沖縄-辺野古-沖縄 高江から-2019年2月11日

「北東アジアの平和や軍事基地について考えるシンポジウム『沖縄・韓国民衆会議』(嘉手納ピースアクションなど主催)が10日、読谷村地域振興センターで開かれた。韓国で米軍や韓国軍基地への反対運動に参加してきた文正鉉(ムンジョンヒョン)さん(83)は『南北統一すれば在韓米軍は撤退すべきで、嘉手納基地の米軍も米国に帰るべきだ』」と語った。11日には宮古島マリンターミナルでも開かれる。」、と琉球新報。
新しい風が何故必要であるかを改めて確認させてくれる。


 沖縄で起こっていること、その現場の事実をきちんと確認すること。
 2019年も、琉球新報と沖縄タイムスの記事を、「沖縄-辺野古-高江-から」を、報告します。
 2019年2月11日、沖縄-辺野古-高江の今を、沖縄タイムス、琉球新報は次のように表した。


(1)琉球新報-在韓、在沖米軍「撤退を」 沖縄・韓国民衆が平和討論-2019年2月11日 06:00


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「北東アジアの平和や軍事基地について考えるシンポジウム『沖縄・韓国民衆会議』(嘉手納ピースアクションなど主催)が10日、読谷村地域振興センターで開かれた。韓国で米軍や韓国軍基地への反対運動に参加してきた文正鉉(ムンジョンヒョン)さん(83)は『南北統一すれば在韓米軍は撤退すべきで、嘉手納基地の米軍も米国に帰るべきだ』」と語った。11日には宮古島マリンターミナルでも開かれる。」
②「文さんは、2006年に住民の土地が強制接収された米軍平沢(ピョンテク)基地拡張工事に対する反対運動などに参加した。『ろうそく集会』を機に誕生した文在寅(ムンジェイン)政権を評価しつつ『米軍基地に関しては韓国政府は日本政府と同じように米国の言いなりで、まるで操り人形だ』と批判した。その上で『韓国の若者が辺野古の座り込みによく参加している。沖縄からも韓国と連帯し、時間がかかっても米軍を追い出そう』と呼び掛けた。済州島で進められた韓国海軍の基地建設への反対運動についても報告した。」
③「山内徳信元参院議員も登壇し、沖縄戦と戦後の米軍基地建設などについて語った。田仲康栄嘉手納町議は嘉手納基地周辺地域の被害などを述べた。宮古島ピースアクション実行委員会の清水早子代表は、宮古島で進む陸上自衛隊駐屯地建設の現状について報告した。」


(2)琉球新報-主張正反対 画像加工か 県民投票連絡会「賛成に○」? SNSに酷似横断幕-2019年2月11日 05:30


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「名護市辺野古の新基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票に向けて、『新基地建設反対県民投票連絡会』が制作した横断幕やツイッター(短文投稿サイト)の表紙の画像やロゴに似せて、正反対の主張をする画像がSNS(会員制交流サイト)で発信されている。連絡会は『県民を混乱させる狙いがあるかもしれない』と警戒した。」
②「横断幕については、連絡会が掲示しているものを撮影した写真の一部を加工したとみられ、実際に横断幕自体があるかは不明。連絡会が『辺野古新基地建設のための埋め立て 反対に○』としているのに対し、模した画像は『普天間の危険性除去のために 賛成に○』としている。」
③「ほかにも『賛成に○』の上段の部分が『【どちらでもない】と思ったら』『迷ったら』『【県民投票はブッ潰(つぶ)せ】と思ったら』『違法テントをブッ潰すために』などとする10パターン以上の画像が確認できた。」
④「連絡会のツイッターの画像やロゴについては、砂浜で児童生徒が手をつないでいる画像はそのままに『県民投票に行こう! 反対に○』という文言を『宜野湾の子供たちの命を守ろう 賛成に○』との文言に変えているものも確認された。」
⑤「連絡会の担当者は『賛成に○と呼び掛けるのは自由だ。だが連絡会が作成したものや画像を模したり、コラージュしたりしてつくった画像で別のメッセージを発信するのは許されない。モラルや倫理に反する』と批判した。」


(3)沖縄タイムス-「国の形を問う言葉」 沖縄タイムス記者ら語る 東京・翁長展-2019年2月11日 09:03


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「東京都千代田区の有楽町朝日ギャラリーで開かれた『翁長雄志の【言葉】展』(主催・沖縄タイムス社)は最終日の10日、491人が訪れた。3日間で計881人が翁長前知事が日本全体に向けて発した言葉の意味を考え直した。」
②「翁長前知事を取材してきた記者や研究者によるギャラリートークもあり、TBS記者の松原耕二さんは【インタビューで自分自身の本土性みたいなものを、ものすごく突き付けられた】と振り返った。」
③「独協大地域総合研究所特任助手の平良好利さんは『この国の形そのものを問う凝縮された言葉だった』と語った。沖縄タイムスの福元大輔記者は『不屈の精神を子や孫に引き継ごうというのがあったと思う』と話した。同編集局の稲嶺幸弘次長がコーディネーターを務めた。」
④「展示会は金秀グループ、沖縄ハム総合食品、かりゆしグループ、デモクラシータイムス、朝日新聞社が協賛した。」


(4)沖縄タイムス-米軍ヘリ、つり下げでトリイステーションへ 6日に入砂島に予防着陸-2019年2月11日 11:53


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「沖縄県渡名喜島の沖合約4キロにある入砂島で6日から駐機したままだった米軍ヘリ1機が11日朝、別の大型輸送ヘリでつり下げられ、読谷村の米軍トリイステーションに移送された。駐機していたヘリは米軍普天間飛行場のAH1攻撃ヘリで、米軍によるとトリイでの点検が終了後に普天間に帰投する。」
②「米軍は11日午前、AH1の移送を沖縄防衛局に連絡した。6日に入砂島に予防着陸し、11日にCH53でつり下げ、海上を飛行しトリイまで移送した。予防着陸の原因などは明らかにしていないという。入砂島は米軍の射爆場になっている無人島。」
③「渡名喜島では昨年1月、村営ヘリポートに普天間所属のAH1が不時着。入砂島では2015年、米軍機がミサイル発射装置や燃料タンクなど計208キロの装備品を沖合に落下させる事故が起きている。」


(5)沖縄タイムス-なぜ普天間飛行場はあるの? 占領下で住民の土地奪った-2019年2月11日 12:05


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「普天間飛行場を返還するために名護市辺野古の沿岸部を埋め立て、V字形の2本の滑走路などを持つ代替施設を造り、そこへ普天間飛行場の担ってきた機能を移設するのが日本政府の計画だ。では、そもそもなぜ外国の部隊である米海兵隊が、戦後74年目の今も、普天間飛行場を使用しているのだろうか。」
②「普天間飛行場が建設されたのは沖縄戦のあった1945年。米軍は4月以降、沖縄本島に上陸、土地を占領し、日本本土への出撃拠点として必要な施設を造った。普天間建設の任務は同年6月17日、米陸軍工兵部隊に割り振られた。長さ2300メートルの滑走路2本と、当時の主力爆撃機B29の駐機場220カ所などを整備する計画だった。」
③「同年8月23日までに1800メートルの滑走路1本と駐機場75カ所、誘導路が完成したという。そこには当時の村役場や国民学校、多くの住宅があり、宜野湾市史によると戦前に8880人が暮らしていた。疎開先や収容所から戻った住民らは、自宅や畑のあった土地が造成され、飛行場ができていたことから、その周辺で暮らすことを余儀なくされ、新たな集落を形成していった。」
④「県資料によると、沖縄戦前の旧日本軍の軍用地は540ヘクタール。米軍が上陸後に占領した土地は、普天間飛行場を含め、1万7400ヘクタールに上り、そのほとんどが民間地だった。
⑤「52年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効後、普天間のように占領した土地でも地主と契約するか、強制使用の手続きを取る必要があった。多くの住民が反対する中、米国民政府は一方的に布令を公布する形で使用権原を得たほか、新たな土地接収を進めた。米施政権下での「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる強制接収で、72年の沖縄返還時には、米軍専用施設面積は約2万8600ヘクタールに膨らんだ。」
⑥「72年以降、今度は日本政府と地主の契約が必要になった。政府は段階的に軍用地料を引き上げ、容認し、契約する環境を整える一方、契約に応じない地主に対し、事実上沖縄だけに適用された公用地暫定使用法や地籍明確化法などを制定し、土地使用を続けた。96年には地主が拒否しても首相の権限で使用できるよう駐留軍用地特措法を改正。どんなに反対しても『永久に借りる』仕組みが出来上がった。」
⑦「県内の米軍専用施設面積は現在でも約1万8500ヘクタール。全国の70・3%が沖縄に集中する。そのうち国有地は3割程度で、残りは民間や地方自治体の土地だ。普天間は、約480ヘクタールのうち91%が民有地で、地主は3300人に及ぶ。」
⑧「県外の米軍基地は、旧日本軍の土地にできたケースが多く、国有地が87・4%を占めるため、土地契約を巡る問題は生じにくい。昨年8月に亡くなった翁長雄志前知事は『沖縄戦で奪った土地に普天間飛行場を造り、そこが老朽化したから、危険になったから、沖縄側に新たな土地を差し出せというのは理不尽だ』と発言していた。」        (政経部・福元大輔)
⑨「『辺野古米軍基地建設のための埋め立ての賛否を問う県民投票』が24日、投開票される。日米両政府が米軍普天間飛行場の返還に合意してから23年。そもそもなぜ普天間飛行場が沖縄にあるのか、なぜ辺野古へ移設するのか、なぜ県は反対するのか…。国や県の資料、国会や県議会での発言などから、辺野古問題の『そもそも』を取り上げ、県民投票の論点を探る。」


(6)沖縄タイムス-「乞食行進」住民の声克明に 伊江島の窮状記す故、阿波根さんノート保管-2019年2月11日 14:08


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「米軍に土地を奪われた伊江島(沖縄県伊江村)の住民が1955年、本島に渡って窮状と支援を訴えた『乞食行進』の行動記録が、故阿波根昌鴻さんが残した資料から見つかった。『陳情日記』と題されたノートで、当時の琉球政府行政主席に通告した上で乞食行進に踏み切るまでの経緯を克明につづる。当時の生の声を伝える貴重な1次資料で、3月にも刊行される。」                               (北部報道部・阿部岳)
②「米軍が基地拡大のため伊江島住民の畑などを強制接収したのは55年3月。その後も畑で耕作を続けていた32人が米兵に暴行され、本島に連行された6月13日付から日記は始まる。『テッ拳で両ワキ下をひどくたたかれ』『息も絶へんばかりに強くけられた』との記述がある。」
③「那覇市の琉球政府前に『陳情小屋』を設け、繰り返し面談するが、琉球政府は占領者の米軍に物が言えない。業を煮やした住民は7月19日、比嘉秀平主席と面会し、『農耕も出来ないが、区民は乞食しなければ生きられない』と告げる。この時初めて『乞食』という言葉が登場する。」
④「同じ日の未明、米軍は宜野湾村(当時)伊佐浜でも『銃剣とブルドーザー』による土地接収を強行していた。伊佐浜とも連携していた伊江島住民はその当日に乞食行進の決行を地元トップに通告。2日後、実行に移した経緯が明らかになった。」
⑤「日記は阿波根さんの実践や資料を受け継ぐ伊江村のわびあいの里が保管。阿波根昌鴻資料調査会の調査で見つかった。代表の鳥山淳沖縄国際大教授は『伊江島や伊佐浜の抵抗が島ぐるみ闘争に発展していく激動期の貴重な記録。本島での活動を記しているため、伊江島住民と琉球政府、米軍、支援者との関係性が読み取れる』と話す。」
⑥「わびあいの里は日記を活字に起こし、冊子500部を刊行する。学校や図書館に寄贈するほか、一般販売も計画している。2017年の現地記録『真謝日記』に次ぐ第2弾となる。刊行費用30万円を15日まで、沖縄タイムス社のクラウドファンディングサイト「Link-U(リンクユー)」で募っている。」


(7)沖縄タイムス-米軍の暴虐へ抵抗と共感 伊江と伊佐浜住民が連帯 行進実り、寄付や物資-2019年2月11日 14:11


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「米軍の暴虐にさらされ、かといって琉球政府は頼りにならず、ついに『乞食行進』のほかに手段がなくなる。『陳情日記』の記述は1955年、伊江島住民が置かれていた切迫した状況を今に伝える。そんな中でも道理に訴えることを諦めず、一般住民からは支援と共感が寄せられた。」                             (北部報道部・阿部岳)
②「伊江島の住民は沖縄内外に助けを求めたが、宜野湾村(当時)伊佐浜との協力関係は特に深かった。同時並行で土地接収の危機が迫っており、住民同士が頻繁に行き来していた。米軍が伊佐浜の立ち退き期限とした7月18日には、伊江島住民も現地に駆け付けた。それより少し前、伊江島住民は伊佐浜でこう尋ねている。『陳情資金はどうして居るか』『食糧実状はどうなって居るか』『農耕はどうして居ますか』『病人はどうですか』『水はどうして飲んで居ますか』『住宅はどうですか』。互いに衣食住を米軍に破壊されていたことが伝わる。」
③「伊佐浜住民は、伊江島の闘いに勇気付けられたと語る。『皆様伊江島の人々の奪斗のお蔭で世論を湧かし宜野湾村も全体目覚めて居ます 正功祈ります 正しき者は必ず勝つ信念で貫張って下さい』。非暴力に徹する伊江島住民の武器は事実を知らせることだった。『早朝より母国の新聞社への上書を書く』『阿さんより云ひ付けられた新聞の投稿に行く』。『阿さん』は阿波根昌鴻さんとみられる。乞食行進という直接行動だけでなく新聞も使って世論に働き掛けた。」
④「その結果、あらゆる層の人々から支援が寄せられた。『普天間中高の先生が見舞に』『無名の青年現金六十円寄附』『胡座町A家族三人ヨリ物資寄付』『小禄村具志部落民一同より見舞金』。共感は全島に広がり、やがて土地と暮らしを守る『島ぐるみ闘争』につながっていく。(引用は原文のまま)」
⑤「『陳情日記』は沖縄が激しく動いていた時代の生の声を今に伝えている。土地を奪われた伊江島住民が本島で行動した記録であり、他者との関係性が読み取れる。交渉した琉球政府の主席や副主席は米軍に歯向かわず協力する中で解決策を見いだそうとする姿勢が一貫している。しかし米軍に相手にされず、この路線は後に破綻することになる。」
⑥「米軍は当時、住民の怒りを深刻に捉えていなかった。住民が補償を求めても『議会の承認を得なければ出来ないので一、二ヶ年まってくれ』などと言って当事者意識がない。追い込まれた住民は『乞食行進』で社会に支援を求める。その過程が詳しく記されている。交流していた宜野湾村(当時)伊佐浜で土地接収があったまさにその日、主席に対して『乞食』という言葉を初めて使ったことが分かる。」
⑦「改めて驚かされるのは、日々の活動の中でこのような詳細なノートを残していたこと。例えば伊佐浜では現時点でこのような日記は見つかっていない。伊江島では、阿波根昌鴻さん以外の人々にも記録を残す精神が共有されていた。」(沖縄現代史、談)


(8)沖縄タイムス-「乞食行進」記す記述 生活難で苦肉の策「正しく生きるため叫ぶ」-2019年2月11日 14:13


 沖縄タイムスは、表題について次のように報じた。


①「『乞食行進』は対政府交渉が行き詰まった末の苦肉の策だった。『陳情日記』の関連記述を原文のまま紹介する。
②「対政府交渉:『会見後地主側から只今福主席さんの云はれた事を確実を証明する為に証明書を御願ひしたが福主席 それまでに私をうたがうならば此の事を実現させる事が出来なければ私は職を辞める覚悟をして居るといはれたので地主達はそれではといって帰島の準備に急ぐ』(6月17日)」
③「『与ギ副主席と会談 病人名簿提出したのに十二指腸と頭痛は病気ではないと発言』(7月5日)」
④「『六月十七日副主席の【職をとしても食糧問題を解決する】との確約され 乍(しかしなが)ら何等善処されず区民の生活は日一日と困窮し今や死の宣告にも等しく境地に立たされております』(9月9日、プラカードの内容)」
⑤「取り上げられた自分たちの畑で耕作していた住民32人が6月13日、米軍に逮捕され、本島に連行された。伊江島に残された妻子も琉球政府に駆け付け、助けを求めた。当時の与儀達敏副主席は子どもたちを学校に戻すよう諭し、全力で米軍と交渉することを約束した。しかし、成果を上げることはできなかった。」
⑥「行進決行:「『主席と会見 今後真謝区民をどうしてくれるか、農耕も出来ないが、区民は乞食しなければ生きられない』(7月19日)」
⑦「『警察局長と会見 乞食に立つ事を告げ十時半頃話合を終了』(7月19日)」
⑧「『午ゴ四時頃より市街に行き御同情を仰ぐ(乞食開始)』(7月21日)」
⑨「『伊江島の回路乞食は立派な金銭設けと云う片も在る、反面、聞く(子供迄も)一般民に多大なる反影を与えて有る』(8月9日)」
⑩「『皆さん私たちは正しく生きるために今では街頭に出て叫んでおります 皆さんの世論の力をたよりに生きそして一日も早くこの良心の叫びが受入れられ解決される迄頑張つて行きたいと願っております 何卒御同情御支援下さいますようお願い申上げます』(9月9日、プラカードの内容)」
⑪「7月21日、乞食行進が那覇市の琉球政府前を出発。各集落を回りながら、本島を南から北まで縦断する。住民たちは当初、『行進』を付けずに単に乞食などと呼んでいた。『金もうけ』と批判を浴びた一方、訴えを受け止めてもらった手応えもつづっている。」


(9)琉球新報-入砂島に駐機の米軍ヘリは緊急着陸だった 大型ヘリにつり下げられトリイ通信施設に移動-2019年2月11日 11:14


 琉球新報は、表題について次のように報じた。


①「米軍の射爆撃場として使われる渡名喜村の入砂島(出砂射爆撃場)に6日から駐機している普天間飛行場所属のAH1Z攻撃ヘリコプター1機は同日に緊急着陸をしたものだったことが11日、分かった。緊急着陸の原因は不明。」
②「同日午前9時10分ごろにCH53E大型ヘリにつり下げられて入砂島を離れたAH1Zは、同午前9時45分ごろ、読谷村のトリイ通信施設に運ばれた。」
③「米軍は11日、沖縄防衛局に『6日に予防着陸した。11日、海上を通って(読谷村の)トリイ通信施設まで運んだ。点検などが終わり次第、普天間飛行場に戻る』と伝えた。緊急着陸の理由や点検内容、普天間飛行場に戻る時期の見通しなどの説明はなかった。」
④「米軍は11日午前9時10分ごろ、CH53E大型ヘリで緊急着陸したAH1Zをつり下げて入砂島を離陸した。何らかのトラブルが発生し、自力で飛行できない状態になっていたとみられる。」



by asyagi-df-2014 | 2019-02-11 17:59 | 沖縄から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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