宮城大蔵の「普天間・辺野古問題の「焦点」はどこにあるのか(上)(下)」から普天間・辺野古を考える。

著書名;「普天間・辺野古問題の「焦点」はどこにあるのか(上)(下)」
著作者;宮城大蔵
HP ;OKIRON


 沖縄の「県民投票」に暗雲が立ちこめているように見える現在、県民投票を否定する側から、「辺野古移設が進まなければ、『普天間の固定化につながる懸念が強い』」との反論が強く流されている。
 このことについて、どのように具体的に反論できるのか。
宮城大蔵(以下、宮城)上智大学教授は、OKIRONで「普天間・辺野古問題の『焦点』はどこにあるのか(上)(下)」を掲載した。
この宮城の論点から、普天間・辺野古問題の問題を考える。
宮城は、①「歴史観」、②「『早期』の危険性除去」、③「辺野古か、普天間の継続かとの論点の立て方の間違い」、④「すでに、『安倍後』に向けたビジョンが必要」、との四点から、この問題を次のように捉えている。


1.「歴史観」


 宮城は、歴史を捉える時、「歴史を書く際には、扱う時間の幅をどのように設定するかがとても重要である。」、と説く。
 その上で、普天間・辺野古を考える時の視点について、「全国メディアの解説などでも、鳩山政権から始めるものを多く目にする。」、とその間違いを批判する。
 このことが何故問題なのかについて、下記のように指摘する。


(1)鳩山政権の印象が強烈なのは当然であろう。「最低でも県外」を掲げる一方で、首相自らが問題決着の期限を明示し、その中で次々と移設候補地が挙がっては拒否され、あげくに自民党政権時代の辺野古移設「現行案」に舞い戻るという迷走ぶりであった。その印象があまりに強い反動として、現在、安倍晋三政権が進めようとしている辺野古移設は、確かに力づくで強引かもしれないが、鳩山政権の尻ぬぐいとして問題収拾に努めているのだという「歴史観」も、一定の説得力を持つと見えるかもしれない。
(2)鳩山政権を起点とするこの見方では、普天間・辺野古問題がなぜこれほどこじれているのか、答えを見出すことができない。下手をすると、沖縄の人々がわがままを言っているので、問題が決着しないのだという構図にすらなりかねない。すでに日本全国の米軍専用施設の7割を背負う沖縄が、更なる基地建設に反対するからわがままだというのは、ずいぶんと倒錯した話しである。


 宮城は、普天間・辺野古問題の起点は、鳩山政権ではなく「20年余り前の1995年に起きた少女暴行事件である。」、と明確にする。
しかし、それだけに留まらず、歴史の幅の問題として、問題の本質を衝くものとして「琉球新報1995年9月29日」の記事を紹介する。


「日米両政府は今回の事件を『一部の不心得な米兵が起こした不幸な事件』ととらえたが、沖縄県民は『戦後五十年繰り返され、米軍基地ある限り続く悲劇の一つ』と捉えた。そこに『温度差』『認識のズレ』がある」


 ただ、1995年に起きた少女暴行事件がもたらした諸々の行為が、宮城の指摘するように具体的な現在の普天間・辺野古問題の起点になったことは間違いない。
だから、宮城は、次のように押さえるのである。


「この事件で噴出した沖縄の憤りに対応すべく打ち出されたのが、1996年4月の日米両政府による普天間基地返還合意であった。それが20年余りを経て、沖縄県の反対を押し切る問答無用の新基地建設に転じたのだから、話しがまったく逆になっているのである。 返還合意では代替施設について、既存の米軍基地内に『ヘリポート』を新設するとされた。それが大規模に海を埋め立て、滑走路二本を備えた新基地建設に変貌した。代替施設に使用期限を設けることも沖縄側の受け入れ条件であったが、2006年の閣議決定で破棄された。このように20年前の起点からこの問題を捉えないと、なぜ普天間・辺野古がこじれているのか、問題の本質が見えなくなる。」


2.「『早期』の危険性除去」


 安倍晋三政権は、「辺野古新基地建設が『世界一危険』な普天間基地の危険性除去のための『唯一の解決策』」、と繰り返し喧伝してきた。
 また、2019年2月の新基地建設をめぐる県民投票では、「いくつかの自治体でこれに協力しない意向が示されている。その理由の一つは、辺野古移設が進まなければ、『普天間の固定化につながる懸念が強い』」、という状況が生まれていることも確かである。
 宮城は、こうした状況について、「この問題については、『辺野古移設か、普天間の継続使用か』という問いかけが、一見したところの焦点となりかねないわけだが、それはズレていると思う。より重要なのは、『時間軸』という観点である。」、との視点を提起する。
また、押さえておく必要があるのは、宮城の「そもそも仲井真弘多氏が知事として埋め立て承認をした際、普天間基地の『5年以内の運用停止』が事実上の前提条件であった。また仲井真氏は、新基地建設には最短でも10年程度見込まれるとして、辺野古での工事進捗とは切り離して運用停止を実現すべきだとしていた。安倍政権はこれを呑んで仲井真氏から埋め立て承認を取り付けたものの、新基地建設に反対する翁長雄志知事の誕生を契機に、『5年以内』を後退させて今に至る。」、との指摘である。
 宮城は、「結果として翁長氏に大敗したが、もし仲井真氏が知事として三選を果たしていたら、安倍政権は『5年以内の運用停止』に向けて米側と折衝するなど、本当に真剣に取り組んだだろうか。実に興味深い歴史の『イフ(もしも)」である。」、と当然のように疑問を呈する。
 さらにあわせて、この時の仲井真元沖縄県知事のこんな胸中を紹介する。


「みんな間違って考えていると僕は思っていましたよ。本当は(辺野古よりも)もっとやりやすい場所があるはず。腰を据えて取り組めば、すぐに解決できる。米国の政治家も本気になってくれれば、簡単な話だとね」(『沖縄を売った男』205頁)。


 宮城は、「知事在任中の仲井真氏は、普天間代替施設について『県外』を求めつつも、『県内』も否定しないという歯切れの悪い姿勢をとったが、本人によればその真意は、最優先すべきは普天間の危険性の早期除去であって、それが実現できるのなら、『県内』もありというものであった(同上、186頁)。」、とも指摘する。
 結局、「早期」の危険性除去ということに関して、宮城は、次のようにまとめる。


(1)仲井真氏の在任時ですら、辺野古での新基地建設には10年程度かかると見られていたわけだが、建設予定地にきわめて軟弱な地盤が広がっていることが判明し、新基地計画は10数年から場合によっては、20年近くかかる可能性も指摘されている。
(2)それが意味するのは、「辺野古移設」ではもはや、「普天間の危険性の速やかな除去」は無理だということである。
(3)そのような中、普天間基地の「5年以内の運用停止」の期限が迫りつつある。安倍政権は「5年以内」について、2014年2月を起点とした。ところが同政権はここに来て、「5年以内」を反故にする姿勢を鮮明にしつつある。安倍政権としては普天間の「早期の危険性除去」をあきらめ、今後、10数年にわたって危険性を放置するということであろうか。
(4)また、米軍としては滑走路が短いなど辺野古新基地の機能が不十分だと見なしており、辺野古が完成しても普天間基地の返還にすんなりと結びつくかも、不透明だというのが実情であろう。


3.「辺野古か、普天間の継続か」との論点の立て方の間違い」


 宮城によると、現在の普天間・辺野古問題の起点を「1995年に起きた少女暴行事件」と捉えることは、問題の核心が「『早期』の危険性除去」にあると把握することである。
したがって、宮城は、「『辺野古か、普天間の継続か』はズレている」、とあたかも「辺野古か、普天間の継続か」といった論点の立て方の間違いを次のように指摘する。


(1)普天間・辺野古をめぐっては、先日の土砂投入や、来月の県民投票に向けた沖縄県内の足並みの乱れなどに注目が集まりがちである。安倍政権としては、この問題は「もはや決着済み」だとしてあきらめを誘い、玉城デニー知事の足元を切り崩したいのであろう。
(2)だが、問題の焦点はそこにあるのではない。「早期の危険性除去」というこの問題の原点が、現政権によって放棄されつつあることこそが、重要なのである。
(3)別の角度から言えば、「辺野古か、普天間の継続使用か」という一見、分かりやすい選択肢そのものが、ズレているのである。なぜなら、「辺野古移設」では、「早期の危険性除去」という本来の目標をもはや達成することができないからである。
(4)そうであるならば、県民投票をめぐって沖縄の民意が「辺野古か、普天間の継続使用か」という形で割れるとすれば、きわめて不幸なことである。「普天間の危険性の早期除去」を望むという点では、差異はないはずだからである。


 結局、宮城は、「『辺野古か、普天間の継続使用か』という問いの設定は、『危険性の早期除去』が放棄されつつあることを覆い隠し、その上で民意を分断することを意図した『筋の悪いタマ』である。」、と断じる。
 その上で、「『普天間の危険性の早期除去』という原点に立ち返り、いかなる方途がそれを可能にするのかということに議論が収斂しなくてはならない。」、と提起する。


4.「すでに、『安倍後』に向けたビジョンが必要」


 最後に、宮城は、「『安倍後』に向けたビジョン」の必要性について、「『安倍一強』の陰で日本政治が活力を失っていると言われて久しい。日本のこれからにとって、実にゆゆしきことである。普天間・辺野古をめぐる『安倍後』のビジョンを構想し、具体化することは、政界における停滞打破の突破口になるだろう。」、と説く。
また、その根拠を次のように指摘する。

(1)振り返って見れば、仲井真、翁長という二人の知事は、安倍政権との協調と対立という点で、逆方向を向いていたかに見えるかもしれないが、「普天間の危険性の早期除去」という点では共通しており、「辺野古移設」がその回答にはならないという点でも同じであった。
(2)その中で仲井真氏は「普天間移設」とは別に「5年以内の運用停止」を求めたのであり、翁長氏は政権側の強硬策を前に、辺野古新基地反対に力点をおかざるを得なかった。
(3)辺野古での工事は、政府と県の対立といった政治的要素は別にしても、軟弱地盤の大規模な改良と工費の膨張、財政の制約などの難関に突き当たるであろう。「早期」はとても無理である。普天間の危険性の「早期除去」という本来の目的を達成するにはどのような方途が適しているのか、今から練っておく必要があるだろう。
(4)「安倍一強」と言われて久しいが、いずれにせよ政権末期に向けて「一強」もこれから下り坂である。普天間・辺野古をめぐる現在の強硬策には、自民党内でも眉をひそめる向きは少なくない。一方で立憲民主、国民民主など旧民主党系の野党は、鳩山政権の迷走以降、この問題には及び腰である。全国世論でも辺野古での「現行案」見直しとなれば、また「最低でも県外」かと、現状に胸を痛めつつも正直、ウンザリといった反応もあるだろう。「最低でも県外」という、あまりに分かりやすいキャッチフレーズが残した副作用である。


 宮城は、「普天間・辺野古問題の『焦点』はどこにあるのか」に関わって、「『県内』か『県外』か、というところに問題の本質があるのではない。『普天間の危険性の早期除去』について、辺野古での『現行案』がその答えにならないことがはっきりしつつある中、いかなる方途が『早期除去』を可能にするのか。それを問い、具体化することが必要なのである。」、と結論づける。
 また、「『安倍後』に向けたビジョン」の必要性に関して、「専門家の間では、大規模な新基地建設なしで『早期』を可能にするためのさまざまな方策が議論されている。それを吸い上げ、選択肢として可視化、具体化して見せるのが政治に求められる仕事である。」、とあわせて指摘する。


5.最後に


 宮城のこの提起から受け取ることができるのは、次のものである。


(1)普天間・辺野古問題の起点は、鳩山政権時代に始めるのではなく、「20年余り前の1995年に起きた少女暴行事件」である。20年前の起点からこの問題を捉えないと、なぜ普天間・辺野古がこじれているのか、問題の本質が見えなくなる。
(2)この少女暴行事件で噴出した沖縄の憤りに対応すべく打ち出されたのが、1996年4月の日米両政府による普天間基地返還合意であったにもかかわらず、20年余年を過ぎると、日本政府は、沖縄県の反対を押し切る問答無用の新基地建設に転じた。このことは、「話しがまったく逆」になってしまっていることを示す。
(3)「話しがまったく逆」が示すものは。日本政府・安倍晋三政権によって、「沖縄の人々がわがままを言っているので、問題が決着しない」という理由付けが、日本国民を納得させる手段として利用されている構図。
(4)普天間・辺野古問題とは、「早期の危険性除去」ということこそが問題の原点であることを意味する。
(5)辺野古新基地建設問題は新たに、建設予定地にきわめて軟弱な地盤が広がっていることが判明したり、活断層の存在が浮かび上がったことにより、、新基地計画が13年かかる可能性が沖縄県からも指摘されている。実際、このことが意味するのは、「辺野古移設」ではもはや、「普天間の危険性の速やかな除去」は無理だということである。
(6)米軍は滑走路が短いなど辺野古新基地の機能が不十分だと見なしており、辺野古が完成しても普天間基地の返還にすんなりと結びつくかは不透明である。
(7)「辺野古か、普天間の継続使用か」という一見、分かりやすい選択肢そのものが間違っている。なぜなら、「辺野古移設」では、「早期の危険性除去」という本来の目標をもはや達成することができないからである。また、「普天間の危険性の早期除去」を望むという点では、差異はないはずである。
(8)「普天間の危険性の早期除去」について、辺野古での「現行案』」その答えにならないことがはっきりしつつある中では、いかなる方途が「早期除去」を可能にするのかを問い、具体化することが必要である。それは、すでに、「『安倍後』に向けたビジョン」ということである。




by asyagi-df-2014 | 2019-01-14 09:00 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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