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東京都知事及び墨田区長の追悼文拒否の中で開かれた関東大震災追悼式。(2)

 東京新聞は2017年9月2日、「墨田区の都立横網町(よこあみちょう)公園では同日午前、朝鮮人犠牲者の追悼式が開かれ、出席した約五百人が、不当に命を奪われた人たちを悼んだ。しかし、例年実施されてきた都知事と墨田区長の追悼文読み上げは行われなかった。」、と報じた。
 標題について、東京新聞は2017年9月6日、「朝鮮人虐殺 歴史は抹消できない」、と社説を論評した。
東京新聞は、「歴史の事実は消すことができない。当たり前のことに、小池百合子東京都知事は疑問符をつけるのだろうか。関東大震災での朝鮮人虐殺犠牲者を弔う追悼文を出さなかった。真意を語ってほしい。」、とその社説を始める。
また、萩原朔太郎の次の三行詩を掲げる。


  近日所感
 朝鮮人あまた殺され
 その血百里の間に連なれり
 われ怒りて視る、何の慘虐ぞ


 「朝鮮人虐殺は動かせない史実である。」、と。
 さらに、東京新聞は次のように続ける。


(1)大震災の発生直後に「朝鮮人が暴動を起こした」といったデマが瞬く間に広がった。あおられた民衆が組織した自警団や住民が、朝鮮人を見つけ出しては殺傷した。
(2)知事名の追悼文は、少なくとも石原慎太郎氏の時代から歴代知事は毎年送ってきた。小池氏も去年は送ったではないか。
(3)こうつづられている。「極度の混乱のなか、多くの在日朝鮮人の方々が、言われのない被害を受け、犠牲になられたという事件は、わが国の歴史の中でも稀(まれ)に見る、誠に痛ましい出来事でした」。知事として、負の歴史と正面から向き合う姿勢が伝わる。この追悼文が今年はなくなった。歴史に目をつぶり、学ぶべき教訓を無意味化するにも等しい。
(4)その理由を記者会見で問われると、小池氏は、大震災の遭難者を弔う都慰霊協会主催の大法要の場で「全ての方々へ哀悼の意を表している」と繰り返した。聞く限り、真意はよく分からない。災害による落命と、民族差別を背景にした虐殺とは性格が異なるのに、「不幸な出来事」とひとくくりにもした。虐殺の史実については「歴史家がひもとくものではないか」と述べるにとどまった。
(6)追悼式の会場に立つ慰霊碑には、六千人余という犠牲者数が刻まれている。それを疑う声はある。国の中央防災会議の報告書は、殺された朝鮮人らは震災全体の死者十万五千人余の「1~数%」と推計する。虐殺の事実は否定できない。


 東京新聞は、最後に、こう結ぶ。


 「首都直下地震をはじめ大災害時に、小池氏は人命救助を指揮する責任を負う。人心を惑わし、暴走を招きかねないデマの拡散を防ぐのも重要な任務である。過去の教訓を蔑(ないがし)ろにしてはならない。


 確かに、「過去の教訓を蔑(ないがし)ろにしてはならない。」。
もう一度繰り返す。
 今回のことは、「国際社会の原則」-「人類の普遍的価値と国民的合意に基づく被害者の名誉回復と補償、真実究明と再発防止の約束という国際社会の原則」-を踏みにじる行為でしかない。




by asyagi-df-2014 | 2017-09-15 14:52 | 人権・自由権 | Comments(0)

壊される前に考えること。そして、新しい地平へ。「交流地帯」からの再出発。


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