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2019年のこの時に向けて。

 2018年12月14日、辺野古土砂投入。
 2018年12月21日、ハンセン病家族訴訟の結審。
 この12月に示されたことが、今の日本の状況を端的に表しているような気がします。
このことを考える中で、2019年に、向き合いたいと考えています。


(ちょっと長文です。)

Ⅰ.ハンセン病家族訴訟が結審。


 2018年12月21日、ハンセン病家族訴訟が結審しました。2019年5月31日に判決となっています。
ハンセン病首都圏市民の会は2019年3月2日に開催される「ハンセン病家族訴訟を支援する緊急集会」への呼びかけチラシで、「思いよ、届け!-問われているのは誰ですか?-」、と次のように訴えています。


「熊本で行われているハンセン病家族訴は2018年12月21日に結審し、2019年春には判決が言い渡されます。判決を前にした3月2日ハンセン病家族訴訟を支援する緊急集会を開催します。誤った国策により、ハンセン病問題は家族関係にゆがみを生じさせ、被害は家族にまで及んでいます。家族訴訟の現在を知り、原告の叫びに耳を傾け、声を上げた一人ひとりに出会っていくことを大切にしたいのです。この裁判の判決に注目してください。ぜひ緊急集会に参加をしてください。」


 そもそもこのハンセン病家族訴訟とはどういうものなのか。
ハンセン病家族訴訟弁護団は、このことについて、ホ-ムペ-ジで次のように押さえています。


(1)国が、「らい予防法」を制定して廃止せず、長年にわたり行ってきたハンセン病患者への「絶対隔離政策」の誤りは、裁判などで明らかにされてきました。しかし、患者の家族たちが受けてきた被害は、いまだに公的に認められないままです。
(2)国の絶対隔離政策により作出され助長された、ハンセン病に対する差別偏見は、患者本人だけでなく、その家族たちをも、渦中に陥れました。家族たちは差別偏見にさらされ、偏見差別をおそれて秘密を抱えて生きることを強いられてきました。家族たちみんなが、その人生の有り様を変えられてしまう被害を受けました。
(3)裁判は、このような家族たちが受けた被害を明らかにし、国に対して、謝罪広告による謝罪と損害賠償を求めています。現在、第1陣59名、第2陣509名の原告が闘っています。
(4)この裁判では、「無らい県運動」などを通じ、加害の一端を担わされた社会の責任も問われています。社会の差別偏見は、私たち一人一人の行動でなくしていく必要があります。勇気をもって声をあげた原告たちへの応援を、お願いいたします。


 また、この「無らい県運動」についても、次のように説明しています。


「1920年代末以降、絶対隔離政策を推進するために『無らい県』のスローガンのもと、官民が一体となって、ハンセン病患者を摘発し、ハンセン病療養所に送り込みました。戦後も、ハンセン病治療薬プロミンが普及し、基本的人権の尊重を謳う日本国憲法が制定されながら、第2次『無らい県運動』として展開されました。国立療養所は増床され、強制収容は強化されました。患者収容にあたり患者の住居を大消毒するなど、国民の恐怖感をあおりました。強烈な伝染病だという誤った認識が社会に広まり、患者もその家族も、強い差別偏見の目にさらされました。こうした戦後の『無らい県運動』の渦中で、山梨県でのハンセン病患者一家心中事件などの悲劇的な事件も発生しました。」

 一方、ハンセン病家族訴訟の結審について、熊本日日新聞(以下、「熊日」)は2018年12月22日、次のように報じています。


(1)国のハンセン病隔離政策で患者と同様に差別や偏見を受けたとして、元患者の家族561人が国に謝罪と1人当たり550万円の損害賠償を求めた訴訟は21日、熊本地裁(遠藤浩太郎裁判長)で口頭弁論があり、原告、被告双方が最終準備書面を陳述して結審した。判決は来年5月31日。
(2)原告側は「患者の自宅を消毒するなど強制隔離政策は家族も標的にし、社会に偏見や差別が浸透した。原告は家族関係の形成を妨げられ、平穏に生活する権利を侵害された」と主張。「国は家族が受けた被害を回復する義務があるのに怠った」と指摘した。
(3)国側は「家族は隔離政策の対象ではなく、国に家族への偏見や差別を取り除く義務はなかった」と反論。仮に被害があったとしても、国と元患者の遺族らが和解した2002年時点から3年以上経過し、賠償請求権は消滅したとして請求棄却を求めた。
(4)弁論では、原告3人と原告側代理人3人、国側代理人が意見陳述。原告の鹿児島県の女性(72)は「原告はそれぞれ人生を狂わされた。国は被害に向き合い、謝罪してほしい」と訴えた。
(5)同訴訟は16年2月に第1陣59人が提訴し、同年3月に509人が追加提訴。今年11月、7人が「訴訟の続行を希望しない」などとして請求を取り下げた。」
(6)患者の家族をめぐる訴訟では、療養所に入らず亡くなった「非入所者」女性の息子=鳥取県=が、国と県に損害賠償を求めて提訴したが、鳥取地裁、広島高裁松江支部とも「被害は認められない」などとして請求を棄却され、上告している。
(山口尚久)

 「熊日」は、裁判の争点を次のようにまとめています。(「熊日」-2018年12月22日)

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 さて、改めて、ハンセン病家族訴訟について考えます。
その糸口として、沖縄タイムス(以下、「タイムス」)の2018年12月23日付けの「[ハンセン病家族訴訟]被害に向き合う判断を」との社説を取りあげます。
「タイムス」は、「原告のうち4割が沖縄在住である。」、とその位置づけを明確にして、最初に、その実態を次のように指摘します。


(1)お使いに行った雑貨屋で「あんたには売らん」と買い物を拒否された。
(2)同級生から「風上に行くな、菌がうつる」といじめに遭った。
(3)母親が元患者だと打ち明けると、理由も告げずに離婚を切り出された。 
(4)親がハンセン病だったことで、苦難の人生を歩んできた県内に住む家族の声である。時に隔離されている患者本人より過酷な差別もあったといい、胸をえぐられるような思いがした。
(5)ハンセン病の強制隔離政策を巡って、元患者の家族が国に謝罪と損害賠償を求めた訴訟が、熊本地裁で結審した。
(6)患者だけでなく配偶者や子どもらも差別と偏見にさらされたとする集団訴訟で、原告のうち4割が沖縄在住である。


 次に、「タイムス」は、ハンセン病家族訴訟を何故興さなければならなかったについて、次のように押さえます。


(1)ハンセン病は戦後間もなく薬で治るようになったが、隔離政策は1996年の「らい予防法」廃止まで90年近く続いた。元患者らが国家賠償を求めた2001年の熊本地裁判決は、隔離を違憲と判断。国は元患者と和解し、各種の補償制度を整備した。しかし同様に被害を受けた家族へ目が向けられることはなかった。
(2)家族はなぜ、理不尽な仕打ちを受けなければならなかったのか。
(3)家の中が真っ白になるまで消毒されたり、子どもを「未感染児童」として療養所内の保育所に収容するなど、原告らの意見陳述で明らかになったのは、隔離政策の対象が家族にまで及んでいたということだ。隔離が助長した偏見によって学校や地域から排除され、結婚や就職などの場面で厳しい差別に直面したのである。
(4)原告側は家族被害をもたらした国の責任を追及している。これに対し国は「家族は隔離政策の対象ではなく、国に偏見や差別を取り除く義務はなかった」と反論。仮に被害があったとしても、国と元患者の遺族らが和解した02年時点から3年以上経過し、民法の規定で賠償請求権は消滅したとしている。
(5)原告の中には、これまで誰にも話せなかった被害を心を奮い立たせて告白したという人も多い。「幼くして家族と引き離され、本当の意味での親子としての関係が築けなかった。あるべき家族の関係性が根本から奪われてしまった」など、その訴えは具体的で重い。
(6)国に差別排除の義務はなかったとの反論は、苦難を強いられた歴史から目を背けるものだ。


 「タイムス」は、最後に、原告のうち4割が沖縄在住ということの意味合いをきちんと受け取る中で、このように訴えています。


(1)原告のほとんどは本名を明らかにしていない。原告番号で特定される匿名裁判を選ばざるを得なかったのは、いまだに被害が続いているからでもある。
(2)国が社会の偏見をなくす対策もとらずに、請求権の消滅を主張することは許されない。
(3)01年の熊本地裁判決は、「らい予防法」の改廃を怠った国の怠慢を指摘する画期的な内容だった。司法には再び深刻な人権侵害の歴史に向き合い、国の責任を明確にしてもらいたい。


 確かに、ハンセン病家族訴訟の成り立ちは、「裁判は、このような家族たちが受けた被害を明らかにし、国に対して、謝罪広告による謝罪と損害賠償を求めている。」、というものです。
 ただ、「思いよ、届け!-問われているのは誰ですか?-」との呼びかけが心に響くのは、この問題は、今生きている一人ひとりにも向けられたものでもあると実感できるからです。
 今、必要なのは、国の回りをこの自覚に目覚めたものが幾重にも取り囲むことです。


Ⅱ.「第4の琉球処分」や「日本の屈辱の日」として「2018年12月14日」を捉えること。


 沖縄タイムス(以下、「タイムス」)は2018年12月14日、「辺野古に土砂強行 政府新基地埋め立て」、と「号外」で伝えました。
また、「タイムス」は「辺野古に土砂投入、県民猛反発 埋め立て重大局面に」、と次のように伝えました。

(1)沖縄県名護市辺野古の新基地建設を巡り、政府は14日午前11時、護岸で囲った埋め立て区域に土砂を初めて投入した。玉城デニー知事が13日に岩屋毅防衛相に工事を中止するよう求め、沖縄防衛局に埋め立て承認の条件となる事前協議がないことなどを理由に工事中止を文書で指導する中、政府が埋め立てを強行した格好だ。
(2)1995年の米兵による暴行事件をきっかけに、96年に日米両政府が米軍普天間飛行場返還を合意し、名護市辺野古への移設を条件とした新基地建設問題は、返還合意から22年間で最大の重要局面を迎えた。
(3)土砂が投入されたのは、「N3」「N5」「K4」の護岸で囲われた海域。名護市安和の琉球セメントの桟橋から搬出された土砂を積んだ台船が14日午前9時、「K9」護岸に接岸。ダンプトラックで陸揚げし次々と土砂を投入した。
(4)米軍キャンプ・シュワブ前や現場海域近くには早朝から反対する市民らが集まり、抗議の声を上げている。
(5)政府は承認取り消しを巡る訴訟で県が敗訴したことなどから工事の適法性を強調するが、辺野古問題を最大の争点にした9月の知事選で玉城デニー知事が当選するなど「辺野古反対」を繰り返し示してきた民意に向き合わない姿勢への反発は、県内だけでなく国内外で高まるのは必至だ。 


 今、私たちに求められるのは、この「2018年12月14日」を、どのように捉えることができるかということです。
 いずれ、「2018年12月14日」が、「第4の琉球処分」や「日本の屈辱の日」として歴史的に捉え直される日が来ます。
 だとしたら、この「2018年12月14日」の意味を、しっかりとつかみ取る必要があります。


1.各紙の社説から。


 2018年12月15日の新聞は、このことの意味をどのように受け取ることができたのか。
こちらが把握した、一七社の社説・論説の見出しをまとめると次のように分けられます。


(基本理念が間違っている)
・琉球新報社説-辺野古へ土砂投入 第4の「琉球処分」強行だ
・沖縄タイムス社説-[辺野古 土砂投入強行]自治破壊の非常事態だ
・東京新聞社説-辺野古に土砂 民意も法理もなき暴走
・新潟日報社説-辺野古土砂投入 民主主義の危機を感じる
・南日本新聞社説-[辺野古土砂投入] 後世に取り返しつかぬ
(辺野古が唯一の策であるか等、政策の見直しを)
・山陰中央新報論説(共同通信)-辺野古土砂投入/「唯一の策」か再検証を
・佐賀新聞論説(共同通信)-辺野古土砂投入 「唯一の策」か再検証を
・大分合同新聞論説-辺野古土砂投入 新基地必要性の再検証を
(沖縄県民の民意の否定)
・朝日新聞社説-辺野古に土砂投入 民意も海に埋めるのか
・毎日新聞社説-辺野古の土砂投入始まる 民意は埋め立てられない
・北海道新聞社説-辺野古土砂投入 沖縄の声無視する暴挙
・信濃毎日新聞社説-辺野古に土砂 民意顧みない無理押し
・福井新聞論説-辺野古土砂投入 沖縄の民意を葬る光景だ
・京都新聞社説-辺野古土砂投入  民意背く強行許されぬ
・神戸新聞社説-辺野古土砂投入/民意踏みにじる実力行使
(積極的推進)
・読売新聞社説-辺野古土砂投入 基地被害軽減へ歩み止めるな
・産経新聞主張-辺野古へ土砂投入 普天間返還に欠かせない


2.沖縄タイムスと琉球新報の二社の報道から。


 ここでは、沖縄タイムス(以下、「タイムス」)と琉球新報(以下、「新報」)の二社を取りあげます。
 「タイムス」と「新報」は、14日朝の社説で、12月14日の土砂投入を前にして、次のように訴えていました。


Ⅰ.沖縄の想い

(「タイムス」)
 そこまでやるか。
 そこまで強引に工事を進めるのか。
 玉城デニー知事が民主主義の原則に沿って「話し合いによる解決」を求めているのに、そこまで県民の代表を小ばかにしたような態度をとるのか。


(「新報」)
(1)「丁寧な説明」も、「県民に寄り添う」こともなく、法や規則の解釈をねじ曲げて今日まできた。政府は、米軍普天間飛行場の移設先とする名護市辺野古の新基地建設に向け、14日に埋め立て予定地へ土砂を投入すると明言した。
(2)玉城デニー知事は13日、菅義偉官房長官と面談し、土砂投入の中止を求めたが、菅氏は工事強行の姿勢を崩さなかった。沖縄の民意に耳を貸さず、県の行政指導も意に介さない姿勢は傍若無人の一語に尽きる。


Ⅱ.土砂投入批判

(「タイムス」)
(1)名護市辺野古の新基地建設工事を巡り、岩屋毅防衛相は玉城知事と会談し、予定通りきょう14日、沿岸部に土砂を投入すると通告した。安倍晋三首相の言う「沖縄に寄り添う」という言葉が、出任せの巧言令色のたぐいでないのなら、首相は工事を中止し、沖縄で知事に会うべきだ。さらに記者会見を開いて沖縄の記者団の積もり積もった疑問に正面から答えるべきである。
(2)米軍普天間飛行場の辺野古移設は、米軍にとっては「日本政府の予算で、望む場所に望む基地ができる」ことを意味するが、沖縄にとっては基地の北部集約化であり、恒久化を意味する。
(3)当初、日米両政府が合意した案は、既存の米軍基地内に新たなヘリポートを整備するというものだった。それがいつの間にか、米国の思惑と日本政府の判断、地元の意向が複雑に絡み合って、V字型の滑走路などを持つ巨大基地へと変わっていったのだ。「辺野古に移せば、辺野古で事件事故が起き、何の解決にもならない」。1年前、米軍ヘリの部品が落下する事故があった、宜野湾市の保育園の保護者がそう語っていた。
(4)防衛省は、県の埋め立て承認撤回で中断していた工事を先月、再開させた。国交相が撤回の効力を一時的に止める執行停止を決定したからだ。防衛省の申し立てを、同じ国の機関である国交省が認めるというもので、県は自作自演のような決定を「違法」として、国地方係争処理委員会に審査を申し出ている。第三者機関である係争委の話し合いはこれからだが、土砂投入の日に初会合が予定されているのは偶然なのか。
(5)埋め立て承認の際、国と交わした環境保全などの「留意事項」が守られていないことも懸念される。ジュゴンの保護対策一つをとっても、3頭のうち2頭の行方が分からなくなっているなど影響が心配される。留意事項に従い工事を中止し、ジュゴン調査を進めるのがあるべき姿だ。
(6)「空の主権」も取り戻せていないのに、今度は県の自然環境保全指針で厳正な保護を図るランク1の海が埋め立てられようとしている。軍事基地建設のため、約260種の絶滅危惧種を含む5800種以上の海洋生物が生息する「宝の海」に土砂を投入するのは、愚行以外のなにものでもない。


(「新報」)
(1)沖縄防衛局は土砂を積んだ台船を辺野古の護岸近くに停泊させた。県は国土交通相の埋め立て承認撤回の執行停止は違法で無効だとして工事の中止を行政指導した。そもそも土砂搬入に至る経緯も国は必要な手続きを踏んでいるとは言えない。県による埋め立て承認撤回で工事の法的根拠は消えたが、政府は行政不服審査制度を使って工事を再開した。審査は沖縄防衛局が国交相に申し立て、同じ政府内で申し立てを認めたもので、行政法研究者110人が「違法行為」「制度の乱用」と指摘した手法だ。国は県と約1カ月の集中協議の間も工事を止めずに準備を進めた。その後、県に提出した計画で搬出場所としていた本部港が使えないことから計画の変更申請をせずに名護市安和の琉球セメントの桟橋から土砂を搬出した。土砂の採取場所は「本部地区」と指定しているにもかかわらず、防衛局は採取場所を県に報告していない。さらに安和から搬出された土砂は有害物質の検査結果が示されていない。まさに「何でもあり」だ。
(2)沖縄の声を無視し、遮二無二、新基地建設を進める政府が、言い訳として使っているのが辺野古か普天間の固定化かの二者択一論だ。政府は「世界一危険な」普天間飛行場を返還させるのは辺野古への移設しかないと主張する。本当にそうだろうか。普天間は主に海兵隊ヘリコプターの運用基地だ。危険を除去するには即刻、運用を止めることしかない。その上で訓練の分散移転など策は多くある。仮に辺野古新基地が完成しても、普天間の即時返還にはつながらない。米政府は、辺野古新基地の滑走路の短さなどを理由に、那覇空港滑走路の使用など八つの条件をつけている。満たさなければ普天間飛行場は返還されないと、稲田朋美防衛相(当時)も国会で明言しているのだ。


Ⅲ.主張

(「タイムス」)
(1)県の試算によると、埋め立てに5年、軟弱地盤の改良に5年、その後の作業に3年、新基地完成までは13年もかかる。政府が強調する普天間の一日も早い危険性の除去は、説得力を欠いている。玉城知事は記者会見で、なぜ新基地建設に反対するのかをあらためて説明し、県の考えを分かりやすく全国に発信すべきだ。


(「新報」)
(1)政府は土砂投入を見せつけることで県民の諦めを誘い、米国に対しては年内の工事進展を強調しようとしている。今のような高圧的姿勢をとり続けるならば、県民の反発はさらに強まり、ほかの在沖米軍基地の存続さえ危うくなる。政府は土砂投入をやめて、基地負担の軽減という普天間返還の原点に戻って、形だけではない本当の意味での対話を県との間で進めるべきだ。


3.沖縄タイムスと琉球新報の社説は続ける


 「タイムス」と「新報」の二社は、14日に続いて15日朝の社説で、「[辺野古 土砂投入強行]自治破壊の非常事態だ」、「辺野古へ土砂投入 第4の『琉球処分』強行だ」、とそれぞれ論評した。
 この二社の社説は、14日の朝の土砂投入前の安倍晋三政権への投げかけと、実際に土砂投入が行われた中での論評という位置づけになる。
 ここでは、「2018年12月14日」の意味を改めて捉え直します。
 「新報」は、「この光景は歴史に既視感を覚える。沖縄が経験してきた苦境である。」と、「タイムス」は「『胸が張り裂けそうだ』。名護市の米軍キャンプ・シュワブゲート前で土砂投入を警戒していた男性は、怒りと悔しさで声を震わせた。」、とその社説を始めます。
 この出だしだけで、この土砂投入の意味が把握できます。
 少なくとも、沖縄がこの地点まで追い込まれていることを筆にするとこうなるということです。


 最初に、この投入が「第4の琉球処分」と主張する「新報」に触れます。
まず、「新報」は、安倍晋三政権の意図を、こう指摘します。


(1)政府は、名護市辺野古沿岸に米海兵隊の新基地を造るため埋め立て土砂を投入した。昨年4月の護岸着工以来、工事を進める政府の姿勢は前のめりだ。9月の知事選で新基地に反対する玉城デニー知事誕生後わずか約1カ月後に工事を再開し、国と県の集中協議中も作業を進めた。手続きの不備を県に指摘されても工事を強行し土砂を投入したのは、基地建設を早く既成事実化したいからだ。
(2)県民の諦めを誘い、辺野古埋め立ての是非を問う県民投票に影響を与えたり、予想される裁判を有利に運ぼうとしたりする狙いが透けて見える。


 また、辺野古新基地建設について、これまでの経過を示します。


(1) 辺野古の問題の源流は1995年の少女乱暴事件にさかのぼる。大規模な県民大会など事件への抗議のうねりが沖縄の負担軽減に向けて日米を突き動かし、米軍普天間飛行場の返還合意につながった。
(2ところが返還は県内移設が条件であるため曲折をたどる。関係した歴代の知事は県内移設の是非に揺れ、容認の立場でも、使用期限や施設計画の内容などを巡り政府と対立する局面が何度もあった。
(3)5年前、県外移設を主張していた仲井真弘多前知事が一転、埋め立てを承認したことで県民の多くが反発。辺野古移設反対を掲げる翁長県政が誕生し玉城県政に引き継がれた。県内の国会議員や首長の選挙でも辺野古移設反対の民意が示されている。
(4)今年の宜野湾、名護の両市長選では辺野古新基地に反対する候補者が敗れたものの、勝った候補はいずれも移設の是非を明言せず、両市民の民意は必ずしも容認とは言えない。本紙世論調査でも毎回、7割前後が新基地建設反対の意思を示している。


 さらに、沖縄の民意について、「そもそも辺野古新基地には現行の普天間飛行場にはない軍港や弾薬庫が整備される。基地機能の強化であり、負担軽減に逆行する。これに反対だというのが沖縄の民意だ。」、と指摘します。
 だから、「新報」は、今回の土砂投入を、「その民意を無視した土砂投入は暴挙と言わざるを得ない。歴史的に見れば、軍隊で脅して琉球王国をつぶし、沖縄を『南の関門』と位置付けた1879年の琉球併合(「琉球処分」)とも重なる。日本から切り離し米国統治下に置いた1952年のサンフランシスコ講和条約発効、県民の意に反し広大な米軍基地が残ったままの日本復帰はそれぞれ第2、第3の『琉球処分』と呼ばれてきた。今回は、いわば第4の『琉球処分』の強行である。」、と断じます。
 しかし、最後に、「新報」は、沖縄の決意を、「歴史から見えるのは、政府が沖縄の人々の意思を尊重せず、『国益』や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする手法、いわゆる植民地主義だ。土砂が投入された12月14日は、4・28などと同様に『屈辱の日』として県民の記憶に深く刻まれるに違いない。だが沖縄の人々は決して諦めないだろう。自己決定権という人間として当然の権利を侵害され続けているからだ。」、示します。


 一方、「タイムス」は、沖縄のこころが「張り裂けそうだ」、との意味を次のように記します。


(1)辺野古新基地建設を巡り、防衛省沖縄防衛局は14日午前、土砂投入を強行した。海上では最大50隻のカヌー隊が繰り出したが、土砂を積み込んだ台船と、土砂投入場所が制限区域内にあるため作業を止めることができない。護岸に横付けされた台船の土砂が基地内に入っていたダンプカーに移された。約2キロ離れた埋め立て予定海域南側まで運び、次々投入する。
(2)ゲート前には故翁長雄志前知事夫人の樹子さんも姿をみせた。樹子さんは以前、「万策尽きたら夫婦で一緒に座り込むことを約束している」と語ったことがある。しかし夫の翁長前知事は埋め立て承認の撤回を指示した後、8月8日に亡くなった。「きょうは翁長も県民と一緒にいます。負けちゃいけないという気持ちです」。
(3)沖縄戦当時、キャンプ・シュワブには「大浦崎収容所」が設置され、住民約2万5千人が強制収容された。マラリアなどが発生し逃げることもできないため400人近くが亡くなったといわれる。まだ遺骨はあるはずだと、ガマフヤー代表の具志堅隆松さんはいう。
(4)シュワブは、日本本土に駐留していた海兵隊を受け入れるため1950年代に建設された基地だ。沖合の辺野古・大浦湾は、サンゴ群集や海藻藻場など生物多様性に富む。そんな場所を埋め立てて新基地を建設するというのは沖縄の歴史と自然、自治を無視した蛮行というほかない。


 また、「タイムス」は、安倍晋三政権の「辺野古が唯一」の強攻策が、民主義を破壊し、「地方の本旨」をないがしろにするものであることを、次のように結論づけます。


(1)日米合意では米軍普天間飛行場の返還は「2022年度またはその後」となっている。岩屋毅防衛相は14日、合意通りの返還が「難しい」と初めて認めた。県は新基地の運用開始まで13年かかるとみている。普天間の危険性除去は一刻を争う。
(2)このような状況で辺野古にこだわるのは、沖縄の「目に見える負担軽減」、普天間の「一日も早い危険性除去」、日米同盟の「安定維持」のいずれの面から見ても、あまりにも問題が多すぎる。
(3)政府は「辺野古が唯一」と繰り返すが、何の説明もなく呪文のようにそれだけを唱えるのは説明責任を放棄した脅しというしかない。
(4)県と政府は1カ月間の集中協議をしたが、この間も政府は工事を止めなかった。県の中止要請を聞きながし、留意事項に定められた「事前協議」には応じず強行の連続だ。
(5)県が埋め立て承認を撤回したことに対し沖縄防衛局は国民の権利救済を目的とした行政不服審査法を利用し、撤回の効力停止を申し立てた。国土交通相がこれを認めたことで工事が再開されたが、法の趣旨をねじ曲げる奇策というほかない。


 結局、「タイムス」は、「土砂投入は来年2月24日の県民投票をにらんで県民にあきらめ感を植え付けるのが狙いだろう。ここには安倍政権が口を開くたびに強調する『沖縄に寄り添う』姿はみじんも感じられない。」、と断じます。


4.各「声明」からこの問題を捉える。


 ここでは、日本YWCAの「辺野古海域への土砂投入に対して抗議声明」(2018年12月10日)、全日本民主医療機関連合会の「政府の違法で民意を無視した辺野古沿岸部への土砂投入に対して直ちに工事を中止するよう強く抗議する」(2018年12月14日)及び世界平和アピール七人委員会の「沖縄県民の意思を無視し、対話を拒否する政府を 許容してはいけない」(2018年12月17日)から、「2018年12月14日」を考えます。

(1)日本YWCAの声明

 まず、日本YWCAは、次のように主張します


(1)岩屋毅防衛大臣は、12月3日に「辺野古海域への土砂投入を今月14日に予定している」と発表しました。辺野古新米軍基地建設に関しては、2度にわたる県知事選挙によって、沖縄の民意は「NO」を言いつづけています。今回も、沖縄の市民たち、そしてこの事柄に責任を感じているヤマト(沖縄以外に住む者たち)の市民たちがずっと反対行動を続けています。私たち日本YWCAも、その中に加わり、反対の声を上げ続けてきました。
(2)私たち日本YWCAは、アジア・太平洋戦争において、戦争を止める力になり得なかった自らの責任を深く省み、「平和を作りだすもの」としての歩みを続けてきました。軍用基地はどのような国のものであっても、結局は「人を殺すため」「戦争をするため」に訓練されるところです。私たちは、どのような目的のためであっても、人を殺すことに加担することはできません。戦争をするための米軍基地は、戦争を放棄しているこの国には不必要です。
(3)米軍基地にいる兵士たちは「人を殺すため」に訓練された人々です。兵士たちは「人を差別する」ように教育されます。そうでなければ人を殺すことはできないからです。結果、「日本の人々を差別しても良い」と思い、支配と差別を繰り返します。この70年以上の間ずっと、沖縄の女性と少女たちは米軍兵による暴力(殺人、強姦、身体的・精神的・性的ハラスメントなど)を受け続けてきました。なぜ、女性や少女たちはこのような目に遭わなければならないのでしょうか。
(4)米軍の訓練のために、沖縄の保育園の上を軍用機が飛んでいます。2017年12月には本来の訓練ルートではないのに、なぜか毎日飛んでいた米軍用機から落ちた落下物によって、もう少しで大惨事になるところでした。また、これまでにもたくさんの事故が起こり、人命が奪われ続け、住民の安全は脅かされています。
(5)辺野古の海は、本当に美しい海です。いのちを育む海です。ジュゴンやウミガメ、サンゴをはじめとする、多くの種類の動植物は、ここでしかいのちを得ていくことができません。土砂投入は、これらの生態系を完全に壊すことになります。私たち日本YWCAは、全てのいのちが大切にされ生かされることを願って活動を続けています。
 辺野古海域への土砂投入に強く抗議します。辺野古への新米軍基地建設を撤回してください。


 日本YWCAは、「最後に、沖縄の人々や、私たち市民の声を聴いてください。」、と求めています。


(2)日本民主医療機関連合会の声明


 全日本民主医療機関連合会の主張は、次のものです。


(1)政府は12月14日、米軍普天間飛行場の名護市辺野古の新基地建設を巡り、辺野古沿岸部に土砂を投入した。違法な工事を進めることは断固として容認できず、ましてや土砂投入は絶対に許されない。直ちに工事を中止するよう強く求める。
(2)沖縄防衛局は私人と異なり行政不服審査法の適用が除外される「固有の資格」で埋め立て承認を受けたため、同法による埋め立て承認撤回の執行停止申し立ては違法である。そして違法な申し立てを認めた国土交通省の執行停止も違法であると多くの専門家からも指摘されている。仮に執行停止が違法でないとしても、県が承認時に条件とした事前協議をしないままの工事は違反であり、埋め立て土砂の投入は許されない。名護市安和地区から搬出した土砂は、埋め立て用材として承認を受けておらず、また土砂の陸揚げに使用される「K9」護岸は桟橋として使用するのは承認時の留意事項に違反している。
(3)このように重大な問題点があるにも関わらず、法治国家である日本において、政府が違法行為を繰り返しており、民意を無視した強硬な姿勢に対し強く抗議する。辺野古新基地建設反対の民意は沖縄県知事選で示されたはずである。


 全日本民主医療機関連合会は、最後に、「あらゆる戦争政策に反対し、いのちを守る医療従事者の立場から、県民投票をはじめ、政府の辺野古新基地建設を断念させるまで全国から沖縄への連帯の輪を広げる。改めて工事の即時中止と原状回復を政府に強く求めていくものである。」、と英明をまとめています。


(3)世界平和アピール七人委員会の声明

 世界平和アピール七人委員会 は2018年12月17日、「沖縄県民の意思を無視し、対話を拒否する政府を 許容してはいけない」との声明を発表しました。
 「国民一人一人が他人事と思うことなく、現状を直視し、発言されることを求めます。」、とした声明の内容は、次のものです。


 政府は、沖縄県民の意思を無視して、玉城デニー知事の度重なる対話要請に真摯に向き合わず、対話を拒否し、辺野古の恒久基地化をめざし、埋め立て計画区域への土砂投入強行を始めました。
 安倍政権の度重なる暴力的行動は、日本国憲法に書かれている「国政は、国民の厳粛な信託による」とする人類普遍の原理に違反し、平和のうちに生存する権利を否定するものです。政治には倫理とヒューマニティが必要です。
 世界平和アピール七人委員会は、19 世紀に琉球王国を滅亡させ、20 世紀に沖縄戦において県民に多大な犠牲を強いたことに続く、21世紀の琉球処分を認めるわけにいきません。私たちは 沖縄県民の側に立ちます。
 国民一人一人が他人事と思うことなく、現状を直視し、発言されることを求めます。


5.もう一つの視点。


 OKIRONの2018年12月18日付けで、宮城大蔵(以下、「宮城」)上智大学教授は、「土砂投入という『政治ショー』」、と論じています。
「宮城」は、「今月14日、政府は辺野古の新基地建設現場に土砂の投入を始めた。全国メディアでも『とうとう後戻りできなくなった』というトーンで大きく報道され、生中継をしたテレビ局もあったという。だが、さめた目で見てみれば、今回の土砂投入は、安倍政権による自作自演の『政治ショー」というところであろう。」、と断じるのです。
 また、これは「政治ショー」を自作自演する政権側のおかれた苦しい立場の現れでもあるという。
 「宮城」は、この「政治ショー」の意味するものを、次のように指摘します。


(1)政権側の意図ははっきりしている。もう埋め立てが開始されたのだから事態は不可逆的であり、決着はついた。これ以上もめても無駄だというわけである。メディアが大々的に報道することも計算ずくであろう。一時的には反発も強まるだろうが、既成事実化を進め、来年2月に予定されている県民投票の頃までには、あきらめの雰囲気も出て来るだろうというわけである。
(2)だがそれは逆に言えば、安倍政権としてそれだけ県民投票の行方を気にしていることの現れである。玉城デニー知事が対話の継続を求め、安倍首相が「県民に寄り添う」と繰り返す中での埋め立て着工は、政権側のねらいとは逆に、移設反対派だけでなく中立的な立場の人々の反発を引き起こす可能性も高い。政権は県民感情を読み違えてはいないだろうか。
(3)冷静に見れば、仮に今回、土砂が投入された区域の埋め立てができたとしても、予定される埋め立て全体の5%に満たないのが実情である。「県民感情を逆なでしてまで、船数隻分の土砂を投入してみせることに何の意味があるのか」というのが、今回の一件の適切な位置付けであろう。
(4)にもかかわらず、このような強硬策によって「もう後戻りできない」と演出して見せるのは、一見したところの強靱さとは裏腹の、政権側のおかれた苦しい立場の現れである。辺野古移設を推進してきた安倍政権幹部は、「工事を止めないことが重要だ」と漏らしたことがある。もし県との対話に応じていったん工事を止めてしまえば、多くの問題をはらんだ計画だけに、ずるずると後退を強いられ、そのまま移設計画自体が政治的に死んでしまうことが分かっているのであろう。


 また、工事そのものが持つ根本的な問題を指摘します。


(1)だがその一方、工事を進めるにしても、この先には多くの難題が待ち構えている。今回、土砂が投入された区域の北側には、水深が深い上に、「マヨネーズ状」とも言われるきわめて軟弱な地盤が広がっていることが明らかになっている。新基地建設を進めるには設計変更が不可避だが、それには知事の承認が必要になる。
(2)設計変更に踏み出せば知事権限の壁に突き当たり、また、軟弱地盤の存在も広く世に知られることになる。仮に大規模な地盤改良工事に踏み切れば、大浦湾の自然環境は壊滅的なダメージを受けることが必至だろうし、工費も現在の見積もりの10倍にまで膨れあがるという指摘もある。現状でも新基地完成までは10年以上とされ、上述の問題点を考慮すれば20年近くかかると見られる。その頃、日本の財政状況はどうなっているだろうか。
(3)また、辺野古新基地の滑走路は普天間基地に比べて短く、必要とされる機能を満たしていないという声が米側から聞こえる。辺野古新基地を完成させても、本当に普天間基地は返還されるのか。そこで新たな対米交渉が必要になりかねないというのが実情であろう。しかもそこに至るまでの期間、普天間基地の「危険性除去」はお預けということだろうか。要するに、問題があまりにも多いのである。


 さらに、政治的課題もあわせて指摘する。


(1)これまで安倍政権は、翁長雄志前知事の足元を切り崩し、先日の知事選で自公の推す候補を当選させて辺野古移設を政治的に決着させるというシナリオを描いてきた。ところが、翁長氏の急逝と玉城氏の大勝という想定外の事態となった。4年後の知事選で県政奪回を果たし、辺野古移設を政治的にも可能にしたいというのが、現政権の考えていることかもしれない。しかし、ここでも逆に玉城氏の施政がつづくことになれば、辺野古移設工事の続行は厳しいものになりかねない。加えて、前述の工事自体の難題も重なってくる。
(2)そもそも4年後にはもはや安倍政権ではない。現政権の残り時間は長く見積もってもあと3年、それより短くなる可能性も少なくない。安倍政権の主要政策は、出口のない金融緩和や財政を無視した防衛費の膨張など、長期的に持続しえないものばかりである。「安倍後」の政治は、その負の遺産の軽減に呻吟することになるだろう。つまり、「安倍後」の政治は「安倍政治の継承」とはなるまい。それを「安倍後」の諸政権が10年、20年と、どの程度、引き継ぐだろうか。政権交代が起きればなおさらである。いずれにせよ、現在のような強引な法解釈や行政指導の無視といった異常な対応を、「安倍後」の諸政権が一糸乱れず引き継ぐとは想像し難いのである。


 結局、「宮城」は、辺野古新基地建設について、「中でも、政治的にも技術的にも行き詰まる可能性が高く、また財政面でも膨大な支出を余儀なくされ、さらには『普天間返還』というそもそもの目的に資するかも不透明な辺野古新基地計画は、負の遺産の筆頭であろう。ただでさえ難しい計画は、現政権のやみくもな強硬策によって、政治的にもきわめて『筋の悪い』ものとなってしまった。」、と明確に批判します。
あわせて、「宮城」は、メディアに対しても、「メディアの特性を利用した政権側による『政治ショー』へのお付き合いもほどほどにしないと、物事の全体像がよく見えなくなるように思うのである。」、と押さえます。


6.「2018年12月14日」を、どのように捉えることができるかという視点。


 「2018年12月14日」は、結局、次のことを明確にしました。


(1)「2018年12月14日」は、沖縄の民意を無視する安倍晋三政権による暴挙であること。
(2)今回の一連の安倍晋三政権の行為は、「民意も法理もなき暴走」そのものであり、「民主主義の危機」であり、「後世に取り返しつかぬ」ものとなっていること。
(3)この間、辺野古や高江を含めた沖縄に関する安倍政権の度重なる暴力的行動は、日本国憲法の「国政は、国民の厳粛な信託による」とする人類普遍の原理に違反するものであり、平和のうちに生存する権利を否定するものであること。
(4)辺野古新基地建設の強行とは、「第4の『琉球処分』」と言え、地方自治の本旨を否定する自治破壊の非常事態を引き起こしていること。また、その手段として暴力が用いられていること。さらに、こうした政権の暴力の背景には、黙認する多くの日本人が支える構造があること。
(5)安倍晋三政権のあくまでも暴力を使用して、強攻策を貫こうとする姿勢には、背景に沖縄の軍事要塞化の象徴としての「辺野古の恒久基地化」の狙いがあること。
(6)すでに、辺野古新基地建設は、①政治的にも技術的にも行き詰まる可能性が高い、②財政面でも膨大な支出を余儀なくされる、③「普天間返還」というそもそもの目的に資するかも不透明である、ことから、すでに負の遺産となってしまっていること。
(7)国民一人ひとりが「2018年12月14日」を他人事と思うことなく、現状を直視するなかで、日本国の主権を取り戻すために、日本を変革することが求められていること。そのために、新しい風を起こすことが重要になっていること。


Ⅲ.2019に向けて


 「辺野古土砂投入」と「ハンセン病家族訴訟の結審」の二つのことから、受け取ることができたのは、日本国憲法を取り戻すということです。
例えば、ハンセン病家族訴訟では、「1920年代末以降、絶対隔離政策を推進するために『無らい県』のスローガンのもと、官民が一体となって、ハンセン病患者を摘発し、ハンセン病療養所に送り込みました。戦後も、ハンセン病治療薬プロミンが普及し、基本的人権の尊重を謳う日本国憲法が制定されながら、第2次『無らい県運動』として展開された」、との指摘がありました。
 また、辺野古土砂投入では、「安倍政権の度重なる暴力的行動は、日本国憲法に書かれている「国政は、国民の厳粛な信託による」とする人類普遍の原理に違反し、平和のうちに生存する権利を否定するものです。政治には倫理とヒューマニティが必要です。」、と批判がされています。
それは、日本という国が、自らの国の主権を取り戻すために、日本を変革することが求められていることであり、そのために、新しい風を起こすことが重要になっているということです。
 この二つのできごとの中にも、次のような言葉が出されてきています。じっくりかみしめたいものです。


「国民一人ひとりが他人事と思うことなく、現状を直視すること」
「声を上げた一人ひとりに出会っていくことを大切にすること」
「社会の差別偏見は、私たち一人一人の行動でなくしていく必要があること」
「勇気をもって声をあげた原告たちへの応援をすること」


 今、必要なのは、国の回りを、こうした自覚に目覚めた者が幾重にも取り囲むことだと言えます。
 2019に向けて、誓いを新たに。

 自ら 闘いの大地に立ち
時には 歩調を合わせ
 それでも
 自らの想いを胸に
 熱い想いとともに 動き出しましょう。



by asyagi-df-2014 | 2019-01-01 08:39 | 書くことから-いろいろ | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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