2019年1月1日、社説を読む。(2)

 何かと、各紙の社説を頼りにしてしまっている。
 一つの重要な情報源であるし、論理性も問われるものであることから、これまでも社説を自分なりの分析の中心に据えてきた。
これまた、2019年も同様のスタイルを取っていくつもりである。。
 さて、最初は、各紙の2019年1月1日付けの社説から。
 実は、沖縄タイムスと琉球新報(以下、「新報」)の社説は、俯瞰的論理でいろんな問題を取りあげてきた。特に1月1日の社説は、そうした両者の傾向がにじみ出るものであった。
る。
今回は、「新報」から。
今回の「新報」の主張は、「沖縄の人々の意思を無視して強権を発動する政府の態度は一貫している。政府に問いたい。日本の民主主義は見せかけなのか。いま一度立ち止まってよく考えてほしい。」、と明確である。
 2019年、沖縄は正念場を迎える。だとしたら、それは、日本という国の民主義が剣が峰を迎えているということでもある。
「新報」は、このことの歴史的意味について、次のように指摘する。


(1)平成で最後の新年を迎えた。2019年は沖縄、ひいては日本の民主主義の在り方が問われる年になる。県民の圧倒的多数が反対する中で、米軍普天間飛行場の辺野古移設に伴う新基地建設を政府が強行しているからだ。このままだと、強権によって地方の民意を押しつぶす手法が、いずれ沖縄以外にも波及していくだろう。政府の暴走に歯止めをかけなければ将来に禍根を残す。
(2)今年は1879年の琉球併合(琉球処分)から140年になる。沖縄を従属の対象として扱う政府の姿勢は今も変わっていない。
(3)琉球王国は1609年に薩摩に侵攻されて以降、その支配下に置かれたが、明、清の冊封を受けた国家としての地位を保っていた。明治政府は1872年、一方的に琉球藩とし国王を藩王とする。これに先立ち、大蔵大輔・井上馨は「清(中国)との関係が曖昧なまま数百年過ぎたが、維新の今日においてはこのままではいけない。皇国の規模を拡張する措置があってもいい。その際、威力で奪う行為はよくない。よってかの酋長(しゅうちょう)(王)を近いうちに招き、不臣(不忠不義の臣)の罪を厳しくとがめ、その後に版籍を収めるのがいい」と建議している。
(4)琉球国王を「酋長」とさげすみ、併合の理由として「不忠不義の罪」を一方的にでっち上げる提案である。建議は採用されなかったが、琉球併合の論議の起点となった。明治政府が沖縄をどう見ていたかがよく分かる。

 「新報」は、次に、現在の安倍晋三政権による辺野古新基地建設の意味について、次のように断定する。


(1)辺野古での新基地建設の強行は、日本から切り離された1952年のサンフランシスコ講和条約発効、県民の意に反し広大な米軍基地が残った日本復帰に続く、第4の「琉球処分」にほかならない。
(2)沖縄は去る大戦で本土防衛の時間稼ぎに利用され、日本で唯一、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が行われた。住民のおよそ4人に1人が犠牲になっている。
(3)県民が望むのは平和な沖縄だ。米軍基地の存在は取りも直さず有事の際に攻撃目標になることを意味する。少しでも基地の負担を減らしてほしいと要求するのは当然だ。
(4)政府は仲井真弘多元知事による2013年の埋め立て承認を錦の御旗に掲げる。だが同氏は「県外移設を求める」と公約していた。大多数の県民の意向に反する決定だったことは明らかだ。その後の2度の知事選で新基地反対の民意が明確に示された。


 最後に、「新報」は、実は、日本国、日本人総体に向けて、「強引な国家権力の行使に脅威を感じているのは沖縄の人々だけではない。昨年12月の共同通信全国電話世論調査で56・5%が移設を進める政府の姿勢を『支持しない』と答えたのは、その表れではないか。」、と問いかける。


 残念ながら、日本という国の国力は、第4の「琉球処分」とまで批判されるものにまで堕ちてしまった。
 しかし、やはり、「県民が望むのは平和な沖縄だ。米軍基地の存在は取りも直さず有事の際に攻撃目標になることを意味する。少しでも基地の負担を減らしてほしいと要求するのは当然だ。」(琉球新報)、との沖縄の民意が、民主主義国家に住む住民の当たり前の想い・要求として実現されなければならない。




by asyagi-df-2014 | 2019-01-08 06:58 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人
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