人気ブログランキング | 話題のタグを見る

本からのもの-「#黙らない女たち」

著書名;「#黙らない女たち」
著作者:李 信恵・上瀧 浩子
出版社;かもがわ出版




 この本は、李信恵、上瀧浩子の闘いの記録とこれから闘うための理念の書である。
 李信恵は、今回の二つの尊厳の回復の闘いについて、「はじめに」で、こう綴っている。


 2018年6月28日、保守速報との裁判の控訴審判決が言い渡された。判決後に携帯電話を見ると、Kさんからメッセージが入っていた。
 「勝利判決おめでとう。ビワの実はもうないけど、ビワの種はあるよ。落ちた実から自生した、生命力のあるビワの苗が」
 ビワの実はまるで私のようだ。私はこの裁判を通じて、朝鮮人として、女性として、日本に生まれてよかったと思った。私は、ずっと前からこの日本社会に根を張って、生きている。これから先もきっと。 

 
 李信恵のこの吐露が、この裁判が、命、生きるということに関わったものであったことっを示す。
 実は、この本は、「複合差別」を日本の裁判所で始めた勝ち取った李信恵のなまなましい闘いの報告である。
 李信恵が闘った裁判の判決結果は、次のように書かれている。


 対「在特会」については、大阪高裁判決(2017年6月19日)で人種差別を認めた大阪地裁判決(2016年9月27日)を上回る判決内容-「人種差別と女性差別との複合差別に当たる」-が認定された。
また、対「保守速報」については、大阪地裁判決(2017年11月16日)は、①「保守速報」運営者の被告の投稿記事は、社会通念上許される限度を超えた侮辱、人種差別に当たる、②原告の容姿等への言及について、「名誉感情や女性としての尊厳を害した程度は甚だしい複合差別である、③まとめサイト「保守速報」への転載に際して、表題の作成や情報の「編集」行為は憲法13条の人格権の侵害と認定した。最終的に、高裁控訴審となった大阪高裁判決(2018年6月28日)も高裁1審判決を支持した。


 さて、ここでは、弁護士上瀧浩子(以下、「上瀧」)の記述からいくつかを引用する。
 「上瀧」はまず最初に、「ヘイトスピーチ」とは何かについて、次のように指摘する。


(1)ヘイトスピーチが、個人の尊厳を踏みにじることは当然である。松垣伸次氏は、「日本国憲法は個人の尊厳を基本理念としており、また平等の理念は、「人権の歴史において、自由とともに、個人尊重の思想に由来し、常に最高の目的とされた」ものである。そして、人権は、個人の人格的価値を決定するものではないゆえに、人種による差別が近代的平等思想と相容れないことは明かである。人種等を理由としない名誉毀損や侮辱などとは異なり、ヘイト・スピーチは「厳然とした”力の差異”のある関係の中で行われてきた」ものであり、その力関係を維持・強化させる。それゆえ、犠牲者の真の人間性を否定するものであり、犠牲者に深い傷を与える」と述べる。
(2)顔と名前を公にして、白昼堂々と、デモ行進や街頭宣伝で「朝鮮人は出ていけ」などと叫ぶ者の存在自体が、表だって民族差別をしてもいいのだというメッセージを社会に発している。これは、社会にうっすらとある偏見と差別意識を再生産したり、結晶化する作用がある。ヘイトデモや街宣を放置することは、社会の差別に対するハードルを下げ、偏見と差別を深く広く浸透させる契機になるのではないか思われた。
(3)沈黙効果とは、ヘイトスピーチにさらされた当事者が、これに抵抗すれば、より酷い攻撃を受けたり、そもそも差別社会においては自分たちの抗議が非常に軽く扱われたりすることを恐れて抵抗せずに、黙るという傾向があるというものだ。襲撃事件のあと、学校関係者が対策を話し合ったときには、在特会らに対抗すればさらに攻撃を誘発することになるかもしれないという意見もあったと聞く。これは、まさに沈黙効果であろう。
(4)「朝鮮人一般」に対する人種差別が朝鮮人という属性を持つ人たちにとって個人の具体的損害にならないというのは、差別される側の実感とは離れている。李信恵さんを始め在日韓国・朝鮮人の人たちは、「朝鮮人」と言われたときに、自分もその中に入っているのだという意識を強くもつからだ。しかし、現行法の建前では、「朝鮮人は」という言い方は「大阪人は」や「女性は」と同様に被害が希釈化されるという考え方が一般的である。この現行法の建て前を崩さず人種差別に対して法的対応をろつためには、新たな立法が必要だと考える所以だ。
(5)排外主義活動をする者たちは、自分が差別しているとの意識はない。彼らは、私たちと同様に、差別という行為が認められていないことを認識している。これは、一定期間、民族差別を表立っては言いにくい現状が生じていた、ということが基礎にある。すなわち、「すでに差別は消滅している」という現代的レイシズムの前提には、社会の中で、差別が許されないという「一般常識」「建前」が社会の中にあった(もちろん、影では差別は行われていたし、制度的差別も存在した)。
(6)現代型レイシズムは、差別がなくなったように「見える」ことを出発点としているのであり、それは、権利に対する共通意識が進んだことを示している面もあるのだ。この点、森千香子氏も、「ヘイトスピーチの嵐は、在日朝鮮人やフランスの移民の社会進出がすすみ、以前に比べると「対等」に近づきつつあるという現実を示すものである」としている。平等という価値観が浸透した結果、排外主義も「どちらが差別者か」を問うような形で争点を拡散させたのである。彼らにとって「在日特権」は一面では差別を正当化する根拠となったが、他面で彼らは「在日特権」という「理屈」を持ち込まなければ自分たちの主張を正当化できない隘路に立っている。


次に、 「上瀧」は今回の裁判の最大の課題であった「複合差別」 について、次のようにまとめている。


(1)複合差別は、主として女性差別と他の自由による差別の交差ないし複合の態様に着目した概念だ。
(2)国連人種差別撤廃委員会は、2000年3月「人種差別のジェンダーに関連する側面に関する一般的な性格を有する勧告25」で、「人種差別が女性とや男性に等しく又は同じような態様で影響を及ぼすわけでは必ずしもないことに注目する。人種差別が、女性にのみに若しくは主として女性に影響を及ぼし、又は男性とは異なる態様で若しくは異なる程度で女性に影響を及ぼすという状況が存在する。」と述べた。
(3)又、国連女性差別撤廃委員会は、2010年10月、一般的勧告第28において「18.複合とは、第2条に規定された締約国が負うべき一般的義務の範囲を理解するための基本概念である。性別やジェンダーに基づく女性差別は、人種、民族、宗教や信仰、健康状態、身分、年齢、階層、カースト制及び性的嗜好や性同一性など女性に影響を与える他の要素と密接に関係している。性別やジェンダーに基づく差別は、このようなグループに属する女性に男性とは異なる程度もしくは方法で影響を及ぼす可能性がある。締結国は、かかる複合差別及び該当する女性に対する複合的なマイナス影響を法的に認識ならびに禁止しなければならない」とした。
 このように、複合差別という概念は、国際的には2000年代から意識され始め、2010年には差別を理解する上での基本概念となっていた。
(4)差別の問題を考えるとき、女性差別撤廃委員会も人種差別撤廃委員会も、複合差別という概念を基本的概念として言及している。日本でも、「女性にのみに若しくは主として女性に影響を及ぼし、又は男性とは異なる態様で若しくは異なる程度で影響を及ぼすという状況」や「異なる程度もしくは方法で影響を及ぼす可能性がある」という状況があるのか。この実体について日本政府が行った公的な調査はない。


 また、 「上瀧」は、これからの課題について、述べる。


(1)李信恵さんの2の判決は、李信恵さんに対する罵倒行為が民族差別と女性差別の複合差別だと判断した。
 複合差別の射程は、在日韓国・朝鮮人差別と女性差別も交差的な影響にほかならない。女性差別撤廃委員会が指摘するように、日本には「アイヌの女性、同和地区の女性、在日韓国・朝鮮人の女性などの先住民族や民族的マイノリティの女性とともに障害のある女性、LBTの女性及び移民女性」など複合的・交差的差別を経験している女性のグループがある。この判決が、彼女らに援用できる先例となってほしい。
 また、複合差別は、女性のグループだけではない。在日韓国・朝鮮人の障がい者、部落やアイヌの障がい者も、また複合差別を受けている可能性がある。
(2)そして、複合差別のかたちはヘイトスピーチに限らない。例えば、企業の中で障がいのある女性が執拗なセクハラを受けたりすること、外国人女性がDVの犠牲になることなど、職場や家庭が複合差別の現場になることもある。この判決が、マイノリティの中でもさらに押し込められた立場の人たちに生かされることが、判決に生命力を与えるのだと思う。
(3)これをきっかけとして政府が複合差別に関して調査を行うように願う。女性差別撤廃委員会は、第5回及び第6回政府報告書への最終見解で、2006年にはすでに、日本政府に対して複合差別の実態調査をするように勧告している。これは、やがて立法へと結びつく基礎となる調査になると考える。


 さらに、「上瀧」は、違った視点での指摘を行う。


(1)保守速報らを提訴した直後に、李信恵さんと私は外国特派員協会で記者会見をしたが、この際、イタリアの記者から保守速報に広告を出しているのがどのような企業か、との質問を受けた。その時に私は初めて、保守速報のブログ記事を作成した人だけでなく、広告を出す側もヘイトスピーチから利益を受けていることに気づき、海外では広告主の責任を問うことがごく普通なのではないかと感じた。
(2)保守速報管理人は、自分の10個以上のバナー広告を貼っていた。そこから保守速報管理人が得ている広告収入がどれほどのものかわからないが(私たちは、裁判所に対して収入金額を明らかにするため調査嘱託を申し立てたが認められなかった)、アクセス数からいって相当程度の収入を得ていることは想像がつく。実際、保守速報側も広告収入を得ていることを認めていた。
(3)このようにインターネット上のヘイトスピーチが利益を生む構造の中で、ヘイトスピーチを抑制しようとする思えば、その構造を変えなければならない。アフィリエイトサービスプロバイダーは、保守速報などのアフィリエイターを拒絶することができる。アフィリエイトサービスプロバイダーに対する法的手段を検討してもいいように思う。広告主も、自分たちの広告が、どのような記事に貼られているのかを注意してほしいと思う。広告主が支払った金銭が、アフィリエイトサービスプロバイダーを介してブログ主に流れ込むのである。広告主は、アフィリエイトサービスプロバイダーを選ぶことができる。ヘイトスピーチが利益を生む構造を変化させるきっかけを提供できるのである。最近、エプソンなどの企業が「コミュニケーション活動の中立性維持の観点」等の理由で、保守速報への広告出稿を相次いで取りやめている。この動きに注目したい。


 「上瀧」は、こうした指摘に、「裁判の限界」「表現の自由」の問題を加える。



(1)現行の法律上では、名誉毀損も侮辱も、個人の社会的評価の低下や名誉感情を害するものであり個人の権利や利益の侵害を要件としている。言い換えれば、「朝鮮人は皆殺し」とインターネットや街頭宣伝やデモで扇動しても、そこに「個人の人権侵害」がなければ刑事訴訟や民事訴訟の法的手段はとれない。
(2)在日韓国・朝鮮人の人にとっては「朝鮮人は日本から出て行け」といわれることと、特定の彼、彼女が在日韓国・朝鮮人ゆえに「日本から出ていけ」といわれることに大きな差はない。しかし前者では民事訴訟でも刑事訴訟でも被害者は救済されない。被害の実態に鑑みると、個人の名誉毀損や侮辱を媒介としてしか法的責任を問えないとすることには違和感がある。
(3)ヘイトスピーチの本質は、マイノリティの社会的排除を扇動することにあり、もっといえば、マイノリティへの支配・従属関係を再生産することにある。そこに焦点をあてた立法が必要である。ヘイトスピーチ対策法は、その一部の実現であるが、罰則規定も含めた法整備が必要ではないか。
(4)状況は、ヘイトスピーチからヘイトクライムへと移行している。ヘイトクライムがヒェノサイド(大量殺害)に繋がっていくことは、私たちの歴史が証明している。人種差別撤廃委員会は、人種差別撤廃条約に関して、一般的勧告35「ヘイトスピーチと闘う」(以下「一般勧告35)という)を出した。この勧告は、2012年8月、世界的にのヘイトスピーチが吹き荒れている状況の中で出されたものである。私たちの日本社会も、この一般的勧告と真摯に向き合う必要がある。

(5)外務省が述べる理由は、「人種差別の扇動」などの言葉が広すぎて表現の自由を不当に制約すること。刑罰の対象とならないものの境界が不明確で罪刑法定主義に反する可能性があるとするものだ。日本政府は、表現の自由に多くの価値を置いており、表現の自由とヘイトスピーチに対する処罰規定は対立するという立場である。
(6)憲法13条には生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利は「公共の福祉に反しない限り」最大限の尊重をするべきとされており、表現の自由も絶対的なものではない。
(7)一般的勧告35も「表現の自由は、他者の権利と自由の破壊を意図するものであってはならず、そこでいう他者の権利には、平等及び被差別の権利が含まれるものである」とする。一方で、一般的勧告35は、「人種主義的ヘイトスピーチから人びとを保護するということは、一方に表現の権利を置き、他方に集団保護のための権利制限を置くといった単純な対立ではない。すなわち、本条約による保護を受ける権利を持つ個人及び集団にも、表現の自由の権利とその権利行使において人種差別による保護を受ける権利を持つ個人及び集団にも、表現の自由の権利とその権利の行使において人種差別を受けない権利がある。ところが、人種主義的ヘイトスピーチは犠牲者から自由なスピーチを奪いかねないのである」と述べる。
(8)ここでは、ヘイトスピーチの規制が表現の自由を制約するという単純な対立ではないこと、マイノリティにも差別されることなく表現する自由が保障されているが、ヘイトスピーチは、マイノリティから表現の自由を奪う可能性があると指摘している。
(9)表現の自由が重要であるのであれば、マイノリティの表現の自由も同時に保障されなければならない。表現の自由が重要な価値があるとされる理由は「自己実現の価値」「自己統治の価値」があるからとされる。自己実現の価値とは、個人の人格の形成と展開にとって不可欠であること。自己統治の価値とは、立憲民主主義の維持管理にとって不可欠であるという意味である。
(10)少数者が、必要な情報に接し、他者と自由に意見を交換する中で自分の考えを検証したり確認したりする中で人格を発展させ、また、必要な政治的な主張をする社会が豊かな社会である。しかし、ヘイトスピーチが蔓延する社会では、在日韓国・朝鮮人の言論は、すでに事実上「萎縮」させられてしまっている。
(11)表現の自由において、表現の強者と弱者が存在するという視点は、大切である。 
(12)ヘイトスピーチを規制することによって守られるのは、民族的マイノリティがヘイトスピーチによって現実に生じている被害を避けられることであり、マイノリティとしての民族的アイデンティティであり、社会に対する安心感、信頼、表現の自由である。他方、ヘイトスピーチ規制によって失われるものは何か。それが人種差別をする自由であるという議論はさすがに目にしない。そこでよく言われるのは、罰則規定が濫用される可能性である。しかし、「濫用される可能性」は可能性にすぎないのに対して、マイノリティの被害は現実に生じている。将来起凝るかもしれない濫用の危険性のゆえにマイノリティの現在の被害を放置することは許されない。「濫用の危険性」があるのなら、濫用されない方法を模索するべきでだろう。


 「上瀧」は「おわりに」で、このように触れる。



 この裁判を通じて、「言葉」というものの大切さをあらためて思った。
 「ヘイトスピーチ」や「複合差別」ということばは、事実を発見し、誰かがどこかで名づけ、使い始めた。引用した意見書も、論文も、言葉で綴られる知性である。李信恵さん、大杉弁護士との打ち合わせのほとんどはことばを探す作業にあてられた。この裁判は、ことばの歴史の上に成り立っている。
 複合差別やヘイトスピーチは、今は、まだ、現実を切り取ることばとして生きている。しかし、差別がなくなれば、かってあった歴史上の表現として語られるだろう。裁判所の判決も小さな歴史として判例の森に埋もれていってほしい。
 編集者の中村純さんから、李信恵さんの裁判の経緯を本にしないかと言われたとき、正直、迷った。けれど、中村さんは詩人でもあり「ことば」への想いは一通りではない。そういう信頼もあって、本を書くと決めた。
 差別のない社会をめざして、一緒に頑張りましょう。


 実は、在特会のヘイトスピーチに出会ったとき、ことばを失った。
 「上瀧」の「おわりに」を読んで、その意味の一端を理解した。
 李信恵さんの二つの判決は、李信恵さんに対する罵倒行為が民族差別と女性差別の複合差別であると判断した。
この判決が意味を持ってくるためには、「この判決が、マイノリティの中でもさらに押し込められた立場の人たちに生かされること」に繋がる必要がある。
 そのことで、この判決は、本当の意味で、生きてくる。
 この判決を生かしていきたい。


by asyagi-df-2014 | 2018-08-28 06:23 | 本等からのもの | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人