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四国電力伊方原発運転差し止め訴訟の第8回口頭弁論を傍聴してきました。

 四国電力伊方原発運転差し止め訴訟の第8回口頭弁論・第11回審尋が、2018年3月1日14時より、大分地方裁判所で開催されました。今回も傍聴参加と報告集会に参加してきました。
口頭弁論は、1週間前に部屋が変更になり、これまでと同様に第1法廷で開催されました。ただ、今回は、参加者の数が今までの半数近くに減っていました。また被告弁護士も3名となっており、いささか気にる状況であると感じられました。このことについて、徳田弁護士は報告集会の最後に、「今日のような傍聴者の数では心許ない。」、と危惧感を示しました。
 「伊方原発を止める大分裁判の会」が、今取り組まなければならない課題が、100名以上の原告を目指す第3次提訴の取り組みとあわせて、明らかになっている気がします。
 さて、今回の口頭弁論も、裁判長の、「一番後ろの人聞こえますか」、との確認から始まり、いつも通り20分ほどの時間で終了しました。
 今回の本訴訟では、徳田靖之弁護士(以下、徳田弁護士)の意見陳述が行われました。
徳田弁護士の意見陳述の要約は次のものです。

 まず、徳田弁護士は、「改めて、本件における、司法判断の枠組みのあり方について、見解を明らかにする」、とこの意見陳述の目的を明らかにしました。
 このことの意味について、福島原発事故後の司法判断(大飯、高浜、仙台、伊方)の概観を示す中で、「私は、司法に身を置くものとして、福島原発事故という、未曾有の大事故を共通体験しながらも、司法判断が、このような形で、別れた原因がどこにあるのか、そのことを冷静に分析する必要性があると痛切に感じて、これらの司法判断を細かく検討してきました。」、とこれまでの司法判断の問題点を指摘し、「こうした見解の相違は、原発の安全性に関する司法判断の枠組みについての、理解の相違に由来しているとの結論に至った」、と司法判断の枠組みのあり方が重要であると示したのでした。
 次に、こうした司法判断の分裂をもたらした要因が三点あると指摘しました。
それは、第1に、伊方原発に関する最高裁平成4年10月20日判決(以下、最高裁判決)が示した、司法判断の枠組みに関する判事についての理解の相違であること。第2に、社会通念は判断基準になるのかということ。第3に、審査基準ないし適合性判断はどこまで信頼しうるのかという、三点にあると強調しました。
 この三点について、具体的に次のように述べています。

第1点目に関して、徳田弁護士は、この最高裁判決は、「原子炉を設置しようとする者が、原子炉の設置、運転につき、所定の技術的能力を欠くとき、又は原子炉施設の安全性が確保されないときには、当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の命、身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こす恐れがあることに鑑み、右災害が万が一にも起こらないようにするため、原子炉施設の位置、構造及び設備の安全性につき、科学的、専門技術的見地から、十分な審査を行わせることにある」と判示しているのですが、この判決でいう「万が一にも起こらないようにするため」という要件をどう理解するのかという点において、原発の再稼働を認めた各司法判断は、「大きな間違いを犯していると思うのです。」、と指摘します。 
 あわせて、「住民の訴えを棄却した司法判断においては、原発が対応すべき災害の規模について、何故にか、『合理的に予測される』範囲で足りると解釈している』とも。さらに、「どのような意味においても、合理的に予測される範囲で足りるとの判断は、『万が一にも』との最高裁の判示とは、著しき乖離している」、と結論づけています。
 この上で、徳田弁護士は、「最高裁判決が掲げる『万が一にも起こらないように』との基準に従う限り原発に求められる安全性とは、少なくとも予測される最大規模の自然災害に対応することであることは明らかです。私は、同じく火砕流の問題を指摘しながら、住民らの抗告を排斥した福岡高裁宮崎支部決定とは異なり、今回の広島高裁決定が数万年前の大規模火砕流の発生を念頭において、伊方原発の操業差し止めを命じたのは、正に、こうした最高裁の言う『万が一にも』との要件を適用したものであり、司法の見識を示したものとして、高く評価されるべきであると考えます。」、と裁判所にあるべき司法判断の枠組みを示しました。

第2点目に関して、「社会通念を判断基準」に採用することに関して、「住民らの仮処分申し立てを棄却した司法判断に共通するのは、福岡高裁宮崎支部決定をはじめとして、『社会通念』を判断機銃として採用することです。・・・よく考えてみますと、これらの司法判断で用いられる『社会通念』なるものの内容は、全く不可思議としか言い様がありません。」、と厳しく批判します。
 この上で、徳田弁護士は、「原発の安全性に関して、『合理的に予測される範囲』で足りるとするのが『社会通念』であるという判断は、どこから出てくるのでしょうか。こうした司法判断は、原発の操業差し止めという結果のもたらす影響の大きさに怯えて、司法としての責任を回避するために、司法が作り出した、免責の為の『虚妄』ないし政府や電力会社への『忖度』の産物としか言いようがありません。」、と裁判所に「社会通念を判断基準」に採用することの間違い-虚妄性-を示します。

第3点目に関して、徳田弁護士は、住民らの申し立てを容認した樋口決定や山本決定とこれを排斥した司法判断とを比較して、「原子力規制委員会の規制基準や適合性判断に関する丸投げとも言うべき評価です。」、と審査基準ないし適合性判断はどこまで信頼しうるのかということに関して、裁判所側の『丸なげ』ではないかと、批判します。
この上で、裁判所に、「福岡高裁宮崎支部の決定をはじめとする原発の再稼働を容認する司法判断は、こうした審査基準が合理的であるかどうか、適合性判断が合理的であるかどうかの立証責任を電力会社側に負わせるのではなく、不合理な点がないということを立証すれば足りるとの見解を示しています。しかしながら、審査基準が合理的であるということは、前提事実ではなく、事業者において立証すべき間接事実のはずであり、その基準が合理的であるというためには、福島原発事故の原因が具体的に明らかにされ、二度とこうした事故を起こさないために基準であることが、立証されるべきであることは、当然のことだと思料されます。事業者側にこうした立証をさせることなく、不合理な点がないことの立証を求めれば足りるとする司法判断は、まさしく、司法としての責任放棄としか言いようがありません。」、と突きつけています。

 最後に、徳田弁護士は、この意見陳述書を「以上述べたところを正面から受けとめていただいて、裁判所が、正しい法的判断枠組みに基づく判断をなされるよう切望して意見陳述とします。」、と結んでいます。


 さて、17時15分から18時直前まで行われた報告集会では、3人の弁護士の熱い説明がありました。
 今回も、メモをとるのは報告集会でという形となりました。
メモとなった各弁護士の話は、次のものでした。

(1)河合弁護士
①火山についての四電のプレゼンは、面白くない、長々とやっただけだ。
②仮処分は、次回の5月24日(木)で結審となる。9月か10月に判決になるかもしれない。
③勝訴へ向けて、確信を持って前に進みたい。
(2)小森弁護士
①ただの灰と死の灰の違いを理解していない。
②原発事故が起きれば、日本全体が立ち入り禁止地域になる。これは世界にそのまま広がる。
③たいした根拠はないのに、火山学者の論点を新しい知見として利用する形できているので、きちんと反論する。
④火山学者が、危機的状況にある。毒まんじゅうが火山学会に回り出した。
(3)中野弁護士
①「社会通念」については国際理解から見てもおかしい。
②科学の基本は、不確実性にある。


 最後に、中山田共同代表の「四電は低頻度で心配ないと強調するがそもそもが違う」との感想と、徳田弁護士の「この最高裁の『万が一』は、そもそも住民側を負けさせるための判例であったのだが、徹底的に使えるのではないか」との言葉が、司法の枠組み問題とも関わって、非常に記憶に残りました。




by asyagi-df-2014 | 2018-03-03 06:57 | 書くことから-原発 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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