OKIRONを読む。-「使えない辺野古」がなぜ「唯一の解決策」なのか

著書名;「使えない辺野古」がなぜ「唯一の解決策」なのか
著作者;渡辺 豪
HP  ;OKIRON


 渡辺豪(以下、渡辺)は最初に、この論考の意味を、「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への代替施設建設に伴う埋め立ての是非をめぐる県民投票で7割超の『反対』の民意が示された後も、政府は普天間の危険性除去には『唯一の解決策』なのかと呪文のように繰り返すばかりだ。あらためて問いたい、本当に『辺野古が唯一』なのか―。」、と規定する。
「辺野古が唯一の解決策」との安倍晋三政権の『理屈』をきちんと越えるために、渡辺の指摘で考える。


1.辺野古案以外の有力案-公明党の動き


(1)「公明、県内陸上案を検討」。2016年10月、普天間飛行場の移設先に関し、沖縄の地元紙に掲載された記事に注目が集まった。 「県内陸上案」とは何か。「名護市辺野古の埋め立てによる滑走路建設ではなく、キャンプ・シュワブ、ハンセンいずれか」 (2016年10月20日付沖縄タイムス) に代替施設を建設する案だという。
(2)キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセンは、いずれも沖縄本島北部の米海兵隊演習場だ。現計画はキャンプ・シュワブの半島先端部をかすめる形で海域を埋め立てる案だが、「県内陸上案」は埋め立てを伴わない内陸部の既存基地内に造る案である。この案を「検討対象の一つ」として論議している、と報じられたのは公明党の「在沖縄米軍基地調査ワーキングチーム」(以後WT)だ。WTは16年6月に発足。きっかけは16年4月に沖縄県内で起きた元米海兵隊員の米軍属による女性暴行殺人事件だった。
(3)公明党関係者は筆者の取材に当時、こう話した。「事件後、政府と米軍は再発防止を強調しましたが、党として沖縄県民の感情に寄り添ってもう少し踏み込んだ対策ができないかと、ゼロベースで沖縄の米軍基地の在り方を議論することにしたのです」。 「ゼロベース」議論の中には、普天間の移設先として「辺野古」以外の選択肢を検討することも排除されていなかったという。WTは公明党の国会議員と沖縄県内の地方議員で構成。沖縄、東京で会合を重ね、基地視察のほか有識者や外務・防衛官僚のヒアリングも行った。
(4)公明党内部の状況については少し説明が必要だろう。党の沖縄県本部は辺野古新基地建設に「反対」し、県外・国外移設を求める立場だが、東京の党本部は自民党とともに「推進」のスタンスで、地元と中央の間で「ねじれ」が生じている。当時、地元の党関係者はこう明かした。「現行の辺野古案以外の有力案として検討されていたのは、軍事アナリストの小川和久氏の案です」。
(5) 静岡県立大学特任教授の小川氏に取材を申し込むと、こんな答えが返ってきた。「私は1996年の普天間返還合意以来の当事者です。日本側の当事者能力の不在に失望しています。私が提案した以上の構想が出ていないからです」。 「当事者」を自認する小川氏の強い思いにひかれ、筆者は17年4月に取材に臨んだ。このとき小川氏は、開口一番にこう言った。「米軍は冷ややかに見ていますよ。軍事的合理性から見れば、まったく使えない施設ですから」。
(6)筆者はその後、同じ言葉を米軍関係者や日米の安全保障の専門家から聞くことになる。


2.辺野古はまったく使えない施設-有事のときは那覇空港を使う

(1)辺野古新基地が「使えない」とはどういう意味なのか。最大の要因は「キャパ不足」だという。 「辺野古案は普天間飛行場の38%のキャパしかありません。これでは有事に対応できないのです」(小川氏)。
(2)日本に展開している米海兵隊第1海兵航空団は456機を保有し、日本への配備は約100機。在日米海兵隊の航空基地は普天間のほか岩国基地(山口県岩国市)があるが、有事には「普天間だけで300機規模に膨れ上がり、それだけの収容能力が必要となる。
(3)同時に海兵隊の飛行場は4〜5万人規模の陸上部隊と装備品を受け入れられなければならず、「少なくとも普天間の広さは不可欠」(小川氏)という。
(4)これを裏付ける記事が17年4月12日付朝日新聞に掲載された。米政府監査院(GAO)が発表した米海兵隊のアジア太平洋地域の再編に関する報告書で、「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移転計画に関し、移転先の滑走路が『特定の飛行機には短すぎる』と指摘した。GAOは、同県内で代替の滑走路を探すよう求めている」というのだ。報告書はさらに、「現行の普天間飛行場の滑走路(約2700メートル)はオスプレイのような回転翼がついた航空機や、災害時の国連の緊急対応など様々な用途で使われていると説明。そのうえで、辺野古に建設される予定の滑走路は『同様の作戦の要件を十分に満たさない』と指摘」している。
(5)同報告について小川氏はこう解説した。「GAOは日本の会計検査院と行政監察の機能を高いレベルで兼ね備えた組織で、国防総省の戦略的判断や装備の調達計画をも修正させるパワーを持ちます。米国側は現行の辺野古案の不備を認識しつつ、日本政府に付き合ってきた面があるのですが、マティス国防長官の時代になってリアリティを優先する雰囲気が出て、GAOも腰を上げたのかもしれません」。
(6)米軍再編で普天間の移設先が現行案に決まったあとの2010年、米国防総省の高官は小川氏にこう説明したという。「普天間問題は早く決着をつけ、日米同盟が安定的に運用されているのを中国に見せることを最優先しました。海兵隊には泣いてもらいましたが、辺野古は使い物にならないので、有事の際は那覇空港を使うことになります」。有事には民間機の発着が限定される那覇空港を海兵隊航空基地に充てるというのだ。


3.小川案とは何だったのか


(1)小川案の中身はどうなのか。最優先すべきは「普天間飛行場の閉鎖による危険の除去」との認識から、2段階に分けて整備を図る構想だ。24機のオスプレイを始めとする普天間所属機の仮移駐先として、小川氏はキャンプ・シュワブの陸域を想定。仮移駐先の用地は2日間で更地にし、基本的な航空施設を1カ月以内に整備する。自衛隊は日米共同の転地訓練でこうした能力を保持しているという。仮移駐先にはその後、1年半以内をめどに段階的に2000m級滑走路を建設する。
(2)WTのヒアリングで小川氏はこう説明したという。「軍事的合理性などを加味すると、ハンセンの陸上案以外にはありません。東日本大震災後は特に、津波と高潮の課題が重視されています。辺野古はそういう面からもNG。沖縄県内で50メートル以上の標高に用地を確保できるのはハンセンだけです」。
(3)小川氏が普天間問題の当事者と自認するのには理由がある。橋本、小渕、小泉、鳩山政権で公式・非公式を含め普天間問題に関して助言を求められ、地元沖縄だけでなく米側との交渉にも当たってきた、との自負があるからだ。
(4)小川氏が最初にハンセン陸上案を政府に提言したのは1996年6月だという。日米が普天間返還合意した2カ月後だ。小川氏は当時、自民党総務会長の塩川正十郎氏に沖縄問題への対応のアドバイスを求められ、描いたばかりの「ハンセン陸上案」を説明した。 「塩ジイは、これで解決できるなあって言ってくれて、梶山(静六)のところへ行こうと言われて、議員会館の梶山事務所へ連れていかれた」(小川氏)。しかし、梶山官房長官は小川氏に名刺すら渡さず、話を聴こうともせず、こう告げた。 「岡本行夫に評論家なんてやめて泥をかぶれと言ってんだ」。北米局北米第一課長などを務めた岡本氏は91年に突如外務省を去り、国際コンサルタント会社を設立。95年に沖縄で起きた3米兵による少女暴行事件を機に、「沖縄問題」が橋本内閣の最重要課題に浮上する中、梶山氏の知遇を得ていた岡本氏が「密使」として沖縄とのパイプ構築に尽力していた。岡本氏は後に、名護市長を「辺野古移設」受け入れ容認に導く上で主要な役割を果たす。
(5)小川氏はこう言う。「梶山さんはボタンを掛け間違えた。辺野古移設の流れは、そのまま梶山さんを師と仰ぐ、今の菅(義偉)官房長官に引き継がれたのです」。
(6)ハンセン陸上案は、96年12月のSACO(日米特別行動委員会)最終報告の段階で検討対象から除外されている。「演習場の真ん中に滑走路を造れば、演習ができなくなる」との米軍内部の反発が理由だという。これについて小川氏は「米側に否定されたのは防衛省が出した案でナンセンスな代物だった」と言う。小川氏のハンセン陸上案は別物だからだ。小川氏は、最適な代替地はキャンプ・ハンセンのチム飛行場跡地だという。チム飛行場は米海軍が45年の沖縄占領直前、日本本土爆撃の拠点とするため10日間で設営。戦後すぐに不要になり、跡地には米海兵隊の隊舎が建設されている。「キャンプ・ハンセン南端の、この場所であれば訓練に支障は生じません。両端を延ばせば、普天間と同規模の2500メートル以上の滑走路建設も可能です」(小川氏)。
(7)小川氏は、米国のゼネコンが同規模の軍用飛行場を1年半の工期で建設した資料を米政府に提示したこともあるという。


 結局、渡辺は、辺野古案以外が途絶え、「辺野古が唯一の選択」に到達する道筋の不透明さを指摘し、辺野古が使えない施設である以上、「SACOの再検証は必須だ。」、と次のように指摘する。


(1) 公明党WTは2016年11月、提言書の提出時期を当初予定していた「16年内」から「17年春」に変更すると発表。その後、17年5月に提言をまとめ、「普天間飛行場の5年以内の運用停止」などを政府に申し入れたが、結局、「辺野古見直し」には言及しなかった。公明党は18年2月にWTを再始動したが、同年8月に政府に申し入れた提言は「日米地位協定の改定案」に限定されている。公明党WTが一時検討したとみられる「辺野古見直し」は、文字通り「幻」となった。
(2)小川氏が提示したハンセン陸上案も「県内移設」に変わりはなく、沖縄側の反発は大きいことが予想される。ただ、既存基地内に収まる具体案が選択肢から外される一方、軍事的要件を満たさない辺野古への「新基地建設」に流れていった経緯は不可解と言わざるを得ない。
(3)沖縄県の玉城デニー知事は、日米当局で構成するSACOに沖縄県を加えた、「SACO with沖縄」(SACWO)という新たな枠組みの中で「辺野古見直し」の協議に取り組むよう政府に提案している。沖縄の人たちが抱く最大の不信は、「沖縄県外」への移設はどれだけ真剣に議論され、それはどのような経緯と理由で排除されたのか、という点だろう。普天間飛行場の返還とともに、代替施設の建設場所を「沖縄本島東海岸沖」と明記したSACOの再検証は必須だ。


 これまでも、辺野古新基地建設に伴う軟弱地盤の公表により工期の長期化や工費の膨大化が明らかになった。
 さらに、活断層の存在の問題が明確になってきた。
こうしたことに加えて、建設しようとする辺野古基地そのものが「使えない」とするならば、確かに、SACOの再検証は必要である。
もちろん、そこには沖縄の民意が厳然と存在する。



by asyagi-df-2014 | 2019-03-19 10:10 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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