人気ブログランキング | 話題のタグを見る

福島地裁の判決(2017年10月10日)の重みを肝に銘じること。

 朝日新聞は2017年10月10日、)「東京電力福島第一原発事故でふるさとの生活が奪われたとして、福島県の住民ら約3800人が国と東電に生活環境の回復や慰謝料など総額約160億円の賠償を求めた訴訟で、福島地裁(金沢秀樹裁判長)は10日、国の責任を認め、国と東電に賠償を命じる判決を言い渡した。生活環境の回復を求める訴えは却下した。原発事故を巡る同様の集団訴訟は全国で約30あり、福島地裁での判決は前橋、千葉の両地裁に続き3例目。福島訴訟では、国の避難指示が出た区域の原告は約1割。大半は福島県内の避難指示が出なかった地域の住民で、宮城や茨城、栃木の住民もいる。」、と伝えた。
 このことを考える。
2017年10月11日、茨城新聞は「原発政策と福島判決 苦悩と教訓に向き合え」、信濃毎日新聞は「福島集団訴訟 国は責任を直視せよ」、」、と次のように論評した。


Ⅰ.判決の特徴・内容
(茨城新聞)
(1)これまで判決が出た前橋と千葉の両訴訟とは異なり、原告の大半は避難者ではなく、事故時に福島県や隣県で避難指示などの対象にならず、居住地にとどまった住民。被ばくによる健康不安にさらされずに平穏に生活する権利を侵害され、家族や地域の人間関係を壊された-などと訴えた。
(2)判決で福島地裁は、福島沖などで巨大な津波地震が発生する恐れを2002年に指摘した政府機関の長期評価について「専門的研究者の間で正当な見解と是認されていた」とし、国と東電は津波到来を予見できたと判断。「津波対策を取っていれば、事故は回避可能だった」と結論付けた。
(3)その上で、国の責任を巡り「規制権限の不行使は許容される限度を逸脱し、著しく合理性を欠いていた」と批判。対策を怠った東電の責任については「過失があるといえるが、故意や重過失は認められない」とした。
(4) 国の責任を巡っては前橋判決も同じ判断を示したが、先月の千葉地裁判決は予見可能性を認めながらも「対策を取っても、事故は防げなかった可能性がある」と東電のみに賠償を命じ、裁判所の判断が分かれている。


(信濃毎日新聞)
(1)原発事故の被害者による集団訴訟は、全国各地で30件ほど起こされている。福島地裁の訴訟では、事故後も避難せず自宅で暮らしてきた福島県の人たちが原告の中心で、宮城、茨城、栃木各県の住民も加わっている。判決は3件目。3月の前橋地裁は今回と同様に国の過失を明確に認定した。9月の千葉地裁は国の責任は認めなかった。
(2)大津波を予見できたか、が争われた。政府機関が2002年に公表した地震予測の長期評価に基づき、東電が08年に試算したところ津波が海面から10メートルの原発敷地を上回るとの結果が出た。
(3)福島地裁は判決で、国が長期評価を基にシミュレーションしていれば「最大15・7メートルの津波を予見可能だった」と断じた。さらに、東電に対策を命じていたら事故は回避可能だったとし「規制権限の不行使は著しく合理性を欠いた」と厳しく批判している。長期評価は確かな知見ではなく、東電に命じる権限もなかったとする国側の反論を一蹴した。
(4)原告側は放射線量を事故前の水準に戻す「原状回復」を求め、実現するまで1人月5万円の慰謝料を請求。判決は原状回復の訴えは退けた。前橋地裁、千葉地裁が認定した「ふるさと喪失」への慰謝料も、既に支払われた賠償に含まれるとして却下している。ただ、2件の判決に続いて、今回も国の指針に沿って東電が支払っている慰謝料を上回る賠償を命じている。現在の指針は加害者側が決めた枠組みであり、その範囲で解決できない損害がいかに大きいかを示している。


Ⅱ.主張
(茨城新聞)
(1)原発事故から6年7カ月。今なお福島県の5万5千人余りが県の内外で避難生活を強いられ、多くの人が被ばくの不安や風評被害などに苦しんでいる。だが国は原発の再稼働に前のめりだ。福島地裁判決の直前には、新潟県の東電柏崎刈羽原発6、7号機が再稼働に向け原子力規制委員会の審査に事実上合格した。
(2)衆院選で野党は競うように「原発ゼロ」を公約に掲げているが、具体的な工程表はどこからも示されず、うわべだけの論戦に終わらないか懸念する声も出ている。与野党とも、集団訴訟で語られる住民らの苦悩と事故の教訓にきちんと向き合うことが求められよう。
(3)政府は事故原因の検証もそこそこに、原発を「重要な電源」と位置付け再稼働を進める。規制委が規制基準への適合を認めたら、その判断を尊重して地元の理解を得るという手続きを踏むが、多くを規制委や自治体、電力会社に任せ、国の責任があいまいなまま、既成事実が積み上げられていくことに疑問が投げ掛けられている。
(4) 福島判決は「国の責任の範囲は東電の責任の2分の1と認めるのが相当」とするが、長年にわたり原発事業が国策として推し進められ、再稼働についても「世界一厳しい規制基準」が強調されており、原発の安全、さらに万が一の事故に対する責任において、国が前面に立つのが筋だろう。
(5) 一方、衆院選では、希望の党が「30年までに原発ゼロ」を、立憲民主党も「一日も早く原発ゼロを実現」を公約に掲げている。ただ他の野党も含め、目標達成の具体的な工程表は示されていない。また原発再稼働を巡って、希望が条件付きで容認するなど主張に濃淡があり、本気度がまだ伝わってこないことを指摘しておきたい。


(信濃毎日新聞)
(1)まっとうな判断だ。
(2)住宅や仕事を失い、人間関係を断たれた。避難先では子どもがいじめに遭い、体調を崩す大人も少なくない。年間被ばく線量の限度は20ミリシーベルトに引き上げられ、その“異常値”を当然の目安のようにして国は避難区域を解除し、慰謝料や住宅無償提供を打ち切る。健康管理にさえ、国と東電は責任を持とうとしない。被害者が置かれている現状である。
(3)国と東電は支援や賠償のあり方の見直しこそ急ぐべきだ。原発事故は起きないと「安全神話」を吹聴しておきながら、法廷で「想定外だった」と強弁し、責任を回避するのではあまりに見苦しい。


 確かに、「原発政策と福島判決 苦悩と教訓に向き合え」「福島集団訴訟 国は責任を直視せよ」と並べただけで、判決の意味の一端を理解できる。
 ここでは、信濃毎日新聞の「国と東電は支援や賠償のあり方の見直しこそ急ぐべきだ。原発事故は起きないと『安全神話』を吹聴しておきながら、法廷で『想定外だった』と強弁し、責任を回避するのではあまりに見苦しい。」、を強く掲げる。




by asyagi-df-2014 | 2017-10-21 06:44 | 書くことから-原発 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


by あしゃぎの人