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沖縄の日本復帰47年。それは、日本国憲法に関わる問題。(3)

 沖縄から受け取ることは、沖縄には日本国憲法が適用されなかったということである。
 それは、日本という国が沖縄に、日本国憲法の代わりに「日米安全保障条約-日米地位協定-『運用』や『密約』」という構図(「0.6%に70.03%」)を押しつけてきた歴史に端的に表されている。
2019年5月15日、沖縄は、日本に復帰して47年目を迎えた。
日本という国は、このことをどのように捉えることができているのか。
5月18日までに把握できた各紙の社説・論説でこのことをみてみた。
例えば、東京新聞(以下、「東京」)は2019年5月13日に、「沖縄復帰47年 真に憲法の仲間として」、と社説で論評した。
ただ、 この「真に憲法の仲間として」との表現はどのような意味を持つものなのかについて考えさせられた。
 このことについて、「東京」の社説で考える。
まず、「東京」は次のように沖縄を描写する。


(1)沖縄県読谷村(よみたんそん)。太平洋戦争末期、米軍が沖縄本島で最初に上陸した村の役場前に高さ三メートルほどのコンクリート柱が立っている。憲法九条の碑。『日本國(こく)民は正義と秩序を基調とする國際平和を…』。旧字体で条文を刻んだ金属板が埋め込まれ、柱の上には植物の萌芽(ほうが)のごとく九条の精神が世界に満ちるように、との願いを込めた彫刻が掲げられている。」
(2)建立は戦後五十年に当たる一九九五年。「沖縄の人々にとって日本国憲法は輝かしい命そのものだった。人間が大事にされ、戦争をしない国になるという希望を与えてくれた。戦後の米国統治下の沖縄の復帰運動は、日本国憲法の下への復帰を目指すものでもありました」。当時読谷村長だった山内徳信(とくしん)さん(84)=元社民党参院議員=は、建立の背景を振り返る。
(3)五二年発効のサンフランシスコ講和条約で、沖縄は正式に米国の施政権下に置かれた。米側は沖縄に日本の「潜在主権」を残すことは認めたが、日本側は六五年、政府統一見解日本国憲法の「適用はない」と宣言した。
(4)沖縄には米国憲法も適用されない。軍人の高等弁務官を頂点とする米国民政府が軍事的必要性を最優先に行政、立法、司法上の権力を行使。基地拡大のための土地の強制収用をはじめ政治家の弾圧、表現の自由の規制、事件事故を起こした米兵の無罪放免-などが繰り返された。
(5)人々が、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義を基本原理とする憲法下での生活を求めたのは言うまでもない。山内さんによると、若者たちは鉛筆で条文を書き写しながらその日を夢見ていた。


 続いて、「東京」は、「沖縄は十五日、本土復帰四十七年を迎える。しかし、沖縄の人権や自治は今なお、日本国憲法の外にある状況ではないか。復帰の意味を問い直すときだ。」、と沖縄の現状を指摘する。


(1)七二年五月、沖縄の復帰は実現する。しかし「日本国憲法への復帰」は決してかなえられたとはいえない。悲運の発端は、広大な基地の継続・維持が盛り込まれた日米間の沖縄返還協定である。返還交渉中、日本政府は基地の扱いについて「核抜き本土並み」と表明し縮小に期待を持たせたものの、復帰前に沖縄本島面積の20%を占めた米軍基地は今なお14・6%と取り組みは進んでいない。
(2)基地は復帰まで、共産圏をにらむ最前線として最大約千三百発もの核が配備され、ベトナム戦争の出撃拠点となった。冷戦終結後も湾岸戦争、イラク戦争などに空軍や海兵隊を送り出してきた。
(3)日本は戦後一度も他国と戦火を交えていないのに、沖縄は米国の戦争と隣り合わせの状態に置かれ米軍機の事故や米兵、米軍属による事件が繰り返される。在日米軍の特権を定め、翁長雄志(おながたけし)前沖縄県知事が「憲法の上にある」と嘆いた日米地位協定もそのままだ。
(4)沖縄県や県警のまとめでは、復帰後二〇一七年末までに、県内で発生した米軍航空機関連の事故は七百三十八件(うち墜落は四十七件)、米軍人などによる刑法犯罪は五千九百六十七件(うち凶悪事件は五百八十件)。生命、生活、財産が脅かされる日常は法の下の平等に大きく反する。
(5)その上で、名護市辺野古で進められる新基地建設に県民が重ねて反対の意思を示すのは、当然すぎる行動だ。政府は米軍普天間飛行場の移設・返還のためというが新基地完成のめどは立っていない。その矛盾をどう解消するのか。新基地建設を巡ってはことし一月、国内の主な憲法研究者の約四分の一に当たる百三十一人が連名で「憲法の重要原理を侵害、空洞化する」との声明を発表した。解決には「何よりもまず沖縄の人々の人権問題」を考え工事を即時中止すべきだとする。
(6)「民主主義や地方自治の在り方が問われている点で、日本国民全体の問題」ととらえようとの提起は極めて重要だ。沖縄の地元紙琉球新報が、本土復帰に関して五年ごとに行っている県民世論調査がある。復帰して「とても良かった」「どちらかと言えば良かった」との回答の合計は、復帰から三十五年の〇七年には82・3%だった。四十周年の一二年にはちょうど80%。さらに五年後の一七年には75・5%と幅を広げながら低下している。一方、同紙の別の県民意識調査では、今後の沖縄の立場について自治州や連邦制への移行、または「独立」を望む声が一一~一六年の五年間に二割から三割超に急増した。「自己決定権」の希求。裏を返せば、復帰の本意をかなえないままの「日本」不信の表れだ。


 最後に、「東京」は、「沖縄を真に憲法の下の仲間とする-。中央の政治はもちろん本土側の国民も、あらためて当たり前のことを行いたい。」、とまとめる。


 「東京」の指摘する「真に憲法の仲間として」との意味は、「東京」が沖縄の現状を言い当て、「中央の政治はもちろん本土側の国民」の責任を問うものであることを示すものであった。
 それは、「あらためて当たり前のことを行いたい。」との決意とともに。




by asyagi-df-2014 | 2019-05-22 05:41 | 書くことから-憲法 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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