人気ブログランキング | 話題のタグを見る

優生思想を乗り越えるために。~信濃毎日新聞20180218から~

全国の新聞社の気になる社説、論説を不定期に取り上げて考える。
多くの内容は、「社説・論説-47NEWS」からの紹介となる。




 信濃毎日新聞は2018年2月18日、「あすへのとびら 強制不妊手術の提訴 優生思想 乗り越えるには」、と社説で論評した。
 優生保護法の中で、手術を強いられた人たちが、日本国憲法下で、尊厳と人権を持つ存在とは見なされていなかったことに、どのように誠実に対応していくのかが問われている。
信濃毎日新聞は、今問われていることについて、次のように指摘している。


(1)「へその下に8センチほどの傷痕が残る。卵管を縛る不妊手術を強制されたのは15歳のときだった。『遺伝性精神薄弱』が理由とされた。宮城県に住む60代の女性が先月末、国に謝罪と損害賠償を求める裁判を起こした。子どもを産み育てる基本的人権を奪われたと訴えている。不妊手術を強いた旧優生保護法の違憲性と、被害の救済を怠ってきた国の責任を問う初の訴訟である。」
(2)「〈不良な子孫〉の出生防止を掲げた優生保護法の下、戦後半世紀近く、多くの障害者らが手術を受けさせられた。本人の同意がない強制手術に限っても、統計に残るだけで1万6千件余に上る。長野県でも400件近くあった。」
(3)「裁判を起こした女性は、父母が他界し、手術当時の事情を知る人はいない。宮城県が昨年開示した『優生手術台帳』の記録が提訴に結びついた。一方で、同じ宮城の70代の女性は記録が見つからず、提訴を断念している。」
(4)「共同通信の調査で、個人を特定できる資料が残るのは21道県の2800人分ほどにとどまる。時とともに廃棄や散逸の恐れは増す。当事者の多くは高齢だ。実態をつかむには、徹底した調査と掘り起こしを急がなければならない。」


 また、優生保護法の果たしてきた役割とその問題点について、次のように押さえる。


(1)「優生保護法ができたのは1948年。現憲法が施行された翌年である。見過ごせないのは、戦時下の国民優生法よりも優生思想が色濃くなったことだ。命に優劣をつけ、選別する考え方である。」
(2)「当時の日本は、国外からの引き揚げや出産の増加によって急増した人口の抑制が大きな政策課題だった。産児制限とともに『人口資質の向上』の必要性が唱えられ、優生政策が強化された。」
(3)「政府が出した通知は、身体の拘束や麻酔のほか、だますことも認めていた。知的障害の女性に『病気の手術』と偽って子宮を摘出した事例をはじめ、法の規定に反する生殖器官の除去も横行した。」
(4)「憲法は個人の尊重を根幹に置き、基本的人権の保障と法の下の平等を定めている。にもかかわらず、手術を強いられた人たちは、等しく尊厳と人権を持つ存在とは見なされていなかった。」
(5)「羊水検査で胎児の診断が可能になった60年代後半以降、積極的な受診を呼びかける運動が兵庫を先駆けに各地に広がる。異常があれば中絶し、『不幸な子』が生まれないようにする―。“善意”の衣をまとった命の選別だった。」
(6)「胎児の障害を理由に中絶を認める条項を置く法改定の動きも起きた。脳性まひの当事者団体『青い芝の会』が抗議の声を上げ、優生保護法の差別性に社会の目が向くのは70年代半ばのことだ。」
(7)「さらに20年余を経た96年、優生保護法は『母体保護法』に改められ、優生思想に根差した条文は全て削除された。けれども、差別や人権侵害を放置した責任が問われたわけではない。政府は『当時は適法だった』と強弁し、補償や救済は一切なされていない。」


 信濃毎日進軍は、この裁判について、『自らの問題として』、と次のように指摘する。


(1)「裁判は『除斥(じょせき)期間』」が壁になる可能性がある。20年で損害賠償の請求権が消えるという民法上の考え方だ。母体保護法への改定から既に20年以上を経た。ただ、最高裁は過去に、著しく正義、公平に反する場合は除斥の適用を制限できるとの判断を示している。」
(2)「原告の女性は手術後、癒着した卵巣の摘出を余儀なくされ、縁談も破談にされた。人生を台無しにされた上に、泣き寝入りを強いる除斥を認めるべきではない。尊厳の回復と被害の救済に道を開くことは司法の責務だ。」
(3)「ドイツでは、ナチス政権下の断種法によって障害者らおよそ40万人が不妊手術を強要されたほか、「安楽死」計画の犠牲者は20万人に及ぶとされる。長く見過ごされていたが、80年代以降、補償金や年金が支給されている。」
(4)「福祉国家のスウェーデンにも優生思想に基づく断種法はあった。福祉の充実には選別が必要と考えられた。70年代まで、6万件を超す不妊手術が行われたという。90年代に政府が調査委員会を設け、補償制度をつくっている。」


 信濃毎日新聞は、最後に、「法が改められたからといって、優生思想が社会から消えるわけではない。差別、偏見は一人一人の意識の奥に潜んでいる。」、と指摘する。
 その上で、「産む産まないの判断が女性の自己決定権として尊重されるようになった。一方で、出生前診断の技術が進んでいる。国家が強制するのではなく『個人の選択』に基づくかたちで、新たな優生社会が姿を現す恐れも指摘されている。過去の過ちと向き合うことは、これからの社会を考える一歩だ。国は被害を検証し、補償、救済を進める責任がある。根深い優生思想を克服していくために、私たち自身が自らの問題として受けとめることが欠かせない。」、と結ぶ。


 確かに、二つのことを確認できる。
 一つには、「差別、偏見は一人一人の意識の奥に潜んでいる。」から、一人一人が差別・偏見を克服するためには、「自らの問題として受けとめることが欠かせない。」、ということ。
 二つ目は、差別、偏見は、国家が政策のなかで秩序維持として必要としたことから再生産されてきたのものである。だとしたら、国家は自らの責任で自らの政策が犯した罪がもたらした被害を補償しなければならないこと。




by asyagi-df-2014 | 2018-02-25 07:44 | 人権・自由権 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人