『平和の礎』には早朝から多くの遺族や関係者が訪れた。刻銘板に集う親子やきょうだいは一緒の傘に入るなど、雨は平和を願う人々の距離を近づけた。沖縄全戦没者追悼式では平和を願う玉城デニー知事の宣言や児童の詩に賛同する拍手や指笛が沸き起こる一方、新基地建設を進める安倍晋三首相のあいさつには怒号が飛び交った。」
③「娘と一緒に平和の礎を訪れた眞栄城嘉明さん(80)=浦添市=は父の嘉盛さんの刻銘板の前で泡盛をささげた。那覇署に勤めていた嘉盛さんは機関銃の部隊に配属され、伊江島で亡くなった。遺骨はなく、代わりに石ころを拾った。眞栄城さんは『よく那覇署に弁当を持って行った。剣道の特練員だった』と思い出す。娘の幸子さん(45)は嘉盛さんに会ったことはないが『生きていたらどんな人だったかな』と思いを巡らせた。」
④「妹を亡くした玉那覇香代子さん(85)=西原町=は『遺骨もないから毎年、平和の礎に来て慰霊している』と手を合わせた。幼稚園児にしまくとぅばを教える活動に取り組み、戦争の悲惨さも伝えているが、改憲論議や沖縄への自衛隊配備などに危機感を抱く。『沖縄がまた戦争の時のようにならないか不安ばかりだ』」と子どもたちの将来を案じた。」
⑤「追悼式では、玉城デニー知事が平和を願う沖縄の思いを訴えた。集まった県民からは賛辞の拍手や指笛が沸き起こり、涙を浮かべて喜ぶ人もいた。大きな拍手を送った読谷村の男性(77)は『知事がウチナーンチュの肝心を大事にしていこうという意思がよく伝わってきた』とうなずいた。」


(2)琉球新報-「平和の礎」空白の刻銘板が問い掛けること 「はっきり分かっていない」をそのままにしていいのか-2019年6月23日 16:11


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「沖縄県糸満市の『平和の礎』。幾重にも並んだ黒い石碑には沖縄戦などで亡くなった人の名を軍人、民間人の区別、敵、味方の区別なく刻んでいる。その数は24万人を超える。世界の恒久平和を望む『沖縄の心』」を発信する場所でもある。」
②「外国人は国別、日本人は出身都道府県別、沖縄県民は市町村、字別に名前が刻まれている。どの刻銘板にもびっしりと名前が刻まれているが、ある場所だけ空白の刻銘板が続く。朝鮮半島出身者の刻銘板だ。刻まれているのはわずか464人(韓国382人、北朝鮮82人)。2019年度は新たに2人の名前が刻まれたが、刻銘されていない人はまだ大勢いる。」
③「礎と同じ平和祈念公園内にある『韓国人の碑』には『この沖縄の地にも徴兵、徴用として動員された1万人余があらゆる艱難を強いられたあげく、あるいは戦死あるいは虐殺されるなど惜しくも犠牲となった』と記されている。464人と1万人余。この差は何だろうか。一体、何人が動員され、何人が犠牲になったのだろうか。」
④「沖縄戦での朝鮮半島出身者の動員数、犠牲者数については一般的にこう説明されてきた。『その数ははっきりしないが、1~2万人と言われている』。これに疑問を持った1人の女性がいる。『この1~2万人という数字はどこから出てきたのか』『実態は分からないは本当か』。沖本富貴子さん(69)=沖縄県八重瀬町=はこの数年、朝鮮人の追加刻銘の申請に関わってきた。2017年に追加刻銘された権云善(クォンウンソン)さんと朴熙兌(パクフィテ)さんは遺族が刻銘を望んだが、戦死認定がされていないため、当初、申告さえできなかった。その時には県議会に陳情、参考人招致で刻銘の必要性を訴えた。陳情は採択され、沖縄県は朝鮮人の刻銘の基準を緩和。2人の名前は刻まれた。」
⑤ 彼女が朝鮮人の沖縄戦にこれだけ関わるのはなぜか。『分かっていない』が常套句なのは誰もやっていないから。それでは永遠に分からない。だったら私が調べようと思っただけ』。沖本さんはさらりと答えた。自宅にはずらりと資料が並ぶ。国立国会図書館や公文書館で入手した名簿のコピー、各市町村史の証言、先行研究の数々…。閲覧可能な日韓両方の公文書などから、朝鮮人兵士、軍属の沖縄戦の実態を調査してきた。『これだけ調査しているなら、論文発表の機会があった方がいい』というアドバイスを受け、沖縄大学地域研究所特別研究員という肩書きを得たが、本人曰く『普通の主婦』。日々の暮らしのかたわら、紙やインターネットで資料をめくり、関係者に話を聞きにいく。」
⑥「もともと韓国に興味があったが、本格的に朝鮮人の沖縄戦に取り組むようになったきっかけは2013年、韓国の英陽(ヨンヤン)にある恨之碑を訪れたことだった。碑にはハングルで多数の人の名前が刻まれており、『戦争の死亡者』と説明を受けた。『何を基にこれだけの名前を刻むことができたのか』。沖縄では『その数ははっきりしない』と言われ、平和の礎への刻銘も進まないが、もっと調べられるのでは―という強い衝撃を受けた。」
⑦「同じ頃、日本政府から韓国政府に渡された朝鮮人名簿についての研究書『戦時朝鮮人強制労働調査資料集』(竹内康人著)に出合う。その中には沖縄戦に動員された朝鮮人軍人軍属が配置された部隊とその人数がまとめられていた。沖本さんは竹内氏の研究をもとに、『陣中日誌』などの戦時資料に残された部隊の動きと体験者の証言をつきあわせていった。すると、これまで見えなかったことが見えてきた。」
⑧「戦闘準備のために後方部隊として徴用され、港湾作業、陣地構築などをしていた軍属も戦争が始まると戦闘部隊に組み込まれ、武器の扱いも教えられないまま斬り込みをさせられたり、前線で弾薬運搬をしたりしていた。」
⑨「部隊の名簿を一つ一つチェックし朝鮮人がいたのかを確認していく。『沖縄戦の朝鮮人については、戦争前に十分な食糧が与えられず過酷な労働を強いられたことがクローズアップされて語られている。でも部隊別に死亡者数と時期、場所を集計すると、沖縄本島では首里の攻防や南部に追い詰められて犠牲になった人が多かった』。生死不明が多い名簿とその部隊の足取りからは、それだけ過酷な戦場に朝鮮人たちも巻き込まれ死んでいったことを物語る。」
⑩「『いつもひもじそうにしていた』『疲れ切って座り込んでいる朝鮮人を日本兵が軍靴で足蹴りしていた』。沖縄の人たちの証言からは戦場での朝鮮人の具体的な姿が見えてくる。パズルのピースを合わせるように事実を積み上げていく。どのような体験をしたのか。『差別されていた』と言われるがどんな差別だったのか。『知りたい』という気持ちはどんどん湧いてくる。『詳しくは分からないが、朝鮮人は大変だった』と言ってしまうこと、悲惨さを表現するときに数の多さが焦点になることに危うさを感じる。それは『一つのイメージでストーリーを作ることにつながりかねない』からだ。アジア・太平洋戦争の終結から74年。体験者も遺族も高齢化し、あの時何が起きていたのかを語れる人が少なくなっているからこそ、丁寧に実態をつかんでいく必要がある。」
⑪「研究として朝鮮人の沖縄戦を明らかにしていくことは大事だが、沖本さんは平和の礎への刻銘も同時に重要だと指摘する。日本政府が韓国政府に渡した名簿などからは少なくとも沖縄戦に3500人の朝鮮人が軍人、軍属として動員されたことが分かった。しかし欠落している名簿の存在も否定できず、この数字は確定値ではない。名簿には死亡日時なども記されているが、ほとんどが『生死不明』。死亡認定されているのはわずかだ。そのため、どれだけの人が犠牲になったのか、名簿から実相をつかむのは難しい。」
⑫「日本軍に所属していた軍人軍属は、未帰還の場合、戦後処理として死亡認定され、恩給法や援護法の適用を受けた。しかしその対象は日本人だけであり、朝鮮人は『外国籍』であることを理由にこれらの制度から除外された。さらに日本政府は朝鮮人の未帰還者の生死や傷病の有無などについて調査や確認作業をしていない。このため、沖縄戦で犠牲になった朝鮮人のほとんどが『生死不明』となっているのだ。朝鮮人の平和の礎への刻銘は、旧厚生省が作成した死亡者の名簿を基に、韓国で調査を行い、遺族に刻銘を呼び掛けた。つまり、基とのなった名簿自体が朝鮮人の犠牲の実相を反映していないため、刻銘数は極端に少なくなっているのだ。」
⑬「沖本さんが主に研究しているのは朝鮮人兵士、軍属だが、沖縄戦に巻き込まれた朝鮮人はこれだけではない。戦前から沖縄に住んでいた人たち、『慰安婦』にされた女性たち、民間業者に労務動員された人たち、船舶の乗組員も犠牲になった。なお、朝鮮人『慰安婦』の戦死者数は不明で『平和の礎』には一人も刻銘されていない。」
⑭「韓国では戦後、申告に基づき戦争犠牲者の認定がされていったという。日本側の名簿と韓国側の名簿をつきあわせることで刻銘対象者が分かる可能性がある。遺族の中には、自分の家族が沖縄で死んだことさえ知らない人もいる。『平和の礎』の存在も韓国で広く知られているとは言いがたい。沖本さんは『沖縄県は韓国に対して平和の礎刻銘作業への協力を求めてほしい。平和の礎を沖縄戦の実態に即したものにするためにも、韓国と連携して調査することが必要』と指摘している。」                   (玉城江梨子)


(3)琉球新報-沖縄・慰霊の日 なぜ若者たちは平和の礎を訪れるのか?-2019年6月23日 18:40


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「沖縄戦の組織的戦闘が終わった日とされる『慰霊の日』の23日。沖縄県糸満市の平和祈念公園の『平和の礎(いしじ)』には、沖縄戦で亡くなった人たちの名前を見つめる若い人たちの姿があった。沖縄戦体験者が減り、記憶の継承が課題とされる中、若者たちはなぜ、慰霊の日の平和の礎に訪れたのか。思いを聞いた。」(田吹遥子)
②「午前8時前、宮里知宏さん(17)=那覇市=は礎の前で父・満男さん(50)の話に耳を傾けていた。刻銘板に名前があるのは、満男さんの祖母の両親など6人。伊江島やフィリピンなどで亡くなった。家族4人で来るのは息子たちに親戚の名前があることをちゃんと知ってほしいから。知宏さんは『平和祈念公園は特別な場所』と話す。『沖縄の人だけでなく国外の人も平等に刻銘されている。改めて戦争を起こしてはいけないと感じる』。考えを巡らせながら丁寧に答えた。」
③「雨脚が強くなる中、祖父母と共に歩いていたのは和宇慶真依さん(19)=うるま市=。雨宿りをしながら話を聞いたら、礎を訪れたのは『小学生ぶり』だという。家にいた真依さんを誘ったのは祖母の惠美子さんだ。惠美子さんのおじが沖縄戦で犠牲になった。亡くなった場所は分からず、遺骨は還ってきていない。『私も戦争を知らない。もっと話を聞いておけばよかったと思っている。たくさんの人が亡くなった事実を引き継いでいきたい』と思いを語り、涙をぬぐった。側で聞いていた真依さんは『これからは私たちが伝えていきたいです』と静かに語った。」
④「資料館に向かって歩く女性たち。名札にはボリビアとアルゼンチンの国旗がある。その中にいた上地メリサさん(22)は、ボリビアから県費留学として琉球大学で学ぶ県系3世。県費留学生をサポートする財団のバスで訪れた。『海が見えてきれいな公園だけど、戦争のことを知ると悲しい気持ちになる』。国籍を問わずに刻銘されている礎に『戦争で戦った相手の国まである。それこそが平和の証拠だと思う』と語った。」
⑤「黒いワンピース姿。礎に対してちょっと遠慮気味にスマホを向けている2人組の女性がいた。早稲田大学大学院1年生の奈良美里さん(22)と吉田光希さん(22)。ジャーナリズムコースに所属し、沖縄の基地や歴史について学んできた。奈良さんは家族連れで来ている人の多さに驚いた。『ここで多くの人が亡くなったんだと改めて感じた』。吉田さんは『地上戦で犠牲になった沖縄が今は基地問題に苦しめられている。このことが本土に伝わっていないことが悔しいですね』と話した。」
⑥「昼前、琉球大学4年の泉田惇友さん(21)、鍵田修平さん(21)、根間愛姫さん(22)が礎の間を歩いていた。県外出身で卒業後には沖縄を離れる泉田さんと鍵田さんが『沖縄にいる間にここに来ないと』との思いで来た。渡嘉敷の『集団自決』(強制集団死)、久米島の住民虐殺。授業などで聞いた人たちの名前を探して歩いた。教育学部に所属し、教員を目指す3人。子どもたちに戦争をどう伝えるか。3人で意見も交わした。泉田さんは『一方向だけでない、いろんな側面があったことを生徒に考えさせる授業がしたい』と語る。小学校の教員を希望する鍵田さんは『県外の子どもたちに、沖縄には慰霊の日という休日がある。それはなぜだろうというところから、大きな意味があることを伝えたい』。『追悼式って何時からですか』。3人は記者に尋ね、会場に向かって歩き出した。」


(4)琉球新報-参列者「心に響かない」 沖縄全戦没者追悼式・首相あいさつ-2019年6月24日 05:30


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「沖縄全戦没者追悼式で玉城デニー知事はウチナーグチや英語を交えてあいさつし、辺野古新基地建設反対や日米地位協定の改定を訴えた。玉城知事の一言一言に会場からは拍手が沸き起こった。一方、安倍晋三首相はあいさつで沖縄の基地負担軽減や経済振興を推進する考えを強調したが、辺野古新基地建設に触れることはなかった。参列者から『帰れ』『ゆくさー(うそつき)』との声も上がり、知事あいさつへの受け止めとは温度差が際立った。」
②「式典に参列した上間久男さん(68)=本部町=は首相に対して『見せかけじゃなく、県民に寄り添った気持ちを見せて政治の場で生かしてほしい』と注文した。家族で参列した神谷真美さん(38)=豊見城市=は『県民投票の結果を無視する政府のやり方は、県民の意見を軽視している』と語り、首相のあいさつを冷ややかに受け止めた。沖縄大1年の粟国悠理さん(18)=浦添市=は首相のあいさつについて『心に響かなかった。沖縄に来たこと自体が演出に感じる』と疑問を呈した。」
③「2015年から毎年式典を訪れ、取材しているジャーナリストの津田大介さん(45)は首相あいさつについて『対話を求める県民の気持ちを逆なでしているようなものだ。国が県民にしっかり向き合ってほしい』と語った。」


(5)沖縄タイムス-「うそつき」「帰れ」 安倍首相の追悼式のあいさつ中に抗議の声-2019年6月24日 05:00


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「安倍晋三首相の来賓あいさつの場面では『うそつき』『帰れ』と厳しい声が上がった。」
②「『沖縄のために全力を尽くす』という発言に『うそをつけ』と声を張り上げた那覇市の平良猛夫さん(81)は『基地負担軽減を言いながら、民意を無視し新基地建設を進めるのは矛盾だ』と怒りを込めた。」
③「『帰れ』と叫んだ女性(51)は『去年と同じでしらじらしく、思いが入っていない。二度と来ないでほしい。議長の話はしっかり響いた。首相は気持ちがまったく伝わらない』と批判した。」
④「一方、北中城村の女性(89)は『忙しい中、首相は時間をつくって沖縄のために来てくれているのにやじを飛ばす必要はない。県民は感謝しないといけない』と話した。」


(6)沖縄タイムス-祖父から沖縄戦の体験聞けず…小学6年生が平和の詩に込めた思い-2019年6月24日 05:00


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「山内玲奈さん(11)=兼城小6年=は、今ある幸せをかみしめながら自作の平和の詩を朗読した。『家族と友達と笑い合える毎日こそが本当の幸せだ』『未来に夢を持つことこそが最高の幸せだ』。一度も原稿を見ることなく、会場を見渡しながら丁寧に思いを伝えた。」
②「74年前、生まれ育った糸満市では多くの人が犠牲になった。『爆弾が何発も打ちこまれ、ほのおで包まれた町』。青い空と海、大地になって沖縄を見つめると『体が震え心も震えた』。平和について考え、実感したのは、命の尊さ。」
③「最も伝えたかったという『生きているから笑い合える/生きているから未来がある』というメッセージは、特に力を込めた。」
④「沖縄戦を体験した祖父は、昨年亡くなった。体験は聞けなかったが、戦争の記憶を受け継ぐ覚悟を詩に込めた。詩を読み上げて改めて『沖縄のことをもっと勉強して、どう行動できるかを考えていきたいと思った』と話す。」
⑤「この日はせきが出ていたが、無事に大役を終え、『ほっとした。よかった』とほほ笑んだ。」


(7)琉球新報-辺野古は「新基地」 玉城デニー知事、安倍首相の「基地増やすものではない」発言に反論-2019年6月24日 10:13


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「玉城デニー沖縄県知事は23日、東京に戻る安倍晋三首相らを那覇空港で見送った後、報道陣の取材に応じた。就任後初となる平和宣言の一部を、うちなーぐちと英語で述べたことについて玉城知事は『より多くの方々に令和元年、新時代沖縄の私の思いが伝わればと考えた』と述べた。」
②「安倍首相が『辺野古への移設は、基地を増やすものではない』と発言したことに対しては『強襲揚陸艦などが係留できる護岸機能を付与し、弾薬搭載エリアなど普天間にはない機能を持たせる基地は【新基地だ】と強調した。」
③「その上で【米軍再編による海兵隊の撤退を考えれば、辺野古に新しい基地を造る理由はそもそも明確ではない】と普天間飛行場の県外・国外移転を主張した。」


(8)沖縄タイムス-フランスのテレビが沖縄の基地問題をルポ 「第2次大戦の悲惨な遺産」-2019年6月24日 06:00


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「【久高泰子通信員】「フランス24」テレビは4月26日からの2週間、8回にわたって「沖縄の米軍基地、第2次大戦の悲惨な遺産」というルポを放送した。」
②「1945年4月に米軍が上陸し、20万人の死者を出した沖縄戦から、米軍駐留で殺人やレイプなどの事件・事故が繰り返し発生していること、日本政府が名護市辺野古に新基地を建設していることを紹介。辺野古では連日の反対デモがあり、2月の県民投票で反対票が72%だったのに工事が続いていることを伝える。フランスでは、沖縄の長寿に関するルポは2007年以来、頻繁にあるが、米軍基地はまれだ。」
③「ルポでは、ハワイと肩を並べるほどの観光地に成長した沖縄で、2004年の沖縄国際大学への米軍機墜落、17年の普天間飛行場周辺小学校・保育園への部品落下など基地絡みの事故が続いていることを挙げ、沖縄戦時に壕や墓に隠れた玉城トヨさんの体験をはじめ『集団自決(強制集団死)』の歴史にも触れる。」
④「また、辺野古で砂を運ぶトラックの前に盾となって阻止する高齢者と警察との対峙たいじを映し出す。『沖縄は差別されている』『工事は恐ろしい環境破壊だ』といった新基地反対の声と、『米軍に反対するのは日本を険に陥れる。米軍の沖縄駐留は必要』との意見を伝えた。」
⑤「また、那覇のバーで飲んでいた米兵たちにインタビューし『一部を除いて沖縄の人たちが大変親切。沖縄が気に入っている。新基地建設の問題は米国と日本の政府の話』との声を紹介した。」
⑥「フランス24は02年設立、国際情報ルポを終日放送する。沖縄のルポは英語、アラブ語、スペイン語でも放送された。『ユーチューブ』にもアップされ、フランス語放送だけで6万5千回以上視聴と多くの人が関心を持っている。ただ、解説者が『普天間基地建設当時、そこはサトウキビ畑だけだった』と誤って説明しており、視聴者のコメントでも『畑の真ん中に造った基地の周りに学校を造ったのであれば、基地を非難できない』とあるのは残念だった。」




by asyagi-df-2014 | 2019-06-24 17:46 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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