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水俣病は、終わっていないということ。-南日本新聞20180927-

 南日本新聞社(以下、「南」)は2018年9月27日、「[水俣病認定50年] 政府は訴えに向き合え」、とその社説で論評した。
 このことの意味を、「南」は、「水俣病が国に公害認定されてから昨日で50年の節目を迎えた。これまでに公害健康被害補償法(公健法)に基づき、鹿児島、熊本両県で認定された患者は2282人(鹿児島493人、熊本1789人)に上る。だが救済を求める声も多く、鹿児島では1068人が認定を申請中で、司法解決を望む人も熊本と合わせると1000人以上いる。」、と始める。
どういうことなのか。
「南」は、「半世紀を経ても水俣病は終わっていない」、と次のように指摘する。


(1)救済を求める声がやまないのは被害の全容が解明されない中、国が場当たり的な対応を繰り返してきたことが大きい。
(2)「半世紀を経ても水俣病は終わっていない」。国は被害者団体などの訴えに向き合い、解決に向けた道筋を立てる必要がある。
(3)1968年9月26日、園田直・厚生大臣(当時)は水俣病について「新日本窒素(現チッソ)水俣工場のメチル水銀化合物が原因である」と発表した。56年の公式確認から12年、あまりに遅すぎた政府の公害認定だった。この間、被害が拡大し続けたことは痛恨の極みだ。
(4)問題の解決を長引かせてきた最大の要因は認定基準のあいまいさである。
(5)環境庁(当時)は71年、「有機水銀の影響が否定できない場合は認定」と通知したものの、申請が急増すると、77年になって「複数の症状の組み合わせが必要」と厳格化した。その後、最高裁は2013年、「感覚障害のみでも認める余地がある」と判断。これを受けて環境省は手足の感覚障害だけでも認定可能とする指針を出した。一定しない認定の線引きが、どれほど被害者らを翻弄(ほんろう)してきたか、国は猛省すべきだ。


 こうした行政側のあり方が、実は、現在も変わらぬ悲惨を克服することができない状況を生み出している。
 「南」は、次のように批判する。


(1)鹿児島での認定は15年度の1人が最後だが、被害者団体などは「実態解明とは程遠い」として独自に現地調査や民間医師による集団検診を続けている。
(2)一方、国は一定の症状がある被害者を患者認定せずに救済する特別措置法を施行するなど、政治解決を図ろうとしてきた。だが、特措法の対象外となった伊佐市など県内在住者を含む1310人が国などに損害賠償を求めている。
(3)「症状はあるが認定されず、支援を受けられずに困っている人がいる」「患者は高齢化し、支える制度や人材が不足している」。先日、水俣市であった水俣病被害者・支援者連絡会の集会では関係者の悲痛な訴えが相次いだ。
(4)おとといの記者会見で中川雅治環境相は、認定申請などを行う人が多くいることを「重く受け止める」と述べた。国の責任ある取り組みが求められる。


 確かに、水俣病の問題は、「半世紀を経ても水俣病は終わっていない」、ということに尽きる。



by asyagi-df-2014 | 2018-10-03 07:00 | 水俣から | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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