負わなけねばならない責任を明確に。~信濃毎日新聞20180703から~
2018年 07月 11日
確かに、国だけの責任ではない。
信濃毎日新聞(以下、「信濃」。)は2018年7月3日、「優生手術 都道府県の責任は重い」、と社説で論評した。
「信濃」は、次のように示す。
(1)「旧優生保護法の下、障害者らに不妊手術や中絶を強いた優生政策を都道府県が積極的に推し進めていた事実が相次いで明らかになっている。国だけでなく都道府県自ら実態解明を進め、幅広い被害者への補償に道を開いていく責任がある。」
(2)「千葉県は、手術の勧奨を児童相談所に要請した1963年の文書を開示した。児相はそれを踏まえ、障害児施設の子どもの保護者らに手術を促したという。要請からひと月と経ず、対象者を列記して県に報告した児相もあった。この年に限らず、県は同様の依頼をしていたとみられ、対象者の選別が組織的に行われていた可能性が指摘されている。形こそ『希望者の申し出』であっても、拒める状況だったとは考えにくい。」
(3)「ほかにも、北海道が50年代、障害児施設への通知で、積極的な手術の申請を求めたことが分かっている。行政からの圧力が集団での手術に結びついた恐れがある。北海道の手術件数はこの時期に急増し、全国最多になった。各保健所にも対象者の発見を促す通知を出し、年間申請件数の“ノルマ”まで課していた。」
(3)「旧厚生省は57年、各都道府県に手術件数を増やすよう求める通知を送った。都道府県別の実績を一覧で示し、『成績向上』を促す露骨な圧力が、競い合うように手術を推進する状況を生んでいく。
(4)「兵庫県が60年代半ばから始めた『不幸な子どもの生まれない運動』も各地に広がり、優生政策を後押しした。障害がある『不幸な子ども』が生まれないようにと、強制不妊手術や、胎児の出生前検査の費用を負担した。」
(5)「〈優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する〉。障害者への差別に根差した旧法は戦後の48年に制定され、半世紀近くにわたって存続した。問われるのは国の責任だけではない。尊厳と人権を踏みにじる優生政策を実質的に担ったのは都道府県だった。」
「信濃」は、この問題について、次のように指摘する。
「被害者が補償を求める裁判を各地で起こす一方、国会では議員立法による救済を目指す動きがある。ただ、形だけの救済で終わらせることがあってはならない。法の運用の実態を徹底して検証し、過ちに向き合わなければ、障害者への差別や優生思想が根深く残る現状を克服できない。年月を経て、残る記録や資料は限られる。当事者や関係者の証言を集め、被害を丁寧に掘り起こすことが欠かせない。都道府県は、その取り組みを率先する役割を担わなくてはならない。」
明らかなのは、次の構造である。
①「国(旧厚生省)は1957年、各都道府県に手術件数を増やすよう求める通知を送る。この中で、都道府県別の実績を一覧で示し、『成績向上』を促す露骨な圧力をかける。」
↓
②「都道府県は、競い合うように手術を推進する状況を自ら作っていく。」
つまり、都道府県は、実行者としての責任を免れないということである。
確かに、「法の運用の実態を徹底して検証し、過ちに向き合わなければ、障害者への差別や優生思想が根深く残る現状を克服できない。」(信濃)、ということが言える。